SOUL REGALIA   作:秋水

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※21/11/21現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります


第二節 いつか陽の当たる場所へ

 

「うあーっ! 久しぶりに来たー!」

 目が痛くなるほどの青空にティオナの興奮した声が響き渡る。

「本当、何年ぶりかしら?」

「ダンジョンに入るようになってから、全然来てなかったよねー!」

 港街の景色に微笑をもらすティオネに、ティオナが笑い返す。

 この街を介してオラリオに来るのは何も交易品ばかりではない。

 海国や極東のような島国――つまり、海路を用いる人間は、まずメレンにやってくる。

 ティオネとティオナはその中の一人だ。

 もちろん、他にもこの街を通った者はいる。

 アイズをはじめ、僅かな者たちは周囲の景観に目を奪われているが、大半の者は懐かしそうにしている。

 私自身も、昂揚を感じていないと言えば?になる。

 あの窮屈な里にはない、この青い景色を目の当たりにした時に感じた感動は、時を経た今も忘れていないのだから。

「思ったよりも復興が進んでいるようだな」

「そやな。流石はガネーシャいうことか」

「それ以上に、メレンの民の力だろう」

 石造りの建物が並ぶ通りは異国の人々、商人、漁師らによって活況を呈している。

 道に脇で絨毯を広げ、珍しい工芸品を露天商、魚や巻貝など採れたての海産物を並べた天幕小屋、商談とばかりに値切りをせがむ声々。

 異国市場(バザール)のような喧騒に包まれるその街並みは記憶にあるものと比べても遜色ない。……少なくとも、思っていたよりはずっと。

「はい、私も少しだけ安心しちゃいました」

 ホッと胸をなでおろすのは、レフィーヤだった。

「レフィーヤも海から来たの?」

「はい、そうです。学生の時は、友達と一緒によくこの港町を散策していました」

 アイズの問いかけに、レフィーヤが懐かしそうな表情のまま頷く。

「じゃあ、料理が美味しいお店とか知ってる?! あとで連れてってよー!」

 それを目ざとく……いや、耳ざとく聞きつけたティオナがそのままレフィーヤに抱き着いた。

 その強襲に対応しきれずふらついたレフィーヤを、アイズが背後から抱き留める。

 二人に抱き着かれ、心底慌てるレフィーヤだったが……しかし、彼女も心が踊っているようだった。

「それで、これからどうする気だ?」

 ティオナに引きずられていくアイズとレフィーヤを見送りながら、傍らのロキに問いかける。

「まずはロログ湖の『封印』の確認やな。一応、それがギルド……いうか、ウラノスへの申請理由やしな」

「一五年前に施された『封印』か」

「そや。その穴は『下層』……多分『水の迷都』のどっかと繋がっとる。いや、そこだけとは限らんけども。ともかく、水棲のモンスターはその穴から出てきたわけやな」

 そして、ゼウスとヘラが【ポセイドン・ファミリア】の協力を得て封印した。

 それが一五年前の話である。それまでは、海のモンスターは全くの野放しだった。

 今も水中という最上級の難地形に守られていることも併せれば、モンスターの浸食は海こそ深刻だと言って過言ではない。

 とはいえ、だ。

「その封印が本当に破られたと思うか?」

 私達が追っている事件に関与してくるかどうかは、また別の話だった。

「いんや。正直、可能性はない思っとる。実際にメレンの様子を見たしな」

 あっさりと言われた言葉に、しかし苛立ちや驚きは生じなかった。

「だろうな」

 何故なら予見していたことだからだ。

 例の『悪夢』の情報収集がてら、メレンについてもいくらか情報に目を通してきた。

「メレンはここ近年漁獲量が回復している。私達が集めた情報が間違っていないならな」

 むしろ、まともに漁に出ることすらままなるまい。

「そや。もし『封印』が破れたなら、そんなことになるはずがない。この様子なら『悪夢』の時に破られたいうこともないやろ」

 湖面にはいくつもの漁船が見える。

 確かに【ガネーシャ・ファミリア】の団員が漁に出ていたと思しき漁師たちに湖の様子を訊ねている。

 だが、それはあくまで確認だけだ。

 封印が破られたとするなら――その疑いがあるなら――どう考えても切迫感が足りない。

「けど『悪夢』の際に、あの『新種』の姿も確認されとる」

「オラリオからメレンに運び出されたということか。それとも、逆か」

「それは分からんけど……。いずれにせよ、オラリオの『大穴』ともメレンの『大穴』とも違う、第三の出入り口があるはずや」

「それを探すのが真の目的か?」

「ま、そうなるな。今は可能性を一つ一つ潰していくしかない」

 ロキの言葉に、肩をすくめる。

 言われるまでもなく、事態の全容は見えていない。尻尾を掴むどころか、ロクに影すら見せない。

 手間だが、他に方法がなかった。

「何故、フィン達を残してきた?」

「理由は昨日話したやろ」

「……本気か?」

  

 ……確かにその理由も聞いているわけだが。

 

「あ、明日は都市の外に行くでー」

 と、その唐突な宣言の後。

「あ、でも。フィン達男組は留守番なー」

 と、ロキは続けたのだった。

『はぁ?!』

 ベートを筆頭とする男性陣――と、ティオネ――が声を荒げる中、ロキは露骨に真剣な表情を作って言った。

「確かにうちらにとっては慰安旅行やけど。それだけやとギルドの許可が下りん」

 それはまぁ、そうだろう。

 渋々と男性陣も頷いた。

「で、だ。自分らももう知っとるやろけど、メレンは今大変なことになっとる」

 いわゆる『メレンの悪夢』については、ダンジョンの中でシャクティからある程度聞いている。

 もちろん、地上に残っていた団員は言うまでもないことだろう。

「やから、表向きはメレンの慰問と復興のお手伝いっちゅーわけや」

「それで、何で団長……いや、私達だけで行くのよ?」

「誰が男の水着なんぞ見て喜ぶんや」

 ティオネの言葉に、ロキはきっぱりと言い切った。

 その勢いに二の句が継げないでいるティオネにロキがさらに畳みかける。

「それに、メレンの子らは今とっても弱っとるねん。そんなところに、超上級者向けツンデレ、ほぼほぼツン成分しかないどっかの狼を連れていくいうのはどうなんや?」

「ないわね」

「うん、ない」

「流石にないかなぁ……」

「そうですね……」

 ティオネのみならず、ティオナやアナキティ達までが即答する。

「せやろ。そんな泣きっ面に蜂……いや、泣きっ面にブラッディーハイヴを投げ込つけるような非道、うちにはできん!」

「喧嘩売ってんだな、てめぇら……ッ!」

 熱弁を振るうロキに、全力で頷くティオネ達。

 そして、ベートが子どもが見たらトラウマ間違いなしといった表情で獰猛に唸った。

 そういうところだぞ、お前は。

「ま、あとはお手伝いをしながら『メレンの悪夢』について情報を集める」

「『闇霊』って奴らが絡んでいるから?」

「せや。できればギルドの息がかかってない生の情報が欲しい」

 むむ……と、ティオネが唸った。

 ロキの言い分は、概ね筋が通っている。

「あと、もちろん自分ら自身が遊ぶのも忘れたらあかんでー! ほな、しっかり準備しといてな!」

 反論できない――というか、勢いに押し切られた――ティオネを他所に、ロキはそう宣言したのだった。

 

 ……と、言うようなことが昨夜あった訳だ。

 

「あとは監視やな。一応、こっそりフィンには頼んである」

「監視? クオンをか?」

「半分正解。もう半分はヘルメスとディオニュソスをや。特にヘルメス。こそこそ動き回ってばっかで信用できんし」

 頭の後ろで手を組み、はしゃぐティオナ達を眺めながらロキは暢気な口調で物騒なことを言った。

 とはいえ、確かに必要だろう。

 神ヘルメスはわざわざダンジョンの中に乗り込んでまで、クオンに手を出したらしい。

 いくつかの意味で、警戒が必要だった。

「そんなことより、まずは湖や! 湖がうちらを呼んどるでぇ!!」

 嘆息していると、堪えきれないと言わんばかりにロキまでが走り出す。

「まぁ、今は観光客の振りに徹するか」

 荷物を解き、少し遊び、街の惨状を見て手伝いを申し出る。ロキの脚本は大体そんな流れだ。

 妥当なところだ。

 何しろ、【ガネーシャ・ファミリア】どころかメレンの住人にすら警戒されている節がある。

 いや、 伝え聞く惨劇を思えばそれも仕方がないといえるが……。

 何であれ、いきなり復興支援を言い出しても、余計に警戒されるだけだろう。

「やれやれ、そううまくいけばいいがな」

 フィンではないが、何となく落ち着かない。

 何か厄介事が近づいているような、そんな気分だった。

 そして、湖岸――白い砂浜に辿り着いてから、

「あ、これリヴェリアの水着なー」

「なん、だと……」

 それからしばらく、今一つ記憶が曖昧になるのだった。

 

 …――

 

 メレンの拠点につくなり、連れてきたじゃじゃ馬娘どもは飛び出して行った。

「ユリア様……」

 やれやれと、その背中を見送っていると、【白い影】の一人が近づいてきて首を垂れる。

「どうかしたか?」

 ついて早々に厄介事だというなら、あの二人を呼び戻さざるを得ない。

「【ロキ・ファミリア】がメレンに姿を見せました。いかがいたしましょう?」

 束の間――いや、見栄を張るのはやめよう。

 しばらくの間、返答に困った。

(まさかここで【ロキ・ファミリア】と鉢合わせるとはな)

 不遜にも我が王に敵意を抱いている派閥ではある……が、その王自身が不敬を黙認してもいる。

 まったく、あの男の真意は相変わらず分からない。

 だからこそ、現時点であの派閥と全面抗争に陥るというのは少々危険だ。

 下手を打ち、今一度不評を買うのは避けたい。

 何しろ、あの男こそは唯一真なる【(ひと)の王】。

 神や【薪の王】達ですら殺しきれなかった真なる不死人であり、『火の時代』そのものすら殺した英雄(かいぶつ)である。

 一度や二度は殺せるだろうが……それは勝算とは言えない。私自身、あの男を殺しきれると自信をもって言うことなどできない。

 だが――そうなると、あのじゃじゃ馬娘を連れてきたのは失敗だったかもしれない。

「今はどうしている?」

 結局。絞り出されたのは、そんな問いかけだった。

「はっ。水辺で遊興に耽っている様子です」

「なら、あの二人を奴らがいない水辺に誘導しろ。間違っても遭遇させるな」

 我ながら何とも馬鹿げた指示である。

「承知いたしました」

 そんな指示にも大真面目に、全く動じず一礼する【白い影】。

 せめてもの礼として、その真名を記憶にとどめておくことにした。

 在りし日に比べれば練度の低い【白い影】達だが……この者はいつか重用する日が来るかもしれない。

「それで、例の血族の情報はどうなっている?」

 その背を見送ってから、別の【白い影】に問いかける。

「今は【ガネーシャ・ファミリア】が拠点、資料、そして『回収物』のすべてを抑えております。ですが団長、副団長は不在。また、元【イシュタル・ファミリア】の団員が多数動員され、指揮系統に乱れが生じております。また、街の有力者にも信者はおります故……」

「拠点に踏み入るくらいはできる、か」

「おそらくは」

 もっとも、すでに調査され尽くした拠点などいくら調べても何も出て来はしないだろう。

 あの憲兵長はそれほど愚かではない。そして、その彼女が見落とした何かを私が都合よく発見できるかと言われれば少々返事に困る。

「他に怪しい拠点は?」

 同じ幸運を期待するのであれば、実りのない抜け殻を探すのではなく、まだ荒らされていない拠点を探した方がまだ有益だろう。

「今のところは。ですが、廃倉庫街に【イシュタル・ファミリア】残党が出入りしております」

「【カーリー・ファミリア】と合流する手はずか?」

「そこまでは。ですが、可能性は高いかと思われます」

 やはり、流石に海洋にいる相手の動向を探ることはできないか。

 となれば、地上にいる者どもから情報を得るしかない。

「【イシュタル・ファミリア】残党の動向を調査しろ。ただし、そちらも【ロキ・ファミリア】に気取られるな」

 奴らの狙いは定かではないが、残党どもを捕縛され噂される『遺産』が露見するようなことになったら手間だ。

 ほぼ間違いなく、我らが王の手を煩わせることになる。

「もしそれが難しいようであれば、【ロキ・ファミリア】の口を封じろ」

「承知いたしました」

 今の【白い影】では幹部の相手をするのは少々困難かもしれないが……しかし、奴らは闇から見放された者どもだ。

 方法はいくらでもある。

「ところでユリア様」

 今後の予定を思い描いていると、三人目の【白い影】が呼び掛けてくる。

「折角メレンに来られたのです。水遊びなどいかがですか? 僭越ながら、水着など用意させていただいておりますが……」

「そ、そうか」

 どこからか取り出されたトルソーが着ているのは、いささか布地が不足していると思われる水着だった。

 それこそかつての【白い影】にはなかった反応に、束の間思考が静止する。

 その私を、【白い影】が臆することなく――何よりも仮面越しとはいえ大真面目に見つめてくる。

 下心は感じられなかった。……少なくとも、特別露骨には。

「すまないが、やることが立て込んでいる。気持ちだけもらっておこう」

 何よりも神こそが俗塗れの生活を送る――それを隠そうともしないこの『時代』において、かつてのような『信仰』を求めるのは困難なのかもしれない。

 それに、我らが王もその辺りは非常に盛んである。であれば、それもやむなしと言ったところ……なのかもしれなかった。

 何だか絶望的な気分で、内心天を仰いでから――…

(今代の【白い影】も磨けば光るかもしれん)

 諸々の感情を、その一言でどうにか美化することにした。

 

 …――

 

「ご無沙汰をしております、神ヘファイストス。本日は早朝より時間を割いていただき、感謝いたします」

 男装の麗人――いや、麗神の前で跪く。

 鍛冶神ヘファイストス。

 天界屈指の名匠ということは今さら語るまでもなく。

 暗黒期においては、鍛冶系派閥でありながら私達を大いに支えてくれたオラリオ有数の善神である。

「ええ、久しぶりね」

 楽にしてちょうだい――と、その言葉に礼を言いながら立ち上がる。

「こんな風に、のんびりと挨拶を交わせる日がきて何よりだわ」

「ええ、本当に」

 そう。この神匠との交流は、あの暗黒期から続いている。

 支払った犠牲は大きく、失ったものは計り知れない……が、それでも得たものや遺されたものがない訳ではない。

 他派閥の主神の神室に、どこか感じる懐かしさはその一つだろう。

「それで、ガネーシャから急ぎの用だと聞いたけれど……。まさか例の『深淵』絡みで何かあるのかしら?」

「いえ、そちらは今はまだ。あるいは、近いうちにお願いに上がるかもしれませんが」

 深淵跡地で回収した例の『魔石』――いや、まだ結論は出ていないが、現時点であれは魔石ではないと結論されている。

 むしろ、クオンの見立てが正しいようだ。

 確か『貴石』と言っていたか。魔石とは性質の違う特殊鉱石らしい。

「そう。楽しみにしているわ……と、言うのは流石に不謹慎かしらね?」

「さあ、どうでしょう。ですが、あなた達を満足させる『未知』ではあるかと」

 ともすれば批判されかねない、そんな辛口の冗談を言い合うには相応の信頼が必要となる。

 お互いに小さく笑いあってから、

「それで。今日の要件は?」

「ええ。……失礼します」

 傍らに置いてあった槍――白布に包んだそれを持ち上げる。

 神室……まして他派閥の主神の神室に武器を持ち込むことは滅多にない。

 加えて今は一対一。人払いがされ、私と神ヘファイストス以外の気配がないような状況ではなおさらだ。

 そんな中で、鞘代わりの白布を引きはがすのは、奇妙な緊張感を伴った。

「この槍について、何かご存じでしょうか」

「それは……!」

 赤い瞳が見開かれる。

「あなた、これをどこで?」

「クオンから譲り受けました」

 驚愕に満ちた言葉に、やはりこれはガネーシャが言う通りの代物なのだろうと覚悟する。

「そう。彼が……。見せてもらえる?」

「はい。もちろんです」

 整頓された執務机に、その槍を置く。

 すぐさま槍を持ち上げ、見分し始めた神ヘファイストスの見開かれた瞳が、先ほどと一転して鋭くなる。

「これは、まさか……」

「ご存じなのですか?」

「ええ。でも、()()()()()()()()()()()()()

 それは、どことなく奇妙な言い回しだった。

 もちろん、天界に住まう神々の生活など、まったくと言っていいほど知らないのだが。

「≪竜狩りの槍≫。古き神が振るったとされる失われた名槍。まさか実在していたとわね」

「≪竜狩りの槍≫ですか?」

「簡単に言えば、私達にとっての『神話』に出てくる武器、といったところね。まさかこの目で見る日が来るなんて……」

「そんなものを、何故あいつが……」

「さぁ……。それは、直接聞くしかないわね」

 槍を机に戻すと、微かに椅子を軋ませ、神ヘファイストスがため息のように呟く。

「近いうちに、その機会があるでしょう?」

「ええ。……あなたも誘われているのですか?」

 いや、それは愚問だろう。

 目の前の女神は、このオラリオでクオンとまともな交流のある数少ない神の一柱だ。

「彼にじゃなくて、ヘスティアにだけどね」

 なるほど、かの女神こそあいつと親しいといえる。

「それに、ヴェルフも誘われているみたい」

「ヴェルフ……。あの赤毛の鍛冶師ですね」

 噂に聞くクロッゾの一族。唯一『クロッゾの魔剣』を受け継いだ魔剣鍛冶師。

 もっとも、彼はその血をずいぶんと疎んでいるようだったが。

「例の一件では、彼にもずいぶん助けられました」

「あの子の魔剣の力に?」

 確かに、あのゴライアスを包んだ炎は伝説に違わぬ業炎だった。

「いいえ、それだけではありません」

 しかし、彼に助けられたのは最後の一撃だけではない。

 何しろあの魔剣は一撃で砕けたのだ。とどめの一撃以上のことは期待できなかった。

 それよりも――…

「彼自身の力に。彼がいなければもっと苦戦を強いられたでしょう」

 あの魔法がなければ、もっと多くの被害が出ていたはずだ。

「そう。【象神の杖(アンクーシャ)】に褒められるなんて、私も鼻が高いわ」

 神ヘファイストスが浮かべた微笑の神意は図り切れなかったが――…

「これで鍛冶師としても一皮むけてくれるといいんだけど」

 ただ、相変わらず我が子を思う善神の姿がそこにはあった。

「それで、この槍ですが……」

「こういっては何だけど、今のあなたには過ぎた武器よ。だから、これは私が――…」

 預かる――と、おそらくは続けようとしたのだろう。

 言葉と共に神ヘファイストスが改めて机上の槍に手を伸ばしたその時。

 パチリ――と。その手を拒絶するように、槍が小さく雷を纏った。

「ご無事ですか?!」

 今の雷の威力は分からないが、その槍は神創武器だという。

 となれば、いかに超越存在(デウスデア)であっても最悪の事態は起こりえる。

 思わず血が凍った――が、どうやら杞憂で済みそうだった。

「ええ。静電気程度のものだったし」

 素早く手を引き戻した神ヘファイストスは、ほら――と、つけたままの手袋を外した。

 鎚を扱い、鉄を打っているとは思えない程白いその手には火傷のあと一つない。

 私がホッと一息をついていると、それよりも――と、女神は槍を一瞥する。

「……そう。()()()()()()()と、そう言いたいわけね」

 呆れとも嘆息ともつかない吐息と共に、神ヘファイストスは机上の槍を少しこちらに押し出した。

 持って帰れということだろう。

 しかし、だ。

 これは神創武器――つまりは()()()()()()()()()

 天界への送還ではなく、完全なる殺害を可能とする武器。

 人の手に余る代物であり……実際、それを知った今では畏れ多くて触れることすら躊躇われる。

 そもそも、こんなものは下界にあっていいものではない。

 やはり、この槍は天界の名匠である神ヘファイストスに預け、厳重に封印してもらうべきだろう。

 ――と、そう思う自分がいる。

 元より自分には過ぎたものだと判断する自分も。

 しかし、そのうえで――…

「よろしいのですか?」

 それらすべてを【象神の杖(アンクーシャ)】としての自分が棄却した。

 これから――いや、すでにオラリオが曝されている脅威に対してはこれでも足りないのだ。

 例えそれが神殺しの武器であっても、使いこなすしかない。

 私では生涯この槍の真価を引き出すことはできないかもしれないが……。

「それはその堅物の槍に訊ねなさい」

 その鍛冶神はその迷いを見透かしたうえで言った。

「…………」

 その通り、なのだろう。

 見定められているのは、ゴライアスとの戦いの間にも感じていたことだ。

 改めてその槍に手を伸ばす。

 指先が触れたその時、神ヘファイストスの時のように雷が爆ぜたような気がした。

 ――が、それは幻聴だ。

 その神槍は黙して語らず、ただ静かにそこに在る。

 神匠に見守られながら、改めて持ち上げる。

 やはり、どこか手に馴染まない。だが、雷が爆ぜることはなかった。

「どうせなら、その槍が後悔するくらい振り回してやりなさい」

 神ヘファイストスが小さく微笑む。

 やれるものならやってみろ――と。そう言わんばかりに。

 窓から差し込む陽光に照らされ、その槍が鈍く煌めいた。

 

 …――

 

 主神(ヘファイストス)が一仕事済ませている頃。

 その眷族にして団長たる彼女もまた、久方ぶりの大仕事に着手しようとしていた。

 

