あけてももかんフォーカード



「なら…勝負だ」
「ん…」

 土曜の深夜。
 映像も音楽もない、静かな部屋。
 俺たち二人の緊張感が、辺りを支配する。

 先に動いたほうが、負けだ。
 俺は理由もなく、そう感じていた。

 そんな、針の落ちた音さえも聞き取れるくらいの静寂の中…
 先に動いたのは、俺の目の前にいる女。

 …そして、決着。

「ツーペア。10と8」
「…ワンペア」
「…あたしの勝ち、と」
「あ~、くそっ」

 メモ帳の俺の名前のところに○を書き加えるあおい。
 俺は負け犬の義務として、カードをシャッフル…

 また負けた。
 …これで4連敗。

「これで風呂掃除は惣一」
「なあ…」
「買い物当番も後片付けも惣一。負けっぱなしだよ」
「それはいいからさ…」
「良くない、不平等。後片付けあたしにしとくよ」
「だめ! これは俺ら二人で決めたルールだろ?」

 メモの内容を書き直そうとするあおい。それを止める俺。
 毎回のことだから、慣れたやり取りだ。

「ん~…、でも惣一、弱い」
「集中できないんだよ…」

 だって…だってなぁ…目の前には。

「駄目だよ、勝負の最中によそ見してたら」
「お前のその格好のせいだ~!」

 ついに逆ギレ。
 しかし、どうせ俺が怒ったって、何が変わるわけじゃない。
 いつものことだ。

「格好って…同じだよ。いつもと」

 などと言いながら、シャツの裾をまくり上げてみせる。
 そう、あおいの服装は、いつもと変わってない。

 風呂上がりの石鹸の香りを漂わせながら、
 俺のワイシャツを無造作にはおって…
 下はショーツいちまい…

「それが問題! せめてあぐらはよせ、はしたない…」
「…楽なんだもん」

 見える…何もかもが見える。
 俺が超能力者なせいじゃない。

 そんな格好で、俺の目の前に足開いて座ってたら、
 見えないほうがおかしい…

 作戦か? 色仕掛けか?
 俺が冷静さを失うのを狙ってやがるのか!?
 それとも、毎日見せられても飽きない俺が悪い、のか?

