この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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三話目。


教育原理

 闇の魔術に対する防衛術教授。

 その地位に就く者が〝犯人〟であったのは、これまでの四年間の中で二人。確率で言えば二分の一である。しかし、ドローレス・アンブリッジはその確率を下げてくれるらしい。

 今年本気で警戒する必要が有るのは今の所、闇の帝王と繋がっているハリー・ポッター本人だけ。彼女についてはやはり無視していいようだ。

 

 あの校長閣下も失望すらしているかもしれない。

 魔法省で高位を占める人間が、これ程までに己の敵に成り得ないとは。

 

「勿論、今のはあくまで仮定の話ですよ」

 

 俯いたままの彼女に視線を向けず、ピンク色の天井を見上げ、静かに言葉を紡ぐ。

 

「闇の帝王の復活は、一人の少年の大嘘である。それが魔法省の公式見解であり、スリザリンもそれを否定しない。故に当然ながら、あの校長や一人の少年を殺すという話にもならない。それらは平時の――平和な筈の時代の――法の下では重罪であり、文句無しのアズカバン行きですからね。〝正義〟の側の人間が為すべき行いではない」

「…………」

「それに、僕も現状、貴方に悪事を唆せる身分でも何でも無い。あの校長やハリー・ポッターを殺せる気はしませんし、試す気にもなりませんね。ええ、今の脱線は忘れて下さい。あくまで〝雑談〟です。そのような深刻な顔をされる程、大した意味など有りません」

 

 僕がハリー・ポッターを殺せたらどれだけ状況が解りやすくなることかと思うが──まあそれが不可能であると見透かしているが為に、アルバス・ダンブルドア校長は僕に多くを知らせているのだ。そうでなければ、僕もまたハリー・ポッターを排除する価値を過少評価しているだろうし、何をおいても排除すべき存在だと看做してはいないに違いない。

 

「それで、今回の本題の方──闇の魔術に対する防衛術の授業については如何なされます? 〝純血〟に対して意地を張り、スリザリンと全面戦争しますか? それとも、ここで救いの手を取り、穏便な形での解決を望みますか? 結局の所、全ては貴方の選択次第ですけれど」

 

 未だに答えて貰っていないので、明確に回答を促す。

 それでも即座に返って来る事はなかったが、しかし今度の沈黙はほんの数秒程。まるで考えてもみなかったという驚愕の反応を、高等尋問官殿は丸顔に浮かべた。

 

「……穏便な形での解決?」

「ええ。そもそも僕がここに居るのはその為ですよ」

 

 あくまでここには話し合いに来た。

 ドラコ・マルフォイに伝えた通りで、宣戦布告を伝える使者となった気は無かった。

 

「貴方の考えは見当違いも良い所でしたが、スリザリン側も大事にしたくないというのは確かな本音です。ドラコ・マルフォイ達にしても、ルシウス・マルフォイ氏達大人の意向としてもね。彼等が貴方を破滅させる事は簡単ですが、出来れば避けたいと誰もが思っている」

 

 〝上〟から降りて来た回答――彼女は闇の陣営に利益を齎すかもしれないという言葉を聞いてしまった以上、下請けの僕は尊重せざるを得ない。

 

「スリザリンが貴方へのサボタージュを決め込めば、まず間違いなく他の寮も追随する。単細胞のグリフィンドールも、成績大事なレイブンクローも、そして風見鶏のハッフルパフも。ホグワーツの全てが、貴方の授業を拒否する。僕達スリザリンがそれで大きく困るという事は有りませんが、可能であれば、そのような混乱が生じない方が望ましい」

 

 高等尋問官の権威が残る場合と、残らない場合。

 そのどちらが闇の陣営に利するか――あの校長か、ハリー・ポッターを始末する為に役立ち得るかを考えた場合は、やはり権威が残っていた方が都合が良い。

 

