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ゆうらん🐥
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神里家当主は柊家の侍女を娶りたい

神里家当主は柊家の侍女を娶りたい - ゆうらん🐥の小説 - pixiv
神里家当主は柊家の侍女を娶りたい - ゆうらん🐥の小説 - pixiv
23,056文字
神里家当主は柊家の侍女を娶りたい
神里家当主は柊家の侍女を娶りたい
前回から大分開いてからの続きになってしまいました。

誤字脱字は見つけ次第手直ししていきます。

沢山の反応、コメントありがとうございます!
おかげさまで何とか続きを書くことができました。
お時間がある時に見ていただけたら嬉しいです。
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2022年9月26日 02:32

先日、なんと社奉行様に告白されてしまった。 この話しをしてもきっとみんな信じないだろう。 私だって未だに信じられない。

気づかぬうちにぼーっとしていたのか、同僚に体調不良を心配されたが慌てて否定した。

ダメダメ!!個人的なことでお仕事に影響を及ぼしては! 今日は特にお客様がお見えになる予定もないのでいつも通りお掃除をして厨房のお手伝いをする。

そろそろお嬢様の様子を見に行こうかな。 きっとまた休憩を忘れて公務に集中しすぎているから。

たすき紐をとって袖を整えてからお嬢様のお部屋へ向かう。 お茶の用意も忘れない。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」 「あら、もうそんな時間?いらっしゃい」

予想通り時間の経過に気づかないほど公務に集中されていたらしい。

両手で襖を開けると筆を置いたお嬢様が迎え入れてくださった。

「あら、貴方のお座布団何処へやったかしら」 「こちらにあります!邪魔になると思い移動させておりました!」 いつもの場所に自分の座布団をひいてお茶を淹れる。

「今日もお忙しいようですね…」 「フフ、開国の影響を一番受けるのは我が勘定奉行ですからね。忙しいということは稲妻にとって良いことよ」

そうとは言ってもやはり心配だ。 難しいことは分からないけれど、もっと人手を増やすなり出来ないのだろうか。

「千里お嬢様、社奉行よりお手紙が」 家臣の人が白い封筒を持ってきた。

社奉行と聞いて少しだけドキリとする。 あんな事があったせいだ。

いけないいけない、今はお嬢様を癒すことを考えなければ。 「何か急な用事かしら」 丁寧に封を開けて中身を確認されているのを静かに待つ。

「……え!?」 「?何か重要なことですか?」 手紙の内容に目を通したお嬢様が珍しく声を上げるから不安になる。 問題発生だろうか…?

手紙から顔を上げたお嬢様が私を見て目をパチパチと瞬かせるから、私も同じようにしてしまう。

「貴方……神里様から求婚されたのですか?」 「求婚!?!?!?」

え!?!? ちょ、まってまって!! え!?求婚!!??

いや、確かに告白はされたけれど求婚ではない、決して。 何か誤解があるようなので慌てて訂正する。 「お、お手紙になんと書いてあるかは分かりませんが求婚はされておりません!!そ、その、好いているとは、言われましたが……」

改めて口に出したらなんだか恥ずかしい。

「なるほどそうですか、いつの間に…」 千里様は何かに納得されたように満足気にお手紙を畳んだ。 「それで、貴方は神里様のことをどう思ってるの?」 「え?わ、私ですか…!?」

何故か分からないが主人が楽しそうで嬉しいと思う気持ちと未だ求婚という言葉に混乱している気持ちで頭がうまく回らない。

「貴方は神里様とお付き合いする気はあるのですか?」 「お、お付き合い…そうですね、私は…」

社奉行様は素敵な殿方だ。 前にご本人にも言ったことがあるが、彼の元へと嫁ぎたい女性は山ほどいるだろう。

でも、私は…

「まだ、わかりません。正直私は恋愛経験もなければ告白されたこともありませんでしたので…」

何より気になるのは、もし恋人になったとしてその先だ。

結婚? 社奉行様は神里家の御当主でいらっしゃる。 結婚となれば神里家に嫁入りするということだ。

それはできない。 だって私は……

「焦らなくてもいいのよ。自分の気持ちを大事に、後悔しない選択をしなさい」 「……はい、千里様」

一生を捧げると決めた人が既にいる。





ーーーーー

本日は各奉行所の代表が集う会議がある。 ただでさえ緊張するこの場所に、将軍様もお見えになるということで私はお留守番の任を受けた。

「え、お留守番ですか…?」 「貴方が力不足という訳ではないの。今日は護衛の兵士と上層部の家臣だけを連れて行くことになってるから、貴方は良い子でお留守番していてね」

お留守、番………

お側でお仕えできないショックで返事の声すら出せない私を心配して頭を撫でてくださった。

「今日は丸一日いないから、お屋敷のことを頼みましたよ。頼りにしていますからね」 「っ…はい!お任せください!例え魔物が襲ってこようと、雷が落ちようと、私がお屋敷を守って見せます!!」 「危険があれば逃げてね」

悔しい思いを抱えながらもお嬢様をお見送りして今日の作業に取り掛かる。 お嬢様が疲れて帰ってこられた時にお部屋がピカピカだときっと喜ばれるはず! 書類の位置などを正確に記録して元通りにできるようにしてから早速掃除に取り掛かった。

確かトーマさんが掃除をする時は上からだと言っていたっけ。

数時間かけてやっと綺麗になった部屋に満足していると、たまたま廊下を通りかかった同室の子にお昼に誘われた。

訪れたのは離島とは少し離れた甘金島。 そこへ来るためには例えワープポイントを使ったとしても少しだけ海辺を歩かなくてはならない。

「足がビチャビチャだ…」 「今日は天気もいいしすぐ乾くわよ!それより早く行きましょ!」

どうやら甘金島で屋台をやっている殿方が気になっているらしい。 友人について行き、店主にオススメされたものを買った。

友人と店主を二人にして少し離れた場所で買ったものを食べる。

これは…!美味しい!! メインはもちろんのこと、見た目が可愛かったからという理由で買った緋櫻餅(ひようもち)が特に絶品だ。

いい香りだし、これはお嬢様にお土産に買って帰ろう!

