「……しかし」
彼女の機嫌が上方修正されたのを改めて確認した上で、眼前のテーブルへと視線を移す。
正確にはそこに置かれた、デザートの山々を。
「夕食後の間食としては、随分と豪奢過ぎやしないか?」
レモンパイ。プディング。トフィー。スコーン。キャロットケーキ。ミンスパイ。アップルクランブル。チョコレートファッジ。イートンメス。他にも、名前を言い当てられないデザートが、大小色とりどりの皿の上に沢山。
屋敷しもべ妖精がハロウィンの日付を二週間程勘違いしたのかと聞いても信じられる程で、何なら妖精達が僕を糖尿病で殺す気だと言われても信じられる位に酷い。
食事を残すのは余り好きではないが、しかしその視覚的暴力は、既に完食を諦めさせるには十分である。食べ残しは……流石にスリザリン寮には持ち帰る事は出来まい。一応手配したのはハーマイオニーであり、細かい事を気にしないグリフィンドールならば余計な詮索もされないだろうから、彼女に任せざるを得ないだろうか。
テーブルに用意されていた皿とフォークを取りつつ、一体全体どうしたのかとハーマイオニーに聞けば、彼女は僅かに頬を膨らませた。
「……妖精達が私達の為に用意してくれたのよ」
「そうか」
言い訳がましくボソリと呟かれた言葉に、小さく笑う。
それは屋敷しもべ妖精に規定外労働をさせたという事であり、彼女の去年の思想からは全くそぐわない行動だ。勿論僕は彼等をこき使う事に疑問を抱かないが、けれどもハーマイオニーがそれを許したのは意外である。
ただ、その思いは伝わったのだろう。
ハーマイオニーはキャロットケーキをフォークで突きながら口を開いた。彼女の眉根は顰められたままだった。
「そりゃあ三日前に御願いした時、最初は余り良い顔されなかったわよ」
「そうだろうな。特に君の解放運動は妖精達から嫌厭されていそうだ」
「……嫌味ったらしいわね」
「個人的推測に過ぎないとも。事実の可能性が高いとも思っているが」
屋敷しもべ妖精は、基本的に人間の要望を断る種族ではない。
しかしながら、絶対に断らない訳ではないし、また怠慢や不服従をしないという事では必ずしもない。
そもそも生徒が妖精達を勝手に使い、不健康な間食を用意させる事は、
そして、自分の行動を客観視する程度は出来たようだ。バツの悪そうな顔をしつつ、けれども何処か自棄になったような口調で続けた。
「でも何故軽食を用意して欲しいのか聞かれて、私が理由を言ったら――ちょっと口にしづらかったけど――途端に彼等は態度を一変させて、逆に是非手伝わせてくれってペコペコ頭を下げ始めたの。こっちが呆気に取られる程の熱量で、気付いたら何時の間にか厨房から追い出されてたわ」
「くくく。そして妖精に押し切られたまま、こんな事になっている訳か」
「…………馬鹿な女だと思っているのでしょうね」
「いいや、そうは言わないとも」
唇を尖らせたハーマイオニーに、笑いながら軽く首を振る。
夜会の軽食を用意する事に何故妖精達がそこまで関心を示したかは良く解らないが――この品々を見るに、彼等が相当張り切って用意した事も伝わってくる――まあ、所詮彼等の考える事だ。余り大した理由でもなく、久しぶりに日常業務以外の仕事を与えられて歓喜したとかそこらだろう。
そして妖精達の自発的意思ならば、僕が余計に非難する理由は無い。
「寧ろ、素晴らしい事だ。君は彼等に働き甲斐の有る仕事を与えた。そして妖精は喜び勇んで取り組み、更に当然、君は彼等に礼の言葉も掛けたのだろう?」
「……それは、勿論そうしたわよ。今日コレを見せられて、どうやって八階まで運ぼうかと途方に暮れたら、当然自分達が部屋前まで給仕するものだって断固主張されたし。本当に至れり尽くせりで、ここまでされて礼を言わない人間なんて居るかしら?」
「ならば、彼等にとっては望外の贈り物となっただろう」
一つの皿からレモンパイを取り、切り分け、口へと含む。
