とある青年ハンターと『 』少女のお話   作:Senritsu

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第4話 承:龍が人里に降りたとき

 

 ヒトは群れで活動する生き物だ。

 村をつくり、組織で動き、お互いに助け合う。

 

 龍は独りで活動する生き物だ。

 番であるものを除けば、その強大な力は、他の生き物を寄せ付けない。

 

 ここに、そんな相容れないはずのふたつの存在を、強引にひとつに押し固めた『なにか』があるとする。

 その『なにか』は当然のごとく不安定で、しかし、互いは強く結びつけられている。

 

 その結果どうなるか──当たり前だ。壊れる。

 

 龍の力を得ていながら、見た目はヒトで、それ故にヒトと関わることを避けられない。

 ヒトの手で作られておきながら、ヒトの群れを拒絶してしまう。

 

 それは矛盾と言うよりかは、設計ミスと言って差し支えないものであり、つまるところそれは────

 

 

 

 

 

 あのあと、無難にリオレイアを討伐した僕とテハヌルフは、ひとまずユクモ村に帰還することにした。

 しかし、それには大きな問題があった。彼女が全裸であるということだ。

 今は外套を着せているが、あれはそもそも全身を隠しきれていない。テハの身体から生えている鱗はぱっと見では見間違いかと思われるだけだろうが、注意して見られると誤魔化しきれない。だから、なるべく注目されにくい装いが望ましかった。

 僕自身は防具と雨天時用の外套しか持ってきていなかったし、他に布地もない。どうしたものかとリオレイアを狩猟する前から頭を悩ませていたのだが、それは存外にあっさり解決することとなった。

 

「お前、集めた砂鉄は体にくっつけられるって言ってたよな。それ、この服みたいに全身を覆うこともできないか?」

 

「可能です」

 

 リオレイア戦で、彼女が砂鉄を操って身に纏えることが判明したので、それを応用してもらったのだ。

 時間はそれなりにかかったが、なんとか薄手の防具に見えなくもない砂鉄の服(?)に仕立てることができた。色は真っ黒だったが……。まあ全裸よりはよほどましだろうと判断した。

 

 その後、帰ってくるまでにもいろいろあったが、結局なんとか事情聴取を受けることなくユクモ村に彼女と共に帰還することができた。ユクモ村の鬼門番が門番としての役割をあまり果たしていなかったのには大いに助けられたとだけ言っておこう。

 

 

 

 

 そんな経緯でユクモ村に帰還した次の日の夕方、僕は一人で商業区に買い物に出てきた。夕食の材料などを買うためだ。

 クエストの達成報告は既に済ませてある。そのときに左手の怪我の治療もしてもらった。あざが引くまでには概ね三日。それまでの左手の酷使禁止が言い渡された。リオレイア相手にこれだけで済んだのかとギルドの医者には驚かれたが、そこは自分でも運がよかったと返しておいた。

 テハのことはまだギルドには伝えていない。クエストを受注した人物以外のクエスト参加は基本違反(緊急時はそうも言ってられないため割と緩いのだが)なので、テハのことが知られると面倒なことになる。

 本当は隠すことの方が重罪なのだが、何も言われていないことがばれていないことだと願うとしよう。監視アイルーもめったに訪れない渓流地方のかなり辺境で狩っていたことが幸いしたか。

 

 買い物も手短に済ませ、僕は帰路に就いた。ちらほらとすれ違う知り合いのハンターや馴染みの調合屋の主人などと挨拶を交わしていく。

 僕の自室は最近できたらしい、やや村から離れた住宅地にある。そこには村専属というほどではないものの、年単位で村に居座ってハンター生活を行っている人々が住んでいた。つまり僕みたいなやつだ。

 部屋の広さは村の専属ハンターたちの家宅よりは小さくて、流れのハンターたちの宿よりは大きい程度だ。まあ当たり前である。

 部屋に辿り着いて鍵を開けると、ベッドに座ってじっと本を読んでいるテハヌルフの姿が見えた。服は先ほど僕が買ってきたユクモ村の一般的なあの服を着てもらっている。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