 死喰い人でホグワーツに入り込んでいる人材としてはスネイプ教授が居るのだが、そもそも彼がどちらの陣営に心を決めているかという以前、二重スパイという身分こそが教授の動き方に大きな制限を掛けている。彼は基本的に〝最後の一撃〟の為の駒であって、普段から使えるような駒では無い。彼を大々的に動かす際には常に騎士団追放と天秤に掛けねばならないから、やはり取り回しが悪いのだ。闇の陣営は安く、しかし価値有る駒を必要としている。

 

 ドローレス・アンブリッジの瞳が大きく揺れ、視線があちこちを忙しなく動いた。

 

「――そもそも僕は、何故貴方が〝教育〟を拒むのか解らない」

 

 復讐心も揺らいでいるらしい彼女を前に、予め用意していた駄目押しの疑問を紡ぐ。

 

「今の三人の寮監、つまりミネルバ・マクゴナガル教授、ポモーナ・スプラウト教授、フィリウス・フリットウイック教授。彼等はホグワーツに対するのと同程度、アルバス・ダンブルドア校長に敬意を払い、忠誠を誓っています。しかし一方で、スネイプ教授はそうではない」

 

 まあ忠誠を誓っていなくとも服従する場合は有るのだが、と内心で付け加える。

 それは無視してはならない重要な差異ではあるが、この場では蛇足だった。

 

「さて、高等尋問官。この差異は何処に在ると思います?」

「……。それは……セブルスがスリザリンであるからでは無いですか?」

「その答えを真正面から否定する事は流石に出来ませんが……まあ残念ながら、今回僕が期待した答えでは有りませんね」

 

 つまり、と指を立てながら続ける。

 

「アルバス・ダンブルドア校長は彼等を教えたからですよ」

 

 それが全てではないが、明確な差異はその点にこそ起因する。

 

「かつてアルバス・ダンブルドア校長は変身術、または闇の魔術に対する防衛術の教授だった。実際に当人達に聞いた訳では無いですが、先の三寮監が学生であった時期を考えれば、彼等があの校長の教え子である事は間違いないでしょう」

 

 特にミネルバ・マクゴナガル教授に対しては、校長――かつての教授は、単なる一教授と生徒の間柄を超えて魔法の指導を行っていた。その交流こそが、同じグリフィンドール生であったという以上に、二人を強い信頼で結び付けている。

 

「しかし、スネイプ寮監は違います。彼が生徒で在った時、既にアルバス・ダンブルドアは校長だった。校長と教授との兼職が絶対にないとは言いませんが、話を聞いていた限りは違うようです。特にあの頃は私兵組織(不死鳥の騎士団)を率いるのに忙しく、恐らく校長席を空けていた時間の方が多かった筈です」

 

 魔法戦争中に生徒達の指導を行える暇が存在するとは思えないし、それ以前にスネイプ教授はスリザリン寮生であり、しかも後に死喰い人となった側の人間である。あの校長は当時の教授の事を嫌っていたに違いなく、個人的に教える事も絶対に有り得ない。

 

「教えるという事は、生徒に影響力を残すという事だ。やりようによっては、そして相手によっては、その力は支配にすら届き得る程になるでしょう。たとえば、かつてのホラス・スラグホーン教授は――嗚呼、貴方も彼を御存知のようだ。ならば話は早い」

 

 苦々しい表情を一瞬見せた理由は、まあ聞くまでもなかろう。

 この女がスラグ・クラブとやらに招き入れられるなど、絶対に有り得なかった。

 

「残念ながら僕は御会いした事自体が無いですが、かの教授は優秀な生徒を見出し、育て、そして適切な地位に就けるのを得意としていたそうですね? そしてまた生徒側も、教授に対して恩義と感謝を忘れなかったと、僕はルシウス・マルフォイ氏本人から聞いています。そしてホラス・スラグホーン教授にそれを許したのは、彼が〝スラグホーン( 聖なる二十八 )〟だったからではなく、彼がホグワーツ教授だったからです」

