この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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三話目。


魔女に与える鉄槌

 ドラコ・マルフォイは当然ながら、僕が開心術士である事を知っている。

 だが、彼は余り僕から視線を外すような真似をしない。

 

 確かに警戒しても仕方ない事であるし、正確な知識を持っていれば警戒し過ぎる程の事では無いというのもある。開心術は基本的に嘘発見器、兼感情読取装置を超えるものではなく、それ以上の事――相手の思考や思い描く映像を読み取れる場合もあるが、常にでは無い。そしてそもそも百パーセントの精度を期待出来るものでは無く、信用し過ぎるのも微妙だというのは、スネイプ教授の立場を見れば明らかである。

 

 しかし、彼が視線を外そうとしない理由がそんな賢明さに基づくものでは無い点、現実から目を背ける蛮勇に基づいているらしいのは面白い所だ。彼は僕に舐められまいとして視線を逸らす事を拒否し、その気性の荒さは時折好ましく思える場合が有る。

 

「別にやましい事は無いな。趣味も否定しまい。やる気や積極性に差異があるのも確かだ」

 

 それらについて、ドラコ・マルフォイの指摘に間違いはない。

 

「けれども、その両者を同じと思っているならば不正解だ。別にハリー・ポッター達が殴った相手が君で無かろうと、僕は同じ事を提案していた。今回よりは強く止めただろうが」

 

 自分の身に起こった事で無ければ、ドラコ・マルフォイは喜々として大事にしようとしていただろう。制止する労力も比べ物にならなかった筈だ。その方が都合が良かったと感じなくもないが――まあ、やはり止めたと思われる。断言出来ないのが辛い所だが。

 

「……なら何故何も説明しない」

「比較対象が無い以上、君に説明する必要が無かったのというのが一つ。最大の理由は、敢えて白状するなら一々説明するのが面倒だったからだろうな」

「ふざけるな……!」

「ああ、君がそう反応するのも尤もだ。だが僕が過去に語らなかったのがその程度の理由だという事は、今だんまりを決め込む理屈も無いという事だ。まあ、余り信用されない身であるのも自覚している。ここで君が知っておいた方が僕にも利益となるかもしれない」

 

 視線を合わせないままで居る理由も既に無くなった。

 

 羽ペンを置き、本を閉じる。時間ももう遅い。〝勉強〟を終えるには良い頃合いだろう。

 椅子を軽く動かし、ドラコ・マルフォイへと改めて向き直る。彼は僕を睨みつけたまま視線を外そうとしない。心を読まれて困る物など一切無いと全身から主張していたし、そこまで開き直ると読みにくいものだ。そしてそもそも、読む気自体が無い。

 

「両者の違いを簡単に言えばな、未来に繋がるかどうかだった」

「……未来?」

「そうだ」

 

 軽く頷き、右手で杖を振る。

 机上の本も羊皮紙も、綺麗に整頓されて片付けられた。

 

「仮定の話。教育令第二十四号を用い、ハリー・ポッターを退学に出来たとしようか」

 

 彼は未だ御執心らしいので、その点に最初に触れる。

 

「だがな、それでは何も変わらんのだ」

 

 そう、何も変わらない。

 将来に期待を懸け得る変革など起こりやしない。

 

「ハリー・ポッターに一時の屈辱を与える事は可能だが、それだけで終わる。ドローレス・アンブリッジが居なくなれば当然ハリー・ポッターは戻ってくる。そしてその際、グリフィンドールは拍手喝采で彼を迎える事だろう」

「……アンブリッジがホグワーツに留まりさえすれば、ポッターは帰って来ない」

「その場合でもハリー・ポッターは〝グリフィンドール〟だよ。退学にされたまま卒業を迎え、彼一人が卒業式に出られなかったとしても、彼等は変わらず寮の一員として扱う。君も既に納得してしまっているように、あの教育令は難癖だ。秘密結社の結成程度で放校処分を受けたなんぞ、魔法界では自慢にしかならん」

 

 非魔法界の流儀では肯定出来る可能性が有る。

 だが、魔法界は違う。この世界はそれ程先進的ではない。

 

「ならば暴行事件も左程変わりはないだろうと、そう君は言うかもしれない」

 

 反抗心を露わにする視線を受け止めながら、僕は肯定する。

 

「事実、今回裁判をやったとしてもハリー・ポッターを退学に出来る可能性は低い。けれども、如何にグリフィンドールとはいえ、人を殴る事が悪いと理解する程度の脳味噌はある。まあ気に入らない奴を叩きのめした事を武勇伝として吹聴する風潮もまた有るが――」

「――なら、やっぱり意味無いじゃないか」

「一度目はな。しかし、裁判で吊るし上げた後の二度目は違う。今度同じ事をすれば退学だと、そのように公開の法廷――ホグワーツ外で明確に宣言された後の不始末。ホグワーツ生活は後二年半程残っている訳だが、その中で万一彼が君を傷付けるような真似をすれば、ハリー・ポッターへの扱いは全く変わってくる。今回と同様、たかが殴った程度の行為でもな」

