汁なし担々麺温玉入り(610円)

 ご当地グルメを語るときに「元祖」や「本家」などという表現をすると、何かと波風が立ちやすいものである。しかし、広島の汁なし担々麺の発祥においていえば、おそらくほとんどの人が異口同音にこの店の名前を出すだろうと思う。それが「きさく」だ。

 広島市中区、舟入幸町電停すぐの場所。いかにも辛い料理を出していそうな赤の外観。看板には大きく「汁なし担担麺きさく」の文字。この店が、いまや広島のご当地グルメといわれる汁なし担々麺を広めた「始祖」である。

きさくの外観

 店主の服部幸一さんは1999年に現在の場所の近くにラーメン店として「きさく」をオープン。しかし経営は順調にいかなかったという。

 「ラーメン店をやっていてもお客さんが全然来なくてね。どうしよう、このままじゃ店がつぶれると思って、わらにもすがる思いで始めたのが汁なし担々麺だったんですよ」

 当時、偶然にも中国人留学生が汁なし担々麺の作り方を教える料理教室があり、そこに麺を提供したのがきっかけ。その料理教室で初めて汁なし担々麺を食べたことで歯車が回り始めた。

 「こんな食べものが世の中にあるのか、うまいなあと思ったんですよね。このままラーメン店を続けてもピンチだし、それなら汁なし担々麺を出してみよう。これなら売れるかもしれない」

 その後、服部さんは汁なし担々麺の本場である中国・四川省に渡っていくつもの店を食べ歩いたという。

 「四川省で周りに日本人が誰もいないような場所にある個人店とかに入って、汁なし担々麺を食べるんですよ。でもこれが予想以上にレベルが高くて。これがウケないわけがないと思いましたね。ただし、それと同じようなクオリティーのものを自分が作って出せるのかというのはまた別の話ですけど」

 そして、2002年。ラーメン店だった「きさく」は、「汁なし担担麺 きさく」へと看板を替えた。まだ知名度のない未知の料理だった「汁なし担々麺」。その専門店への転換は、まさに一発逆転をかけた「奇策」だった。

 「きさく」の汁なし担々麺は他店に比べるとなかなかに刺激的である。この店の特徴を二つのキーワードで表すなら、「魚介系」「ゴマを使わない」という2点だろう。丼の構造としては、まずラー油、豆鼓醬(トウチジャン)などの入ったしょうゆだれ、独自ブレンドの山椒(さんしょう)が順に入って、鶏がらベースの少量のスープが入る。そこにしっかり湯切りした麺がポンとのせられる。豚ミンチ肉と青ネギが盛られたら完成だ。

 完成品を上から見ると確かに汁がない、汁なしだ。厳密にいえば、“ごく少量のスープ”が丼の底に入っているが、いわゆる汁ものの麺料理とは明らかに一線を画している。私がよく表現するのは、「肩まで漬かるお風呂が汁あり担々麺だとしたら、汁なし担々麺のスープの量は足湯です」という説明方法だ。これがなかなかに説得力がある。

 汁なし担々麺の食べ方は、食べる前によく混ぜること。出てきたままだと、まだ丼に食材を入れただけの未完成状態であるので、それをしっかり混ぜ合わせることで完成する。ちゅうちょせず20回、30回としつこいくらいに混ぜながら食べてほしい。そうすることで全ての食材が混ざり合い、複雑な味わいになるのである。

よく混ぜる。温泉卵の効果で、シャープでありながらマイルドな味わい

 汁なし担々麺の味の特徴は「ラー油の辛さ」と「山椒のしびれ」。この二つの刺激を「たれやミンチ肉のうまみ」が底上げしている構造が、基本だと考えている。その上で、店によってゴマを使ったり魚介を使ったり、豚肉を使ったり鶏肉を使ったりでさまざまな違いが出る。この「きさく」に関していえば、ゴマを使わないのでマイルドというよりはシャープな味。食欲をそそる魚介の不思議な香りを感じながら、ワシャワシャと麺をかき込み、山椒のしびれにピリピリと電気のような刺激を感じる感覚は非常に特殊な体験であるといえる。

