本作品の作風上この問題に触れない事は有り得なかったのですが、元々デリケートな話題である上、更に先月以降現在進行形で燃えている話題でもある為に、改めてこの場で宣言しておきます。
本作品は現実の政治問題について何ら支持・不支持を表明するものではありませんし、仮にそのように受け取れる部分が存在していたとしても、読者の方々がそれと異なる意見を持つ事に何ら反対するものでもありません。勿論これは、今までの、そしてこれからの話全てに言える事です。
「なあ、ハーマイオニー・ジーン・グレンジャー」
僕は夜から視線を逸らし、彼女を真っすぐ見据え、しっかりと呼び掛ける。
入学前、僕に対して魔法界の素晴らしさを押し付けてきた女性に。この四年間、正しい正義感を胸に宿し続けてきた女性に。母達の死以来、ずっと僕の希望で在り続けてきた彼女に。
この魔法界の現在を糾弾し、否定し、憎悪する言葉を投げ掛ける。
「
「――――え?」
彼女は呆然とこちらを見返した。
何故。
そう思っているのは、ここに居るのが誰だろうと容易に悟れた筈だ。
彼女にとって、この流れでパーシー・ウィーズリーの話題が出たのは思考の埒外だった。今日僕は幾つかの問題を提起をしたが、今回の切り口は彼女の視点からは何れとも繋がっていない話のように見えてしまう筈で――けれども、違う。
これこそが魔法界の過去、現在、未来全てに繋がる話である。
こう言っては悪いが。
狼人間や屋敷しもべ妖精
「嗚呼、ハーマイオニー。この手のスリザリンの言葉はな、決して額面通りに受け取ってはならない。同種の皮肉が通じないのはドローレス・アンブリッジも同じだったが、君はもう少し賢く在るべきだ。そして言わずもがな、僕はこの話を世間話として出した訳ではない」
或る意味、去年は無理矢理に先延ばしとしたようなものだ。
しかしながら、既に純血主義を掲げる闇の帝王は復活した。そして曖昧で居続ける事をハーマイオニー・グレンジャーが拒否した以上、僕は触れない訳には行かない。
「夏休暇中、彼は大臣の腰巾着としてパーティーに来ていた。会った場所は……散々ナルシッサ・マルフォイ夫人により連れ回された為にあやふやだが、兎に角何処かで彼と会ったし、多少なりとも私的な会話をする機会に恵まれた。嗚呼、大した話はしていない。投げ掛けたのは社交辞令と、後は
そして十分過ぎた。
「……それが何なのよ。どうして、そんな話題を持ち出すのよ」
彼女の声は疑問に満ち溢れており、しかし同じ位に恐怖を漏らしていた。
声色や表情を変えたつもりはないが、先の読めなさから不吉さを感じ取ったのかもしれない。それは正しいが、感じ取れていた所で意味は無い。
「パーシー・ウィーズリーはウィーズリー家から離反した。それはまず間違いないと確信はしている。特急内でジネブラ・ウィーズリーが示した反応の事もあるし、何よりパーシー・ウィーズリー本人と会話した訳だからな。そこに疑いを持ってはない」
そして彼が融通の利かない――間諜向きではない――性格であるのは聞き及んでいるし、実際にグリフィンドール生から煙たがれらているのも幾度か見ている。また今年の接触は彼が勉強しか出来ない阿呆かどうかの確認も兼ねており、ウェーザビー君呼ばわりを思えば、単純に彼を〝賢明な〟人間であると看做しにくい評価も存在していた。
しかし、彼の資質と能力故か。或いはたった一年限りとはいえ、かつて魔法法執行部の頂点に上り詰めたバーテミウス・クラウチ氏の薫陶の賜物か。夏季休暇中のハリー・ポッターへの魔女裁判に付き、彼はこう評してくれた。
『僕の見るところ、単に手続き的なことで放免になった』、と。
「知っての通り、僕は今年の特急内でハリー・ポッターと話をした。その内容について、君が彼から内容を聞いたかは知らない。だが、これはアレと同一軸に在る話だ。話の信用度と、話者が誰か。話題は当然、闇の帝王が復活したという噂の信憑性について」
「……パーシーがダンブルドアやハリーを信じられないって事?」
「違うとも」
断固とした否定に、ハーマイオニーは頭を叩かれたように俯いた。