 

 そして。

 

「貴方も今、ホグワーツ教授だ」

「――――」

 

 立場だけ見れば、同じ地位に在る。

 同じような影響力を生徒に及ぼし得る資格を持っている。

 

「更に、将来の事を御考えになったらどうです?」

「……将来、ですか?」

「ええ」

 

 小さな眼を最大限見開き、光明を見出したように顔を輝かせ始めた彼女に頷く。

 

「魔法大臣付上級次官。それより明確に上位に在るのは魔法大臣――選挙によって就くべき地位だけで、つまり省内の仕事振りによって更に出世するという事は望めない。省内で定期的な配置代えが有るかを僕は知りませんが、次の魔法大臣が上級次官の交代を望む事は有り得る」

「……貴方はコーネリウスを辞めさせようとしているのですか?」

「流石にそれは早とちりですよ」

 

 僕に辞めさせる権限は無いし、それ以前に、その価値自体を見出していない。

 

「五年後、十年後も魔法大臣が同じであるとは限らない。そんな一般論を言っているだけで、そしてその時もまだ、貴方は魔法省に居るのでは? 魔法省役人は魔法大臣個人でなく、あくまで省にこそ忠誠を誓うという建前ですしね。まあ、貴方が現魔法大臣以外の下では働きたくないという強固な信念を御持ちならば、僕の指摘は的外れになりますが――」

 

 沈みゆく泥船と運命を共にする程、殊勝な人間には思えない。

 

「――その際に適切な地位(ポスト)は有るでしょうか? 次期大臣の就任によって貴方が適当な部に左遷されるとして、その際貴方が〝純血〟達に嫌われているらしいという噂が流れれば、省内の人間達は貴方をどう扱うでしょうか? 一部門の部長という花道すら用意してくれず、貴方は役職も無い一役人に貶められるかもしれませんね」

 

 そして、彼女が省内部の人間から好かれているとは全く思えない。

 彼女を蹴落とす事が出来れば、代わりに高官の地位が一つ空く。躊躇う事は無いだろう。

 

「けれども逆に、貴方の助けになってくれる〝純血〟が居ればどうでしょう?」

「…………」

「ドラコ・マルフォイ達は確かに学生だ。しかし、それ以前に〝純血〟で、名家の未来の当主や夫人達でもある。彼等は既に力を持つ側の人間で、二年後にホグワーツを卒業してからは更に力を増す事になる。以降数十年、親から広範な人脈を引き継ぎ、魔法省に多大な寄付をし、政策に強い影響力を行使し続ける存在となるでしょう」

 

 〝純血〟は魔法省を軽蔑しきっているが、全く利用価値を見出していない訳では無く、彼等は自分の利益になる限りにおいて存続を許している。

 

「その彼等は今現在、貴方へ腹を立てている。しかも貴方は〝純血〟を侮るような態度を取ったと受け止められている。このまま行けば卒業後、彼等は〝マルフォイ〟や〝パーキンソン〟として、在学中の無礼の代価を貴方に支払わせるべく、片手間に貴方の失脚計画を取り計らうよう指示するでしょうが――」

 

 そして間違いなく、そうなる一歩寸前まで今回行ったのだが。

 

「──今ならば誤解で済みます」

「ご、誤解?」

「ええ。誤解です。貴方は時期を見計らう必要が有るとだけ言った。少なくとも言葉の上では、貴方は彼等の要求を完全に却下した訳では無く、要らぬ言質は与えてなどいない」

 

 ドローレス・アンブリッジは不用意な真似をしたが。

 それでも最低限の保身をするだけの頭を持っていたのは、御互いにとって救いだった。

 

「そしてドラコ・マルフォイ達の不満は、二時間も無意味な授業を受けさせられる事に、それも何時まで続けさせられるか解らない事に起因するものです。つまり、その部分さえ解消されれは、彼等は引き下がれる余地がある」

 

