『ハリーの見える範囲では、全員が赤紫のローブを着ている』とアンブリッジは法服を着ているように思えるものの、それを言ったら書記として出席しているパーシーも同じの筈ですので。Wizarding WorldのDolores Umbridgeの記事にも、彼女がウィゼンガモットのメンバーになったとは直接言及されておりません。
この作品においては彼女がウィゼンガモットの構成員であるか否かの差異は大きな影響がないですが、一応御留意下さい。
「スティーブン。こっちへ来い」
朝からドラコ・マルフォイに声を掛けられるというのは酷く珍しい。
僕に何か用事が有る場合、彼は基本的に放課後や夕食後の時間に押し掛けて来る。
甘やかされた嫡男の例に洩れず、彼は他人を待たせる事と我慢させる事は好きだが、その逆は嫌いである。だから問題――とは言うものの、大概は酷く些細な物が多いのだが――はすぐさま僕の所へ持ち込まれる事が多く、そして朝から問題が起こるというのは余り無い。だから大抵起床後はゆっくり出来るのだが、今日はその例外のようである。
ドラコ・マルフォイは大きな声を出した訳ではないが、その声は御喋りの絶えない談話室でも良く通った。呼んでいる場所は掲示板前。そこには既に人だかりが出来ていたが、彼が大声で呼んでくれたせいだろう。掲示物を眺めて喋っていた彼等は途端に黙り込み、迷惑にも僕の進路を開けてくれたので、已む無く近付いた。
「新しい教育令だそうだ」
「そうか。意外と熱心な事だ」
漏れ出た皮肉と共に、彼が顎でしゃくる先へと視線を向ける。
そこには確かに、大袈裟な位に巨大な公式文書が張り付けられている。整然と貼り付けられた十数枚の掲示物達を一枚でもって覆い隠したソレには、ドローレス・アンブリッジの特徴的な署名と仰々しい押印がなされている。これまで二十数号出ていた筈だが、校内に周知される形で公布されるのは初めてである。そしてその教育令の内容は――
「――また露骨な真似をする」
教育令第二十四号。
内容として見れば、生徒の学生組織を禁止し、再結成にはドローレス・アンブリッジの許可を要するという以上の意味を持たない省令だ。相変わらず闇の陣営には左程意味を持たないが、彼等魔法省の人間にとっては非常に重要なのだろう。
もっとも、これを出した側に立つ人間の思惑は多少異なるように思える。
コーネリウス・ファッジは学生達によって反魔法省組織を形成される事への恐怖、そしてドローレス・アンブリッジは自らの支配欲の充足あたりか。
「――で?」
ドラコ・マルフォイを見る。
「この省令を僕に見せたかったのは解ったが、何か不満や問題があるのか?」
「い、いや、問題が有るという程じゃないが……」
仮に撤回させたいならば、その旨をドローレス・アンブリッジに伝えに行かねばならない。更にはルシウス・マルフォイ氏経由で干渉して貰う事も必要だろう。そう思いながら聞いたのだが、彼はしどろもどろになりながら、弁明するように口を開いた。
「その……こないだも君は教育令に文句を言っていただろう? だから、コレを見て何か気付いた事とか、思った事が有るかもしれないと思ってな」
「あれは文句の範疇に入らんし、別に好きにしろとしか思わんよ」
わざわざ僕に聞く意図が解らんと嘆息する。
「これをもってスリザリンに嫌がらせをしてくるなら別だが、彼女も流石に同じ事を繰り返しはしまい。逆にそうして来たら尊敬しても良い位だ。内容としても……多少面倒な手続が増えるだけ。許可を貰いに行くのが面倒ではあるが――」
しかし、ドラコ・マルフォイともあろう者が、わざわざ聞いてみせるのだ。他に見落としてる部分が有るかもしれないと掲示板に視線を戻し、改めて文面を二回程読み返す。
「……まあ、確かに穴に見える部分は存在するな」
「……穴?」
「何事も定義は大事だという事だ」
この教育令に一見して隙は見える。それは事実だ。
「……それは問題なのか?」
「いいや。スリザリンには関わりがなく、
「――――」
「他に多少言える事が有るとすれば……この教育令の構造か。単に届出としているならば良かったのだが、これではミネルバ・マクゴナガル教授あたりは不快感を示すだろう」
『再結成の許可』。『高等尋問官への届出と承認』。本当に露骨だ。
罰則が『退校処分』というのもいただけないが、何より最悪なのが、この教育令を見ても再結成の許可・承認要件が解らない――何をすれば再結成を許してくれるのか解らないという点だ。これは他の規則や細則を見れば解るのだろうか、それとも、そもそもそれらを法定すらしない程、魔法界は適当なのだろうか。
「嗚呼、それと、この教育令は多分に〝マグル〟的な省令に見える。杜撰さや悪辣さが見え隠れするがな。もっともあくまで僕の眼にはそう映るというだけで、他の人間はまた別の視方をするのかもしれない。君がこれを問題視しないならば、放っておいて構わないだろう」
制定された法の趣旨と目的は一応読み取れる。
それ故に、僕はこの省令に対して左程嫌悪感を抱けない。
「もう良いだろうか? 他にこの教育令を見たい者も居るだろう。何より、ここに留まって呑気に質疑応答を繰り返していても仕方無い」
「……良くは無い」
彼は辛辣に却下したが、それでも僕の言葉に一定の理は認めたらしい。
邪魔にならないように掲示板から離れ、けれどもそのままソファーの方に向かう。着いて来いという意思は明らかで、彼が座るのを見届けた後、僕も対面のソファーに座った。流石に〝純血〟仕様の品だ、座り心地は非常に良かった。
僕は杖を取り出したものの、ドラコ・マルフォイは顔を顰めつつ手を軽く振る。
だから、僕は一度だけ杖を振るった。意図通り、コーヒーサーバーとティーカップが一つ、テーブルの上へと現れた。
「……何故君はマグル的だと思ったんだ」
「非常に親切極まりない省令だからだよ」
ソーサ―からカップを持ちあげ、サーバーから珈琲を注ぎつつ、ドラコ・マルフォイの問いに軽く答える。彼が顔を歪めているのは僕の気楽な反応が不愉快だったのか、それとも立ち上る珈琲の匂いを嫌がっているのかは解らなかった。
「言葉の通り。自由と寛容を愛する魔法族らしくもない法令だ」
万事が万事杜撰である事の婉曲表現を用いつつ説明を続ける。
「具体例を挙げて説明するのが解りやすいだろう。これは君への確認に近いのだが――放課後、禁じられた森に踏み込んだ結果、生徒が死んだと君が聞かされたとしよう。これに対し、君はどう考える?」
「……どうって。それは、馬鹿が一人淘汰されただけの事だろう。
「そうだろうな。君達はそう反応する」
困惑の表情を浮かべつつ答えたドラコ・マルフォイに頷く。
一年の時、彼はあの森で罰則を受けている。それから帰って来た際の反応を未だに鮮明に記憶しているが、魔法族の態度としては非常に真っ当だった。
