この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

83 / 90
四話目。


狼人間行動綱領

 セドリック・ディゴリーの善性の側の問題ではない。

 

 要するに、個人的な善悪――アルバス・ダンブルドア校長への軽蔑、不愉快さ、そして敵意というのは、本質的な問題ではないのだ。彼が〝悪党〟だろうと、それだけで道を違える理由にはならない。無論、全くの無関係でもないが、それでも彼がグリフィンドールで僕がスリザリンである事は、僕達が訣別せざるを得なかった根源ではない。

 

「君が今、反発を抱いたのは解っている」

 

 反論も返事も無かったが、確信と共に紡いだ。

 

「S.P.E.W.の側の問題と言うならば、闇の帝王の側に付くのは可笑しな話だと考えただろう。実際僕は、帝王の君臨が最善だとは更々思っていない。彼が頂点に立った場合、この魔法界が僕の望むように真に〝マシ〟となるのは、恐らく五十年や百年先だ。暫くの間ロクでも無い世界となる事は、一切の否定もしない」

 

 必然、ハリー・ポッターに向ける期待と、ドラコ・マルフォイに向ける期待は違う。

 前者に求める変革は直近であるが、後者に求めるのは遠い未来の話。何ならドラコ・マルフォイの場合、別に彼ではなく、彼の子供や孫でも良いのだ。僕は余り気が長い方ではないと自覚しているが、それでもそれが不可避であると言うのならば已むを得ない。

 

「だが、このまま時代が下って行ったとしても、やはり僕は魔法界の自浄作用、普通の魔法族の人々が問題を解決してのける事には期待出来ないのだ。今の惨状を生み出した最大の理由が魔法戦争――つまり元凶が闇の帝王である事は確実であるが、しかしそうであったとしても、この平和な十四年間、何もしてこなかったのは、善良な()()魔法族なのだから」

 

 そこに闇の帝王の責任は無い。

 クィリナス・クィレル教授にしても、バーテミウス・クラウチ氏にしても、その身に秘めていた真意を理解されないまま死んだ。彼等を葬ったのはあの校長であり、また他の大多数の無関心な魔法族であって――なればもう、善に期待する事など出来やしない。

 

「君に解りやすいよう、まずこの魔法界の差別の問題に焦点を当てようか」

 

 S.P.E.W.。

 彼女が目論む革命の、真の敵は一体何だろうか。

 

「君は去年屋敷しもべ妖精達の苦境を知り、そして許せないと思った。ならば、狼人間の苦境に対しても同種の考えを抱いただろう。知己となったリーマス・ルーピン教授の事も有る。君にとっては、狼人間の状況もまた見過ごせる問題では無いと感じたと思う」

「…………」

「そして僕がドローレス・アンブリッジと関わりを持っている事につき、君は不愉快を覚えたかもしれない。彼女は反人狼法を起草した人間だ。そして差別主義者であり、性格も宜しくはない。あんな人間とどうして平気で接触して居られるのか。そう思ったかもしれない」

 

 勿論、僕の勝手な自惚れで無ければだが、と軽く笑う。

 ハーマイオニーからは、やはり返答が寄越されなかった。しかし、こちらの話に対して聞き耳を立てている気配は、間違いなく感じ取れた。

 

「けれどもハーマイオニー、彼女は起草した(drafted)だけだ。そして世間に通用する法であるとは、予め規定された適正な手続を経て、公的機関によって承認されたという事なのだ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャーは今更驚いた反応を寄越しはしない。

 ドローレス・アンブリッジへの嫌悪は、彼女の頭脳を鈍らせる程でも無いようだ。

 

「……マグル保護法も、同じく適正に成立した法律の筈よ」

「そうだな」

 

 彼女の反論に僕は頷き、受容を示す。

 それらの法は善悪の両面であり、これをもって魔法界の判定を決しがたい。

 

「しかし大元の話。リーマス・ルーピン教授を苦しめているのは、果たして反人狼法か? ドローレス・アンブリッジの悪意と、魔法界における大勢の偏見がこの状況を作ったのか? 果たしてそれだけが原因と言って良いのか?」

「…………?」

 

 彼女が顔を上げた気配がしたが、それを意図的に無視し、違う筈だろうと続ける。

 

「反人狼法が出来たのは二年前。教授の困窮を見かねた校長が、防衛術教授の職を斡旋したのも二年前。しかし、法規制により就職が不可能になったとて、即座に貧困に転落する訳ではないだろう? まあ教授はグリンゴッツに口座を開設出来る身分だとは思えないが、だとしても、あの教授は明日の為の貯蓄を考えない程に刹那的な性格ではない」