 まるで感情のこもっていない返事だが、無言で返されるよりはよっぽどいい。というよりも、これまで返事など帰ってくるはずのない一人暮らしを送っていたのもあり、淡い感慨深さすら覚える。

 それにしても、彼女が本を読んでいることが驚きだ。きっと暇を持て余しているだろうと思っていたのだが……。千年前より訪れた存在でも現在文明の文字を読むことは可能なのだろうか。いや、すでにこうやって言葉を交わせているのだから、その可能性は十分にあり得るよな。

 

「帰るのが遅くなってしまってすまんな。ところで、何の本を読んでるんだ?」

 

「この地方のモンスターの分布と生態に関する本です。しかし、本機では解読できない文字がいくつか存在します」

 

「ん、流石に千年前と今じゃなくなったり新しく出てきたりしてる言葉が出てきててもおかしくないよな。それ、メモしておけば後で教えるぞ。メモ用の紙とペンは……これを使ってくれ」

 

 そういって彼女に机の上に置いていたペンとメモ用紙を手渡すと、彼女は「了承しました」と言ってそれを受け取り、さっそく書き込みを始めたようだった。

 僕はそれを傍目に夕食の支度を始める。彼女が人間と同じ食べ物を受け付けることは既にに把握済みだ。ただ、彼女は大食いかつ、出会ったときよりかはましだが未だに痩せている。質より量を優先させてもらうとしよう。

 

 

 

「──というわけで、特産タケノコとサシミウオの煮物、キュウリの和え物が今晩のおかずだ。ご飯とおかず、どっちもおかわりはまだあるから足りなかったら言ってくれよな」

 

「……本機の記録にない食材を発見」

 

「おっどれだどれだ?」

 

「これです。アトラの紹介から推測したところ、これはトクサンタケノコ?」

 

「ああそれな。その通り。それが特産タケノコだ。ユクモ村の特産品だから特産っていう言葉がくっついてるが、それそのものの名前はタケノコ、竹の子どもでタケノコだ」

 

「今の人々は竹を食べる?」

 

「竹の子どもな。成長しきった竹なんてとてもじゃないが食べられたもんじゃないさ。さて、いろいろと話をするのもいいが、さっさと食べ始めようぜ。──いただきますっと」

 

「いただきます」

 

 二人揃って両手を合わせて(テハのは僕の真似だろうが)食事の前の作法を済ませて、さっそく料理に手を付け始める。

 味の方は……うん、大雑把な僕が作ったにしてはよくできている方だろう。ただ、彼女には味覚がないらしいため味についてはそう関係なさそうだが……食感と香りで補ってほしいと彼女には伝えてある。当のテハも怖気つくことなく料理を口に運んでいて、内心少しばかりほっとした。

 そして、食べ始めたらまた談笑を始めればいい。とはいっても、僕がこれから切り出す予定の話の内容は談笑とは言えないものなのだが。

 

「なあテハ、食べながら聞いてほしいんだが、今日の昼のあの出来事についてな」

 

「はい」

 

「あれ、あのときはとりあえず部屋に戻って事なきを得たが、詳細を知りたいんだ。説明をお願いしてもいいか?」

 

「了承しました」

 

 テハは僕の頼みを聞き入れて、食べるのをやめてこちらを向いた。そして僕たちは、今日の昼過ぎ、太陽が少し傾き始めた頃に起こった出来事について話し始める──。

 

 

 

 

 

「見た目はこれでカバーできるだろ。動き辛かったりしないか、テハ?」

 

「歩く、座るなどの基本的な動作であれば問題ありません。しかし、時折布地が本機の身体の一部に引っかかります。戦闘時には破ける可能性が高いです」

 

「あ、やっぱ着た後でも引っかかるか。だよなぁ、着せるときに引っかかりまくったもんな……。まあこれから行くところでは走ったりすることはないだろうから、しばらくそれで我慢してくれないか」

 

 そう言って服を着たテハをなだめつつ、濡れた布で彼女の髪を拭きつつ、買ってきた櫛で梳かす。黒髪に交ざる金髪が美しい。

 テハに今さっき着せた服は、僕が午前中に村の商業区で買ってきたもの。一般的なユクモ村の女性が来ている服と同じ、あのゆったりとした着物のような服だ。

 あれは露出が少ないが風通しは調整可能という優れもので、彼女にもちょうどいいかと思って買ってきたのだが……鱗の先端が予想以上に引っかかるという布地故の悲しい結果となってしまった。