菓子の味は家によっても特徴が有る。材料費に糸目を付けないマルフォイ家の物は口煩く、生徒の為に大量生産する事に慣れたホグワーツの物は素朴だ。勿論、どちらが口に合うかは甲乙つけがたい。
ただ、周りに気を使わないで済む食事というのは久々だった。
作法からの逸脱を見咎めるドラコ・マルフォイ、或いは他のスリザリン生はここには居ない。
「良い屋敷しもべ妖精である証は、可能な限り人前に姿を現さない事だ。しかし、それは奉仕に対して礼を言われる機会が無いという事を意味し、そして彼等は人間的な温かみのある言葉に何も思わないような種族でも無い。更に言えばこのホグワーツでは構造上、屋敷しもべ妖精は御褒めの言葉に飢えやすい環境に在るように思える」
あの校長閣下にしても、毎日屋敷しもべ妖精を労う程に暇では無いだろう。
対して、マルフォイ家にはそれが可能な環境が存在する。……まあ、その環境は在れど、マルフォイ一家が妖精達を一々労う程に親切でないのは言うまでもないが。
「けれども、君は今日それを与えた。間違いなく彼等に対する〝善行〟で、妖精達は逆に君へと感謝を向けすらしただろうと思うがね」
「……相変わらずで何よりだわ。貴方は何時も、皮肉めいた言い方しかしない」
「――そうだな。この種の話題に対しては、気を付けていてもこうなってしまう」
道に迷う老人や子供、或いは視覚・聴覚障碍者に対し、自分が全くの善意で親切にしたにも拘わらず、報酬としてポンド札の束を渡されればどう感じるか。
そのような皮肉すらも思い浮かんだが、何とか意思の力で押し留めた。折角再会出来たというのに、わざわざ問題を延焼させる意味など無かった。
「このように飢える屋敷しもべ妖精を少しでも不憫だと思うならば、その代わりに君が声を掛けてやる事だ。今日礼を言ったとしても、改めて明日にでもまた、な。そう大層な言葉は不要だし、君が再度彼等と話をする口実にも――」
「――じゃあ、贈り物をするとかは? たとえば、服を贈るとか」
「…………」
もっとも。
僕と彼女の意思は全く食い違っていたようだった。
彼女は未だに去年の対立を引き摺っていた。或いは、忘れる事を許さなかった。
「……君は、何を言っているか解っているのか?」
「ええ。これは挑発よ。当然、貴方への、ね」
「…………はあ。そうか」
先程僕は更なる皮肉を紡ぐのを止めた。
が、それでも彼女は、僕が何かを言い掛けたと察していたのかもしれない。そして彼女はやはりグリフィンドールだった。挑発や侮辱に対して、そう易々と引き下がってくれやしない。
どうやら彼女は、今年も〝愚かな〟S.P.E.W.の活動を止める気は無いのだろう。その上、彼女が従事しようとしている活動は、僕が素直に感心出来る類でも無さそうだ。しかしだからこそ逆に、彼女は或る種の去年の続き、もしくは遣り直しとして、この話題を持ち出したのか。
ただ――彼女も何も考えずに話題を持ち出した訳でも無さそうだ。
フォークを握っているハーマイオニーの右手は、小さく小刻みに震えていた。
そして最も最悪なのが、この話が緊張を解く為の前置きの話でしかない事だった。
「……まず、君が屋敷しもべ妖精の〝解放〟について理解しているかだが――」
「――見くびらないで頂戴」
僅かばかりの、けれども確かな怒りを籠めて彼女は僕を睨む。
「私はハリーがドビーを〝解放〟した時の話を聞いているのよ。まずハリーが自分の靴下を日記ごとマルフォイの父親に渡して、
「成程、そこはやはり問題では無かったようだ」
解放手続を誤解する程、つまり自分が屋敷しもべ妖精に服を贈れば直ちに彼等が主人から自由になると考える程、ハーマイオニーは愚かでは無い。その事は救いだった。
「であるならば、君が目論む
「……疑問を提示?」
「去年とてそうだったと思うが、僕は屋敷しもべ妖精の生態を熟知している訳では無い。今夏もそのような暇は余り無かったしな。だから、僕から答えを出す事は出来ない」
マルフォイ家の新たな屋敷しもべ妖精に対して多少の聞き込みはしたが、それでも彼の主人の手前突っ込んだ話は避けたし、種として深い理解まで到ったとも思わない。