 場所は当然、彼女の城であり聖域である工房――ではなかった。

 故に辺りに響くのは鎚の音ではなく、周囲に舞うのは鍛鉄の火花ではない。

 響いているのは瀑布の音。舞い散るのは、白銀の水しぶき。

 そこは彼女の聖地からいくらか()()()()()場所。

 有体に言えば、ダンジョン一八階層にいくつかある水場の一ヵ所だった。

 滝下にある巨石。眼前に自ら打ち上げた≪紅時雨≫を突き立て、彼女はそこに座していた。

 身に着けているのは下帯のみと無防備すぎる姿だが、白刃の如きその気配を前に不埒なことを考える輩はいまい。

 それどころか、モンスターすら近づいてくる様子はなかった。

「―――――」

 そして、彼女自身はそんな事すら意識の内にない。

 水滴に彩られる白刃。今の己が打てる最高の刃金に己の裡を映し出す。あるいは、その逆か。

 至高の武器。鋼の真実。神の境地。

 そういった情熱――あるいは渇望ですら、今の彼女の中にはない……と、言いたいところなのだが。

「いかんなぁ……。これはいよいよいかん」

 滝に打たれたまま、腕を組んで唸っていた。

 それでひとまず、意識が現世に戻ってくる。

「手前が目指しているのは、そういった魔道ではないというのに……」

 ほう……と、零れた吐息は柄にもなく悩まし気で、得体のしれない熱を帯びていた。

 滝に打たれ、冷え切っている体だが、その芯にも同様の熱が渦巻いている。

 常にとり憑かれている渇望(もの)ではない。

 つい先日まで参加していた『遠征』の名残――と、そういえばその通りなのだが。

「創作意欲が燃え上がっているというのに、これでは鎚を持つこともままならん」

 初めて見る『深層』。待ち構えていた怪物。見届けた偉業。

 それらすべてが、彼女の情熱を掻き立てている。

 常であれば、工房に籠り寝食を忘れて鎚を振るっているところだ。

 それをしない理由。いや、できない理由。

 それもまた、『遠征』にあった。

 少なくともその片方は。

「――――」

 おおよその勘で視線を動かす。

 方向は一七階層との連結路。

 思い浮かぶのは『遠征』の帰り道、思わぬ足止めが終わる前夜のこと。

 かの【正体不明(イレギュラー)】と互角に渡り合った剣士の姿だった。

 正確にはその片割れ。先にあの男と対峙していた剣豪。

 その姿を思い出すだけで、体に熱が宿る。胸が高鳴る。何か熱いものが体を満たしていく。

 そう――…

「何とも恐ろしいものだ」

 あの妖刀を思い出すと、今でも。

 神の領域に至ること。至高の武器をこの手で生み出すこと。

 それが己の渇望だった。初めてあの怪物めいた神匠が打ち上げた剣を見た時から、ずっととり憑かれている。

 しかし、誰に言われるまでもないことであり、どのような綺麗事で言い飾ろうとも隠しきれない真理が存在する。

 

 つまり、武器とは何かを傷つけ、その命を奪うためのものである。

 

 無論、例外がないわけではない。命を奪うことを主眼に置かない武器も存在する。

 だが、例外とは少数であるからこそ例外と言われるのだ。

 ならば、至高の武器を求めるとは、いかに効率的に何かを傷つけ、その命を奪うかを模索することにも近しい。

 寝食を惜しみ、心血を注ぎ、魂を分け与えるようにして、何かの命を奪うモノを生み出す。

 もっとも、そんなものは鍛冶師――武具を打つ鍛冶師であれば、誰もが背負う業である。

 そのうえで、何か別の意味を己の作品に持たせてやれるかどうか。それもまた、鍛冶師の使命の一つと言えよう。

 しかし。しかし、だ。

 心血を注ぎ、魂を込めるが故に、百に一振り――あるいは千に一振りか――その宿業に堕ちたモノが打ち上がってしまうことがある。

 それはいわゆる『魔剣』と異なりただの武器だ。少なくとも振り回したところで魔法が発動するわけではない。

 だが、その多くが文句のない業物であり――それだけでは説明がつかぬ、奇妙な魅力を放つ。

 だからこそ、人を狂わせる。その果てに邪剣だの妖刀だのと呼ばれ、もたらした悲劇と共に語り継がれている。

 自分自身も、最上級鍛冶師(マスター・スミス)などと呼ばれる技術(わざ)――あるいは業――の全てを注ぎ、そういった代物を生み出してしまったことがある。

 無論、そのような魔道を望むわけではない。

 すぐにへし折るのが常だが……しかし、どうしても躊躇われて厳重に封印してあるものも何振りかある。

 そういった代物と比較しても、あの男――アーロンと名乗ったあの剣士が携えていた妖刀は極まっていた。

 しかし――…

「アーロン、か。恐ろしき男よ」

 それが妖刀であると気づいたのは、実のところ【正体不明(イレギュラー)】との戦闘中ではない。

 その時は、ただの名刀……自分の目にも眩い大業物にしか見えなかった。

 だから興奮のまま――不用意に――見せてくれとねだったのだ。

 

「どれ。何なら抜いてみるか、娘」

 存外簡単に投げ渡され、興奮のままに鞘から引き抜いて――…

「あ……」

 とろん、と。意識が蕩けた。

 魔石灯の輝きに照らされた乱波紋。妖しく光る刃金。

 だが、足りない。そうだ。足りない。()()()()()()()()

 それにこれでは足りない。鋭さも足りない。

 そう。その刃金を染める血が、まったく足りていなかった――…

「し―――…っ!?!?」

 気づけば、その妖刀を目の前の男に向かって振るっていた。

 横薙ぎの一撃。狙いは首筋。当たっていれば、容易く首を刎ねていただろう。

 その動きを途中で強引に静止できたのは、我ながら幸運だったとしか言いようがない。

 ……もっとも、振り切っていたところでどうせ当たりはしなかっただろう。

「ほう、正気に戻ったか。しかし――…」

 首を断つより先に、その剣士につかみ取られていたはずだ。

「やはり、生娘にはちと刺激が強すぎたか?」

「誰が生娘か?!」

 慌てて鞘に叩き戻し、ついでにその勢いのまま叫び返す。

「何と恐ろしいものを……」

 この時になってようやくそれが妖刀だと気づいた。

 血を吸えば吸うほど鋭くなり――それ故に人を狂わせる代物だと。

「いったいどこの馬鹿者だ。このようなものを生み出すとは」

 手前を狂わせた妖気が、男の手に戻った途端に霧散する。

 それは、その妖刀が男の武威に屈服し、使い手と認めている何よりの証拠だった。

 目の前の光景に驚愕しながら、声を絞り出す。

「知らぬ。(なかご)にも銘が刻まれておらん故な」

「知らぬだと……?」

 もはやあきれ返るばかりだった。

「うむ。故郷の社に祀られておったものだ。旅立ちの駄賃に頂戴してきた」

「封じられていたの間違いであろう」

「かもしれんな」

 呵々――と。アーロンは暢気に笑って見せる。

「だが、あのような場所で朽ちさせるには惜しい業物であろう?」

「それは否定せぬが……」

 胸の高鳴りはまだ収まっていない。

 だからこそ厄介だった。

「そのようなものをよく平然と扱えるな」

 まぁ、あの【|正体不明イレギュラー》】と互角に斬り結べるなら、この程度は当然なのかもしれないが。

「己が刀に喰われる程度であれば、我が武は神域に至らぬであろうよ」

 平然と言い放たれた言葉に、共感する部分がなかったと言えば――それは、やはり嘘になるだろう。

 血であろうが何であろうが、あるもの全てつぎ込まねば神の領域になど届かない。

 それは、手前自身が口にした言葉でもあるのだから。

「――――」

 その言葉の体現を見せつけられ、思わず喉を鳴らしていた。

 目の前の男は、あれほどの妖気を自らの意思で完全にねじ伏せているのだ。

 この剣士の手にある限り、あの妖刀は稀代の名刀であり続けるだろう。

「どれ、娘。主の刀も見せてみよ。なかなかの業物と見た」

 手酌で『ドワーフの火酒』を器に注ぎ、一息に呷ってからアーロンが言った。

「よいとも。正道の名刀を見せてやろう」

「ほう。それは大きく出たな」

 気付け代わりとして、同じく酒を飲み干してから≪紅時雨≫を鞘ごと抜いて差し出したのだった。

 

 …――と、まぁ。

 概ねそのようなことがあったわけだ。

 

「…………」

 ほう……と、やはり熱っぽい吐息を吐き出す。

 今思い出してもあの妖刀は恐ろしい……が、しかし良いものを見せてもらったという思いもある。

 あの妖刀だけであれば、むしろ創作意欲を掻き立てられるだけで済んだであろう。

 だが……同じような刺激を重ねられるとなると、確かに少々強すぎたと言わざるを得ない。

 

 刺激が重なったのは『遠征』から戻った翌日――つまりは、昨日の事だった。

 たっぷりと寝て、目覚め、適当に朝餉を済ませ、そろそろ炉に火でも入れて鍛冶を始めようかと準備を始めた頃。

「ほぉう? それで、もう一度言ってはくれんか?」

 遠目にもガラの悪い狼人(ウェアウルフ)の小僧が訪ねてきたのは、ちょうどそんな時だった。

 いつも悪態しかつかないその口元は若干引き攣り――それどころか、全体的にバツが悪そうにそこに突っ立っている。

 明日はおそらく土砂降りの大雨が降るに違いない。

「だから、もう一度≪フロスヴィルト≫を打ってくれつってんだよ」

「ああん?」

 目の前の小僧――ベート・ローガのいう≪銀靴(フロスヴィルト)≫とは、無茶な注文の末に生まれた特殊兵装(スペリオルズ)である。

 遠征直前に粉々に砕いて帰ってきて、ひぃひぃ言いながら打ち直したばかりだった。

 それをもう壊したというのか、この小僧は。

「……いや、今度は壊れてねぇ。多分。だから、直せるってんならそれでいい」

「見せてみよ」

 促すと、ベート・ローガは背負い袋からソレを取り出した。

 確かに、基本的な造形は手前が打った銀靴のそれと同じだった。

 だが――…

()()()()()?」

 それは、もはや()()とは言えない。

 濡れたような黒。それを見た途端、()()()()()()()ような悪寒を感じた。

「『深淵の主』って奴の息吹(ブレス)……黒い炎を取り込んだらそうなった。それから戻らねぇ」

「…………」

 世俗に疎い自覚がある手前と言えど、流石に『深淵』という呪詛(カーズ)は知っている。

 それが頭上に広がっている間、ずっとダンジョンに籠っていたわけだし……その被害も目の当たりにしてもいる。

 だから触れる際には、流石に多少の緊張を伴った。

「完全に変質してしまっているな」

 それに、少しだが重量も増えている。

 じっとベート・ローガの全身を眺めてから、肩をすくめる。

 増えた重量が、今の小僧の動きに悪い影響を及ぼすことはあるまい。それについて、特別な調整は不要だった。

 次に構造的な問題について。こちらも物理的な破損や動きを阻害するような変形はどこにもない。

 武器としては、まだ生きている。壊れていないというベート・ローガの言葉は概ね正しい。

 だが、分かるのはそこまでだ。

 もはや手前が打った銀靴とは別物になり果てている。

「直せそうか?」

 首を振って、その言葉を否定した。

「無理だな。これはもう、手前の理解の外にある」

 何をどうすればこのようなことになるのか。

 確かに魔力を吸収する機構は組み込んである。だが、永続するようなものではなかった。

「これが『深淵』か?」

「その影響だと、あの灰野郎は言ってやがったな」

 ベート・ローガの言葉に腕を組み唸る。

(『深淵』とはモノを変質させる呪詛(カーズ)なのか?)

 魔剣を打つにあたって、多少は魔法に関する知識も得てはいる。

 それに、一八階層で『変質』した冒険者と対峙したこともある。

 しかし、この変質を説明するには、それではとても足りない。

 何が足りないかは皆目見当がつかないが、モノを変質させる程度のものではないことは間違いあるまい。

 それに――…

(何だ、この感覚は……?)

 背筋を焦がす悪寒ではない。

 あの妖刀を見た時の感覚とも違う。

 それは、そう……例えて言うなら郷愁に近い。

 あるいは、天啓か。

 その曖昧な感覚を無理に言語化するのであれば……

 

 そう。これこそがかつて■■が生み出した武器に近い――…

 

「……!」

「どうかしたか?」

 いつになく気遣うような――何となくどことなくそこはかとなくそんな風に見えなくもない顔でベート・ローガが声をかけてくる。

 それで、白昼夢から覚めた。

 掴みかけた……あるいはとり憑かれかけた何かはするりと手前の手から抜け落ちていき、二度と捕まえることはできそうにない。

 安堵すべきか、それとも落胆すべきか。それすら分からないまま、嘆息する。

「仕方あるまい。また打ち直す。少し待て」

「ああ。ひとまずそいつの分の代金(かね)は払う。新しいやつの分は……」

 ドチャ――と、重い音がする布袋を近くの机に置く。

 一括返済とは、『遠征』明けとはいえずいぶんと羽振りがいい。

 ……いや、そういえば例の『深淵』狩りに参加しているのだったか。その報酬も含まれているのだろう。

「また借金(ローン)だな」

 だが、もう一足となると全く足りない。

「すぐに返すから待ってろ」

「期待しよう」

 冒険者相手に金を貸すのは馬鹿のすること――と、そんなことを言う輩もいるが。

 しかし、それができずしてどうやって冒険者から鍛冶仕事を引き受けられようか。

「それで、コイツはどうすりゃいい?」

 黒く染まった銀靴を見やり、ベート・ローガが訊ねてくる。

「う~む……」

 流石に『深淵』絡みとなると、迂闊なことはできまい。

 順当に考えれば、ギルドに届けるのが妥当となる。

 そうすれば、上手いこと処理してくれるだろう。……多分、きっと。

 ただ、先ほどつかみ損ねた『何か』が気になっているのも事実。

 もはや影も形もないが、それでもこの胸をざわめかせていた。

 その手掛かりになるのは、やはりこの変容した銀靴であろう。

 となると、手放すのも惜しい。

「ひとまず手前が預かっておく。それでよいか?」

 そもそもの話として、所有権はベート・ローガにある。

 彼が手放すことに同意しない限りは、手前も自由には扱えない。

「いらんというなら、このまま下取りするが……」

 もっとも、値のつけ方も分からんが。

「とりあえず預かっとけ。で、何でそうなったかとか原因の『深淵』について何か分かったら教えろ」

「ふむ……」

 無茶と言えば無茶苦茶だ……が、妥当な話であるように思えた。

「分かった」

 しばし考えてから頷く。

【|正体不明イレギュラー》】の説明を聞く限り、手前どもも無関係ではいられない。

 探っておいて損はない。……まぁ、この銀靴に眠る『呪い』が目覚めないよう加減は必要だろうが。

「とはいえ、手前は魔導師(メイジ)ではない。保証はせぬぞ?」

「構わねえよ。何か分かりゃ儲けモンってだけだ」

 それだけ言い残すと、ベート・ローガはさっさと工房から出て行った。

「ふむ……。ひとまず主神様に相談すべきか。いや、しかしなぁ……」

 その背を見送ってから、一人になった工房で三度唸る。

 ぬらりと黒く濡れた銀靴――今となっては黒靴か――は、ただ妖しげな気配だけを漂わせていた。

 

 …――

 

「……やはり、あまり良いものではないのだろうなぁ」

 水を吸い、重くなった前髪を手櫛でかきあげる。

 もっとも、あの惨状を見て『深淵』を良いものと考える輩がいれば、それこそ狂っていると言うよりないが。

 しかし、だからこそ恐ろしい。

 良くないものと分かっていて、それでも魅入られそうになる。

 短時間で目の当たりにした二つの『魔性』。

 それらに、手前自身の業が共鳴してしまっている。

 今の手前が武器を打てば、それはあれらと同じ代物になり果てるだろう。

 そうならぬよう、こうして水垢離をし、邪念を洗い流しているわけだが。

「もう少し、時間がかかりそうだのう」

 まったく、早く創作に移りたいというのに。

 未だ未熟な己に毒づいてから、再び白刃を――そこに移る己を観る。

 邪念なき境地に戻ること。それが、今日一番の大仕事となるだろう。

 

 …――

 

 鍛冶師が水垢離を再開したちょうどその頃。

 ダンジョン……いや、大地から少し離れた海原で。

 正確にはそこを走る一隻の帆船にて。

 

「やぁ、お嬢様方。明日にはメレンにつくぞ」

 甲板に出ると、陽気な水夫が忙しく動きながらも声をかけてきた。

「そうか」

 忙しくしているのは、入港が近いからだろう。

 目を凝らせば、水平線の向こう側に久方ぶりの大地が見える。

「もうじきつきますね、ルカ」

 傍らに立つ緑衣の娘が小さく呟いた。

「ああ。そうだな」

 まだ遠目にも見えぬその大地――いや、そこに口を開ける『大穴』こそが、新たな巡礼地である。

 私達をこの地に導いた火防女も、そしてあの古き竜もそのように言っていた。

 そこが巡礼地であり――

「あの方は、息災でしょうか」

「心配することはない。あの男がそう簡単に膝を屈するものか」

 得体のしれない仮面の人物にも、無警戒に声をかけてきたあの男を思い浮かべる。

 暢気というか何というか……。

 消えぬ呪いと消えゆく己に絶望し、人を避けていた私とは随意と異なるその在り方は今でも記憶に焼き付いている。

 だからこそ、だろう。

 妙に気にかけてしまったのは。

「どうせまた女の尻でも追いかけているだろう」

「ええ。強敵が揃っているようですね? ルカ」

「それはお前にとってもだろう、シャナ」

 お互いに、つくづくロクでもない男に引っかかってしまった。

 何が楽しいのかクスクス笑う緑衣の娘――シャナロットを横目に、小さくため息をつく。

 そのつもりだった。

 だが、本当に零れたのは、苦笑だったかもしれない。あるいはただの笑い声だろうか。

「オラリオ、か。……私の剣が通じる場所であればいいのだがな」

 風は良好。波は静か。空は青く、海も青い。

 初めてこの『時代』に来た時は我が目を疑った美しい景色は、今も何も変わっていない。

 永遠に続くように思える水平線を眺めながら、軽く腰の剣に手を触れる。

 私があの男に捧げられる最たるものは、やはりそれしかない。

 そして、どうせあの男の事だ。それが必要な状況に、自分から首を突っ込んでいる事だろう。

 ならば、私とて少しは役に立てるはずだ。

「ええ。頼りにしています、ルカ」

 緑衣の娘は、潮風にいつかのように潮風に衣を揺らす。

 だが、あの時と違い今は微かにそれでも確かに微笑んでいるのだった。

 

 …――

 

 海から遠く離れ、しかし同じように青く澄んだ空と、眩い太陽に抱かれたその場所で。

 

「ああ、それにしても。何もかもが懐かしいな」

 篝火に――末の妹に導かれ、たどり着いたのはどこかの山間だった。

 むせかえるほどの木々の匂い。水のせせらぎ。

 何より、どこまでも続く木漏れ日。

 遠い昔に確かにあり、そして『最初の火』の陰りとともに失われた光景がそこに広がっていた。

「ええ。……よくやったな、馬鹿弟子め」

 もう二度とは見れぬと思っていたその眩しさに、目が眩んだのだろう。

 不意に滲んだ視界を閉ざし、震える胸から吐息をゆっくりと吐き出す。

「お主は大事ないか?」

「え、ええ。……まだ、少しだけ圧倒されています」

 恥じ入るように、聖女などと呼ばれていたその娘は呟いた。

「これが『闇の時代』、なのですか?」

「さて、どうだろうな。そうだともいえるし、そうではないともいえる」

 姉が空を見上げながら、娘の問いかけに応じる。

「『最初の火』は、確かに消えているようだ。だが、どうやら我らが末裔もなかなかしぶといらしい」

 いくらかおかしな気配がする――と、姉が呟く。

 確かにその通りだった。

「しかし、二人とも思ったより傍にいて良かった」

 空から視線を戻し、姉がやれやれと首を振る。

「ええ、そうですね」

 流石に『時代』の断絶すら飛び越えての転送は不安定すぎたらしい。

 目が覚めた時は一人きりで、流石に少々焦ったものだ。

(呪術師の開祖とはまだ名乗っていられそうだな)

 手に『火』を灯して、小さく安堵の息を吐く。

 幸いにして呪術の制御は問題ない。予想に反して、威力の衰えも感じない。

 もっとも、それを言えば襲ってきた異形――モンスターとやらも大したものではなかったが。

「あのお方も、近くにいるといいのですが……」

「うむ……。この『時代』ではなおさら人目につかぬ方がよいか」

 何しろあの方は『半竜』だ。

 いや、あの方を先ほどの異形どもと同列に考えるなど不敬なのだが……しかし、それを今の人間に求めるのもまた愚かなことだった。

 それどころか、末裔たちですら忘れている可能性が高い。

「あちらから竜の気配がする。あの方よりは随分と荒々しいが……まずはそちらに向かうとしよう」

 言うが早いか、姉はいつものように迷いなく歩き始めた。

 その背を追って歩く。ただそれだけのことが、今は何故か酷く懐かしい。

 それすらあの日、母や姉妹が『炎』に消えてからは二度と望めぬと思っていたのだ。

(我ながら、欲深いことだ)

 まだ、求めてしまう。

 これでは、まだ足りないのだ。

 妹が傍にいないこと。それももちろんの話だ。

 そして、あの世話のかかる……そして、誰よりも世話をかけてしまったあの馬鹿弟子が傍にいない。

「――――」

 心臓が跳ねる。

 見て見ぬふりをしていた不安を、急に思い出してしまった。

 恨んではいないだろうか。憎んではいないだろうか。

 オラリオが近づくほどに、足がすくむ。

 ああ、まったく――…

(浅ましいな)

 あんなものに巻き込んだのだ。

 ならば(まじょ)のひとりである私が恨まれたとしても、仕方がないというのに。

「どうした、クラーナ」

 姉の言葉に、自分の足が止まっていたことに気付く。

「心配するな、大丈夫だ」

 姉とて同じ不安を抱えているはずだ。

 だが、それでも姉は笑って手を差し伸べる。

「そんな顔をしていたら、それこそあ奴が心配するぞ?」

 師ならば今まで通り胸を張っていろ――と。

「ええ。……そうしましょう」

 姉の言葉に従い、その手を借りずに歩き出す。

 彷徨うのはもう辞めだ。

 胸を張ってあの馬鹿弟子と再会しよう思うなら、それくらいのことはしなくてはならないだろう。

 