「楽だからってなぁ…そういう格好するなよ」
「…なんで?」

 ぐ…

「ねえ、なんで?」

あおいの表情が、ちょっとだけ変化する。
例の、微妙な笑顔。

 明らかに、俺の反応を楽しんでやがる。
 こうなったら…

「…したくなるから」
「…じゃ、しよっか?」

 う…

 俺のやけくそな反撃も全然効果なし。
 即答で逃げ場を封じられる。

「ね、しよっか? えっち」

 俺は、からかわれてる。
 けれど、更に反撃しようものならやっぱり俺の負け。

 あおいは冗談で言ってるけど、
 俺が冗談で答えると、それは本当になっちまうから。
 絶対に拒んだりしないから。

「馬鹿! 今は勝負の最中だ!
 ………………………………………………後でな」
「あは………了解」

 俺、弱すぎ…
 いや、どうせほとんど毎日してるんだから、
 何が変わるわけでもないんだが。

「つ、次だ! 行くぞ」

 動揺しまくりながら、カードを配る。
 …次も勝てる気がしない。

 ………

「ん~…」

 無表情で首をひねるあおい。
 その表情からは、手の内を読むことは…

「…惣一、いい手だね」
「な、何故わかった!?」
「にやけてる」
「なにぃ!?」

 慌てて頬に手を当てて確かめ…

「…本当にいいんだ」
「き、貴様!」

 …ところで、こんな勝負をしているのには訳がある。

 あおいと一緒に暮らし始めて半年ほどたったある日。
 俺は…恐るべき事実に気がつき愕然とした。

 その事実とは…

 あおいは、俺を甘やかし過ぎてるという事。

 掃除、洗濯、食事の用意から後片付け、
 それに夜のおつとめ…いや、これは攻受バランス良く役割分担。

「んじゃ、今回は洗濯な」
「了解」

 …それはともかく、
 家事の一切合財を自分で抱え込んで、俺になにもさせない。
 あおいだって俺と同じ職場で働いているにもかかわらず、だ。

 相変わらずあおいの中では、
 俺は、『あおいがいないと何もできない』ってイメージが定着しているらしい。

 そして…あおいはこの関係を気に入ってる節がある。
 なんでこんなに尽くすのが好きなんだ? コイツは…
 外見と普段の仕種からじゃ全然想像つかないけど。

 でも、このままではいけない。
 俺は、あおいを引っ張っていくような、 頼りがいのある男になるって誓ったはずだ。

 と、いうわけで、まずは家事の分担から。

「俺、2枚チェンジ」
「ん」

 いきなり俺がやると言ったって、どうせあおいのことだ、 『はいはい、わかったからそこどいて、掃除中』てな生返事で、俺に手伝いをさせないってことは容易に想像がつく。

 だから知恵を絞って、自然に俺が家事を分担するような仕組みを考えた。
 それがこのカードゲーム。

 このゲーム大会は、俺とあおいとの間で、毎週土曜の夜を徹して行われる。

 ルールはポーカー。家事をチップにして、 『負けたほうがチップを受け取る』

 ゲームで負けたペナルティなんだから、心置きなくあおいの仕事を手伝えるって寸法だ。

「あたし、3枚」
「ほい」

 最初は釈然としない様子のあおいだったけど、 二人でするゲームってのが気に入ったらしく、しばらくして、勝っては微妙に喜び、俺に家事を任せることにも慣れた。

 けど、俺が仕事してるところをいっつも頬杖ついて見物してるから、結局自分の時間なんて作ってないんだけどな。

 全く、無趣味無気力無感情なところは全然変わりゃしねえ。
 …一歩、踏み外さなけりゃ、な。

 さてと…今、目の前で行われてる対決に話を戻そう。
 この勝負は、今週の洗濯当番を賭けての一発勝負。
 役の低い、あるいは降りた方が、今週の全ての洗濯を執り行う。

 無論、俺が勝ったら、パンツも遠慮なく洗濯機に放り込む。
 だが俺が負けたら、あおいは遠慮なくブラもショーツも手渡ししてくる。

 …脱ぎたてを。

「んじゃ始めるぞ、まずはコールな」
「レイズ。おかずのリクエスト1回」
「…ほう」

 あおいがいきなりレイズ。
 やる気だ。

「それじゃ俺もレイズ。レンタルビデオ1本…いや2本」
「へえ…」

 俺とあおいの間に、静かな緊張が走る。

 …知らない人間が見てると、『何やってんだコイツら』なこのやり取り。
 これこそが、土曜の夜をエキサイトさせる追加ルール。

 要するに、チップ上乗せのかわりに、お互いへのサービスを賭けて勝負するということ。

 今の場合、俺が勝ったら、明日のおかずは俺が決めていいし、俺が負けたら、今度借りてくるビデオはあおいが選んでくる。

 要するに、くだらない主導権争いなんだが、くだらない分かえって盛り上がるのだ。

「外食1回」
「俺のおごり」
「飲み放題」
「悪食容認」

 え~と、今のは、俺が勝ったら久しぶりに豪勢に外でメシ食って、しかもそのときには、飲み放題のオプション付き。

 俺が負けたらその1回の外食代は全部俺持ちで、しかもあおいが何頼んでも文句が言えない。
 そう、それが例えば例の腐ったチーズでも。

 …本当にくだらない。

「じゃ、先に酔い潰れる権利」
「どうやって連れ帰るんだ? 重いぞ、俺」
「大丈夫だよ、いつも乗っけてるもん」
「………」

 相変わらず、素でヤバいことを言う奴だ。

 それはともかく…あおい、引かねえなぁ…
 そんなにいい手なんだろうか?
 対する俺の手は…………ふっふっふ。

 俺も引く訳にはいかない。
 それどころか、どんどんつり上げて、あおいの○○の毛まで抜いてやるぜ!