だから今年もまた、真の意味でハーマイオニーの力にはなれない。
「しかし、個人的な疑問点、それも君が意識しておいた方が良いであろう点は三つ程挙げられる」
「……三つも?」
「ああ。そして、君は聞くだけにして欲しい」
「――貴方が言いっぱなし? それって反則じゃない?」
「
去年も割と言いっぱなしだったとも記憶しているが、今年はもっと状況が違うだろうと言う意図を滲ませつつ、僕は答える。
「であれば、手早く済ませた方が良い。別に君が僕と異なる意見を抱く事を止めないし、勿論、僕の疑問が見当外れである可能性は低くない。後日反論をぶつけて来ても構わない。その答えに向き合うべきは、S.P.E.W.に取り組む君なのだから」
ハーマイオニーは不満気な素振りを隠そうとしなかった。
が、ここで口論するのは無駄だと彼女も考えたのだろう。最後には渋々頷いた。ごじつ、と小さく呟く声が聞こえたが、その真意は解らない。まあ小声だったので僕に聞かせるつもりの内容でも無いだろうと、構わず先を進める事にした。
「第一は、ホグワーツの屋敷しもべ妖精の主人は誰なのか。君はそれをホグワーツ校長、或いは〝ホグワーツ〟という体制自体と考えているようだが、果たしてそれは正しいのだろうか」
「!? 貴方は違うって――」
彼女は即座に口を挟もうとして、しかし直ぐに閉じた。それを見て苦笑する。
一切何も言わないでくれとまでは、流石の僕も言っていない。けれどもそれは彼女の覚悟を明確に示すもので、非常に有難く、両者にとっての救いとなる筈だった。
「君が嫌な気分になるのを承知で言うが、屋敷しもべ妖精は魔法法上〝物〟だ。主が死んで相続が発生すると、基本的に妖精は相続人へと承継される」
「……ええ。残念ながらそうみたいね」
「しかし、ヘルガ・ハッフルパフがそれを是としただろうか? 妖精達をホグワーツに縛り続ける事を善と考えただろうか? たとえば、ホグワーツを護る為に死ぬまで戦えと命令される可能性を、彼女は一度も考えなかっただろうか?」
当時は未だ迫害と戦火が燻っていた時代だ。
屋敷しもべ妖精が戦力として計上される事は、彼等にとっては害にしかならない。
もっと具体的に言えば、〝マグル〟から良家の子供を護る為には、屋敷しもべ妖精を四六時中張り付けておくのが手っ取り早いのだ。
屋敷しもべ妖精は特異な体系を有する魔法を持っており、子供の守護者として十分役割を果たしうる。そして勿論、彼等は〝マグル〟に負ける程に弱くもないが、さりとて足手纏いの子供一人――下手すれば複数人――を抱えていれば、常に無傷という訳にもいかないだろう。
屋敷しもべ妖精の最高法規は、己の主人の命令である。その意味は、非常に重い。
「しかも、当時の〝ホグワーツ〟の相続者は誰だ? 彼等創設者四人が生存していた時代、
「……いいえ。最初期のホグワーツは四頭政、スリザリンが去ってからは三頭政だったと思うわ。創設者の誰かが校長になったという記録は何処にも存在しない筈よ」
「僕もそう記憶している。加えて、僕達はホグワーツが千年続いた事を後知恵で知って居るが、歴史の当事者たる彼女達は違う。自分達四人が死ねば自然解散する可能性も考慮するのが自然だ。何せ魔法魔術学校という概念自体、当時には存在しないからな」
〝学校〟――特にマグル界の大学の創設時期を定義しにくいのも、偏にその問題に起因する。
ホグワーツもまた同じ。千年以上存続している事は確定しているが、正確な創設年は定義されていない。992年以前に創設されたという以上に、詳細な事は言えない。
「そして屋敷しもべ妖精数百人、いや数十人程度でも、立派な戦力ないし貴重な財産だ。ホグワーツ解散を仮定した場合、その際に彼等を巡って魔法族間で闘争が生じる事も考えられる」
ヘルガ・ハッフルパフが慈愛に満ちた人物であればある程に、屋敷しもべ妖精の未来を真剣に思う程に、彼等をホグワーツに縛り付けるような安易な行動を取る訳には行かない。
