この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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一話目。


在ったり無かったり部屋

 ルビウス・ハグリッドは相変わらずだった。

 

 一昨年はヒッポグリフ。去年はスクリュート。

 そして今年は一体何を出してくるかと思えばセストラル。

 

 少しでも常識を持っている者ならば普通に推測出来る事であろうが、死を見た経験がある人間しか視認出来ない生き物について、O.W.L.試験で問われる可能性はまず低い。N.E.W.T.で問われるかすら怪しい。

 それらのテストは、無駄知識自慢を集めて行う雑学クイズでは無いのだ。受験者の学習到達度を図る事を目的とする領域において、セストラルにつき生徒に問う意義は余りに薄過ぎる。まして『こいつらを飼い慣らすのに成功したのは、イギリスではたぶん俺だけ』という程に稀少かつ特異な生き物であるならば、テストの作成者も出題を躊躇うのが普通の筈である。

 

 勿論逆に、授業を全てテストの為のみに費やすというのもまた問題ではあろう。

 ミネルバ・マクゴナガル教授はO.W.L.用(試験官が好きそうな)課題の中にも、知っていれば将来に役に立つと彼女が信奉しているらしい類の呪文を巧妙に紛れ込ませているし、ポモーナ・スプラウト教授だって、魔法界基準で家庭用菜園向きの――つまり非魔法界では割とアブない――植物を一度持ち込んで来ていた。逆にフィリウス・フリットウィック教授は気分転換の為にか、明らかに無関係な呪文を教えるという手段を採った。

 

 しかしこの半巨人の頭には、そのような教育者らしい殊勝な思考は無い。

 己の研究成果を生徒に見せようとしただけの自己満足的な振舞いで、熟考と葛藤の下に練り上げられた教育目的など欠片も有さず──けれども彼は正しく魔法族的であり、ここまで来ると素直に賞賛すらしてしまうものだ。

 

 授業でセストラルが見えたのは……見えると手を挙げたのは、僕達の学年では三人。

 セオドール・ノット、ネビル・ロングボトム、そしてハリー・ポッター。割と納得の面々であり、勿論僕も見える訳だが、わざわざ自身の存在を主張し、晒し者になる真似はしなかった。その際ドラコ・マルフォイが無言で視線を向けて来たものの、その行為は少々不用意だったと言えるだろう。彼が僕の事情を知らない方が不自然とはいえ、この手の微妙な問題について、自分が知っていると相手に伝えるような真似はすべきではない。

 

 ともあれ、大きな身体に不釣り合いに小さな彼の脳味噌からは、去年後半の反省というものは消えてしまったらしい。新学期一発目から相変わらずカッ飛ばしていて、しかしまあそれは解り切っていた事ではある。だから問題だったのは、それと同時に行われたドローレス・アンブリッジの〝査察〟の方だった。

 

 案の定というか。

 やはり推測通りの、直視すら憚られる酷い有様だった。結局、彼女は僕の想像の範疇を超えてはくれなかった。

 

 彼女は真っ当な査察を行わなかった。

 そもそも初めからそのつもりがなかった。

 

 ルビウス・ハグリッドのクビは、やはり査察前から彼女の中で決まっているようだ。だから彼女が魔法生物飼育学を訪れたのは、省の仕事ではなく、あくまで自身の趣味目的。単にルビウス・ハグリッドが、自分にとって()()()()相手であるかを見極める為に過ぎなかった。

 

 彼女が高等尋問官の職能にこの上なく忠実であろうとするならば、ルビウス・ハグリッドが教授として不適格であると判断した場合、彼女は粛々とクビにすれば良い。

 

 単にそれだけの話で、その結論はホグワーツ生の大部分から支持されるし、自身の有能さをホグワーツ内外へ喧伝する成果となり、何より、あの半巨人を重用しているアルバス・ダンブルドアへの牽制と挑発も兼ねられる。躊躇する必要など欠片も無く――しかし彼女は解雇権の行使を勿体ぶっている。シビル・トレローニーに対しても同様だ。

 ミネルバ・マクゴナガル教授やフィリウス・フリットウィック教授らあたりの査察は既に終えているというのに、彼等二人には同じ事をしない。無意味に停職と解雇をちらつかせ、客観的には異常としか思えない程の粘着性を示している。

 

 その理由、つまり彼女が二人をクビにしようとしない理由は勿論簡単だ。

 

 折角自身が権力を振るえる地位を得て、尚且つ欲望の捌け口として都合の良い相手も見付けたというのに、それを易々と手放すなどとんでもない。政治的圧力により彼等の辞任が不可避となるか、或いは自分が飽きるまで、存分に嬲って楽しみたい。

