ある友人との電話でのバトル。
その友人は産経新聞を愛読、
愛国心に満ち溢れた日本大好き右派。
(昔は左派だったそうだが、疑問を
感じ転向したらしい)
避けてはいるが、たまに地雷を
踏むことがある。
要するに激しいイデオロギー対決。
そういった時は、お互いに不愉快に
なり最後はいつもお互いに電話を
叩き切る。
最近は旧統一教会と自民党の
癒着の問題が火種。
そしてベンゾの話をする私に
その友人はこう言い放った。
「あなたの話は陰謀論でカルトだ」と。
私が一番嫌いな陰謀論とカルトと
言われてしまったことに更に怒りは
増し、切った電話を更に床に
(絨毯だったからよかった)叩きつけた。
そう思われないように、バランス感覚
だけは気を付けていたつもりだったのに…。
友人には、
「ジェットコースターに乗ったことのない
人がその怖さを、エベレストに登った
ことのない人がその過酷さを分かる
はずがない。経験したことのない人が
分かるはずがない!〇〇さんは何も
知らないだけだ!いや可哀想に
知らされてないだけだ!」とエキサイトした。
更に
「私は日本はちっともいい国とは思わない。
だから愛国心の欠片もない。
まだアフリカや北朝鮮に生まれて
栄養失調で寿命30年で天寿を全うした
方が余程幸せだった!」と言い放った。
(本心だから)
相手は日本大好き、日本ほどいい国は
ないと思っている相手、保守派の自民党も
大好き、こうなればもう泥仕合。
もうお互いに、
「同じ国の人間が話す内容とは思えない!」
と罵り合い。
相手には私の話す内容が陰謀論で
カルト的に感じられるようだ。
ビックリしたが、ショックだった。
「この私が陰謀論でカルト…!?」
昨夜は頭に来てそして悲しくもなり、
ベンゾ被害者達が味わう「無理解」と
いう苦しみがこれかと愕然とした。
そしてふて寝した。
朝になると頭がリフレッシュされたのか、
こんな気持ちになった。
「知らない、いや何も知らされてない人
に理解させようと思うこと自体が傲慢だ」と。
ベンゾ被害に遭う前の私も日本ほど
いい国はないと思っていたし、
また日本の医療に絶大な信頼を
置いていた。
だからこそ行ったし、だからこそ素直に
飲んだ。
国がヤバい薬を認可するはずがない
と思っていたし、医者がヤバい薬を
出すはずがないと思っていた。
服用に際しもし注意事項があるのなら、
説明があるはずと信じて疑わなかった。
その思考、感覚で物事を見ることは
大事かもしれない。
日本の医療の恩恵、つまり光しか
知らないラッキーな人の目線。
影の部分を知らずに済んだ人の目線。
そうするとベンゾ被害者達の界隈が、
確かにカルト的で陰謀論者に
感じられて来る。
何も知らない、いやメディアから
何も知らされていない人達からは
そんな風に見えるものなのだ。
何も友人が特別なわけではない。
そう見えてしまう人を、一様には
責められない。
理解出来ないのだということを
理解しなければならないとさえ思った。
理解出来なくて当たり前なのである。
余程のことがなければ、恐らくこれは
理解出来ない。
罵り合って傷つけ合っても、何も
ならないし何も生まれない。
まずはこちらが、相手が理解出来ない
ということを理解することが
最初のステップだろう。
何も知らされていないのだから、
新聞やテレビが言うことが真実だと
思い込んで洗脳されている人達が、
簡単にストーンと「分かりました」と
理解まで到達出来るはずがない。
まずはこちらが相手の立場に
立つことがどうしても必要になる。
「あなたが理解出来ないことは
よく分かります。それが当然でしょう。」
と最初に言ってあげると、次を割と
聞いてくれるものだ。
最初っからぶつかり合っては、
相手もムキになる。
私から見れば相手こそ「産経新聞に
洗脳されている」というところで、
その洗脳解除をすることは至難の業である。
しかし相手は私が洗脳されていると
思っているのだから、余計ややこしい。
お互いにお互いが「頭がおかしい。
洗脳されている。」と感じているのだから。
お互いに相手が宗教に見えるのだから。
世間とはこんなものだろう。
どっちが正常か、どっちが真実を知って
いるのか私の中では明白であるが、
皆「自分こそ正常だ」と思っているわけ
だから厄介である。
今後その友人がベンゾスキャンダルの
ことを理解するまで到達するかしないか
分からないが、そう簡単な話ではないな
と、まるで(何も知らされていない)社会の
理解度のリトマス紙のような感じもする。
理解されないことを嘆くのではなく、
それが普通の反応なのだということを
私達被害者は理解しなければならないし、
理解出来ないからと言って相手を責めたり
してはならないと、反省を込め書いて
おきたいと思った。