「………………………………………………」
「どしたの? 惣一」
「い、いや…ちょっと…」

 想像して少し勃った。

 ………

 …そうして数秒後、俺たちの勝負は、だんだんと抑制が効かなくなる。

「レイズ、体で洗ってあげる」

『体を洗ってあげる』ではないので注意が必要だ。

「レイズ、マンションのエントランスから部屋までお姫様だっこ」

 これは死ぬほど恥ずかしい。て言うか見られたら切腹。
 俺の決意のほどが見れるというものだ。

 それにしても、ここまでお互い引かない勝負は初めてだ。
 …いっつもは、俺が恐れおののいて降りてしまうから。

 大抵、そういうときの、あおいの手は、よくてワンペア。
 本気のポーカーでコイツに勝てる訳がない。

 けれど、今の俺は、負ける気がしない。

「じゃ、どこにキスマークつけてもいいよ」
「それ却下!」

 以前、そのオプションを謹んで使用させてもらったことがある。
 俺も調子に乗っちまって太股の内側につけたのが悪かった。

 …あおいは、次の日わざとミニスカートで出勤しやがった。

「ん~…来週ずっと中でもいいよ」
「もっとダメ!」

 けじめはつけんといかん。
 …今更何言ってやがると突っ込まれることもしばしばだが。

「じゃあ…制服?」

 それだ!

「セントラルシールのな」
「…汚さないでよ?」
「おっけ、任せとけ!」

 もちろん俺が着る訳では、ない。

「で、惣一、どうする? 降りないよね?」

 降りてたまるか。
 苦節一年、やっとこのチャンスが巡ってきたんだ!

 …いや、きっと拝み倒してたら、着てさせてくれるんだろうけど、あおいに弱みを見せるのはなるべく避けたい男心なのだ。

 なんせ今まで弱みしか見せたことないからなぁ。

「じゃ、コール。え~と、何にしようかな? 俺も制服?」
「…惣一」

 あおいが、例の呆れたような表情を見せる。

「冗談だって冗談! …思いつかねえ、あおい決めてくれ」
「…………………いいの?」
「お、おう…?」

 何だ今の間は?
 俺、何かマズいこと言ったか?

「じゃ、勝負ね」
「あ、ああ…」

 何か釈然としないものが残ったが、まあいい。
 どうせ俺の勝ちだ。

 さて、それじゃ俺のカードから…

「あ…惣一、給湯器の電源切った?」
「ん? どうだったかな?」

 と、あおいがいきなり水を差す。

「この前もつけっぱなしだったよ。
 あれ、結構電気代に響く」
「それもそうだな…」

 所帯じみたやり取りだが、それも仕方ない。
 本当に所帯じみてるからな、俺たち。

 で、俺は風呂場に、給湯器の電源を切りに行く。

「………」

 …なんだ、ちゃんと切れてるじゃないか。
 拍子抜けして、その足で居間に戻ってくる。

「ちゃんと切ってたぞ」
「そだろね…」
「……は?」
「…なんでもない、勝負ね」
「あ、ああ…よし、俺の手からだな?」

 あおいの顔を覗き込んで、ニヤリと笑ってみせる。
 好色そうな小悪党の笑み。
 そして、手に持ったカードを、場にたたきつけて叫ぶ。

「9のフォーカード!」

 場に開いたカードは、ダイヤのキング。
 クローバーの9、ダイヤの9、ハートの9
 そして、スペードの9。

 普段、ほとんど作ることの出来ない大技。
 ストレートよりも、フラッシュよりも、フルハウスよりも高い手、
 その名もフォーカード!
 完璧だ、俺…

「………」

 あおいは、場に広げられた俺の手を見て、それでも表情一つ変えない。
 まぁ、コイツの場合、勝っても負けてもいっつもそうだが。

「てなわけで、恨むなよ、あおい。
 月曜、ちゃんと制服持って帰ってくるんだぞ」

 …あと2日の辛抱だ。
 あ、いかん、想像しただけで立てなくなってきた。

「………ぷ」
「…あおい?」

 何故だか、あおいが笑った。
 そりゃ、一緒に住むようになってからは、かなり笑顔を見せてくれる。
 けど、負け惜しみの笑みなんてものは、今まで見たことなかったぞ?