 …――

 

 姫様と再会した翌朝……いや、どちらかというともう昼に近いが。

「あの坊やたちから連絡があったよ」

 遅い朝飯を食っていると、隣に――と、行っても机の上にだが――座ったアイシャが言った。

 いやまぁ、実際には朝食というには少々遅い時間だが。

 食堂にいるのはアイシャだけ。

 姫様たちは一度自宅に戻っている。

 霞は俺達が起きてくる前に朝食を済ませて眠りについていた。

『私はもう少し寝るわ。流石に今日は休めないし』

 そんな伝言が食卓に残っていた。

 もっとも、アルドラの店は半ば趣味でやっているものなので、労働規約もさほど厳しくはないらしいが。

 ちなみに、カルラもまだ寝ている。

 ……まぁ、色々と疲れているだろうし、しばらくそっとしておこう。

「ベル……いや、アンジェが来ていたのか?」

 ベルも一度はこの館に連れてきている。

 だが、あの時は死にかけていたし、帰るときは半ば眠りこけていた。

 道を覚えているということはあり得ないだろう。

「ああ。明日の昼頃に、だってさ」

「そうか」

 アイシャの言葉に頷く……が、気乗りしないというのが本音だった。

 とはいえ、これ以上先送りにもできない。

 胃に重いものが詰まったような感覚。

 まるで生者のようだな――と、自嘲しながら食いちぎったトーストを珈琲で流し込む。

 もちろん、今さら俺にそんなものは必要なないのだが。

「つまり、今日一日は暇ってわけだ」

 テーブルに座るアイシャが、すらりとしたその美脚を組みなおす。

「まぁ、そうなるな」

 シャクティかフェルズがまた面倒事でも持ち込んでこない限り、特にやることはない。

 怠惰に過ごしても、誰に文句を言われることはないはずだ。

 自分で適当に焼いた――オラリオで目覚めてすぐ、霞のおかげで思い出した――エッグトーストをもそもそと齧りながら頷く。

「なら、好都合だ」

 ことさらに胸元を強調するようにして、彼女が体をこちらに倒してくる。

 俺も座っているので、ちょうど視線が胸の谷間辺りにある。

 ついそこに視線が向いてしまうのは仕方がないことで……何より、アイシャの狙い通りだろう。

 何とかその狙いを崩そうと、視線を引きはがそうとする――が、それすら彼女の掌だったらしい。

 くい、と顎をその指先が持ち上げる。

 紫水晶(アメシスト)のような瞳に見つめられ、体の血に熱がこもる。

「なら、ちょっと付きあいな」

 蠱惑的な囁きが鼓膜を弄った。

 一つ一つの仕草が、男の性を刺激する。

「あ、ああ」

 熱に魘されたように曖昧に頷く。反論するという発想がまず思い浮かばなかった。

 それを見届けて、彼女が満足そうに唇に笑みを宿した。

「よし、じゃあ行くよ」

 するりと、こちらの間合いから抜け出して――というか、立ち上がり彼女が食堂を出ていく。

「行くってどこに?」

「ダンジョンに決まってるだろう?」

「あ~…」

 納得した。

 つまり、アイシャはランクアップした自分の力を試しに行きたいのだ。

 そして、そのお供をせよと仰られているのである。

 からかわれていたことを理解して、体から力が――あるいは熱が――抜ける。

「こんな朝っぱらから何を期待してたんだい、ご主人様?」

 昨日もカルラと散々愉しんだ癖に――と、大笑いするアイシャに天を仰ぐ。

 まったく、男を手玉に取るのが上手いにも程がある。

 それとも、俺が単純なだけだろうか。

(ったく、どこがご主人様なんだか)

 内心で毒づく……が、だからと言って、当然ながら返す言葉など何も思いつきはしない。

「降参だよ、女王様」

 トーストの最後の一欠けを口に放り込んでからアイシャの背を追って歩き出すのだった。

 

 …――と。

 彼らの一日は概ねそのようにして始まりを迎えたのだった。

 

 

 

 すっかり平穏を取り戻した一八階層。

「シッ――!」

 木漏れ日を浴びながら、手にした槍を振るう。

 基本に忠実に。

 型を――自分の体の動きを一つ一つ確認するように丁寧に。

 ひたすら愚直にそれを繰り返す。

 もっとも基礎的な訓練だが……しかし、奥義とは基礎にこそ宿るものだ。

「フ―――…」

 それからさらに繰り返すこと数回。

 神ヘファイストスの元を辞し、この階層に到着してから初めて動きを止める。

 汗の伝う体。その火照りを吐き出すようにして整息する。

 上着――橙色の戦闘衣(バトルクロス)――を脱いでおいたのは正解だった。

(やはり、そう簡単には手に馴染まないか)

 改めてその槍を――≪竜狩りの槍≫を見つめる。

 ゴライアスとの戦いの時ほど露骨に値踏みをされているような気配はない。

 だが、それでもまだ手には馴染まなかった。

(水場にでも行くか)

 喉の渇きを覚えていた。

 ついでに水浴びでもして、心身共にさっぱりするのも悪くはあるまい。

 戦闘衣(バトルクロス)を掴むと、近くの滝に向けて歩き出す。

 この辺りは私達の庭――と、いう訳でもないが。

 別に決まっているわけでもないが……私達が鍛錬をする際にはこの辺りを使用することが多い。

 そこそこの広さがあり、その分だけモンスターの奇襲を受けにくく、そして水場も近い。

 遠征時の大規模パーティで使用するには少々狭いが、鍛錬や金策を主目的とした小遠征程度なら野営地にも使える。

 一七階層と一九階層双方の連結路から少々離れているのが玉に瑕だが、そのお陰で同業者と場所の取り合いになることも少ないのも好条件と言えよう。

 と、言っても。もちろん、独占しているわけでもなければ、仕切りや目印があるわけでもない。

 私達にとって便利ということは、他の冒険者達にとっても便利ということだ。

 先客がいたところで、驚くには値しないが――…

「椿?」

 それが顔見知りで、しかも朝方世話になった派閥の団長となると少々話が変わる。

 しかも――…

(いくら何でも無防備すぎないか?)

 さらしも巻かずに水浴び――いや、滝行か――しているとなると、なおさらに。

 加えて、相変わらずの集中力だ。

 水音を差し引いても、私が近づいていることに全く気付いてない。

 ……もっとも、彼女もLv.5だ。生半可な悪漢では襲おうとしたところで返り討ちだろうが。

 目の前に武器を突き立てているわけだし。

「仕方がない……」

 いずれにせよ、このまま見て見ぬふりをするというのは妙に後ろめたい。

 いや、もちろん滝行も理由があってしている事だとは思うが。

 とはいえ、声をかけるのにも相応の危険を伴う。

 何しろ、目の前に武器がある。

 ということは、下手をするとそのまま斬りかかられないという意味だ。

「おい、椿。椿! 聞こえているか?!」

 声をかけながら慎重に傍まで近づき、肩を揺さぶろうとした瞬間。

「―――ッ! ……おお、何だ【象神の杖(アンクーシャ)】ではないか」

 私の手が肩に届くより早く、椿の手が武器に届いた。

 伸ばしかけた手を引き戻し、防御を固め――…

「ああ。踏み止まってくれて何よりだ」

 岩から引き抜かれた白刃が振るわれる直前、椿はこちらを認識してくれたらしい。

「手前に何か用か?」

 構えていた刃を下げながら、何事もなかったように椿が言う。

「用という訳ではないが……少々不用心すぎると思ってな。滝行ならさらしくらいは巻いておけ」

 もっとも、不用心と言えば一人で水浴びすること自体が不用心と言ってもいいが。

「はははっ! 実は替えを忘れてしまってな!」

 今さら濡れたままでも風邪などひかないだろうに。

 などと、そんな呻きは快活な笑い声を前にすれば言葉にもならない。

「ぬお!?」

「な、なんだ?」

 全裸でなかっただけマシか――と、自分を納得させていると、椿がその隻眼を見開いた。

「その槍は何だ?!」

 失敗したかもしれない。

 椿には悪いが、思わず内心で呻いていた。

 とはいえ、今さら誤魔化しようがない。あるのであれば、失敗したなどと思う必要もないのだから。

「いや、これはだな……」

 ガネーシャからも神ヘファイストスからも、これが神創武器であることは黙っておくよう言われている。

 言われるまでもなく、取り扱いに慎重さが求められるのは分かっていた。

 しかし、だ。

 この最上級鍛冶師(マスター・スミス)を相手に誤魔化せるような真似ができるかどうかは別問題だった。

「まさか、神創武器をこの目で見れる日が来るとは……!」

 そして、結局誤魔化すことができなかったわけだが。

「頼むから他言無用だぞ」

 いっそ懇願するような気分で呻く。

「分かっておる。ましてあの【正体不明(イレギュラー)】絡みではなぁ……」

 何しろ、あいつは本物の『神殺し』だ。

 そんなクオンが神創武器を持っているというのは、どう考えてもロクな発想に繋がらない。

「それにしても、【象神の杖(アンクーシャ)】。お主、それを主神様に見せたといったな?」

「ああ。だから、神創武器ということは間違いない」

「いや、そうではなく」

 珍しいことに、少し言いづらそうにしてから椿は言った。

「こう言っては何だが、それはお主にとってもまだ過ぎた武器であろう? よく主神様がそれを使うことを許したな」

 いやまあ、確かに主神様が打ったものではないと言われればそれまでだが――と、椿が付け足す。

「私に過ぎた武器かは、この槍自身が見極めるそうだ」

「ほう?」

 愉快そうに、椿が目を細める。

「流石は神々の武器。使い手も自ら選ぶか。なるほど、それでは主神様とて出る幕がないな!」

「お前も試してみるか?」

「折角だがやめておこう。それはいつか手前が自ら作り出すものだからな」

 だが、善いものを見せてもらった――と、椿は子供のように無邪気に笑ってから。

「無論、詳しく見てみたいのは山々だが……しかし、今はまだ己の力だけでその高みを目指していたいのだ」

 まるでこの槍に誓うかのように、いつになく真剣な顔でそう告げてから。

「手前が持つものであれば、手に入れられるものであれば、あらゆるものを注ぎ込もう。だが、答えを盗み見ることまでは良しとせん」

 もっとも、手前の隻眼ではその答えすら読み取れぬかもしれんがな――と、最後に椿は快活に笑った。

 

 …――

 

 ちょうどその頃、とある館にて。

 

「まったく! 信じらんない。自分だけ食べてどっか行くなんて!」

 あの薄情者は、カルラさんの分を用意せず――あまつさえ、食べた皿をそのままにして――アイシャとどこかに出かけたらしい。

 ……まぁ、その皿のおかげでカルラさんがまだ朝食を食べていないことに気付いたのだけど。

「気にすることはない。寝過ごしたのは私だからな」

 もっとも、アイツと同じで食事は必ずしも必要なものではないのかもしれないけれど。

 ちょこんと椅子に座り、申し訳なさそうにしているカルラさんを横目に見ながら、内心で呟く。

「それも半分はアイツのせいでしょ?」

「それは、まぁ……」

 視線を逸らしながら、気恥ずかしそうに体を揺らしてから、

「それより、すまないな。仕事前だというのに、起こしてしまったようだ」

 咳払いをしてから、そんなことを言った。

「気にしないで。どうせあの馬鹿に気づかいを期待するだけ無駄だし」

 コポコポと音を立てるドリップケトルを持ち上げ、ドリッパーにお湯を注ぐ。

 挽きたての珈琲の香りが鼻腔をくすぐった。

 マスターに教わったものだけど、我ながら結構様になってきたと思う。

 その頃には、トースターも焼きあがった。あと、ベーコンエッグも。

 せっかくなので全て二人分用意してある。

「いただきまーす」

 サク、サクとトーストを齧る音が重なる。

 静かな午後の食堂を彩るのはマスターおススメの珈琲の香り。

 ちなみに、パンもマスターおススメのお店の人気商品だった。

 酒場を切り盛りしているだけあるのか、料理も得意だし、美味しいものにも詳しい。

「ねぇ、カルラさん」

 ささやかながらも満たされた午後のひと時。

 どこか気だるいくらいの心地よさに任せて、質問した。

「何だ?」

「オラリオに来る前の、アイツのことを教えてくれる?」

「明日の昼には、彼らを交えてするそうだが……」

 確かにそういう伝言がテーブルの上に置きっぱなしになっていたけど。

「そうじゃなくて、もうちょっとこう……戦ったりしていない時のこと。少しくらいはあるでしょう?」

「それは、まるでない訳でもないが……」

「どんな感じだったの?」

「変わり者だったよ。得体のしれない異形を迷わず牢から連れ出す程度にはな」

「それは前も聞いたけど……。うん、その辺は今と変わらないのねー…」

 行きずりの女の復讐に、ロクに事情も聞かないまま付き合ってくれるような奴だし。

「そういう貴公は、あの馬鹿弟子とどうやって出会ったんだ?」

「第五地区の路地裏で、ゴロツキどもに絡まれている時にふらっと近づいてきて……」

 もしかして、そいつら追っ払ったら、いくつか質問させてもらえたりするか?――なんて、そんなことを言ったのだ。

 で、藁にも縋る思いで頷いたら、あっという間に全員叩き伏せてくれた。

「Lv.2も混じってたんだけどねー…」

 まぁ、今思えばだからどうしたって話だけど。

 何しろLv.7とだって互角以上に斬りあえる奴だし。

「でも、アイツったらすっかり自分のことは忘れちゃってて……。それこそ自分の名前すら思い出せなかったのよ?」

 フィフスという偽名は、もう私くらいしか覚えていないだろうけど。

 そういえば、名前と言えば――…

「そうそう。ルカティエルっていう人は知っている?」

「何?」

「出会った時に、アイツが覚えていた自分じゃない誰かの名前。まぁ、自分の名前を思い出す頃には、アナタたちの名前も思い出していたけど」

 というか、自分の名前を思い出す前から私やそのルカティエルさん以外の名前を夢現に呼んでいた気がするけど。

「なるほど。……律義な奴め」

「あ、やっぱり知っているんだ?」

「ああ。あの馬鹿弟子に、名前を……自分を覚えておいて欲しいと、そう願い託した女騎士の名前だよ」

 それを今でも律義に守っているという訳さ――と、カルラさんは小さく笑ってから、珈琲に口をつける。

「女騎士、ねぇ……」

 そういえば。女騎士という響きは男を狂わせると、誰かが言っていたような……。

「その人も、『闇の子』なの? それとも、不死人?」

「不死人だと聞いているよ。人間性の限界が……自分を保っていられなくなっていた時の話らしい」

「そう……。本当に、変なところで真面目な奴よね」

 死を超えるごとに、『人間性』――自分というものが擦り減っていくのだと。

 アイツはそう言っていた。

 なら、多分。その人も同じだったんだと思う。

「それで、その人はどうなったの?」

「何とか立て直したとは聞いている。……そのために、あいつは随分と大冒険をしたようだがな」

「そういう奴よね、アイツは」

 珈琲に口をつけてから、訊ねる。

「じゃあ、近いうちに会えるのかしら?」

「かもしれないな。まぁ、貴公にとっては強敵という事さ」

「アナタにとっても、でしょう?」

「違いないな」

 まぁ、こんな話を笑いながらしている私達も――例えばシャクティやナァーザが言うように――変わり者なんだろうけど。

(やれやれ、我ながら本当に変な男に引っかかっちゃったわねー)

 それも悪くないかと思っている辺り、本当に。

 

 …――

 

「おめでとう、ヴェルフ。ランクアップよ。もちろん、『鍛冶』のアビリティも発現したわ」

「っしゃあ!」

 よく頑張ったわね――と、ヘファイストス様の言葉に、歓喜の声を堪えることができなかった。

 何しろ、これでようやく上級鍛冶師(ハイ・スミス)の仲間入り。

 つまり、やっと()()()()()()()()()()のだから。

「ところでヴェルフ」

 さっそく試しに剣を打ちたくなった俺に、ヘファイストス様が言った。

「明日、あなたも出席するのかしら?」

 何に――と、あえて問いかける必要はなかった。

 あの【正体不明(イレギュラー)】の『身の上話』を聞きに行くかどうかだ。

「もちろん、行きますよ」

 興奮に任せての無責任な答えではない。

 昨日一日しっかりと考えた末の結論だ。

「こうして無事にランクアップできたのはベル達のおかげだ。それに、あいつとは専属契約も結んでいる。もちろん、話を聞いた後、あいつがどうするかは分かりませんが……」

 あの少年は、おそらく止まらないだろうと思う。

 明日聞く話には、あの『深淵』の他に、モンスターフィリアで暴れたというデーモンとか言う怪物や、『メレンの悪夢』とやらで暴れた『闇霊』とかいう連中も絡んでくる。

 どれか一つでも、オラリオに――あるいは世界に――とって未曽有の危機で……それなら、あの少年は逃げ出したりはしないだろう。

「あいつがこれからどんな冒険をするのか。それが分からないんじゃ、満足のいく武器も鎧も打てやしない」

 生半可なものでは、役に立たない。

 それだけは今の俺にも分かっている。

 だから、ここで聞かないなんて選択肢は絶対にありえなかった。

 俺の言葉にそう、とヘファイストス様は小さく頷いてから、

「それなら、覚悟しておきなさい。彼の話は、ベル・クラネルだけではなくあなた自身の運命も変えることになるかもしれないわよ?」

「それでもです。それに――」

 俺の運命なんてもう決まっている。

「それに、何が起ころうが、俺がやることは貴方に認められる武器を打つ。それだけです」

 そう。ただそれだけのことだった。

 

 …――

 

 そして、今日も夜が来る。

 

「チッ、やっぱりまだズレたままだね」

 あれからずっと一日かけて『中層』でミノタウロスどもを追い回したのだがアイシャはそれでも満足いかなかったらしい。

「そういうもんなのか?」

 ランクアップ後のズレ、という感覚は俺には分からないが……それだけ急激な変化が起こるということなのだろう。

「もう少し早く出かければ良かったねぇ」

「あ~…。でも、お互いに朝は遅いしな」

 ベルなんかはそれこそ夜明けくらいには動き出しているわけだが。

 一方で俺達はと言えば、基本的に朝は遅い。

 アイシャは言うに及ばず、霞もどちらかと言えば夜型の仕事だ。それを言えば賭博剣闘も朝っぱらからやるようなことじゃない。

 だから、俺達が昼頃動き出して真夜中過ぎに寝る――という生活になるのはむしろ必然だろう。

 まぁ、俺自身は別に睡眠など必要もない。

 だから、ベルの生活についていくために特別苦労することはないが。

「ま、明日話が終わったらまた付き合うさ」

 結構な確率で俺も暴れたい気分になっているような気がする。

「そんな時間がありゃいいけどね」

 そんなやり取りを交わしながら、そろそろ住み慣れた館に向かう。

 彼らの一日は、概ねこのようにして終わりを迎えるのだった。

 

 …――

 

「イシュタルがおらんとはどういうことじゃあああああああっ?!」

 ちょうどそんな時、メレンの街のどこかでそんな叫び声が聞こえたそうだが……。

 少なくとも、今の彼らには何の関係のない話だった。

 

 

 

