第33話:残り146日

 iPhoneが昔の写真をピックアップしてきて、それが去年のクリスマスに一風堂を食べに行った時の写真で。そこから昔の写真を辿っていて、去年の今頃は一緒にここに行ってたんだなとか、幻のウェディングドレスとか、ちぃちゃいけれどきらきらしている婚約指輪とか、見返してしまった。全部気圧のせい。

 この頃は平和だったんだよなあって。なんでもない、人参切ってる写真とか、ソファにぐでーってしてる写真とか、閉園前のとしまえんとか、大山で豆腐料理食べた記憶とか、スーパーの帰り道とか、楽しかったなあ、寂しいなあって、自覚したら最後、だめよね。全部気圧のせい。

 裏切られて辛い気持ちと楽しい思い出と、好きだった気持ちと憎たらしい気持ちは全部本物で、同時に存在することも出来る。それでもやっぱり、身の置き所が不安定なのは居心地が悪い。それだけで疲れる。

 今連絡したら普通に出てくれそうだよなあ。お喋りするだろうし、少しの間だけ、なんにもなかった時みたいに過ごせないかな、寂しいなって、きりきり痛い鳩尾は気づかないふりをして、隣の部屋から一番遠い暗い台所で、声を殺して泣きながらこれを書いている。全部気圧のせい。

 東京に帰りたい。帰ったところで楽しい時間は戻らないって分かってる。一人でも寂しくなく暮らせるから、東京に帰りたい。思い出を上書きしたい。寂しい。全部気圧のせい。全部気圧のせい。

第32話:残り147日

 連休、明けなくていいんですけど。ずっとお休みでいいんですけど。いっそオリンピック&パラリンピック期間中休みで良くないですかね?

 楽しみがないと生きていけないので、来週末にフットネイルの予約をしました。夏だけの贅沢。次が最後かな。9月になったら秋だもの。たくさんサンダル履いて脚の爪を眺めよう。

 9月末に夏休みを取ったから、その計画も立てたい。帰省の他はどうしようかな。旅行出来る世の中になってるといいけれど。軽井沢も行きたいし、青森、岩手も行きたい。山梨も東京も。会津もいいな。松山も行きたかったんだった。フリーの広報をやってる知り合いの素敵なお姉さんは、最近岐阜に引っ越したから、岐阜に会いにも行きたいな。積読の消化もしたい。

 12月の誕生日は有給を取ろうと思う。どんな風に過ごすかは未定だけれど、何か記念になることをしたい。何がいいかな。

 明日が嫌なら、その少し先に楽しみな予定を入れて生きてみようと思う。とりあえず騙し騙し生きるのも一つの選択だよね。

第31話:残り148日 その2

 人間と関わりたくない、誰も私に指図するな、否定的な言葉をかけるな、何も聞かない何も言いたくない何もしたくない!!!!!うわーーーー!!!!!!

 と、体の外側は社会性を纏っていても内側が天上天下唯我独尊の塊になっていたここ数日。今は少し落ち着き、三歩進んで二歩下がりながら穏やかさを取り戻している。

 

 まず、元婚約者との相互フォローを外した。あの人の心の動きをいちいちTwitterで知りたくないし、心地よいタイムラインを作りたいし、私の心の動きを知られたいとも思わないな、という気持ちで、勢いでフォローを外してブロ解した。お互い鍵アカだからもう見られない。直後は落ち着かなかったけれど、数日経てばなんてことはなくなった。

 オリンピックの開会式は、直前にどたばたと人が辞めた状態でどうなるのかという興味があったので観るつもりでいた。高校時代の友人グループのLINEがあって、そのうち東京に住んでいる一人がブルーインパルスの写真を上げていたのをきっかけに思い立ち、都合の合う3人で開会式の同時鑑賞会をした。

 これが予想以上に面白かった。1人は各国入場選手のユニフォームや靴に注目し、もう1人はそれぞれの国の情勢を語り、私は演出内容についてあれこれ話す。同じ空間で同じ時間を過ごした人間がこうも視点が違うのかと、なんなら開会式よりも多様性を実感したし、感動すら覚えた。

 クレジットカードのポイントが貯まると映画観賞券に交換する人間なので、手元にある2枚の鑑賞券を使い、「サイダーのように言葉が湧き上がる」と「鬼滅の刃 無限列車編」を観てきた。前者は好き。この夏公開されたアニメ映画は、これと「竜とそばかすの姫」しか観ていないけれど、どっちが好きか選べと言われたら私は断然こっちだ。鬼滅はストーリー知っていて観たのにめちゃめちゃ泣いた。

