ニュース

なぜ若者は沖縄警察署を襲撃した?「巡査は人前では手を出さないけど…」

「もし僕が19歳だったら、警察署前にいただろう」

沖縄警察署

宮永英一氏 ’51年、沖縄県生まれ。「紫」「コンディション・グリーン」などのバンドで活躍。現在はコザでライブハウス「キャノンクラブ」にて、後進育成に力をいれている

「もし僕が19歳だったら、警察署前にいただろう」。沖縄ロックを代表する「紫」のドラマー宮永英一氏は、コザ騒動の最初の“火”をライブ演奏の帰りに目撃する。 「今回の襲撃が起こったのは、SNSで情報が錯綜し、一時的に感情が抑えられなかったからだと思う。19歳のときに見たコザ騒動に似ている。  その日は米軍の毒ガス隠ぺいに抗議する全軍労などの大規模な集会があって、沖縄のあちこちから集まった人が中の町で夕方から飲んでいた。  深夜、米軍の車がちょっとよそ見して、国道330号を横断していた日本人と軽くぶつかった。MP(憲兵)が事故処理していたら、『犯人を逃がすな。琉球警察を出せ!』と酔った群衆が運転手を引きずりおろし、車を揺するわけ。  当時はみんなタバコを吸うから、周りは吸い殻だらけで、漏れたガソリンに引火。きっかけは偶然だった。最初は誰も火なんかつけていなかったんです」

コザ騒動という呼び名には複雑な思い

 コザ騒動という呼び名には複雑な思いを打ち明ける。 「コザで起こったから『コザ騒動』『コザ暴動』って言われているけど、コザの人たちはやりたくてもやれなかった。  僕は『ニュー・コザ』という繫華街で育った。そこである事件が起きたとき、米軍からオフリミット、つまり立ち入り禁止区域に指定された。事実上の経済制裁。みんな仕事を失った。  一度、これほどの苦しみを経験しているコザの人は、どれだけ理不尽な目に遭っても、理性で抑えつける。人一倍、いや十倍も百倍も反抗したい気持ちはあったのに……。もしいま僕が19歳で、仲間がケガしたと聞けば、警察署の前に駆けつけますよ。でも当時と同じで石は投げないでしょうね」  ベトナム戦争が泥沼化していくなか、宮永氏は「闘争の音楽」から「平和の音楽」へ辿り着く。 「米兵はステージにビール瓶を投げてきた。本物のロックを知っていたから、カネを払う以上は僕らにも本物を要求してきた。毎晩、審査員の前で演奏しているようなものだから、それはうまくなりますよ。  やがて彼らに認められると、誰も戦争になんか行きたくないとわかった。明日、ベトナムに送られるかもしれないなか、浴びるように酒を飲み、音楽に救いを求めていた。  あれだけ米軍車両を焼き払ったのにコザ騒動の死者はゼロ。人の乗っている車は燃やさなかった。そこに琉球の『すくぶん』(民族性)を感じたね。不幸中の幸いで、今回も襲撃ではケガ人はいなかった」  歴史の“偶然”がコザの街に交差する。 取材・文/村田孔明(本誌) 取材協力/上原由佳子
1
2
3
4

ADVERTISEMENT

ADVERTISEMENT

テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
Pianoアノニマスアンケート
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
ハッシュタグ