 

 ドローレス・アンブリッジの考えはそんな所だろう。

 

 その思考からすれば、亡霊教師(カスバート・ビンズ)の下へ査察に行かなかったのも必然となる。生きていない相手を嬲った所で何ら楽しくないからだ。

 まったく、僕に勝るとも劣らない良い趣味をしておられるのであって、この調子では、シビル・トレローニーとルビウス・ハグリッド、あの二人を辞めさせるには時間が掛かりそうだ。最悪学期末まで待たねばならないかもしれない。そして学期末まで待つという事は、闇の魔術の防衛術教授職の慣例上、殆ど無意味に終わるという事でもある。

 

 ……しかし確かにキリが良いと言えば良いものの、そこまで呑気に構えていてコーネリウス・ファッジは文句を言わないのだろうか。丸二年も十三人殺し(シリウス・ブラック)を野放しにしている彼女の上司の窮地を救おうと思わないのだろうか。本当に、やはり魔法族は何もかもにおいて杜撰――鷹揚過ぎる。

 

 そんな訳で、僕は既に今年(恒例)変化(トラブル)を待つのに飽き飽きし始めていたのだが、しかし、そのような余裕を吹き飛ばす〝事件〟が起こったのは、その夕刻の事だった。

 

 今年になり、僕の下にふくろう便が飛んで来る事は珍しくなくなった。

 

 手紙の差出人は相談事を持ち掛けてくる生徒であったり、夏中に知り合った外部の学者や生徒の親達との手紙の遣り取りだったり、ドーバーの向こうの小さな少女やグリンゴッツ勤めの女性だったりと色々である。僕が取扱う物事の内容上、差出人の名前が一々書かれていない事も頻繁に存在し、だからその名無しの手紙を最初に受け取った時も、然して強い関心を惹かれるものではなかった。封蝋を解かないまま、傍らの魔法薬学の教科書の上に一時間程放置していたくらいだ。

 

 けれどもその手紙には、他の全てを忘れるだけの衝撃が綴られていた。

 

 書いてあるのは『今日、八階七時半。バカのバーナバスの壁掛けの前の部屋で』とだけ。用件も何も無く、素っ気ないを通り越して怪しさすら覚える文章である。

 

 けれども僕にとってはそれで十分だった。誰が送って来たかも明白だ。

 殆ど丸一年振りに見るとはいえ、彼女の――〝マグル生まれ〟の少女の手による筆跡を、今更見まがう筈も無かった。

 

 

 

 

 

 

 八階(seventh floor)というのは、生徒が頻繁に立ち寄る場所では無い。

 授業の行われる教室が余り無いという事もあるが、単純に上の階層に位置し、動く階段を上手く用いても尚一々昇るのが大変だというのが一つ。そして言わずもがな、余り知らない場所に迷い込むと、このホグワーツでは命を喪いかねないというのが一つ。

 

 ホグワーツは〝城〟である以上、外敵――内部の構造を知らない人間を排する為には複雑、かつ危険である方が良い。非魔法界では人件費や工期の面で大きく制限が付くが、その制約は魔法界において圧倒的に緩い。何よりクィディッチに象徴される魔法族の調子外れぶりからすれば、彼等の辞書に〝安全〟という言葉がどう説明されているかを推測するのは容易だろう。

 

 辛うじて存在する一部の魔法族の良心と、歴代校長の努力により改善はされているようだが、当然それは城内に死に至る程の部屋が残っていないという事を意味しない。そして付近で授業が行われず、寮の入口からも離れ、一般生徒の動線上にない場所というのは――つまり大人が意図的にそうしているという事だ――経験的に相応の用心を要する部類に属する。

 

 更に問題は、八階の『部屋』と手紙に記載されていた事だ。

 

 ウィーズリーの双子達は勿論、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーにも劣るだろうが、それでも僕は校内を知っている方である。しかし僕の知る限り、その辺りに部屋は存在しなかった。確かに何か有っても可笑しくないような場所では有るものの、陳腐なスパイ小説のような、建物の余白から隠し部屋を見付けるという真似は無意味だ。魔法的に隠蔽されていたり、或いはエレベーターのように動く部屋というのもホグワーツ城には存在するのだから。

 

 とは言え、実際に行ってみれば解る事でもある。

 ましてハーマイオニーによる誘いなら指示に従う事が危険である筈もない。指定された時刻、指定された場所に行ってみれば――

 

「……やはりこのホグワーツには、まだまだ秘密の部屋( Secret Chamber )が有るようだな」

 

 ――感嘆混じりに溜息を吐く。

 