「魔法的な道具、場所、生物、そして人。魔法族に死を齎しかねない脅威は、魔法界のそこら中に転がっている。それらを甘く見た阿呆が阿呆な事をやって死ぬのは自己責任。禁じられた森に踏み込んだ人間などは典型だ。言葉の解らない幼児でもあるまいし、先人の警句を真摯に受け止める事のない馬鹿など自然淘汰されても仕方ない」
と言っても、珈琲を啜りつつ彼を見る。
「何時ぞやの件は、君も愚かな事をした訳だが」
明言しなかったが、彼はそれがヒッポグリフの時の事を言っているとは気付いたのだろう。一瞬で顔を紅潮させ、けれども彼が口を開く前に、言葉を継ぐ。
「ただ、アレは授業内の事件だった。教師が明確に責任を負うべき時間で、しかし今回挙げた例はまた別問題。ホグワーツは言わずもがな全寮制で、生徒達は授業が終わった後の課外時間にも校内に留まる。教授が監視するのにも限界があり、そして生徒が愚かにも自ら危険に突っ込んだ場合、果たして教師は何処まで責任を負うべきか――そんな問題だ」
「…………」
「魔法界で阿呆な真似に及ぶとなると、命が幾ら有っても足りない。特に、生徒が教師の眼を盗み、自らの意思で魔法的成果に関与した場合には」
ハリー・ポッター達が非常に
「非合法の魔法薬研究会で作った薬を試した結果中毒死したら? 或いは秘密裡にホグワーツ探検隊を組織して色々と嗅ぎ回った挙句、うっかり魔法の罠に掛かって爆死したら? このような事態に対する魔法界の反応は解りやすい。親の躾と教育が悪く、馬鹿一人が死んだと計上して終わりだ」
そのような事故が有ったとの噂を聞いたりするが、実際にそれが真実かは知らない。もっともらしく聞こえる嘘が生徒間に出回るのは良くある話で、けれども教授達も公然にそれを否定しようとしない。生徒が正しい恐怖心を持つのは、彼等にとって歓迎出来る事だからだ。
「だが、非魔法界は違う。教師には安全配慮義務――可能な限り子供が傷付かないような御優しい〝箱庭〟を創る義務が有ると断じる。これが正しいかは君の判断に任せるが、少なくとも非魔法界ではこのような態度を〝先進的〟とする。正しくは、現在そういう潮流が生じている」
良くも悪くも、非魔法界は生徒の自由を制限し始めている。
自由には責任が伴う。しかし、未熟な子供達では責任を取れない。故に、完全な自由もまた認める事が出来ないという論法だ。
「……それが、あの教育令にどう繋がるんだ?」
「教育令第二十四号に即して言うならば、
その瞬間、新たに何人かがギョッとした視線を向けてきたのを感じたが、ドラコ・マルフォイが表情を変えなかったあたり、彼は気付かなかったようだった。
まあ、何れは気付くだろう。
「この場合、魔法族としては勉強熱心で結構だという反応になる。生徒が失神と蘇生あたりを行き来するような事に対し、何の疑問を持とうとしない。グリフィンドールあたりの親であれば、失神術を受けた際のカッコいい倒れ方を伝授してやる位の事は言う筈だ」
良くも悪くも呑気で牧歌的である。
「一方で〝マグル〟――半純血や〝マグル生まれ〟の親としての彼等は違う。大人の監視下から離れた場所で子供が何をやっているのか。そんな危険な活動は言語道断だという話になり、当然教師は止めさせるべきだという主張が出てくる。生徒同士が決闘さながらに
「……別にステューピファイを使うなら問題無いだろ?」
「僕の考えもそちらに近い。が、相手を失神させるのは法律上傷害罪だ。しかも科学的に良く解らん
十数年前には直接国土防衛戦争──と言っても、〝国土〟はあくまでこの国の視点だが──をやったが、あれは一万数千キロ離れた島での事だ。五年前にしても二度目の大戦と異なり自国が直接空襲の危険に晒されていた訳でもない。我が身の危険として戦争を真剣に考えているこの国の非魔法族など殆どいまい。
「…………マグルは狂ってるんじゃないのか?」
「否定は出来ない」
侮蔑でなく本気で解らないという表情を浮かべた彼に、僕も少し微笑んでしまう。
魔法族にとって杖腕を磨く事は、この国の人間が毎日紅茶を飲むような日常生活の延長線のようなものだ。合衆国の人間が大学終わりに射撃訓練場に向かうのに近いと言った方が良いか。
ただ、昔よりも杖腕を磨く事に拘る者は減っているだろう。
魔法戦争の大いなる教訓の一つ。それは、多少決闘術に心得が有る程度では、本物の闇の魔法使いによって簡単に殺されてしまうというものなのだから。
「もっとも、完全に筋違いの懸念という訳でもないのだ」
〝マグル〟の言い分にも理は有る。
「魔法の厄介な所はな、発動しない方が余程マシな場合が有るという点にある。例えば酢をワインに変える呪文――これは来年学ぶであろう内容だが――を失敗した場合、代わりに爆発や凍結が発生するという事態が生じ得る。これと同種の反応が失神呪文で生じたらどうなる? 人体中で爆発や氷塊が発生すれば、どんな惨劇となるか想像出来ないか?」
「……しかし、そんな失敗なんて早々無い筈だろ? 少なくとも今までの授業では、そんな大惨事が起こるのなんて見た事はない。ステューピファイに限った事でなく、全ての呪文でだ」
「確かにその通りだ。幸運な事に、僕もまた御眼に掛かった事がない。けれども今まで大事故が起こっていない最大の理由はな、魔法力の不足だよ」
非魔法族と違い、魔法族は成長に従って〝安全〟になるとは限らない。
「今までは、魔法の失敗は効果の不発生と殆ど同義だった。針山がハリネズミに変わらないとか、姿現しを試しても何処にも移動しないとか、或いは
杖が
「無論、実際には稀だ。学年が上がれば普通は杖の使用にも習熟する。つまり、制御能力も上がる。同じ失敗を引き起こすにしても、大失敗を小失敗に抑える事は出来るようになる。医務室に行けば、最悪でも聖マンゴに行けば、治療出来る程度の事故にしかならない事が大半だ。しかしながら――常にそんな幸運に留まるとは限らないのも確かだ」
怪我の対処は早い方が良いのは魔法界でも同じ。
非魔法族と魔法族が生殖的隔離の関係にない――つまり、子供を作れる事が示すように、両者の身体の構造は基本的に変わらない。たとえば呪文的損傷により失血を招いた場合、魔法族であっても出血死やショック死する可能性が有る。当然ながら、近くにちゃんとした治療呪文を使える教授が居るか否かによって、怪我人の生存率は雲泥の差となる。
「故に生徒のみで魔法を練習しようとする真似は、非魔法族の常識の下には許されない。そしてそのような組織を生徒が勝手に創ろうとした場合、教師としてはそれを止めるべきであり、仮に止めなければ、事故を起こした阿呆ではなく教師こそが責任を問われる。万一死亡事故が起きた場合、特に十七歳にも満たない生徒では死の責任も取れないしな」