 

 初犯よりも再犯の方が罪は重い。

 魔法界と非魔法界で常識が一致する、数少ない部分である。

 

「言葉が通じないのでは無いのだ。そして既に高学年生として後輩達の模範となるべき身でもあり、遠からず成人として社会に受け入れられる身でもある。それに拘らず、反省の色が無く暴力行為を繰り返す舐め切った馬鹿には、重罰が下されたとしても仕方ない」

「……その場合でも、やっぱり殴った程度なら甘い処分が下るんじゃないか?」

「校長達はそうしたがるだろう。二回目とて退学にならん。繰り返しておくが、〝マグル〟ですらもそうだ。この程度に退学は過剰過ぎると判断するのが〝大人〟だ」

 

 それが今の常識だ。

 教師という生き物は、その程度の悪さをする生徒を更生不可能と看做しはしない。

 

「だが裁判上で警告が為され、且つルシウス・マルフォイ氏が持つ権力を最大限借りられるという前提なら、僕はハリー・ポッターを退学に追い込む自信が有るぞ?」

「――――」

「万一追い込む事に失敗したとしても、彼を〝グリフィンドール〟でなくする事は出来ると思っている。仮に警告を為した裁判が不正裁判と認定されようが同じだ。ハリー・ポッターの暴行の事実と、それを繰り返した事実は何も無くならないからな」

 

 非魔法界で有ったとしても、暴行程度では退学にならない。

 だが、魔法界が非魔法界より〝先進的〟であってはならないという理屈も無い。

 

「加えて、裁判という形で大々的に〝宣伝〟する事には他にも意味が有る。今回の事件、その収拾の付け方には()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉を喪ったままのドラコ・マルフォイを他所に溜息を吐く。

 段々気分が沈んで来たのは自覚していた。しかし彼本人が気付いているか否かを問わず、彼の傍に居る人間として、警告はしておかねばならなかった。

 

「その部分だけは、僕がその場で介入出来たらと少し思いはしたが――やはり変わらんか。君の利益になると確信出来る事柄でも無く、他が肯定するかはやはり微妙な線だ。現在の状況はスリザリンチームに有利だからな。沈黙を決め込んだ可能性が高い」

 

 僕がクィディッチピッチに乱入する事は、幾度考えても想像出来なかった。

 

「その懸念というのは解るだろうか? 嗚呼、率直に言おうか」

 

 ドラコ・マルフォイを殴ったのは()()だった。

 しかしながら、クィディッチ禁止処分を受けたのは()()だった。

 

 そこには明らかな不均衡と不正義が存在している。

 

「仮に僕が殴って居ない方のウィーズリーであれば、明日に――もう今日か――する行動は一つだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 既にクィディッチが禁止されている以上怖い物も無く、それによって今回の罪と罰の天秤は釣り合い、そして何よりも気分がすっきりする。

 

「計画と実行。未遂と既遂。法律上は、前者が後者と同程度の罪、或いはそれよりも重い罪を課される場合は存在するだろう。しかし、教育の場でそれは正しいのか? あの場に居たどれだけの人間が、あのような処分が下った事に納得を示しただろう?」

「――――」

「ドローレス・アンブリッジにしてもミネルバ・マクゴナガル教授にしても、ウィーズリーの片割れが今度君を殴った場合にどんな罰を下すのだろうか。先行して罰を受けているから無罪か? 或いは逆に、一つの計画を分割しただけの人間が他より重罰を受けるのも仕方ないとするのか? ならばやはり一度の機会に最後まで殴り切る方が得で、今回ウィーズリーの半分を止めたグリフィンドールにしても、今度からは誰も制止しようとすまい」

 

 僕には全く理解出来ない。

 今回限りで有ったとしても、それが許されてしまったという事が。

 

「せめてミネルバ・マクゴナガル教授には戦っていて欲しい所だ。ドローレス・アンブリッジがどんなに話の通じない相手だろうと、本体のクィディッチ禁止処分から見れば些細な是正であろうと、その最後の一線からは引いてはならない。教育者足らんとするならその筈なのだ」

「……マクゴナガルは──」

「――聞くつもりは無い。そして君が知らなかろうと、この手の正論をドローレス・アンブリッジが退けている可能性は有る。……嗚呼、聞く気は無いとも」

 

 ドラコ・マルフォイの言葉を許さない為に、大きく息を吐いた。

 

「ともあれ、暴行を裁判沙汰にしてしまえば、今回だけの問題、ホグワーツ内部の問題で終わりなどしないのだ。君の問題提起が拓く未来は、君が今想像しているよりも遥かに価値が有る」

「…………」

「寮監や校長という身内では無く、外部の人間に判断を仰ぐ先例が出来る。〝ホグワーツ〟が頼りにならないと考えた場合に、社会に救いを求める為の道筋が出来る。まだ子供だからと舐め腐っていれば何れ報いを受けるのだと、それを思い知らせる最終手段が出来る」