「――――」

「けれども、リーマス・ルーピン教授は長らく貧困に喘いでいた。この二年間のみならず、その以前も。それは何故だ?」

 

 今度は、ハーマイオニーの反応が大いに遅れた。

 彼女はドローレス・アンブリッジについて考えを巡らせようとも、その先にまで思いを馳せようという発想は無かったようだ。

 

 ……近視眼的なのは、勇猛過ぎるグリフィンドールの悪癖か。

 そしてこの類の熟考は、時に臆病と揶揄されるスリザリンの真骨頂でもある。

 

「……あ、貴方は──」

「何か気付いたか?」

 

 奇妙に震える、弱弱しい彼女の声に首を傾げる。

 やはり視線は向けなかった。御節介な星空を見つめ続ける事を選択した。

 

「貴方は、第一次魔法戦争後の十二年間、ダンブルドアがルーピンを見捨てて来たと言いたいの? 彼は前回も騎士団として戦ったと聞いたわ。だから報酬のお金をあげるとか、或いは戦争が終わって職を斡旋しなかったとか。そんな事を主張したいというの?」

「……嗚呼、君はそちらの発想に向かってしまったのか」

 

 彼女が即座に返答しなかった理由が解った。

 そして僕の表現が悪かったのかもしれんな、と笑う。

 ハーマイオニーが聡明な少女であるのも善し悪しで、僕は明確に首を横に振る。

 

「あの校長の事が如何に嫌いでも、そんな事は言わんさ。あの御優しい校長閣下が、その程度を申し出ない筈も無い。あれでも今世紀で最も偉大な魔法使いだ。金銭にしても人脈にしても、有り余る程持っている。校長が教授に与える事は不可能では無かっただろう」

 

 己が取り繕える限りは、あの老人は善人として振る舞おうとする。

 

 戦争が終わったらハイサヨウナラという真似は、善人たらんとする者(〝アルバス・ダンブルドア〟)の流儀では無い。軍人年金よろしくガリオン金貨で満たされた袋を渡す事くらいは容易く、また彼ならば、狼人間に理解を持つ人間を紹介し、職を斡旋する事も可能だっただろう。

 

「――だがハーマイオニー。今の指摘は非常に残酷では無いだろうか?」

「……え?」

 

 彼女の呆けた声。表情まで想像出来る。

 丸一年会話しなかったが、それでも同じ城で過ごし続けてはいたのだ。

 

 だからこそ――許せはしない。

 

「あの魔法戦争に身を投じた者はな、決して金や職を目的としていなかった。グリフィンドールの騎士道精神は、何らかの対価を求めて血と命を捧げた訳では無かったのだ」

 

 何を得た訳でも無い。総じて見れば、喪った物の方が大きかった事だろう。

 それでも彼等は、己の選択に後悔せず、戦後に胸を張って日常へと帰って行った筈なのだ。

 

「それなのに君はたった一人だけ、それも五体満足で戦争を終えられた人間に、戦争の報酬を寄越せと言えと求めるのか? 自分は狼人間であるから、今は貯金が無くて、今後も到底職を得られそうにないから、どうか金と職を御恵み下さいと?」

「――――っ!?」

 

 負け犬(アンダードッグ)にも矜持が有る。

 他人から見れば些細で、愚かに見えても、しかし譲れない一線が。

 

「しかも申し出る相手は自分にホグワーツ入学を許可してくれた校長、既に返し切れない恩を受け取った大恩人だぞ? 魔法戦争で多少なりとも恩義を返したとはいえ、魔法界の狼人間の立場を考えれば、やはり天秤の傾きはそのままだろう」

 

 狼人間による傷は不可逆かつ治療不能。

 そして彼等が危険なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに満月の夜以外に『感染』は発生しないが、それ以外の時間に噛まれた場合でも、彼等が残した呪いの傷からは一定の汚染――狼人間としての性質が残る事は報告されている。生徒として迎え入れた狼人間が、子供の喧嘩中()()()()他人を噛んでしまう可能性を考えれば、かの寛容で傲慢な大魔法使い以外は、そのような愚を冒せない。

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授ですら、狼人間の入学を認めたかどうか怪しい。

 