そう思い立って店主の方を見ると、友人との話しに花が咲いているようで邪魔しては悪いなと言葉をつぐんだ。

少し、歩いてみようかな。



薄く貼られたような海水が冷たい。 下駄を手に持って裸足で歩くと、柔らかい砂が気持ちよかった。

少し歩くと賑やかな音が遠くなって波の音が大きく聞こえた。

落ち着く音。 ホラガイの音も好きだけれど、やはり本物の波の音は何とも言えない安心感を与えてくれる。

社奉行様は、こんな場所お嫌いかな? もし一緒に歩くことができたら………

自分の考えにハッとして慌てて首を振る。

「なに…考えてるの私」

気を紛らわせる為に元素の力を使って遊んでいると、友人の声が聞こえた。 どうやら私を探しているらしい。

少しだけ駆け足で友人の元へ向かう。

足元で跳ねた海の水が冷たくて、あの方の元素の温度はどうだったかなんて無意識に考えながら。







お留守番の任を全うし、お部屋をピカピカにした私は帰ってきたお嬢様を一番に出迎えて少しソワソワした気持ちでお部屋までお供する。

気づいてくださるかな? 実はお花も新しく生けてみたのだ。

早く見てほしくて上機嫌になっていると、前を歩いているお嬢様がフフ、と柔らかく笑った。

「部屋に何か面白いものでもあるのですか?」 「えっ、」 「貴方は面白いくらいに感情が顔に出ますからね。例えば…部屋の掃除をしてくれたとか?」 「な、っ…」 「新しいお花を生けてくれたとか?」 「ひぇ……」

もう全部バレている。

図星をつかれた反応すら面白いらしく、上品にクスクス笑ってらっしゃる。 お嬢様には敵わないなぁ…



お部屋を実際に見ると、沢山たくさん褒めてくださった。 頭を撫でてくださるのが嬉しくて、頑張った甲斐があるというものだ。

「そういえば神里様が近々文を送ってくださるそうよ」 「え、社奉行様が…?」 今回の会議で何か重要な案件でも請け負ったのだろうか。

「貴方も、手紙の書き方くらい覚えないとね」 「えっ、それはぜひ学びたいですが…私がお手紙ですか?」 「そうよ。手紙を貰ったら返事するのが礼儀でしょう?」

返事?私が? 「………えっ、もしかしてお手紙というのは私宛でしょうか?」 「他に誰がいるの?貴方も私と一緒に恋文の書き方について勉強しましょう」 「え!?!?」

恋文なんて…わ、私が!? しかも社奉行様相手に……

字の練習から始めなきゃ………





ーーーーーー

お嬢様の仰っていた通り、社奉行様から文が届いた。 といっても、社奉行様のお名前でのお手紙だったのでお嬢様宛だと勘違いしたらしい使用人の手によってお嬢様のお部屋で受け取ることになった。

「はい、貴方宛ですよ」 「お、お預かりいたします…」 「預らないで、貰ってね」

丁寧に封を切って中を確認すると、美しいという言葉が相応しい字でその内容が綴られていた。

丁寧な挨拶から始まり、美しい言葉と難しい漢字で社奉行様らしいその内容を要約するとこうだ。

最近公務が忙しく、屋敷に籠ることが多い為貴方に会うことが叶わずとても寂しく思う。 毎夜貴方を思い出しては、日々想いを募らせている。

「……………お嬢様!!!社奉行様のお手紙からお香の香りがします!!お洒落ですね…!!」 「貴方、最初の感想がそれですか?」

いや、字が綺麗だとも思うけれど… それにしてもこれにどうお返事を書けばいいのやら。

社奉行様のこれは正しく恋文だと思うけれど、私は社奉行様への気持ちにまだ整理がついていないのだ。

「……最近食べた美味しい物とか書いたらおかしいですかね?」 「フフフ、貴方らしくていいんじゃないかしら。私だったら嬉しいわ」

お嬢様…!!

社奉行様が使われるような高級なものでは無いけれど、お気に入りの雑貨屋さんで手に入れた便箋に早速お返事を書く。

お手紙、有難うございます。 お忙しいようで、お身体に気をつけていただけたら幸いです。 私は本日、甘金島で緋櫻餅という甘味を食べました。 とても美味しくて、頬が落ちていないか確認したほどです。 甘味を売っていたお店の店主の方が今度レシピを教えてくださるとのことで、次にお手紙を書く時に一緒にお送り致します。

「最後は丁寧に締めて……よし!初めてにしては上手くかけた!」

社奉行様のようにお手紙にお香の香りを忍ばせたかったけれど、生憎切らしていた為楓の葉の押し花を同封してみた。

お嬢様が送付する書類と一緒に届けてくださるらしいのでお言葉に甘える。

直接お話しするのもいいけれど文通での会話というのも返事が楽しみになる分、趣があって素敵だと思った。

「……あれ、社奉行様のお手紙のお返事というより書きたいこと書いただけになってなかった…??」

お手紙って、難しい。





ーーーーーー

綾人視点

公務の書類に埋もれながらも処理していると、襖の向こうからトーマの声がした。 「若、トーマです。少々よろしいでしょうか?」 「入りなさい。どうしたんだい?」

襖を開けたトーマがやたらニコニコしていたので、何か面白いことでもあったのかと筆を置いた。 「処理済みの書類、各宛に送付完了しました」 「有難う。で、その手に持っているのは?」 「追加で処理していただきたい書類です」 「…………はぁ、一つ処理が終われば三つ追加で来るのはどうにかならないのだろうか」 「他の奉行所でも同じように公務に追われているようですよ。開国に伴い人の出入りも盛んになりましたから」

それに加えて大幅な人員の入れ替えや稲妻文化を他国に発信するためのイベント行事。 これではいつになれば彼女に…

「それと、もう一つ大事なものをお預かりしました」 部屋に入って来た時と同じ笑顔を浮かべながら、一通の文を載せた盆を差し出される。

それを視界に入れた瞬間、誰からのものかすぐにわかった。

「え、今朝送ったばかりの筈ですが…」 「ハハ、おそらく文通は初めてなんでしょう。若からの文を受け取ってすぐに返事を書いたのでは?」

恋愛においての駆け引きなど、きっと何も考えてはいないのだろう。

思ってもいなかった早い返事に複雑ながらもやはり嬉しくて、それに手を伸ばす。

「……フフ、」 「良いことでも書いてありましたか?」 「いや、…まぁそうだね。なんとも彼女らしいというか…早く会いたいよ」

その文を丁寧に封筒に戻してから、大事に箱にしまう。

彼女はこんな字を書くのか。 楓は柊家の庭にあるものなのだろうか。 どんな思いで、私の手紙を読んでくれたのだろう。

公務の処理をする筆は止まらずとも、そのようなことばかり考えていた。







ーーーーー

「……えっ、」 八重堂の新刊が出たというので大事に貯めたお金を持って鳴神島まで来た。

するとそこには空くんとパイモンちゃん………それに将軍様がいらっしゃった。

「よう!久しぶりだな!」 「元気にしてた?」 「え、あ、は、はい… ……え?」 「貴方は?」

尋ねられるより先に名乗らなければならないというのに動揺して挨拶が遅れてしまった。

「コイツはオイラたちの友達だぞ!」 「柊家で侍女をしてるんだ」

「お、お初にお目にかかります…その、空くんとパイモンちゃんのお友達で、柊家に仕えております…」 「それは俺たちが言ったよ」

なんとも恥ずかしい自己紹介を終えて、先程から気になっていることを聞いてみる。

「あ、あの…どうして将軍様がこちらに?」 「おう!オイラ達が街を案内してるんだ!ずっと稲妻城に引き籠ってたから、今の街の様子を見るためにな!」

な、なるほど…

まずは最近の娯楽の代表格と言える、娯楽小説を薦めにきたらしい。 けれど将軍様はその内容の矛盾点や、突飛な設定に現実的でないと納得されていないようだ。

「まぁまぁ、これは小説だしな!」 「すみません、私にはわかりません…」

興味を惹かれるものは人それぞれだ。 けれど、将軍様がせっかく稲妻城からおいでになっているというのに、今の文化を理解できないまま帰られるのはなんだか寂しく感じた。

「あ、あの。将軍様!」 「?はい。なんでしょう」

出過ぎた真似だとは思うけれど、少しでもこの文化を理解していただきたい。

「将軍様は、柊家の侍女になったことがございますか?」 「?いいえ」

「私も、雷電将軍様のように国を収める神様になったことはございません」

「しかし本の中では自分とは違う人の人生を、作者の中の空想の世界を、体験することができるのです。感情表現の文才や状況説明。それによってその物語の中の世界をより想像しやすく、そのお話に心を入れ込むことができます」