 

 そもそも、校長や寮監の処分が甘ったる過ぎるのではないかと思う時が有る。

 特にクィディッチシーズンが近づく度に校内が荒れるのはどうかならないだろうか。悪意をもって呪文を掛けた者に罰則は下されはするが、しかし、実質的に機能していない。一、二週間の罰則を受け()()()から呪文を掛けるのも肯定されるだろうと考える野蛮人ばかりである。

 

 その風潮を助長しているのは我等が寮監、スリザリンが呪文を掛ける行為に対して徹底的に見ない振りをしている教授の存在である事は置いておく。彼は助長しているだけで、居なかろうと校内の状況は左程変わりはしないだろう。

 

 残念ながら魔法族はそんな種族で、だから魔法省はあんな砂の家にしかなっていないのだ。

 

「……君は、ウィゼンガモットに対しても好意的ではないと思っていたが」

「勿論そうだ。だが、僕を見ていれば良く解るだろう? 人間は自分の事を棚に上げて他人の悪を糾弾する事が出来る。内部が腐敗していようと外部への牽制は可能だ」

 

 寧ろ権力分立という発明は、最初から組織の腐敗を前提としているだろう。

 常に独立での自浄作用を期待出来るのであれば、他からの監視も介入も必要無いのだから。

 

「もっとも――既に無意味な仮定、空想の話に成り下がっている。君は僕の〝趣味〟に付き合う気は無いと言ったからな。また、君に述べた通り、実現可能性も低い。余計に疑われても面倒だから宣言しておくが、僕は今回の件に関し、君の意思から離れて動く気は無い。君が断固として拒否を示した以上、やはりこの話は終わりなのだ」

 

 今この時以降に蒸し返すつもりもない、と重ねて告げた。

 

 手酷い侮辱をしたドラコ・マルフォイは罰として公衆の面前で辱めを受け、しかし自分から手を出した身として、ハリー・ポッター達もクィディッチ禁止という報いを受けた。全体として見ればスリザリンが得し過ぎではあるものの、ドローレス・アンブリッジの手前、これで手打ちとするしかないだろう。

 

「けれども、僕にこんな話をさせたのだ。少しは君にも悩んで欲しい」

「……何をだ?」

 

 白の魔道具灯に照らされる、青白い顔をした彼を真正面から見据える。

 やはり彼の勘は良いのだろう。ここまでで話が終わるなら、最初から僕は口を開かない。

 

「未来の話だ」

 

 話の前提は、ここで思い出して貰う。

 

「君の方は、息子や娘をこの学校に入れる気なんだろう? まあ、君がダームストラングに入れるというのならば、ここで終わる話ではある」

 

 ドラコ・マルフォイの話を聞いていた限り、その可能性は割と有った。

 

「しかしホグワーツに入れる場合、君はホグワーツを何処まで信じられる? 今回のような事が君の息子や娘に起こった時、軽度の罰則しか下さない教師に対し何も思わずに居られるか? 保護者から何も見えないこの箱庭に、君は憤りと憎悪を感じないと断言出来るか?」

 

 今回ミネルバ・マクゴナガル教授が下そうとした本来の罰則は『一週間』だった。

 どうせドラコ・マルフォイの方から下手な挑発をしたのだと思うし、彼等の何時も通りのじゃれ合いと、今まで校内で執行されてきた罰則の相場から考えるに、それ程妥当性を欠いた罰則とも感じない。しかし一方で、それを軽過ぎるとしたドローレス・アンブリッジの判断も、常識外れだと言えるのだろうか。

 

 観客にカンフーキック(  Kung-Fu kick  )をかましたサッカー(football)選手は、半年を優に超える試合出場禁止処分を負わされた。子供と大人で単純比較出来ないし、生涯禁止は論外にしても、一定期間のクィディッチ禁止処分を加重するのは不当だろうか。

 

 今は、今回に限っては、一週間の処分を下す程度で構わないかもしれない。

 

 けれども時代は変わる。しかし、あの校長が高等尋問官を当然のように退けた後、教育改革を進めようとする怖い者知らずは消えるだろう。そしてホグワーツは時代に取り残される。その結果、次にホグワーツの閉鎖性が問題になる時は、それは間違いなく手遅れになった後だ。

 

「……僕の子がそんな不当な真似に遭うなど有り得ない」

「果たしてそうだろうか。君が〝マルフォイ〟である事は、今回ハリー・ポッターが君を殴るのを止める理由には全くならなかったようだが?」

 

 そう笑ってやれば、ドラコ・マルフォイは顔を赤に染めた。

 

 法律など暴力が終わった後にしか役に立たない。

 それは死喰い人の子ならば当然知っていて然るべきだろうに。

 