「僕はこう言った。魔法大臣より、校長より、善良なだけの人間が信じられる場合は有ると。たとえ確たる証拠が無かったとしても、闇の帝王の復活を主張している人間を信じられるのなら、それを真実と信じる事が出来るのだ。裏を返せば、闇の帝王の復活を信じない場合とは、それを主張している人間の悉くが信用ならないという事なのだ。
――つまり、
「……両、親?」
「ああ、その通りだ」
意図せず漏れたであろう、か細く弱弱しい声に、僕は肯定を返す。
「十数年共に暮らした愛する両親と、殆ど接触も無かった魔法大臣。或いは両親と、やはり深い接触の無かったホグワーツ校長。そのどちらの言葉に重きを置いて信じようとするか、それも物的証拠が無い上での信用性を考えるならば――普通は結論など明らかだろう?」
当然、両親を信じる筈である。
それまでの関係が良好であればある程に決まり切っている。
仮に両親の言葉が間違っていると考えたとしても、対立や衝突を避ける為に敢えて両親の側に留まるという事は有ろう。真実でないと知っていても尚信じるという事は、やはり人間の行動原理として決して不合理と言えるものではないからだ。
「だがパーシー・ウィーズリーは違う行動を取った。明確に敵対し、訣別した。それは、彼の両親に対する信頼が崩壊した証以外の何物でもない」
まさか学年首席の秀才が、魔法省への忠誠という綺麗事や、極々個人的な出世欲でもって家族からの離反の道を選んだと思っているのか。確かに彼の中にはその想いが見て取れたが、叛逆の根幹は違う。絶縁の覚悟を決めるには、それらの理由は弱過ぎる。彼の認識上、
ジネブラ・ウィーズリーも同種の勘違いをしていただろう。パーシー・ウィーズリーの懊悩と葛藤を少しでも慮っていたのならば、あんなに己の正義を疑わない眼など出来ない。
自分達の存在こそ悪だとは、彼女達は考えだにしない。
「……どういう事よ」
ハーマイオニーは、最早その態度から怯えを隠さなかった。
「何でパーシーが、ウィーズリーおばさん達を信じられなくなるのよ……。何故そんな事を、部外者である貴方に断言出来るのよ……? 何故グリフィンドールでもない貴方が、ウィーズリー家の内情を、パーシーの気持ちを当然のように見透かしてみせるのよ!?」
「それは僕が偏にスリザリンだからだよ」
足元が疎かになってしまうのはグリフィンドールの悪癖か。
「スリザリンに居る限り、どう足掻いたってこの手の問題に向き合わねばならないからな。しかし、第一次魔法戦争後に甘やかされたグリフィンドール、ジェームス・ポッターとリリー・エバンズの献身故に持ちあげられた獅子の寮にはそれが無い」
自分達の勝利に浮かれ切った間抜け共は、魔法戦争の勃発で済し崩し的に棚上げとなった問題の全てを忘れた。そして今もその忘却を是とし続けている。
「特に最近の〝ウィーズリー〟は成績優秀者や人気者が続き、この手の嫉妬と憎悪の言葉をぶつけられるような怖い物知らずは、君達の寮に居なかったのだろう。結果、パーシー・ウィーズリーは何も考えず学生生活を過ごし、魔法省に入って漸く、自分達の矛盾に向き合う羽目になった。その結果、彼が抱いていた理想の両親像が崩壊し、信頼を喪った訳だ」
ジネブラ・ウィーズリーの眼を思い返す。
裏切り。裏切り者か。
嗚呼、裏切ったのは──裏切って
「〝
外界から隔離された優しい世界。
しかし、優しさだけの世界は何処か歪んでいないだろうか。
繊細な問題だからと言って、今年度闇の帝王について一切触れないのもどうなのだろう。
現在の七年生達は、当然ながら半年と少し経てばホグワーツを卒業する。つまりあの最強の魔法使いの庇護下から出て、独り魔法界の中で生きていかねばならないのだ。
それにも拘わらず、何も知らされないまま最後の一年を過ごせというのは許されるのだろうか。彼等に準備する時間と覚悟を決める為の機会を与えないまま外の世界に送り出すのは、教え子達の良き将来を望む教職者として残酷な仕打ちだと思わないのだろうか。
これも同じ。
一切話題に出さずとも、それが消滅する事になる訳ではない。
不自然に眼を逸らし続けてしまえば、人生の何処かで必ずや代償を支払う羽目になる。
「アーサー・ウィーズリーについて、僕が抱いていた疑問点を挙げようか」