「契約は当事者を護る物として働く。しかしその一方、逆に縛る物としても働く。非魔法界でも雇用者が契約を盾に横暴を振るい、その結果訴訟沙汰になる事など良くあるだろう? 魔法界でも同じだ。相手が屋敷しもべ妖精だったとしても。如何に千年前の人間とて、ヘルガ・ハッフルパフが契約の拘束力による危険を知らなかったとは思わないな」
そして、一つ思う事が有る。
サラザール・スリザリンがスリザリンの指針であるように、ヘルガ・ハッフルパフは当然ながらハッフルパフの模範である。
そして最もハッフルパフらしい人間であったあの男であれば、屋敷しもべ妖精と雇用契約を交わすなどと言った
しかしながら、その思考は僕の勝手な夢想に過ぎず、相手がハーマイオニーであれ他人に口走るなど以ての外だったから、軽く首を振った後で先を続ける。
「第一はこの程度だ。次に、第二の問題に移ろう」
疑問を棚上げにするという宣言を、今度のハーマイオニーは止めなかった。
「そもそも屋敷しもべ妖精に服を与える事が、何故彼等の解雇を意味するのだろう?」
その原点は、果たして何処に有るのだろう。
「服とは元来高価な代物だ。非魔法界における服の多くは、貴族の着古した衣服を奪い合い、それを裁断して作られるものだった。それも、他人の手の経由は一度や二度ではない。貴族が着古し、それを有産階級が着古し、更にそれを市民が着古した結果の
「……それ位は知ってるわ。それを変えたのは産業革命だという事も」
「そうだな。そして服の価値は魔法族にとっても左程変わらない。流石に非魔法界よりは安価だったが、それでもその作成には魔法族一人と杖一本が最低でも拘束される。原材料まで考えればもっと多くが必要だ。決して、安い費用ではない。要するに、服とは本来おいそれと与えられるものではないのだよ」
服余りの現代とは違うのだ。
そして当たり前だが、ロンドンの小さな雑貨店に入って紙幣一枚で毛糸玉が買えるという事もない。
「それにも拘わらず、魔法族は彼等の解雇に際して服を与える。永遠の訣別に際して、高額な代価を払おうとする。逆に屋敷しもべ妖精は、そのような事態を可能な限り拒絶しようとする。もしくは、彼等は一目見て解る通りに、可能な限り襤褸布以外を身に着けようとしない。その理由を、君は真剣に考えた事があるだろうか?」
「――――」
当たり前となっている慣習には、普通は原因や誕生秘話が存在する。
それを考えずに古いだけで正しい、或いは間違っているとするのは愚かな行為だ。
非魔法界の世界観を一変させた啓蒙思想の原点もそこに在る。啓蒙思想とは古い因習を捨てる事を正当化する思想ではなく、肯定したいが為に疑った事例は少なくなかった。
「君の〝解放〟指針、彼等に無理矢理にでも選択肢を与えようとする事は正しいかもしれない。意思に反して中古の服を着用せざるを得ないというのは、少なくとも先進国の大部分では過去となった。そして服飾の価値観は人種のみならず、時代によっても変わる。しかし、君が魔法界で解放運動を続けるならば、やはり原点について知っておくべきではないだろうか?」
ハーマイオニーは何か反論したげな表情だったが、意識して欲求を捻じ伏せたのが明らかだった。そして、正しい。僕達の間で口論する事にやはり意味は無い。
「第三で、最後だ。これは左程大した物でも無い」
一応付け加えておくか程度の意図しかないが、彼女にとっては意味があるかもしれない。
「確認なのだが、ウィーズリー家には屋敷しもべ妖精が居ないと考えて良いな?」
僕の言葉に、ハーマイオニーは頷いた。
「……そうね。私は姿を見た事が無いし、過去に居たとも聞いてないわ」
「ならば、何故居ないのだろう?」
〝マグル生まれ〟である彼女は、当然考えた事が有るかもしれない。
そう思いながら彼女を見たが、返って来たのは困惑だった。であれば、仕方が無い。その疑問に至った根拠についての説明を続ける。