「惜しかったね、惣一」
「な…なに?」

 惜しかった、だと?
 それは一体、どういう意味…

「ん」

 相変わらず、演出とか、カタルシスとか無視したそっけなさで、あおいがカードを開く。

 スペードの、3。
 クローバーのジャック、ダイヤのジャック、ハートのジャック。

 そして…ジョーカー。

 え~と…ジョーカーはワイルドカードだから、
 全てのカードに置き換えが可能だからして…この場合は…

「3とジャックの…フルハウス?」
「…往生際、悪いよ?」

 冷静に完全否定。

「ジャックのフォーカード」

 そして、死刑宣告。

「う、嘘ぉ!?」

 どうして俺がフォーカードの時に限ってフォーカード?
 しかもこう…微妙に俺より高い数字で!

 お、俺は一生、何もかもコイツには勝てない運命なのか!?

「惜しかったね」

 もう一度、トドメを刺される。
 同情のこもったようでこもってない、いつも通りの微妙な笑顔で。

「な、何かの間違いだろ!? こんな偶然、あるか?」
「ホント驚き。惣一がそんな高い手だなんて…イカサマ?」
「んなわけあるか~!」

 イカサマやってんなら、今までもっと勝っとるわ!
 …と言いたかったけど、これ以上情けなくなるのは嫌なのでやめておいた。

「はあ…また負けかぁ」

 元々、こうやって、ただでさえ負担の多い、あおいの家事を分担するのが目的なんだから、負けるのが正しいんだが…

 今日ばっかりは、この勝負ばっかりは、
 どうしても負ける訳にはいかなかったのに。

 さらば制服プレイ。
 しかも、洗濯当番も俺に決定。

「で、惣一の罰ゲーム、あたしが決めていいんだよね?」
「…ああ」

 まさか負けるとは思ってなかったから、
 『何でもいい』なんて言っちまったが…

 これで、『プラダのバッグがほし~♪』なんて言われた日にゃ…
 俺の目標が、遠のいちまうなぁ。
 まぁ、あおいには、そんな物欲はないと思うが…

「じゃあね…アレ、再現して」
「…アレ?」

 即座にリクエスト。
 どうやらお願い事は既に決めてたらしい。

 そしてそのお願いってのは、金銭面に負担はないらしい。
 それは助かったが、しかし、アレってなんだ?

「1年前の、あの台詞」
「…いちねんまえ?」

何だか、すごく、とっても、とてつもなく嫌なデジャヴが…

「あおい、好きだ、大好きだ~…ってやつ」
「わ~! わ~っ!」

 死ぬより恥ずかしい青臭さにまみれた台詞を目の前で、しかも告げた女に再現されるって、こんな気分だったのか。

「もっかい、言って」

 俺の前に両手をついて、腰を浮かせつつ、顔を寄せてくる。
 風呂上りの、あおいの香りが、脳をくすぐる。

 あおいの顔が…ちょっと、紅潮してきてる。
 俺が、我慢できなくて、いつもぎゅっと抱きしめてしまう表情。

 けど今日は、悪魔の微笑みにも見える。

「な、なあ、あおい。 そんなくだらない、何の価値もないリクエストなんて勿体無いぞ。 そうだ! プラダのバッグなんかどうだ? 高くて高価で手が届かなくて素敵だぞ~」
「駄目だよ、無駄遣いは」
「う…」

 俺の捨て身の逃げ手、プラダのバッグをどうして一言で切り捨てる?
 あおいの価値観は全く理解不能だ。物欲がないのかお前には?

 大体今の俺は、その無駄遣いよりも深刻なピンチに見舞われているんだが、
 そのこと気づいてるんだろうか?