 朝と昼の境目くらい。

 そんな日差しを浴びながら歩くオラリオの街は、何だか妙に新鮮だった。

 ……まぁ、この時間だったらいつもは大体ダンジョンにいるせいかもしれない。

「いやー…。シャクティ君がバイトのおばちゃんにも話を通してくれて助かったよ。おかげで安心して休める」

 隣を歩く神様が青空に向かって大きく伸びをしてから言った。

「ま、まぁ、この前の事情説明ですし」

 そう。表向きは例のアルミラージ深淵種についての事情説明だった。

 実際にはそれはもう終わっている。

 というか、ダンジョンにいる間にクオンさんにもシャクティさんにも話している。

 ただ、それを名目に僕達は【ガネーシャ・ファミリア】に『協力要請』を受けているのだ。

 ……もちろん、本当の目的はクオンさんの話を聞くことなんだけど。

「ここで、いいのかな?」

「はい。地図を見る限り、この『詰め所』かと」

 神様の言葉に、アンジェさんが静かに頷く。

 今日は鎧姿ではなく、私服姿だった。……まぁ、僕もそうなんだけど。

「それにしても、こんな支部を持ってる辺り、本当に『オラリオの憲兵』なんだなぁ……。ガネーシャの眷族(こども)達って」

 そんな僕らが見上げているのは【ガネーシャ・ファミリア】の支部だった。

 今さら言うまでもないことだけど、オラリオは大きな都市だ。

 何かあった時、いちいち本拠(ホーム)から出発していたのではいくら冒険者でも時間がかかる。

 それに、何かあったと伝えに行く側もギルドや本拠(ホーム)まで行くのは大変だ。

 だから、こういう支部――『詰め所』が都市の何ヶ所かにあるらしい。

「……まぁ、ヘファイストスのトコだってお店と鍛冶場(ホーム)は別だし。それと同じようなものかな」

 しばらくその支部を見上げてから、納得したように神様が呟いた。

 なるほど。【ヘファイストス・ファミリア】でいう支店だと思えば、少しは緊張しなくて済むような――…

「うぅ……。ついにリリもここのお世話になるのですね」

 さめざめと――結構本気で――泣き始めるリリを隣に感じながら、何とか自分に言い聞かせる。

「いや、大丈夫だから!? 落ち着くんだサ……ええと、ミニエルフ君!」

 急に泣き出したリリに、神様までが叫んだ。

 ちなみに、だけど。

 リリの設定は僕らが道中で保護した迷子――ちなみにエルフの女の子――だったりする。

 なので、リリが心配するようなことは何もない。……と、思う。

「じゃ、じゃあ入りましょうか。神様、それに、リ……ええと、アンジェさん達も」

 とはいえ、僕自身も妙に威圧感というか緊張感を感じてしまっている。

 うっかりリリの名前を呼びそうになるくらいに。

 そんな調子で、主にリリと二人でおっかなびっくり入ると……中は意外と人であふれていた。

「何だか、ギルドみたいですね」

 ギルドのようにカウンター越しに【ガネーシャ・ファミリア】の団員と、他の人たちがやり取りを交わしている。

 何となく耳を澄ますと、落とし物の相談とか道に迷ったとか、そういう話が多かった。

 何となく慣れた雰囲気に、感じていた威圧感が消えていく。

 少し余裕ができて、周りを見回すと――…

「ええ、シャクティ・ヴァルマは今こちらの詰め所におります。少々お待ちください」

 カウンター越しに団員とやり取りを交わす、赤い髪の見慣れた姿を見つけた。

「ヴェルフ!」

「ヘファイストス!」

 神様と叫び声が重なった。

「よ、ベル。それにヘスティア様達も。何か久しぶりだな」

「あなたたちも今来たところなの、ヘスティア」

 数日振り――と、言っても実際に会わなかったのは昨日だけなんだけど。

 一八階層から戻るまでの一週間はずっと一緒だったからか、何だか凄く久しぶりにあった気がする。

「神ヘファイストス、お待たせしました……ああ、神ヘスティアもご一緒でしたか。それに、ベル・クラネル達も」

 再会を喜んでいると、シャクティさんが降りてきた。

「は、はい! お世話になります!」

「そう緊張するな。別に取って食ったりはしない」

 シャクティさんは苦笑してから、僕達を先導して歩き出す。

「結構広いんですね……」

 外からだとよく分からなかったけど、中に入るとかなり広い。

 それこそそこらの宿よりも広いだろう。

「ああ。ここは拘置所や取調室もあるからな。……それにここは【ガネーシャ・ファミリア】設立当初の本拠(ホーム)だった」

「設立当初でこんなに大きな本拠(ホーム)だったのかい?!」

 シャクティさんの言葉に、神様が驚愕する。

 ……うん、まぁ、確かに。僕らの廃教会(ホーム)なんて比べ物にならないわけだけど。

「なぁに? 何か不満なわけ?」

「い、いや。そんなことはないよ、ヘファイストス!?」

 その教会を斡旋してくれたヘファイストス様が大げさに神様に問いかける。

 一見する喧嘩でもしているようなやり取りだけど、漂う空気はどこか温かい。

 本当に仲が良いんだなぁ、なんて。何だかちょっと羨ましさすら感じてしまうくらいには。

 ……まぁ、でも。神様が慌てているのも本当だと思うけど。

 ちなみに、今の広さになったのは拡張を繰り返したかららしい。

 所々変わった間取りになっているのはそのせいだとか。

 ……まぁ、それがどこの事かは僕にはよく分からないんだけど。

「来たか、ベル。お前達の方が遅いとは思わなかったな」

 案内された部屋ではすでにクオンさんが待っていた。

 他にクオンさんの近くにはアイシャさんと霞さん。

 テーブルから一番遠い場所にはカルラさんも静かに座っていた。

「す、すみません」

 リリやヴェルフと合流し、少しだけ緩んでいた緊張感が蘇ってくる。

 そんな僕を他所に、クオンさんはヘファイストス様に声をかけていた。

「いや、気にするな。約束の時間よりはまだ少し早い。……それより、まさかお前が来るとはな。こういうのには興味がないと思っていた」

「おあいにく様。私も神の一柱よ。未知に興味を示さないわけがないでしょう。それに、あんなものを見せられちゃね」

 ヘファイストス様の視線は、シャクティさんが持っている槍――確か、あの黒いゴライアス戦で使っていたもの――に向けられている。

「……まぁ、ミアハまで来るしな。今さらと言えば今さらか」

「当然でしょ。ずっとお世話になってるもの。いい加減話しなさいって」

 どうやら、ミアハ様は霞さんが誘ったらしい。

 でも、今のところミアハ様の姿は見えないんだけど……。

 部屋の中を見回して、首を傾げる。

 部屋は広いけど、物は少ない。

 中央にはテーブル。その三方を囲うようにソファが置かれている。

 多分、元々この部屋にあったのはそれだけだろう。

 霞さん達が座っている椅子は、どこか別の部屋から持ち込まれたものだと思う。

 少なくとも、長身のミアハ様の姿を隠すようなものはない。

 ともあれ、僕たちも空いているソファに腰を下ろす。

 クオンさんの真正面に位置するソファに、僕を真ん中に神様とリリが座った。

 僕から見て右側にヴェルフとヘファイストス様が座る。

 アンジェさんは、神様のすぐ横に立っている。シャクティさんはソファを挟んでアンジェさんの反対側に立っている。

「すまん。遅くなった」

 と、ちょうどそこで扉が開き、ミアハ様が入ってきた。

 正確にはもう一人。その後ろに小柄な人影がある。

 続いて入ってきたのは、銀色の髪に透けるような白い肌。華奢な体の綺麗な女の人で――…

「「あー!!」」

 神様と霞さんの声が重なった。

 それぞれ立ち上がり、ビシッと指を突き付けて叫ぶ。

「アナタはこの前の借金取り!」

「君はこの前の借金取り君じゃないか!?」

「ご、誤解です! いえ、確かに誤解とも言い切れないのですが……!」

 その人はその人で、ふたりの叫び声に大分衝撃(ショック)を受けたようだった。

 すぐに否定して――でも、否定しきれないことに気付いたのか、さらに落ち込んでいく。

「いえ、違いますよ、お二人とも!?」

「そ、そうですよ! ええと、確かこの人は……」

 確かに二人が言う通りミアハ様のお店に来た借金取りなんだけど……その後も会っている。

 あのミノタウロスとの戦いの後、お世話になった筈だ。

 その時は意識が朦朧としていたのであんまりはっきりと覚えてないんだけど、確か――…

「これこれ、ヘスティア。それに、霞も。アミッドを責めるな。あれは滞納した私にも非があるのだから」

 そう。アミッド・テアサナーレさんだ。

 所属は【ディアンケヒト・ファミリア】で、オラリオ最高の治療師(ヒーラー)だって、確かエイナさんとリリが言っていたような……。

「お久しぶりです、クオンさん。私を覚えていらっしゃいますか?」

「ああ。確か『カドモスの泉水』をまとめて売りさばいたところの店員だろ」

 え?――と、思わず呟きそうになった。

 いや、だって。あの『泉水』をまとめて買い取れるって……

(大手の派閥ってやっぱり凄いんだなぁ)

 ひょっとしてヴェルフ達【ヘファイストス・ファミリア】も似たようなことができるのだろうか。

 恐れ戦きながら、ついついそんなことを考えてしまった。

「ええ。……お役に立てなかったようで無念です」

「いや、向こうが交渉を蹴っただけだ。お前が気にすることはないだろ」

 ひょっとして、【イシュタル・ファミリア】との抗争の時の話だろうか。

 身請けっていうのが何なのかはよく分からなかったけど……お金がかかるんだってことだけは何となくわかったし。

「では、改めて紹介しよう」

 咳払いをしてから、ミアハ様が言った。

「彼女はアミッド・テアサナーレという。ディアンのところの……【ディアンケヒト・ファミリア】に所属する治療師(ヒーラー)だ」

「二つ名は【戦場の聖女(デア・セイント)】。今のオラリオで最高の治療師(ヒーラー)となる。今回の『深淵』禍においても対応を依頼してあった」

 そういって補足したのはシャクティさんだった。

「なるほど、な。そいつはご愁傷様」

 やれやれ、とクオンさんが肩をすくめた。

「何でその子を連れてきたかよく分かった」

「話が早くて助かる」

 ミアハ様の言葉に、もう一度クオンさんは肩をすくめてから、

「まぁ、いいか。もったいぶるものでもなし、全員揃ったならさっさと始めよう」

 ミアハ様とアミッドさんが残りのソファに座ると同時、いつも通りの口調で、あっさりと言った。

 ドクン――と、心臓が爆ぜる。

「それで、何が訊きたいんだ?」

 その問いかけに、とっさに答えを返せなかった。

 聞きたいことは色々あった筈なんだけど……。

「よし、じゃあ訊くぞ。君は一体何なんだ? 何を知っている?」

「―――」

 神様の問いかけに、クオンさんは真剣な顔をして、

「前略中略後略。以上、解散」

「こらああああああっ! 全部略されてるじゃないかあああああああっ!?」

「ならふわっとした訊き方してくるな! 的を絞れ! 的を!!」

 立ちあがって叫ぶ神様に、クオンさんも怒鳴り返す。

「それが面倒だから一番手っ取り早い質問を投げたのにぃ……!」

「この期に及んで手抜きしようとするな、この駄女神が」

「だ……?! そこまで言うことないだろぉ?!」

 うん。何かいつも調子だった。

 なんかこう、不思議と故郷の村に帰ったような安心感に包まれ、思わず肩から力が抜けていく。

「なぁ、リリスケ。もしかして、いつもこんな調子なのか?」

「非っ常に残念ですが、いっつもこんな調子です。ホントに仲いいですよね」 

 困惑した様子のヴェルフに、リリがきっぱりと返す。

 ……まぁ、うん。実際にそうなんだけど。

「イシュタル様は、一体何をどうしてあんなことになっちまったんだ? いや、直接の面識なんてないが……」

「まぁ、多分だけど。彼女たちに何かしようとしたんじゃないかしら」

 腕を組み苦悩するヴェルフに、ヘファイストス様がアイシャさん達を――いや、アイシャさんを見て囁く。

 流石、神様。鋭い……と、言っても僕もそこまで詳しい話は知らないんだけど。

「では、教えてください。『深淵』とは何なのですか? 何故あのような変化をもたらすのです? そして……どうして解呪出来ないのですか?」

 焦れたように……いや、むしろ焦がれるようにアミッドさんが問いかけた。

 その問いかけと共に、すっかり緩んだ空気がもう一度引き締まる。

「それに付け加えさせてくれ。不死人っていうのは、いったい何なんだい?」

 表情を改めて、神様も訊ねる。

 でも、それに付け加えて……?

「お前、本当に時々鋭いよな」

「時々は余計だよ」

 小さく笑うクオンさんに、少しだけ神様がむっとした顔をする。

 でも、神様の言う通り『深淵』というのと不死人というのは繋がりがあるみたいだった。

「不死人というのは、例の『アンデッド』……いや、亡者と同じものということで良いか?」

 いつになく険しい声で、ミアハ様が問いかける。

「お前も知っているのか?」

「ああ。……と、言っても私も知ったのはつい先日だが」

「お前達がダンジョンから回収してきた者と、リヴィラで収容した者たちを彼女に見てもらった」

 シャクティさんがアミッドさんを見ながら付け足した。

「そいつは本当に災難だったな」

 クオンさんはため息をついてから、改めて問いかけてくる。

「他に何かあるか?」

「あの、クオンさんが『火継ぎの王』だっていうのは本当なんですか?」

 アミッドさんに比べると本当に個人的で、暢気な質問だとは思うんだけど……。

「やっぱり、お前は知っていたか」

 クオンさんが困ったような、苦笑するような曖昧は表情で呟く。

「それで、後はアレか。シャクティの持っている槍についてか?」

「ま、そうなるわね」

 クオンさんの問いかけに、ヘファイストス様が肩をすくめる。

 やっぱり、あの槍はただの槍じゃなさそうだ。

「これで質問は概ね出揃ったか?」

「おそらくな」

 クオンさんの問いかけに、シャクティさんが頷く。

「ま、足りなければまたその都度訊いてくれ」

「そうさせてもらうよ」

 今度は神様が頷いた。

「さて。それじゃ、まずベルの質問から答えていくか。それが一番話を繋げやすい」

 不満は出なかった。

 代わりに、部屋の空気が硬くなり……それこそ、心臓の音が響いてしまいそうな静寂に包まれる。

「確かにあのお伽噺の原型はロードランでの『火継ぎの儀』だろう。順番はでたらめだがな」

「では、本当にお前が不死人最初の【薪の王】なのか?」

 問いかけたのは、アンジェさんだった。

 クオンさんが頷くと、さらに彼女は質問を重ねる。

「ならば【深淵の主】とは小ロンドの公王のことだな。大王グウィンから『王のソウル』を下賜されたという」

「概ね間違ってはいないが、【深淵の主】と呼べる存在なら別にいる。ウーラシールは知っているか?」

「古い黄金の魔術の国のことだな?」

「そうだ。ウーラシールは『深淵』に飲まれて滅びた。その『深淵』のそこにいたのが【深淵の主】マヌスだ。……もっとも、俺が『深淵』を歩けるようになった理由なら、確かに公王どもを殺したからだがな」

「だが、それでは時間の流れがおかしい。お前が【薪の王】なら、『王のソウル』の収集は魔女の国イザリスが滅んだ後であるはずだ。いや、それには諸説あるだろうが……いずれにせよ、最初の『火継ぎの儀』が行われる頃にはもうウーラシールは存在していない」

「それはこの前シャクティ達にも聞かれたんだが……まぁ、マヌスに過去のウーラシールに引きずり込まれたんだよ。簡単に言えば」

「え……?」

 僕たちの声が重なった。

「それってまさか――」

「過去に戻ったってことですか? って聞きたいなら、その通り。詳しくは後でシャクティに訊くように」

「だから、なんでも私に押し付けるな」

 やれやれと、シャクティさんが小さく首を振る。

「っていうか! そんなに軽く流していいことじゃないだろぉ?!」

「やかましい。その説明はもう二度目なんだよ」

 ……いえ、でも。僕らは初めてですし、今もこうして驚きを持て余しているんですけど。

 そんな僕らの視線も、神様の抗議も完全に受け流して、クオンさんは話を進める。

「まぁ、それはいい。だが、それならお前はどうしてここにいる?」

「その辺は長くなるから後回しだ。というか、ひょっとしてお前ならこの辺りまでは説明できたんじゃないか?」

「私の育った聖堂はこういう古臭い伝承ばかりはよく残っていたからな」

「はい、アンジェさんからも話を聞かせてもらいましたけど……」

 アンジェさんが頷くのに合わせて、僕も頷いた。

「ちなみに、どんな風に聞いている?」

 その言葉に、アンジェさんの言葉を思い出しながら、繰り返す。

「ええと、古い時代、世界はまだ分かたれず霧に覆われ、灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりだった。しかし、ある時、『最初の火』が熾る。これによって、世界には差異がもたらされた――」

 その後をリリが引き継いでくれた。

「最初の死者ニト、イザリスの魔女と混沌の娘たち、太陽の光の王グウィンと彼の騎士達。彼らは『王のソウル』を得て古竜に戦いを挑む、でしたっけ?」

 そして、最後にヴェルフが結ぶ。

「グウィンの雷、魔女の炎、ニトの死の瘴気……そして、うろこのない白竜シースの裏切りの前に、ついに世界の覇者だった古竜たちは敗れた。これが『火の時代』ってやつの始まり、とか何とか。確か話だったな」

 ええと、それでこの先は――と、僕が続けようとするとクオンさんがそれを制した。

「ひとまず、そこまででいい。重要なことは概ね回収されているからな」

「じゃあ、この『王のソウル』ってのは何なのさ?」

 神様の問いかけに、クオンさんは肩を落とした。

「それすら忘れているのか? ……それこそがお前達を超越存在(かみ)にした代物だ」

「――――」

 神様たちが息をのむのが分かった。

 多分、だけど。それは僕が思っている以上にとんでもない話なのだろう。

「クオン。お前、まさか……」

「今回は先送りなしだぞ。というか、そこに触れないとこれ以上先に進められない」

「……そうか」

 溶けた鉛でも飲み込むような声で、シャクティさんが唸る。

 何とも言えない重苦しい気配に、いよいよ心臓の拍動が強くなる。何だか呼吸までが苦しい。

「何の話だい?」

「俺達人間がどこから来たかについてだ」

「……何だって?」

 ヴェルフが首を傾げた。

 もちろん、ヴェルフだけじゃない。僕自身はもちろん、リリやアミッドさんまで首を傾げている。

「どこからって、そりゃヘファイストス様達が……」

「いや、違う。……まぁ、お前達に関してはある意味間違ってはいないかもしれないが」

 その言葉をクオンさんははっきりと否定して見せる。

 息をのむのは、今度は僕達(にんげん)の番だった。

「この時、グウィンたちの他にもう一人、『最初の火』からソウルを見出した者がいる」

 覚悟を決めたように、シャクティさんが小さく吐息をこぼした。

 少しだけ羨ましい。

 僕たちはまだ心の準備ができていない。

 どんな準備をしておけばいいのかも分からない。

「名もなき小人。それもまた、火の陰からソウルを見出した。そして、()()()()()()()()()()()()()()()

「何だって……?」

 その一言で。

 何故シャクティさんが躊躇ったのかを。

 そして、どんな準備をしていたところで意味がなかったことを思い知らされた。

「僕たちが、神様たちと同じ時に生まれたって言うんですか? 僕たちは神様たちの子供じゃなくて……」

 それは、この『神時代』の最も根本的な常識を致命的なまでに否定するものだった。

「考え方次第だな。少なくとも今のお前達を生み出したのは、確かに神々といえるかもしれない」

「どういう意味なのだ?」

 動揺する僕らを庇うように、ミアハ様が問いかけた。

「その小人達は、のちに神々によって『火の封』を施されて人となった。まぁ、それについてはこの前シャクティには説明したんだが……」

「……まぁな」

 シャクティさんが小さく頷くと、クオンさんは肩をすくめる。

「その説明だと、少し不足がある。おそらくだが、『火の封』の前にもう一つ枷が施されているはずだ」

「……まさか、お前はあの狂人どもの話を真に受けているのか?」

 そう言ったのは――当然と言うべきか――アンジェさんだった。

 僕らはアンジェさんがいう狂人が誰のことかすらよく分からないけど。

「まぁ、聞けって。一応根拠はあるんだ」

「何だと?」

「その鍵はマヌスだ。彼だか彼女だかは、かつてウーラシールに生きた『()()』らしい」

 その言葉は、アンジェさんでも分からなかったらしい。

「これが、マヌスの残した杖なんだがな」

 クオンさんがいつものスキルで、巨大な――それこそ槌のようにも見える――杖を取り出す。

「これは俺達だとその力を使いこなせないんだ。その理由は、俺達が『今人』だかららしい」

 そして、もう一つ――と、怪訝そうな顔をするアンジェさんに告げた。

「これは輪の騎士達……遠い昔、グウィンによって『輪の都』に追放された者たちの鎧だ」

 次に取り出されたのは、黒い鎧だった。

 どこか禍々しく……何より目を引くのは胴体に空いている『火の輪』のようなものだろう。

 それを見て、神様が小さく悲鳴をかみ殺す。

 ミアハ様も……鎧を見慣れているはずのヘファイストス様ですら、どこか怯えたような顔をしていた。

「それは、『ダークリング』か……?」

「ああ。そしてこれこそがマヌスと同じ『古い人』が生み出した、『深淵』によって鍛えられた鎧だ」

「何だと?」

 ヴェルフが驚愕と困惑が入り混じった声を上げる。

 あの『深淵』を――もっとも、僕たちが見たのはそれに飲まれたモンスターだけだけど――使って鎧を鍛える。

 そんなことを言われても、意味が分からない。

「だからこそ、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「『古い人』に『火の封』が施さたれた結果、『今人』……つまり、私達になったと言いたいわけか?」

「そうだ。そして、小人を古人に変えた『枷』ってのは、案外本当にあの椎骨かもしれないな」

 アンジェさんが小さく唸る。

 唸ったけど、それ以上は何も言わなかった。

 多分、それなりに納得できる話だったんだろう。

「で、だ。今度は俺とベルの話になる」

「え? 僕ですか?」

「いや、別にシャクティでもいいんだが……。まぁ、今の『時代』に一般的にヒューマン(ひと)と呼ばれている奴らだと分かりやすいってだけだ」

「分かりやすい?」

 今の時点でよく分からないんですが……。

 首を傾げる僕たちに、そんなに難しく考えるな――と、クオンさんは苦笑してから、

「今この部屋には、他にエルフとアマゾネスと小人族(パルゥム)がいるわけだが。俺はどこに分類されると思う?」

「え? それはもちろんヒューマンですよね?」

「リリもそう思います。少なくとも見た目的には」

「ええ。私もそう思います。少なくとも、身体的な特徴は明らかにヒューマンのものです」

 質問の意図を掴み切れず、思わず周りを見回すとリリとアミッドさんがそういって頷いてくれた。

「そうだな。基本的に俺もそう考えている。ただし、()()()()()

