第5話:残り177日

 えっ、すごい、え、めちゃかわ、はー、すご。

 いやね、フットネイルをね、してもらったんです。赤いジェルネイル。お金に余裕がないとできない貴族の遊びだと思っているのでそう頻繁にはやらないのだけれど、Twitterで仲の良いお姉様が「足の爪が綺麗だと、帰宅して下を向いた時に気分がいいよ」ってだいぶ前に言っていて。それを見てからたまに、人生無理無理期になった夏にはやってもらうようにしているんです。2年に一回くらいの頻度で塗ってもらっている。

 今日は初めて行くお店だったのだけれど、店員さんは踊りが好きな人で、日舞や歌舞伎、演劇が好きで、ビジュアル系バンドも好きで、知らない分野の話を聞いて、心地よい時間だった。歌舞伎は勧進帳くらいしか知らないし、日舞はそもそもやったことないから、どんな楽しみ方や苦労があるのか聞くのは新鮮で良い。前職の同僚が大学で歌舞伎研究会に入っていたらしく、少し話を聞いたことがあるけれど、飲み会が激し過ぎて廃部になったことの衝撃で他の知識はかき消されているので、本当になんにも知らない。市川染五郎が美し過ぎて長いこと直視出来ない、くらいの知識と関心しかなかったので、今日は本当に楽しかった。

 それにしても、自分の知らないことに偶然触れる時間は、予定調和な人生に変化をもたらしてくれるから好きだ。人間と関わる楽しみは全部、ここに集約される気がしている。

 そしてもちろん、私の足の爪はぴかぴかのつやつやできゃわわである。最高だ。楽し過ぎる。私は今、爪が最高の女です!るんるん!帰ったら観たいものリストに歌舞伎を追加しよう!るんるん

第4話:残り178日

 ゼルダの伝説BotWをやり始めた。開始早々「これって空飛べるのかな!」とわくわくしながら崖から飛んだら普通に死んでゲームオーバーになった。説明書を読まずに操作し始める癖が災いした。

 ボタン操作に慣れなくて、今はモンスターにやられてばかり、川に落ちてばかりなんだけど、なんかいい感じに小鳥の鳴き声とか聞こえるし、異世界に集中するのはリフレッシュになる。今日は帰ったら弓矢の操作方法を覚えようと思う。

 しかし今日は朝から心が限界だったな。人が回した回覧物を、デコピンするときみたいな指で弾きながら質問してくる人間、無理みが過ぎる。しかも、私を介して私の上司にちくちくと嫌味を言っている。それさ、最初からうちの上司が嫌いで、部下の私がたまたま関係してたから私をだしにして相手に何か言いたかっただけだよね。その言い方じゃなくても伝わるもんね。人を都合よく、自分の意見表明の道具にするのやめてほしい。

 頭も痛いしちょっと吐き気もするし、心身の緊急メンテナンスが必要だ。

 

 そういや今朝は、朝ごはんを無理矢理食べるべく、珍しくスタバに行ったのだった。スタバはそんなに好きじゃないけど、職場に一番近いから寄った。食べ物は相変わらず好みじゃなくて「美味しくないなあ」って退屈したけど、なにかしら食べて出勤してんだから、それだけでもよく頑張って生きている。誰か誉めてほしい。

 明日は休みなので、夕ごはんは外食にした。サイゼリヤのディアボラチキンは美味しかった。メイン、サラダ、スープ、ご飯を食べても1150円。企業努力に敬礼。

 

第3話:残り179日

 生きていると色んな感情に晒される。自分がその感情の直接の受け手ではなくとも、誰かの感情が誰かに向けられているのを感じるだけでも結構疲れる。

 人間ってしょうもない生き物だなと思う。誰かに勝手に期待して、怒って、文句を言って。職場じゃなくて家庭でも、きっと同じようなすれ違いがどこでも起きているんだろう。大人なんだから職場でそういうことするの辞めなよ、と傍目で見てはうんざりする私も、やっぱり勝手に人間に期待しているしょうもない生き物だと思う。

 前の業界は頭脳労働だったので負荷はあったし、自分の出来損ないさに嫌気と罪悪感を感じていたけれど、周りの人間には恵まれていた。今の職場と比べて、理知的で、でもどこかに強烈な癖がある人がかなり多かった。ああいう人達と知り合い、たまに連絡を取り合える関係になれたのは、私の人生で大きな財産だ。

 大好きな友達も知り合いもいて、何かあれば話を聞いてくれるし私も聞くし、一緒に遊べる関係の人間がいるのに、毎日寂しいのは何故なんだろうか。周りはどんどん結婚して、子供が出来て、寂しさとは縁遠くなっていく。羨ましい。私もみんなと同じものが欲しい。一人で生活するモチベーションが湧かない。一緒に暮らす他人の目があれば辛うじて生きていけそうな気がする。でも周りはそんな理由で結婚なんかしていなさそうだ。私もみんなと同じものが欲しい。

 

 明日は、曲者の先生が委員長を務めるミーティングがある。場の空気が悪くなるんだろうなと思うだけで憂鬱だ。ああ、この街この職場から離れたい。誰か好きな人を見つけて、好きになってもらって、その人の街に引っ越したい。今までの辛い記憶全部消して、幸せな思い出しかない状態に作り変えて生き続けてみたい。毎日、死ぬか生きるか決めて暮らさなくて済むくらい、楽しいこと嬉しいこと、満ち足りたことだらけの人生にしたい。