「ウィーズリー家は非常に古く、母方のプルウェット家にしても古い家系だ。そして既に述べたように、妖精は相続の対象になる。更には妖精達は給料を求めないから、貧しく在る事は彼等が居ない直接の理由にならない。加えて非魔法界の人間の視点から見れば、あれだけ子沢山の家には、妖精達の〝仕事〟が有り余っているように思える」
だが、居ない。
代々受け継いでいる妖精は、彼等の家に居ない。
僕は強調する為にそう繰り返した。
「もっとも、
「――何となく見えて来たわ。貴方はそれを必然と見ているのね?」
「そうだな。現在市場取引されている妖精が高価である事を差し引いても、僕には必然に思える。件の自由な妖精ドビーにしても、ハリー・ポッターの伝手でウィーズリー家に世話になるという発想は無かったのだろう? もっとも彼の場合、給料と休暇を求めていた。特に金銭面において、ウィーズリー家とは雇用条件が折り合わなかった可能性も有る」
ただ、と溜息を吐く。
「屋敷しもべ妖精の生来の気質を考える限り、ハリー・ポッターが望みさえすれば、ドビーとやらは如何なる条件でも労働を受け容れたように思うのだ。〝ウィーズリー〟にしても、ガリオン金貨を与えられずとも、それに代わる価値有るモノを与える事は可能だった筈だ」
ハーマイオニーからの伝聞に基づく判断なので断言はできないが、それでも彼にとっての給料や休暇は、己の自由を表現する一つの手段に過ぎないとしか聞こえなかったのだ。
要するに、彼の満足出来る〝報酬〟が得られるならば、給料も不要であったように思える。
「……まあ、ドビー云々は脱線だな」
その異端の妖精がハーマイオニーにとって身近であるから持ち出しただけで、確証が有る訳でも無い。推測を色々巡らせるには情報量が足りない。
「兎に角、アーサー・ウィーズリーは屋敷しもべ妖精を所有していない。その意味を軽んじてはならないと思う。迂遠な言い方を辞めるなら、万一屋敷しもべ妖精に労働の自由が認められた場合、彼等はどんな職場で働きたいと考えるのだろうか? 〝マグル〟の世界の伝説においても、不思議な小人が姿を現す家というのは一定の条件が有るものだろう?」
彼等も心有る生き物なのだ。独自の趣味嗜好と行動指針を持っているのが当然と言える。そして魔法族と同様に――人間基準を用いて物を考えるのが馬鹿げている。
そこまで言い切った後、僕は徐に立ち上がった。
その瞬間どういう訳か大いに焦った様子を見せたハーマイオニーを他所に、向かうのは壁近く、カウンター机に置かれたコーヒーサイフォンの下だ。一杯分はハーマイオニーが用意してくれていたが、流石に御代わりは自分で入れ直す必要が有る。
勿論杖を使えば座ったままでも済んだのだが、そうしなかったのは、袂を別った相手の前で杖を振るうのが適切でないと考えた以上に、話が終わった事を意図的に示す為でもある。
しかしサイフォンも割と現代的な道具の筈だが、趣味人が居るのは魔法界も非魔法界も同じという事だろうか。そんな事を考えながらもコーヒーを淹れている最中、ハーマイオニーは何も言わなかった。
御互い直接向き合っていない状態だから、或いはサイフォンの立てる音の中では会話し辛いから黙っていたという訳では無いだろう。改めて生まれた疑問を整理するのには、彼女をもってしてもそれなりの時間が必要だったのだと思われる。
ハーマイオニーが口を開いたのは、僕がコーヒーカップを手に椅子に座り直した後だった。
「……貴方は、今の三つの疑問に答えを出しているのよね?」
「あくまで僕なりのだが、そうだ」
彼女の手から離れていたフォークをチラリと見た後、僕は肯定する。
今疑問をぶつけられた彼女とは違う。僕は既に僕の中での思索を終えている。
ヘルガ・ハッフルパフは、屋敷しもべ妖精と契約するような真似はしなかった。
魔法族は屋敷しもべ妖精を思うが故に服を与え、逆に妖精は主人を思うが故に服を拒絶した。
屋敷しもべ妖精は、一人で手が回らないような屋敷を差配する事こそ名誉だと看做している。