「主様たちは『今人』ではないと?」

 問いかけたのは、アンジェさんだった。

 やっぱり、今一番話を理解できているのはアンジェさんなのだろう。

「そうだ。今この場で明らかに『今人』と言えるのは俺とお前だけ。ベル達は……そうだな、『新人』とでも呼ぶか」

「どういうことですか?」

「お前達は俺達よりも『枷』が増えている。ほぼ間違いなくな」

「え?」

 そんなことを言われてもピンとこないんですが……。

 思わずお互いに顔を見合わせ、その『枷』を探してしまう。

 もちろん、見つかるわけもないんだけど。

「ヘスティア。今日も美人だな」

「……急に何言ってるんだい?」

 半眼になった神様が、凄く胡散臭そうに応じた。

「さぁ、今のはお世辞か。それとも本心か。どっちだと思う?」

「どーせお世辞だろ?」

()()()()()()()()?」

「……え?」

 きょとんとした顔で、神様が首を傾げてから――

「そうか! そういう事なのか……!?」

「い、いったいどうしたんですか、ヘスティア様?!」

 愕然として立ち尽くす神様。

 ただならぬ様子を前に、リリがその肩を揺さぶった。

「君がお世辞を……君やアンジェ君が()()()()()()()()()()()()()()()()。それが『枷』があるかどうかの違いってことなのかい?」

「ああ、『枷』の表出の一つだと考えている。少なくとも、俺達にはない『枷』だ。……ハッタリ一つ通じないんじゃ、俺程度がオーンスタイン達に勝てるわけないからな」

 あるいは、と絶句する僕たちを他所にクオンさんは小さく付け足した。

「そして、その『枷』こそが、いわゆる亜人を生み出したり、あるいは小人への先祖返りを引き起こしたのかもしれないな」

 だからこそ。そういう意味では、確かにお前達は『新人(ベルたち)』の親だともいえる――と。

 その言葉がいったい何の慰めになっただろうか。

 眩暈がする。今にも地面が崩れそうだった。

 分からない。この感情を何と言い表せばいいのか分からない。

 でも、それじゃあ。だって、何で、どうして。僕たちは、神様たちの――…

「……『深淵』で鎧を鍛えたってのはどういう意味なんだ?」

 ぐらつく世界の中で、ヴェルフの声が聞こえた。

「何でそんなことができる?」

 一本芯が通ったその声に支えられ、ひとまず意識が今に戻ってきた。戻ってきてくれた。

 まだ渦巻く無名の感情から逃げ出すようにして、クオンさんの答えを待つ。

 ただ、そのクオンさんはヴェルフの質問に満足そうに笑ってから、

「その前に、不死人とは何かという質問に答えるとしようか」

 そんなことを言った。

 ヴェルフが不満そうに唸る中、気を取り直したらしいアミッドさんがクオンさんを見つめる。

 一言たりとも聞き漏らさない。そんな気迫が声になって聞こえるようだった。

「不死人とは、『不死の呪い』に囚われ、死んでも死にきれなくなった人間だ。簡単に言えばな」

 それは、確かにアンジェさんも言っていたけど……。

「そのようなことが、本当にあり得るのですか?」

「ああ」

 アミッドさんの問いかけに頷くと、クオンさんは上着を質素なシャツへと切り替えた。

 そのままシャツの裾を大きくたくし上げると、胸元――心臓の上あたりに、あの鎧にあった『火の輪』に似た痣が浮かんでいるのが見えた。

「これが『ダークリング』だ。浮かぶ場所は人によって異なるがな」

 それに気づいたのか、その痣を指先で軽く叩きながらクオンさんが苦笑する。

 そして、そのまま一振りのダガーを取り出して――…

「なッ?!」

 ドン――と。何の気負いもなく、自分の心臓に向けて突き立てた。

「何を……!?」

「慌てるんじゃないよ【戦場の聖女(デア・セイント)】」

 絶句する暇も惜しいとばかりに立ち上がり、詠唱を始めようとするアミッドさんを止めたのはアイシャさんだった。

 ちょっとした出窓になっている窓辺に座り、すらりとした脚を組んで頬杖をついたまま、小さく笑って見せる。

「そいつは、それくらいじゃ死なないさ。私もそいつの心臓をぶった斬ったことがあるからね」

「……あの時は割と本気で死ぬかと思ったけどな」

 何事もなかったかのようにダガーを引き抜きながら、クオンさんが呻く。

 抜いた瞬間に血が噴き出たけど……それもすぐに収まった。

 それだけだった。あとは、何事もなかったように平然としている。

「ま、こんなところだ」

「……どういうことなのです?」

「『致命傷』って概念がお前達生者とズレているんだよ」

 アミッドさんの問いかけに、クオンさんが応じる。

「ソウル……まぁ、分かりやすく『生命力』とでも言っておくか。それが体内に留まっている限り、死ぬことはない。心臓を貫かれようが、眉間を射抜かれようが、な」

「そんなことが……」

 いっそ怒りすら宿した声でアミッドさんが言いかけ――しかし、途中で力を失って首を横に振った。

 そんなことが、今実際に目の前で起こっているのだ。

「そして、死んでもそのうち蘇る。だから、不死人と呼ばれるんだ。もっとも、そう呼ばれるのは『人間性』が残っている間の話……いや、そんな境界をいちいち気にするのは俺たち自身だけかもしれないな」

「……『人間性』とは?」

「いくつかの意味がある。一つは、記憶だとか人格だとか五感だとか……そうだな、大雑把に『自分』というものと言ってもいいかもしれない。亡者の体は見たことがあるんだろう?」

「ええ。……確かにあの姿はお伽噺の『亡者』を連想させます。干からびた死体のようで、人相どころか男女の判別すら苦労しました」

「どうしてだい?」

「性器の痕跡しか残っていませんでしたから。ですので、骨盤の形状から判断するしかありませんでした」

「せい……?!」

 ごく自然に真顔でそういったアミッドさんに、神様の方が狼狽える。

「ええ。貴方の言う通り、あれではもう『個人』というものを判別できない。まして記憶も人格もないのではなおさら……」

「ま、そういうわけだ。『人間性』を失い、肉体の亡者化が進むとそうなる。ただ、理性が残ってる限りは生身に戻ることもできる」

「そうだね。少なくとも今のそいつは違うってことは私たちが保証してやるよ」

 アイシャさんが妖艶に笑うと、流石のアミッドさんも少し頬を染めた。

 神様やリリ、霞さんも顔を赤くしているし、カルラさんは小さく肩をすくめている。

 そして、クオンさんは気まずそうに視線をそらしていた。

「では、もう一つの意味とは?」

 咳払いをしてから、何事もなかったようにアミッドさんが言った。

「さっきも言った通り、亡者化は『人間性』を失うことで進行していく」

「つまり、先ほどおっしゃった記憶などの他に、『人間性』と呼ばれる何かがあると?」

「ああ。まぁ、これのことだ」

 クオンさんの掌に、黒く揺らめく何かが浮かび上がった。

「これが『人間性』。こいつを使えば亡者化した体を元に戻せる」

 篝火に焚べるのが一番効率がいいが……なんてことを小さく呟いたけど、やっぱり意味がよく分からなかった。

 多分。その篝火っていうのも、普通の意味ではないだろうし。

「ああ、ミアハの質問に答えていなかったな。実際のところ、不死人と亡者の間に明確な違いはない。というよりは、不死人が死を繰り返すことで近づいていく存在。簡単に言えば、亡者とは不死人の一部だな」

 個人的には、あまり同一だとは思いたくないが――と、呟いてからクオンさんは神様に問いかけた。

「では、この『人間性』とはそもそも何か。ヘスティア、分かるか?」

「ええ?! そんなことボクに訊かれても……」

「おいおい、しっかりしろよ全知全能」

「う~…。そんなこと言われたってぇ……」

 何とか答えようと唸りはじめた神様に苦笑してから、

「『深淵』とは何か。何故『深淵』を用いて武具の鍛錬ができるか。そして、何故不死人が生まれるか。それは全てここに繋がってくる」

 クオンさんは、いよいよ核心部分に触れるつもりのようだった。

「まずは結論から行こう。この『人間性』とは、小人が『最初の火』から見つけたもう一つのソウル。『ダークリング』の欠片だ」

「……何だって?」

「分かりにくかったか。なら、言い直そう。お前達を神とした『王のソウル』と起源を同じくする特別なソウル。それが俺達の中に在る証拠だ」

 何度目かの沈黙が――絶句が部屋を満たす。

 その中で溺れているようだった。

 呼吸ができず、浮き上がることもできない。

「そんなものが、僕たちの中にも……?」

「ああ、ある。今さら切り分けられるものではないからな」

 あっさりとクオンさんが言いきった。

「い、いえ、でも……」

「詳しい話をする前に。ミアハ、悪いが一つ答えてくれ」

 何か――自分でもよく分からないけれど――言い募ろうとした僕を無視して、クオンさんはミアハ様に問いかけた。

「何だ?」

「『深淵』に堕ちた者たちの異形化。あれをお前はどう見た?」

「そうだな……。お前達の『本質』を歪める呪詛(カーズ)ではないかと、私は考えている」

「はい。私も、そして私の主神であるディアンケヒト様もそう考えています」

「そうか。やはりお前……いや、お前達でもそう考えるか」

 クオンさんは、ミアハ様を見たまま小さく嘆息した。

「どういう意味だ?」

「概ねその考えでいい。だが、前提が違う」

「前提?」

「本質が変化したんじゃない。俺達の本質が変化する事なんだ。闇の中にあって、俺達は不定形なんだよ。永久不変というお前達とは逆だな」

「何……?」

「ヘスティアが言う通り、深淵の異形も亡者化も根は同じ。もちろん不死人の誕生も。全ては人が変化する形質の一つでしかない」

 もっとも、これはあくまで俺の推論だが――と、前置きを一つしてからクオンさんが続ける。

「始まりの小人はその性質が顕著だったんだろう。だから、神々は『枷』を施し、人という定型へと変化させる必要があった」

「だが、その性質は消えなかった?」

「ああ。その通りだ。それが『ダークソウル』の力……まぁ、少なくともその一部だと考えておけ」

「いや、そんなことを言われても……。しかも、それがまだベル君たちの中にあるだって?」

 困惑したように神様が唸る。

「じゃあ、ヘスティア。一つ訊くが、お前達は下界に何を求めてきた? 一番簡単に答えてくれ」

「え? そりゃ、娯楽とか下界の『未知』とかだけど……」

「その『未知』ってのはどこにある? ダンジョンか?」

「いや、ダンジョンもそうだけどさ。どっちかっていうと子供(ベル君)達が――…」

 神様が瞳が零れ落ちそうな程に大きく目を見開いて絶句した。

「そう。お前達が言うところの人間の可能性……つまり『未知』と呼んで喜ぶそれを、かつてグウィン達は『闇』と呼んで恐れたのさ」

 クオンさんが、まるで笑みを浮かべるかのように口元を歪めた。

「いずれにせよ、全知全能(おまえたち)にすら見通せない代物であることに変わりはないだろう?」

 成長し続ける……変化し続けるのが僕達だ。

 神様たちの『恩恵』はあくまでもその推進剤でしかない。

 そして、僕たちが見せる『未知』こそが、神様たちが下界に求めているもの。

 だから、クオンさんが言っていることは、何も間違ってはいない。

 それどころか、今さら言われるまでもないことでしかないのだ。

 ただ少しだけ言葉を変えただけで……そう。まさに『本質』は変わっていない。

「『深淵』とは俺達の中の『人間性』を暴走させる。致命的に、不可逆的にな」

 不可逆的――つまり、『解呪』は不可能だとクオンさんは告げた。

「では、亡者は……不死人は何故生まれるのです?」

 務めて冷静に、アミッドさんが訊ねる。

「不死人はもう生まれない。少なくとも、今の時点では生まれるはずがない」

「何故ですか?」

「不死人は、『最初の火』が陰ることで生じる。理由は分からない。推測はいくつか立てられるが……まぁ、それは後回しにしておこうか」

 それは、アンジェさんから聞いている話だった。

 もっとも、クオンさんのいう推測についてはそのアンジェさんも首を傾げているけど。

「先ほどから口にされる『火継ぎの儀』というものを行ったからでしょうか?」

「いいや、それは違う。ここはあえて否定させてもらう」

 アミッドさんの問いかけに、クオンさんがはっきりと首を横に振った。

「確かに『火継ぎ』を行えば、不死人は生まれなくなる。火の力が戻るということは、神の力も戻る。つまり、『火の封』の力も戻るからな。だが、それはまた火が陰るまでの間の話だ」

「……では、その『火継ぎの儀』とはどういうものなのですか?」

「『火継ぎの儀』ってのは、陰った『最初の火』に薪を焚べるための儀式だ。だから、アンジェはさっき俺に何でここにいるか聞いたんだよ」

「……その薪というのが、あなた自身のことだと?」

「俺だけじゃないがな。【薪の王】ってのはその名の通りなんだよ」

「それではただの生贄ではないですか! 何故そのようなことを――…!?」

「誰が仕組んだかというなら、それこそ決まってる。火が消えて最も困るのは誰だ?」

「それは……」

 神様たちだ。今までのクオンさんの話からすれば、他に考えられない。

「もっとも、ロードランの時代ではまだ『火継ぎ』という言葉は広く知られていなかった。当時の不死の使命ってのは『目覚ましの鐘』を二つ鳴らすことだけだったんだ」

「鐘を鳴らす?」

「それが合図になって、アノールロンド……神の都への道が開けるってわけさ。ただ、二つの鐘を鳴らせた者ですらロクにいなかったそうだがな」

 ついでに言えば、まだもう一つ厄介な関門が待っていたが――と、凄く嫌そうな顔でクオンさんが呟いた。

「ともあれ、鐘を鳴らして初めて、『火継ぎ』について聞くのさ。グウィンと同じく火を継ぐこと。それが世界から『不死の呪い』を一掃する方法だと。そんなことを言われれば、継がなけりゃいけない気にもなる」

 だが、それは結局偽りでしかなかった――と。

 クオンさんははっきりと言い切った。

「確かに一時は不死が生まれなくなる。あるいは生者に戻れる不死人もいただろう。だが、それは再び火が陰るまでだ。本当に呪いが一掃できるわけじゃない。それに、本来なら『最初の火』はもう役割を終えていたんだろう。『火継ぎ』を繰り返したところで、その力は徐々に衰えていった」

「そ、それは……!」

 アミッドさんが何かを否定しようとして……続く言葉が思いつかなかったのか、歯噛みするように言葉を止めた。

「ロスリックで俺が見た『最初の火』は、ロードランで見たそれとは比べ物にならない程小さな燻りだったよ。『最初の火』を絶やさないようにすること自体に無理があったんだ。おそらくな」

 火はいつか消えるもので……そして、消えるべきだったのだ。

 クオンさんが小さく呟く。

「だが、神々は火が陰るごとに『火継ぎ』を繰り返させた。俺達も、『不死の呪い』から逃れるためにそれに縋るしかなかった。お前と同じように、どうにかして世界からその呪いを消し去りたいと思っていた俺達に示された唯一の方法が『火継ぎの儀』だったというわけだ」

 まぁ、まず何より自分が解放されたいって奴も多かっただろうが――と、アミッドさんを見ながらクオンさんが苦笑した。

「神々は『枷』を嵌めてその力を奪い、『火の封』を持って俺達を闇から遠ざけ、封じきれなくなり、不死人が生まれてからは『薪』として利用した。そして、火が陰る度に生まれた不死人達は『呪い』からの解放を信じて巡礼に挑み……そして、大半は亡者となり果て、何人かは『薪』となって火に消えた。ああ、他に白教なんてものを作り出して、不死人を弾圧した理由の一つかもな。そうすれば『呪い』を恐れ、それからの解放を求める者が増えるだろう」

 冷ややかに告げられたその言葉に、ぞわりと体中の産毛が逆立つ。

 殺意によく似た凍てつく怒りがそこにあったからだ。

「それが救界を謡った『火継ぎの儀』の真相だ。どこかの馬鹿が火に飛び込んでから、ずっと繰り返されてきた、な」

 クオンさんが神殺しを厭わない理由はこれだ。

 かつて存在した、『火』をめぐる神と人の物語。

 全てはそこから始まっている。

「まぁ、それはいいだろう。少なくともグウィンは筋を通したともいえるからな」

「どういうこと?」

「さっきからアンジェが俺のことを()()()()()()【薪の王】と呼んだだろう? 俺が初めてなら素直に最初の、だけでいいと思わないか?」

「それはまぁ、そうだけど……」

 クオンさんの答えに、ヘファイストス様が頷く。

 確かに、それだと人じゃない誰かが先にその【薪の王】になっていたような……。

「最初の【薪の王】はグウィンだ。仕組んだ奴らの親玉が先に薪になってるんじゃ恨み言も言いようがない」

 思い浮かんだそれを肯定するように、クオンさんが小さく鼻を鳴らして言った。

「もっとも、奴が何を考え、どういう経緯で火を継いだかは知らないがな。ま、神々の王が薪になっても消えそうになったんだ。俺達が何人飛び込んだところで結果は同じだろうさ」

 茫然として言葉を失うアミッドさん……いや、僕たち全員を前にクオンさんは告げた。

「やがて火は消え闇だけが残る。かつて神々が下した予言は、ついに成就したというわけだ」

 それは、もう本当にどうしようもないのだと。

 どうやっても火の陰りは防げない……何をどうやっても『不死の呪い』は消せないのだと。

 何よりも明確に伝える事実だった。

「では何故火が陰ると不死人が生まれるのか。……まぁ、これも俺の推測だが、『火の封』の力が弱まるからだろう。封に穴が開いて、そこから『呪い』がにじみ出るのさ」

 とんとんと胸元――ダークリングを叩きながら、クオンさんが続ける。

「……で、でも、もうその『呪い』はないんですよね?」

 そうだ。火の陰りも『不死の呪い』も本当にどうにもならなかったわけじゃない。

 だって、この千年――いや、それより昔の『古代』ですらクオンさんの言う『火の陰り』なんてなかったんだから。

 きっと、最後の最後は残った神様たちが何とかしてくれた――…

「そうだな。この『時代』に『不死の呪い』は存在しない。少なくとも、今の時点では」

「何故そう言い切れるのかしら?」

 ヘファイストス様の問いかけに、やっぱりクオンさんは躊躇いなく答えた。

「決まっている。俺が『最初の火』を消したからだ」

「……え?」

「『火継ぎ』は終わった。『(かみ)の時代』は俺が終わらせた」

 神様たちが都合よく何とかしてくれたのではないのだと。

 僕の浅はかな考えを、クオンさんはあっさりと否定して見せた。

「『不死の呪い』を一掃する方法はそれしかない。『火』が完全に消えたなら、結局はその一部でしかない『人間性(ダークソウル)』も力を充分に発揮できないからな」

 まぁ、だからと言ってその力が完全に消えてなくなったわけでもないが――と、クオンさんが何故か僕を見ながら肩をすくめる。

 でも、それは――おかしいと思う。

 だって、それだと……『最初の火』がないと『ダークソウル』っていうのが力を発揮できないなら。

 それと同じものだって、当然その力を失ってしまうのでは――…

「それと同じことがお前達(神々)にも起こっていなければ矛盾する。俺が今気になっているのは、その矛盾をどうやって補っているかだ」

 お前達を神としている『火』はどこにあるのか。そして、それには()()()()()()()()()

「何故『(ひと)の時代』に神が超越存在(かみ)として残っているのか。その矛盾は『不死の呪い』を再び呼び覚ますかもしれないからな」

 終わった筈の『火』をめぐる神と人の物語(ひげき)。それはまだ終わっていないのだと。

 クオンさんは神様たちを見やり、確かにそう告げたのだった。

 誰も何も言わなかった。誰も何も言えなかった。

「少し話がずれたな」

 心音すら響いてしまいそうな沈黙の中で、何事もなかったようにクオンさんは続けた。

「ええと。そうだ、『深淵』を用いて武器を打てる理由だったな。簡単に言えば元々それが俺達の力だからだよ。今まで説明した通りにな」

「あ、ああ……」

 納得してもらえたか?――と、その問いかけに、ヴェルフが曖昧に頷く。

「で、だ。『不死の呪い』の解呪方法は『火継ぎの儀』か『火継ぎの終わり』だけだ。そいつを経験してなお不死人のままって奴らはもうどうしようもない。例えば俺とかソラールとかはな。最初に言った通り、俺達の変化は残念ながら必ずしも可逆的なものじゃないんだ」

「では、『深淵』による異形化も同じということか?」

「ああ。理屈は概ね同じだと考えていい。俺達は『呪い』に対して無力なんだよ。消し去ることなどできない。逸らすのが精々だ」

 ミアハ様の問いかけに、クオンさんは頷いた。

「逸らす? どこにですか?」

「人か、人であったものにだ。いずれにせよ人の力だ。受け取れるのはやはり人しかいない」

「それでは意味がないのです!」

 アミッドさんが声を荒げた。

「だが、他に方法があれば、とっくに誰かが見つけているだろうな。『呪い』と付き合っている時間は俺達の方がずっと長い」

 アミッドさんが言葉に詰まる。

 クオンさんが生きた『時代』では、神様たちも『神の力(アルカナム)』を当たり前に使っていたと考えていいと思う。

 そんな『時代』ですら、その『呪い』を解呪することはできなかった。

 なら、いくらアミッドさんが凄い治療師(ヒーラー)でも、『解呪』できるとはとても……。

「そもそも、何故『暗い穴』など生み出されたのだ?」

 言葉を失うアミッドさんの代わりにという訳ではないだろうけど。

 問いかけたのは、ミアハ様だった。

「お前たち自身もその『呪い』を恐れているのだろう? 『不死の呪い』に囚われなかった者が、わざわざそれを求めるとは思えぬのだが……」

「俺も詳しい訳じゃないが、『暗い穴』ってのは『ダークリング』の力を強化するための代物らしい。つまり、本来は俺達不死人のためのものという訳だな」

「何故そのようなことを?」

「簡単に力を得るためというのが一つの答えだ。少なくとも、俺はそういう風に勧誘された。本当の力を引き出してやるってな」

「これは話が終わった後に告げるつもりだったが、『暗い穴』の存在を知る者に対してはギルドから緘口令が敷かれることになる。存在を知ってしまった以上、お前達も従ってもらうぞ」