「……る、ルーピンはそれだけの事をしたわ。報酬を受け取っても恥じる必要は無い筈よ」

「僕もそう思う。仮にその手の申し出をしていた事を知ったとして、僕の教授への敬意は何も変わらない。受け取る資格は十二分に有るだろう」

 

 忠誠心を有する狼人間など、如何に望んでもそう手に入るものではない。

 あの校長閣下による指揮の下、リーマス・ルーピン教授は魔法戦争中に唯一無二の仕事をしただろう。彼の仕事によって少なくない人間の命が救われ、また狼人間(彼の同類)になるという()()を避けられた事だろう。その功績は讃えられるべきだった。

 

「しかし不死鳥の騎士団員。そして直接所属して居ないにしても、騎士団の協力者達。あの戦争で彼等がどれだけ死んだと思う? その死者達には兄弟姉妹、祖父母や両親、そして幼い子供達が居た。つまりあの偉大な偉大な魔法使い様にはな、救うべき弱者が他にも多く居たのだ」

「――――」

「彼は現在世界で最も強力な魔法使いの一人だ。しかし彼は所詮個で、手は二つしかなく、それを伸ばせる範囲など限られている。ならば一人で生きられる成人男性が自ら身を引く事は、己に手を貸す位なら他の人間に与えてやってくれと主張する行いは不自然か? その高潔さはグリフィンドールが掲げる精神に十分合致し得ると考えられないか?」

 

 勿論、これは僕の勝手な推測であり、事実であったかは教授本人に聞くしかないが。

 そう言い訳を口にした後、区切りを示す為に、少しだけ間を置いた。

 

 ハーマイオニーは何も言わなかった。

 

「話を戻すが、狼人間を窮地にやっているのは魔法界であり、大勢の魔法族だ。それを放置し、見て見ぬ振りをしているのも。そして脱狼薬が発明された程度で狼人間は差別される必要が無くなった、或いは救われたと考えている甘い考えをしている魔法族もまた同類だ」

 

 内心を支配し始めた黒い衝動を排除するように、大きく息を吐く。

 

「脱狼薬は、狼人間の変身時に理性を喪わなくするだけの薬でしかない。狼人間の変身自体を、要は他人に脅威となる鋭い爪や強靭な肉体を得る事を止めはしない。そして、狼人間の感染能力を喪わせるとも聞いた記憶が無いな。まあそれを試すには人体実験するしかないのだが、さりとて薬効が未知のままである現状、狼人間を警戒するなという方が無理な話だ」

 

 その薬は症状緩和薬に過ぎず、治療薬では無い。

 

「勿論、凶器と成り得る武装、杖を持っているのは魔法族も同じだ。狼人間と同様に、僕達魔法族は他人を簡単に殺す事も出来る。だから、その人次第という考えも有る。()()()()()()()()狼人間と、杖を持っている魔法族。その両者は一体何処が違うのか、差別するのは不条理ではないか。それは主張として有り得る」

 

 その際、僕は意図して脱狼薬の疑問には口を噤んだ。

 

 変身した狼人間は人間的な善悪を喪失し、完全な変身後は相手が妻や娘であろうが構わず襲う。そして捕食相手を選り好みしないという事は、必然のように、誰かを狙って襲う事など出来ないという事だ。

 彼等が特定個人を襲おうとしても、人目を避けた場所で変身して遥々遠征というのは不可能で、満月の夜にその獲物の傍に身を置き続けるか、或いは満月になる前に予め獲物を拘束しておくか位しか取れる手段がない。しかも理性を喪失するから、勢い余って獲物を噛み殺すというのも良く有る話だ。つまり、効率的に同族を増やすという事が困難なのである。

 

 その上、狼人間は基本的に杖を持った魔法族に敵わない。

 銃を持った〝マグル〟が獣に勝てるのと同じだ。勿論、獣側が勝つ場合もしばしば存在するように、狼人間側の勝ち目がない訳ではない。だが、基本的な上下関係は揺らがない。目的意識の下に苦痛や恐怖に耐え、言語を駆使して相互協力体制を整え、巧妙な作戦を構築して敵を討ち滅ぼそうとする怪物達に、本能に支配された獣畜生共では対抗し切れない。

 

 しかしそれらの問題は、脱狼薬によって一挙に解決してしまうかもしれない。

 理性的に襲い、理性的に感染させ、理性的に殺す。それが可能であるならば、魔法族と狼人間の力関係は逆転し得る。変身時に杖まで使えるなら完全にひっくり返るだろう。ダモクレス・ベルビーが悪魔の薬の発明者として後世に伝えられる可能性は、十分に有り得る。