不敬にあたるかもしれない私の話しを真剣に聞いてくださる将軍様の目が、真っ直ぐに私を見ていた。 「そんな非現実的な時間を楽しむために、私は娯楽小説を読んでおります」

「…そうですか」

やはりうまく伝えることはできなかったらしい。 それでも最後にお薦めのお話しはあるかと聞いてくださって、空くんもパイモンちゃんも驚いていた。

「はい!それでは将軍様が楽しんでいただけるようなものを、責任を持って選ばせていただきます!」

突飛な世界観や設定は、娯楽小説を読み始めた人にとっては入り込みづらいと思って稲妻に住む一般の男女の恋物語にした。

兵として出頭する殿方とそれを側ではなくとも支え続ける女性との強くも美しいラブロマンスだ。 私は泣いた。

「有難うございます」 「いえいえ!楽しんでいただけたら幸いです!」

空くんとパイモンちゃんからもお礼を言われて、上機嫌に屋敷へ戻った。













「今日はなんだか上機嫌ね」 「えっ、わ、私としたことがだらしない顔になってましたか…!?」 「だらしなくは無いけれど。何かあったの?」 「はい!実は今日、将軍様にお気に入りの娯楽小説をお薦めしたんです!」 「………え?」

「…あ!!新刊を買いに行ったのに買うの忘れました!!」





ーーーーー 今日は第三回、トーマ先生による家政授業だ。 だいぶ間が空いてしまったけれど、トーマさんに教えてもらったことは毎日実践していたので前回の内容も忘れていない。

今日も何かお菓子を作っていこうと思ったのだけれど、今回はトーマさんがお菓子を作っておもてなしすると言ってくれたので、外国の商人からご好意で頂いた珍しい茶葉を持って行くことにした。

忘れ物がないか確認してお屋敷の門を通ると、何故かこの方がいらっしゃっていた。

「えっ、社奉行様!?」 「フフ、いい反応ですね。お久しぶりです。今日はトーマの授業の日ですのでお迎えにあがりました」

わざわざ離島まで…!?

そもそもいらっしゃっているなら急いで出てきたのに。 門番の兵士を見ると困ったように目を逸らされた。

え?? 「さて、まだ時間には余裕がありますのでワープポイントは使わずに歩いて行きませんか?」

目の前に出される手を断るなんてことはできなくて恐る恐る手に触れる。

「お忙しいのに…わざわざ来ていただかなくても、社奉行様のお屋敷には何度も行ったことがありますし迷子にはなりませんよ…?」 「それはどうでしょう?何せ前科がありますからね」 「そ、それは!幼い頃の話しです!」

過去の失態を恥じていると、繋がれた手が少しだけ引き寄せられる。

「というのは口実で、貴方に会いたくて来ました」 美しい笑顔で微笑まれるのに、その目は私を捉えていた。 「あ、会いたくて…ですか?」 「はい。手紙でもそう言っていたと思いますが?」 「たしかに、そうですが…」

手紙でも恥ずかしいというのに、目の前で言われるともっと恥ずかしい。

恋慕う感情は別として、社奉行様のような美しい人にそんなことを言われれば誰だって照れてしまうと思うのだ。 その証拠に、きっと私の顔は今ゆでだこのように真っ赤になっているだろう。

「しゃ、社奉行様…」 「その"社奉行様"というのをやめてください」 「え?」

唐突に、というか私がお呼びしたら拗ねたような顔で言われた。

「私のことは名前で呼んでいただけますか?」 「そ、そんな…!恐れ多い…」

「九条家の子息を鎌治様と呼んでましたよね?柊家のご令嬢のことも"千里お嬢様"や"千里様"と呼んでるのを聞いたことがありますが」 「そ、それは…」

千里様や鎌治様は昔からそう呼んでいたから…

そんな言い訳が言えないほどに圧を感じて、恐れ多くもお名前を口にする。

「か、神里様…」 「もしかして、私の名前をご存じないのですか?」 「そ、そんなはずありません!!」

だって、いきなりは緊張する。 恥ずかしいとかではないんだけど、とにかく緊張する。

「…あ、綾人、様……」 「ふむ。それでは今後はそう呼ぶようにしてください」

「はい……承知しました…」



社奉…綾人様のことで分かったことがある。 どうやら人の困った顔がお好きらしい。

綾人様の意地悪に慌てたり、困ったように反応すればとても満足そうに笑うのだ。

え?私のことを好きだとおっしゃったよね…?? もしかして揶揄われてる?? え、なにか気に触るようなことをしてしまった…??

その考えに至ってからは何かと不安で早くどうにか解決したい。 ここは綾人様のことをよく存じていてお友達でもあるトーマさんに相談するのが一番だと判断した。

「どうしよう、トーマさん」 「お茶菓子を前にしても笑わないなんて。どうしたんだい?こっちへおいで」

家政授業が終わってトーマさんお手製の苺大福を手渡されたのでその横に腰を下ろす。

「私、社奉…綾人様の機嫌を損ねるようなことをしてしまったかもしれないの」 「え?」

「だって私が困った顔をすればするほど楽しそうに笑ってらっしゃるし…」 「え、えーと、それは…」

煮え切らない返事に焦りが増す。 なにか心当たりでもあるんだろうか。

「私知らない間に失礼なことをしてしまったのかも…まって?もしかしてあの文の…楓の葉を取った時に千里お嬢様に注意されたこともあったし……心当たりがありすぎる!」 「いや、そんなことは無いと思うけれど…」

先ほどから何故か煮え切らない返事でさらにモヤモヤが増す。 「他人事だと思って!今度綾人様の好きな食べ物を作ってお詫びに伺おうかな…手作りのものって迷惑かな?」

「そんなことないさ!きっと喜ばれると思うよ!」 「本当?トーマさんが言うなら信じるけど…。そうだ、綾人様の好きな食べ物を教えてくれないかな?」

「うーん。手作りするとしたら……若は新しい変わったものが好きだよ」 「食べ物の好みまで意地悪だわ!!お願いトーマさん。一緒に作るの手伝ってほしいんだけど…」

「え!ふ、二人で作るのかい…?」 「?なにか良くないかな?」 「二人は…ちょっと………」

まただ。 何か理由でもあるんだろうか。 トーマさんの都合が悪いなら別の人に頼んだ方がいいのかもしれない。

「わかった、今度空くんに頼んでみるよ。異国の食べ物にも詳しいし、料理も得意だって言ってたから…」 「わかった!俺と作ろう!」 「え?でも…」 「旅人を身代わりにするわけにいかないからね…」

