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−政治との決別宣言(不出馬宣言)−

 日本には古来〈恥を知る〉という文化がありました.いつの頃からかその文化が失われてしまったのか…。

 わずか2期8年42歳で市議会を去る、私にとっては無念です。無念は、怒りであり、心からの憤りです。その怒りは、私の決断の引き金となった前桐生市議会議長によるワイセツ事件、○○議員に対する議員辞職勧告決議案賛成討論に凝縮されます。(但し、政治を〈利益と打算〉としか考えられない人には、一生理解できない憤りです。)

議員辞職勧告決議案(平成十三年九月桐生市議会本会議)
【賛成討論 前段】
議第7号議案○○議員に対する議員辞職勧告決議案について、賛成討論をさせていただきます。

 何故、ここに至るまでに○○氏自ら辞職をして頂けなかったのか、今後予想される市議会の混乱の責任をどうとるつもりなのか、極めて遺憾です。(中略)
私は付和雷同的にこの問題を取り上げ、賛成討論に立つわけではありません。2期目の市議会議員として、その2回の選挙で、最も大切な政治信条として、議員の資質の向上、を訴えてきた議員として、見過ごす事のできない問題と捉え、賛成討論に立ちます。
二千人を超える市民の代表として、毎年数百億円に及ぶ予算の議決に関わるものとして、一市民と比べれば、市議会議員の行政に対する影響力は大きいものがあります。市議会議員は小なりといえども、権力者です。司法・立法・行政、すべからく権力の側の立つ者には、自らを律する心、が強く求められます。青雲の志に燃えて政界に飛び込んだ若手議員、行政司法に入った若手官僚・若手司法官、権力の本質についての基本的学習を怠り、権力の側に立った結果、月日と共に権力に魅入られ、いつしか権力に取り込まれ、自らの身を滅ぼしていく例のなんと多い事か。自らを律する心を失い、権力を自らの力と錯覚し、我欲のために権力を利用するというその一線を超えた瞬間に、すべてが終わってしまう恐ろしさ、まさに権力には魔物が潜む、といえます。この甘く危険な権力の本質を理解した上で私はここで強く申し上げたい、我欲を抑え、自らに厳しい戒めを課せる人のみが権力の側に立つ資格がある、我欲にとらわれ、自らを律する心のない者には、権力の側に立つ資格はない、と。

 今回の事件の一連の報道の中で、かつて原告と○○氏は15年前まで親しい関係にあったというくだりがあります。親しい関係という事への具体的言及は避けますが、その時○○氏には奥さんはいなかったのか、お子さんはいなかったのか、家庭を持つという事は、責任を持つという事、妻の人格、子供の気持ちを大切にするという事、超えてはならない一線を持つという事、です。この人としての基本的な一線を簡単に超えられる人に、権力に近寄って頂きたくない。私はこの時点で、○○氏に市議会議員としての資格なし、と言いたい。いわんや今回の一審の事実認定で認められたワイセツ行為は、母娘二人に対する常軌を逸した行為。(中略)

8月1日午後、前橋地裁桐生支部において、「本件当日のワイセツ行為において、事実を認める事ができ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない」と小原春夫裁判官が事実認定をしました。極めて重大な意味を持った判決が下されました。議会運営委員会という、議会の公式の場で、事実無根、全く白であると言った言葉が偽りであった事が判明しました。そして事の推移の当然の帰結として私は、翌日、「○○議員は、市民代表としての議員の地位を即刻辞職して、一個人として今後の裁判の結果に服すべきが妥当」、という議員声明を出しました。極めて当たり前の事を当たり前に申し上げたつもりです。しかしその反響はおおきなものがありました。(中略)

しかし事ここに至っても、○○氏は今回の事件の原因を他に転嫁し、自らの非を認めようとしません。保身のため他の全てを省みず、我欲のため議席にしがみつく、あまりにも見苦しいその態度。(中略)

 何事にも原因と結果があります。その原因と結果の因果律の上に今がある訳です。今回の事件の原因は一体誰が作ったのか、確かにこのように公に知るところとなった原因は、昨年3月の全員協議会での三人の議員からの告発です。しかしこの事件の根本を作ったのは、原告とかつて親しい関係に合ったという事実も含めて、○○氏自身である事は自明の理です。全ての事柄の大本の原因は○○氏自身にあるわけです。そのことに第三者の論評の入る余地はありません。そこから原因と結果が積み重ねられ、今日の混乱となっているわけです。その事をこの討論を聞いて頂いている全ての皆様に深く理解して頂きたいと思います。(中略)

 しかし何よりも同じ市議会議員として○○氏を許せないのは、市議会議員として余りにも軽卒なその人格態度です。この事件が表面化するまでは、私は○○氏を先輩議員として尊敬もしていました。私が20代前半青年活動に身を置いていた頃から存じ上げ、当時桐生JCのメンバーであった○○氏にはお世話になりました。○○氏が勇躍市議会議員としてトップ当選された後、市議会議員とはなんぞや、と○○氏の自宅にお邪魔をして話を伺った事をほろ苦く思い出します。華々しい表の顔に隠されたその裏の人格、家庭を持つ身でありながら10数年前原告と親しい関係にあったその事実、いやと言う程聞かされる夜の街での風聞、ある教育関係者との事柄、そして自ら引き起こした今回の事件、しかも今回の事件は桐生市議会議員を更に代表する、現職の桐生市議会議長時代に引き起こした事件、余りにも自覚がなさ過ぎる。