 血が絡んだが為に多少ややこしい事態にはなったが、根幹はやはり単純なのである。

 

「確かにO.W.L試験の成績は〝純血〟の進路を左程左右しませんが、それは彼等にとって無価値だという事を意味しない。家の名誉、個人的な尊敬や忠誠、結婚相手の体面。彼等が良い成績を収める事は周囲から求められており、貴方がその一助となる事が出来たのならば――」

「――聖二十八族が私に力を貸してくれると?」

「それは僕の一存ではどうにも出来ず、彼等が決める事です。これからの貴方の教え方次第、それこそ良い成績を取るのに役立つかどうかで決まる事でしょう。しかし何れにしても、このまま対立を続けるよりも遥かに希望が持てる。そう思いませんか?」

「…………」

 

 ドローレス・アンブリッジは考え込んでいる。

 しかし、考えている時点で既に結論が出ているような物だ。

 

 復讐の為に子供の要望を一蹴し続けるつもりであった彼女が、今や一生徒の話に耳を傾け、この取引に応じる事が己の利益に繋がるかを検討している。絶対的上位者足らんとする事を忘れ、半純血である僕の下まで降りて来て、僕の背後に居る〝純血〟を仰ぎ見始めている。

 

 初めから、この結論は決まっていた。

 彼女が半純血である以上、やはりスリザリンの血の宿痾からは逃れられない。

 

「わ、私が教えると言えば――」

「――ん?」

 

 絞り出すように紡がれた言葉に首を傾げる。

 

「マルフォイ家の御坊ちゃま達が引き下がる事を……御互いの間に何も無かったとする事を、()()()保証してくれますか?」

「……嗚呼、僕が交渉役として信用ならないと言う事ですか?」

「い、いえ……。そんな事は……」

「まあ、もっともな話だと思いますよ」

 

 何故か彼女は一瞬で身を小さく縮めたが、そう理由無く怯える必要性など一切ない。非常に妥当かつ筋の通った指摘で、僕にとっての急所を突いている。

 

「彼等〝純血〟が直々に交渉に来る事なく、僕を寄越してみせた理由の一つ。それは、半純血である僕であれば後腐れ無く切り捨てられるからです。その理屈を推し進めれば確かに、終わった後に全てを反故にするという事も有り得る」

 

 本当に、この部分を問題視されたら弱いのだ。

 

 この交渉は一応スリザリンの同意を得ている。が、ドローレス・アンブリッジはそれを知り得ない。確認や保証の為に今すぐドラコ・マルフォイを呼べという話が出るかもしれないし、その場合、彼をどうやって宥めるかは中々の悩み所だ。

 二度も半純血の下に足を運ばされるのを許容するかは彼等(〝純血〟)の矜持的に微妙な線で、かと言ってその逆、ドローレス・アンブリッジが今スリザリン寮に来るのは目立ち過ぎる。

 

 彼女が僕の言葉だけでは足りないと主張するのであれば、やはりドラコ・マルフォイを説得しなければならず、そして寮内の反発も抑え込む必要が有った。或る意味で、ここからが僕の手腕を問われる山場と言えるかもしれない。

 

「ただ、そこは信じて貰うしかありませんね。言葉にしか出来ませんが、貴方が教授として相応しい限りは、僕も最大限貴方の為に力を貸す。その旨を杖に誓いましょう」

 

 言葉を淡々と紡ぎながらも、内心では、さてこれからどうするかと悩みつつ――しかしながら、今度の彼女は僕を待たせなかった。

 

「……今回御互いに不幸な行き違いが生じました」

「――――!」

「しかし、全ては()()ですわ。スリザリン生を教えないなどという事は有りません。()()()()、明日からは貴方がたを教えるつもりです」

「――それは何よりだ」

 