 そんなことを悩む間にも、あおいの顔は、どんどん期待に満ちてくる。
 そして、四つんばいのまま、俺ににじり寄ってくる。

「そ、そんなに寄るなよ」
「嫌。かぶりつきで見る」

 俺が口を尖らせれば、触れてしまう距離。
 二人の息が、かかってしまう距離に、あおいの顔が、ある。

「…どうしても、言わなくちゃ駄目か?」
「だめ。 これはあたしたち二人で決めたルール、だよね?」

 俺の台詞を盾に取られて、完全に追い込まれてしまった。
 これは…覚悟を決めて言う以外に、あおいを納得させることは出来んだろなぁ…

 だって、今のあおいの表情…
 一歩、踏み外しかけてる。

 …仕方ない。
 けど、俺にだって意地がある。
 あの時の、あんな情けない俺じゃないんだ、もう。

「なあ、あおい」
「…ん?」
「今の俺は…あんなこと、言えないよ」
「…どうして?」

 声のトーンが、少し低くなる。
 傍目には分かりにくいが、拗ねたような表情で、俺のこと、にらんでる。

「今の俺は…あんな風に、あおいを泣かせること、出来やしないから」
「………」

 あおいの感情をここまで読み取れるようになったのは、俺が初めてに違いない。
 なにせ一年間一緒に暮らして、やっと会得したスキルだ。

「だから、今の俺の言葉に置き換える。心して、聞け」
「………うん」

 表情を消して、俺を見つめる。
 真意を、測りかねてるんだろうな。

 けれど、推測は無駄だ。
 だって、俺だって、今から何言うか決めてないんだから。

「一年前の俺は…お前が何と言おうと、駄目な奴だった」
「………」
「落ち込まなかったのだって、立ち直ったのだって、また社会に戻れたのだって、あおいのおかげだったのに」

 一年前から、更に半年前。

 都会で挫折した田舎者って、すごく分かりやすい構図のこの俺に、住むところと、暖かい食事と、その時は全然気づかなかったけど、
包み込むような愛を与えてくれてたあおい。

 居心地が良すぎて、一月で逃げ出した楽園。

「再会したお前に、未練たらたらだったのに。酔って素直になったら、部屋に押しかけるくらい、求めてたのに」

 そして一年前。

 ブルーシールで偶然再会した俺たちの関係は、あんまり変わってなくて。
 与えつづけてくれるあおいと、応えられない俺。

「ずっとお前のこと、好きだって言えなかった。お前が恋人だなんて、俺には似合わなすぎて、どうしても口に出せなかった」
「…ばか」

 照れて『ばか』って言った訳じゃない。
 あおいは、ずうっと俺のその言葉を待ってたらしいから。
 だから、心の底から、俺のこと、『ばか』って責めている…たぶん。

 どうして多分なのかと言うと、俺は今でもあおいの、俺に対する気持ちってのを予測できない。
 いつも、予想のはるか上を行く態度を取られてしまうから。

「そんな俺が、こうして1年経って変わったのも、
 やっぱりお前のお陰なんだけど…でも、そろそろ、
 あおいに何かを返せるんじゃないかって…思うんだ」

 ここで深呼吸。
 今までは単なる前振り。これからが勝負。

 青臭さ丸出しの田舎者から、近すぎる高嶺の花へ。

「今、ここにいる、本多惣一は、加藤あおいのものだ」
「……ぁ」

 あおいの吐息が、俺に触れる。

「だけど、そんなことはどうだっていい。だって、加藤あおいは、もう何があっても本多惣一のものだから」
「…惣一」

 ささやくような、本当に小さな呻きのような声。
 その声に導かれるように…俺の口は、暴走を始める。

「お前のおかげで、俺は自信を持つことができた。お前を放さないって誓える自信を」

 あ…やべ。
 俺、今、公約違反しようとしてる。

 自らに課した目標。
 給料三ヶ月分。
 …まだ、二ヶ月分しか貯まってないぞ。

 このまま、消費者金輸直行か? 指輪破産?
 でもまぁ…それでも、いいか。
 どうせ、ちょっとだけ、順番が早くなっただけだ。

「そう言うわけで、お前に拒否権はないけど…んんっ!?」

 けれど、俺の言葉はふさがれた。
 あおいの、唇で。

 そして、そのまま押し倒される。
 あおいの柔らかさが、俺の上に心地よくのしかかってくる。

 そのまましばらく、あおいは俺の唇を塞ぎ続ける。
 そうして、唇を離すと、今度は俺の頭を抱きしめてきた。

「…どした?」
「…ん」

 俺の頬に、いやいやをするように、顔をこすりつけてくる。

「気に入らなかった? 俺の…」
「違う…」

 眼の辺りが、濡れてるように感じるのは、気のせい?

