”五輪小判”を作った老舗宝飾企業で起きていた「巨額着服事件」

逮捕された「元電通専務」の部下が…
創業60年を迎えた大手宝飾メーカーの「ナガホリ」が揺れている。
ナガホリは百貨店などへの出店で事業を拡大した上場企業として知られたが、近年は業績が低迷し、株価も低調だった。異変が起こったのは春先のことである。
株の買い占めの動きと株価の急騰に始まり、筆頭株主に躍り出た“物言う株主”との間で続く質問状の応酬。現経営陣は買収防衛策として元警視総監の米村敏朗氏を顧問に招聘するなどして徹底抗戦の構えをみせ、6月の株主総会以降も両者の対立は激化の一途を辿っている。
さらに東京地検特捜部が捜査を進める東京五輪を巡る疑惑の“余波”も関心を集めている。
「ナガホリはかつて98年の長野五輪でも、公式ライセンスを取得し、大会マスコットをあしらった指環や18金のペンダントなどを販売した実績があり、今回の東京五輪でも早くから公式ライセンス取得に動いていました。そのキーマンとみられていたのが、16年6月に社外監査役として迎えた電通の元執行役員、岩上和道氏でした。社内では、日本サッカー協会の副会長や日本女子サッカーリーグの理事長などを歴任した岩上氏の影響力もあって公式ライセンスを取得したと言われていました。純金小判やプラチナ小判、ジュエリーなどを販売して約40億円を売上げています」(ナガホリ関係者)
学生時代からサッカー経験があった岩上氏は、電通時代はスポーツマーケティングを担ったISL事業局にも在籍。五輪疑惑の中心人物として受託収賄の疑いで逮捕された電通元専務の高橋治之氏の部下だった。事件が広がりを見せたことで、ナガホリ社内でも岩上氏と高橋氏との関係を心配する声があったという(ナガホリは公式ライセンス契約について「岩上和道が尽力したという事実はございません」と回答)。
この五輪ビジネスを推し進めたのは、ナガホリ創業者の長男で、現社長の長堀慶太氏である。実は、その長堀氏が取締役を務める子会社で、五輪問題の余波どころではない、警察を巻き込んだ前代未聞のトラブルが取り沙汰されている。
舞台となった子会社は、ナガホリが14年9月に買収した大阪に本店を置く「仲庭時計店」。もともとナガホリは関東には百貨店の直営店を多数抱えていたが、西日本には足場がなく、シェア拡大を狙って仲庭時計店の子会社化に踏み切った。
しかし、当初からその先行きを危ぶむ声があった。
大手百貨店が烈火の如く激怒した「事件」とは
仲庭時計店の元社員が語る。
「仲庭は高級時計を扱っていましたが、管理の杜撰さは以前から指摘されていました。在庫の棚卸をする時に本来なら3ヵ月に一度は、書類と現品との付け合わせをしてチェックをするのですが、別の店舗に貸し出している時計があっても細かく追及せず、トータルの数だけ合っていれば、それで済ませたりしていました」
17年11月の棚卸では、仲庭時計店の社員A氏が売上実績を伸ばすために不正を行なっていた事実が発覚。08年頃から顧客による大幅な値引き要請に応じた上に、無料でもう一点の時計を添付し、その穴埋めのために別の商品を転売して換金する行為を繰り返していた。換金した金の一部を自らの飲食代などにも充てており、損失額は約4300万円にものぼっていたという。
さらに不正の連鎖は続き、勤続10年を超える社員B氏は権限がないにもかかわらず、16年4月から17年5月にかけて、自らの大口顧客に高級時計41点を販売。約5400万円の代金が未払いとなっただけでなく、大口取引先である百貨店「そごう西武」の20年来の顧客から定期無料メンテナンスのために預かった1200万円相当の超高級時計「リシャール・ミル」の限定モデルを巡っても深刻な事態を引き起こした。預かった時計のガラスに傷があることがのちに判明し、対応の不手際を隠すため、紹介者を通じ、格安で修理を請け負う指定外の修理業者に依頼。正規ルートではないため、時計の修理に手間取り、回収不能の事態に陥ったのだ。
当然ながら「そごう西武」側は烈火のごとく怒り、仲庭時計店は親会社のナガホリと連名で文書を差し入れて、解決金として1200万円を支払うことになった。
問題のB氏は18年6月に退職。しかしその後、B氏が後輩の現役社員に「あるお客様が時計を見たがっている。何とか数点用意して欲しい。時計を預けても短期間ですぐに返却されるので大丈夫」などと持ち掛けて、「ブレゲ」の時計2点を持ち出させたことが、新たなトラブルを誘発していく。
「B氏は、この現役社員が何度催促しても返却しようとせず、『別の時計を持ってくれば交換する』などと説明し、一向に埒が明かない。そこで対応に困った現役社員が、先輩格の社員C氏に相談。C氏は別の顧客から預かっていた700万円相当のオメガを渡し、B氏に渡した時計を回収するよう指示したのですが、今度はオメガが回収できない。そのうちにB氏からの要求に応じる形で、C氏は約半年の間に次々と時計を持ち出し、19年9月の棚卸の時点で、この不正が発覚。結果的にはC氏が105点、2億円相当の時計を持ち出していたことが分かったのです」(同前)