彼は
そして人生における彼の決定に部外者が文句を言う筋合いもなく――しかしながら、それで外部が何も批判しないと考えていたのであれば、やはり考えが甘過ぎるとしか言えない。
アーサー・ウィーズリーが妄信している程、この世に善人は多くない。
「一つ目。彼が省内で〝マグル〟の
彼が魔法界及び魔法省で尊重されているのは、一体何処に理由が有るのか。
もっと言えば、マグル保護法の制定につき、〝マグル〟の片親や両親を持つ人間、マグル社会に通じている人間が主導権を握るべきという話は何故出なかったのか。万一そのような協力者が居たとして、その名前を魔法界で聞く事が無いのはどうしてか。
「二つ目。彼はグリフィンドールだ。スリザリンと違い、半純血やマグル生まれを公言する事が困難な寮では無い。つまり周りに〝マグル〟文化に精通している者は容易に見付けられ、卒業後でも連絡を取ろうと思えば出来た筈だ。純粋な魔法族でも、闇祓いあたりは割と〝マグル〟文化に通じているようだしな。しかし――それにも拘わらず、何故彼は〝マグル〟について無知のままでしか居られなかったのか」
奇しくも去年、僕はロナルド・ウィーズリーに対し、知識を得る為の最短の道を示した。
それを困難にさせたのは勿論魔法戦争の勃発で有るが、更に不可能にまで至らしめたのは、やはりアーサー・ウィーズリー自身の行動に問題が有ったのではないか。
「加えて三つ目。ウィーズリー家、そしてアーサー・ウィーズリーは〝血を裏切る者〟と呼ばれている。この場合の〝
バーテミウス・クラウチ氏もチラリと触れていた。
彼等が駆け落ちせざるを得なくなった理由は何なのかと。
それらを突き詰めていった時、全てを明快に説明してしまう、一つの解が存在する。
「――――待って、頂戴」
そしてハーマイオニー・グレンジャーは頭の良い女性だ。
逐一全てを語る必要など無い。問題を用意し、指針を提示してやれば、解答に自ずと辿り着く。辿り着いてしまう。声は先程よりも大きく震え、顔からは完全に血が引いていた。
「それが正しかったら、貴方の言葉を前提としてしまったら、パーシーは決してウィーズリー家に戻って来ないじゃない……! ヴォルデモートの復活が明らかになって、魔法省の嘘がバレた後でも、彼等が仲直りする事なんて出来ないじゃないの……!」
「そこまでは断言出来んな。パーシー・ウィーズリー次第だろう」
在学中に深い交流は無い。今回も立ったまま短時間会話しただけだ。
僕としても、そこまで彼を理解したという気はしない。
「闇の帝王の帰還が確定すれば、騎士団と魔法省は嫌でも同じ陣営に立つ事になる。要は望む望まずに拘らず、彼等は肩を並べて戦わなければならない。その結果、両親が生み出した矛盾と裏切りを飲み込み、パーシー・ウィーズリーが譲歩を示す事は十分有り得るだろう」
嗚呼、譲歩だ。
決定権は、親の負債を背負わされた彼の側に在る。
「そしてアーサー・ウィーズリー達が悪いと言っている訳ではない。君の眼から見て、彼等は誠実で、善良で、親の模範とも言える人間達なのだろう? ならば、僕もその前提を崩す事はしない。彼等は善き父であり、母であった事だろう。子供としては当然誇りに思うべき、素晴らしい人間達。その一切を否定しないさ」
母達は兎も角、言わずもがな、僕の父親は一切の疑問の余地なく悪人だった。
そんな父親――スティーブン・レッドフィールドとは違い、七人の魔法族の子供を立派に育て上げた彼等二人は、世間的にも賞賛されるべきである。
「そしてこの指摘は、アーサー・ウィーズリー個人を責め立てているという事を意味しない。僕はアーサー・ウィーズリーに一切の非が無いと断言しても良い。僕が見る限り、殆どの魔法族――ハッフルパフも、レイブンクローも、グリフィンドールも一律に同じだからだ。何よりスリザリンはな、
自分達の幸福な家族生活を追求するなら当然の選択と言える。
現状維持で構わないという点において、四寮の圧倒的多数が一致している。
「だが半分の魔法族の血しか持たない一人としては……選択権の無い者としては、こうも思わざるを得ないな。口だけの卑怯者、と」
ガブリエルを見習って、臆面無くズルいと言ってのけるべきだろうか。