「あ!!そんなに嫌なら断ってもらって構わないわ!」 「違うんだ…!!」









ーーー あれからしばらく経って、空くんとパイモンちゃんも次の国へと行ってしまった。

最後の別れの挨拶に来てくれたときは私と綾人様の事を知っていたらしく、何か進展が有れば手紙を送ってと言われた。

進展といっても… 私はまだ、綾人様への気持ちに整理がつかないでいる。

恋愛というのを経験したことがないどころか、片思いすらしたことがない。 幼い頃からお嬢様のお役に立つことばかり考えていたし、恋愛は友人の話しや小説で客観的に見るものだと何処かで思っていた。

それにもし綾人様と結ばれることになったら、私は今まで通りお嬢様に仕えることはできないだろう。 お嫁にいって別の家庭に入るというのは大変なことだ。 しかもそれが三奉行間でなら尚更なこと。

お嬢様は自分の心に従いなさいと言ってくれたけれど、私の心はお嬢様の側にあることを疑ったことすらない。

けれど、ふとした瞬間に脳裏に浮かぶのは私を見つめる綾人様のお顔。 せめて恋焦がれる気持ちがどんなものか分かっていれば、ここまで悩まずに済んだのだろうか。

「私は、どうしたいんだろう…」















ーーーーーー 今日は神の目を使ったシールドを極めるために特訓すべく一人空いた時間に中庭で元素力を使っていた。

「うーん、前よりは硬くなった気がするけどよくわかんないな…」 自分と一定距離にいる人達にシールドを配ることが出来るようになったけれど、すぐ破られるようなものであれば意味がない。

けど、武力もない私がヒルチャールやフライムがいる場所に突っ込むわけにもいかない。 困った。

なんとか試行錯誤していると、しばらく見ていなかった顔がお屋敷の門をくぐるのが見えた。 「あれ、新之丞(しんのじょう)?」

基本人の名前を呼ぶときはさん付けをする私でも、彼は別だ。 お嬢様への忠誠心が強く信頼できる臣下であり、彼の父親も勘定奉行の兵士だったこともあって幼い頃から仲の良い数少ない私の友達だ。

「あぁ、君か。久しぶりだね」 「うん!久しぶり!最近見かけなかったけど、ずっとお屋敷の外の警備だったの?」 「そうだね。君こそお嬢様にひっついて屋敷にばかり籠ってるんじゃないの?」 「まぁ!失礼な!お外へお使いに行ったりホラガイ集めに出かけたりしてるよ!」

久しぶりにお話しできるのが楽しくて、丁度休憩を挟むのもいいかと思い縁側で座って話すことになった。

お菓子もお茶もないけど、まぁ新之丞だしいっか。

「あ!そういえば神の目を授かったんだって?」 「えっ、知ってたの?」 「お嬢様が自慢してたよ。もうそれはそれは鼻高々にね」 「お、お嬢様…!光栄すぎて新之丞が腰に下げてるお菓子をこっそり盗ろうとしたけどやめたわ!」 「盗ろうとしないでよ!っていうかなんでお菓子ってわかったの!?」

堪忍したように出してくれたお菓子を二人で食べながら話していたら、ふと思い出したように「あ」と顔を見られる。

「そういえば君!!酷いじゃないか!」 「え?」 「知っていたんだろう?お嬢様に想い人がいらっしゃること!俺の気持ちも知ってたくせに!」 「人聞きが悪いよ!言ってたよ!お嬢様には大事にしている方がいるって!」 「それって君のことじゃなかったの?」 「え、現実逃避してたんじゃ…?」

お互いの勘違いが分かったことで即和解した。

「大丈夫よ。新之丞は素敵な殿方だもの!貴方だけを愛してくれる人がきっといるよ!」 「同情じゃなくて?」 「もちろん!親友の私が言うんだから間違いない!」 「本当かなぁ…」

私は知っている。 新之丞が誰よりも優しいことを。

幼い頃、よくドジをしていた私のことを気にかけてくれた。 ホラガイを取りに行く時も危ないからと付いてきてくれていたし、脚を挫いた私をお屋敷までおぶって帰ってくれたこともあった。

「俺のことより君はどうなのさ」 「え?何が?」 「昔から君は色恋に関してあまり興味がないだろう?けどもう立派な女性だ。そんな話があってもおかしくないと思って」

色恋… その話題を自分に置き換えた時に浮かんだのは、もちろんあのことで……

「………ぁ、いや、私は……」 「え……ええ!?!?何かあるの!?!?」

誤魔化すのが滅法下手な私の反応を見て目が飛び出るんじゃないかと言うほど驚いた新之丞がここぞとばかりに詰めてくる。

「え、恋人がいるの??なんで教えてくれないんだよ!」 「しっ、新之丞がお屋敷にいないからでしょう!?それに、まだお付き合いはしてないし…」 「えっ、フラれたの?」 「叩くわよ」

自分の取り分だったお菓子を生贄に捧げられてしょうがないから許してあげた。

「え、詳しく教えてよ!」 「んー、それがちょっと複雑でね」

私は綾人様に告白されたこと、けれどその返事を迷っていることを伝えた。

「……え?綾人様って…神里綾人様??」 「そう。私どうして良いか分からなくて…不安要素が多すぎて冷静に自分の気持ちに向き合うことも出来ないし。早く返事をしないといけないことは分かってるんだけど…」

よほど落ち込んでいるように見えたのか、新之丞は少し黙ってから何か決心したかのように立ち上がった。

「よし!じゃあ君が悩む時は俺も一緒に悩む!!」 「…え?」

何が「よし!」なのか分からない。 私も人のことは言えないけれど新之丞は結構頭が弱いというか、変な方向に単純なのだ。

「君はそれを自分の問題だからって一人で考え込んでいるんだろう?なら、勘定奉行としてでも、社奉行としてでもない友人の俺が一緒に悩むよ。だから俺に全部教えて!一人で悩むよりずっと心が軽くなるはずだ!」 「新之丞…」

友人として、か。 たしかに立場の問題も絡むからお嬢様には相談出来ずにいた。 少なくとも結婚に関してはお嬢様がいるから決断できないわけで、それをお嬢様本人に相談するというのは、困らせてしまうことが分かりきっていたから。

「君の気持ちは君にしか分からないんだから、それは君が考えて!お嬢様のこととか立場的なことは俺が考える!」

一緒に考えるって…それで、問題が解決するとは思えないのだけど。 それでも私の心にこんなにも寄り添ってくれる彼の言葉に気持ちが少しだけ軽くなった気がした。

「…ありがとう、新之丞。それじゃあお願いしちゃおっかな」 「任せてくれ!」

頼られたことが嬉しいのか、誇らしげに笑っていた。

「新之丞の新しい恋も私応援するからね!」 「それは今言わないでくれよ。まだ心の傷が癒えてないんだ」 「それじゃあずっとそのままだよ!どんな女性がタイプなの?私も一緒に探してあげるから」 「それもそうだよね…うーん、芯が強くて上品で…優しくて美しい女性かな」 「そんなの、お嬢様しかいないじゃない」