「そして君のハリー・ポッターに対する挑発、報復を受けても已むを得ない愚行を抜きにしてもだ。何の非も罪も無く、ただ善良に暮らそうとしているだけの君の息子や娘。その彼等が周りから虐められ、尊厳を踏み躙られる場合は、現実的に想定し得る」

「だから有り得ないって言って――」

 

 勢い良く立ち上がった彼を、見上げながら言葉を紡ぐ。

 

「――光の陣営が勝てば、その可能性は有る」

「――――」

「君が闇の帝王と心中するつもりなら、やはりこれも関係無い話だが」

 

 ドラコ・マルフォイは口を開いたまま呆然とし、

 

「――――今、何時だと思っている?」

 

 直立したままの彼が何かを答えを捻り出す前に、放たれた叱責がそれを止めた。

 

 ドラコ・マルフォイが面白い位に肩を跳ねさせた事から見るに、彼にとっては完全に不意打ちとなったようだ。一方で僕も少し驚きはしたが、彼程では無い。夜更かしている生徒を叱りつけに来るのは寮監の仕事の一環でも有り、何となくだが、話を聞いて居るのではないかとは最初から感じていた。

 

「これはこれはスネイプ教授。今は十二時半と言った所です」

「時間を聞いた訳では無いし、惚けるとは良い度胸だ」

 

 スネイプ教授はにこりとも笑わなかった。

 

「しかし、咎められる筋合いは無いと思いますが? 今年はO.W.L.だ。将来の不安に駆られ、談話室で勉強に勤しむ生徒が居ても仕方ないでしょうに」

「君はそんな小心者ではないし、時間には限度が有る。しかも――」

 

 意図的に強調するように言葉を切って、ジロリと僕の傍らに積まれた本を見やる。

 

「――君のそこに積んである本は、全くO.W.L.に関係しないように見える」

「……解るんです?」

「君は〝教授〟を舐め切っている」

 

 改めて上下を確定するように、彼は見下した視線を寄越す。

 

「仕事柄、世間的に有名な本など目を通しているのだ。題名と著者を見れば中身を思い出す程度の事は出来る。闇の魔術に関わる書籍はそれらの記載が無い非合法の物も多いから、装丁から判断する場合も多いがな。けれどもそこに在る本の大半は、我輩にも心当たりがない」

「……へえ。今後は覚えておきますよ」

 

 しかし、これが闇の魔術に対する防衛術教授の言葉だったら素直に受け止められただろうが、この寮監は薬学教授である。自分の本職と関わりない分野について詳細な知識を――それも闇の深淵に造詣があるのだというのは、基本的には自慢にならない。

 

 ……嗚呼。十数年連続で、闇の魔術に対する防衛術教授になれなかった人間でもあるか。

 

 言葉にせずとも皮肉は伝わったのかもしれない。彼の視線は厳しくなった。が、僕に付き合っていても無駄だと思い直したらしい。教授はドラコ・マルフォイの方へ視線を移す。

 

「ドラコ。君が最善を尽くした事を我輩は知っている。敗北はしたものの、君は良く戦った。だから恥じる事など一切ないし、まして暴力に訴える不届き者共の事を気にする必要は無い」

「スニッチを取られたのに、ですか?」

「試すような真似をするな、レッドフィールド」

 

 薄笑いしつつ質問をした僕に、教授は視線すら寄越さなかった。

 

「シーカーがスニッチを取れるか否かは勝敗に直結する分、どうしたって責められやすい。しかし、シーカーが仕事を遂行しやすいか、もしくは逆に相手のシーカーが仕事をしにくいかは他の選手の働きに依存する。シーカーの敗北はチームの敗北だ」

「意外とクィディッチが御好きなんですね」

「常識の範疇だ。異論は?」

「有りませんよ」

 

 〝マグル〟流に言えば、サッカーでの失点は全てキーパー、或いはディフェンダー――特に最後に守備に対応した人間が守れなかった事に責任が有るのかと言った所か。

 

 特にクィディッチにおいては、シーカーに対して直接妨害球(ブラッジャー)を撃ち込めるビーターというポジションが存在する。クィディッチもチームスポーツである以上、シーカー一人では基本的に勝てず、だからこそビクトール・クラムという傑出した才能が際立つのだ。

 

 ……とは言うものの、僕が見た限り、今回はシーカー個人の責任だったように思うが。

 

 しかし不愛想な寮監らしかぬ慰めは、ドラコ・マルフォイの心に届いたらしい。談話室に帰って来てからも青白いままだった彼の顔は、少しだけ血の気を取り戻したようだった。

 

「君が語った将来の夢を、我輩は未だに良く覚えている。だからあの敗北に君が大きな衝撃を受けた事は理解出来るし、今日――昨日も見逃した。けれども次は無い。以降、外出禁止時間にうろついていた場合は容赦無く罰則を下す。理解したか」

「……はい」

「なら今すぐベッドに向かいたまえ。――そしてレッドフィールド、君は残れ」

「解っていますよ」

 