 

 有り得るのだが――情報の足りない現状では、所詮悲観的な想像、妄想の類でしかない。

 

 そして僕が指摘したい問題の焦点は、決してそこには無かった。

 

「けれども、僕は脱狼薬を服用したという条件を意識して付けた。つまり君達は絶対に、脱狼薬を服用していない狼人間が満月の夜にウロウロしている事を認めない。彼等の〝自由〟を、君達善良な魔法族は許しなどしない。そしてそれは真っ当に聞こえてしまう」

 

 ハーマイオニーは物の解っていない少女のように一々反論しなかった。

 疑問が湧いたら直ぐに質問を紡いでいたのは、もう四年以上前の事だ。そして、僕がそう簡単に突き崩せる論理を持ち出さないのを、これまでの付き合いにより彼女は良く知っていた。

 

 一言一言が彼女に出血を強いている事を理解し、それでも僕は止めない。

 

「嗚呼、それは正しいのだ。最も素朴で原始的な自由主義論理――他者に対して危害を与えない限り、人間の自由は保証されるという原則。反転させれば、他者に危害を加える場合には自由が制限されても已むを得ないとする原則。その根幹まで糾弾しようとは流石に思っていない」

 

 〝マグル〟の世界だって変わりない。刃物や銃器を携帯する事は許されないし、酒を飲んで自動車を運転する事も禁じられている。健全な社会は、そのような注意と配慮で成り立っている。

 

 それは絶対的に正しく、けれども再度溜息を吐く。

 

「だが、その費用はどうするべきだろうか?」

「――――」

「脱狼薬は非常に高価な薬だ。材料自体がまず稀少。それを調合しうる能力を持った人間も稀少、即ち技術料も当然高く付く。しかも毎月服用が必須であり、将来も必ず飲み続ける必要が有るから、人生において薬に注ぎ込む総費用は膨大になる」

 

 味が酷く、砂糖を入れると台無しになるなんぞ些細である。

 薬価の問題を解決しなければ、脱狼薬は狼人間の救済の可能性と成り得ない。

 

「で、だ。狼人間が魔法界で生きようとすれば、その入場料(コスト)を払わねばならないのか? それ位の金など自分達の世界に歓迎して貰えるなら安いものだろうと、そう魔法族は傲慢に宣うのか?」

「それはマグルの世界なら――」

 

 そこで、ハーマイオニーの反論が途切れる。

 

「――下等種族(〝マグル〟)なら?」

 

 星を見上げたまま促すが、答えは帰って来ない。

 だが、それで良かった。彼女が僕の真意を理解したという事だ。

 

 ここは()()()()()魔法界だ。退()()()()()()非魔法界では無い。

 

「公平の為に付け加えておくと、それを為し得るかもしれない機関は魔法界に一応在る。いや、在ったと表現すべきか。魔法生物規制管理部存在課内の、狼人間支援サービス( Werewolf Support Services )。その組織は最早活動しているのかいないのか解らない状態で、狼人間への支援など忘れ去られているのが現状だ」

 

 まして、脱狼薬の為の補助金を出すなんぞ夢のまた夢である。

 

「魔法史においても最優秀の成績を収める君は当然知っているだろうが、この魔法界で狼人間行動綱領(Werewolf Code of Conduct)が制定されたのは1637年だ。つまり、それを守れば魔法界に受け入れてやるという原則が遥か昔に示されていた訳だが、しかし、守る狼人間は居なかった。狼人間に魔法族への不信が有り、魔法省に自身の存在を登録する者が居なかったのも理由だが、恐らく根本的な理由はそこには無い」

 

 たとえ魔法大臣との間で破れぬ誓いを交す事が出来、命の無事が完全に保証されたとしても、あの狼人間規範を守る者は居なかっただろう。

 

「狼人間行動綱領は、彼等が毎月自身を閉じ込める事によって、他人を攻撃するような事態を防ぐよう規定する。これは明らかに、満月に変身する狼人間の習性を前提とした安全基準を策定する事を目的としている。そして嗚呼、これも素晴らしく真っ当に聞こえるな」

 

 一見して真っ当だからこそ厄介だ。

 

「狼人間側の理屈――満月の夜に人間から隔離された狼人間は、飢えに苦しみ、狂い、最終的に自傷行為へと及ぶのだという事を考えさえしなければ、だが」

 