この教育令はそのような信念と確信の上に成立している。
眉を顰めた魔法族も多いだろうが、こう質問すれば黙り込んでくれるだろう。
自分の子供がセドリック・ディゴリーと同じように事故死したとしても、お前は何の不満も抱かずに居られるのかと。大人が子供達を護る為に一定の規制を敷くのは已むを得ないのだと。
その鋭き主張を前にして、更に不満を吐き続けられる者はそう居ない。
「……だから、クラブの再結成には許可を求めろというのか」
「ああ。学生団体の全解散を命令し、かつ再結成に許可を要求する事で、校内の団体数と構成員、活動状況を学校側が改めて把握する。更には活動内容に即した危機管理等の対応について確認し、不十分だと考えれば許可を下さない。それによって学生組織の運営適正化を図る。
――まあ建前は、だが」
「建前上?」
「悪用法は君にも想像出来るだろうに?」
ホグワーツ一年生にも解るような事を一々言及する必要はあるまい。
あの高等尋問官殿が一番恨んでいるのは当然我等がスリザリンだろうが、だからといって他の寮に好意的だという訳でもなさそうだ。まあ、学生時代に他寮の友人を作る事が出来ていたのであれば、あれだけの憎悪を抱えて戻ってくる筈もないか。
「他に質問は?」
珈琲を飲み干した後、ソーサーの上にカップを置く。
ドラコ・マルフォイは少しの間迷っていたものの、頭の整理は付いたらしい。何処か覚悟を決めたような表情をして口を開いた。
「……スリザリン生がマグルに詳しいのは、君は問題としないのか?」
「教育令に対する質問では無いし、今更だという気もするが――」
そう答えつつ、ローブから抜いた杖を軽く振った。
部屋の片隅に飛ばしておきさえすれば、勝手に屋敷しもべ妖精が片付ける。その程度の事は、この四年間で良く知っていた。
「――しかしこれは逆質問になってしまうのだが、たとえば君は、他寮同士のクィディッチ
「――――」
「もっと具体的に言えば、他の三寮の内、スリザリンがクィディッチ杯で戦う最後の相手はハッフルパフだ。つまりハッフルパフはスリザリンと戦う前に対グリフィンドール、対レイブンクローと二戦する訳だが、君はその何れの試合も見に行くのではないか? それも単純に娯楽の為ではない。来る自分達との試合で戦いを有利に運ぶ為に。或いは、十中八九勝利出来ると踏んでいても、その勝利を更に確実な物にする為に」
どういう形で彼等が試合相手を研究するのかまでは知らないし、興味も持ち得ないが、スリザリンの代表選手である彼等は間違いなく、偵察活動を主眼として競技場に向かう筈である。
「これも同じだよ。相手を知らずに戦いに挑むのは愚者のやる事だ。たとえ勝てると解っていたとしても、完璧な勝利を期すなら当然相手を深く学ぶべきなのだ。そして単に勝つのみではなく、美しく勝つ。これはスリザリンの美学に反しないと思うが?」
そう言ってのけた僕に、しかしドラコ・マルフォイが返してきたのは困惑の表情。
「……完璧な勝利を期すと言ったな」
「? それがどうかしたか?」
念押しするように繰り返された言葉は、僕をして意図が図りかねるもの。
「マグルと戦争をやれば魔法族が勝つ。君はそう考えているのだな」
「…………寧ろ、君は〝マグル〟に負けるつもりなのか?」
意表を突かれた問いに驚きを覚えつつ聞く。
そしてドラコ・マルフォイは、僕に更なる驚きを齎す程、大きな狼狽を見せた。
……本当に、何故聞いた側がそんなにも狼狽して見せるのだろう。
まるで僕が〝マグル〟に勝てると言ったのが余りにも意外だったようではないか。確かに確実とは言えないものの、これでも一応魔法族という自負はあるのだが。
「そ、そんなつもりは勿論無い」
「なら良いだろう」
「…………」
「そして今の所、僕は君達〝純血〟に学べとは求めない」
「だが、君達に使われる側の僕が無知である事は許されないし、次の戦争の前には君にも最低限学んで貰う。都合の良い夢に浸っていた結果〝上〟を満足させられない場合、そこには死有るのみだからな。生きる為に、君は自らの意思で学ぶことになる」
闇の帝王が勝利した場合、次の敵は当然ながら
他の死喰い人達が無知のまま突っ込んで死ぬのは勝手だが、彼等の失敗に巻き込まれるのは御免だ。国際機密保持法との兼ね合いもある。ゲラート・グリンデルバルトの二の舞を避ける為には、彼等もまた〝マグル〟について学ばねばならないだろう。それが出来ないならば、後方の留置所で拷問に勤しんでいて貰った方が余程助かる。
ドラコ・マルフォイは暫くの間もごもごと口を動かしていたが、それでもそれが言葉を発する為に使われる事は無かった。少しの間待ちはしたが、やはり同じだった。
そして何時までも待っていても時間が勿体ないから、僕は立ち上がった。ドラコ・マルフォイは少しだけ身体を震わせたものの、それ以上の反応はどうにか抑え込んだようだ。
「……何処に行くんだ? 朝食には早いと思うんだが?」
「これくらいは解ってくれ。高等尋問官の所だ」
つまり、仕事だ。
「あの教育令が求めていただろう? 学生組織の許可申請に行って来る」
「申請? 君は何かクラブに所属していたか?」
「そのような暇や友人関係を僕が持っていると思うか?」
首を傾げながら紡がれた見当外れの言葉に溜息を吐く。
それらを持っていたのであれば、より明るい学生生活を送っている。
「あの教育令は、既存の学生団体の解散を宣言している。そして文面上、クィディッチチームを除外するとは書いていないし、そもそもクィディッチは本教育令が規制しようとする筆頭だ。箒から落ちれば普通死ぬからな。……嗚呼、心配するな。許可はすんなりと通る筈で、通らなかったらやはり君達が潰せばいい。二度目ともあれば〝上〟も文句は言わんだろうよ」
〝マグル〟基準を徹底するのならば、殆ど生身のまま二百キロ以上の速度で飛び回るような競技なんぞ問答無用で全禁止となる。大人が自己責任でやるなら兎も角、子供には、そのような自由の処分は許されない。
しかしながら、ここは魔法界で、僕達は魔法族である。彼等が掲げる論理に唯々諾々と従ってやる義理は無い。そしてドローレス・アンブリッジとて、クィディッチ狂を敵に回す恐ろしさくらいは七年間で学んでいるだろう。
「だが、曲がりなりにも教育令――法令の規定だ。許可を貰うにしても口頭で済むとは思えず、一定の手続が定められている筈だ。彼女は御役人様だから、再結成許可申請書か何かだとは思うが。そして申請書の必要事項を不足無く埋めるには、彼女から色々と聞かねばならない」
「? 僕が言えば許可が出るんじゃないか?」
「それは確かだ。しかし、不必要に特権を振りかざすのは賢い行為ではない」