 「サイダーのように言葉が湧き上がる」、いいですよ。90分で、誰も傷つけず爽やかな気持ちになれる映画。観終わってから気づいたけど、タイトルも五七五になってたのね。市川染五郎が声をあてていると聞いて、鑑賞券もあるし行こうかな、くらいの気持ちで観に行ったけど、とっても好みでした。エンドロールに横浜翠嵐、横浜サイエンスフロンティアって観た瞬間「俳句甲子園だ!!」って、「これもしかして劇中の俳句、高校生たちが作ってるのか!!」って理解して、なんかそれも含めてとってもよかった。

 

 oggiとかpreciousに出てくるジュエリーや時計の写真を眺めるのが好きで、「綺麗だなあ。30歳の節目に、私も何かひとつ記念になるもの買おうかな」と思っていたのだけれど、こうして素敵な作品に出合うと「宝石にお金出すより、同じ額を映画・漫画・書籍代に充てるほうが満足度高いかも」と思ってしまう。綺麗なものは見ていて気持ちがいいし、あったらあったで幸せな気分にはなれるけれど、どっちの使い方がいいか迷う。

 婚約指輪はきらきらして綺麗だったし、見ていて幸せな気持ちになった。相手がいなければ身に着けちゃダメなものでもないし、記者時代、左薬指に指輪をはめて取材に行ったときは変な人に絡まれなかったし(「指輪付けたら絡まれなくなるんじゃない?と提案してくれた当時の上司、ありがとう)、厄除けにもなるから婚約指輪買うのも楽しそう。

 あそうだ、前に住んでいた部屋でカビまみれになって泣く泣く捨てた、母のお下がりのバーバリーのトレンチコート。あれと同じようなものを買いたいなとも思っているんだった。まだロゴが変わる前の、生地も茶色じゃなくて光沢がある玉虫色というか、うっすら緑がかっている時代のバーバリー。生地が重いんだけど、着ていて不思議と心が落ち着くから好きだったんだよね。クリーニングでは到底取り切れないだろうと思えるひどいカビで捨てたけど、実際どうだったんだろう。

 

 明日の連休最終日は何しようかな。それにしても、休日の過ぎる速さはどうしてこんなに平日と違うのか。謎だ。

第30話:残り148日

 世の中は、異性と結婚していない人間に対して厳しい。無償の愛情も慰めも、いたわりも、帰属意識も安心な暮らしも、一人で手に入れるのは難易度が高い。周りの話を聞くに、妙齢の独身に向けられる目線は「何か問題がある」「きっとどこか変な人なんだ」というものが多いようだ。

 ばかばかしい。浅はかにもほどがある。結婚していてもモラルのない人間、性格が歪んでいる人間、思慮深さのない人間、たくさんいるのに。独身でもそういう人はいるけれど、「ほらやっぱり、だから独身なんだ」と言われがちなのはなんなのか。考えれば考えるほど分からない物の見方だ。

 私は、人生を一緒に生きていってくれるパートナーは欲しい。結婚というシステムに則って異性と生活を共にするのも選択肢の一つではある。でも、あくまでも選択肢の一つ。異性愛者ではあるけれど、別に結婚相手が好きな相手じゃなくても構わない。恋愛結婚に縛られる必要もないな。裏切られるのは1回で十分だし、頭の狂った家族・親戚と関わらなきゃいけない地獄は絶対に嫌。結婚という形を取らないで異性・同性とパートナーシップ契約を結ぶのもあり。そもそも、一緒にいて苦じゃない異性なら、好きになろうと思えば好きになれる気がするし。自分を騙すのも知性のうちだと思う。

 契約結婚でも全然かまわない。でも、私が差し出せる価値はあまり思いつかないから、実現は難しそうだ。だからたぶん、かなりの確率で、私は独身で子供も持たずに生きていく。

 親戚はいないし、親もきっと私より先に死ぬ。ひとりで生きていくことを想定して諸々整えなければいけない。ならば、独身で楽しく幸せに、健やかに暮らしていくための術を身に着け道具を揃えなくては。「結婚以外の方法で相互扶助が可能なチームを作るのも当たり前な社会」、そんな社会があればいいけれど、当分訪れそうにないし、作るために孤軍奮闘する気力はない。考えられる中で一番楽で、手軽で、確実な選択はやはり、一人暮らしの満足度を上げるために準備をする、というものだろう。

