第61話:残り62日

 ずっと、ずっと冬の夜の室内で、ぼんやりした明かりでまどろんで、いい匂いを嗅いで、本を読んで、静かな音楽を聴いて、そんな時間が1週間くらい続いてくれたらいいのになと思う。仕事にも行かず、たまに窓を開けて新鮮な空気を取り込み、あとはずっと幸福の中。太陽なんて出なければ日常生活を送らなくて済むのに。憎らしいほど規則正しく時間は過ぎる。

 

 最近欲しい物が出来た。部屋を区切るパーテーション。ポストカードを飾る額。文箱。濃い色をした木のスツール。シーリングスタンプ。こうして見ると部屋で心地よく過ごすための道具たちばかり。今は外に出る元気を貯める時期なんだと思う。

 

 そんな感じ。

第60話:残り70日

 語るのも疲れるほどこの街にはがっかりした。もう何も言うまい。ありがたくお金を稼がせてもらい、さっさと出て行こうと思う。

 にしても、出ていくには結婚が必要だ。異動のためのかなり強いカードになる。私はどうして好きな人と一緒にいられないんだろうな。周りは一緒に住んだり結婚したりしてるのに。

 家に帰って、今日あったことや心が動いたことを話す相手、無条件に愛情を注いでも構わない相手、そういう人がいる暮らしを、どうして私は得られないんだろう。子どもが欲しいかと言われれば、もし産める可能性があるならば、好きな相手との子どもなら欲しい。好きじゃない相手との子どもは欲しくない。でも血の繋がらない養子は欲しい。何をどうすればいいのかまったく分からない。

 仕事が落ち着いてくると、こういう余計な悩みが増えてくる。悩みや悲しみに心を支配されないように、正気を保って生きられるように訓練したら、少しはましな人生になりますかね。

第59話:残り74日

 「おかえりモネ」、「カムカムエヴリバディ」、Eテレで始まる「英会話定番レシピ」、どれも観たくて、NHKに課金しようと思っている。おかえりモネは絶対にちゃんと観たい。おれたちの菅波を堪能したい。

 今日はさくさく仕事が進んで定時で帰ることが出来た。帰りにサランラップ買って帰ろう、とか、お風呂で星野源のラジオ聞こう、とか、そういうことを考える余裕がある生活。追い立てられない生活。きっとこれがあるべき姿だ。維持したい。毎日定時で帰りたい。

 他にも書こうと思ったことあった気がするけれど、まあ明日に。今日はこの辺で、おやすみなさい。

第58話:残り75日

 行きたいところに行く、会いたい人に会うのは今のうちだ。いつまた感染が拡大するか分からない。職場は第六波を警戒しているから、まだ県を跨ぐ移動は「よく考えてね」と言われている。

 それでも、1人の外食が解禁されて幾分か心がマシになった。夜に湯船に浸かる時間も元気も出てきたし、部屋はほぼ自力で片付けた。少し手伝ってもらったけれど、自力で出来た部分が予想より多くて嬉しかった。

 今日は6月に買ったKINTOのカップを割ってしまって少し落ち込んだ。でもまた買う。あのまるん、とした形が好き。

 

 早く週末にならないかな。行ってきます。

 

第57話:残り81日

 ストレスとか疲れとか、見ないようにしていたものを「ストレスかかってますよ」「疲れてますよ」と言われて、それによってメンタルも身体もガタが来始めた。熱は出るし生理は止まるし、怠いし眠いし眠れないし、泣きたいし八つ当たりしたいし。嫌なことを思い出したり、明日や明後日、1年後を悲観したりして、めそめそする毎日だ。

 一人じゃなかったら違ったかな。二人暮らしだったら、正面からダメージくらわないで済んだかなとか考えると、どうしようもなく悲しくなる。ずっと一人で生きていくのはしんどい。泣いてもどうにもならないって分かっているけれど、辛いものはどうしたって辛い。私も眞子様みたいになれば良かった。そのほうがどんなにかマシだっただろう。どうして知り合いや友達が、健康か不健康かに関わらず結婚して幸せに暮らしていて、なんなら子どもやペットだっているのに、どうして私はひとりぼっちなんだろう。長生きなんて絶対にしたくない。

 部屋が凄まじく荒れている。誰か片付けてくれないかな。一人で頑張る力なんてもう付けたくない。シスターにでもなっていればよかった。財産はなくとも、共同生活を送る人がいて、労働や存在意義が保証されていて、そういう人生のほうが、今こうして一人でもがいているより数倍幸せな気がする。孤独じゃないもの。周りには人がいるし、孤独を感じたら神様に祈ればいい。まあ、私はクリスチャンじゃないしカトリックの価値観にも馴染めないだろうから、仮になろうとしても、シスターになる前のお試し期間で脱落していただろうけれど。

 でも、なんとかして生き延びて、電車社会に帰って誰かと楽しく共同生活を送りたいから、なんとかかんとか頑張ってみてはいる。インターネットで知り合った名も知らぬ人たちとおしゃべりしたり、「小さな目標を立て合い励まし合い、進捗を報告し合う会(仮)」を作ったり。自分を励ます共同体が無いなら、見つけるか作るかするしかない。一人で頑張れないなら仲間を作るしかない。単純な話である。

 

 明日と明後日は疲れない程度に仕事して、土曜日は部屋を全部片付けましょう。お金を払って人にやってもらうのもありだよね。頼れるもの頼って使えるもの全部使って。るんるんでつよつよな私になって東京に帰るまで、勝つまでがこのゲームです。今に見てろこんちくしょうめ。

第56話:残り87日

 祝!「ストレスチェックで高ストレス者として引っかかる」の実績を解除しました!社会人史上初!