その表情からして善意で言っているんだろうが、余計な御節介である。
「君達も多少意識してくれると有難いのだが、奴隷の側にも費やせる資源と労力が有る。故に君達は止むを得ない場合のみ、かつ最小限で最大効率となるように権力を振るうべきだ。どうせ働くのは君ではないのだ。――もっとも、君が作りたいなら一向に構わないが?」
ドラコ・マルフォイが首を横に振る。
そう言えば、自分が作らされる羽目になる事を疑っていなかったものの、クィディッチチームには当然ながらキャプテンが居る。グラハム・モンターギュを探して辺りを見回すと、彼と視線が合った。愛想笑いを向けてくる事から見るに、反論も無さそうだ。
「そして今後の事を考えると、今回の教育令の手続を潜脱する事は適切でもない。要らぬ腹を探られたくないのであれば、スリザリンも従順な姿勢を見せておいた方が得策だ」
「……それは一体全体どういう意味なんだ?」
「既にヒントは出した。これも直ぐに解るだろう」
クィディッチチームの再結成許可申請は速やかに済んだ。
僕が色々と質問し、また申請書を作成している最中、ドローレス・アンブリッジは何か言いたげではあった。しかし、わざわざ彼女の思惑に乗ってやる気もなく、一貫して気付かない振りをし続けた。彼女が言いたい事はある程度想像が付いていたし、曲がりなりにも言葉を費やす苦労をするならば、それは適切な相手にこそすべきだったからだ。
その相手、ドラコ・マルフォイが押し掛けて来たのは放課後の事だった。
「今朝、君は防衛術の自習を例として挙げたな」
僕の机の上に手を付き、身を乗り出しながら彼は勢いよく言う。
魔法薬学の授業前、グリフィンドールに許可書を見せびらかしている間は上機嫌だった。しかし、それは半日程で消え失せてしまったらしい。
手元の羊皮紙に目を通しつつ、ドラコ・マルフォイに返答する。
「嗚呼、言ったな。今朝の事を忘れる筈も無い」
「……スリザリンも規則に従う必要が有るとも言ったな」
「そうだ。他の寮の眼が有る以上、わざわざ教育令から逸脱するのは適切でないと思ったからな。既に許可申請を出したと言えば他は文句は言えず、そして今日、君達は他の三寮を後目に悠々とクィディッチ競技場を独占出来る」
「…………それは礼を言うが」
一瞬だけたじろぐ気配がし、しかし直ぐに語気の荒い言葉が降って来た。
「つまり、君はグレンジャーやポッターの行動を知っていたんだな?」
「それは外れだ。僕は全く知らない」
真実である。
ハリー・ポッターの動向を把握する手段を、今の僕は持っていない。
「彼等が動いている確証など抱いていないし、あの教育令第二十四号が彼等の行動に対するカウンターであるかすらも知らない。しかしそうであろうとなかろうと、結果としては同じ事だ。だからこそ、あんな形で言及をしたのだ」
「同じ事、とは? 相変わらず、君の言い回しは解りにくい」
「難しい事を言っているつもりは無い。教育令が出た後に勉強会が結成されようが、勉強会が結成された後に教育令が出ようが、一切何も変わりはしない。それだけの話だ」
ドローレス・アンブリッジに聞けばどちらであるか解ったかもしれないが、その差異を確定する事に殆ど興味は無く、そもそも彼女の野望なんぞ知った事では無かった。
「闇の帝王が復活したと信じているグリフィンドールが、今年のドローレス・アンブリッジの授業に黙っていられると思うか? 一回受ければ学べる内容は皆無だと知れる悲惨さであり、何れは自主的な勉強会という発想に辿り着く。更に君自身に置き換えてみると良い。仮に現在勉強会を計画して居なかろうとも、あのような〝マグル〟的な口煩さを持つ教育令を見れば逆にやってやろうという気になるだろう?」
非魔法界では〝マグル〟の服を着る。そんな簡単な規則すら魔法族は守れないのだ。
魔法族は〝マグル〟への差別感情云々以前に、上からの統制、己の自由の剥奪を嫌う。このような強権的な省令を前にして、対抗心を燃やさない訳が無い。
更にこういう形になるとは思ってもみなかったものの、ハリー・ポッターに御友達を集めるように唆した身ではある。そして、あの特急でも彼は校長に――自分に何もさせない大人達に不満たらたらだったが、学期が始まって以降は更に溜め込んでいるに違いない。
彼が違法な集会を企画し、行動に移す。これはもう確定事項だ。
「しかし、君が聞いて来るのはもう少し早いと思ったがな」
意外だったと、足を組み変えながら感想を吐露する。
「遠回しな表現をした訳では無いし、ハリー・ポッターについての事だ。早ければ朝、僕が高等尋問官の所から帰って来た後にこの話をせねばならないと考えていた」
「……流石に魔法薬学の前には気付いていた」
ドラコ・マルフォイはそっぽを向く。
「ただ、こんな事を外で話す訳にも行かないだろう。しかも君は休み時間になったら姿を消していたし、昼食の際も姿を見かけなかった。君が最近忙しそうにしているのは知って――」
彼が言葉を切ったのは、僕の机の上を見たから。相変わらず本の山と羊皮紙の束に埋もれた机の上だが、今は本の一冊も開いていない。案外目敏い男だった。
「――ところで君は一体何を見ているんだ?」
「学生団体の再結成許可申請書だ」
疑問と共に身を乗り出してきた彼にそれを見せる。
「スリザリン・クィディッチチームは早々に提出した訳だが、そこまで動きの早い人間は居なかったようだ。そして、スリザリン内の多くの人間がこう思ったらしい。こんな下らん法令に悩まされるよりは、僕を申請窓口として丸投げするのが手っ取り早いだとな」
面倒な書類の書き方について学ぶ必要は無く、何より提出の際に高等尋問官職と会わずに済む。彼等委任者の利点としてはそれで十分だった。
「……そこまで君がやる義理が有るのか?」
「可能な限り君達と彼女を会わせるべきでは無い。その程度の事は僕も学習する」
揉め事が起こってから働くよりも、起こる前から働いた方が楽である。
「まあアレでも魔法大臣付上級次官だから、個人的に取り入ろうとする人間を止める気まではない。が、どうも我が寮には居ないらしいな。授業内容についての質問以上をしているのは見た事がない。寧ろ良くもあれだけ嫌われるものだと感心すらする」
彼女の授業の評判は上々である。少なくともその点につき、批判は殆ど聞かない。精々実質的に授業を受けられる時間が短いという位だろう。
けれども、それ以外の部分は別だ。罵詈雑言しか聞いた事がない。
「……そうか」
そしてドラコ・マルフォイは納得を示すだけで、それ以上の追求をしなかった。
今回の再結成許可権限を利用しての専横を企画する程、彼は性格が悪くもないらしい。