 予想外のあっさりとした敗北宣言に、一瞬虚を突かれてしまった。

 だが楽に済むに越した事は無く、暫くの間視線を合わせても嘘であるとは読み取れない。

 そしてパンジー・パーキンソン達は兎も角、少なくともドラコ・マルフォイは、この結末を引っ繰り返したり、更にゴネて譲歩を勝ち取ろうとするような人間ではない。求められた仕事は完遂出来たと言っていいだろう。

 まあ何故ここまで素直になったかは気になりはしたものの、丁寧な説得により道理を解ってくれたのだろう。蒸し返す必要も無いだろうと、さっさと話を具体的な内容へと進める。

 

「ではこれ以降、貴方が教授らしく振舞う事に期待しますが、どのような形で貴方が教えるかというのは――後程改めて僕から伝えに来ましょうか」

「…………」

「ここで僕達が全てを決めてしまうより、彼等に決めさせた方が円滑に進みそうだ。他寮への対応も考える必要が有りますし、失敗の責任も分担出来ますしね。何より僕も具体的な中身は何も聞いていない。勿論、貴方から異論が有るならば伺いますけれど」

「……有りません」

「結構」

 

 軽く頷いた後、椅子から立ち上がる。

 漸く慣れて来たピンク一色の部屋を半分程横切り、言い忘れていたと振り返る。何時の間にか項垂れているドローレス・アンブリッジに対し、一言声を掛けた。

 

「……嗚呼、そうだ。貴方が彼等に対して過剰に謝罪したり、媚び諂う必要はありません」

 

 勝敗は決し、スリザリン(純血と非純血)の秩序は取り戻された。

 それでもホグワーツ(魔法族全て)の秩序を考えるならば、この点は強調しておかねばならない。

 

「言葉不足だった部分、貴方の側に全ての否が存在していた点については明確にしておくべきです。しかし、それ以上に己を彼等の下に置く必要は無い。貴方はやはり教授という地位に在り、僕達は生徒だ。その上下を崩し過ぎる事はホグワーツにとって望ましくない」

「――!? そ、それは……!」

 

 ドローレス・アンブリッジが勢いよく立ち上がる。

 椅子が倒れた音と衝撃はカーペットが吸収したものの、彼女が足を机にぶつけたらしい音は盛大に鳴った。しかしながら、彼女の表情の中に痛みは読み取れなかった。

 

「……何か問題が?」

「えっと……あの。それで……。いえ……」

「口籠らずに、はっきり言って頂きたいのですが」

「……マルフォイ家の御坊ちゃま達は、その事に気分を害するのではないですか?」

「まあ、間違いなくそうなるでしょうね。彼等は明確に貴方を下へと置こうと画策するでしょうし、それが叶わなければ色々と言ってくるでしょう」

 

 今回の問題は、〝純血〟達が闇の帝王の御機嫌伺いをしなければならなかった、また曲がりなりにもホグワーツに入り込む事に成功した彼女に対処しあぐねたからこそ起こったものだ。しかし、自分達が格下に舐められて黙っていられる訳が無いという点に変わりはない。

 今までのドローレス・アンブリッジの行動に対しては、ドラコ・マルフォイ達も相当な苛立ちを溜め込んでいた。帝王の手前、報復行動までは出来なくても、今回改めて序列が確認された以上、何らかの形で不満を解消しようとする可能性はある。

 

「しかし、その程度は僕の方で何とかしますよ」

 

 頭を下げて宥める苦労を思うと面倒だが、関わってしまった以上仕方が無い。

 そして殆ど全権を任されてしまったのだから、それを悪用する事に躊躇いも無い。

 

「理が有るのも貴方の方だ。ルシウス・マルフォイ氏達の要望は、出来る限り何も無かったようにする事です。それにも拘わらず、ドラコ・マルフォイ達が突然貴方を軽んじ、また貴方が唐突に彼等へと卑屈な態度を取り始める。そんな真似をすれば、グリフィンドール達からは何かあった事が見え見えでしょう?」

