ニュース

なぜ若者は沖縄警察署を襲撃した?「巡査は人前では手を出さないけど…」

第2のコザ騒動か?街の人はどう思う

 一連の事件の起こったコザ(現・沖縄市。’74年に美里村と合併)は嘉手納基地を抱えることで栄えてきた。  米軍統治下の’70年12月には国道330号(当時は軍道24号)で米兵が通行人を車ではねた事故をきっかけに、米軍関係者の車両80台以上を一夜で焼き払うコザ騒動が起きた街としても知られる。街の人は襲撃事件をどう捉えているのか。
沖縄警察署

1970年 沖縄・コザ暴動/怒る群衆に放火されたアメリカ人の車=沖縄・コザ市(現・沖縄市)

「ヤンキーが沖縄警察署を襲撃しているのを見たらコザ騒動を思い出した。当時は思わず手を叩いて喜んだ。米軍にずっと虐げられてきたのに、怒ることもできなかったから。コザ騒動のときヤンキーと呼ばれていたのは米軍だったけど(笑)」(70代・男性) 「沖縄の恥。那覇では暴動なんて起きない。沖縄市だから起きたと思う。よく言えば、沖縄市は昔ながらの沖縄が残る場所。悪く言えば、時計の止まった街」(10代・女性) 「コロナでバイトもできないし、昨年はエイサーまつりも中止。成人式も中途半端で、みんな鬱憤が溜まっていた」(20代・男性) 「酒に酔った人が石を投げていた。お祭りみたいで、逮捕されないと思っていた。でも先に手を出した警察が悪い」(10代・男性)

家庭や上下関係に追い詰められる若者

 沖縄署襲撃事件の現場を撮影していた写真家で、那覇市議の普久原朝日氏は「暴力はダメという正論だけでは、何も変わらない」と訴える。 「現場には心配そうに見ている人もいたし、目を輝かせていた人もいました。多くは野次馬だったと報道されています。しかし、そういう分け方は意味がない。’19年、香港デモでも卵を投げていたのは一部の人で、ひどい状況のなかでも賑やかに会話をしていた人たちもいた。圧倒的な力の差を前にしても、声を上げよう、真実が知りたいという姿は変わらない。それなのに『土人』『サル』などとSNSでは沖縄ヘイトがあった。なぜ彼らが追い詰められたのかを考えなければ、問題は解決しない」

撮影/普久原朝日

撮影/普久原朝日

「国から沖縄への補助金は多いが、公共事業は内地のスーパーゼネコンが受注し、そこでまずピンハネされる。内地ばかりが悪いわけではなく、沖縄の経営者も悪い。もんちゅう(門中)といって、身内に優しく、他人に冷たい風潮が沖縄にはあり、ブラック企業が多い。とくに建設業界で働く若者は搾取されている。それなのに、襲撃事件では『カネをもらっているくせに』と若者に対して、いわれなきヘイトが投げかけられていた」(地元関係者)  長年にわたり沖縄の不良少年たちを取材してきたフリーライターの神里純平氏はこう話す。 「彼らは朝が来るのをとても寂しそうにしています。離婚率が全国トップの沖縄はひとり親も多く、子どもは寂しい思いを紛らわせるために、夜な夜な仲間とバイクで走り回る。警官に胸ぐらを掴まれたり暴行されたりもするが、大げさに吹聴し、仲間と盛り上がるのが常でした。意外と警察との交流はあり、沖縄特有のしーじゃとうっとぅ(厳しい先輩後輩の関係)からのパワハラ(YSP)に悩み、孤立しそうなときは、こっそり警察に相談して、助けてもらうこともあります」
次のページ
コザ騒動の真相を沖縄ロックの伝説が語る

ADVERTISEMENT

ADVERTISEMENT

1
2
3
4
テキスト アフェリエイト
新Cxenseレコメンドウィジェット
Pianoアノニマスアンケート
おすすめ記事
おすすめ記事
Cxense媒体横断誘導枠
余白
ハッシュタグ