 あっさりと答えるクオンさんにため息をついてから、シャクティさんが僕らを見回して告げた。

「緘口令ですか?」

「ああ。穴ひとつにつきランクが一つ上がるらしい」

「…………へ?」

 あっさりと告げられたその言葉に、リリがポカンとした顔のまま、コテンと首を傾げた。

「だから、『暗い穴』を開けるごとにお手軽にランクアップできるってわけだ」

「あ、あれ? じゃあ、もしかしてシャクティさんが温泉で僕のことを見てた理由って……」

 一八階層からの帰り道に、皆で温泉に入る機会があったんだけど……。

 その時に妙にシャクティさんの視線を感じたのはそういう事なのだろうか。

「そうだな。その『暗い穴』が開いていないことを確認していた。疑ってすまなかったな」

「あ、いえ。それはいいんですが……」

 神様が驚くくらいの成長みたいだし、何だったら前にエイナさんにもちょっとだけ疑われたことがあった。

 だから、僕たちより先にその『暗い穴』っていう呪詛(カーズ)を知っていたシャクティさんが疑うのは仕方がないことだと思う。

 あの時に説明できなかった理由も、よく分かったつもりだ。

 それに……もし別の形でその『暗い穴』の存在を知ったなら、僕だって求めていたかもしれないし。

「重ねてすまないが、場合によってはガネーシャ達の前で宣誓してもらうことになる。幸い、私達は神々に嘘はつけないからな」

 それだけで充分な証拠となる。

 そういって、シャクティさんは小さく笑った。

 きっと、少しだけ安心していたんだと思う。

 僕も同じ気分だった。

「な、なるほど。ギルドが緘口令を敷くわけですね……。今までの話を聞いていたのに、それでも心が少し揺らいでしまいました」

 そこで、息を吹き返したリリが少し恥じるように呻いた。

「強くなりたいなら呪術でも何でも、俺が教えられる限りの事を教えてやる。だから、あれに手を出すのだけはやめておけ」

「ええ、分かっています。……それにしても、やっぱり美味しい話には裏があるということですね」

 本当に気を付けないと。

 そう言って、リリは大きく肩を落としてから……ふと気づいたように首を傾げた。

「一つの答えということは、他にも何か理由があるのですか?」

「ああ。【亡者の王】を生み出すことが本当の目的となる。そのために、ユリア……【黒教会】は『暗い穴』という禁呪を編み出した」

「【亡者の王】?」

「亡者の国であるロンドールを統べる王。あるいは『火の簒奪者』ってところかな」

「『火の簒奪者』?」

 いや、その火って言うのは『最初の火』のことなんだろうってことは想像できるけど……。

「『最初の火』を神々から奪い取る。それがロンドールの悲願だったんだ」

「じゃあ、今もその【黒教会】は『最初の火』の簒奪を企んでいるという事かしら?」

 問いかけたのはヘファイストス様だった。

「どうかな。ユリアがいるなら、俺が『火』を消したことにも気付いていると思うが……」

 クオンさんの言葉を、シャクティさんが補足した。

「メレンの一件でも【黒教会】と思しき者たちの介入があった。もっとも、その際には闇霊を迎撃していたようだが……」

「それはどういうことなのですか?」

 リリの問いかけに僕も頷く。

 メレンを襲ったのは、時々話題になる――あと多分一八階層でレフィーヤさんと一緒に戦った――闇派閥(イヴィルス)の残党の仕業だと思っていたんだけど……。

「【黒教会】と【墓王の眷族】は別に同盟関係にあるわけじゃないってことだ。ま、だからと言ってユリアがオラリオの味方だとは思わないがな」

 クオンさんが小さく笑う中、僕たちの呻き声が重なった。

 確かに、今までの話からしてその【黒教会】の人たちが『神の眷族(ぼくたち)』の味方になってくれるとは考えにくい。

「……【墓王の眷族】とは?」

「始まりの神の一人である墓王ニトを主神とする誓約だ。随分と古臭い連中が流れ着いたらしいな」

「【ニト・ファミリア】ってことですか?」

「いや、『火の時代』の誓約はお前達のそれとは違う。お前達でいう【ステイタス】の更新は篝火で自分でやるか、火防女に手伝ってもらうか……いずれにせよ、神の介入は必要ないからな」

 何と言えばいいか――と、呟いてから、クオンさんがしばらく黙考する。

「そうだな。簡単に言えば誓約とは『信仰』なんだ。その主神ないし誓約主の思想に共感できる誓約を交わす。……もっと単純に結んでおくと安全だからって誓約もあるが」

「いや、それなら俺達も基本的には同じだぞ。例えば、ヘファイストス様のところには鍛冶師が集まるって話だろ?」

「そうなんだが……。抜けるのも簡単なんだよ。何だったら掛け持ちもできる」

 ヴェルフの言葉に、リリを見ながらクオンさんが肩をすくめた。

 確かにリリは抜け出せなくて苦労しているわけだけど……。

「え? そんなものなのかい?」

「例えばソラールのように一心にその道を進む奴だってもちろんいる。アンジェがどう思っているかは後で本人に直接訊け」

「放任主義というか……少なくとも、あまりギブアンドテイクって感じではなさそうね」

「ま、あまり釣り合いは取れていないかもな」

 ヘファイストス様の言葉に、クオンさんが苦笑した。

「じゃあ、クオンさんはクラーン様を信仰しているってことですか?」

 いや、それともクラーン様『も』といった方が正しいのだろうか。

「あ~…。それはもちろん、していないなんてことは言わないが……。前も言った通り、俺達はちょっと特殊な集まりなんだよ」

 僕の質問に、クオンさんは困ったように眉間を掻いた。

「魔女イザリスがどうなったかは聞いているか? ああ、俺が殺す前の話だ」

「えっと……。確か、ウーラシールが滅んだあとに滅びたって……」

 確かアンジェさんはそう言っていたはずだけど。

 あ、でも。順番は諸説あってはっきりしないとも言っていたっけ。

 というか、そもそも――…

「でも、それは国の話ですよね?」

「いや、イザリス本人もそこで死んでいる。……まぁ、少なくとも魔女としてはな。魔女イザリスは国ごと滅んだのさ」

「どういうことだい?」

「魔女イザリスとその娘たちは自分たちの手で『最初の火』を熾そうとしたんだ」

「ええっと……。それって、消えるなら新しく熾せばいいって考えたってことかな?」

「おそらくな。そして、失敗した」

 神様の言葉に頷いてから、クオンさんは短く告げた。

「生まれたのは『混沌の炎』と呼ばれる代物だった。魔女イザリスとその娘たちはその炎に飲まれて、デーモンとなった」

「デーモンとは、フィリア祭で暴れたというあれか?」

 ミアハ様の問いかけに、クオンさんが再び頷く。

「ああ。魔女イザリスは『混沌の苗床』……デーモンたちの母体となった。無事だったのは師匠……イザリスのクラーナだけだ」

「え? じゃあ、クラーン様も……?」

「もちろん、例外じゃない。それに彼女は病み村……いや、本当の名前は知らないんだが。ともかく、そこにいた人の『病』を癒すために『病の膿』を飲み込んだらしい」

「『病の膿』を飲み込む……?」

 想像はつかない――けど、それがきっと悍ましいことだとは分かった。

 それを躊躇わなかったクラーン様は、凄く優しい女神様だということも。

「『混沌の炎』に焼かれ半身がデーモン化し、さらに病に侵されていた彼女の苦痛を癒すために『人間性』を捧げていたのが俺達だ。目の見えない姫様は自分たちに気付いていないことを知っていたのにな。【混沌の従者】ってのは、そういう馬鹿な奴らの集まりだ」

 ああ、でも……うん、それはクオンさんらしいと思う。

「では、クラーン様があの姿に戻ったのはその『人間性』というもののおかげなのですね?」

「え? あ~…。うん、まぁ、なんだ。そういう事にしておけ」

 うん、嘘だった。僕でも分かる。

 いや、完全に嘘ではないと思うけど……絶対に何か別のことをしている。

 凄く言いたくなさそうに、視線を泳がせるクオンさんを見て確信していた。

(あれ、別のこと?)

 それは、例えば神様の力を高めるようなことなのでは――…

「ま、まぁ、何だ。そうは言っても、今も抑え込んでいるだけだからな。この前ヘスティアが自分とはちょっと違う封印をしているってのはそれが理由だろう」

「あ~…。なるほど、『神の力(アルカナム)』を全部その『混沌の炎』ってのを封印するのに使っちゃってるんだね」

「ああ。それに、さっき言った通り姫様の方が重症だからな。クラーグはまだ少し魔女としての力が残ったんだが……」

「クラーグ?」

「あの姫様の姉だよ」

 首を傾げる神様に、答えたのはアイシャさんだった。

「クラーナ様のお姉さんでもあるわ」

 付け足したのは霞さんだった。

「魔女イザリスの娘を二人も篭絡するとは、まったく大した弟子だよ」

 そして、カルラさんも露骨に肩をすくめる。

「うん。ごめん」

 最後に神様が頭を下げた。

 無言でクオンさんに蹴りを入れてから、アイシャさん達に。

「あれ? そういえば『深淵』が君たちの力っていうのはどういうことなんだい?」

「ああ、言われてみれば確かに。何となく納得しちまってたが、どう繋がっているんだ?」

 席に戻ったふと神様が首を傾げ、それにヴェルフも頷いた。

「そうか。『深淵』とは何かの説明を忘れていたな」

 一方で――珍しく素直に蹴られた――クオンさんも何事のなかったかのようにそれに応じた。

「最も単純に答えるならなら一言で済む。『深淵』とは暴走した『人間性(ダークソウル)』だ」

「……なるほど。闇術の力の源が暴走したものが『深淵』だというのも同じ理由か?」

「ああ、その通りだよ」

 シャクティさんの言葉に、カルラさんが頷いた。

「闇術とはウーラシール最後の遺産ともいわれる。私にも断言はできないが、おそらく生前のマヌスが生み出したものなのではないかな?」

「それを求める者に墓を暴かれたって訳か……」

「え? 墓を暴かれたって、それじゃマヌスっていう『深淵の主』はもともと人間――…」

「いや、だから。『ダークソウル』は人間の力なんだよ。確かに俺が見たマヌスは化物そのものだったけどな」

 ……その通りだった。

 ずっとそういう話をしているのに、やっぱりどこか受け入れ切れていないと言うか、受け入れたくないと言うか……。

 でも……言い訳がましいけど、きっとそれは僕だけではないと思う。

 この場にいる全員が今も何とか今までの話を飲み込もうとしているはずだ。

「その闇術というものを知るために、何故墓まで暴く必要があったのですか?」

 再び沈黙を破ったのは、アミッドさんだった。

「いえ、仮にそうだとして。例え墓を暴いたところで、その闇術というものを必ず発現できるとは限らないのでは?」

 確かに、僕たちの魔法は個人の想いや経験によって発現するものだった。

 だから、そのマヌスって人が闇術というものを発現させたところで、他の人が発現できるとは限らない。

 ……そう。僕たちの知っている魔法なら。

(でも、クオンさん達の『魔法』なら……)

 受け継いだ『呪術』――【ぬくもりの火】を思い浮かべながら、胸中で呟く。

 クオンさん達の『時代』の魔法(スペル)はいくつかの体系がある。

 例えば、僕が教えてもらった呪術や、アンジェさんが使える奇跡だとか。

 ……クオンさんは一通り全部使えるとかとんでもないことを言っているけど。

「俺達の使う術は、他者への継承が可能……というより、それぞれが体系立った技術であり、あるいは学問ともいえる」

「では、魔導書や【ステイタス】に頼らずとも、望む魔法が発現できると?」

 アミッドさんが今までとは違う……純粋な驚きと好奇で目を丸くする。

「ああ。とはいえ、高位の術を使おうと思えば相応の能力を求められるぞ?」

「いえ、それでもその価値は計り知れません。それは、回復魔法も含まれますか?」

「ああ。その辺は基本的に奇跡の領分だ。俺も一通りは使えるが、人に教えられるほどの理解があるわけじゃない」

「奇跡?」

「ああ。神々の物語を学び、その恩恵を祈り受ける業だ。その威力は術者の信仰に依存する」

「神々の、物語を……? それに、信仰とは……」

 そんなものをあなたが何故使えるのですか?――アミッドさんの表情を言葉で表すなら、多分そうなる。

「詳しく知りたいなら、そこのアンジェに聞け。俺よりもずっとまともな説法をしてくれるだろう」

「私程度では他者に奇跡を伝えることはできないのだが……」

 聖典があっても基礎的な奇跡を語れるかどうか――と、アンジェさんがため息をついた。

「聖典、聖典か……」

「私が持っているアレをその娘に読ませようなどと考えるなよ」

「分かっている。当然だろう」

 カルラさんの言葉に、クオンさんがいつになく真剣に頷いた。

 ……まぁ、その話はダンジョンからの帰り道でも少しだけ聞いているんだけど。

「あなたも奇跡を使えるのですか?」

「どこかの馬鹿弟子が、嫌がる私に無理やり読ませたのさ。しかも二冊も」

「悪かったって。他に頼れる相手がいなかったんだよ」

「ああ、そうだろうとも。あのような暗く悍ましい物語など、私のような忌み子でもなければ発狂しかねない」

 やれやれ、とカルラさんが首を横に振る。

「暗く、悍ましい? 神々の物語が、ですか?」

「いいや。あれはどちらかと言えば()()()()だろうな。『奇跡』という術式を利用した闇術だよ」

 クオンさんが何事か答えるより先に、カルラさんが応じた。

「そんなことができるのか?」

 と。聞き返したのは、意外にもアンジェさんだった。

 何となく、その辺りのことは全部知っていると思っていたんだけど……。

「ウーラシールの遺産となれば、魔術に近しい形をしていると思っていたが……」

「ああ、魔術に近しいもの無論あるとも。元々私が得意としていたのはそちら側だ。そして、呪術にも存在する」

 カルラさんがクオンさんを見ながら、小さく笑った。

「え? 呪術にもあるんですか?」

「ああ。私の弟子から聞いていないか?」

 頷くと、クオンさんが何故か気まずそうに視線を逸らした。

「その黒い炎は、ウーラシールに迷い込んだとある呪術師が、深淵の闇に見出したとされる」

「ほう? なるほど、確かにそれは興味深いな」

 小さく笑うカルラさんに、アンジェさんまでが笑った。

「どうしてなんだい?」

「呪術とは、イザリスのクラーナを開祖とする術式なのです」

 神様の問いかけに、アンジェさんが応じる。

「そして、歴史的には彼女の弟子は一人しかいないとされております。無論、それはあの男ではありません」

「え? そうなんですか?」

「……俺にとって、弟子と言えるのは精々お前だけだよ」

 つまらなそうに、クオンさんが言った。

「だから、呪術師は基本的に全員がザラマンの火の血縁と言っていい」

「火の血縁?」

「前に言っただろう。呪術師にとって『火』は半身なんだ。だから、その繋がりは火の血縁と言われる。……ま、古い慣習さ。もう忘れられて久しい」

 むー…。と、何故か今度は神様が不満そうに唸っている。

 というか、何で僕の足を抓るんですか、神様!?

「じゃあ、そのザラマンって奴が、表向きはクラーナ様のたった一人の弟子ってことか?」

「ええ。【呪術王】ザラマン。彼こそが、始まりの呪術師です。ですが――…」

 ヴェルフの問いかけに、アンジェさんが小さく笑った。

 珍しい。僕たちに対しては何だか凄く真面目過ぎて、滅多に笑ったりしないのに。

「かの呪術師が生まれたのは、『火の陰り』が生じて八〇〇年ほどが過ぎてからとされています。いえ、そもそもイザリスのクラーナが呪術を生み出したのは、イザリスが混沌の炎に消えてからだとされています」

「え? そうなのかい?」

「ええ。元々魔女イザリスが用いたのは『炎の魔術』と呼ばれるものだったそうです。ですが、それは魔女たちとともに歴史から消え、もはや誰も知らぬものとなりました」

「一応、それらしいものなら見たことがあるけどな。」

 アンジェさんの言葉に、クオンさんが小さく呟いた。

 それには気づかなかったのか、それとも気づいていて聞き流したのか、アンジェさんは僕らを見て再び微笑んだ。

 それも、どこか少し意地が悪そうに。そして、内緒話でもするかのように。

「ザラマンより以前に呪術師はなく、ザラマンが生まれた頃にはすでにウーラシールは存在しません。では、ウーラシールに迷い込めた呪術師とは、いったい何者だったのでしょうね?」

 あー…。と、神様が声をこぼす。

 鈍い僕でも流石に分かった。

 クオンさんは気まずそうに視線を逸らしていた。

「もっとも、闇術とは禁忌とされるものだ。例え奇跡の形をとっていようと、その娘が知らないのは当然だろう」

「それが本当に私達の力だというなら、何故そこまで封じる必要があるのですか?」

 クオンさんが、アミッドさんの問いかけに応じた。

「何であれ、その暗い魂には触れるべきじゃないのさ。それが呪いであることに変わりはないのだから」

「……人であることが呪いだと?」

「そう聞こえたか?」

 クオンさんの問いかけには答えず……でも、アミッドさんは険しい目で見つめている。

 いや、睨みつけているのだろう。

「『人間性』とは何か。今までいくつかの説明をしたが、それが真実とは限らないし、それだけが真実ということもない」

 一方のクオンさんは、むしろ満足げな様子ですらあった。

 ただ、楽しんでいるかというとそれもまた違うような気がする。

「ただ、虚偽を口にしたと思ってほしくはない。『人間性』とは何かとは、人とは何かという問いかけに近い。おそらくな」

「人とは何か……」

「この街で治療師(ヒーラー)などやっていれば、ロクでもない光景はいくらでも見るだろう」

 小さく身じろぎをしたのはミアハ様だった。

 その姿に、いつか馬車の上で聞かせてもらった話を思い出す。

 きっと、それはクオンさんの言うようにろくでもない光景だったんだと思う。

「そして、闇術とは人の歪みの現れだともいわれる。別に驚くことじゃない。人とは往々にして他者を傷つけるものだろう」

「それは……」

 だから、アミッドさんはその言葉を否定できないのだ。

 あるいは僕自身も。

「人を蝕む『深淵』の呪いも、あるいはそれに近い。多くの人間が、よく他者を蝕むようにな」

「だから、解呪出来ないと? 解呪とは人の本質の否定だから」

 まるで禁忌を口にするように、アミッドさんは躊躇ってから。

 やがて意を決したように――もしくはいっそ挑むようして続けた。

「他者を害する事が私達の本質。だから……だから、決して救われることはないと?」

 対して、クオンさんは落ち着いた……静かな声でそれに応じる。

「闇こそが人の内に宿る真実だ。それを封じられて得たものが今だとするなら、人は皆偽りの生の中にある。いかに美しく、優しくとも嘘は所詮嘘にすぎない」

 だが――と、クオンさんは続けた。

「『枷』により作り変えられた生だとして、今ここにある世界は例えようもなく優しく、甘やかだ。ならば、それは果たして悪なのか」

「それは……」

 答えは、分からない。

 何と答えればいいのか、僕には分からなかった。

 ヴェルフも、リリも。アミッドさんやシャクティさんも。

「なんてな。こいつは受け売りの言葉だし、答えは俺もよく分からないんだ。まだ探している途中だからな」

 それどころかクオンさんまでが、小さく笑った。

「…………」

 困惑半分、不満半分といった様子でアミッドさんが眉を顰める。

「そんな顔で見るなって。……そうだな。じゃあ、一つ訊こう。『呪い』とは何だ?」

「え?」

「例えば『不死の呪い』の本質はどこにあるんだろうな」

 今度こそ困惑するアミッドさんを他所に、クオンさんは自問するように言った。

「まぁ、確かに亡者に堕ち正気を失った奴ははた迷惑だしな。『深淵』も同じだ」

 だが――と、クオンさんは続ける。

「不死となることこそが呪いか。ああ、それはそうだろうとも。焼かれ、斬られ、磨り潰され、幾たび殺されようと俺達に終わりはない。正気を手放したところで、死には遠い。だが、それならそこにいる者たちはどうなる?」

 クオンさんが示したのは、ヘスティア様であり、ヘファイストス様であり、ミアハ様だった。

「俺達よりはまだ死を覚えているようだが。だが、永遠を彷徨い、しかし変化(みらい)がない。ましてや、渇望故に自ら偽りの生へと手を伸ばすなど。それは俺達と……或いは彷徨う亡者たちと何が違う?」

 それは叡智を囁く賢者のようであり、狂気をもたらす魔性の囁きのようでもあった。

「それとも、人の内にある闇こそが呪いか? 尽きぬ渇望をもたらし、憤怒を抱かせ、恐怖の源泉となり、いずれは悍ましいものの寝床となる。しかし、それすら顧みることなく、目的を追い続けるその(さが)こそが呪いだと?」