 広島の汁なし担々麺は、温泉卵を入れてマイルドにしたり、食後にご飯を入れて混ぜ合わせて食べたりする食文化になっているが、これもこの店が発祥だといわれている。

 「お客さんが刺激が強くて食べられないというから、温泉卵でも入れてみたらと提案したのが最初なんです。当初はラーメン店だったのでちょうど置いていましたから。食後にご飯を入れるのはね、お客さんが“勝手に”始めたんですよ」

店主の服部幸一さん

 日本全国を見ると「地元活性化の仕掛け」として誕生したご当地グルメも数ある中で、広島の汁なし担々麺は経営に悩む個人店の起死回生の一打として生まれた。それが客の中で広がりを見せて数多くの常連客を生み、その中から後続店が生み出され、町の食文化にまでなったといえるだろう。

広島市中区舟入川口町5の13。営業時間は午前11時~午後2時、午後67時。日祝日は昼だけ。定休日は水曜。☎0822310317。

広島グルメの2番打者 コラム「タンタン談」

加藤ひさつぐ

 「広島名物のグルメを10個教えてください」と言われたとき、あなたは何を挙げますか? その中にきっと汁なし担々麺も入っているのではないでしょうか▼ここ数年で汁なし担々麺は「街を歩けば当たり前に見かける料理」になってきたと感じます。例えば、外出先でランチをすることになったとして「さあ、何を食べようか」という選択肢の中に、ラーメンやお好み焼き、うどんやパスタと並んで汁なし担々麺が挙がるようになってきました。つまり、広島の人たちの日常的外食の一つとしてレギュラーの座に就いたといえるでしょう▼私はこれを「ブームから定着に変わった」と考えています。県外からの観光客には広島名物として認識され、地元の人たちには日常食として浸透している状態。こうした理想的な形に落ち着いたと思えるのです▼余談ですが私は最近、「広島名物グルメで打線を組んだらどうなるだろう」と考えるのが楽しみの一つです。4番バッターは強打者のお好み焼き。9番のエースピッチャーはカキだと思っています。そうしたとき、汁なし担々麺は2番バッター、広島東洋カープで言えば菊池涼介選手的ポジションかと。単打も長打も打てて俊足で好守というマルチな役回りは、昼食でも夕食でも手軽に食べられて山椒がピリリと利いた刺激があり癖になって玄人好み。いつまでもレギュラーに固定しておきたい汁なし担々麺の魅力に通ずるのです▼広島グルメとしての汁なし担々麺の歴史は約20年。いや、20年前を発端とすると、盛り上がりを見せたタイミングは10数年前からと言えます。そして現在、広島市内を中心として、いわゆる「汁なし担々麺専門店」が約30店舗前後あります。専門店が!です。日本全国どこを見ても、これは特殊なのです。そもそも“汁あり”担々麺の専門店ですら多くないのに、この広島に“汁なし”担々麺の専門店がそんなにある。これはやはり食文化と呼んでいい状況です▼これからこの企画では、広島市を中心に、私が知る汁なし担々麺の店を紹介していきます。店によって味が違うことを知ってもらい、お気に入りの一店を見つけてもらえたら幸いです。

 かとう・ひさつぐ フリーのテレビ・ラジオディレクター。1975年、広島市中区生まれ。放送作家でラジオパーソナリティーだった故一文字弥太郎さんに師事して放送業界に。2016年から映像制作事務所コンプ・アニ(中区)代表。著書に「広島汁なし担担麺」(ザメディアジョン)がある。

※加藤さんによるインタビューの詳しい内容は、音声プラットフォームVoicyの中国新聞チャンネル「聞いてみんさい!広島」で紹介しています