 立場を逆転させてみれば、これ程冷淡で残忍な対応など無い。

 

 魔法族が狼人間に突き付けた条件は、刃物を持つなとか酒を控えろというものでは無い。重度の薬物中毒者が薬物を禁ずるような、病に侵された末期患者が激痛や呼吸困難を我慢するような、本能に深く干渉してくる部類の代物だ。

 まあリーマス・ルーピン教授の例を鑑みるに、精神状態次第で捕食衝動を多少は緩和出来そうではある。しかしながら、それでも彼が狼人間である事に由来する苦痛は、学生時代に根本的に解決した訳では無かっただろう。

 

「狼人間がそれだけの入場料を払わない限り、自分達の社会に受け容れてやらない。そう魔法族は示したのが狼人間行動綱領だ。そして現在。脱狼薬を服用しろという〝命令〟は、過去のソレと何も変わらない。三百五十年前から魔法族は何も進歩していない。弱者に対して一方的に負担を押し付けるのみで、なれば被差別側は──最も悪名高く、象徴的な悪の人狼たるフェンリール・グレイバックはこう言うだろう」

 

 そんな世界はクソくらえだ、と。

 憎悪と殺意をもって、吐き捨ててくれるだろう。

 

「……あ、貴方は狼人間の革命を肯定するの?」

「理解出来る、というだけだ」

 

 ハーマイオニーの言葉を僅かに、しかし決定的に修正した。

 

「はっきり言って、僕はリーマス・ルーピン教授の同類になどなりたくないからな」

 

 何ら恥じ入る事もなく、堂々と僕は宣言する。

 狼人間。その言葉を避けたのは、意図的なものだった。

 

「毎月の変身の苦痛、或いは脱狼薬の費用負担。どう考えたって御免だ。君とてそうだろう? 狼人間達が〝自分達の境遇を理解するには良い方法が有る。それは今すぐ俺に噛まれる事だ〟と、君に対して言ったとしよう。その際、君は必ずや強く拒絶する。どんな詭弁を弄してでも、彼等の〝仲間〟になろうとはしない」

「…………」

「悪い事では無いとも。非魔法界とて変わらんさ」

 

 神の国など現世には無い。

 理想だけを見上げて言う綺麗事は、現実の重みによって轢き潰される。

 

「如何なる人間も障碍者になりたくない。その後ろめたさを隠す為に、〝マグル〟は社会的弱者に対して優しくして来た。税金を広く徴収し、得た金を国家福祉の費用として充ててきた。揺籠から墓場までの信念は前首相が打ち砕いてくれたが、それでも全ての福祉政策を撤廃した訳では無い。それらの慈悲の多くはこれからも変わらず続いて行くだろう」

 

 けれども、魔法界はどうだろうかと続ける。

 

「何故、教授の苦境は十二年、十四年――いや、三十余年間、変わらなかったのだろうな」

「…………」

「君は去年行動しない僕を非難し、それを甘んじて受けるつもりなのは変わりがない。だがな、リーマス・ルーピン教授の苦境について熟知しており、しかも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あの玉座が不自然な形で用意された不恰好なハリボテに過ぎないにしても、我儘を押し通せるだけの三百年分の権威を獲得した事は、今現在コーネリウス・ファッジが証明してくれている。

 

 ――が、知っての通り、()はそうしていない」

 

 だからリーマス・ルーピン教授は、彼を真に信用出来なかった。

 

 自分が救われる契機を()()()()()()恩人よりも、実際に自分を()()()()()()友人達の秘密を守る事に高値を付け、動物擬き(アニメーガス)の秘密に口を噤み続けた。

 シリウス・ブラックが脱獄手段として動物擬きを用いた訳では無いと考えたとしても――学生時代から使えたのに十二年間は大人しく収監されていたのだから、不合理な思考ではない――それでもアズカバン脱獄以降に闇祓いの追跡から逃れられている理由は、彼が犬に変身しているからなのだと察していただろうに。

 

 ……嗚呼、それを打ち明けられなかった教授の弱さを、僕は何ら否定しない。

 

 かつてのホグワーツにおいて、リーマス・ルーピン教授の正体を知った途端、ジェームス・ポッター達が以降の交流を断ち切る可能性というのは有ったのだ。

 特に〝ポッター〟や〝ブラック〟の子供は、幼少期から狼人間の恐怖など刻み込まれていただろう。しかし、あろうことか、ジェームス・ポッター達は受け容れた。そこに大魔法使いの策略や深謀遠慮は無く、三人の純然たる善意と友誼こそが過去の教授を真に救ったのであって、故に恩人よりも親友達への義理に殉じようとするのも当然である。

