僕はファミ通を毎週欠かさず読むのですが、忙しいからと自分に言い聞かせて、もしくは実際にはゲームに対する情熱がなくなったことを確認するのがいやだからか、あまりゲームをしません。ですから僕にとってもMOTHER3というゲームが生活に影響を及ぼすことはないと、MOTHER3のことを考えてすらいませんでした。
だったらなぜこんなに息が苦しいのでしょうか。
またなぜ涙が出そうになるのでしょうか。
僕はただいま留年中です。そしてこの春就職活動をしていました。もちろん任天堂とHAL研究所の説明会も行きました。
でも結局どちらも受けませんでした。それは自分の才能のなさを無意識に自覚してしまったのか、親のことを考えたのかはっきりとはわかりません。しかし自分の将来の夢であったものにはなれませんでした。
結局逃げたのです。そんな自分がとても情けないです。
なぜMOTHERなのか?
ファミコン版、スーファミ版、共に多感な時代にプレイしました。穢れなき、今とはまったく違った時代です。夢もありました。心に染み込む言葉をかみしめました。
僕は今64しか持っていません。ソフトもマリオ、フォックス、カート、オカリナ、パワプロ、仮面など、計10本も持っていません。
ここにMOTHERも入るはずでした。
いつかは出るものだからと、遅くても結局プレイできればいいと待ちに待ち、最新の写真を食い入るように見ているだけで幸せでした。
なぜMOTHERなのか?
それは待つべきソフトをなくしてしまった留年生にとっては眩しいものと映るからです。夢を実現できなかった社会人予備軍には自らが果たせなかったものとかぶるからです。
2000年8月23日 暑い大阪より |