 これまで幾度となく心身の不調に晒されてきたわけですが、職場のストレスチェック引っかかるのは初めてです。びっくり!でも、「死にたい……私は生きてる価値ない……早く私を殺せ……」みたいな気持ちには一切ならない。確かにイライラしやすいし肌荒れがひどいけど、眠りも食事もまあだいぶましになったほうだし、不思議な気分です。イライラはしやすいけど。

 日本語が上手いって、母国語が日本語なら当然だと思ってたんだけど、違うんだなって驚く毎日です。社会人やってて今まで、同じ職場に「かたずけ」って書く人も、主語と述語が対応しない文章書く人もいなかったし、パーセント同士の差を「○○ポイント」じゃなくて「○○パーセント」って書く人もいなかったし、そういう人見て最初はびっくりしてたんだけど、最近は「あーそういう感じね」となりました。

 あと、文章で説明するのが下手な人に限って「大事なことは電話もしくは対面で」とか言う。確かに文章書いてもらうとしっちゃかめっちゃかだから話を聞くんだけど、じゃあすっきりした話し方するかって言えばそんなことない。「文字だと声のトーンとか伝わらなくて誤解を招くから」とか言うけど、実際話してみるとめちゃくちゃイライラを隠せてなくて、しかもそれが自分勝手過ぎない?というイライラの仕方だったりする。

 これは暴論なんだけど、仕事で、大して重要でもない場面で「大事なことは電話か対面で」って言う人、だいたい話させたところで全然理路整然としてないし、事実と個人の考えをごちゃ混ぜにするし、大抵が文章も会話も下手。自分の文章力の低さを見てないし、磨こうともしてない。「文章が上手で会話が下手」はある。でも逆はないよ。時間の制約があまりない中でさえ、相手のことを適切に想像しながら論理を組み立てられない人間が、リアルタイムで進む音声コミュニケーションをスムーズに進められるわけない。「そんなことない」って言う「文章が苦手で会話が得意」な人がいたら、それは自覚がないだけで本当は文章も得意、もしくは、相手が自分以上にはるかに頭が良くて、会話の主導権を取られていることに自分が気づいていない、そのどちらかだと思います。異論は認めません。

 

 こういう事例に触れる度「東京帰りたいポイント」を貯めに貯めている。ヤンキーとかチンピラめっちゃいるじゃんこの街。どっちも大っ嫌いなんだよね。うるさいし態度でかいし他人を威圧するし。少なくとも私の美意識とは相容れない。この街がそういう街だと分かったので、私は早くここから出て本来の居場所に帰りますんであとはどうぞご自由に。あの街はある程度テリトリーが決まっていて、生活していてヤンキーに会いたくなければそういう場所を選べる自由さが最大の魅力なので。港区のオフィス街にガラの悪いヤンキーはいないし、日比谷の図書館にチンピラは来ませんよ。銀座は道・時間によってはやばい方々と思しき人たちもいるけれど、でも田舎のピヨピヨしたヤンキーやチンピラとは違うじゃん。ちゃんと弁えてらっしゃるじゃないですか。それが何ですかこの街は。どこに行ってもやなやついるじゃないですか!もうそれだけで無理!嫌い!私の休日の気分を台無しにするんじゃねえ!大っ嫌い!季節感もないし人間は魅力ないし、こんな街大っ嫌いだ!あっかんべーだ!

 結婚相手がいなかろうがなんだろうが、私は私の人生を私の基準で最高にしたいので絶対に東京に帰ります。東京以外のいい感じの街があればそこに暮らすのもやぶさかではないけれど、今のところ一番よく知るこの国の理想郷が東京なのでね。地元ものんびりしていて緑が豊かで好きだけど、価値観が凝り固まって知り合いに監視されるような毎日は嫌ですし。

 目立たなくて済むから東京は大好きです。待ってろ東京。待ってろ心地よい生活。

第55話:残り90日

 小学校高学年の頃、季節行事で一番好きなのはクリスマスだった。寒くて暗い雪国の冬は、健康な人でも憂鬱な気分になると聞く。そんな季節でもわくわくしていられたのは、クリスマスのおかげだと思う。

 理由には、クリスマスソングが好きだったこと、誕生日が近いから、なんだか私のために街がキラキラしているみたいで嬉しかったこともある。町内会の子ども部主催でケーキを食べたり、学校の「お楽しみ会」に向けて友達と出し物を考えたりするのも楽しかった。