勿論、この程度の許可で貸し借り云々を語るのは余りに狭量な真似ではある。僕も提案する気にすらなれなかったが、しかし他がどう考えるかはまた別のようだ。この書類の山を見るに、何か言われる前に許可を通しておこうという魂胆が見え見えだった。ついでに僕を通しておけば、しかしお前の部下は通しただろうと反論出来るようになる。
「……君が寮に貢献している事は解った。だが、スティーブン。僕は──」
「――ハリー・ポッターの違法な学生団体を摘発し、あの男を退学させてやりたい、だろう?」
嘆息混じりに解答を紡ぐ。
ドラコ・マルフォイの思考など解り切っている。
これまでの彼の四年間を眺めていればその結論を導けない方が可笑しいし、そもそも僕は先程ハリー・ポッターが集会を開く事は確実だと示唆した。彼がそう主張するのは必然だった。
「だが現状では望み薄だ。そしてはっきり言うと、僕は気が進まない」
「――――」
その却下の返答に対する反発は、当然ながら予期していた。
彼の意思に真っ向から反対するものであり、叛逆と看做されても仕方が無い放言である。
勿論覚悟の上での発言でも有ったが、しかしドラコ・マルフォイは怒鳴り出しもしなかった。意外さと共に彼の顔を見上げてみれば、その淡い灰色の瞳は怒りに燃えてはいるものの、意思の力をもって感情を押し殺そうとしていた。
「……君がそう言うって事は、確かな根拠が有るんだな」
「そうだな。何の理屈も無しにこんな事を言いはしない」
何だかんだ言って彼の庇護は僕の生命線で在り続けて来たし、これからもそれは変わりはない。必要性が存在していないのであれば、わざわざ衝突する気もない。
「君がどうしてもと望むならば従いはする。が、そもそも君は、あの教育令を過剰評価している節がある。君が期待を膨らませている程に、あれは強力では無いのだ」
教育令第二十四号。
ホグワーツで何も頭に詰め込めなかった生徒はアレをそのままの意味で読むのだろうが、曲がりなりにも真面目に勉強してきた人間であれば、当然に実現可能性を疑うだろう。
ドラコ・マルフォイは乱暴に椅子へと掛け、聞く姿勢を取った。
「……これもまた、君は大した省令だと思っていないのか」
「校長に対し文句を付ける口実程度にはなるかもしれない。その程度だな」
教育令第二十二号よりは多少マシという評価である。
「ハリー・ポッターを退学にする事は、彼の証言――闇の帝王が復活したという主張の信憑性を低減させるものでは無い。夏休暇中の一件とは違う。犯罪者の証言以上に、単なる中途退学者の証言の信憑性が疑いを持たれるかというのは怪しい」
「……教育令第二十四号違反も違法行為だろう」
「
何より、と欠伸を噛み殺しつつ続ける。
「朝言っただろう。魔法族の常識には合致しないと。教授達の監視の眼をかいくぐって子供が秘密結社を結成する行為を周りはどう受け止めるか。グリフィンドールなら武勇伝にしかならず、他の寮も似たり寄ったりだ。我が寮とて変わらん。そして、たかがその程度の事で生徒が退学になったと知れ渡れば、世間の反応なんぞ初めから知れている」
魔法省は散々馬鹿にされ、生徒には各所から同情が寄せられるだけである。
コーネリウス・ファッジの思想は〝純血〟寄りと言って良いから、彼から出た発想ではないだろう。魔法省の御役人様には存外〝マグル〟被れが多いようだ。
そしてこの〝純血〟の子息には興味が無いだろうし、闇の陣営にとってもどうでも良い事だが、この教育令は、魔法省がホグワーツを支配する為の手段としては下の下だ。
生徒を何人退学処分にしたとしても、また退校の威嚇でもって何百人もの生徒を支配下に置いたとしても、ホグワーツ支配には何ら繋がらない。ホグワーツ校長、そして理事会。それらの権力機関が健在である限り学校の体制が揺らぐ事は早々有り得ず、故にそこに切り込めない省令など
まあ大勢の生徒を一つの意思の下に束ね、学校体制に対して
ドラコ・マルフォイは悔しげに顔を歪め、けれども食い下がる気は有るらしい。
「……校長に対して文句を付けるというのは?」
「教育令第二十四号の『退校処分にする』の解釈、手続。その部分に既に疑義が有るからだ」
そこに火種を見いだせない人間の眼は節穴だろう。
「退校処分の手続を具体的にどうするかという部分は、この教育令だけ読んでいては解らない。そしてホグワーツ生を退学にするに際してはこれまで一定の手続が踏まれて来た筈で、それを行って来たのは当然ホグワーツ校長だろう。そもそも校長が退学処分権を持つという主張は、夏にハリー・ポッターの退学を阻止した理由の一つだしな」
ホグワーツの入学許可者名簿は、伝説的な魔法具――ドラゴン皮の本と銀色のインク壺、そして古ぼけた羽ペンのセット――によって自動的に作成されるという。ならばその延長線上にある学生登録、そして真反対に位置する学籍剥奪も、それと似たような魔道具によって魔法的に為されると考えるのが至極自然である。
そもそもホグワーツの成立経緯を考えれば、魔法省がホグワーツ生の管理手続に関与する根拠ないし余地自体が一切ない。それらの魔法具は間違いなくホグワーツ内部に存在する。
「あの校長は査察に基づく教授の解任云々については何も反論しない気がしている。面倒だしな。しかし、流石に生徒を退学させるともなればそうは行くまい。生徒の放校を大人しく看過してしまう教授など、それこそ〝
学生達を守護する。
その一点に関しては、彼は絶対に引かない。
「……だが法律違反の人間――犯罪者が退学にならないのは可笑しくないか?」
「まあ、そのように難癖を付けるのが本省令の魂胆では有るのだろう」
その点において、教授の解職を可能とした第二十三号よりは利用価値が有る。
「この省令は、魔法省にも退学処分権が存する事を確認したものだ。或いは、仮に素行不良による退学処分権は校長に存するとしても、法令違反による退学処分権は魔法省に存する。もしくは、校長に退学処分権があるとしても、上級機関たる魔法省の判断に校長は拘束されるべきであり、省の処分命令には従うべきである。魔法省側の主張としてパッと思い付くのは、その程度か」
どれも今適当にでっち上げた理屈であり、世間的に承認されるかは疑問が有るものの、もっともらしい理屈など幾らでも付けられる。
「そして如何なる理屈を発端としていようと、僕はこの手の議論に――話し合いの結果でなく、校長と魔法省が話し合いをしたという事自体に価値を見い出す側ではあるのだが……しかし、ドラコ・マルフォイ。君は今自分の言った事の意味を理解しているのか?」
「意味?」
「君が今言ったのは魔法省、或いは魔法大臣が生徒の退学に決定権を持つのを認めるという意味だ。たとえ法律違反云々という条件が付いていようとそれは変わらない。しかもその法律違反自体が非常に軽微な罪である訳だが、果たして本当にそれで良いのか?