 

 結局の所、彼が信用を勝ち取れなかっただけの話に過ぎない。

 彼は世間に訴えるだけで、自ら動いて変えようとする事は無かったからだ。現に苦しみを味わっている者にとっては、手を抜いているようにしか見えなかったからだ。

 

「勿論、彼にも言い分は有る。何故望んでも居ないのに、自分が魔法界の王様の身分に押し上げられねばならないのか。自分の助力が無ければ正常化されない世界など、有り得てはならないと思わないのか。上からの強引な独裁によってではなく、魔法族が下より民主的かつ自主的に解決していくのが筋では無いかと」

 

 もっともらしく聞こえるが、けれども期待し過ぎだ。

 他ならぬ彼が揶揄した通り、魔法族はそれ程までに進歩した種族ではない。

 

「しかし、現在苦しんでいる者にとっては知った事では無い。自分を助けてくれなかった事が全て。八つ当たりだとしても、やはり憎悪を向けるには十分なのだ」

 

 人間が何時も合理的に行動出来るというのなら何ら苦労はしない。

 

「彼は何も変えなかった。あれだけ偉大で有りながら、力を持つ者としての責任、高貴なる義務(ノブリス・オブリージュ)を果たしてこなかった。彼がその身に宿す強大な力を振るうにしても、その対象は狭い社会内(ホグワーツ)の小さな子供達であって、同時に彼は自分の領分で無いと判断した者達、魔法界に住まう多数の大人を見捨ててきたのだ」

 

 魔法界に求められたのは、脆弱な基盤しか持たない立法議会や法執行機関の長ではない。

 開明的な啓蒙専制君主、或いは開発独裁を進める首相や大統領こそが必要だった。

 

「で、でも……! 貴方は、貴方という人は――」

 

 そこまで口にして、ハーマイオニーは途方に暮れたような顔をした。

 彼女は当然の反論を思い付きはしたものの、僕を傷付けずに表現する言葉が見付からなかったのだろう。けれども言いたい事は十分に伝わって来たので、彼女の代わりに口にしてやる。

 

「そうだな。僕は彼に救われなかった側の人間では無い」

 

 アルバス・ダンブルドア校長は子供に甘い。甘過ぎる。

 

「寧ろ彼は存分に多くを与えてくれたとも。スリザリンの性質が濃い人間なんぞ御好きでなかっただろうし、僕の本性に触れた後は嫌悪すらしていただろうが、それでもあの大魔法使いにとって僕は庇護対象であり、慈悲と慈愛を注ぐべき相手だった。……まあ、僕はまだ何もしていないからな。在学中に四人は殺していたらしい、既に堕ちていた大先輩とは違う」

 

 スリザリンに入る前、入学以前であれば余計にそうだろう。

 

 もし産みの母の手紙が早く届いていれば、想定される保護対象が十一歳未満――ホグワーツ入学まで数年を要する子供であったとしても、あの校長は当然のように最善を尽くしたに違いない。

 

 母達の結末に校長が間に合わなかったのは偏に彼以外の部分、つまり育ての母が止めた事や全ての元凶たる我が父に原因と責任があって、だからその部分に関し、今世紀で最も偉大な魔法使いへの恨みは一切無い。

 

 勿論、これはコーネリウス・ファッジの前でも明言した通り、魔法省に対しても同じ事が言える。彼等が自分達を救わなかったのが悪いとは、毛頭主張するつもりがない。

 

「だからあの校長や魔法界を憎む理由は、無いと言えば確かにない」

「なら!」

「けれども、この魔法界に味方する理由も全く無いな」

 

 そもそも光の陣営と敵対する理由しか存在しない。

 

「アルバス・ダンブルドアも闇の帝王も、ここ数十年間で魔法界に歪みを生み出した諸悪の根源だ。しかし結局の所、彼等も魔法族の一人でしかない」

 

 彼等は体制の象徴であるが、決して体制そのものではない。

 

「確かに彼等は一人で世界を変える力を持っていた。しかし、近代以降の革命の多くは下から生じるものだろう? 万人が革命権を握る事は世に示されており、けれども今まで魔法族は誰も動かなかった。ならば現体制、現魔法族を滅ぼすべき悪と看做す事に、一体何の躊躇をしよう?」


▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。