 

「戦闘がないのであれば、この服装で問題はありません。ところで、アトラは本機の頭部に何をしているのですか」

 

「ところで、なんて接続詞使えたんだなお前、って茶化すのは後にして、これはお前の髪を整えてるんだよ。これまでみたくぼさぼさのままだと、頬とか首に生えてる鱗が普通に見えかねないからな。傘で隠すつもりではいるが、お前の髪の長さだったら髪でも隠せるんじゃないかと思ったのさ」

 

「何故隠す必要性があるのですか」

 

「どうしても目立つからなあ。人間にはない特徴だってのはお前にもわかってるだろ? 僕はお前に村であまり目立ってほしくはないんだよ。面倒なことになりそうな予感がするからな」

 

「了承しました」

 

 本当に納得したのかは読み取れないが、とりあえず肯定的な返事を得たので、僕はその手を止めずに彼女の髪を拭いては梳かしていく。彼女はそれを黙って、しかし物珍しいものでも見る風に、目の前に置かれた鏡で僕の手を見ていた。

 女性の髪をこうやって梳かすのは初めてだったので、かなり無造作な手つきになっているが、彼女の方から批判が上がる様子はない。

 それと、彼女の髪は人間のそれに似ていても組成が異なるらしく、相当に頑丈でしなやかだった。おかげで多少強引な梳かし方になってしまっても髪を整えられるのだろう。

 

「……よし、僕の予想通りだ。お前、髪を整えさえすれば、その髪を下すだけで鱗の大部分は隠れるぞ」

 

 整え終えたテハの髪の長さはやや長め、肩に届く程度だ。肩の鱗は服で隠しているので問題ないとして(本人曰くそこが一番布地が引っかかる部分らしいが)、耳周り、頬にかけての鱗は髪で無理なく覆えている。鱗の先端が少し飛び出してしまっているのは致し方ないだろう。

 突風でも吹かない限りこの鱗が露出することはあるまい。そのもしもの場合に対しても、編み笠を被せてそのあご紐をちょっと工夫して通してやれば髪を固定できる。こうして、彼女の村での初めての外出の準備が整った。

 

「よし、行くかテハ。今日は散歩程度、人通りの多い商業区とかは行かずにその辺で買い物しようぜ。足湯とかはできないけどな」

 

「了承しました」

 

 そういって僕はテハの手を取って彼女を外へと連れ出す。彼女はいつも通り無表情ではあったが、特に不安がってもいない様子だった。

 この時まではよかったのだ。この時までは。

 その出来事は、それからそう時間も経たず起こった。

 

「……ッ」

 

「ん、どうした?」

 

 たまに雑談を交わしつつも、のんびりと歩いていたそのとき、ふとテハが立ち止まった。咄嗟に声をかけるが、珍しいことに返答がない。

 何かあったのか、そう思って辺りを見回すが、特に何か変わった光景は見られなかった。強いて挙げれば人通りが増えたことか。僕の住んでいる住宅地周辺は周りが基本畑なのでかなり静かなのだが、通りに出れば途端に道行く人が増えて喧騒が聞こえはじめる。今はちょうどそこに差し掛かろうとしているところなのだが……

 

 テハの表情は編み笠に隠れて伺い知れない。とりあえず今のことは後で聞こうと歩みを進めたところ、また彼女はついてきたので問題ないかと思った──のだが、またすぐに彼女は立ち止まってしまった。

 それどころか、その場でうずくまって手を耳辺りに当てて動かなくなってしまう。

 

「テハ?」

 

 明らかに尋常な様子ではない。僕もしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んでみれば、ぎゅっと目と口を閉じて、何かひどい耳鳴りか頭痛でもするかのような表情を浮かべていた。今までほぼ無表情だった彼女が、だ。