――
「…………」
僕の言葉に、彼は唇を噛み締めて黙り込んだ。
そして解り切った反応でもあった。教授の任免権のように僕はその手の介入に肯定的な一方、〝
けれども感情は別か。彼の眼は依然僕への反発、自身の希望の障害と成り得る僕への敵意を露わにしており、だから僕は宥めるように言葉を続ける。
「まあ、これは君の悲願のようなモノだ。拘るのも解る。解るが、他にも問題が有る」
「……問題が有るとは僕には思えない」
「そして僕は君と判断を異にする。退学部分の実効性は脇に置いておくとしようか。結局、この辺りは個人的な見解に過ぎない。曲がりなりにも魔法大臣であるコーネリウス・ファッジ、或いは魔法法の専門家であれば上手く処理してのけるかもしれないしな」
専門性の要求される論点であって、僕も断言する所までは行かない。
「もっと解りやすい観点から行こう。教育令第二十四号自体に問題は無いとする。つまりこれまで僕が言った事は無視して良い。またハリー・ポッター達が防衛術クラブを結成したのも事実だとしよう。さて、君は一体どうやって彼等を退学にする?」
「そりゃあ決まっている。あいつらが集団で呪文を撃ち合っている所を押さえて――」
「――
机上に頬杖を突き、彼を見上げながら問う。
彼は即座に反論しようとし、暫く口を開け閉めした後、最終的には閉じた。
一応質問を投げた側として、許可申請書の不備や誤字を杖で訂正しつつ待ってはいた。しかし一向に答えが返ってこないので、僕の方から予測を口にする。
「校庭で呪文を撃ち合えば人目に付く。必然、高等尋問官に通報する人間が現れるのは避けられない。城内の場合、
要するに、と羊皮紙を捲りながら続けた。
「一回で終わる集まりならまだしも、継続的なクラブ活動なんぞ不可能だ。なれば当然、教育令第二十四号の適用の話は出て来ないし、ハリー・ポッターの退学も叶わない」
「し、しかし他の誰にもバレないような場所が何処かにあるかもしれないだろう? そこでポッター達が自習をやっているのを突き止めれば、違反になるんじゃないか?」
「それは否定できない。場所の心当たりも幾つか有る」
「……本当か?」
「ああ」
「言え」
「例えば、秘密の部屋」
サラザール・スリザリンの隠し部屋。
「あの校長が蛇の亡骸と共に封印したと聞いてはいるが、それが真実かどうかを知る者は居ない。第一、彼は部屋の入口が何処かも秘密のままにしたからな」
ハリー・ポッターが賢者の石を防衛した事は〝秘密〟にした癖に、つくづく気に入らない。今の僕は入口を知っているとしても、その思いは変わらない。
「しかしハリー・ポッター達は当然知っている筈で、
「――っ。あいつらは神聖な部屋を呪文の訓練場として使うのか!?」
「既に
彼等の行動を捕捉する為の面倒さを想像すると、憂鬱にしかならない。忍びの地図などという反則的な魔法具は、僕達の手元には存在しないのだ。
「更に付け加えて言えば、こんな奇抜な真似をする必要などない。もっと簡明かつ効果的な場所というのも存在している。スリザリン生の立ち入りの許されない場所というのが、この城内には誰にも明らかな形で在るだろう?」
ドラコ・マルフォイは顎に手を当てて少しの間難しい顔をしていたが、愕然とした表情を浮かべた所を見ると、どうやら解答に辿り着いたらしい。
「……まさか」
「気付いたか。そう、グリフィンドールの塔内だよ」
あの場所もまた、一種の聖域である。
「談話室や寮室の中に在る机や椅子、ベット等の一切を片付けてしまえば、多少狭くはあるものの、少人数が交代交代で呪文を撃ち合う程度の事は可能だ。君達が無理矢理立入って検査出来なくもないが、自分達の縄張りなのだ。幾らでも偽装や言い訳は利かせられる」
「……寮内で呪文を撃ち合うなんてのは、マクゴナガルなら許さないんじゃないか?」
「去年までは間違いないが、今年は微妙だ。ドローレス・アンブリッジの授業に憂慮はしているだろうし、生徒の成績向上に協力するのは教授の務めでもある。最近ウィーズリーの双子達が巻き起こしている怪現象よりは、失神呪文が飛び交う方が平和だと判断するかもしれない」
ミネルバ・マクゴナガル教授の気性からしても、ドローレス・アンブリッジは御嫌いだろう。
また忘れてはならないが、あの教授もまたグリフィンドールだ。
原則的に風紀と秩序の維持を図りはするものの、心の奥底に獅子の精神を有している事は、一年生のハリー・ポッターをクィディッチ代表にした事に良く表れている。必要と有れば紳士協定――しかし入学許可証に『
「そして彼女が問題視するにしても、それは呪文を撃ち合う部分だけ。談話室であの
「でも、教育令第二十四号が言うには──」
「――君の指摘したい事は解るが、それは叶わない」
先回りして、ドラコ・マルフォイの口を塞ぐ。
「正しくは可能だが、現状の高等尋問官殿の権力では足りない」
法が本質的にどんなモノであるかを理解していれば、そんな解釈は出来ない。
「君は想像力を働かせなければならない。あの教育令第二十四号は、どのような場合に適用されなそうに見えるか。頭が真っ当な振りをして執行するなら如何なる制約が付きそうか。それを考えれば、アレを
そこまで説明して漸く、ドラコ・マルフォイは反論を諦めたようだった。
「そこで黙り込めるのなら、君は君が思う以上に賢い」
「……嫌味か」
「本心だとも」
マルフォイ家の教育が出来過ぎていたのだろう。
理屈立てて説明さえすれば、良くも悪くも彼は呑んでくれる。そしてこの場合の良くも悪くもという部分は、やはり悪い面の方が大きいのだろう。正当派の貴族足らんとするならば、そんな事は知った事は無いと見苦しく執着すべき場面かもしれない。
「グリフィンドールに限らず、他の寮でも変わらない。寮の中で組織活動を行っている限り、現実的には取り締まれない。言ってみれば、あの教育令第二十四号が効力を持つのは、公共空間である寮外だけでしかないのだ」
全方位から嫌われている高等尋問官殿では、期待される法執行を為し得ない。
「敢えて先程は言及しなかったが、拘らないなら校長の力を借りる手もある。彼の変身術の腕前をもってすれば、城内に、或いは校外のホグズミードに特別な部屋を増設する程度はやれる。ホグズミードへの抜け道がホグワーツ内に存在する事は、一昨年ハリー・ポッターが証明してくれたようなものだしな。そこまでやられたらもう捕まえる術は無い」
彼がそこまでやる可能性は低いとは思う。彼は今のハリー・ポッターに関わりたがらないだろうという以上に、〝