「しかしそれが正しいとは限らないし、そして繰り返すが、正しい答えを突き止めるのは君の仕事だ。どれも知ろうとすれば、やはり妖精達の中に答えを求める必要が有るのだから」
魔法族にとって、屋敷しもべ妖精達は余り研究対象になってこなかった。
彼等は大きな御屋敷の外には余り出て来ないし、部外者が接する場面も限られている。ホグワーツにしても、生徒との交流は殆どない。各家々で独自に調べられている内容は有れども、万人が手に取れる書物という形では殆ど纏められていない。
故にハーマイオニー・グレンジャーが答えを求めようとするならば、彼等に聞く以外の方法は残されていない。
「……あれから丸一年経ったわ。それでも相変わらず、貴方は傍観者のように振る舞うのね」
「今も変わらず、屋敷しもべ妖精の未来に興味は無いからな」
紛れもない本音である。
「そして屋敷しもべ妖精は基本的に〝家の中〟の事だろう? 他所の家庭の子供の教育に口出しすべきでないように、他所の家庭の従者の教育に口を出すべきでは無い」
「…………」
「更に君は考えるべきだ。妖精達の適切な扱い方などというような倫理
動かないが為に、偉大のままで在り続けている。
「……念の為の確認だけど。確かに貴方は疑問を提示したけど、今回は去年とは遣り方が違ったわ。だから少なくとも、貴方は今年の行動に反対はしないのね」
「元より去年も、君の基本路線にまで反対したつもりはない」
彼女の認識通り、彼等は確かに現代的価値観の下では奴隷だろう。
「自己満足の革命など有害にしかならないと指摘しただけに過ぎず、そして、コレは君が決める事だ。誰に反対されようが貫くのも
「…………そうね。その通りよ」
ハーマイオニーは頷いたが、表情がすぐれないのは明らかだった。
僕が提示した疑問への回答まで既に用意した訳では無いだろうが、それでも何処か可笑しいという考えをもっており、しかしそれを紡がないのは、互いの対立を避ける為だった。
そして改めて浮き彫りになってしまう。
やはり僕達は立場が――思想の何もかもが違い過ぎると。
彼女は自らの手で平和的に変えたいと思っている訳だが、一方僕は、変わるのならば自分の手で無くとも良いと考え、破壊的でも問題無いと結論付けている。最初から気が合う筈も無く、そして魔法戦争が始まってしまった今、もう最後まで妥協は成立しないだろう。
その内心を知ってか知らずか、彼女はポツリと言葉を漏らした。
「……どうして、私達はこんなにも上手く行かないのかしらね」
・ハーマイオニーの解放運動
五巻のハーマイオニーの解放運動が、実際に屋敷しもべ妖精を奴隷的身分から解放し得るか――特に〝主人〟から、生徒や教師の手による解放は禁じるという命令を下されていた場合に、勝手に解放し得るかは非常に疑問である。
というのも、マルフォイ家の下に居た時のドビーが、『家族全員が、ドビーにはソックスの片方さえ渡さないように気をつけるのでございます。もし渡せば、ドビーは自由になり、その屋敷から永久にいなくなってもよい』(二巻第十章)と述べており、服は〝主人〟ないしその家族から授与される必要が有る事を示唆しているからである。
更にクリーチャーは、『レギュラス様にき――禁じられたからです。か――家族の誰にも、ど――洞窟でのことは話すなと……』(七巻第十章)いう命令により、彼が敬愛する奥様にもレギュラスの最期を打ち明けられておらず、この描写からも、特に敬愛する〝主人〟の命令は、新たな主人や、主人の家族よりも絶対的に優先される事は明らかである。
そもそもドビーは『ダンブルドア校長先生がわたくしたちをお雇いくださいました』(四巻第二十一章)と発言しており、その他給料を受け取るなど明らかに雇用関係にあるが、ハーマイオニーがグリフィンドール内に隠した帽子や服を回収する事に何の抵抗も覚えていないし、雇用関係が解消されている様子もない。他の妖精達も『侮辱されたと思っている』(五巻第十八章)だけで、意図しない形での解雇を恐れている訳では無さそうに見える。