【賛成討論 後段】
 そして何よりも重大なのは、今回の事件によって、そうでなくても蔓延していた若い世代の政治に対する不信感、議会制民主主義に対する不信感が、増幅し、そして諦めに変ったという事なのです。

 忘れもしない去年の3月3日、市議会全員協議会の席上での議会の綱紀粛正に関する三人の議員の告発、続いて記者会見、翌日群馬県内全体に踊る見出し、桐生市議がセクハラ。当時は今と状況が違います。告発した側の三人の議員、告発された一人の議員、一方当事者の証言テープのみという状況でした。どちらに是も非もない状況でした。しかし四人の議員が原因となって県内全体に発信されたセクハラ事件、同じ桐生市議会議員が引き金となって、桐生市議会の名誉が毀損されてしまった、市民代表の名誉が毀損されるという事は、とりもなおさず桐生市民の名誉が毀損されるという事態。ただ、ひたすら市民の皆様に対して申し訳ない、その一点のみでした。そして私は、議員の資質の向上を最も大切な政治信条として当選してきた議員として、自らへのケジメで、バッチを外し、公衆行事への出席自粛を決めました。それ以来私は、恥を知る者として、胸にバッチをつけた事はありません。言い換えれば、恥ずかしくて胸にバッチをつける気になりません。しかし去年の3月4日以降しばらくの間家の電話が鳴り止む事はありませんでした。そして当事者の司法の場への告発によってその市議会議員が、現職の市議会議長と判明した段階で、事態は一変しました。怒りが諦めに変ったのです。
 支援者にはいろいろなタイプの人がいます。(中略)
そして熟考し、言葉を選びながら冷静に話す人。最後のタイプの人の言葉が響きました。
「飯島、お前のやろうとしている事は分かる、それは正しい、しかし今の議会の状況を冷静に分析してみろ、俺も含めて若い世代はお前に期待していた、変えてくれるとも思っていた、しかしそれは無理だ、あのレベルの人間が議長に選出される市議会では、今後どんなにお前が正しい事を叫んでも、同じ土俵にいる限り、その言葉そのものが汚される。ものの分かる市民は誰も信用しない、結果その言葉が影響力を持たない、そして何も変えられない、それが初めて分かった時、お前は議員を何期やっているつもりだ、何年間お前を支持する有権者に期待を抱かせ続けるつもりだ、そして結果として裏切るつもりだ、なまじ期待を抱かせれば、それを裏切った時、何の期待も抱かせずに議員になったものよりも、遥かにその罪は重い、お前にその責任が取れるか…」
この胸に突き刺さる言葉、本当に私の事を考え心配し、私の立場を理解してくれている友人の言葉だけに重い…

 以来ずっと私はこの事を考えています。去年の3月4日以降、私が公衆行事に姿を現さなくなったものだから、私と競合する政治勢力の皆様からは、飯島は心身症になった、流行の引きこもりになった、という情報が意図的に流され、多くの市民の皆様に誤解を与え、大変迷惑をしておりますが、ことさら打ち消す気にもなりません。今の私はそんな政治的な駆け引きのレベルには何の関心もありません。遥かに深いレベルでの思考に入っているのです。
○○さん、あなたにこの悩みが分かりますか。
○○さん、あなたもかつては若い世代に光を与える事のできる議員だったはずです。
そして青雲の志に燃えて初めて立候補した頃は、多くの夢を語り、桐生の未来を語ったはずです。その時の言葉を思い出して下さい。そして今の自分の姿を冷静に見詰めて下さい。考えて下さい、このわずか1年半の間でさえ、あなたの表の顔を信じて、あなたの身の潔白を信じて、あなたの言葉を信じて、まさか司法の場で、あなたのセクハラ行為が認定される事などよもや無い、とあなたを支援し、結果裏切ってきた人達の事を。他の人の苦痛を一切省みず、自らの保身のためのみに、私はそれを私欲とは呼べない、まさに我欲、我欲の為に、今後一日でも多く議席にしがみつけば、それだけ裏切りは深くなり、初めて立候補した、その純粋なその時の言葉さえも、日一日と汚す結果になっていくという事を。
他の誰でもない、みずからが蒔いた種なのです。市民代表の地位を降りて下さい。○○さん。

以上賛成討論です。ご静聴ありがとうございました。

 議員にとって大切なのは、人としての資質です。頭の良し悪し、年齢とは無関係です。そして、権力の本質への理解、自らを律する心、この2つは最低条件です。この2つがなければ時の経過とともに、その議員は必ず権力に取り込まれます。見極めて下さい、議員の人としての資質を。目をつぶらないで下さい、賢い有権者には分かるはずです、その議員が単なる地域や集団のエゴの代表なのか、自らの我欲の代表なのか、それとも真に市民代表なのか。
…そしてその選択が桐生の未来を決め、子供たちの未来を決めます。それが有権者の責任です。

 最後に、私を政治の世界に見出して頂いた境野貞夫県議そして故須永徹代議士に心からの感謝とお詫びを申し上げ、私の政治活動を閉じます。
平成十四年 冬 桐生市議会議員 飯島英規

略歴 ・昭和五十四年 県立桐生高校卒業 ・昭和五十八年 新潟大学(法文・法)卒業 ・平成二年 衆議院議員須永徹 公設秘書 ・平成七年 市議初当選(三十四歳) 現在アメリカンファミリー生命・アリコジャパン代理店経営 桐生市川内町2−35−3