 

 約4か月、嫌いな街に暮らしたおかげで、自分が人生に求める幸福の条件が分かってきた。好きな街、お金、健康、知性、友達。楽しく生きるには舞台装置がいる。ひとりで生きるなら財産を残す必要もないから、好きなように貯蓄して好きなように使う。遊ぶにも体力はいるので健康はマスト。知性を求める営みは暇つぶしに役に立つ。友達はいると楽しい。だからこの5つ。幸せに生きるというよりかは、不機嫌な時間を減らすために必要な要素、と言うほうが似合うかもしれない。恋人や家族がいないというだけで孤独に押しつぶされ不健康になり、めそめそ泣いて、人のインスタ投稿を羨み妬む人生はまっぴらごめんだ。

 40歳になるまでにこの街を出てやる。必ず。それまでに1000万円くらいお金を貯めよう。歯並びを治して食事運動睡眠に気を配り、知識を得て思索し文章を書き、気の合う友達を作る。それでいいと思う。妊孕性が低下する年齢になれば子どもを持つ持たない論争からも下りられるし、きっと歳を取るのも悪いことばかりではない。

 

 ま、人生何が起こるか分からないから、今日の夜にでも大動脈解離で死ぬかもしれないし、「やっぱ死ぬなら今だな」って、自分の意志でさくっと高いところから飛び降りるかもしれない。ネットの炎上に巻き込まれて感情の捌け口を無くすかもしれないし、知り合いと契約結婚するかもしれないし、誰かとまた恋愛するかもしれない。仕事もこの先ずっとあるとは限らない。何の因果か知らないが、またどこかでなんらかの物を書く仕事に就くかもしれない。どうなるか分からない。でも、どうなるかなんて誰にも分からないからこそ、私が私の人生に対してどういう勝ち負けの基準を設定し、どんな態度でこの戦いに臨んでいるか、書き記しておかねばならないと強く思う。

 それと、これを読んでいるあなた。あなたがどんな条件でどういう状況に置かれているかさっぱり知らないけれど、どんなスタンスで生きてもどれもありだと思います。だって人生みんな違うし。他人を犯罪に巻き込んだり世の中の平安を乱す行為は許さないけれど、それ以外は人それぞれでしょう。私は私の基準で私の人生を戦うけれど、あなたはあなたの基準であなたの人生を戦ってください。ひとりひとり競技が違うので、くれぐれもお互いの競技やその勝敗に口を挟まないように。

 でも、休みなく戦いを続けることはできないし、外野の応援が欲しいときもあります。じゃあお互い、試合の合間に雑談でもしましょう。必要なら、余力があれば応援もします。ただ私は、これから一層、私が好ましいと思う人間とのみ深く関わっていくつもりでいますが、その辺もお含みおきを。

第29話:残り153日

 朝、どうしても仕事に行きたくなくて、人に何か言われるのも嫌で、それでも仕事に行って、仕事ぶりを褒められても嬉しくなくて、泣きそうになりながら帰宅して、よく分からないけどつらくて寂しくて悲しくて泣いている。

 元婚約者のオンラインカウンセリングに付き合って、これまで2回、カウンセラーと私と元婚約者の3人で話した。ボランティアのつもりで、相手の今後の人生を考えれば言語化の練習をしたほうがいいことは確かだから社会貢献のつもりで付き合ったけれど、辛いことを強制的に思い出させられるのは思った以上に辛かった。昨日2回目が終わって、カウンセラーさんから「来週もよろしく」って言われてその時は「はい」って引き受けたけど、だんだん「なんで私ばっかりこんな辛い思いしなきゃなんだ」って耐えられなくなって、断らせてほしいと元婚約者に伝えた。

 みんな勝手なことばっかり言う。そんな奴とは早く関係を断ち切れとか、電子データ削除しろとか、分かるけど、じゃあ言う通りにしたら私は寂しさとか辛さから本当に逃れて幸せになれるって言えますか。絶対に言えますか。保証も出来ないくせに私にばっかり決断させようとしないでよ。なんでまた私が決めなきゃなんだよ。決めるのだって辛いんだよ。寂しさの穴埋めも出来ないくせに近寄るな。うんざりだ。