「じゃあ、どした?」
「…イった」
「なに?」

 そういえば…
 あおいの体、びくん、びくんって、震えてるのは…?

「………イっちゃった。ごめん」
「お前、なあ…」

 俺は、苦笑してしまった。
 あおいの、勇み足に。

 この後の台詞が、本当のクライマックスだったんだけど、その前の、前戯みたいなもんでこれでは…早いぞあおい。

 やっぱり、予想の遥か上を行く反応。
 言葉責めでもなんでもないのに。
 完全に、スイッチ入ってるみたいだ。

 こうなると…後は…

「ごめん、ごめんね惣一」
「もう、謝るなって」

 あおいの髪を、やさしく撫でようと、手を伸ばす。
 すると、その手を押さえつけられてしまう。

 そうして、俺の上にまたがって、俺を潤んだ眼で見つめる。

「ごめん、惣一。あたし、我慢できない」
「んっ…」

 抵抗できない俺に、あおいが覆い被さり、もう一度唇を重ねてくる。
 もとから抵抗する訳がないのに、強引に。

 俺の唇に強く舌を割り込ませ、全てを飲み込もうかという勢いで、吸ってくる。

 部屋に響くのは、あおいと俺の、互いを吸い合う音と、荒い息遣い。
 こんな…激しいあおいは、初めてだ。

 お互い、時間も忘れてむさぼり合い、息が続かなくなって、やっと離れる。
 あおいは…ものすごく名残惜しそうにしてる。

「はあ、はあ…あはぁ…ご、ごめん…あたし、どうしようもない。嫌なら…力づくで逃げて」
「謝るな」
「だ、だって…」

 気づいてるのかな、コイツ…
 自分が、泣いてるってこと。

 こんな表情…反則だ。

「それより、キスに集中しろ」
「んっ…んん…」

 あおいは、唇を重ねながらこくこくと肯く。

 そうしながらも、また激しく唇を吸い、俺の下腹のあたりに、こすりつけてくる。

 薄い布ごしに、はっきりとわかるくらいに、湿ったそこを…

「しよ? ねえ、すぐ、しよ? お願い…」

 潤んだ眼と、紅潮した顔。
 俺を獣にしてしまう。
 あおいの、全てが。

 こんな抜けられない誘惑…大反則だ。

 このままじゃ、また溺れる。

「お前…俺をこれ以上駄目にするな」

 なんとも優しくて情けない抵抗。
 いや、抵抗する気なんか、最初から、ない。

 その俺の言葉で、あおいがふっと微笑んだ。
 俺が全然拒んでないのを知って、心底嬉しそう。

「あたしなしでは生きられない体にしてあげる」
「この、悪魔め…」

 俺は、目の前の淫魔に、万感を込めた恨みがましい視線を向ける。

「しっぽの付け根が感じやすいんだよ…」

 そして俺だけの淫魔は、めちゃくちゃ可愛くて、とんでもなくいやらしい視線で返してくる。

「…ココか?」
「あ…んっ」

 『しっぽの付け根』に触れてみる。
 いや、ちょっと場所が違うかもしれない。

 だって、すごく濡れてる。

「惣一ぃ……」
「…なんだ?」
「愛し、てる」

 そうして俺たちは、激しく重なり合いながら、主導権を争う。

 いつもしてること。
 いつもよりも、すごくしてしまいそうな予感。

 そして、いつも通りに、頭の中を白い霧に覆われ…
 俺は何かを、思い出そうとしている。

 ………

 ………

 ………

 あ!

 俺、カードの中にジョーカーなんか入れてねえぞ!?




作者コメント


 実はRippleの発売後すぐの3年前に書いたものなので、
 未熟なところ多々あると思いますが、
 Rippleをプレイし、加藤あおいを気に入って下さった、ごく一部の方だけのために作りました。
 今まで発表できる機会が作れず、このまま埋もれるところでしたが、今回、「戯画祭」ということで、せっかくだから投稿してみました。
 楽しめるかどうかは微妙ですが、できれば読んでください

Written by 丸戸史明