浪江町から来た高校生の想い | eriのブログ

浪江町から来た高校生の想い

テーマ:☆取材☆





今回取材したのは、喜多方高校に通う2年生の金澤明穂ちゃんですマイク






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浪江町出身の明穂ちゃん。




あの日は卒業式でした。


友達との別れ。でも、高校の合格発表も控え、新たな生活に夢を膨らませていました。




けれど、そんな事も一変。


突然の地震。




津波により車は流されてしまったものの、なんとか家族と合流し避難することができました。




翌日ガソリンもない中、ようやく電話がつながった


会津坂下町にあるお母さんの実家へ行くことに。




それからお母さんと弟さんとの会津での生活が始まりました。






高校はおじいちゃんとお父さんも通っていた双葉高校への入学を待ち望んでいました。




判定ができないため、受験者全員合格とはなったものの、


校舎には通うことができないためサテライト校になるとの知らせが。




制服を着ることを想像し、入学を目標に頑張ってきました。


そんな高校からの「合格通知」




けれど悩んだうえ、坂下からも通える喜多方高校に入学することを決めました。




まったく知らない土地・・・


浪江の友達もいない・・・


「被災者」というレッテルへの不安・・・




通常よりも遅れて入学した明穂ちゃんは当時不安でしかたなかったと話します。




けれど、そんな不安とは裏腹に学校へすぐ溶け込んでいくことができました。






双葉高校に入学したら入部したいと思っていた演劇部。


喜多方高校には演劇部はなかったため、放送部へ入部してみることに。




部活を初めて何か成長したなと思えたことはありますか?
と聞いたところ

放送部にはいったことで度胸がついたと言っていました。




「部活」が自分の中で「好きなもの」に変わりました。






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明穂ちゃんと弟さんは震災後一度も家に行くことができていません。




今でも浪江の町を夢に見たりすることがあるそうです。






今一番望むことは「浪江の友達と集まること」




卒業式をしたとはいえ、突然ばらばらな地域に住み、


なかなか会うことができなくなってしまった友人達。




そんなみんなとまた集まって、浪江町のことを話したい。




そして離れて暮らすことになってしまったおじいちゃん、おばあちゃん、お父さんと


また当たり前のように暮らしたい。




そんな願いを胸に、


「自分もだけど、みんな頑張ってほしい。」


と、明穂ちゃんはみんなへの想いも口にしていました。




「今の生活もとても楽しいし、ほんとに良くしてもらっている。


けれど、やっぱり、ちょっとだけ浪江の町に戻って以前のように暮したいって気持ちはあります。」




新しい生活になれ、前をむき歩き出している明穂ちゃん。


けれど、浪江町への想いも消えることはありません。