 名指しで止められた僕にドラコ・マルフォイが振り返ったが、肩を竦める。

 スネイプ教授が秘密裡に談話室に入って来たのではないか。そう疑った時点で、既にこのような展開は読めていた。これから御説教を喰らうのは規定路線であった。

 

 しかし、教授は身勝手に話を進めているが、僕はまだ話を終えていない。

 

「ドラコ・マルフォイ。伝え損ねていたのだが――」

「我輩を無視しようとするとは良い度胸――」

「――アストリア・グリーングラスには、何か言葉を掛けておきたまえ」

 

 無視したまま続けてやれば、スネイプ教授は口を噤んで少しだけ身を引いた。

 無駄話でさえなければ、話をする事は許容してくれるらしい。

 

「手酷くやられた君の事を随分と心配していた。僕の所に直接不満をぶつけに来る位にはな。何と声を掛けるかは任せるし、別に挨拶のみでも良い。しかし、知らない振りだけはするな」

「……アストリアは君を」

「ギルデロイ・ロックハートも女生徒に人気は有っただろう?」

 

 彼の言葉を遮るようにして、ただ諧謔のみを紡ぐ。

 酷く意外であったのだが、去年のパーティー騒動を刺激的――楽しい、ではないのが肝である――と感じたスリザリン生は存在していたらしかった。

 

「こちらの方は気恥ずかしいとか言ってられんぞ。彼女の心配に無関心を返すのは不義理であり、何よりこの四年間、君が恰好良さから程遠い真似に及んできたのは今更の話――」

「――ドラコ。行け」

 

 スネイプ教授が僕の前に踊り出て、言葉のみならず視線ごと遮る。

 

 そして教授が何時も以上に不機嫌となった事は、ドラコ・マルフォイにも伝わったらしい。何も口答えする事無く、無言のまま去っていったようだ。ようだというのは、教授の背に隠れて見えないからである。この教授もまた、僕の視線すらも害悪だと看做しているらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――ドラコを誑かすのは止めろ」

「誑かしているつもりは有りませんけどね」

 

 相応の怒りと共に発された警告に、苦笑しか返せない。

 

 深夜の談話室に立つ教授は、灯りが殆ど落とされている事もあってか、余計蝙蝠に似ている。

 彼はゆらりとローブから杖を抜き、そのまま振った。今年度が始まってからは割と使い慣れた防諜の魔法であるものの、やはり自分より格上の魔法使いが使った場合は明らかに精緻さが違う。これを真正面から破るのは中々難しそうだと思いつつ、再び僕は肩を竦めた。

 

「そして僕は意見や感想を述べるだけ。決定権は今回も彼に委ねた。〝貴方達大人と異なり、選択肢自体を与えないような真似をする気は無い〟」

「……良く言うものだ」

 

 スネイプ寮監は鼻を鳴らす。

 

「ドラコが賢明だったから良かったが、君は今回非常に不用意な真似をしようとした。マルフォイ家が学校内の喧嘩を政治問題化し、一人の生徒をウィゼンガモットに退学にしろと訴える。それが魔法界にどれ程大きな影響を齎すのか。君には想像出来る筈だが?」

 

 その言葉は、僕とドラコ・マルフォイの会話内容を踏まえたもの。

 それに対して何時から聞いていたのかとか、人の話に聞き耳を立てるなという反論はしない。本気で誰にも聞かれたくないと思っていたならば、最初から魔法を使っていた。単に聞き耳を立てていたのが偶々スネイプ教授だったというだけで、何か対応を変える気などない。

 

「喧嘩。矮小化し過ぎでは? 我等が校長閣下は言った。ものには適切な名前を使えと。嗚呼、それには同意出来る。今回の件も、法的にはれっきとした傷害事件でしょう?」

「……まして、君はこの時期に揉め事を起こそうとしたのだ。帝王は今秘密裡に計画を進めておられているが、同時にあらゆる物事に注意を払っている。彼の機嫌を損ねてしまう事が一体どれ程危険――」

「――で? 実際、ハリー・ポッターの退学は〝上〟の意向に反するんですか?」

 

 スネイプ教授は最初の疑問を無視したが、流石に二度目の内容は無視し切れなかったらしい。

 途端に黙りこくり、返答を寄越さなかった。

 

「でしょうね。教育令第二十四号は曲がりなりにも省令だ。ルシウス・マルフォイ氏達も存在を容易に知れるもので、けれども僕はドラコ・マルフォイから、ハリー・ポッターを退学に追い込めとも、()()退()()()()()()()とも聞いていない」

 

 ドラコ・マルフォイがハリー・ポッターを退学にするという野心を抱えている以上、〝上〟から何らかの指示が有れば、当然彼は僕の下へと飛んで来た筈だ。彼の希望は一旦却下したものの、それでも事情が変われば協力すると約束はしたのだから。

 

 しかし、そのような事は無かった。

 