「――――」

「故に、貴方はこれまで通りで構わない。勿論、これは貴方が〝教授〟として相応しい仕事をする限りですけれどね。ドラコ・マルフォイ達がやはり貴方は役に立たないと判断し、排斥せざるを得ないと心を決めてしまったのならば、流石に僕もどうにも出来ない」

 

 結局は、この女性の仕事振り次第。

 僕が出来るのは、あくまで切っ掛けを作る所までである。

 

「仮に防衛術を教えられる自信が無いならば、全て自習の時間にする事を御勧めしますよ。その場合彼等の敬意を勝ち取れはしませんが、少なくとも悪い結果にはならないでしょう。その程度の事なら彼等も文句を言いはしません。生徒が自力で何とかするのが珍しくない位には、このホグワーツに無能な教授は多かったのですから」

 

 ドローレス・アンブリッジは呆けた表情をしたままだ。

 何か言いたい事が有るのかと少し待った後に紡がれたのは、誤解も甚だしい問いだった。

 

「……何故、そこまで私に良くしてくれるのです?」

「何も良くしているつもりは有りませんけどね」

 

 思わず失笑する。

 彼女に利益を与えたと思われるのも心外だ。

 僕がやったのも、単純にドローレス・アンブリッジの野望を挫き、ドラコ・マルフォイ達の希望を叶えただけである。結果を見れば〝純血〟の完勝に等しく、精々スタートラインに戻しただけの話で、今回の一連の騒動で彼女が得られたモノは何も無い。

 

「ただ、敢えて言うならば──」

 

 僕の立場は去年から、もしかしたら一年次から何も変わっていない。

 

「──スリザリンは同胞愛を重んじる。そして貴方もまたスリザリンでしょう?」

 

 また彼女は会話中一度も認めはしなかったが、それでも半純血(同族)だ。

 この程度の肩入れは、決して理に合わない事では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 後日談。

 

 ドローレス・アンブリッジによる闇の魔術に対する防衛術の授業は、少人数体制での個別授業という形で再出発を迎える事となった。

 

 具体的には四、五人がドローレス・アンブリッジの居る別室に呼ばれ、その人間達は呪文を実際に使った練習を行い、彼女による直接指導を受ける。そして一定時間後に別の集団と交代し、クラス全員の指導が終わるまでそれを繰り返す。その間、直接指導を受けない他の人間は、教室で本を読んでの自習らしい。他の授業のように全生徒が同時に呪文を唱えて練習を行うのは、()()の場合を考えれば、やはり難しいという判断だろう。

 

 まあ、どういう議論を経てそうなったかは知らない。

 授業形態を決めたのは〝純血〟達だ。重要事は上で決めるべきであり、下はただ単に指示に従うだけ――決定権は彼等にあるのに、どうして一々僕の意見を聞こうとするのか――である。まして始まる前に全てを決めて置かなければならない道理もないし、現実的には不可能であろう。実際に授業を行ってみれば、不都合や想定外の問題、詰めが甘かった箇所、思い通りに行かなかった部分が明らかになるのが目に見えている。

 

 そもそも既に計画には欠陥があるのだ。

 現状程度の取り決めだと、純血達は半純血の指導時間を削り、代わりに自らの指導時間を伸ばす事が可能である。もしかすれば意図したものなのかもれない。彼等に平等思想など期待し得ず、弱者を踏み躙る事など生まれた時から慣れ切っている。

 ただ、その程度のちゃちな悪巧みを止める気にもなれなかったし、その辺りは各クラス内で解決すべき事、場合によっては監督生達が介入して調整すべき内容だ。僕が最初から懸念し、指摘するまでの問題でも無かった。

 

 後、特筆すべき事があるとすれば、今回の一件――ドローレス・アンブリッジがスリザリンへ授業を行う事に関し、他寮への口外を禁止する旨の誓約書が作成された事か。

 