しかしながら、ドローレス・アンブリッジが校内で好き勝手するのを看過するのもまた、〝
「繰り返すが、現状は気が進まない」
〝生き残った男の子〟の秘密結社を見逃す事は、僕の利に成り得る。
その秘めたる打算を無視したとしても、見えてる面倒事に首を突っ込みたいとは思えない。
「ハリー・ポッターが〝集会〟を開く事はまず間違いないと言って良い。しかし、その集会がどんな形態となるか、つまり『学生による組織』等として省令違反となるかは解らない。仮に違反となるモノが出来たとしても、摘発出来るかどうかというのは全く不透明。それにも拘わらず、彼等を退学させようとして校内を駆けずり回るなんぞ御免だ」
「……僕が君に命令したら、どうだ?」
「従いはする」
徹底抗戦する気力までは湧いて来ない。
「しかし今年の優先順位は明らかで、宿題等の〝本業〟の片手間に探すだけだ。成果も期待するなとは予告しておく。そして仮に君が自ら動いて違法な秘密結社を捜索しようとした場合、僕としても最終手段を取らせて貰う。つまり、君の父君や母君に御伺いを立てる」
「それは……ズルいだろう」
「已むを得んさ。上が諫言を容れないのなら、更に上に訴えるしかない」
余り望ましくはないが、共倒れになる事こそ最悪の不忠だろう。
「勿論、僕はあくまで御伺いを立てるだけだ。そして別に君の側から御伺いを立てても構わない。君の両親がハリー・ポッターの退学計画に賛同したなら――〝上〟の命令が下るならば、それは何よりも優先される。君の望みも叶い得る。……が、やはり期待し過ぎるな」
試して損はしないのも確かである。
けれども、それでも展開が予測出来る身として釘は刺しておく。
「今年からは常に、自身の行動は
この戦争に直接影響を及ぼす類の行動ではない。
「ハリー・ポッターの退学が以降の布石となるなら画策する気にもなるが、残念ながら、その手の嵌める計画は何も思い付かんしな」
「……本気で思い付かないのか?」
「ああ」
多少投げ遣りに答えはしたが、それでもその答えだけは、彼の目を見て言った。
「今の所ハリー・ポッターの居場所は常に把握出来ているし、彼は大人が二十四時間警備している部屋に軟禁されてもいない。しかし彼を退学にしてしまえばそれらが反転する。彼をホグワーツ城の護りから出す事は出来るので、単に状況が悪くなるだけとも言わないが」
退学になれば城から出ていかなければならない以上、外部への移送中に襲撃する機会を得られるのだ――と言いたい所だが、その場合に警護に就くのはどうせあの大魔法使いである。何なら非合法のポートキーで一度何処かに移動し、更に姿眩まし等で別場所に護送する位はやれるだろう。それを捕捉するのは、闇の帝王の力をもってしても難題そうだ。
そうして結局、ルシウス・マルフォイ氏の〝意向〟に帰って来る。
「今年の君の最優先は学生生活を滞りなく送る事、特にO.W.L.試験を大過なく終える事だ」
「――――」
「君の人生はハリー・ポッターがホグワーツに居たままでも台無しにならないが、君が試験に大失敗でもすればその限りでは無い。問題無く科目をパスした人間達から君は一生馬鹿にされる羽目になるし、君の将来の伴侶も馬鹿と結婚したと言われ続ける。それで良いのか?」
専門課程試験であるN.E.W.T.と違い、O.W.L.は落とす為の試験では無い。
真っ当にホグワーツで勉強していれば
無論、〝純血〟の全てが勉強を得意とする訳でも無く、〝純血〟達の家業の才能とテストの点数は比例しない。だからO.W.L.の
一応O.W.L.の試験というのは個人成績が広く公開されるものではない。しかし、それでも試験をパス出来ない程の落第者となると、自然と周りに
「……そ、それは良くないが。しかし、僕の成績的には問題無いだろう?」
「現状の成績はこのまま勉強を続けたらという指標でしかない。君が遊んでいる間に他の生徒は勉強するのだぞ。それとも君は今直ぐO.W.L.を受けてもパスする自信が有るのか?」
当然ながら、生徒にO.W.L.を落として欲しいと思っているホグワーツ教授もまた居ない。
今年の授業は殆どが試験対策を念頭に行われるもので、第一学年から第四学年の授業のどれかを一年間だけ真面目に受けないのとは価値が異なる。
「ただでさえ君にはクィディッチが有る。今年もそれを続ける事を、ナルシッサ・マルフォイ夫人から何と言われたか忘れたか? 僕は当然君を擁護したし、ルシウス・マルフォイ氏も君の選択を支持されていた。けれども、この陰謀は違う。仮に成功したとしても、単に君が一時の満足を得て終わる物でしかない」
何の未来にも繋がらない行為に、時間を費やす意味は無い。
「これが去年か来年であったのなら、渋々であれ、君の命令を受け容れた事だろう」
去年は代表選手以外なら割と暇だったし、来年も時間割上は、今年より余裕が出来る。
最終的に徒労に終わろうとも、彼の意向を最大限叶えるよう動く事に異存は無かった。ドローレス・アンブリッジの目論見通りに踊ってやってよかった。
「しかし今年は駄目だ。少なくとも、今の状況では容認出来ない。ドローレス・アンブリッジの読書会にハリー・ポッター達が付き合わされ、かつ寮外の行動についても一定の制約を受け続ける。君はその程度の成果でもって満足するしかないのだ」
断固とした意思を籠めて言い切り、そこで会話が途切れる。
ドラコ・マルフォイは暫く口を閉ざしたままで、僕も同様であった。
その内、僕は許可申請書の山を一通り崩し終わった。
後はスリザリン生に幾つかの質問をして申請書内の不備を補充し、今日の内に高等尋問官殿のチェックを受けた上で、彼女に指摘された部分についても更なる修正を施すだけである。思っていたよりも楽な仕事だったと、机の上で羊皮紙を揃える。
その頃になって漸く、彼は口を開いた。
「状況が変われば良いんだろ?」
「――――」
視線を上げる。
彼は何時の間にか立ち上がり、最初の時より更に身を乗り出して、僕を見下ろしていた。
「君は細かく限定をしていた。現状では、とか。今の状況、とか」
「まあそうだ。何らかの事情変更が有ればその限りでは無い。既に挙げた闇の帝王の許可はその最たる例だ。君が相応の理由を持ってきたのなら反対する道理も無い」
ハリー・ポッターをホグワーツに留める事は、今の僕にとって利益と成り得る。
しかし逆に彼を追放する事に大きな利益が生じるならば、もしくはその追放行為自体に正当性が認められるのであれば、取り立ててドラコ・マルフォイの希望に抵抗する気も無い。〝生き残った男の子〟が本気で戦争に取り組む状況を用意出来るなら、それはそれで歓迎出来る。