「そして魔法省、あの半端な純血達が集う牙城においては、他人の悪口を聞くのに事欠かない。彼を庇護していたバーテミウス・クラウチ氏も去年消えた。この手の誹謗中傷に
ハーマイオニーは、完全にテーブルに突っ伏してしまった。
波打つ彼女の髪が宙に舞い、大きく広がり、ティーカップの中や一部のケーキ皿に入ってしまう。それを杖を振る事で払いのけ、多少なりとも髪を整えてやった後、改めての反応を待たずに僕は帰結を述べる。
「事象には因果が有る。この始まりは1900年だ。或いは、1859年だったかもしれないが」
もしかしたらこの命題が突き付ける試練は、
「何れにせよ、その時代に〝マグル〟は大きな発見を為し、革命的進歩を遂げた。それは非魔法界において或る思想を強化し――そう、決して新たに生んだ訳ではない――1930年代に一つの最盛期を迎えた。そして同時期を生きた『純血一族一覧』の著作者はな、単にそれを魔法界に輸入しただけに過ぎない。嗚呼、
純血主義者は当然それらを持つに等しいのだから、今更取り立てて強調する必要は無かった。長い歴史を持っている多くの魔法族の家系にとっても殆ど同様だった。
しかしそれ以外の新参者達にとっては他人事では無く、存在価値を揺るがされた。それ故に『純血一族一覧』という
「『純血一族一覧』の著作者が提示した〝純血主義〟。それは魔法界に持ち込まれた〝マグル〟の知見とサラザール・スリザリンの遺産が混じり合って生まれた、以前とは性質を全く異にする
「……マグルに影響されたとは限らないじゃない」
「仮に当時影響されて居なかろうと同じ事だ。今現在、この
今からでも新しい〝純血主義〟を始める事に支障は無い。
「無論、魔法族は『
「…………」
「であれば、推測するしかない。正しい〝らしい〟のは果たしてどちらか。〝純血主義〟か、その否定か。嗚呼、僕は当然、〝純血主義〟の側に賭けるとも。君達のように非魔法族と魔法族の同一性を認めれば、当然『法則』を受け容れざるを得ない」
魔法は科学によって説明し得ないという理屈も、この『法則』の間違いを証明する事は出来ない。
あくまで、魔法に関わる事項は科学法則と別の振舞いをする
そもそもこの問題は、最新科学ですら未だ手の届かぬ領域である。
だから答えを持っているのは、この世界を創った書き手以外に存在しない。
「敢えて強調しておくが、これを間違い
当時でも批判者は居たのだ。しかし、勝利し切れなかった。
強固な理論的支柱をもって否定し、政治家や民衆を教化する所まで行けなかったからだ。その頃の人間が愚かだったからという訳ではなく、科学技術も社会構造も、そこまで進歩して居なかったからだ。
そして1930年代から40年代の一つの地獄が
「その上、ここは魔法界だ。〝
罪深い傍観を、魔法族の殆どが民意として選択して来た。
「偉大なるあの老人もまた、声を上げる事はしなかった。薄っぺらな博愛主義を掲げるばかりで、〝純血主義〟の原点が一体何処に在るのかという事について真剣に向き合わなかった。ならば、この
本来改革の旗頭となるべきは〝マルフォイ〟であり、〝ウィーズリー〟だった。
しかし前者は闇の帝王による歪んだ純血主義を受容し、後者はゲラート・グリンデルバルト以前の前時代的な純血主義を継承した。
どちらも時代が見えていない古い頭のままで、遠くない未来に起こる社会問題を見据えてなどいない。僕にとって、その点において彼等は同類だった。
何れも、進歩によって葬り去られるべき敵だった。
「誰だって、魔法を使えるならば使いたいと思うのだ。
――僕を産んだ母だって、恐らくはそうだった」
理論上は、あの母が使えない方が可笑しかった。
そしてそれ故に父は興味を抱いたのだろうし、また母も接近を受け容れたのだろう。
だが皮肉な事に、父は使えない側に惹かれてしまった。
そうなってしまったのは、使える側の頭がイカレていたのとは無関係であろう。あの父の信条からすれば、どんなに〝マグル〟に研究的な興味を抱こうとも、決して好意や性愛の対象となるべき存在ではなかった。その筈だった。
だが、運命はそう転ばなかった。