 そこには何時の間にか、真鍮製の取っ手のある、磨き上げられた大きな扉が存在していた。一切記憶に無い、それも見慣れない造形だ。

 

 ホグワーツで四年過ごしても尚見慣れないというのは相当危険であると同義だが、最早ここまで来て止める選択肢など存在しない。ローブの中の杖を再度確認した後、意を決して入ってみると、そこには更に驚愕を齎してくれる光景が広がっていた。

 

 その部屋は、城内で初めて見る類の部屋だった。

 

 見慣れないというのではない。単に、ホグワーツ城内に在る事が異常。

 つまりは、魔法界の暗くて黴臭くゴチャついた部屋ではなく、そこには非魔法界の明るくて清潔で整頓された部屋が存在していた。しかも最も解りやすく言うなら、街の外れで〝マグル〟が趣味でやっている小さなカフェか、或いはレストランに迷い込んだようだとでも表現しようか。それも、若者向けの雑誌の一ページに載っていたとしても不思議ではない程の、非常にミーハーな空間だった。

 

 電化製品の類は流石に無いものの、白を基調とした内装はやはりホグワーツと全く統一性もなく、明らかに非魔法界流。魔法城内に存在していても可笑しくない品々――蝋燭の燭台、薪を燃やす暖炉、或いは切石と煉瓦で構築された壁や、木目の入った床――にしても、年季の入ったホグワーツのそれらとは違い、新品を意図的に古臭く見せている()()()を感じる。更には部屋の天井を支えているであろう四隅の柱は、冬の近さなど関係無いかのように、赤黄白青と色とりどりの花によって装飾されていた。

 

 何より見事なのは、天井の半分以上を占める天窓だ。

 ここは城塔の頂上では無い筈だが、部屋の入口からは漆黒を背景に輝く北極星やカシオペア座やりゅう座、更には空のあちこちで存在を主張する美しい銀河団を見渡せた。しかも天文学の授業の時よりもはっきりと見える。本来よりも遥かに近い場所で輝いているように見えているから、これは流石に魔法の産物であろう。

 

 そしてそれらの光景に魅入られる僕を止めたのは、からかうような笑い声。

 

「貴方でもそれ程驚く事が有るのね」

「……僕を一体何だと思っているんだ」

 

 笑い声と揶揄の持ち主は、案の定ハーマイオニー・グレンジャー。

 栗毛の〝マグル生まれ〟の少女は、部屋の中央に置かれたテーブルの前に立っていた。

 

 その木製テーブルには、一体どうやったのか、見るだけでも胃もたれしかねない程のデザートの山が所狭しと並べられている。僕が部屋に入って来るまで、彼女は椅子に掛けて待っていたのだろう。そしてそれを挟んで向かい合うように、空いた椅子が一つ。

 

「……君一人か?」

「ええ、勿論よ」

 

 彼女はサラリと答える。

 

 勿論、その言葉を素直に信じられない〝魔法〟を僕は知っているのだが、まあ疑い過ぎても仕方が無いだろう。

 それに、今回の彼女の言葉は、何となく素直に信じていい気がした。勿論、それは彼女を信頼しているからではなく、この空間にあの二人が居る所が全く想像出来ないという理由で。

 

「……だが、コレを見て驚くなと言う方が無理だ。そうは思わないか?」

 

 呆れと共に紡げば、彼女も苦笑混じりに頷いた。

 

「そうね。私も最初は――部屋に入った瞬間は、こんなつもりではなかったと動揺したし、気後れもしてしまったから気持ちは少し解るわ。ただまあ、貴方のそんな顔が見れたのだから、こんな部屋に変わったのも悪くないと思えてきたわ」

「……変わった? 確かにこの場所には、こんな部屋など無かった筈だが」

 

 そう問えば、ハーマイオニーは得意気な調子で軽く胸を張った。

 約一年振りに目の当たりにする、彼女が他人に説明を始める時に見せる仕草の一つだった。

 

「この特別な部屋は、在ったり無かったり部屋(   Come and Go Room   )とか、必要の部屋と呼ばれているわ。何時も存在する訳ではないし、入るには一定の手続が要求されるの。要件は二つ。この場所の前を三度往復する事。そしてその際、自分が本当に必要とする部屋を願う事よ」

 

 と言っても、と彼女は大きく腕を広げつつ苦笑する。

 

「私が自ら見付けた訳ではないの。貴方の事だから、当然勘付いているでしょうけど」

「……そうだな。確かにこの辺りは君が来るような場所では無い」

 

 ましてこのような場所を捜して校内を彷徨うのは、彼女の流儀ではない。

 