私も新之丞も稲妻を出たことがなかった。 むしろほとんどの人生を離島で暮らしていた。 ゆえにそんな条件を満たす女性はなんて知るはずもなかったのだ。

「だ、大丈夫、世界は広いよ大きいよ」 「動揺してるじゃないか」









ーーーーー

甘味を食べに行かないか綾人様から誘いのお手紙が届いた。

甘味か…綾人様は甘いものがお好きなのかな? 前に教えてもらった五目ミルクティーも甘かったし、きっと好きなんだろう。

了承のお返事をして後日、鳴神島で用事があった帰りに綾人様と合流することになった。

「申し訳ありません、お待たせしてしまって」 急いでいらっしゃったのだろう、いつも余裕たっぷりな綾人様が少し慌てたように待ち合わせ場所へ来た。

「いえいえ!まだ時間前ですし、それに私も先ほど着いたばかりなので!」 「そうですか…おや、その荷物は?」

私が持っている大きな袋を見て首をかしげる綾人様にその中身を説明する。

「将軍様人形です!雑貨屋の新作商品として作ったサンプルを将軍様からいただきました!フワッフワですよ!」 「え、将軍様と面識があるんですか?」 「はい!今日もおすすめの娯楽小説を持って行ってきました!稲妻城に初めて入りましたが近くで見るとさらに大きいんですね!!見上げすぎて後ろに転がりそうになりました!」

八重堂で会って以来、八重宮司様にもその話が伝わっていたらしく宮司様の提案で今回稲妻城へ招待されたと言うわけだ。

「今日から毎日この人形を抱いて眠ります!きっと素敵な夢が見られますよ!」 「…そうですか。その人形を抱いてですか」

じー、と人形を見つめる綾人様を不思議に思っているとチラリと視線をこちらに向けられて目が合う。

「では私を模した人形を作れば、それを抱いて眠ってくれるんですか?」 「……え?」

綾人様を模した人形… 「そうですね、人形が二つあれば両手が埋まりますからきっとぐっすり眠れますね!」 「………そう、ですね…」

私の返答が良くなかったのか、頭を抱えた綾人様に焦っていると人形が入った風呂敷を取り上げられた。

「さぁ、そろそろ甘味を食べにいきましょうか」 片方の手で私の荷物を持って、反対の手を差し出される。

「お、重くないので自分で持ちます!」 「ダメです。貴方の小さな手ではこの風呂敷で両手が埋まってしまうでしょう?」

いつもは私が手を重ねるのを待ってくださるのに、風呂敷に伸ばした手をそのまま繋いで歩き出してしまう。

綾人様は私を揶揄われるのが好きみたいだけど、それ以上にこうやって優しくするのが好きらしい。 その証拠に手を繋いでいる時が一番楽しそうに笑うのだ。

私もこの時間が嫌ではないし、むしろ胸の辺りが疼くような感覚に心地いいとさえ思ってしまっている。

繋がれた手を握り返すと応えるように綾人様も手を握り返してくださる。 そしてまた、嬉しそうに笑うのだ。













「こ、これは…!」 甘味を食べるというからそこら辺の屋台でお団子などを買うのかと思っていたけれど、連れてこられたのはなんだか高そうなお店の二階。 多分、貸切というやつだ。

しかも目の前に用意されていたのはいろんな種類の甘味。 「こ、これはなんでしょうか…!白いお山のような…!」 「かき氷です」 「私が知ってるかき氷とは違いますよ!?こんなにフワフワなものは初めて見ました!!」

どうぞとスプーンを勧められて手を合わせて「いただきます」をする。

一口分掬った感覚も、ほぼ空気なんじゃないかというほど軽く期待いっぱいにそれを口に入れる。

「…!!甘い…!氷が甘い…!?」 「フフ、練乳を凍らせて削っているそうですよ。喜んでもらえて店主もきっと嬉しいでしょうね」

餡蜜にわらび餅、外国のお菓子まで食べたことのないものも沢山あってついつい匙が伸びる。

「綾人様!これが本場のミントゼリーです!やはり本物は美しさが違いますね!」 「フフ、貴方が作ってくださったものも綺麗で美味しかったですよ」 「へへ、またお作りします!」

「綾人様!お手紙で書いた緋櫻餅です!」 「本当にお好きなんですね。まだ沢山ありますからゆっくりどうぞ」

どれもこれも美味しいし、やはり甘味は世界を救うんだと本気で考えていると、ちょん、と唇に何かが触れた感触がした。

「はい、口を開けてください」

どうやら綾人様がお団子を私の口に押し付けられていたらしい。 口がくっついてしまったし、食べるしか無いと思って素直に口を開ける。

最初の一つは綾人様が食べられたので、残り2つ串に刺さったお団子のうち一つにかぶりついて咀嚼すると程よい甘さが口いっぱいに広がる。 この瞬間が私は大好きなのだ。

「あんこも舌触りが良くてとても美味しいです!」 「フフ、それは良かった」

そっと残り一つのお団子を目の前に出される。 「関節キス、してしまいましたね」 「えっ」

いや、確かにそう、だけど。 綾人様が当たり前のように差し出すから気にしてはいけないものと思っていたのだ。

「約束したでしょう。ちゃんと私を意識してくださいと。私は性格が良く無いのでこういうことを狙ってしますよ?」 「そ、そういう事は口に出さずにやるのでは…?」 「今までそうしてきても貴方は意識してくれませんでしたよね?アプローチの仕方を変えようかと思いまして」

男性にアプローチなんてされたことが無いから戸惑ってしまう。 しかも相手はあの綾人様だ。

「貴方のも一ついただけませんか?」 「か、関節キス、ですか?」 「関節キス、です」

そう言われたら「はいどうぞ」と言いにくい。

「…嫌なんですか?」 「い、嫌と言うか…その、恥ずかしいです、とっても…」

隠せないくらい顔が真っ赤になってしまってさらに恥ずかしくなる。 どうして私の方が照れているんだ。

「…はぁ、貴方にはどうも敵いそうにありません」 「え?」 「失礼します。空いたお皿お下げします」

そのタイミングで店員さんがお部屋に来て食べ終わったお皿を下げてくれる。 私も手伝おうと奥の方のお皿を集めていて気がついた。

………あれ、私何品食べた…??