 これでも毎日働いているのだから偉い。結婚していく友人達、出産する友人達を祝福して偉い。毎日生きてて本当に偉い。でも私は別に偉くなりたい訳じゃないんだよな。どうしたものかね。

第2話:残り180日

 ニンテンドースイッチを買った。前々からやってみたいと思っていたものの、在庫切れが続いていて手に入れられなかったのが、在庫が復活したタイミングで店を訪れ、運良く買うことが出来た。

 ゲーム機で遊ぶのは久しぶりだ。10年前に中古のDSで英語の勉強ソフトとどうぶつの森をやった記憶がある。今ちょうど開封して初期設定をしているのだけれど、ボタンがABCDじゃなくてABXYなのが不思議だ。無意識に画面を指で触って操作していたけれど、よく考えればこれも進歩。

 ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドをやりたいのに、ダウンロードが半分も終わらない。今日はもう遊べないな。楽しみは明日に持ち越し。ところでブレスオブザワイルドってなんだ。獣の呼吸?

 

第1話:残り181日

 年齢はただの数字と言うが、悲しいかな現代の日本では、20代と30代の間には大きな壁がある。なんとなく「30歳までに○○したい」と、30歳をひとつの区切りとして捉える雰囲気は、アラサーなら多少なりとも感じたことがあるはずだ。特に結婚に関しては多くの人が、その先に出産・子育てを想定していることもあってか「30歳までにしたい」と言う人が多いように感じる。でもそれは、必ずしも前向きな思いから出てくる考えではなく、「30歳までに〇〇しなければ」という焦り、謎の恐怖から出てくるものの場合もある。俗に言う「29歳問題」である。

 

 例に漏れず、私も「29歳問題」を抱える一人だ。約半年後に30歳の誕生日を迎える。予定ではそれまでに恋人と籍を入れ、慎ましく穏やかに暮らし、35歳までに第一子を設けるはずだった。婚約もして、式場も考えて、あとは親への挨拶のみ、といったところで、全てが振り出しに戻ってしまった。

 

 人生なんてままならないことだらけだとは理解していたけれど、こうも理不尽な形で婚約がご破算になると「まじか」という驚きと困惑が強くて、うまく適応できない。毎日気を緩めると泣きそうになるし、実際、仕事を終えて帰宅して一人になれば泣いていることのほうが多い。今まで私は、別れた恋人からもらった物を捨てる人たちを「物に罪はないのに」と理解できずにいたけれど、とんだ勘違いだった。物は楽しかった記憶や幸せな時間を思い起こさせて、現実と比べさせて、辛さや惨めさを膨れるだけ膨れさせた挙句、地獄に置き去りにする。元婚約者がくれた、誕生石がついたネックレスはとてもお気に入りだった。物としては好きだけれど、箱を開けたり見たりするのはどうも辛い。身に着けてしまえば、私はこの理不尽さを呪って時間を過ごすだけの生き物になってしまいそうで、このネックレスで自分を飾ることに躊躇している。

 

 これではいけないと分かっている。でも辛いものは辛い。

 

 今年の4月から、仕事の都合で縁もゆかりもない北関東に住む羽目になった。これもまたしんどさの原因になっている。とにかく辛い。

 

 自分の住んでいる街を政令指定都市だと思い込んでいる、行政から出向している役職者。コロナを「菌」と認識する課長。「私はこの日に地震が来ると思います」と、オカルトな予言を根拠に言い放つ災害担当者。「東大卒は使えない」と、自分が相手の能力を理解し引き出す力がないだけではないかという点に思い至らない、学歴コンプの同僚。何事も自分のところを通さないと気が済まない人間。常に不機嫌な態度を取るお局様。「あれ俺」自慢と仕事の愚痴が会話の大半を占める、話の長い上司。

 

 街路樹が貧相で、空き店舗だらけで、風情がなくて、平べったくて森もなくて車社会で、ローカルな文化を作る土壌もなくて、見栄っ張りで思慮深さがなくて、なんの面白みもない町。田舎にもなりきれず、都会にもなりきれず、生存するのは可能だけれど、潤いのある暮らしをするには何もかもが足りなさ過ぎる町。北関東はヤンキーしかいないと聞いていたけれど、確かに品性と知性が圧倒的に足りない人間が多い。見た目の問題ではない。ふるまいにおいて、である。

 

 気に入らない。

 

 東京が日本で最高の都市とは言わない。それでも、知性のある人が多くて、公共交通機関が発達していて、よく探せばどこかに必ず居場所があって、住み心地のいい都市だった。自分の好きな街と好きな人をいっぺんに失ったのだ。こんなの正気でいられるほうがおかしい。

 

 板橋の縁切り榎に「来世ではあの人と一緒に暮らさせてください」と頼んだから、今すぐ死んでも神様は、どうにかしてそうしてくれると思う。来世がないとしても、死んだ人間が文字通り自然に還っていくのだとしたら、今死ねば元婚約者の身体の一部を構成する要素になれる可能性もある。だったら、29歳問題に怯えて生きながらえる必要なんてあるんだろうか。「若いうち」に死んだほうがお話として綺麗な終わり方ではないか。そう思うのはあながち間違いでもない気がする。

 

 

 このブログは、30歳の誕生日を半年後に控えた人間が、辛すぎる現実を前に自分をだましながら健やかに幸せに生きていくための活動、略して「生活」に勤しむ様子を記録するものです。毎日なにかしらのことは書いていきたいと思います。