「しかし、在ったり無かったりという表現は解る。ここには本来部屋が存在しないからな。けれども、同じくこの部屋を必要の部屋とも呼ぶ辺りからするに――」

「――そう! この部屋が現れる時には、部屋を求めた人間の願いを叶える形に変わるの」

「……無茶苦茶だな。稀代の、それも洒落を解する魔法族の仕事だ」

 

 予想出来ていたとはいえ、その返答を聞いて嘆息する。

 眼前の光景だけでも十分だったが、彼女の端的な説明を踏まえれば、この部屋が魔法の極地に至っていると解る。

 

 入室者の心を読み解いた上で、かつその者が願う部屋を用意する。果たしてどれだけの技量が有ればここまで到れるというのか。校内で学習する一般的な魔法のように、杖を軽く振って詠唱を一言二言すれば済むというものではないだろう。

 校長閣下でも不可能かもしれない――そう思わせる程の仕事に直面するのは余り無いのだが、しかしこの必要の部屋とやらは、間違いなくその一つだった。

 

「それで、誰が見付けたかは解るとしても、一体どうやって見つけたんだ? ……嗚呼、これは単純に興味本位の質問であり、別に口を噤んだ所でも構わないが」

 

 聞けなくても致命的に困るものではないが、聞けた方が助かる問いでもある。

 

 アルバス・ダンブルドア校長の話からは、ハリー・ポッターが必要の部屋に関わったと聞いた事は一度も無い。つまり僕にとって問題なのは手段よりも時期であり、万一この質問が拒絶された場合に放つ気である本命の問いこそ答えを求めていたのだが、しかしハーマイオニーはころころと笑いながら素直に答えた。

 

「そんな遠慮は不要だわ。ハリーが今年ドビーから教えて貰ったのよ」

「……成程、賢い捜索法だ。屋敷しもべ妖精の寿命は──まあ知らんが、間違いなく七年よりは長いだろうからな。彼等が知っているのも当然か」

 

 それどころか、周知とすら言える程に有名かも知れない。

 

 そして〝ホグワーツ〟に忠誠を捧げる妖精達が生徒にペラペラ秘密を喋ると思えないが――そもそも存在を消す事が良い妖精の証でも有るから、彼等が生徒に接触する機会自体も少ないのだが――変わり者の妖精なら別だろう。

 その妖精が真に忠誠を捧げる先は間違いなくハリー・ポッターである。彼がハリー・ポッターの許に出向き、秘密を語るのは、種族の規範に何ら抵触するものでも無い。

 

 更に非常に助かる事に、彼女は今年とも付け加えてくれた。

 要は、去年までのハリー・ポッターの行動について、この部屋の存在を考えずとも済むという事だ。

 

「……しかし、()()()()()()()()()、か」

「? それがどうかしたの?」

「在ったり無かったり。その名の通り、随分とまた()()()()厳しい条件だと思ってな」

 

 そう言えば、ハーマイオニーは呆れ返った表情を浮かべた。

 これもまた、約一年振りに視る懐かしい反応だった。

 

「相変わらず、貴方の発想には飛躍が有るわ。変な部分に固執するというか、そういう所が非常に貴方らしいとは思うけれど」

「そうか? 僕は真っ当に思考を進めているつもりなのだが」

「そう考えてるのは貴方だけで、貴方を知る者が誰も同意しない評価よ。だから一体どうしてそう考えたのか聞かせて貰って良いかしら?」

 

 勿論、貴方が口にしたくないというなら仕方ないけれど。

 弾んだ声と共に笑いながら、そう結んだ彼女に苦笑する。成程、彼女が既に一つ回答を寄越してくれた以上、その切り返しの前で口を噤む訳には行くまい。

 

「なあ、ハーマイオニー。ホグワーツで一度も見た事のない部屋に遭遇し、しかし再度その場所に行ったが何も無かった。このような場合、君はどうする?」

「……それは、探す、かしら? その場所を再度見付けようと魔法を使ったり、或いは何とか壁の中に入れないかと色々と試行錯誤したり――あ」

 

 彼女は人差し指を顎に当てつつ、思い付くままに言葉を紡いでいたが、途中で言葉を切った。考えを巡らせていたつもりの彼女は、既に自分が答えを言っている事に気付いたようだった。

 

「そうだ。探すとも」

 

 僕ならばそうする、ではない。

 僕でもそう()()、が正しいのだが。

 

「不思議な部屋の伝説は、このホグワーツに相当な数存在する。呪われた部屋もそうだが、最も著名な隠し部屋は勿論、サラザール・スリザリンが遺した秘密の部屋だった。歴代校長が見付けられなかった負の遺産を見付けられれば、ホグワーツ特別功労賞獲得と寮杯への大幅な加点は間違いない。わざわざバジリスクを殺すまでもなくな。つまり、ホグワーツ生にとって探す動機が割とあるのだ」