両手ではとても持てないお皿の量を数人の店員さんと、最終的には台車のついた食器棚のようなもので片付けられていく。

「……え、あっ、」 とても可愛らしいとは言えない量の甘味を平らげていたことに今更気がついた。 娯楽小説で読んだ事がある。 女性の愛らしさとは華奢で守ってあげたくなるようなか弱さだと。 間違っても、このようにガツガツと男性よりも食欲旺盛な人ではないと…

「どうされましたか?何か頼みますか?」 綾人様に心配そうに顔を覗かれて、羞恥心で顔が真っ赤になる。

は、はしたない女だと思われた…! 恥ずかしい。引かれたかもしれない。

こんなところ見せたくなかった。 綾人様にだけは。







……………あれ、なんでだっけ。

「大丈夫ですか?」 フワリと額に触れられて、ハッとする。 「顔が赤いです。体調が悪くなってしまいましたか?それとも暑いですか?」

いつも手を繋ぐ時とは違う感触。 いま、手袋越しじゃなくて……

「まっ、まって、」

パチリと視線が合ってしまって、喉の奥からヒュッと多分私にしか聞こえないような音が鳴った。

え、な、なに…? う、うそ、… だって、わたし……

ツキリと胸の奥が痺れるような、そんな感覚。 今までも何回か、感じたことがあった。

それは決まって綾人様に関することで。

「医者を呼びますか?貴方はここにいてください」 「あ、やっ、ちが…」

混乱して上手く話せない。 だって、おかしいんださっきから。

いや、もう随分前から。

意識する、とかそんな次元じゃない。 こんな感情初めてなのに、これを表す言葉をどうしてか私はもう既に知っている。

喉の奥が熱くなって、じんじんと痛みを広げながら込み上げてくるものを必死に抑えた。

「す、すみませんっ…私、帰ります!」 「え、」

所持金全部を使っても足りないかもしれないけれど、なけなしのモラを机に置いて出口に向かって走った。





















気づいてしまった。

自覚してしまった。



この気持ちを知った瞬間、嬉しいはずなのに息が詰まるほどに胸が苦しい。

もう手遅れだ。

私は、引き返せないほどあの方を想ってしまっている。 けれど、だからこそ。 ここで終わりにしなくては。

これ以上は、私もあの方も傷つくだけだ。

だってこの気持ちに気づいて尚、 私の心の真ん中にいらっしゃるのは紛れもなく、柊千里様なのだから。

私はなんて酷い女だ。 恋なんて、知らなければ良かった。 あの方はこんなに苦しい想いをされていたなんて知らなかった。

嫌われてしまうだろう。 けれど、それだけではきっと償えきれないほどの傷をあの方に負わせてしまっている。

人混みに紛れて振り返るがどうやら追って来てはいないらしい。 まだ街中だというのに耐えていた涙が溢れるのを我慢できなかった。

申し訳ありません、綾人様…… 私、貴方様のことが………















ーーー 綾人視点

突然泣きそうな顔で「帰る」と言う彼女に驚いて、気がついた時にはすぐ側に居たはずなのに彼女は去っていた。

慌てて追いかけたが、既に遅くもうその姿は見当たらなかった。

急に、どうして。 先程まで笑いながら美味しそうに甘味を食べていたのに。

一つ一つ私に味の感想や初めて食べる味に驚くところを見せてくれて、可愛く愛おしかった。

彼女が想像よりよく食べていたことには驚いたけれどそれすら尊くて望むもの全てを与えたかった。

それなのに、突然様子がおかしくなって体調が悪いのかと尋ねれば違うと答える。

私から見ても気分が悪いとか、そういうふうには見えなくて顔を覗き込むと目が合った。

途端にその瞳から溢れる涙に気を取られてしまった。

何か、彼女の気分を害することをしてしまったのか。 何かのきっかけで嫌われるようなことをしたのか。

大切で、愛おしくて、一番欲しいもの。 そんなこと分かっていたはずなのにいざ目の前から消えそうになるとこんなにも自分は臆病になるのか。

「…、私は…」

まだ、貴方を諦めたくはありません。



決して人には聞かせられないようなか細い声で言ったその言葉は誰にも聞こえることなく風にのって消えた。









ーーーーーー

あのまましばらくしばらく歩いていたけれど、このままお屋敷に帰って今の顔をお嬢様に見られるのも嫌でよくホラガイを拾う海岸まで来た。

綾人様、驚いただろうな。 お食事代押し付けちゃった。 あんなに楽しそうに笑っておられたのに。

色んな感情がぐちゃぐちゃになってぼーっと海を眺めていると遠くから私を呼ぶ声がした。

「また一人で貝でも拾ってるのかー?一人は危ないって何度も言ってるだろ」

「……新之丞…」

お嬢様と同じくらい心を許している彼を見た途端、止まりかけていた涙が溢れる。 「う、うぐ…しん、のじょ…うぁあん!」 「えっ!?ど、どうしたんだい!?え、えーと…とりあえずここは危ないかもしれないからあっちに座ろう?」

よく見るとすぐ近くにヒルチャールがいて本当に危なかったんだと気づいた。 彼がいなければ襲われていたかもしれない。

近くの外壁の影になっているところに座ると持ってきてたらしい竹筒の水筒を渡してくれた。

「あり、がと…」 「少しだけならお菓子もあるよ。食べる?」 「……今お腹いっぱい」 「え!?君がお腹いっぱいってどういうこと!?」

驚くところが検討外れでムス、と頬を膨らませれば冗談だと謝られた。

「で、何があったの?」

まぁそうだろうなと想像通りの質問にポツリポツリと答えていく。

自分の気持ちに気がついたこと。 けれどそれには応えられないこと。 相手を傷つけたかもしれないこと。 今から傷付けなければならないこと。

泣きすぎて頭が痛い私に気がついてか、いつもより低い穏やかな声で相槌を打ちながら聴いてくれた。



「そっか…君は社奉行様のことが好きなんだね」 「……でも、私は千里様から離れられない。神里家に入ることはできない…」

だから、断らないと。 その事実が胸を酷く痛めた。

「でも、あれだ。前から悩んでることは変わらないな」 「え?」

首を傾げる私に「だってそうだろ?」と彼も首を傾げた。

「前も社奉行様と結ばれたとして、お嬢様の元を離れられないからって悩んでたろ?」 「そ、そうだった…」

でもその時はまだ自分の気持ちに気づいてなかったから。 恋がこんなに苦しいなんて知らなかったから。 綾人様を深く傷つけることになるなんて想像できていなかった。

「気づけて良かったんじゃないか?」

「君も沢山悩んでさ、いっぱい傷ついてる。そんな痛みも分からないまま社奉行様に痛みを全部背負わせなくて良かっただろ?」

「……そう、かもしれない」

そうだ。そうだな。新之丞の言う通りだ。 だからって綾人様が傷つかないわけでもないけれど。 私も一緒にその痛みを背負えたのだから。

「…私、ちゃんとお返事するよ」 「がんばれ。きっと最後はうまくいくさ。だって言ったろ?君は君の気持ちについて考えてくれって。その分立場やお嬢様のことは俺に任せてくれって!」

一緒に悩んで、心を痛めて考えてくれた。 「ありがとう、新之丞。大好きだよ」 「あぁ!当たり前だ!俺たちは大親友だもんな!」

こんなに優しい人いないよ。 自分もお嬢様のことで傷ついて、まだその傷が癒えていないのに、こんなにも心を砕いて寄り添ってくれた。

ありがとう、勇気をくれて。

私は私の気持ちに、ちゃんと区切りをつけなくちゃ。











ーーーーーーー

そう決めてから、綾人様にお手紙を出すのに三日かかってしまった。 直接お話ししたかったので、待ち合わせを決めたいのだけれど期待させてしまうようなことは書けない。 辞書を引きながら、適切な言葉を丁寧に選んだ。 今回ばかりはお嬢様に相談せず一人で考えた。