 そうだよ私は今寂しいんだよ。だから泣いてるし痛いし辛い。安らげる場所なんてどこにもない。誰も相手にしてくれない。私よりはるかにろくでもない人間がすんなり結婚していくのに、なんで私はひとりぼっちなんだ。ずっと辛いことばっかりでもう嫌だ。

 死ぬなら今だって思う。でも30歳までは死なないって決めたからまだ死なない。100万円貯めるまでは死なないって決めた。だから気休めに漢方薬をがぶがぶ飲んで、なんともない顔して仕事に行くし、褒められたら「ありがとうございます」ってにこにこする。雑談もする。ぶっ殺したい人間を殺すこともなく、虫も殺さぬような顔で暮らして、晩御飯のメインを考えてスーパーで買い物する。何もかも憎いし壊したいけれど、まるで博愛主義者みたいに振る舞う。

 でも、ちょっとこの日記もお休みしようかな。書いたことにいちいち反応されるの、今はすごくめんどくさいしだるいしうざいしむかつく。相手が誰であってもそう。

 しばらく人間と関わりたくありません。

第28話:残り154日

 「竜とそばかすの姫」の話をしたい。

 

 昨日の日記で書いた通り、私は細田守が好きじゃない。というより、細田守が脚本を書いた映画が好きじゃないのかもしれない。「サマーウォーズ」と「時をかける少女」は面白かったし、どっちかというと好き寄りだ。でも「おおかみこどもの雨と雪」、「バケモノの子」は好きじゃない。「ミライの未来」に至っては、星野源が出ているというのにちゃんと観たことがない。

 「じゃあなんでわざわざ観に行くの?」と言われそうだが、理由は単純で、なんとなく好かないクリエイターについて、作品を見ないで「嫌いだな」のままで居続けることはフェアじゃないと考えているからだ。自分が物を作る立場だったら、作品を見ずに「なんとなく嫌」で片づけられたら悲しい。人間、生きていれば変化していくし、映画みたいに巨大なチーム仕事が発生する場合は、座組みによって作品の持ち味も変わると思うのだ。私が見る側じゃなく作る側だったらきっと、制作物を世に出したら「私だって前の時とは違ってるのにー!観て聞いて読んでー!それから判断してー!」って思う。

 という理由で昨日、「竜とそばかすの姫」を観てきたのでその感想を書きたい。こういうのどういう風に書いたらいいか分からないので、構成も何もないけど、思いつくまま書いていこうと思う。ネタバレを大いに含むので、読みたくない方はここで離脱をお願いします。

 

 さて。思ったこと。

 

 音楽がいい。ベルの歌がとてもいい。「私に向けて歌っているみたい」とは感じないしけれど、素直に「上手いなあ」と思いながら観ていた。あと忍くんの演技。自然だなって思ってたら成田凌だった。

 「愛がなんだ」を観たときにも「成田凌すごい、自然過ぎて恐ろしいな。ここだけ現実世界みたい。とにかく成田凌怖い」って思った覚えがある。エンドロールで「うわ、また成田凌じゃん」ってなった。私はたぶん成田凌の演技が好きなんだと思う。

 あと、鈴が「6歳の時に忍君にプロポーズされた」という話をヒロちゃんにしたとき、ヒロちゃんが「そんな大昔のことを言われても」って答えるんだけど、なんかこれが、高校生の時間感覚だなって感じがしてリアルだと思った。大人になると11年前の話は「もうそんなに前なの!?」って驚くくらい、すごく近い場所にある記憶として残ってることが多い気がする。確かに11年前は大昔であるっちゃあるんだけど、でも「大昔」って言えるのがなんかこう、若い人の特権って思ったんだなあ……(全然説明できてない)。

 

 本題はここから。主に物語について書いていく。セリフはうろ覚えだけどご了承ください。

 

 そもそも、鈴が竜に興味を持って近づき、深入りしようとした動機は何なのか考えてみた。鈴はインターネットの悪意・誹謗中傷に晒されている竜と自分を重ねたんだと思う。だから、周りがどれだけ竜を悪く言おうと、それこそ親友のヒロちゃんでさえ竜を悪く言うのにも関わらず、「本当に悪い人なの?」と疑って確かめたくなったんじゃないだろうか。