 

 そもそも好奇心旺盛で怖いもの知らずの魔法族が、不思議な部屋に出くわして黙って居られる訳が無い。一度偶然に入ってしまえば、必ずや再度入ろうとするだろう。

 

「そして僕達には非常に好都合な試金石が有る。今現在、ホグワーツ内部に最も熟知している生徒はウィーズリーの双子だろう。そして、彼等はこの部屋を知っていたか?」

「……いいえ。知らないみたいだったわ」

「勿論、彼等がこのような不思議な部屋に一度も出会った事が無いというなら別だが――」

「――それも違うわ。フレッドが、ここは『単なる箒置き場だった』って言ってたもの」

 

 ならば非常に話が早い。

 

「それで? 一度遭遇した不思議な部屋を、彼等が放置して居られると思うか? 数日或いは数週間、何十もの試行錯誤を重ねる過程で、ここの廊下を偶然三度ばかり往復してみる事が無いと思うか?」

「…………絶対に有り得ないわね。私が獲得した四年分の寮点全てを賭けても良い位よ」

 

 ハーマイオニーは、嫌そうに顔を顰めながらも断言する。

 

「僕もそう思う。彼等も遭遇した時点で()()()だとは気付いていなかったかもしれない。しかし、順路以外をフラフラ歩き回らない模範生ならまだしも、あの双子は年中ホグワーツ内を探検しているような不良生徒だ。彼等が気紛れに『箒置き場』を再度訪れてみようと思わないかは非常に疑問だな」

 

 そして口に出さないが、彼等は忍びの地図の元所有者だったと聞いている。

 

 この部屋が地図に写れば存在に当然気付いている筈であり、逆に写らずとも、彼等の行動力を思えば、あんな部屋は本当に城内に存在したのかと疑問に思う瞬間が必ず訪れる。『箒置き場』の発見がハリー・ポッターに地図を譲渡した後であった場合でも、彼等は同じグリフィンドール生なのだ。ちょっと地図を見せてくれと言えば部屋の存在を確認するくらい出来るだろう。その彼等が見付けていないというのは、非常に不可解な話だ。

 

 次のような仮定を想定しなければだが。

 

「多分、この部屋はそれを()()必要とする場合でないと現れないのだろう。つまり興味本位や悪戯目的、恋人の逢瀬に使いたい程度では利用出来ない。必要でなければ――切羽詰まってなければ、恐らくこの部屋は扉を用意しない」

 

 そうであれば、この部屋が広く知られていない理由にも説明が付く。

 一度存在を知ったとしても容易く再訪する事は不可能であり、一人の人間が自身の後輩や友人達にこの部屋の存在を教えた所で、殆どの場合に役に立たないからだ。必然、噂も多くに広まりはしない。

 けれども、他人に伝える事が無意味であるという事でもない。

 その人間が真に助けを必要とする場合には――その部屋の存在を知っているのは大いに役立つだろう。

 

 ハーマイオニーも納得したように頷いた。

 

「そう、ね。確かに私も真に――」

 

 彼女は一旦納得した様子を見せるも、途中で何かに気付いたように頬を朱に染めた。

 

「……突然どうした?」

「……何でもないわ」

「…………どう見てもそう思えないが」

「私が問題無いって言ったら無いの!」

 

 激しい剣幕に、額に手を当て、顔を逸らしつつ嘆息する。

 

 ハーマイオニーとフラーの二人に振り回されて来た経験上、このような時に口応えしても無駄だと悟っている。落ち着くまで何も言わないのが正解で、一分程経過してから漸く、彼女から口を開いた。

 

「……まあ、貴方の言わんとする事は解ったわ」

 

 結局赤くなった意味はなんだったのかと再度問い直す程、僕は愚かでは無かった。

 

「そういう入場条件で有れば、この部屋をジョージやフレッドが見付けられなかったのも納得が行く。あの二人がフィルチから逃げ回る時は必要になるでしょうけど、それ以外は部屋は()()にならない。だから現れない」

「まあ、そういう事になるな。現状では仮説に過ぎないが」

 

 故に当然、間違っていたとしても気にしない。

 間違いだと解ってくれれば、それはそれで進展性のある発見である。

 

「けれども、やはり単に三度往復する程度で部屋に入れるとは到底思えないのだ。何せ――」

「――ええ。貴方に〝必要〟のハードルが高いと考えさせているのは、一度部屋を見付けた人間が自由に入れるとなると、部屋の設計者は困るのではないかという疑問でしょ?」

 