 これが非純血側から自発的に出た発想であったのは意外だったが、理屈を聞いてみれば納得が行った。彼等にしてみれば、不注意で秘密を漏らして呪いに掛かるより、寮の秘密を破ったのだと〝純血〟達から疑惑を持たれる方が恐ろしいらしい。〝純血〟達が賛同する筈も無いという指摘も――実際、ドラコ・マルフォイ達は誓約書への署名を拒否した。彼等の常識として、得体の知れない羊皮紙に署名するなど論外である――今回は問題とならなかったようだ。誓約書の呪いが自分達に降りかかっていないのならば、少なくとも、秘密を漏洩した容疑者から外れる事が出来るからである。

 思わず感心してしまう程の賢い防衛戦略であり、強制でないにも拘わらず最終的に非純血の殆ど全て、加えて()()どころか〝純血(聖なる二十八)〟の一部からも署名する人間が出たのだから、尤もらしい理屈として広く受け止められたようだ。

 

 一つ腑に落ちないとすれば、何故か僕が直々に羊皮紙に呪いを掛け、その紙の管理まで任される羽目になった点だが……まあ、〝純血〟側の人間を噛ませておきたいという打算と、そんな重要証拠を管理したくないという心情は一応解る。出来れば僕の胃痛も慮って欲しかったが、上級生達から頼まれれば僕に断る選択肢などなく、渋々受け容れざるを得なかった。

 

 もっとも、ここまでやったにも拘わらず肩透かしである可能性、つまりドローレス・アンブリッジが〝教授〟として不適格だという可能性は残っていた。

 

 今でこそ魔法省はホグワーツ成績優秀者を受け容れているが、彼女の時代もまたそうであったか知らないし、やはりテストの点数と教える能力は必ずしも比例しない。ドローレス・アンブリッジが学生時代優等生の部類だったとは聞いたものの、それを言えば、ギルデロイ・ロックハートとて学生時代は優秀な生徒だった。だから一抹の不安は残っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。彼女は思ったよりも教えるのが上手かった。

 

 他の学年の授業内容までは見れない以上何とも言えないが、少なくとも第五学年においては、彼女は自分の授業計画(カリキュラム)を受け容れさせる事に成功した。近年のO.W.L.の傾向、そして魔法試験局の今年の出題担当者の専門性を踏まえた上での授業という売り文句は――多少誇張などはあるにせよ――ドラコ・マルフォイ達〝純血〟、そしてその他の多くの生徒の心を捉えるには十分だったようだ。

 

 再出発一時間目、彼女が守護霊の呪文を使ってみせたのも良い方向に働いたのだろう。

 

 吸魂鬼を追い払う見目の良い呪文に惹かれる理由が僕には解らないが、魔法族にとっては一つの憧れらしい。ドローレス・アンブリッジは表面上平静を装ってはいたものの、生徒達が自分を見る眼が変わった事には気付いたようで、鼻高々な様子を隠し切れていなかった。

 その代償として守護霊の呪文を学びたいと宣い出した人間が現れたのは――それも二、三人ではない――誤算だったが、当該呪文はO.W.L.の範囲では無い。単に加点要素に過ぎない、それも練習した所で使えるようになるか解らない高度な呪文である。その修練に時間を費やす暇が有るのかと彼等に問うてやれば、渋々ながらも、授業中に教えを請う事は諦めたようだ。

 しかしながら、放課後ドラコ・マルフォイが何らかの呪文、それも銀色の靄が出る類の魔法を練習しているらしいという事は、僕の耳にも入ってきている。

 

 ともあれ、スリザリンは落ち着きを取り戻し、他の波乱も無く九月は過ぎていった。

 

 僕に生じた幾つかの問題――今回の件でスネイプ教授から一週間の罰則を喰らった事、何故か僕に対して相談事を持ち込む生徒が現れ始めた事、更には僕が何度もドローレス・アンブリッジの部屋を頻繁に訪れていたせいで、彼女が僕に恋愛感情を抱いているという噂が何処からか流れた事を除けば、酷く平和な一か月だった。


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