おがわじゅんや
ただ
この国の
政治を
変えたい。
新しい時代の
政治を創る。
~日本に政権交代可能な政治を~
(私の目標)
立憲民主党をどうするか
立憲民主党の結党の理念・精神を大切にし、党の総力を結集して、党勢の浮揚に全力で取り組む。現政権ではなしえない、新しい時代に即した政策を主権者である国民に積極的に示し、日本の民主主義を健全で緊張感のあるものにする。これらを真摯かつ継続的に行うことで、日本に政権交代可能な政治の仕組みを確立する。
(私が目指す政治)
新たな時代にふさわしい「対話する政治」
日本はこれまでかつて経験したことのない重大な構造問題に、同時多発的に、重層的に直面している。人口減少、高齢化の進展、少子化の進行、社会保障の傷み、財政悪化、気候変動、こうした相互に関連する重大な課題を長らく放置し、つけを将来に先送りしてきた日本政治の停滞こそが、国民の言い知れぬ不安や閉塞感の根本にある。次世代の政治家として、こうした難しい課題をこそ直視し、国民と共に対話を重ね、共に悩みながら、共に解決策を見出していく新たな時代にふさわしい対話型の政治を創造する。
改革の原動力となる「信頼に足る政治」
右肩上がりを前提とした昭和型の社会に適合し、今なお現存する昭和型の政治が今改めて厳しく問い直されている。利益誘導や利権の構造に重きを置いた政治構造そのものが、社会の重荷であり、新たな時代を切り開く見識、力量、そして何より原動力となる国民との信頼関係の醸成を果たせていない。政治が不信の象徴である限り、この国は変わらない。政治を信頼の象徴たらしめ、政治家が信用に値するとの確信につなげ、国民との信頼の絆を結ぶ。それこそがこれからの改革の原動力となり、これもまた次世代(の政治家)に課せられた大きな責任である。
経歴
生い立ち
昭和46年4月 香川県高松市生まれ 百華幼稚園、西春日保育園を経て一宮小学校に入学
商売家の長男(妹と弟の3人兄弟)として生まれた。結構のちのちになっても「小川さんは商売人みたい(役人らしくない)」とよく言われた。多分苦労して商売をしている両親の後姿を見て育った影響が大きいに違いない。幼稚園、保育園の頃は完全におばあちゃん子だった。兄弟や親戚、それに近所でも結構年上ということが多かったからか、保育園では何でも一番になりたがっていたような気がする。
昭和59年4月 円座小学校を経て香東中学校入学 昭和62年4月 香川県立高松高等学校入学
この頃は野球ばかりやってた。一宮小学校から円座小学校に転校。小学4年生から香東中学校、高松高校と野球部での活動を9年間続けた。 高校2年のとき一度だけ野球を止めようと思ったことがある。受験に備えてだ。そのとき親父に言われた。「お前に今しかできんのはみんなとの野球だろう。それで東大に行けんかったら行かん方がええ」今にして思えばあれは結構人生の分かれ道だった気がする。
平成6年3月 東京大学法学部卒業
将来は官僚になって天下国家を考えたいと思っていた。でも野球ばかりやって来たので、いろんな社会勉強がしたかった。北海道の牧場から寿司屋の出前、自動車のエンジン工場、ペンションの住み込み、アフリカや中国への旅など、学生時代ならではの時間を謳歌した。大学に入って最初の頃である。東京という街のバカデカサに圧倒され、 自分が地方出身者であるということを強く意識し始めたのは。
平成6年4月 自治省入省
地方出身者"魂"(多くのプライドと少々のコンプレックスの複合物)を抱え自治省という職場の門をたたいた。沖縄県庁、自治省、金融庁、自治体国際化協会ロンドン事務所、春日井市役所などで勤務の機会を得た。 戦争や侵略の歴史を背負いつつ(いや、ひょっとしたらだからこそか)、やさしさや明るさを失わない沖縄。自らの歴史と伝統を誇り、"大きさ"ではない存在感を世界に示す英国(アメリカを相対化し小さくさえ見せてくれた国)。この二つの地域で刻んだ時間は私の感受性に大きな意味を残した。
平成13年4月 愛知県春日井市企画調整部長
愛知県春日井市で尊敬する市長にお仕えすることができた。 市役所では”政治”がきちんと機能している。職員は市長を見、市長は市民を見ているからだ。そんなあたりまえの政治の”循環”を中央でも創らなければならない。貴重な経験を積ませてもらっていると思う一方で、官僚行政の限界、それを正せない政治へのいきどおり、その壁を壊さなければという気持ちは日々強くなるばかりだった。
平成15年7月 総務省大臣官房秘書課 課長補佐(退職)      11月 民主党より香川1区で総選挙に立候補(惜敗)
初めての立候補、初めての政治活動、初めての選挙。何から何まで“初めて”づくしの4ヶ月だった。だが日を追うごとに、人から人へと輪が広がり、やがて多くの人々の支援へとつながっていった。人様の気持ちのありがたさが身に沁みた。落選後改めて、政治とは何か、政治家とは何か、深く考えるようになった。一人でも多くの人とつながっていること、それが政治家。多くの方々の思いや人生をわずかながらも自分の一部とし、その方々になり代わって仕事を進める。それが代議士という仕事。
平成17年9月 第44回衆議院選挙において初当選
選挙区では次点、四国比例区より初めて議席をお預かりすることができた。この間多くの皆様にお預かりした思いの代弁者として、様々な課題に対して全力で取り組んでいくという決意をあらたにする。 在任期間中、民主党香川県連代表、党内では国会対策の役員、常任幹事(四国ブロック担当)など務めさせていただく。 国会の委員会での質疑・発言は63回(本会議登壇4回)に上った。地元では国政報告会を84回、各小学校校区全てをまわらせていただいた。朝の街頭活動は基本的に毎週月曜日の朝に139回、市内7箇所と小豆島で続けさせていただいた。
平成21年8月 第45回衆議院選挙において当選
選挙区である香川県第1区より当選させていただく。一期生、新人としての甘えが許されない立場として、国民の皆様に約束し、提案し、決断を促した民主党、政権党の一員として、責任の大きさを噛み締める。 平成21年9月16日に鳩山総理大臣が誕生、18日より原口総務大臣の元で大臣政務官を務めさせていただく。 平成22年6月9日、菅直人総理大臣より総務大臣政務官を拝命(再任)する。
平成24年12月 第46回衆議院選挙において当選
民主党惨敗の中、四国唯一の比例での議席を預からせていただく。野党としての再スタートとなる。健全な野党とはどうあるべきか、それを追及し、同時に私たち世代が前面に立つ環境をつくるという強い決意をもって臨む。
平成26年12月 第47回衆議院選挙において当選
前回に引き続き、四国唯一の比例での議席を預からせていただく。現政権に最も足りない暮らしに根差した問題意識、生活実感のこもった政治感覚、雇用、中小企業、年金、医療、子育て、教育への課題認識を基盤とし、その上で経済と外交に強い政党というイメージに向かって、野党再建に全力で取り組む覚悟をもって臨む。
平成29年10月 第48回衆議院選挙において当選
党の決定に従い、民進党から希望の党へいくこととなり、四国唯一の比例での議席を預からせていただく。平成30年5月に希望の党が解党するにあたって、無所属となる。同年9月立憲民主党・市民クラブの会派へ入る。
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