 アミッドさんの答えを待たずして、クオンさんは続けた。

「だが、それを手放してどうなる? それこそ亡者と変わりない。いや、亡者とて渇望を抱く。自分が何者かすら忘れ果て、それでもなおソウルを求めて彷徨うのだからな」

「何が、言いたいのですか?」

「何も難しいことは言っていない。お前にとっての『呪い』とは何か。それを問うているだけだ」

「健やかな生を犯し、蝕むもの。……ええ、それが『呪い』です。だから、私はきっとその『呪い』を殺すでしょう」

「ならば、敵を見誤るべきではない。必ずしもその闇を覗き込む必要はない」

「……『深淵』の呪いは見て見ぬふりをしろとおっしゃるのですか?」

「俺達の内にある闇は必ずしも『呪い』とは限らないということだよ」

「呪いではない?」

 さらに険しい顔をするアミッドさんに、クオンさんが肩をすくめる。

「呪いではなく、原罪だと考えた男がいた」

 クオンさんが言葉を探している間に、カルラさんがそんなことを言った。

「原罪、ですか?」

 聞き覚えのない言葉に、つい聞き返していた。

「そうだな。人であるが故の罪、とでも言っておこうか」

「その闇を見出したことが罪だと?」

「おそらくな。大王グウィンたちが『王のソウル』を見つけたことで、『霧の時代』は終わったわけだが……案外とそれすら罪だと言いたいのかもしれないな」

 耳の痛い話だ――と、クオンさんが……一つの『時代』を終わらせた英雄が、どこか苦々しく笑った。

 それがアミッドさんに届いたかどうかは分からないけど。

「狂人?」

「貴公と同じく、この『呪い』を消し去ろうとした一人。狂気の実験に手を染め、自らに付き従った学徒たちすら手にかけ、最後には自らも異形となり果てた。そんな男だ」

「……………」

「気を付けたまえよ、貴公。狂相が浮かんでいるぞ。どこかの馬鹿弟子が心配する程度にはな」

 クオンさんが気まずそうに頬を掻いた。

 そして、自覚があったのかアミッドさんも恥じたようにうつむく。

「……まぁ、何だ。もし『深淵』や『闇術』についてもっと詳しく知りたいなら、カルラに相談すると良い」

「まぁ、それもいいだろう。……始祖の直系といえないこともないからな」

 クオンさんの言葉に、カルラさんがクスクスと笑った。

「始祖の直系? それはどういう意味なのですか?」

 アミッドさんの問いかけは、僕たちの代弁でもあった……と、思うんだけど。

 何故だか神様やリリ、シャクティさん達は困ったような顔をしている。

「そこの娘らには話したことだが……私の弟子によって滅ぼされた【深淵の主】の断片が世界には遺されていたのさ」

「【深淵の主】の断片?」

「ああ。それはいつしか私達のような『闇の子』を生み出した」

「『闇の子』?」

「ああ。私は人の深淵、その忌み子なのさ」

「人ではないと?」

 困惑するアミッドさんの隣では、ミアハ様が。

 同じくヴェルフの隣にいるヘファイストス様も。

 それぞれが何か納得したような顔をしていた。

「それは人間とは何かという問いかけに等しいよ。……もっとも、私はどこかの馬鹿弟子と出会うまで、長い間、罪人として虜囚の憂き目にあっていたが」

 急に神様とリリが……あと、霞さんまでがそわそわとし始めた。

 何だろう、今の話以外にも何かマズいことがあるんだろうか……。

「あんたに近づくと、妙な感覚がするのはそのせいか?」

「ああ、そうだろうな。貴公も常人よりはいくらかその娘らに近いようだ」

 カルラさんが(ヘスティア)様やヘファイストス様を見ながら頷く。

「……まぁな」

 ヴェルフの中の精霊の血が、カルラさんに反応しているってことなんだろうか。

「嘘と思うなら、こちらに来るとよい。私がそちらに近づくと、神に連なるものは嫌がるだろうからな」

 むー…と、不満そうに唸るのは神様だけ。

 ミアハ様とヘファイストス様は険しい顔をするばかりで、否定しようとはしなかった。

 たくさんの神様が住むこのオラリオで、特に優しい神様であるこの二柱が。

「……ええ。微かですが背中に焼きつくような悪寒が……。この感覚は、あの『深淵』の異形を前にした時と同じ……」

 素直に部屋の片隅まで――カルラさんの前まで移動したアミッドさんが小さく呟くのが聞こえた。

「そうだろうとも」

 頷くカルラさんを見て、ふと思い出した。

『クオン君といえば、カルラ君にも悪いことしちゃったしなぁ』

 一八階層で神様が嘆いていたのは、ひょっとしてカルラさんに関係していたんじゃないだろうか。

 あまりよく覚えていないけど……一八階層にいる間は神様がカルラさんと話しているところを見ていないような気がする。

 帰り道では、ちょっとした暇さえあれば――むしろ、その暇を無理やり作る勢いで――話しかけていたけど……。

「まぁ、ね……」

 視線だけで問いかけると、神様は気まずそうに頬を掻いた。

 横目で見れば、反対に座るリリも気まずそうにしている。

 ということは、カルラさんが今言ったことは本当だという事なのだろう。

 ……シャクティさんとアンジェさんはともかく、何でリリまで知っているかは分からないけど。

「さぁ、貴公。どうする?」

「何をでしょうか」

 そんな僕らを他所に、カルラさんがアミッドさんに問いかけた。

「ここにいるのは『深淵』の忌み子。いわば『呪い』から生まれ出た異形だ。貴公にとっては憎い仇なのではないか?」

「それは……!」

 今までとは全く質の違う緊張感が部屋を満たす。

 僕も落ち着かない気分だった。

 一方で、クオンさんは特に慌てた様子もなく、成り行きを見守っている。

「……貴女は、このオラリオで何をしようと考えているのですか?」

 しばらくして、アミッドさんが絞り出したのはそんな問いかけだった。

 一歩踏み込んだとも言えるし、話を逸らしたと言えるかもしれない。

「フフッ……。残念ながら、私は貴公らと違って道を行くものではないよ。しいて言えば、あの馬鹿弟子の世話を焼くこと、といったところかな」

 もっとも、余計な世話だったかもしれないが――と、カルラさんは霞さんとアイシャさんを横目に見ながら苦笑する。

「『闇の子』など、所詮はか弱く小さな断片でしかない。だから、寄る辺を求めるのさ。選ばれた依り代にとって、それが『呪い』となるとしてもね」

 呪いという言葉に、アミッドさんの肩に力が入るのが見えた。

 表情は見えない。その代わり……と、いう訳ではないけれど、霞さんとアイシャさんが肩をすくめるのが見えた。

 クオンさんは――…

「まぁ、ヴァンクラッド王にとっては『呪い』だったかもな」

 何て言うか、完全に他人事として納得している。

 それは独り言だっただろうけど……外の喧騒から隔離されたこの部屋ではそれでも僕らの場所まで届いていた。

 もちろん、僕にはヴァンクラッド王やその人の傍にいた『闇の子』というのがどんな人たちだったのかは分からないけど……。

「…………」

 クオンさんの言葉は――僕にも聞こえたくらいだし――聞こえただろうし、多分霞さん達の様子にも気づいているだろう。

 しばらくの沈黙の後、アミッドさんの肩からも力が抜けた。

「貴公が選んだ道は、かつて多くの者が挑んだ貴い願いであり、その全てを飲み込んだ『呪い』でもある。その闇は深く、暗く、果てを知らず、故にどれほどの信仰も役には立たない」

 俯いたアミッドさんの頬に指先で触れながら、カルラさんが続ける。

「だからこそ、忘れてはならない。闇がもたらすものは暗い。だが、それは静謐で穏やかな何かでもあるはずだ」

 そう。例えば一日の終わり。今日を振り返り、明日を夢見て眠る時のような。

 それは、決して『呪い』なんてものではない。

 ……明日が来ることを怯えて過ごす夜は、確かに『呪い』と言えるかもしれないけれど。

 でも、だとして。その(やみ)が全て邪悪な何かに変わってしまったということは、多分ないはずだ。

「それとも、貴公らがこれまで歩んできた道は、余すことなく、ただ悍ましいものでしかなかったと、そう思うかな?」

「……いいえ。そんなことはないと、私は信じています」

「ああ。そうだとも。貴公らの中に在るのは、神ですら御しきれぬものだ。殺すなど出来はしない。だが、殺す必要もない。ただ、正しく畏れるといい。それは必ずしも『呪い』ばかりではないのだから」

「正しく、畏れる……」

 噛みしめるように、アミッドさんがその言葉を呟いた。

「まぁ、何だ」

 しばらくして、クオンさんが言った。

「俺は、カルラのように気の利いた台詞は言えないが……。先達として、無理はするなとだけ言っておく。何しろ、グウィンたちですら手に負えなかった代物だからな」

「人である私には、元から分不相応な願いだと?」

「さてな。だが、仮にそうだとしても、求めずにはいられない。俺たちとはそういうものだ。なら、お前を笑うことは自分達を嘲笑することと同じだろう」

 かつて、誰もがそれを求めたのだから――と、クオンさんはどこか力のない笑みを浮かべた。

「それに、その探求はまったく意味をなさなかったわけでもない」

 そういって、クオンさんは何かを取り出してアミッドさんに投げ渡した。

「これは?」

 それは、掌より少し小さいくらいで暗い色をした何か。

 どことなく繭のようにも見えた。

「『人の像』と呼ばれていた。亡者が人に戻るための導のようなものだ」

「導?」

「ああ。じっと見ていると、人の姿が浮かんでくる。……まぁ、自分の姿が浮かぶと言っていいか」

「つまり、亡者化を癒す魔道具(マジックアイテム)ということですね!」

 思いがけぬ『解呪』の手掛かりにアミッドさんが嬉しそうな声を上げながら、真剣な顔でそれを見つめる。

 試しているのではなく、解析しているのだろう。

「ああ。もっとも、それとて『人間性』が残っていないなら……亡者と化し、正気を失ったなら戻ってこれないがな」

「『人間性』を失えば、どうしようもないと?」

「そうだ。まぁ、不死人にとっての寿命だとでも思っておけ。それなら、少しは納得もいくだろう?」

「それは、そう、ですが……」

 アミッドさんが納得できたのかは分からない。

 でも、険しい顔が少しだけ和らいだのは確かだった。

「あとは……まぁ『暗い穴』だけなら塞ぐことはできる」

「本当ですか?!」

「ああ。俺も昔、あの『穴』をあけられたことがあってな。だが、それはもう癒してもらった」

「誰に? どのような方法で?」

「ロスリックで世話になった火防女に。方法は……まぁ、これが一番問題かな。かなり危険を伴う」

「構いません。教えてください」

 詰め寄らんばかりの熱意に根負けしたのか、クオンさんは肩をすくめて言った。

「深淵から戻った火防女の魂を彼女が宿した。その力で治療できるようになった」

「他者の魂を己に宿したと?」

「まぁ、俺達の『ソウルの業』も理屈は同じだしな。それを手伝ってくれる火防女同士ならそう難しいことでもないらしい」

 だから、火防女ではないお前に出来るかと言われると返事に困る。

 クオンさんの言葉に、アミッドさんが肩を落とす。

「火防女になりたいとは言うなよ。彼女たちは不死人とはまた異なる形で『最初の火』に囚われた存在だ。『火』のない今じゃ、なろうったって無理な話だ」

 それに――と、クオンさんは付け足した。

「『穴』を塞ぐには、相応のソウルがいる。その量は穴をあけられた本人のソウルの強さと、穴の数によって変化するが……まぁ、かなり莫大な量になるな。そっちは死ぬほどモンスターを追い回せば何とかなるだろうが」

「と、いうか。ソウル?……というのを集めるのは、簡単にできることなのですか?」

「ああ。……いや、簡単ではないが。『ソウルの業』とはそういう技術だ。それに、不死人は『ソウルの器』とも呼ばれる」

 リリの質問に、クオンさんはそんな言葉で応じた。

「『ソウルの業』自体は『呪い』を持たない生者でも習得できる。だが、主なきソウルを回収する効率は不死人の方が圧倒的に上というのが通例だ。というより、より効率的に回収できる『器』を持っていることが【薪の王】……巡礼者と呼ばれるための資格でもある」

「では、アンジェ様ならできるのですか?」

「いいえ、リリルカ様。おそらく私には無理かと」

 小首を傾げるリリに、アンジェさんが言った。

「私は不死人ではありますが、巡礼者ではありませんから。それほどの『器』は――」

「いや、お前くらいの力があれば普通に巡礼地でもやっていけるだろう」

 アンジェさんの言葉を、クオンさんが否定した。

「篝火も見えた訳だし、資格は充分だ。……もっとも、『玉座』は遠いがな」

「だろうな」

 リリへの態度から一転して不愛想にアンジェさんが頷く。

 でも、ちょっとだけ嬉しそうにしている気もする。

 ……うん、まぁ、認められたことには変わりない訳だし。

「まぁ、話は戻すが。『暗い穴』しか持たない不死人なら、全部塞げば案外とただの生者に戻れるんじゃないか? もちろん、あくまで理屈の上での話だが。ああ、それと本人が自前の『ダークリング』を持っていないことと、亡者になり果てていないというのが大前提になるな」

「そうなる前に見つけ出し、解呪する必要があると言うことですね」

「本人にその気があるならな。ある意味、それが一番の問題かもしれない。何しろ、塞いだ後も力が残るか分からないからな」

 それは、何となくわかる気もする。

 せっかく得た力を手放すというのは、やっぱり簡単なことじゃないと思うし。

 その辺のことは、僕より長く冒険者と関わっているアミッドさんの方がよく分かっているのだろう。

「いや、それを言うなら生きていられるかどうかからして怪しいな。何しろ、あの『穴』は呪いを溜めるためのものだ。場合によっては『穴』を塞ぐ前に、まず溜まった『呪い』をどうにかする必要が出てくるかもしれない。……まぁ、前例がいないからな。他にも何か問題が生じる可能性はある」

「それは……そうなのでしょうが……」

 納得いかない様子で――でも、納得するしかなく、無念そうにアミッドさんが唸る。

 とはいえ、その『暗い穴』に関してはクオンさんもこれ以上のことは答えられないようだった。

「その溜まった『呪い』すら、私では殺せないと?」

「それだけならもしかしたら何とかなるかもしれない。あくまで可能性の上ではというだけだが」

「本当ですか?!」

 アミッドさんが目を輝かせる。

「お前達生者にも同様の効果を発揮するという保証はしない。ただ、不死人(おれたち)にとっては方法がない訳じゃない。例えばこの『解呪石』だ」

 クオンさんが投げ渡したのは、何だか灰色の不気味な石だった。

 何だか人の頭蓋骨みたいな模様が見える。

「これは?」

「カリム伯アルスターが生み出したとされる秘法だ。さっき言った呪いを逸らすための代物だな」

 ということは、あの頭蓋骨みたいな模様は、ひょっとして本物なのでは……。

 アミッドさんもどこか恐ろし気に手の上にある石を見つめている。

「あるいは、罪の女神ベルカの秘術かもしれないな」

 もっとも、オズワルドはそんなこと一言も言わなかったが――と、クオンさんが呟いた。

「罪の女神、ベルカ?」

 神様がアイシャさん――アイシャ・ベルカさんを見ながら、首を傾げた。

「罪の女神ベルカ。罪を定義し、罰を執行する女神。一方で古今あらゆる秘術に通じており、神々の中でも強い影響力を持つと言われた存在さ。彼女であれば、解呪の秘術にも通じていたかもしれないな」

 フッ――と、カルラさんが小さな笑みをこぼしてから続ける。

「そう、確か黒髪の魔女という異名もあったかな」

「なるほど。初めて名乗った時に妙な反応をした理由がやっと分かったよ」

 艶やかな黒髪を手櫛で軽く梳りながら、アイシャさんが大げさにため息をついた。

「ああ、そうだろうとも。私と再会した時の様子からすれば、さぞかし驚いただろう。黒髪で、同じ名を持つ、女神と見紛う娘が自分の前に現れたとあってはな」

 クククッ――と、本当に楽しそうにカルラさんが喉を鳴らし、

「二人揃って、随分と持ち上げてくれるじゃないか」

 アイシャさんも苦笑とも微笑ともとれる吐息をこぼす。

「えーと……。これは爆発しろってやつかな?」

「素直にごちそうさまって言っておけばいいんじゃない」

 神様とヘファイストス様が温かい――というにはちょっと(ぬる)めの――視線をクオンさんに向ける。

 何となく意味が分かるような、分からないような……。

「あ、あ~…。ええと、それでだ。ベルカ信仰が盛んだったのはカリムって国だったんだ。アルスター伯がそんなものを作れたのはそういう理由からかもしれない」

 クオンさんが露骨に咳払いしてから、説明を続ける。

「では、私にも作れる可能性があると?」

「ああ。もっとも、まともな製法じゃなと思うがな」

「どういう意味ですか?」

「さっき言った通り、『呪い』を逸せるとしたらそれは人か、人であったものかだ。そして、アルスター伯は【串刺し公】という異名で呼ばれていたという。……ついでに、だが。これが彼が使っていたとされる槍だ」

 取り出されたのは、蔦のような何かが絡みついた槍だった。

「確かにロクなものじゃないわね……」

「ええ、同感です」

 それを見て、ヘファイストス様までが顔をしかめて呻いた。

「もう一つの問題は、他にその製法を知っている国がロンドールだってことだな」

「……つまり、【黒教会】だと?」

「ああ。素直に教えてくれるといいけどな」

 それは、ひょっとしなくてもかなり難しいんじゃないだろうか。

「さっきのヘスティアの様子からすれば、女神ベルカが天界とやらにいるわけでもなさそうだ。あとは、輪の都で見た『解呪の碑』のようなものがどこかにあればそれが一番だろうが……」

「望みは薄いと?」

「残念ながら。結局のところ一度『不死の呪い』に手を伸ばしたなら、そう簡単に開放はされないってことだ。言っただろう? その暗い魂に迂闊に近づくべきではないと」

 その結論を前にいよいよ項垂れてしまったアミッドさんから視線を逸らし、クオンさんはヘファイストス様に問いかける。

「あとはあれか。オーンスタインの槍についてだったか?」

「ええ。……まぁ、もう何となく分かってきたけれどね」

 問われたヘファイストス様はと言えば、シャクティさんの持つ槍を見ながら嘆息した。

「あれは【竜狩り】オーンスタインの槍だ。グウィンに仕えた四騎士の長……まぁ、神の英雄の一人だな。そして、ロードランでの『火継ぎ』の試練の一つだった」

「そんなものとまでやりあったってのか、あんたは……?!」

「ああ。ソラールと二人で散々串刺しにされたよ。何度殺されたか分からない。……我ながらよく勝てたものだと今でも思う」

 それはつまり、神の力(アルカナム)を全開にした神々との戦いということなのだろうか。

 ましてやそれに勝ったなんて――…

(それって、ひょっとして神様の領域に踏み込んだってことなんじゃ……?)

 それなら、確かに都市最強のLv.7だってクオンさん達の相手にはならないのかもしれない。

 恐怖も羨望も浮かばない。まず現実感がない。

 明確な感情を抱くには想像力が圧倒的に足りていなかった。

 どこまでも果てのない大空を見上げるような、或いはそこに投げ出されたような。

 名前のない、衝動にも感情のうねりだけがそこにあった。

「そして、奪った?」

「悪く思うなよ。さっきも言ったが、試練の一つだったんだ。それに、あの槍はその後、ロスリックでの巡礼の時に拾ったものだ。最後はどうやら元々の主の元に向かったらしいな」

「元の主?」

「太陽の光の長子。グウィンの息子で、神を裏切り古竜についたが故に名前を奪われた無名の王だよ。元々は彼に仕えていたらしい。俺も詳しい話は知らないが。もちろん、彼の最期も」

 あれ? でもそれって、つまりあの槍は――…

「じゃあ、あの槍は神様の武器なんですか?」

 ひょっとしなくても、物凄いものなんじゃないだろうか。

「そうなるな。その中でも特に業物だよ」

 マジか!――と、ヴェルフが立ち上がって目を輝かせてから、少しバツの悪そうな顔で座り直す。

 その隣で、ヘファイストス様はため息とも苦笑ともつかない吐息をこぼしてから、

「……その言い方だと、他にも持っているわけね?」

 鋭い視線とともに、問いかけた。

「そりゃまぁ、いくつかは」

 そういってクオンさんはいくつかの武器を取り出して机とその周りに並べていく。

「グウィンの近衛である『銀騎士』達の武器と鎧。その中でもさらに精鋭である『黒騎士』のものもある」

 直剣に大剣。特大剣に槍。大斧に盾。

「これなんかは長いこと使っているな。手によく馴染んだし、デーモンを相手にする時には特に心強い」

 そして、斧槍。

 ……ああ、うん。確かにあの斧槍は見覚えがある。

 というか、ダンジョンの中でもよく使っているけども。

「そ、そんなものをキラーアント相手に使っていたのですか……?!」

 同じく、その斧槍に見覚えがあるリリがドン引きしている。

 僕も眩暈がしてきた。

 ……いや、だって。何だったら、僕もちょっとだけ使わせてもらったこともあるし。

 全然使いこなせなかったけど。

(か、神様の武器を使っちゃったのか……)

 しかもそれで――使いこなせなかったせいで――キラーアントに苦戦したとなると、何だか凄く複雑な気分……!