本当に、余りにも数奇で、残酷だった。
「……これからでも、変えられるわ」
顔を上げないままに紡がれる抵抗の、希望の言葉。
しかし、今初めて問題を意識した彼女の反論には、冷笑を返すしかない。
彼女のS.P.E.W.以上に、僕は真剣にこの問題へと向き合って来たからだ。穢れた血という言葉を一切聞かなかったであろうグリフィンドールと違い、婉曲的であれ半純血への揶揄を平気で聞き得るスリザリンでは、否応無しに向き合わざるを得なかったからだ。
「期待しろというのか? 百六十年前より後退している魔法族に?」
「……百六十年前」
自信がないのだろう。ハーマイオニーは黙り込んだ。
結局の所、彼女は所詮〝マグル生まれ〟なのだ。
魔法界で文化や資産を築いて来た者の血を引いておらず、さながら運良く宝籤に当たった成り上がりでしかない。必然、モノの観方は決して半純血や〝純血〟と同一では無く、魔法族が歴史的に抱えて来た懊悩や葛藤を一切知らない。しかも彼女が
「1830年。その年を契機にホグワーツ――厳密にはホグズミードだが――では一つの巨大な変化が起こった。それが何かというのは、今年のO.W.L.受験者に聞けば答えがすんなり返ってくるだろう。そうでない下級生で有ったとしても、気の利いた者からならば答えが返って来る」
勿論彼女の頭にも答えは浮かんでいる筈だったが、僕は彼女の言葉を待たなかった。
「言わずもがな、ホグワーツ特急が導入された年だ」
ホグワーツ特急。
この魔法界において、最も非魔法的である人工物。
「しかし、魔法族の思考はそこで終わる。精々オッタリン・ギャンボル魔法大臣がそれを行ったと付け加える程度だろう。だが、その上で非魔法族の歴史を学んだ魔法族は、特に君達〝マグル生まれ〟は、当然こういう思考に至るべきだろう。
そして現在の魔法界の構造に対し、強烈な違和感を抱く羽目になる。
もしくは、失望や幻滅かもしれない。
「リチャード・トレビシックの蒸気機関車の発明が1804年。ジョージ・スティーブンソンが蒸気機関車を改良し、ストックトン・ダーリントン間で走らせ始めたのが1825年。そして現代的な鉄道方式による都市間運送がリバプール・マンチェスター間で始まったのが1830年。他ならぬ〝マグル〟とて、1830年当時にどれだけの人間が蒸気機関車の存在を知っていたのやら」
新聞を読める学を持つ人間など、当時は圧倒的少数派。写真も発明に至っていない。
そのような時代において、〝奇妙な馬〟の存在を信じる者が、果たしてどれだけ居たか。その噂すら届かないデポンの農村では当然として、ロンドンでも
「しかし、魔法族は知っていた。蒸気機関車が公の前に姿を現してからたった五年で、魔法界はその発明品を――勿論、アレが機械百パーセントで動いているとは断じて思わないし、冶金技術が未熟な当時であれば猶更だが――受容した。それがキングズクロス駅が出来る約二十年前の事だ」
純血にしても、ホグワーツ特急の導入に際して
1825年まで、〝マグル〟が
それまでは蒸気機関車という概念自体が存在せず、とすれば、魔法族はホグワーツ特急を魔法の産物だと──つまり空飛ぶ絨毯の親戚として、鉄の塊を魔法族が動かしているのだと認識しても良い筈だろう。寧ろそれが自然な流れの筈で、けれどもそうはならなかった。
その上、今のドラコ・マルフォイ達生粋の〝純血〟の魔法族とて、始業日にホグワーツ特急を利用する事を避けてはいない。その発明品の導入の発端が〝マグル〟だとしても、彼等は自分達の生活を向上させる善き道具の受容を躊躇わなかった。
「過去の魔法族は、それだけ〝マグル〟に関心を払っていた。彼等の技術や思想が魔法界に資すると一度考えれば、どんな反対運動に直面しても、導入する事を躊躇いなどしなかった」
オッタリン・ギャンボル魔法大臣を先頭に、魔法族は改革を為した。
より良き魔法界の為に。魔法族の進歩の為に。決して労力を惜しまなかった。
「君が思っているよりも、魔法族は非魔法族を観察していたのだ。政治に興味を持たないような家系と違い、少なくとも良き支配者足らんとしていた層は。或いは非魔法族を興味深い見世物としてではなく、共に高め合うべき同族として認めて来た層は」