「貴方は帝王の意思を持ち出しましたが、結局、彼にとってはどちらでも良いんでしょう? 彼の関心はホグワーツ内部に無い。()()()、という条件が付くとは思いますけど」

「……何も言われてないから背信にならないというのは曲解だ。そして人を殴っただけで魔法省やウィゼンガモットを巻き込む大事に発展させる存在を、普通の人間は想定しない」

「何処にそんなのが居るんです? 僕には見当も付きませんけどね」

「…………」

 

 今回にしても、コーネリウス・ファッジかルシウス・マルフォイ氏が止めれば終わりだ。それ以上進める事は出来ない。僕は勿論の事、仮にドラコ・マルフォイが意地を張ったとしても叶いはしない事になる。所詮はその程度の悪巧みでしかない。

 

「そもそも貴方達大人が何も情報を下ろして来ないのに、余計な事をするなと言われても困りますよ。余計な事が何かという判断材料すらも僕には与えられていないんですから」

「去年とは違う。君に情報を与えるつもりは無い」

「解っていますよ。今年の貴方は〝上〟()()()()指示を受けている側ですし。まあ、ピーター・ペティグリューの前例、そして今貴方が置かれている立場を踏まえるに、やはり全てを教えられてるとも思いませんけど」

 

 スネイプ教授に未だ役割は与えられていない。

 校長も、闇の帝王も、彼を必要とする時が来ていない。

 

「ただ――今回の一件を裁判沙汰、ホグワーツ内部に留めず公開での問題提起を行う。それに関しては、貴方も賛同する側だと思ったんですが」

「…………」

 

 淡々と疑問を紡ぎつつ、机に頬杖を突き、ゆっくりと足を組んだ。

 

「子供時代に七年を過ごすこのホグワーツに対しては、愛着と望郷を抱いている人間が大多数なのでしょう。けれどもその逆、〝ホグワーツ〟に怨恨と憎悪を宿すしかなかった人間も確かに居る。今年帰って来た女性は典型で、彼女と同じく、貴方もまた追放してやりたい相手というのは居たのでは?」

 

 覚悟していて尚、背筋が凍える。

 御互い暗黙の内に禁忌とした内容。その話題に無遠慮に踏み込んだ僕に教授から向けられるのは、暖炉の熱の残る空間では心地良く感じられる程の殺意だった。

 

「我輩は一方的にやられた覚えは無い。あやつらには常にやり返して来た」

「ええ、そうでしょうとも。四対一程度で怯むような貴方では無い」

 

 単純な虐めと処理出来る間柄でも無いだろう。

 恐らくハリー・ポッターとドラコ・マルフォイの関係性と変わらなかった。

 

「しかし、罰則が下されるだけでは到底足りない、クィディッチ禁止ですらまだ不足。退学こそが処分として妥当だという事件に、貴方は一度も立ち会った事が無いんですか?」

「――絶対に退学が揺らがない。そう確信した事件は、我輩にも身の覚えがない」

 

 その答えが発されるまでは僅かに間が有ったが、僕にはどちらでも良かった。

 

「ですが、誰もが貴方のように強い魔法力を持っている訳ではないでしょうに。やられたとてやり返す事が出来ない人間もまた存在する」

「――――」

「ホグワーツは自由教育ですが、〝マグル生まれ〟が家庭教育を選択する事は事実上不可能だ。教育を受けず魔法力を制御出来ない魔法族など、国際機密保持法の観点から許容される訳が無い。七年間虐められっぱなしだろうが、彼等がホグワーツから脱獄する事など許されない」

 

 ハーマイオニーは幸運にもハリー・ポッター達という救いを得られた訳だが、仮に得られなかろうとも、彼女がホグワーツに留まり続ける事は必須だった。

 

「別に〝マグル生まれ〟に限った事では無い。ホグワーツに嫌気がさしたからと言って、ボーバトンやダームストラングなどの別の学校に通ったり、家庭で専属教師の授業を受ける事を選択したり出来る者など多くは無い。親の職場の問題や金銭的な制約が立ち塞がりますし、仮に親や親族を頼れない人間ならば――特に親である魔法族が一人で、しかも勘当同然であったりすれば、逃げ道というのは余計に狭くなる」

 

 ドローレス・アンブリッジ。ギルデロイ・ロックハート。そしてスネイプ教授。

 これらの何処に、あの校長が尊ぶような素晴らしい愛の庇護が存在していたというのか。バーテミウス・クラウチ氏が自由恋愛を忌み嫌っていたのも解るものだ。

 

「要は、このホグワーツで少なくない者が泣き寝入りを余儀なくされて来たのであって──しかし、そのような弱者に対し、鈍感な人間を破滅させる為の()()を残してあげるのは、十分正義と衡平の観念に合致すると思いません?」

 

 無論、現状では認められていない。

 学校内かつ学生間の問題を学外の機関に持ち込むような先例は皆無であり、常識的としても露骨に眉を顰められる暴挙で、ましてこの魔法界は何の後盾も無い者――それも未成年の魔法族が、気安くウィゼンガモットに提訴出来るような社会構造をしていない。