 ハーマイオニーの顔は未だ赤かったが、一時の感情で頭脳まで鈍らせた訳では無いらしい。

 彼女に向かって僕は小さく頷いてみせる。

 

「その通りだ。これだけの部屋で、しかも必要とする形に変わると言う。たかが三度往復する程度の条件で自由に入室出来るならば、僕ならば当然独占する。他のホグワーツ生に使わせるなど言語道断だ。同じスリザリンにも秘密にし、七年間の放課後全てで常に入り浸る」

 

 単なる箒置き場程度の空間だとしても、誰も知らない〝秘密基地〟には価値が有る。

 まして必要の部屋の機能は便利過ぎる。そして世の中無欲な人間ばかりでは無い。共有地(コモンズ)の悲劇の逸話が示すように、自分の所有物でない物は使い潰される運命にある。

 

「しかし、そうなっては()()()()()()()()()()()()()が使えなくなってしまう。偶々部屋を発見した運の良い、だが強欲な人間に得させるのも、僕が部屋の設計者ならば気に入らんと考えるしな。防衛機構は絶対に用意する。……嗚呼、これはあくまで必要の部屋が二人以上同時に利用出来ない事を前提としているが。しかし、その部分は正しいだろう」

 

 入室者の望みを読み取って、それを用意するだけで無茶苦茶だ。

 それを複数用意してみせるのは、流石に労力が桁外れな物となる。この必要の部屋が複数する事による利点や意義も余り考えられない。

 

「そもそも僕は、()()()()()()()()、部屋前を三往復する事も、この廊下の前まで来ることすらも()()()()のではないかと疑っている。必要の部屋の事を指していると思われる噂は幾つか知っているが、その彼等が例外無く八階という高層を訪れ、かつ部屋前を偶々三度往復するという条件を満たしていたとは思えないからだ」

 

 たとえば何処かの徘徊老人がトイレを探す際、わざわざ八階まで来てウロウロするとは思えない。

 

 ウィーズリーの双子についても同様だ。

 彼等がフィルチから逃げる際にこの廊下まで来た、更に隠れる為の部屋を願っていたという部分は良いとして、しかしその際に偶然部屋前を三往復するという事が有り得るだろうか? やはり有り得ないだろう。逃亡者は、可能な限り一箇所に留まりたがらないものだ。

 

「城の何処にでも在ったり無かったりする部屋、か。それが有り得ない……とは言い切れないわね。そもそも、この城は意思を持っていると伝えられているもの。校長室の伝説とか良い例よね。だから、必要の部屋が同じであったとしても可笑しくない」

「ああ。まあその場合でも、部屋の本体がここに位置する事は間違いないだろうが」

 

 魔法的にも、零から創造するより、既に在る物を移動させる方が楽だ。

 この部屋の前まで来て三往復する方が、入室条件が多少緩くなる事も有り得るかもしれない。

 

「そしてこうも思ってしまうのだ。望みを叶える不思議な部屋が城の何処かに在ると噂され、しかも生徒達はその存在を確信している。そしてその部屋はまた、当然のように城の何処にでも繋がっている。それでこそ、部屋は託された本来的機能を果たし得るのではないかと――」

「……本来的機能?」

 

 小首を傾げたハーマイオニーに溜息を吐く。

 妄想が過ぎたのは自覚していた。先を促す彼女へ軽く首を振る。

 

「……この証拠はない。忘れてくれ」

「私達には今更でしょう? 貴方が()()()()推測をするのは何時もの事よ」

 

 ぶつけられる強い意思に、もう一度溜息。

 

 これも一年前までは良く有った事だ。僕が余計に口を滑らせてしまう事は。そして、僕が已む無く答えざるを得なくなるまでが御決まりでもあった。それを考えれば、確かに自重する事に意味なんてないのかもしれない。

 

「……何が存在したとしても不思議ではない、入室者の願いを叶えてくれる不可思議な部屋。それがホグワーツ内で〝真に必要〟とされる場合はどんな場合だと思う?」

「…………貴方が答えを言って。多分、ロクでもない答えだもの」

「ホグワーツが侵攻を受け、この城が陥落しそうな場合だ」

「――――」

 

 やっぱり、という表情を浮かべられたが今更だ。

 

 ここは魔法族の子供を〝マグル〟から、或いは闇の魔法使いから護る為の城である。

 戦時、それも万一の場合というのを想定して居ないとは決して思えない。

 

「非魔法界においても、城には秘密の通路や脱出口が付きものだろう? だから校舎の何処かに繋がっている、或いは校舎の外への出口を持つ部屋。それがホグワーツに存在しないとは思えず、そしてこの必要の部屋はその役割を果たすのに相応しいように思える」

 