 しかも、彼女の周囲に散らばっていた小石が浮足立つように動き出した。村では使わないようにと言っていた電磁力が作用しているとみて間違いないだろう。

 何があったのかは本人の口から聞くのが一番だが、今の彼女はとてもではないが僕の声掛けに応えられる様子ではない。かなりきつそうだ。早急になんとかしなければと思考を巡らせた僕は、ここに来るまでの彼女の様子はいつもと変りなかったことに注目する。

 原因は不明だが、来た道を戻ればいいのではないか。そう判断するや否や、僕は彼女を抱きかかえて来た道を戻る。道の向こうを行く人々のうちの何人かの目線を感じるが、まあ、体調が悪くなった村人を狩人が介抱してるくらいにしか解釈できまい。

 

 確証の全くない策ではあったが、それが功を奏したらしい。来た道を戻るにつれて、テハはだんだんと落ち着きを取り戻し、住宅地周辺ではふらふらとだが歩けるようになっていた。

 その後、部屋に戻ってからもやや彼女は落ち着かない様子だったのだが、しばらくするとようやくいつもの様子に戻った。それを見届けた僕が夕飯の食材を買ってきても大丈夫かと尋ねると、行ってこいとの旨の返事をもらったため、彼女を部屋に置いて僕は一人で買い物に出かけた。

 

 

 

 

 

 そして冒頭に戻るというわけだ。

 

「あのときお前は、多くの人間が発する音と自分は相性が悪い、と言ってたな。そしてそれを自分は知らなかったと。あのときは状況が状況だったからそれだけで特に追及はしなかったんだが、やっぱり疑問に思ってな。なんで人間が発する音とお前は相性が悪いのか、そこを説明できるならお願いしたい」

 

「了承しました」

 

 テハは僕の頼みに対して頷きを返すと、おもむろに横を向いて耳元の髪を後ろにかき分けた。頬から後頭部にかけて生えている鱗が顕わになる。

 ちなみに耳は尖った形状をしていない。尖った耳は竜人族の特徴であるため、テハが少なくとも竜人族ではないことの指標となっていた。

 

「本機の聴覚はこの耳と、その周辺の感覚器官により成り立っています」

 

「……知らなかったな。そうだったのか」

 

「はい。今回の件で異常な反応を示したのは、この感覚器官です。この感覚器官はアトラの言っていた鱗と相違ありませんが、気配を感知する機能が優れています」

 

「それもまた、ルコディオラの持っていた能力なのか?」

 

「肯定します」

 

 なるほど、テハをあの状態に陥らせた感覚器官が耳でないということは予想していなかった。またさらっと未知の感覚器官が紹介されていたりするが、彼女の身体機能に関してはもう驚かないことの方が少ないくらいだ。これぐらいはあっさり受け入れられるようになってしまった。

 しかし、まいったな。それでは対処療法的に耳栓を用意したとしても、全く意味を成さないということか。対策は難しそうだ。

 

 そうやっていつもの癖で思考を突っ走らせようとしていた僕だったが、彼女が続けて言った言葉には流石に意識を戻さざるを得なかった。

 

「本機は極龍の能力、機能を得ています。そして、本機の感性も極龍に依る場面があります。今回の本機の異常はこのドラゴン特有の感性によって引き起こされたと本機は推測しています」

 

「……お、おう。いやまて、まじか」

 

 いつも通りの淡々とした口調で言い切るからついそのノリに乗っかってしまったが、とんでもないこと言ってたな。本機の感性は極龍に依ることがある、そのドラゴンの感性で今回の出来事は起こったのだと。

 どうやらテハの心理(あるのかどうかは分からない。というようなものとだけ言っておこう)には僕が考えていた以上に大きなものが潜んでいるらしい。古龍の能力は先日さんざんこの目に焼き付けさせられたが、まさか古龍の感性すら持ち得ているとは。

 

「まあ言われてみれば筋は通ってるか……ここロックラック周辺の古龍はともかくとして、ドンドルマ辺りの古龍は人間に対してがっつり敵意向けてるもんな……」

 

 ジエン・モーランが何度もロックラックを襲撃するのは単純に周回ルート上にあるからだというのが通説だが、数十年もしくは十数年周期でドンドルマを襲撃してくる古龍は、明らかにその街の破壊を意図としているように感じられる。そのような記述は関連する文献でも度々見られるものだ。