 鈴のお母さんは土砂降りの中、中州に取り残された見ず知らずの子どもを助けようと川に入っていき死んでしまう。それがニュースになると、ネットではお母さんへの称賛(「勇敢な行いをした」とかだった気がする)だけでなく、「川遊びが辛気臭くなるからこういう事件はやめてほしい」「自分の子どもを置いて他人の子どもを助けて死ぬなんて無責任だ」みたいな言葉がうじゃうじゃ出てきた。鈴はそれを知っている。どうしてお母さんは自分を置いて死んじゃったんだろうという気持ちのところに、「お前のお母さんは悪物なんだ」と言われるようで辛かっただろう。お母さんへの称賛や鈴への慰めの言葉はネットにも確かにあったんだろうけれど、誹謗中傷のほうが格段に量が多くて、心地いい言葉は全部かき消されてしまった。

 Uでベルとして歌ってからは、今度は自分自身が攻撃の対象になった。ヒロちゃんに「どうしよう!めちゃくちゃ叩かれてるよ!」って言うシーンで「半分もアンチがいる!」みたいなことを言っていた記憶がある。これにヒロちゃんは「もう半分は称賛ってことじゃん」って返していた。鈴は自分にとって好ましい言葉と嫌な言葉が同じ量だけあったら、嫌な言葉のほうに意識がいっちゃう人なんだろうね。分かります。

 そんな鈴が、理由がよくわからないけどとにかく嫌われて攻撃されている竜と自分を重ねて見た可能性は大いにあると思う。幼少の頃、ネットの嫌なところを煮詰めたような誹謗中傷を受けた者として、鈴は「インターネットの空間は、批判の言葉が過剰に大きくなりやすく、肯定はそれにかき消される」ということを分かっていたはずだ。だから、こんなに大勢から忌み嫌われる竜が本当にそれだけの恨みを買う存在なのか確かめたくなった、というのが、竜に興味を持ったきっかけなのではないかと思う。

 

 だって、じゃないと鈴が竜に深入りする理由が説明付かないんだもの。さんざん美女と野獣やってるけど、あれは本家と違って恋に落ちている訳じゃないと思うのよ。合唱団のおばちゃん達に「好きな人でもできた?」ってからかわれてたけど、鈴が竜のことを恋愛として好きになる理由、なくないですか?少なくとも私は読み取れなかった。

 最後のほうで恵君から「大好き」って言われてたけど、恵君の「大好き」は恋愛感情じゃなくて、自分のために本当に助けに来てくれた存在、本当に守ろうとしてくれた存在への愛着の表現だと思うんですよね。いや、もしかしたら恋愛感情の可能性もゼロじゃないかもしれないけど、なんか腑に落ちない。でもなあ、竜とベルの間に恋愛感情が生まれていないとしたら、なんで美女と野獣を入れた?って疑問は残るけど……。いやでもないと思うな恋愛感情。この辺はよう分からんです。

 

 もう一つ。終盤、鈴が恵君たちを救うために、自分がベルだと証明するために自らアンベイルして歌うシーン。あそこで、お母さん中州の子どもを助けるために川に入りに行くシーンが挟まれたじゃない?あれなんでだろうって思ったけど、鈴はあの時、見ず知らずの子どもを助けに行こうとしたお母さんの心情を理解したんだろうね。

 鈴、もしかしたら心のどこかでお母さんのこと「なんで自分のことを置いて助けに行ったんだろう」「助けに行かなかったら死ななかったのに」って少し恨んでたかもしれないなと思っていて。でも、今鈴がやっていることってあの時のお母さんと同じで、全然知らない見ず知らずの人間に命の危機が迫っていて、助けなきゃって思いだけで、その後の自分への影響はあんまり考えずに行動している訳じゃないですか。「お母さんが助けに行かなかったらあの子が死んじゃうの」って言ってたお母さんの気持ちが分かって、わだかまりがなくなったから泣いてたんだと思う。よかったね鈴ちゃん。

 

 あと、明確に描いてほしかったなと思うのが恵君たちのその後。虐待されてる子どもに「僕は僕の戦いを頑張る」って言わせてその後を描かないの何?意地悪じゃない?物語本編で描けないならせめてエンドロールで静止画流すとかでいいからさあ。明確に彼らが助かった描写が欲しかったなー。だってあのまま家帰ったら絶対お父さんに酷いことされるでしょ。配信も切れてるから世間にその様子は知られないかもしれないし。ちゃんと保護されてると信じたいけれど、細田守は「おおかみこどもの雨と雪」でもそうだったように行政を信用してなさ過ぎる面があるから、その点ちょっとなあー、描いてほしかったなーと思う。