 ホグワーツから外部に繋がっている通路は幾つか存在するが、本気で探せば見付かる程度の通路、それも()()()()接続された通路ばかりだ。校長やアーガス・フィルチが存在を知りながら放置している物で、侵攻者が塞ごうと考えれば塞げる程度でしかない。ましてその侵攻者がホグワーツ卒業生ならば、或いは他の卒業生や生徒を拷問でもして情報を得れば、その程度は可能だろう。

 

 しかし、既に存在している通路とは別に、()()()()新たに脱出経路を用意されれば、それを外から塞ごうとしても中々難しい。

 

「……色々言いたい事が有るけど、そんなのは『部屋』と呼べるの?」

「君の意図する所は解る。つまり、必要の部屋が『通路』を作れるかという問題だろう?」

 

 部屋とは基本的に、天井と床を有する、四方を壁によって囲まれた空間を言う。

 壁以外が存在するとしても精々窓や扉などであって、仮にそれらが開け放たれていたとしても、その部屋は、部屋が接続している廊下・通路・中庭等の外界とは別空間として認識・定義される。

 

 故に、必要の〝部屋〟が脱出経路を作れるかどうか解らないという彼女の指摘は、非常にもっともなものだった。

 

「だが、通路が別途用意されており、そこに()()()()()()()()()なら用意出来るのではないかと思うのだ。そうすれば部屋自体が通路を作る必要も無く、〝部屋〟の定義も揺らがない。そしてそれらを繋ぐ部屋としての機能こそが、この部屋の本命で無いかと思う」

「…………」

「しかも隠し方が非常に洒落ている。部屋の存在を知る者が現れたとしても、平時においては単なる便利な部屋でしかない」

 

 城が陥落するその瞬間までは、ここが脱出口だと誰にも思われない。

 

「存在を生徒に広く報せながらも、しかしその真の用途を隠し切るという矛盾の両立。全く冴えている。この仮説が真実だとすれば、作ったのは聡明な賢者(レイブンクロー)、或いは心優しき聖者( ハッフルパフ )のどちらかだろう。たとえこの部屋を作れる力量が有ろうとも、顕示欲が強い貴族( スリザリン )好戦的な騎士(グリフィンドール)はそんな真似をしない」

 

 悲痛な助けを叫ぶ者が城を彷徨った時、初めて救済の扉が用意される。しかもその部屋は、ホグワーツ生であれば誰もが平等に開く資格を持っている。成程、余りにも良く考えられている部屋ではないか。

 

 個人的にはレイブンクローの人間が作った可能性が高いと思える。それもここまでの部屋となると、ロウェナ・レイブンクロー謹製の部屋ですら有り得るかもしれない。

 

「五年目にこんな隠し種に遭遇するとは思わなかった。全くもって興味が尽きない。もっと早く見付けられていれば――いや、それでも同じ事か。たとえ一年の時に見付けていたとしても、この叡智に触れるだけの魔法の実力が僕には無かったのだから」

 

 椅子から立ち上がったままのハーマイオニーを他所に、部屋の隅へと近付いていく。

 

 彼女が如何なる部屋を〝必要〟としたか知らないが、このような部屋に変わった事自体は左程疑問に思わない。

 ギルデロイ・ロックハートへ熱を上げていたように、ハーマイオニーが割とミーハーであるのも知っている。非常に面白いのが、フラーの方は意外と俗っぽさを嫌う場合も多く、両者の外観を入れ替えた方が〝らしい〟とすら思えてしまう事であるのだが――まあ、それは良い。

 

 僕が今興味を有しているのは洒落た内装や、御丁寧に用意されているミルクポットやストレイテナー、或いはコーヒーサイフォンではない。今の情勢を踏まえ、この部屋が何処まで役に立つかどうかである。

 

「………えっと、貴方は一体何をしようとしているの?」

「勿論、検証だよ」

 

 困惑を隠さない声に、振り向かないまま返答する。

 

「検証?」

「ああ。先のもまた、あくまで仮説だ。だから、試してみなければならない。と言っても、真に必要とするという要件が正しいのであれば、この部屋を出てしまうと二度と入れなくなる可能性が有る」

「…………」

「だからまず最初に部屋内を隈なく調べてみようかと思っている。取り敢えずは、入室者の居る状態から何処まで部屋が変われるかだが――」

 

 そこまでを口にして、一体何故だろうか。

 僕はその瞬間、無性に振り向かなければならないと感じた。

 そして振り向いた後、そうしなければ良かったと後悔した。僕を振り向かせた理由は解ったが、それでも気付かない振りをした方がマシだという事もあるものだ。

 