 

 けれども〝純血〟たるドラコ・マルフォイが第一人者となり、誰の眼にも明らかな形で先例を確立してしまったのならば、近い将来、復讐心に駆られた誰かが悪意をもって後に続くだろう。そしてその人間が肯定されるか否かは、時代の審判に委ねられる。

 

 ホグワーツでは、助けを求める者には必ずそれが与えられる。

 笑わせる。本当の弱者は、そもそも他人に助けを求める声自体を持たないものだ。

 

「言いたい事はそれで全てかね?」

 

 硬質な言葉には、期待した程の感情の揺らぎは無かった。

 ドローレス・アンブリッジと違い、彼の憎悪は過去に置き去りにされているようだ。彼は現在を護る事に関心は有っても、変えようとは思っていないらしい。

 

 この部分は決定的に、僕とは違う。

 

「ええ。少なくとも、この点に関しては」

「ならば君にはドラコと同種の言葉を返そう。君の趣味に他人を巻き込むな。やるならば自分自身の身体と立場を使ってやれ」

「……まあ、それが筋では有るんでしょうね」

 

 現状では惜しく、難しくもある。

 しかしハリー・ポッターとの関係性を清算する際には一考するとしよう。

 

 何時も通りの仏頂面の教授に頷き賛同を示した後、此度の決着を問う言葉を投げる。

 

「――嗚呼、それと。三人に対するクィディッチ禁止は通ったんです?」

 

 勿論、この場合の通したとは、あの校長が認めたかという意味だ。

 

 ドラコ・マルフォイは知らない可能性が高いと考えていたから、今ここに教授が現れたのは非常に都合がよかった。スリザリン寮監である彼は間違いなく、その答えを知っている。

 

 薬学教授の死んだような瞳からは、一切の感情が読み取れはしない。

 しかし開心術が通じなかろうが、曲がりなりにも我が寮監で、四年間の付き合いで、しかも根幹が割合似た者なのだ。答えを読み取る事は出来る。

 

 遺憾ながら、三人ともクィディッチ禁止とする処分は通ってしまったらしい。

 

 あの校長は、ドローレス・アンブリッジと対立するのを避けたのだ。

 無論、勝てないのだと考えた訳では無く、単に手間や面倒は御免だという理由で。

 

「結局の所。今年ハリー・ポッターが箒遊びを続けられるかどうかなんぞ、校長閣下にとっては至極どうでも良い事なんでしょうね」

 

 足を投げ出すような恰好のまま吐き捨てる。

 

 何もしないからと言って何も思っていない訳では無いだろう。

 狭量な老人の腸は煮え繰り返っているに違いなく、けれども大抵の人間にとっては、やはり外から見える行動が全てなのだ。何も言わずに心中を察してくれる相手なんぞ世界にそう転がっている訳では無い。少なくとも、ハリー・ポッターはそこまで察しが宜しくない。

 

「言うまでもなく、彼がプレー出来るか否かなど魔法戦争の展開に関わらない。それなのに高等尋問官ひいては魔法省と揉め、最悪の場合は処分の是非を争う法廷紛争までやる? 嗚呼、来る戦争を前に現在クソ程御忙しいであろう指揮官殿、今世紀で最も偉大な魔法使いは絶対にしない。そんな愚行に及ぶという発想自体を持っていない」

 

 大いなる善の下、小さな悪を看過する。

 アルバス・ダンブルドア校長は、そのように出来ている。

 

 ドローレス・アンブリッジは彼の敵に成り得ない。にも拘らず下手に彼女を叩き、高等尋問官職が他の人間に代わるか、或いは更に魔法省から人員が増派されるのは困るのだ。また僕が提案したように、クィディッチ禁止程度以上の大事にされても厄介極まりない。

 

 だから彼は形式的な抗議だけを行って、彼女の虚栄心を大いに満たしてやった事だろう。

 

「けれども、ハリー・ポッターはどう思うでしょう? 彼は正義の筈の校長によって〝不当判決〟が覆される事を期待したに違いなく――しかしその当てが外れたのであれば、果たして彼はどう動くでしょうね? あの校長は以後の魔法戦争に何ら影響は無いと踏んだようですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ついでに言えばミネルバ・マクゴナガル教授も遠ざけられるだろう。

 そして単純なハリー・ポッターの思考回路は結論を下す。やはり大人は頼りにならないと。

 

「……罰則だ。二日間の書き取り」

 

 スネイプ教授は返答の代わり、それだけを言った。

 

「罪状は?」

「君は教授を軽んじている。それで十分では無いかね?」

「ならば甘んじて受けましょう。一応、僕の言い分を最後まで聞いては貰いましたからね」

 

 スネイプ教授の耳に入れて貰った事で意味は生じている。

 先の言葉は闇の陣営に利するようにも、光の陣営に利するようにも使える。

 彼が今回どちらとして振る舞いたいかこそが問題であり、別に聞かなかった事にしたとしても構わない。どの道、コレを使える立場に僕は居ないのだから。

 