「ならば
淡い灰色の瞳をじっと見つめる。
しかし彼は視線を逸らさない。その様子を暫く眺めた後、僕は答えた。
「――その場合は勿論、君の希望通りにしよう」
・教育令第二十四号に基づく高等尋問官令の文面
『学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどは、ここにすべて解散される。組織、団体、チーム、グループ、クラブとは、定例的に三人以上の生徒が集まるものと、ここに定義する。再結成の許可は、高等尋問官(アンブリッジ教授)に願い出ることができる。
学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブは、高等尋問官への届出と承認なしに存在してはならない。組織、団体、チーム、グループ、クラブで、高等尋問官の承認なきものを結成し、またはそれに属することが判明した生徒は退校処分とする。』(五巻・第十七章)
・クィディッチの危機管理体制
シリウスによる太った婦人切り裂き事件の後、『あなたとチームメンバーだけがピッチに出ているのは、あまりに危険』『誰か先生に付き添っていただければより安心です。フーチ先生に練習の監督をしていただきましょう』(三巻・第九章)という台詞が存在するあたり、教師が監視しているかは割と怪しい。
・ホグワーツ高等尋問官令、教育令、魔法省令
それらについて作中では〝order of the high inquisitor〟〝educational decree〟〝order of the ministry of magic〟と異なる表現をしているのは少し気になる部分である。前述の教育令第二十四号にしても、あくまでタイトルは『ホグワーツ高等尋問官令』であって、『以上は、教育令第二十四号に則ったもの』という書きぶりがなされている。
なお、高等尋問官令の署名押印はアンブリッジ、一方でアンブリッジを校長とした魔法省令の署名押印はファッジによってなされている為、少なくとも高等尋問官令と魔法省令の間に関しては、手続的にも明確な区別が見て取れる。
本作においては色々と面倒な為、それらの一切について、議会の議決を経ない、魔法省(ファッジ)の意思のみで出せる命令程度の扱いで殆ど一括りに扱っている。
・ウィゼンガモット
原作中には裁判所の場面しか出て来ないものの、公式には〝functions as a combination of court and parliament〟( Wizarding Worldの『Order of Merlin』)と定義されており、ウィゼンガモットは立法府と司法府の複合体である。
ウィザーディングワールドにおいて言及される法令の名称は、Act(マグル保護法)だったりlegislation(反狼人法)だったりCode(杖の使用規則)だったりBan(実験的繁殖禁止)だったりするが、ウィゼンガモットが立法権限を有すると看做すのであれば、これらの一部或いは全てをウィゼンガモットが制定したと考える事になる。
一方で未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令はdecreeなので、この法令は五巻の内容を前提とする限り魔法省主導。
尚、ウィゼンガモットを構成する人間がどのように選出されるかは、公式からのアナウンスが存在しない。現実の英国では非公選の(そして議員に世襲貴族を含む)貴族院が存在するので、選挙によって選ばれていないパターンも有り得る。
・立法府の中に在った司法府
ウィゼンガモットが議会と裁判所の両方の機能を兼ねている点に関しては、現実の英国をモチーフにしていると考えれば左程不思議ではない。
以前の英国においては、最高裁判所の機能は貴族院の中に置かれていた。
勿論それは訴訟事件に関与する人間と法律を議決をする人間がイコールで有ったという意味ではなく、1876年の上訴管轄法以降は内部的には独立して職務を遂行していた。つまり形式的には同じ組織が立法権と司法権の両方を握っているように見えても、実質的には分離していたのである。勿論、これが法律家なら兎も角、一般の英国国民に周知が為されていたかは別の話であるのだが。
しかし、権力分立を気取るならやっぱり形式的にも分離しているべきでしょと欧州人権裁判所やEUから駄目出しされた(当時はEU加盟国で有ったので)結果、2009年に最高裁判所が新たに設立され、現在に至っている。
・ダンブルドアの魔法
どういう呪文か明らかにされてはいないものの、彼はケンタウルスであるフィレンツェの授業の為に、禁じられた森に似た環境を持つ部屋を用意している。
またフィレンツェは単に手を降ろすだけで部屋を暗く変え、生徒が星の観察を出来るようにしているが、これがケンタウルスの魔法なのか、それともダンブルドアが部屋の機能として付けたものなのかは不明である。
・O.W.L.の難易度・取扱い等
作中の劣等生代表のネビルも変身術において可を取っている(呪文学は良。魔法薬学の成績は不明)辺り、真面目に勉強すれば合格点を取れるレベルのテストに見える。但し大抵のN.E.W.T.クラスは良以上を必要としており、実際にネビルは変身術の受講継続をマクゴナガルから却下されているから、専門課程に進む気なら相応の努力が必要のようである。
O.W.L.を落とした場合の取扱いについては、作中では明らかではない。
スネイプとマルフォイが『おまえがクラッブとゴイルに
進路等に関わらないなら悪い成績のまま甘受する事も可能らしいが(ハリーは一年からの魔法史、そして三年からの占い学の計二科目を落としているが、再受験はしていない)、しかしクラッブ達ですらO.W.L.を受けはしている――つまりテスト放棄をしていない事からすると、そもそも一回目を受けないという選択肢は純血達にすらないように見える。
モデルにし得る現行の英国のGCSEにしても、義務教育終了時に受ける学位認定テストという扱いで、進学のみならず就職時にも必要とされる場合がある。
ちなみにパスとされる成績の割合は、コロナ下の直近二年を除いた十年間程は、概ねエントリー数の70%弱あたりで推移していたらしい。但し、1995年時点では53%、不死鳥の騎士団出版の前年である2002年は約58%だったようである。