文を出して数日。 いつもよりも長く感じたその日も、もう終わった。 綾人様からの返信には、日時と場所の提案が記されており、いつものような甘い言葉は一つもなかった。



これで、最後だ。















ーーーーーー 待ち合わせの日、今日は私が持っている着物の中で一番質の高いものを着てきた。 一張羅(いっちょうら)というやつだ。

綾人様は今まで私に正面から誠心誠意向き合って下さった。 だから私もできる限り彼の誠意に応えたい。

場所は甘金島。 綾人様の時間に合わせたのですっかり日も沈んでしまい、辺りには少しばかりの灯りがある程度。 かつて私が綾人様と一緒にこの浜辺を歩きたいと無意識に願った場所。 既にその時には惹かれていたんだろう。 こんな形でその願いが叶うなんて、少し哀しい気持ちになった。

「足元が不安定ですので気をつけてください」 いつも通り差し伸ばされる手を見つめる。

「……大丈夫です。前にも来たことがありますので」

綾人様は私の返事に察して下さったように、「そうですか」と小さな声で手を引っ込めた。

人がいる島から少し離れると、周りには波の音が静かに響くだけだった。

まるで世界に二人きりになったような、そんな不思議な感覚。 それが酷く心地が良くて思わず考えてしまう。

離れたくない。

「それで、話というのは?」 私から切り出すべきなのに、綾人様は穏やかな声でそう問うた。 先ほどの態度で、今から何を言うのか察しの良いこの方はきっとわかってらっしゃる。

それなのに、こんなにも優しい声で、お顔で。 私に大丈夫だとでも言うように話を切り出すチャンスを下さった。

あぁ、なんて情けない。 臆病者で勝手な自分が、こんなに素敵な方に好いてもらえるなんてこの先一生ないだろう。

それなのに、私は。



「申し訳ありません、"社奉行様"」

もはや懐かしいとも思えるこの呼び方。

「私は貴方様の気持ちには応えられません」

どうしても、その手を取ることができない。 たくさん悩んだの。 たくさん考えたの。

それでも、私は…

「私は、一生を捧げた方がおります。何かに優れているわけでも、なんでもそつなくこなせる程器用なわけでもありません。しかし、この忠誠心だけは本物だと、そう思うのです」

震える声で、でも絶対に泣かないと決めた目からは雫が落ちることはなかった。

泣けば、きっと優しい貴方は自分の気持ちを後回しにして私なんかに優しい言葉をかけるから。

なんとか喉の奥の痛みを飲み込んで、最後まで言葉を紡ぐ。

「私はお嬢様の側を離れたくない。社奉行様とずっと一緒にはいられません」

「私の全ては彼の方のもの。身も心も捧げると決めた、私の一番大事な願いです」

キッパリと言い切ることはこんなにも心が痛いのか。 しかしそれ以上にきっと傷付けた。

綾人様が何と仰るか、何を言われても動じる事は許されないと唇を噛んで目を合わせる。



「貴方は、」

少し間を開けて、綾人様が口を開いた。

「私との結婚のことまで考えてくださったんですね」 「え、」



フワリと良い匂いに包まれて、覚えのあるその香りに身が固まる。 動じないと決めたのに、心がグラリ揺れてしまいそうになる。 戸惑うほどに、優しい手だ。

どうして。 私、傷つけたのに。

「確かに、貴方の言う通り結婚すれば今まで通り柊家に仕えることは難しくなるでしょう」

「っ、」

改めて言われるとやはりそうかという気持ちが脳裏をかすめて何に期待していたんだと自分に腹が立った。

「私はね、嬉しいのです」 「え、」

抱き寄せられたまま、少しだけ笑った綾人様の言葉の真意が分からず、問うことすらできなかった。

「貴方が私を拒む理由に一つだって否定の言葉はないではありませんか。他に好きな人がいるのだとか、私を異性として見れないのだとか。そういう訳ではないのでしょう?」

そ、そんなの、

当たり前だ。 だって私はっ、…

「沢山悩んでくださったのでしょう。そうでなければこのように涙を流すこともないはずです」

一瞬、いつの間にか泣いてしまったのかと焦って涙に触れて確かめたけれど、頬に伝うものは何もなかった。

そんな私の様子を見て、抱きしめていた体を離した綾人様が真正面から目が合うように私の顔を覗き込む。

「そうですね、結婚のことはさておき貴方の気持ちを教えてくださいませんか?」 両手を優しく包み込まれてピクリと肩が跳ねた。

目があってしまって、その深い色に吸い込まれそうになるのをグ、と耐えた。

……ダメだ。 言ってはダメ。

だって、それはあまりに酷いじゃないか。 身を捧げられないと言ったばかりなのに。

そう思うのに、優しい綾人様の瞳が私の意志を揺さぶってくる。 「私を喜ばせるような言葉を、貴方はもっていますか?」

……酷い人だ。 貴方も、私も。

争う意志とは反対に、まるで本心を暴かれるように。 胸で押さえつけていた蓋が、溢れるように言葉を許してしまう。

「……はいっ、私は、綾人様のことを…」

この後どうするのかとか、そんなことを考える余裕なんてなかった。



「一等恋しく想っております」









ーーーー 綾人視点

波の音のような、そんな心地のいい声。 それなのに胸の高鳴りは落ち着いているとはとてもいえなかった。

ずっと求めていた言葉。 焦がれて、もう何年も望んでいた夢。 愛おしい。 ただただ、目の前の彼女が。

「…そうですか」 再び優しく抱きしめると抵抗する気はないらしく、でもその腕は抱きしめ返すことはなかった。

「……結婚のことですが」 その言葉に敏感な彼女はピクリと肩を震わせて恐る恐る私の胸を押し返す。

「貴方ならそう言うと思っていました」 「……え?」

泣き腫らした目で呆けた顔。 そんなことも気づかず私の言葉に目を見開いている。

「私を誰だとお思いで?そのような事は既に把握して対策を打っています」 「た、対策…ですか?」

「はい。以前から柊千里殿と手紙のやりとりをしながら今後について相談していたのです。もちろん貴方のことですよ?」 「お、お嬢様と…?」

この反応からして柊木千里からは何も聞いていないのだろう。 まぁ、彼女のことだ。 本人の意志を揺するような情報は入れないだろう。

「えぇ。貴方の気持ちをきちんと確認してから伝えると決めていました」

「わ、私の気持ちって…」

先ほど自分が言った言葉を覚えていないのか。 まあ最悪とぼけて無かったことにされそうになっても、また言わせればいいのだから大した問題でもない。

とは言っても先ほどの言葉を後悔して欲しくはないので、彼女の気持ちが整理される前に柊千里とのやりとりについて説明した。







ーーーーーー

綾人様によると、結婚後侍女としての勤めは出来なくなるが定期的に千里様のもとへ訪問する機会をつくるとのこと。 それと、千里お嬢様が九条家に嫁ぐまでは、結婚は先送りにすること。 それまでは今まで通り柊家の侍女として仕えられるように臣下や家臣に話しを回す準備をしているという。