 

 少なくとも、古龍が人間、ひいては人間の発する音を嫌っていると考えてもおかしくはなさそうだ。そして、その流れで行けばテハの推測は(テハ自身のことではあるが)概ね当たっていると言えるのではないだろうか。

 しかし、これは……難しい問題だな。耳栓が役に立たないと分かった時点で厳しいと感じていたのだが、加えてそれが古龍の感性によって引き起こされるものだとは。これでは慣れも期待することができない……いや、期待することは可能だが、それに対する彼女への負担と背負うリスクがあまりにも大きい。

 そして、同じようにこの流れから推測され得ることは……僕は恐る恐る彼女に尋ねた。

 

「結論だけ言えば、テハは人間の発する音全般が苦手ってことでいいんだよな」

 

「はい」

 

「……それ、僕も例外じゃないよな」

 

「はい」

 

「……先に言ってくれ……。言ってもらったところでどうにもできないが……」

 

 テハに即答された僕は、がくりと肩を落とした。こればかりはどうしようもない。彼女に付いてきてほしいと言ってここまで連れてきたのは僕なのだから、僕なりにこの問題に向き合わねばなるまい。

 そして二人の間の会話が途切れたところで、僕は二人揃ってほとんど食事に手を付けていないことに気付いた。

 

「あっやべ。話に夢中になってて全然食べてねえよ。冷める冷める。冷えた魚の煮物はまずいからそっちから片付けるぞ」

 

「はい」

 

 今までの話はとりあえず保留として、僕とテハは食事を再開する。僕は箸、彼女はスプーンとフォーク。スプーンとフォークは今日の朝食で軽く使い方を教えたが、彼女はもう使いこなしているようだ。その後は、調味料についてのことなど他愛ない会話が繰り広げられた。

 

 今日の夕食を通してのテハの反応はと言えば、概ね良好だった。ただ、正直な感想を求めたところサシミウオの煮物だけはやや苦手な食感らしい(それでもおかわりはした)。

 確かに、あれは味覚なしだときついかもな。本来はあの染み出すだしのきいた煮汁を楽しむものだ。これは失敗と反省する反面、彼女にも食の好き嫌いはあるという発見に、ちょっとした楽しみを見出したりもしていた。

 

 そうしてその日の夜は更けていく。涼しく穏やかな風が、鈴虫の音色を運んでいた。

 

 

 

 

 

 結局、少女は彼に全てを伝えることはしなかった。

 

 必要な情報か否かを判断するのは話した相手によって決まることを、少女は彼から学んでいた。

 少女にとっては当たり前のようなことでも、彼にとっては驚きの事実となり得るし、その逆も起こっている。

 

 その上で尚、少女は彼にあの出来事の真相を伝えなかった。話す必要性がない──否、話してはいけないと。そう判断した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という可能性。

 それは、少女が初めて青年と出会った日、寝ている青年の喉をナイフで掻っ切ろうとしたときの衝動に似ていた。

 あのときはその原因すら少女には分からなかったが、今回の件で一つだけ明らかになった。──自らの内に潜む龍の感性。あの日に感じた()()()()()()()とは、これのことだったのだ。

 

 道行く多くの人々を見て、その声を聴いて、彼女の内にいた存在は暴れだした。それはあの日の比ではなく、少女は過剰に反応する耳元の感覚器官を押さえつけてうずくまるしかなかった。もし青年が少女を連れ戻さなかったら、少女はあの内なる衝動に耐えられなかったかもしれない。

 青年の自室に戻り、少女は息を整えてから、念入りにその存在を殺した。手にしたナイフで、自らの身体をばらばらにしていくイメージ。以前は簡単に消え去ったそれは、今回は粘着質な質感を伴ってなかなか消えることがなく、殺してもまたすぐに蘇りそうな気味の悪さを残した。

 

 この存在がいてもいなくても少女はどうとも思わない。ただ在ることを受け止めるだけなのだが。

 青年がこの本当の『龍の感性』をどう思うかは、少しだけ気になるのだった。

 

 


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