僕は今、まだ生まれてきてもいない友人の死を悲しんでいる。
「おい、「MOTHER 3」また延期だよ」
僕等はよく、そんな風に彼の事を茶化し、笑っていた。それは必ず会える日が来ると、信じきっていたから。まさか一生会えない事になってしまうなんて、これっぽっちも考えやしなかったから。
「ほぼ日」を読み終えて、その理由、その経過を理解するのは、そう難しい事ではなかった。僕の中では完全に消化できたと言ってもいい。
だが、納得ができない。
まだ生まれていない彼を、世にむりやり引きずり出し、見せ物扱いしたのは誰だったのか。その痛々しい彼を、抱えあげて、お祭り騒ぎをしていたのは誰だったのか。
「誰にも責任は無い?」 しかし、どこかが歪み、そして、今も歪みは大きくなっている、、、
そんな気がする。
「彼がいなくなっても僕等の生活は続いて行く。」
お願いだから、そんな言葉で彼が最初から生まれて来る希望もなかった事にするのはやめてくれ。
彼は確実にそこに居たし、生まれ出ようと必死でもがき苦しんでいた。
「それでも腹は減るだろう?」 わかってる。けど、それで彼が生き返るのなら、僕は何食だって抜いてやる。だけど、そうはならない事も知っている。
今更どうにもならないと、忘れる事が「大人」なのか?
そうではない、怒りや悲しみを隠すべきではない。それは「無視」であって「成長」にはつながらない。
だからと言って、「彼はいい奴だった」とか、「生まれていればすごい奴になっていた」とか、「彼にどんな可能性があったのか何かの形で、、、」なんて、チンケで侮辱にも似た考えで、彼を汚すのもやめてほしい。
彼はもういないのだ。今はゆっくりとその事実を胸に刻み込むしか僕にはできない。
変な希望を抱かせないでくれ、2度も彼を失うのはごめんなんだ。
誰も責める気は無いし、そんな権利も無い。
ただ、これが僕が抱いた「MOTHER 3」に対する正直な思いです。 |