2か月振りのミゲル研究会(長崎歴史博物館大石先生ご指導)で外海キリシタン墓地を見学した。最初は三重の垣内墓地。12月末に新発見がマスコミに大々的に報道された処。

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旧鍋島藩領で比較的緩やかな宗教政策が幸いし、64基の伸展葬の墓地が存続した。ここで、代々墓地のお世話をしてこられた方からお話を伺ったが、同家も天福寺の檀家であったという。(天福寺と野中騒動  参照)

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近くのお寿司屋さんで活きのよいお刺身と揚げ物の昼食を頂いた。1000円で量もたっぷりだったが、つい、欲望にまけてご飯をお代わりをしてしまった。この研究会の良いところは、必ず美味しい食事が計画されていることだ。
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次は旧大村藩の全村潜伏キリシタンの集落にあった方形・積み石の墓地(坐棺仏教形式)。山一帯がおびただしい墓石で埋められていた。しばし死霊の国を思う。

人里離れた山中往復に苦労した。

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次に、明治6年以降のカトリック墓碑の野道墓地を見学。墓地は禁教令が解除後の為、綺麗に手入れされていた。ここで元高校教師で郷土史家の松川先生から野中騒動や潜伏キリシタンとカソリックの分裂、旧大村、鍋島藩領の境界など興味深いお話を伺った。
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この階段を上って中腹にド・ロ神父の墓があった。仏国ノルマンジー出身の貴族で私財を投げうって貧しい村民につくされた。今でも「ド・ロ様そうめん」等で親しまれている。(なお、同神父は平戸田平地区に自費で何町歩もの土地を購入し、信徒家族を移住させたという。)元々は印刷技術をお持ちの為、プチジャン神父に呼ばれて来日された。このド・ロ神父がここに葬られていると知りびっくりした。
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この階段を上り詰めた平地に子供の墓地群がある。カソリックは子供や男性女性に区分して葬る習慣があったようだ。墓石に幼い年齢を掘ったものもあり、しばし言葉を失った。それにしても今回は山道や坂道、階段の登り降りで若干疲労気味。晴天で良かった。

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ついで、元潜伏キリシタンのご家庭を訪問。大切に保管されているお宝を見せていただいた。マリア様に見たててお祈りされていたという。

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オラショの文書も見せていただいた。でも僕にはむしろお座敷の仏壇の上に飾られていた3枚の軍服姿の写真の方が衝撃的であった。奥様に伺ったら、ニューギニアで戦死された父上と2人のご兄弟という。お国はなんとむごい事を・・・

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