見ていた。過去形だ。
「しかし今はどうだ? 現在進行形で生まれつつある、新しい科学技術を持ち出すまでもない。非魔法界において電話が発明されて約百二十年、赤い公衆電話の誕生から数えても約七十年が経つ。或いはテレビ放送がなされるようになってからは約六十年だ。それらに対し、今の魔法使いがどれだけの知識を有し、またそれを利用しようとしている?」
純粋な魔法族達は、誰もが嘆かわしい程の理解度しか持っていない。
無論、ホグワーツ城の魔力が機械の正常な稼働を許さないように、魔法界において用途が限定されたり、そもそも実用に堪えないと思われるであろう代物は確かに多く存在する。
けれども、全ては使い方次第だ。使い勝手が悪いからといって遠ざけるのでは、火の点った木の枝を恐れる猿と変わりはない。
「〝マグル生まれ〟、或いは〝マグル〟の親を直接に持つ半純血は、このような無知の結末を少なからず予見していただろう」
魔法族は何時か滅びかねないと、そう認識した事だろう。
「……嗚呼、しかし。第一次魔法戦争が勃発した途端、その彼等の悉くが尻尾を巻いて〝マグル〟社会の闇に逃げ去った。非魔法族の大戦時、魔法族は〝マグル〟を助けたというのにな。全くもって恩知らず極まりない」
魔法界に基盤を持たない非純血達は、言わば外国人のようなモノだと評した純血達が居た。その発言は明らかに物を知る魔法族によるものであり、非常に言い得て妙だと思う。
〝魔法界〟から多くを与えられたにも拘らず、忠誠や感謝を返す事もなく、何も還元すらしないのであれば、排斥と侮蔑を受けるのも必然だろう。先祖代々の貢献がどれだけあったかを基準にするのは馬鹿々々しいが、それでも彼等が
自らの権利を主張するなら、相応の義務を果たして貰わなければ御話にならない。
「そして、彼等は一体何を考えていたのだろう? 一般的な魔法族と違って二つの世界を知る自分達を、選ばれし人間だとでも考えていたのだろうか? 馬鹿な事だ。国際機密保持法という
後進的な魔法族を嘲笑っていた彼等は、必然が如く報いを受ける。
「変える機会は、対応すべき時間は幾つか在った。新たなる〝純血主義〟が誕生した1930年初頭。ゲラート・グリンデルバルトが敗れた1945年。スクイブ達が非魔法界に倣って団体運動をした1960年代末。そして、歪んだ純血主義を唱えていた闇の帝王が堕ちた1981年」
魔法族には時間が有った。
将来の悲劇を少なく出来るかもしれない。その為に足掻き得る時間が。
「にも拘わらず、これまで魔法界に大きな変化は生まれなかった。正義面をした大勢は〝純血主義〟を狂った差別主義の産物と単純化し、見ない振りをし続けた。君の同族――〝マグル生まれ〟達は、この国の〝マグル〟が1967年に成立させた法を見て、一切何も思わなかったのか? その潮流が魔法界に波及すればどうなるかを一度も考えなかったのか?」
「……成立年までは知らなかったわ。け、けど、貴方が何の法を言っているかは想像が付いたわよ。そして、貴方はその法律の考えに対して反対しているのね?」
「いいや。反対ではない」
断固として否定する。そう即断されるのは流石に心外だった。
「僕は敬虔な宗教家や熱心な政治家ではなく、結論としてはどちらでも良いとも。僕一人が結論を出す問題ではなく、魔法族全体で方針を決めるべき問題で――」
――そして校長閣下と同様、恐らく僕がその倫理問題に直面する事はない。
「しかし賛否はどちらでも良くても、曖昧な立場に身を置く者として、問題自体が存在しないように振る舞う真似は許せないのだ。
光と嘯く者達が、この問題を看過し続けるなど在ってはならないのだ。
「……嗚呼、あの老人がどんなに偉大であろうとも、この問題の解決者には成り得んぞ?」
嘲笑と共に、断言する。
「コレが戦後公然と問題化された時、彼は間違いなく議論の中心から排除される。あの男の発言力は邪魔だ。反対者にとって、そして支持者にとってすらも。アレが強制的に問題を解決するというのも不可能だ」
「く、口出しする権利まで無いという事は有り得ないでしょう?」
「無いさ。恐怖を知らない外野は黙っていろと言われるのがオチだ」
