――吉田拓郎さんとは96年にスタートしたテレビ番組『LOVE LOVE あいしてる』(以下『LOVE LOVE』、1996~2001年レギュラー放送のち3回の特別放送)以来、レコーディングやツアーも含め、長くご一緒されてきたと思います。武部さんの目から見て、拓郎さんはどんなミュージシャンですか?
武部 『LOVE LOVE』でご一緒するまでは、もっとフォークな人だと思っていたんです。自分で作詞作曲して、アコースティックギターを弾きながらひとりで歌う人は、僕のなかでフォークにくくられていたんですよね。
ところが吉田拓郎という人は、音楽の志向性もアプローチの仕方も、全然フォークではない。ロックの要素もR&Bの要素も持ち合わせている人で、なにより拓郎さんと付き合うようになって、自分の音楽観の狭さに気づかされました。
例えばこの手の曲はこういうリズムパターンが普通だろうとか、そういう音楽的な常識やフォーマットが拓郎さんにはあまり関係ないんですよね。だから僕らが思いつかないアイデアや、思いつかないようなリズムパターンを提示してくれることが多いです。
音楽に対して、すごく自由なんでしょうね。それまでにないものを作りたい、自分にしかできないものを作りたいと思ってやってきたんでしょうし、だからこそパイオニアとして日本の音楽を変えることができた。
非常にオリジナリティーに富んだものだと思うんです、吉田拓郎の音楽の世界って。それはソングライターとしてもそうだし、ボーカリストとしてもそうだし、ほかにはいない存在だと思います。
吉田拓郎の歌詞を語りのように伝えるパワー。秘訣は独特の「譜割りの崩し方」にあった
音楽プロデューサー、作・編曲家として、これまで数限りないミュージシャンたちと仕事をしてきた武部聡志氏。彼にとって、本当に優れたボーカルとはいったい誰なのか? 今回は音楽活動の引退を発表した吉田拓郎の革新的なボーカルに迫る。
音楽プロデューサー・武部聡志が語る「ボーカル」の魅力
「譜割りの崩し方」と「歌詞を伝えるパワー」
――拓郎さんのオリジナリティーは、ユーミンと同じように歌詞と密接な関係にあるんですね。
武部 ただユーミンと大きく違うのは、拓郎さんの場合、自分以外の人が歌詞を書いた曲もいっぱいあることです。例えば『外は白い雪の夜』は松本隆さんが詞を書いた曲ですけど、あの歌い方を聴くと、拓郎さんが書いた詞だと思ってしまいますよね。作詞家からもらった歌詞を、普通はあんなに崩して歌えません。
でもああいうふうに歌うことで、松本隆さんが紡いだ物語をよりよく伝えることができる。歌でもあり、語りでもあるような歌い方ですね。
『外は白い雪の夜』は、譜割りの崩し方においても、歌詞を伝えるパワーにおいても、拓郎さんらしさをすごく感じる曲です。ほかの人の歌詞という意味では、『落陽』も象徴的な曲ですね。
――『落陽』は岡本おさみさんの歌詞ですが、たしかにそういった曲でも、言葉も含めて拓郎さんの曲だと感じてしまいます。
武部 実際にひもといてみると、拓郎さん以外の人が詞を書いた曲で名曲といわれるものが多くあってね。『旅の宿』なんかも岡本おさみさんの詞ですし、そこはシンガーソングライターでもユーミンと全然違うところです。
――ユーミンの声については、独特の波動があると表現していましたが、拓郎さんの声や歌の特徴はどんなところにありますか?
武部 シャウトできなくなったら歌うのをやめると言っていたくらいで、やはりシャウトすることが拓郎さんのなかではすごく大事なことなんだと思います。僕が出会ったころは、ボーカルダビングの前日にわざと飲んで、のどを潰して、その潰れた状態でシャウトしてましたね。
それがカッコよかったりもするんですよ。そうやってシャウトするのは、もしかしたらソウルミュージック、R&Bの影響もあるのかもしれません。
拓郎さんもいろいろな人に曲を提供しているし、ユーミンもいろいろな人に曲を提供してますけど、ユーミンが提供した曲はほかの人が歌っても、メロディー的にいい曲だと感じることが多いと思うんです。
その一方で拓郎さんの場合は、拓郎さんが歌わないといい曲にならないところがある。そういう違いがありますよね。
武部聡志
作・編曲家、音楽プロデューサー
国立音楽大学在学時より、キーボーディスト、アレンジャーとして数多くのアーティストを手掛ける。
1983年より松任谷由実コンサートツアーの音楽監督を担当。
一青窈、今井美樹、JUJU、ゆず、平井堅、吉田拓郎等のプロデュース、CX系ドラマ「BEACH BOYS」「西遊記」etcの音楽担当、CX系「僕らの音楽」「MUSIC FAIR」「FNS歌謡祭」の音楽監督、スタジオジブリ作品「コクリコ坂から」「アーヤと魔女」の音楽担当等、多岐にわたり活躍している。
門間雄介
ライター/編集者
1974年、埼玉県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
ぴあ、ロッキング・オンで雑誌などの編集を手がけ、『CUT』副編集長を経て2007年に独立。その後、フリーランスとして雑誌・書籍の執筆や編集に携わる。2020年12月に初の単著となる評伝『細野晴臣と彼らの時代』を刊行した。