「というか、その鎧は……!」

 ドスン、と。最後に置かれたのは≪ハベルの鎧≫だった。

 床が音を立てて軋む。何となく危険な響きに聞こえたのは、気のせいだと思いたい。

「まさかそれも神創武器……じゃないですけど! そういう系なのですか!?」

 うんまぁ、武器って言うか鎧だけど。

 神創鎧……それとも神創防具といった方がいいのだろうか。

「あ~…。正直断言しかねる。ハベル本人の遺物なのか、単に彼を信奉したハベルの戦士達の装備なのか意見が割れるだろうな」

「……まぁ、そういやハベルってのは神の名前だってアンジェも言ってたしな」

「ちなみに、オーンスタインの鎧もあるぞ」

 そういって、クオンさんは獅子を模した黄金の鎧を取り出した。

「すげぇ……」

 ヴェルフどころか頭を抱えていたはずのリリまでがその鎧に見惚れる。

 もちろん、僕も同じだ。

「黄金獅子の鎧に十字槍、か。なるほど、確かに『竜狩りの騎士』の伝承通りだわ」

 ヘファイストス様ですら、感嘆を宿した吐息をこぼしている。

「それに、この黒騎士の武具はさしずめ『デーモン狩り』の武具と言ったところかしら。特殊な付加(エンチャント)が施されているみたいね」

「分かるのか?」

「当り前でしょ。いくら下界にいるといっても、それくらいは分かるわ」

 まったく――と、ヘファイストス様が唸った。

「よくも今まで隠していたわね」

「流石に面倒なことになると思ったからな」

 あっさりと応じるクオンさんに、もう一度ヘファイストス様はため息をこぼす。

「それで、どうして『火継ぎの儀』を経験しながらお前はここにいる?」

 武具を片付けているクオンさんに、アンジェさんが改めて問いかけた。

「ああ、そういやそうだな。不死人って奴はその『火継ぎ』ってのをしても蘇れるのか?」

「いや、まぁ、蘇れないとも言い切れないが……」

 ヴェルフの問いかけに、クオンさんが手にした斧槍の柄で肩を叩きながら曖昧に呻く。

「今までの話からして、あなたは何度も『火継ぎの儀』に関わっているように聞こえるわね」

 ヘファイストス様にまで追い打ちを受けて、クオンさんはがっくりと項垂れた。

「その辺の話は面倒だから省きたかったんだが……」

「だが、それが分からないなら、お前が本当に『火継ぎ』をした【薪の王】なのか疑問が残るだろう?」

「そりゃそうだな」

 アンジェさんの言葉に、クオンさんは斧槍を取り込んでから肩をすくめた。

「確かに俺は火を継いだんだが……まぁ、簡単に言えば歴史は繰り返したんだよ」

「何?」

「ロードランでの『火継ぎの儀』……つまり、不死人による最初の『火継ぎの儀』が終わってから、神々はどこかに引っ込んでな。どうせ裏側で暗躍していたんだろうが、表向きはしばらく人間の時代と言える期間があったんだ。ついでにいえば、その間にいろんな国が生まれたり滅んだりもした」

「そりゃまぁ、何となく分かるが……」

 ヴェルフが嫌そうな顔で頷いた。

 まぁ、国が滅びるとかとかあんまり考えたくないことだけど。

「そんな時、何かの弾みでグウィンたちのソウルが世界に零れ落ちたんだ。理由は分からない。あるいは誰かがまた『最初の火』を引っ掻き回したのかもしれないな」

「もしかして……」

「ああ。その時に俺のソウルも一緒にこぼれ出たか掻き出されたかしたらしい。それで、そのソウルを拾ったどこかの狂人が適当な亡者の体にねじ込んだんだよ。まぁ、俺も気づいたのはだいぶ後になってからだが」

「うわぁ……。って、あれ? それじゃ今のクオン君って……」

 体は別の誰かのものってことなのだろうか。

「心配しなくても今使っているのは自分の体だよ。多分だけどな」

「どういうことさ?」

「ベル。アイシャから聞いたんだが、ランクアップすると体と精神にズレが生じるんだよな?」

「えっ? はい、僕もそれで結構苦労しました」

 それこそ『中層』での決死行まで完全に矯正しきれなかったような気もする。

「俺も多分理屈は同じだよ。そしてお前達よりもずっと重症だった」

「どういうことだい?」

「だから、ズレが深刻になりすぎて体が崩壊したんだ。別人なんだから当然だな。そして、体の方が持たなくなって『死んだ』。……まぁ、そう言っていいだろう」

「なら、なおさら何でここにいるのさ!?」

 何だかまた凄い話になってきたんだけど……なんて呻く僕の隣で、神様が叫んだ。

「先ほど、火継ぎの真相が広がったと、その馬鹿弟子は話しただろう?」

「え? うん、覚えているよ」

「その真相を知って、それでも火を継ぎたがる者がいるかな?」

「えーと……。いないんじゃないなぁ」

 躊躇うような小声で神様が呟く。

「そう。その通り。いなかったのさ」

「ですが、それではクオン様が何もせずとも火は消えてしまったのでは?」

「継ぎ火が絶えるとき。鐘が響きわたり、古い薪の王たちが棺より呼び起こされるだろう」

 リリの問いかけに、カルラさんは物語の一節のような言葉を口にした。

「はい?」

「つまり、かつて火を継いだ【薪の王】達が蘇ったのさ。もう一度火を継ぐためにね」

「つくづくとんでもないな。……いや、そうか。つまりあんたも?」

「いいや。それは違う」

 ヴェルフの問いかけにクオンが応じるより早く、カルラさんが首を横に振った。

「『火は陰り、王たちに玉座なし』」

「え?」

「ロスリックの時代に、いつからか語られるようになった予言だよ。虜囚となった私ですら耳にしたことがある」

「よく分からないが……。それは、蘇った連中は火を継がなかったって意味なのか?」

「そういうことさ。だから、予言は続く。『そして、火の無き灰たちがやってくる。名もなく、薪にもなれなんだ、呪われた不死』とね」

「どういうことだ?」

「『火のない灰』。今の馬鹿弟子はそういう存在だ。もっとも、ロスリックの時とはまた少し変化しているようだが」

「その『火のない灰』っていうのは、不死人と何が違うんだい?」

「とりあえず、死んでも体の亡者化が生じない。結構便利だぞ」

「いや、便利って……」

 きっぱりと言い切ったクオンさんに、神様だけではなくみんな揃って呻いていた。

「あとは『残り火』の力を宿せたんだが……今はできないな。その代わり『人間性』を取り込むと生身に戻る。ちなみに、死ぬと『火のない灰』になる。もちろん、『残り火』を宿していない状態だが」

 何でこんなことになってるんだか――と、クオンさんは他人事ように苦笑する。

 というか、それ以前に。

「死んだことあるんですか!?」

 いや、それは馬鹿げた質問なのかもしれないけど。

 でも、オラリオで目覚めてからクオンさんを殺せる相手がいたなんて……。

「四年前にダンジョン潜った時に、闇霊と遭遇してな」

「ええっ!?」 

「そういや、あの金髪小娘もどっかで出くわしたとか言ってたな。正直、よく生きてるなとは思う」

「アイズさんが?! っていうか、よく生きてると思うって?!」

 いや、もう本当にどこにどう驚けばいいのかよく分からなくなってきてるんですけど!

 何かもう衝撃(ショック)の波状攻撃で、僕らの理性はすでに限界を迎えつつある気がしてならない。

「ちなみに、だが。ゴライアスとやりあっている時にも遭遇したぞ」

「……赤水晶の破壊に時間がかかったのはそのせいか?」

「らしいね」

 ヴェルフの問いかけに、アイシャさんが肩をすくめた。

 何てことのないような肯定だけど、それが意味することは深刻だ。

 あのアイズさん達が苦戦するような……クオンさんを『殺せる』ような相手が今もオラリオの――もしくはダンジョンの――どこかにいるなんて、全く笑えない。

 今までの『火継ぎ』とか『ダークソウル』とか、そういう話とはまた別で……冒険者としてはかなり身近で切実な危機感がある。

「ええと……。でも、クオン君は【薪の王】って奴なんだろう? なんでその『火のない灰』になっちゃったんだい?」

「いや、まぁ、薪として燃え尽きる前に掻き出されたせいだろうな。『玉座』を簒奪された王ってところか」

 薪になりきれなかったという意味なら、まさにその通りだろう。

 クオンさんはそう言って苦笑した。

「だが、おかげで自由に動けた。火を消すこともできたしな。その代わり蘇った後輩達を殺しまわる羽目になったが」

「……何故そんなことを?」

「資格を失ったからだよ。それを取り戻すには、彼らの火を継ぐしかなかった」

「じゃあ、もしかして、ホークウッドさん達とも……」

「彼ら【ファランの不死隊】……【深淵の監視者】は少々変わった【薪の王】だったのさ」

 クオンさんが頷く前に、カルラさんが言った。

「彼ら自身にではなく、酌み交わした『狼血』にこそ資格があった。彼らは個人ではなく『不死隊』として王なのさ。だから、全て殺すしかなかった」

「……では、何故あの男だけ蘇った? 不死人だからというだけではないだろう」

 シャクティさんの問いかけに、クオンさんは困ったように呻く。

 答えがないのではなく、答えづらいとでもいうように。

「彼は脱走者だったからだよ。だから王になり損ね、私の弟子と同じく『火のない灰』として呼び起こされた」

「……ま、そういうことだ」

「あの人が、脱走者……?!」

 ある意味、この話の中で一番の衝撃だったかもしれない。

 あんなに強い人でも心が折れるような過酷な世界だったことに改めて戦慄しながら、ふとそんなことを思う。

「そして、私の弟子に中てられて再起し……最後は一騎討ちをしたと聞いている」

「まぁな。世界の終わりに何やってんだかって話だが」

 しかも、お互いに死に損なってるんだから世話ないな――と、クオンさんは苦笑する。

 ただ、その裏側でどことなく安堵しているようにも感じられた。

 もちろん、それは僕の勝手な想像なのかもしれないけど。

「一つよろしいですか」

 アミッドさんが小さく手を挙げた。

「何だ?」

「他人の体に宿ることで蘇ったとおっしゃいましたが、それでは外見の違いからすぐ分かったのでは?」

 クオンさんは肩をすくめてから、答えた。

「体の亡者化がかなり進んでいたんだ。それに、意識も記憶も混濁していた」

 あれじゃ誰が誰だか分からないだろう?――と、その問いかけにアミッドさんが頷く。

 そのうえで、彼女は質問を重ねた。

「ですが、自我がはっきりしている間は人の姿に戻れるでしょう? 自分の姿が分からない状態でも、これを使えば戻ってこられるのですか? それとも戻らなかったのですか?」

「あ~…。それはおそらく戻り方の問題だな」

 クオンさんは呻いてから、アミッドさんを……正確にはその手にあるものを指さして言った。

「それな。人に戻るための導って言っただろう?」

「ええ。もちろん覚えています」

 大切そうにその『人の像』を両手で持ちながら、アミッドさんが頷く。

「導かれたのは、俺の方だったらしい。……まぁ、俺の『人間性』の方がまだ強く残っていたんだろう」

「本来の姿ではない形で再生されたと?」

「ああ。それは生身への逆行ではなく、生身への再変化を促す代物ではないかと考えている。『自分の名』が答えられる……自分を思い出せるなら、ならまだ戻れるはずだと、初めてそれを俺にくれた奴らは言っていたな」

 いや、そんなに素直に教えてくれたわけじゃないが――と、クオンさんは呻いてから、

「まぁ、ここにいるのはそんなわけだ。これが何かの証明になるかは知らないが」

「……では、最後に一つ教えてくれ。【人喰らい】のエルドリッヂを知っているか?」

「ああ。【深みの聖者】あるいは【神喰らい】のエルドリッヂ。奴も蘇ってきた【薪の王】の一人だ。だから、殺した」

「確かか?」

「正直に言えば、今は少し自信がなくなっている」

「どういう意味だ?」

 クオンさんの言葉に、アンジェさんが視線を鋭くした。

「ロスリックで殺したのは確かだ。奴の首も確かに玉座に連れ戻した。だが、『深淵』が湧いたとなるとな」

「再び復活していると?」

「可能性は否定できないな。多少なりと『深淵』を扱えそうな奴は俺が知りうる限りそう多くない。マヌスか、デュナシャンドラか。それとも――…」

「あの【人喰らい】というわけか」

「ああ。お前も深みの聖堂騎士と遭遇したんだろう。なら、少なくとも関係者がいるのは間違いない。その中で奴ら自身が蘇っているというのは最悪の部類だろうな」

「奴ら?」

「法王サリヴァーン。ロスリック時代に暗躍した稀代の策略家であり、野心家だ。冷たい谷のイルシールを治め、エルドリッヂより先にアノールロンドを攻め落とし、旧王家を事実上滅ぼした。火が陰り、エルドリッヂが蘇ってからはアノールロンドこそ明け渡したが、他の司祭たちを差し置いて、深みの大聖堂の法王の座にまで上り詰めている。確証はないが、ロスリック王家の内部対立を煽ったのもこの男かもしれないな」

 詳しいことはよく分からないけど……とにかく、凄い人だっていうことだけは分かった。

 そんな人が、もし本当に『深淵』の力まで操っているなら……そんなことは考えるだけでも恐ろしい。

 いや、それ以前に――…

「あの、【人喰らい】とか【神喰らい】ってどういうことですか?」

「言葉の通りだ。奴は人間を喰らうことで【薪の王】となり、蘇ってからは神を喰らった」

 胃から酸味の強い何かがせりあがってくる。

 強引に飲み込むと、喉が焼けるような痛みが残った。

「別に深くは聞かないが、お前と奴の因縁はその辺……『人喰らい』に始まりがあるんだろう?」

「……ああ」

 アンジェさんが、短い言葉だけで頷いた。

「じゃあ、そのエルドリッヂって奴は本当に……その、喰ったってのか? 文字通りの意味で。しかも、人だけじゃなく神まで」

 ヴェルフが躊躇いながらも確認する。

「ああ。【暗月の神】グウィンドリン。大王グウィンの子を喰らうことで、奴らは旧王家を完全に滅ぼした」

「【暗月の神】って、月を司る神様ってことかい?」

 神様が今までで一番険しい顔で問いかけた。

「ああ。……知っているのか?」

「いや、そのグウィンドリンって神は知らないよ。……ただ、ちょっと――…」

「月の女神とは付き合いがあってね。ヘスティアとは特に仲がいいのよ」

 凄く躊躇った様子の神様に代わって、ヘファイストス様が言った。

「そうか」

 と、クオンさんはお二柱(ふたり)の言葉に頷いてから、

「ちなみに、特に他意はないんだが。その月の女神ってのも弓を使うのか?」

「え? ええ、もちろん。狩りの女神でもあるし。天界屈指の弓取りよ」

「そうか……。極力出会わないようにしよう」

 何故だかすっごく嫌そうに呻いた。

「こらあああああああッ!! 敵対する前提で考えるんじゃなあああああい!?」

「いえ、でも。彼女から見ても、彼はちょっと……」

「ああ!? 確かに!?」

 ヘファイストス様の言葉に、神様が頭を抱えて叫んだ。

「あの、ヘファイストス様。どういうことですか?」

 ヴェルフの問いかけに、ヘファイストス様が肩をすくめて言った。

「狩りと月の他に、貞潔も司る女神なのよ」

「あ、はい」

 この話が始まってから、全員が速やかに理解して納得した唯一のことだったと思う。

「……だが、それならベルとミアハには何も言われたくないな」

「何でですか?!」

「何故だ?」

 その問いかけに、何故だか神様とリリがため息をつく。

「……まぁ、何だ。もし本当に奴がいるなら精々気を付けることだ。力を封じた今のお前たちなど、蕩けた粥のようなものだろうからな」

 少しだけ緩んだ空気の中で、クオンさんが神様たちに向けて言った。

 ……その一言で、再び部屋の中の空気が重くなる。

「その二人は、本当に蘇っていると思うか?」

「今のところは何とも言い難いな。奴の存在を直接匂わせる何かがあるわけでもない」

 シャクティさんの問いかけに、クオンさんが肩をすくめる。

「だが、蘇っているなら厄介だな。腐っても――…」

 何故か、クオンさんはそこで小さく吹き出してから、

「ああ、腐っても奴は【薪の王】の一人だからな」

 それがどれだけの力を持っているのか、想像もできない。

 ただ、世界を――そして、神様たちの力を維持するための『火』の薪だ。

 それなら、文字通りに神のような力の持ち主だと考えていい。

「あなたはどうして今さらになってオラリオにやってきたの?」

 問いかけたのは、ヘファイストス様だった。

「今の話からすると、そのエルドリッヂって子を追いかけてきたわけではないでしょう?」

「というか、今までどこで何してたんだい?」

 ヘファイストス様の問いかけに、神様が付け足す。

 そういわれてみれば確かに。

 不死だというなら『古代』の頃にも生きていたはずだし、もっと逸話が残っていそうな気がするけど……。

「『火継ぎ』を終わらせてから、ずっと『火の炉』で眠りについていたのさ」

 答えたのは、カルラさんだった。

「使命を終えた『灰』とはそういうものだ。どうか責めてやらないでくれ。永い旅の終わりには、相応の休息が必要だろう?」

 ……そう。まるで僕の考えを見透かしたように。

(でも、そうか……)

 死すら終わりではない長い旅路。

 その最後にやっと訪れた眠りを、誰が責められるだろうか。

「でも、それなら何で今になって目覚めたんだ? やっぱり他の【薪の王】が蘇った影響なのか?」

「それとも。今度こそ私達を滅ぼしにきたのかしら?」

 ヘファイストス様の問いかけに、思わず身構えていた。

 僕だけでではなく、アンジェさんも。最初に問いかけたヴェルフも。

 ヘファイストス様の問いかけは、あるいは核心をつくものだったからだ。

「それは――…」

 ヴェルフとヘファイストス様の問いかけに、クオンさんが答えようとして――…

「――――」

 それは、何だか奇妙な様子だった。

 急な頭痛に顔をしかめているような。それとも、白昼夢に迷い込み放心しているような。

 あるいはまるで誰かが無理やりに止めたような。

 とにかく、唐突で奇妙な空白だった。

「何で今さら目覚めたのかはよく分からなくてな」

 そんな奇妙な瞬間を経て、何事もなかったかのようにクオンさんは言った。

「はぁ?」

「記憶がまだ戻りきってないんだよ」

「そういえば、霞もそんなことを言っていたが……」

「ええ。まだ続いているみたいです」

 ミアハ様が視線を向けると、霞さんが苦笑しながら頷いた。

「お前達が本当に俺達と共存する気があるなら、俺だって別に文句は言わないさ。だがまぁ――…」

 クオンさんは肩をすくめてから、

「叩き起こされたならやることはひとつだ。もし『火』がまだ残っているなら、今度こそ完全に消す。『不死の呪い』が目覚める前にな。それが、いつか交わした約束でもある」

 いつか、世界から『不死の呪い』を消し去り、太陽の光を取り戻すのだと。

「何より、『火継ぎの儀』なんてものを完成させた挙句、蘇ってからは後に続いた後輩たちを殺してまで終わらせた俺の役目だろう」

 ――と。神様たちを前にして、そう告げたのだった。

「だが、そのうえでベル。お前に……お前達にあえて問おう」

「な、なんですか?」

「お前達にこの『時代』を支えられるか? 火は消え、しかし闇は訪れなかった。火でもなく闇でもなく、二つの因果が絡みあう。あるいは最も歪んだこの『時代』を」

「それは、どういう意味なんだい?」

 問いかけたのは神様だった。

 それに対して、クオンさんは感情を感じさせない視線を向ける。

「そのままの意味だ。もう薄々気づいているだろう。お前達の予定は狂い始めていると」

「…………」

 神様たちは何も言わない。

 でも、それは。きっと、その沈黙こそが何よりの答えなのだろう。

「それは俺も同じ事だ。あの時『火の時代』は終わり『闇の時代』が訪れるはずだった。だが、そうはならなかった」

 それ以上追及することはせず、クオンさんは僕たちに向けて言葉を続ける。

「今もどこかで『火』が燻っている。だから『火の時代』の厄災が。そして、俺達のような過去の亡霊がこの『時代』に現れた。そして、その因果が吹き溜まるとしたら、それは間違いなくこの地だ」

 ダンジョン。そこが新しい『巡礼地』だと。

 クオンさんが言っているのはそういう事だった。

 そして、そのうえで――…

「神々の思惑から外れ、だからと言って俺達の時代ともいえない。だからこそ、いずれ数多の厄災がこの地に吹き溜まる。誰にも先が見通せないこの『時代(くらやみ)』で、それでもお前は火を灯せるか?」

 それは、遠い昔、神々に――あるいは世界の終わりに抗った不死の英雄から神の眷族たる冒険者への問いかけだった。

 

 お前達は本当に俺達の後継者たりえるのか?――と。

 

 




―お知らせ―
 評価していただいた方、お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字報告してくださった方、ありがとうごいます。
 次回更新は年内から年始頃を予定しています。
 21/11/21:一部修正

―あとがき―
 
 まずはお礼を。
 ついに総評価数が80、お気に入り数が900を超えました!!
 皆様、本当にありがとうございます!!
 これからも楽しんでいただけるよう誠意執筆していきたいと思っております。
 そして、感想数も90ですね。
 こちらも、本当にありがとうございます! 

 続いて、予定より一ヶ月近く遅れてしまい、申し訳ございません。
 
 さて、そんなわけで第四章二節です。
 いよいよベル君たちが『火の時代』について知ることになりました。
 つまりは説明回なんですが、まさかの過去最長を更新という…。
 やっぱり設定をあれこれ考えるのは楽しいんですよねぇ…。
 
 それと、今さらですがダークソウル側の設定については個人的な考察が特に多く混じっていますのでご了承ください。
 拙作の場合はダンまち側の設定ともすり合わせていますので、シリーズ未プレイの方は特にご注意を…!
 
 さて、そんなわけで今回は灰の人について少し補足を。
 拙作の設定では、主人公はロードランで『薪の王』になったあと、ドラングレイグを彷徨ってから、ロスリックで『火のない灰』として復活しているわけですが…なんで仮にも薪の王が火のない灰になってるんだ?――と、ロスリックを旅した灰の皆様の中では疑問に思われた方がいるかもしれません。
 拙作を書き始める時に、設定で悩んだことはいくつもあるわけですが、実のところこれはその中の一つです。
 その理由としては、薪として燃え尽きる前に掻き出されたせいで『薪の王』になり切れなかったと考えていただければ。
 復活した理由もなんか無茶なことになっていますが、肉体とソウルが別物というキャラは実際にダークソウル2にいますので、そこまで無理筋な設定でもない…はずです。あと、個人的な考えですが、ダークソウル3にもひとりいるのではないかなと…。
 加えて、ダークソウル2だとキャラメイクする前に少しだけキャラを操作できる期間があるんですが、その時は男性の体なんですよね(少なくともPS3版では)。もちろんその後のキャラメイクでは女キャラを作ることができます。つまり、人の像は上手く使わないと、外見どころか性別まで変わってしまうんですね!――なんて、若干ならずメタな部分まで利用しています。
 ただ、流石にそれだけだと力技すぎるので、ダークソウル2のOPムービーともかけ合わせてもう少し理由付けを考えています。
 そこまで含めると多少強引さが薄まるはず。薄まるといいなぁ…。
 
 他の設定については、まぁそういう考え方もあるか、くらいの大らかな気持ちで読んでいただけると幸いです。
 多分、そこまで無理筋な設定にはなってない…はず、なので…!
 
 あと、ダンまち側だと今回ガネーシャ・ファミリアの『支店』が出てきますが、原作小説では登場していませんので念のため。
 オラリオには電話とかそれっぽいものは普及していない+アニメの遠景でも結構広そうなので、警察署とか交番とかそういう感じの場所が複数ないと、何かあった時に通報するのも大変かなぁと…。
 ヘファイストス・ファミリアにも支店があるみたいですし、ありえないことではないかなと…。
 ただ、もし原作小説でその辺の有無や設定に触れられたらこそっと書き直しますので、悪しからずご了承下さいませ。
 設定と言えば、神とダンジョンの関係と異端児の誕生経緯あたりにダンまちの人類誕生秘話も絡んできそうな気がしないでもないですが…。というか、もしあった場合はエニュオ爆弾を上回る被害が出そうな悪寒がします。
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が本当に遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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