「しかし…私の為にお手を煩わせるわけには…」 「貴方のためではありません」

フ、と笑ったお顔がいつもの優しい笑顔ではなく少し裏のある妖艶なもので胸の辺りがドキリとした。

「私は酷い男ですよ?もちろん、自分のためです。貴方と結婚したいのは私の我儘です」 「わ、我儘なんかじゃありません!」

必死に否定すると、嬉しそうな顔を綻ばせて優しく頬を撫でられる。

手袋越しなのにその熱が伝わるようでドキドキした。

「それでは、婚約の前にまずはお付き合いから始めませんか?貴方との間に今とは違う関係を築きたいのです」

「お付き合い、ですか…」

この返事をしてしまえば本当に後には引けない。 綾人様にもお嬢様にも沢山迷惑をかけるだろう。 この選択をしなければと後悔するかもしれない。

けれど何よりも私が、前に進みたかった。



「……はい、こんな私でよければ。綾人様の恋人になりたいです」

口にしたら今まで押さえてきた自分の気持ちが少しは軽くなるのかと思ったがむしろその逆だ。

膨れ上がるこの想いが貴方に気づかれることを恥じるような、でも伝わってほしいような。 以前こんな描写を娯楽小説で読んだことがあったと思い出していた。















ーーーー 綾人視点

衝動的にその唇を奪いたくなる気持ちを抑えた。 …まだ、頃合いではない。

少しずつ時間をかけて彼女が心の芯まで私に溺れるようにしなくては。 外堀を埋めて、存分に甘やかして。その為には手を出すタイミングも慎重にならねば。

「あ、綾人様」 「はい、どうしましたか?」

「そ、その……く、口づけをしてもよろしいでしょうか?」 「え?」

つい驚いて固まってしまう。 まさか彼女からそんなことを言われるとは思わなかった。

「前に八重宮司様に教えていただいた娯楽小説に、想いが通じ合った恋人がキスをするシーンがありまして、それがとても素敵だったので………その…」

言っていて段々と恥ずかしくなったのか、ただでさえ熱を持った朱色が耳や首まで広がっていく。

「も、申しわけありません!!はしたない発言でした…!」

顔を真っ赤にして頭を下げる彼女が可愛らしくてつい笑ってしまう。 「あ、綾人様…?」 「すみません、可愛らしいお願いだと思いまして」

彼女の髪を耳にかけながら言うとさらに顔を赤くさせる。 私の一挙一動に反応を返してくれるのが嬉しくて少し踏み込むことにした。

「私からもお願いしてよろしいですか?」

顔を近づけると口をハクハクさせて固まる彼女の心臓の音が聞こえてきそうだ。 でもそれに負けないくらい自身の心音も限界まで高鳴る。

「…目を、瞑ってくださいますか?」 「は、はい……」

ぎゅ、と強く目を閉じた彼女を揶揄いたくなる気持ちを抑えてそっと顔を寄せる。

っ、

触れ合うだけの口付け。 それなのにとても官能的で純粋。

やっと、やっと手に入れた。

「め、目を開けても…?」 「はい。どうぞ」

うっすらと目を開けたら思ったよりも顔が近かったのだろう、驚いて反射的に体をこわばらせていた。

「う、生まれも貧しい一介の平民がこんなに幸せでいいのでしょうか…」 「幸せだと言ってくれるのですか?」 「もちろんです!きっとこの瞬間、テイワット中のどの女性よりも私が一番幸せ者です!」

「綾人様」

あの鎮守の森で初めて出会った日。 あの夜と同じ、私の目を奪った笑顔で微笑む。

「お慕いしております」

彼女が世界で一番幸せな女性ならば、私はきっとその対であると心から思った。











ーーーーーー

人の思いというのは複雑で、矛盾だらけで後から振り返ればきっと無駄足ばかりなのだろう。

それでも本能のままに、理性に従って、時に悩み不器用に決断していく姿がなんとも人らしくて愛しいと思った。

そうやって自分が選んで、相手が選んでくれたこの関係がずっと続くように願わずにはいられない。



私と綾人様の神の目が一瞬光を帯びたように見えた。 元素反応でも起きたのかと思ったけれど、綾人様曰く私たちの願いに反応したのだろうと仰っていた。

「ところで、甘味屋の時はどうして突然帰ってしまったのですか?」

「えっ、あ…その、すみません…はしたなくアレもコレもと沢山食べてしまったのか恥ずかしくて、そこから色んな感情がごちゃごちゃしてしまって…」

申し訳ない気持ちとあの日の羞恥心を思い出しながら綾人様のお顔をチラリと見上げると、一瞬驚いたように目を見開いてからクスクスと手を口に当てて笑われた。

いつものように上品であるけど、何処か子供のような無邪気な笑い方に空気も読まずときめいてしまう。

「そんなことでしたか。フフ、私はてっきり嫌われてしまったのかと思いました」 「え、ええ!?きら…!?綾人様を嫌うなんて絶対にありません!」

でも今思い返せば突然帰ったのだ。そう思われても仕方ない。 無駄に誤解を与えてしまったことに今更後悔する。

「いいですか?よく覚えておいてください」

目と目を合わせて、私に言いつけるような話し方にこちらもしっかりと聞かねばと緊張する。

「沢山食べることは欠点でも何でもありませんが、もし貴方に欠点があるとしてそれがどんな事であれ、そんなことで幻滅したりしません」 「ど、どんな事かもわからないのにそんなこと…ですか?」

「はい。そんな事です」

はっきりと言い切る綾人様に失礼ながらも何処からそんな自信がと少し疑ってしまう。 顔に出ていたのか、綾人様の察しがいいのか。

私の両手をとると指を撫でながら節目がちにその様子を眺めておられた。

「私はどんな貴方でも愛してしまうほど貴方に惚れ込んでしまっているのです。貴方の言う欠点なんて私からすれば些細な事…むしろ愛でたいほど愛おしい」

「っ、そ、それは…何とも甘いお言葉ですね!」 「フフ、そうですか?」

無意識なのか、確信犯なのか。 頭の弱い私には判断できないけど、嬉しいことに変わりはない。

「私も、色んな綾人様を見たいです。もっと知りたいし知ってほしいです」

どうしても緩んでしまう今の顔はきっと綾人様にしか見せたことがない。

それに私も気がついたし、貴方にも知ってほしい。













これは柊家の侍女である私が、神里家の御当主様に娶っていただくまでのあるお話し。





ーーーーー 続きます

神里家当主は柊家の侍女を娶りたい
前回から大分開いてからの続きになってしまいました。

誤字脱字は見つけ次第手直ししていきます。

沢山の反応、コメントありがとうございます!
おかげさまで何とか続きを書くことができました。
お時間がある時に見ていただけたら嬉しいです。
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1101482083
2022年9月26日 02:32
ゆうらん🐥

ゆうらん🐥

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