「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」。2007年、天皇陛下は大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会」の式典で驚きの発言をされた。琵琶湖の在来魚を減らすほどブルーギルが異常繁殖した事態に「心を痛めています」と後悔の思いを明かした。発言の舞台裏には何があったのか。関係者の証言から振り返る。
陛下は皇太子時代の1960年、訪米先のシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈された。魚類学者らには知られた話だったが、陛下自身が公の場で語るのは海づくり大会が初めてだった。
「実は、大会の告知ポスターからブルーギルを外したんです」。滋賀県の海づくり大会準備室長だった東清信さん(64)=現びわ湖放送社長=は語る。琵琶湖を泳ぐブラックバスの写真を用い、在来魚が食べられる被害をPRしたが、同じ「厄介者」のブルーギルは写っていない。「陛下との関係を考えると、避けた方がいい」と配慮した。
大会3カ月前の07年夏、準備室は宮内庁の求めに応じて、陛下の「お言葉」に関する県の原案を出した。在来魚の漁獲量回復を願う内容で、ブルーギルには触れなかった。
式典2日前の11月9日午後10時半ごろ、宮内庁から県に「お言葉」の原稿がファクスで届いた。帰宅していた東さんは職員から「どうしましょう」と連絡を受けた。思いもよらぬブルーギルの記述があったからだ。「琵琶湖に迷惑を掛けた、と陛下が謝ろうとされている」と仰天した。
宮内庁は陛下が来県する翌日の昼までに、事実誤認がないか確認するよう求めていた。準備室は深夜に県幹部に連絡を取り、ブルーギルの記述への対応を協議した。「ここまで言っていただくのは忍びない。削除の意見を伝えては」との声もあったが、最終的には翌朝、「この通りで大丈夫です」と回答したという。
そして11月11日。陛下は式典に出席した1300人の前でブルーギルを持ち帰ったと語られた。「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」
会場では「おー」というどよめきが上がった。外来魚問題に悩まされてきた漁師たちは顔を見合わせて、「陛下も心配してくれていたんだ」と口にした。その姿を見て、東さんは「言っていただいて良かった」と思わず目を潤ませた。
東さんは大会後、宮内庁の担当者から「遅くなって申し訳ありません。ただ、陛下から原稿が出てきたのが、あのタイミングだったんです」と伝えられた。
琵琶湖では外来魚問題が一因となり、漁獲量が減り続けている。東さんは「陛下もずっと悔やんでこられたのでは。直前までお言葉を熟考されていたのだろう」と推し量った。
天皇陛下のブルーギルに関する原稿が「当初、おわびの色合いがもう少し強かった」と証言する人もいる。
魚類学者でもある陛下と皇太子時代から親交がある神戸学院大教授の前畑政善さん(68)=大津市=だ。海づくり大会当時、県立琵琶湖博物館(草津市)の上席総括学芸員だった。
大会の2日ほど前、陛下の侍従から「間違いがないか見てほしい」と原稿案が届いたという。前畑さんは「ブルーギルの部分で(当日の原稿より)謝罪やおわびのような文言が書かれていたと思う」と記憶している。
ブルーギルはスズキに似た味わいで、60年当時、食用魚として有望視されていた。前畑さんは「当時は外来魚の食害が知られていなかった。陛下が悪いわけではない」と考え、「ここまで謝罪する必要はないのでは」と侍従に意見を伝えたという。
それでも、お言葉には「心を痛めている」の表現が入った。「よほど後悔されていたのだろう。(外来魚問題が広がる中で)勇気のある発言だと思う。事実は事実として認める、科学者らしい姿勢だ」と前畑さんは感じている。