 話は逸れるけど、その点、新海誠は「天気の子」で、陽菜たちを保護しようとする大人たちが出てきて、法律や行政といったものの存在を見せていてよかったなと思う。「子どもだけで生活しているのはよくないから」みたいな理由で、行政の人が陽菜たちの家に訪問するシーンあったよね確か。ああいうシーンがあるから、新海誠作品の持ち味「リアルな背景描写」だけに頼らないでリアル感を出せてたんだと思うのよね。

 

 閑話休題

 

 東京に行くシーンについて、Twitterで「虐待する親のところに一人で鈴ちゃんを行かせるなよ」ってコメントを見たのだけど、それは本当に同意なんだけど、でもあそこで誰かが付いて行っちゃったらこの話が、鈴ちゃんの成長物語にならない気がするのよね。個人的には大人付いて行けよって思うけど、あそこは一人で行かないと、お母さんが一人で助けに行ったエピソードと対比にならないからしょうがなかったのかなとは思う。あんなに大勢の大人がいるんだから誰か一人でも一緒に行ってよって思うけど。

 

 主題は鈴の成長、過去の克服、前進の物語ってよくわかった。「Asはその人の隠れた能力を引き出す」という設定だから、ベルの状態では歌える→現実世界でも一人なら歌える→Uの中でも鈴として歌える→現実世界で鈴として歌える、って、段階を踏んで描かれていたの親切だよね。

 

 分からなかったのは、竜が嫌われている理由。「ファイトスタイルが最悪」「データが壊れるまで殴られる」って理由でそんなに嫌われるものなんでしょうか?

 ていうかそもそも、データが壊れるまで殴られる、ってどういうこと?Asが現実の身体と身体感覚を共有してるなら、「データが壊れるまで」ってそれ現実世界のオリジン死んでません……?大丈夫なの?Uは複数アカウントが作れないんだったら、アカウント復元も別アカウントでU使うのも出来ないし、どうなんだ?UがサマーウォーズのOZみたいに使われていたとしたら、アカウントないと生活で不便を被るからかなり迷惑な話だけど、そもそもUがどんなインターネット空間なのか分からないし、この変、分からないことだらけでございます。誰か仮説がある人、聞かせてほしい。

 あと、インターネット自警団にアンベイル出来るほどの力を与えている状態もよくわからん。ジャスティンにたくさんスポンサーが付いていたけど、なんで1アカウント追放のためにあんなにスポンサーが付くのか謎だった。ジャスティンはジャスティスが元だろうけど、やっぱりガストンに似せたのかな。

 

 ざくっとこんなもんです。観た人がいたら感想聞かせてください。

第27話:残り155日

 私は細田守があんまり好きじゃない。川村元気はもっと好きじゃない。

 細田守は行政を信用してなさ過ぎて嫌だし、川村元気は、ほれ、感動するだろ、みたいな計算を感じてなんか嫌。だから「君の名は。」で新海誠川村元気が組んだと聞いた時には「絶対に泣くまい」と思いながら映画館に行った。実際には、ストーリーを追うのでいっぱいいっぱいだったから泣く泣かない以前の問題だったのだけれど。でも、あれをきっかけに上白石萌音の良さに気づいてはまるようになったし、絵の美しさは求めていたものだったから、結果としては満足感のある鑑賞時間だった。

 「竜とそばかすの姫」を観て来たのでその感想をまとめようと思ったんだけど、母と話していたらそんな時間がなくなってしまったので詳細は明日書く。(ここから先はネタバレありありで書くので、嫌な人はここで画面を閉じておやすみなさい)

 

 でも少しだけ感想を記録すると、「ストーリー結構穴だらけじゃない?」「片方の問題、ちゃんと解決してる?悪化してる可能性ない?なんで描き切らないの?行政を信頼して?あれだけ人間の悪意を描いておいて最後そこだけ描かないの、もしかしてわざとやってる?」と、分からないことだらけでした。主人公に感情移入して泣くところもあったし、今までの細田守作品に比べて、必然性の無い下ネタがなかったのはよかったんだけど、それ以外は雰囲気で押し切られた気がしている。うーむ。

 「美女と野獣」、もしくは「サマーウォーズ」との対比で批評を書くのが王道な気がするけど、それは他の誰かに任せて、明日の日記では感じたことをつらつら綴りたいと思います。パンフレットも買えなくて、批評するには材料が足りないし。

 ひとまず、おやすみなさい。