 ハーマイオニーは満面の笑みを浮かべていた。

 初めて家に招かれた時、彼女を放置してグレンジャー家の蔵書を読み漁っていた後に見たのと同種の笑み。今更本人に確認するまでもない。僕の行動は、ハーマイオニーの地雷を盛大に踏んでしまったらしかった。

 

「――座って」

「…………」

「座りなさい」

 

 彼女は椅子を指さし、もう一度、淡々と繰り返した。当然、反抗する選択などない。

 僕が大人しく座った後も、暫くハーマイオニーは冷たい笑顔をしたままだった。しかし改めて向かい合ってみると、その本心がどうであるのかは何となく伝わってきた。

 

 十秒と続かず、彼女は耐え切れなくなったように声を上げて笑い出す。

 

 それに対して、僕は笑って良いか解らなかった。意図せずとは言え、やらかしてしまった後だったからだ。

 けれども、その僕の顔が余程可笑しかったらしい。彼女は更に楽しそうな様子でひとしきり笑った後、漸く許しの言葉を口にしてくれた。

 

「ともかく、久々に会えて嬉しいわ、ステファン」

「……ああ、僕もだ、ハーマイオニー」

 

 長かった一年を経て、僕達は漸く再度の接点を得たのだった。




・必要の部屋の入室ルール

 ヴォルデモートがうっかり分霊箱の隠し場所に選んでしまった事でも有名であり、まあ油断していたのは事実だと思われるが、しかし原作においては、

『「なぜなら、その部屋に入れるのは」ドビーは真剣な顔だ。「本当に必要(in great need)なときだけなのです。ときにはありますが、ときにはない部屋なのです。()()()()()()()()()、いつでも求める人のほしいものが備わっています』(五巻・十八章。英語版記述、傍点は引用時に追加)

 とされており、単純に前を三度往復しただけで入れる部屋では無いように思われる。

 また同章でフレッドとジョージが見付けられていないと言及されている事(五巻・十八章)、分霊箱の隠された場所について『ホグワーツの住人が何世代にもわたって隠してきた物が、壁のように積み上げられてできた都市』と描写されている事(六巻・二十四章。物を隠したのなら、期を見て回収する事を考えるのが普通であろう。物が部屋内に残存し続けるのは、それが不要となった場合か、二度と入れなくなった場合のみ)事、『プリンスの本を隠したいと思ったとき、とうとうハリーの為に開いてくれた』(六巻・二十五章)等を踏まえれば、やはり入室の為のハードルは相応に高いように見える。

 それを裏付けるかのように、ダンブルドア軍団の存在露見後には、ハリー達は必要の部屋に一切立ち入ってない(訓練が不可能になり、集まる必要が無くなった)し、部屋を知っている六年目においても、何でも用意されている便利な部屋や秘密基地として使う事はしていない。

 但しトレローニ―はシェリー瓶の隠し場所として部屋を『長年』(六巻・二十五章)使っているらしいので、先の考察とは逆に、入る事自体は容易(≒三度往復すればそれで足る)だと考える余地も有る。


・その他必要の部屋に関して

『ダンブルドアやフリットウィックのような模範生は、あのような場所に踏み入れることはなかった。しかし、この自分は、学校の誰もが通る道から外れたところを彷徨った』(七巻・三十一章)とされるが、これは『必要の部屋』が生徒の用いる日常的な通路から外れたところに有るという意味ではなく、特に必要の部屋内の『隠された品の部屋』について言及されたものかもしれない。
 実際、ダンブルドアは『みぞの鏡』を必要の部屋内から持ち出したとするのが現在の公式設定であり、映画ファンタビの描写でもダンブルドアは部屋の存在を知っていた。

 内部に誰かが居る限り部屋が様変わり出来ないのもルールだが(七巻・三十一章など)、ハリーの希望に応じてホイッスルを用意するなど(五巻第十八章)、ある程度自在に備品を用意する機能を備えている。
 更に『ここに一日半ぐらい隠れていたら、すごくお腹が空いて、それで何か食べるものがほしいって願った。ホッグズヘッドの通路が開いたのはそのときだよ』『ハンモックが必要になるたびに、この部屋は追加してくれるし、女子が入ってくるようになったら、急にとてもいい風呂場が──』(七巻・二十九章)とするように、必要の部屋は、用途を変えない限りでの拡張が出来るか、或いは隠れ家として使う限りは変更に相当程度融通が利くようでもある。

 他にも、用意された隠れ家の戸棚の奥には日替わりで城内の何処かに通じる通路が有る事、seventh floorの部屋なのにどうやってか地上のホッグズヘッドまで繋がる『坂道』を用意出来る事(何れも同上)が作中では言及されている。

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