 指を組んで軽く背伸びをした後、僕は椅子から立ち上がる。

 

「――では、そろそろ寮室に戻らせて貰っても良いでしょうか?」

 

 眠りに就きたいですし、とも付け加えた。

 

 わざわざ声を掛けて来た以上用事が有るのだと思っていたのだが、この雰囲気からすると勘違いだったようだ。今年の夏休みを通じて、スネイプ教授が友人の息子に割と甘い事は学んでいた。今回はドラコ・マルフォイの様子を見るついででしかなかったらしい。

 

「暫くドラコの傍に付いておけ。今のグリフィンドール共は暴発しかねん」

「まあ構いませんが、その場合――」

「――余計な事を考えるな。君はドラコを護りさえしていれば良い」

「……ええ。仮にも貴方は寮監だ。貴方の指導ならば従いますよ」

 

 抑圧を強いる言葉に溜息を漏らす。

 

 今日グリフィンドールの様子を伺ってから対応を決めようと思っていたが、スネイプ教授がこう言う以上、彼等の抱える不平不満は危険領域に突っ込んでいるのだろう。一番悪いのはハリー・ポッター達だが、挑発したドラコ・マルフォイに責任が無い訳でも無い。

 そして僕が共に居る程度でグリフィンドールが我慢するとは思えないし、警戒するにも限度が有る。巻き込まれて医務室送りになる事くらいは覚悟しておくべきか。

 

「更に伝えておくが、最近の君の振舞いは目に余るからどうにかしろという訴えが複数上がっている。彼等は直接的にはそう言わなかったがね。しかし、どんな言葉を使おうが意味は変わらん。君は他のスリザリン生から強く危険視されている」

「これまた可笑しな事を仰る」

「どうしてそう思う?」

「監督生以外が仕事を肩代わりするなんぞ、我が寮には良くある事だ。そして雑用を解決した程度で恩義を語る殊勝な蛇なんぞ、スリザリンには全く居ないでしょう? 何より、基本的に嫌われ者であるのは自覚していますよ」

 

 呆れつつそう言えば、スネイプ教授は嘲りと共に低く笑った。

 

「そちらでは無い。そして我輩も同感だと思う。そのような訴えが我輩の所まで上がって来たのは今年になってから。君が派手に動いたと自覚している去年ではない」

「――――」

「その意味を良く考えたまえ。もっとも君という生き物は、それを気付けるように出来ていないようだがな。それが出来るのならば、君はもう少し真っ当に生きられている」

 

 ……相変わらず、この教授も一筋縄では行かない。

 

「以降、定期的に我輩の下へ来い。万一君が行動を起こす際も、事前に報告を寄越せ。君が監督生の仕事の一部を受け持っている以上、文句は言わせん」

「解っていると思いますが」

「ああ、君は平然と情報を隠す事だろう。必要と有れば。ドラコの利益の為に。主君に隠れて動くのは御互い様。このような御託を並べる事は、我輩も重々承知している」

 

 流石はスリザリン寮監、良く御理解されている。

 引っ掛かる部分は有ったが、その一線さえ確保出来るならば僕に文句は無い。

 

 コーネリウス・ファッジとドローレス・アンブリッジ。闇の帝王とルシウス・マルフォイ氏。更にはアルバス・ダンブルドア校長とミネルバ・マクゴナガル教授。誰もが自分の利益を最大化するように動いており、決して歩調を同じくしていない。そして僕も同じだ。

 

 寮室へと歩みを進め始めた僕の背中に、強い意思を籠められた言葉が掛けられる。

 

「レッドフィールド。繰り返すが、何もするな」

「貴方が何と言おうと、今年は未だ何もしていませんよ」

 

 首だけ振り返る。

 教授の姿は、闇の中に溶けていている。

 

「そして貴方が警戒すべき相手というのも違うのでは?」

「口答えするな。君はアンブリッジとドラコを見ていれば良い」

「一応そのつもりですが。しかし僕が今言ったのはハリー・ポッターの事ですよ?」

 

 この場所に来て以来、スネイプ教授は基本的に仏頂面だった。

 表情を変えるとしても軽蔑や嫌悪を浮かべる程度で、その何れも一貫して彼の内心を隠す仮面として機能し続けていた。

 

 しかしハリー・ポッターの名を出した瞬間だけは、教授は明らかに動揺した。

 そしてたった一瞬だけでも十分。教授が危険視する対象として、ハリー・ポッターは考慮されていない。彼こそが今年最も警戒すべき相手であるのだという懸念を、教授は未だ騎士団長から伝えられていないのだという事は知れた。

 

「…………。それは、我輩の仕事だ」

「そうですか」

 

 絞り出すように言った教授へ一礼する。

 そして僕が寮室に入り、扉を閉める頃になって漸く、談話室の灯りは消えた。


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