 一度、母がクリスマスに合わせて家の玄関を装飾してくれたことがあった。小さなツリーとリース、キルトで出来た赤いタペストリーが玄関を入ってすぐ正面にあって、家がすごく素敵な場所になった気がした。学校も楽しければ家も楽しい、そんな思い出を得られたのは、今振り返ると本当に恵まれていたと思う。

 

 今日は一日に嬉しくなることが何個もあって、「あの時のクリスマスシーズンみたいだ」と思った。久しぶりになんの憂いもない二連休の初日というだけでも嬉しいのに、今こうして布団に入るまで全部、本当に全部嬉しいことだらけだった。

 いつもと同じ時間に起きてシャワーを浴びて、洗濯機を回しながら朝ごはんを食べた。洗濯物を干し、2回目の洗濯をしながらゴミをまとめ床にコロコロをかけ、食器を洗ったあと、「今日こそは」と決めていた、友達が先日贈ってくれたマニキュアを塗った。

 偏光パールのマニキュアは初めてで、瓶で見た時と塗った時の色が違うこと、光の加減で色が変わることを実感して、なんだか嬉しくなった。シンクも洗面台もピカピカにしてコンビニのコーヒーを買いに行った後、宮城にいる友達と久しぶりにLINEをして「壁一面の本棚が欲しい」「今、ローテーブルを探していて」「オカムラのシルフィーって椅子があってね」と近況を伝え合った。

 コインランドリーに行って幾つかの洗濯物を乾燥機にかけた。200円の贅沢が出来るようになった幸せを噛み締めながら手元を見ると、さっきとまた違う色をしていた。部屋の照明、洗面所のオレンジ色のライト、太陽光、コインランドリーの明かり、それぞれ種類が違うから光り方も変わるみたいだ。すごく楽しいし、おしゃれだと思った。贈ってくれた友達に感想とお礼を伝えた。

 Go!プリンセスプリキュアの変身BGMがApple Musicにあることを発見した。ダウンロードしたから、これでいつでもどこでもプリキュアに変身出来るようになった。

 日が翳ってきた頃、大きくて色の濃い月が目に入って「今日はベランダで月を見ながら夕食にしよう」と思い立った。脚立を椅子代わりにしてANA機内食を食べ、あたたかいお茶を持ちながら空を眺めた。雲は確かに形を変えるし、東から西へ流れていた。夕焼けはグラデーションで、まだほんのり太陽の明るさが残っているのに、ぽつぽつと星が見えた。

 知人から連絡が来てメッセンジャーを開いたら、縁切榎の絵馬が映っていた。散歩をしていて出くわしたらしい。以前私が「お散歩のついでにでもどうぞ」と言ったのを覚えてくれていたようだ。連絡があったことそのものも、覚えていてくれたことも嬉しかった。

 暗くなってもぼんやり空を眺めていた。月にも眩しい時期があること、夜空は黒じゃなくてかすかに青いことなどを発見した。私にゆっくり静かに流れる時間があることをフォロワーの人が喜んでくれて、喜んでくれる人がいることに嬉しくなった。

 ある友達が「糖分」を送ってくれたそうなので配達を待っていたら、配達の人がちょっと嫌な態度を取る人で悲しくなった。でも飲み込まず、お客様相談センターに電話して「嫌でした」と伝えて、嫌なことを嫌と言えるようになった自分にびっくりした。箱を開けたら砂糖(ちょっとおしゃれな砂糖)が入っていて、「本当に糖分そのままじゃん!」と笑ってしまった。フォロワーさんが本棚の情報を教えてくれた。日記に嬉しいコメントも書いてくれた。

 8月は疲労と忙しさで空腹感が分からず、最低限ミネラルと水は摂らねばと塩を舐める日もあった。それと比べて今は、お腹も空くし朝昼晩食べて、夜は眠い。一人静かに自然を眺める時間も、人と触れ合う時間もあって、爪は楽しくてコインランドリーは幸せで。辛いことや不安なことが一個もない日が大人になってから訪れるなんて思ってなかった。今でも信じられていない。

 

 私は、嫌だったことや怒ったことを詳細に覚えているし思い出せる。でも楽しかったことや嬉しかったことは、確かにそこにあったはずなのに、思い出そうとしてもすぐには出てこない。記憶も、輪郭が緩いぼやぼやしたものだったりする。

 だから今日みたいに幸せな気持ちでいっぱいの日は、いつかちゃんと思い出せるように記録しておきたい。幸せな記憶を増やす練習をして、なんだか私の人生楽しいなって思い続けたい。

 

 半年前の私へ。仕事を探して思い切って引っ越ししてくれてありがとう。相変わらず街並みや街の人は好きになれないし隣の部屋はうるさいけれど、首都圏や地元、インターネットで出来た人間関係があなたを助けてくれるよ。ふてくされて何もしない選択肢もあったのに、気持ちがついていかなくても行動しなきゃと、回避してくれてありがとう。へろへろになりながらも暮らしを繰り返してくれてありがとう。

 私今、独りぼっちなんかじゃないよ。