彼は半純血としての痛みは知れど、純血としての痛みは知らない。
だから、仮に彼の発言が〝先進的〟であろうと、決して受け容れられる事は無いのだ。
「そしてこの領域の探求に関してはな、普通の魔法族よりも、闇の帝王の方が遥かに期待出来る。彼は
何が正しいかは現状未知である。
だからこそ、それを既知とする為に研究を進めなければならない。
その進歩的態度を取る者こそが現代的文明人であって、知ってしまえば悲劇が訪れる可能性が高いからと目を背け続けるのは――多くの一般的魔法族、そしてこれまでの全ての半純血やマグル生まれの態度は、時代遅れの野蛮人という他ない。
そしてスリザリンも、この科学的追求に否を唱えない。
ホグワーツ特急が最終的に受け容れられたように、結局どんな思想も実利には勝てやしない。
「……貴方は、その道がどれだけ重大な人権侵害を生む事になるのか理解して言っているの? どれだけ膨大な数の不幸を生むと承知した上で物を言っているの? そんな大勢の犠牲の上に立つ前進が、本当に進歩だと信じている――」
「――ならば、この魔法界は今まで弱者に犠牲と不幸を強いて来なかったとでも? 都合良く最大多数の最大幸福を用いて来た者達が、その論理が自分に適用される段になって言い逃れするのか?」
「――――」
「何より、この流れは止められんよ」
非魔法界において、科学的な発想と技術は既に存在する。
後はこの魔法界において、魔法的にどう応用し、適用するかというだけ。
「〝マグル〟の知識と思想、そして技術を輸入し、必ずや誰かが始める。スリザリンの、他の三寮の、或いは世界の誰かが既に始めているかもしれない。この世の誰も
少なく見積もっても千数百年、魔法族はこの問題に悩み続けて来た。
その問題を抜本的に解決する可能性があるなら、闇の帝王が代わりに汚名を背負ってくれるというならば、その血塗られた研究を止めようとしない。口では非難しながらも世界は成果を心待ちにし、輝かしき未来の為に身を捧げる覚悟の有る魔法族は、その多くが帝王の下へと馳せ参じるだろう。
「既に分岐路は過ぎている。シビル・トレローニーのような『第三の目』を持たずとも、この未来は容易く予測出来ていた。だがそれでも尚、多くの魔法族は真剣に向き合って来なかった。ならばこれからも何も変わらないだろう。今後取返しが付かなくなるまで魔法族は動かず、であれば帝王が全てを焼き払ってくれた方が、遥かに早く話は済む」
万一この魔法界が変わらずとも、世界の何処かは変わってくれるだろう。
小さな世界一つを供物として、魔法族という種は進歩を遂げられる。
「……私達が――私が変える。努力する。それでは駄目なの?」
「君が魔法界を変えられる地位を得るまで何年掛かる?」
突っ伏したまま震え続ける少女に微笑む。
彼女はホグワーツ始まって以来の才女で、けれども現時点では有象無象の小娘に過ぎない。
「嗚呼、そもそも君が魔法界を変えられる立場を得るという考えが自惚れなのだ。君が万一魔法大臣にまで辿り着いたとして、それは魔法界を大きく変え得る椅子では無い。
〝マグル〟初の魔法大臣ノビー・リーチは、陰謀の下に死んだ。
必然だった。魔法省を非魔法界の政府と同一視して行動したのであれば、当然ぶち殺されるに決まっている。その状況を変えられるとすれば異端の〝純血〟バーテミウス・クラウチ氏だけだったが、彼は途中で挫折した。その結果、彼は
「その上、コーネリウス・ファッジは積み立てられた三百年の信頼を切り崩しており、更にはあの校長閣下が状況を余計に悪くする。嗚呼、この魔法界に決定的な引導を渡すのは他ならぬ彼なのだ。
良い気味だとも思う。
名誉欲と功名心を捨てきれない老人が、後世で過酷な時代の審判に晒される事は。
そして同時に将来の魔法族は気付くのだ。
あの老人を社会正義の下に断罪しなければならないとすれば、ならば自分の親や親族達は、果たしてその当時に一体何をしてきたのかと。
今生きている魔法族の全員が、等しく罪人ではないのかと。
「君達は闇の帝王を敵と呼ぶ。彼こそが滅ぼされるべき悪と言う。
――しかしそう言う君達は本当に、存在が肯定されるべき善なのか?」