「……本当に協力は不要なんだな」
ドラコ・マルフォイが、うろうろと神経質に寮室内を歩き回る。
彼の後ろには珍しく、何時もの御伴の二人は居ない。ビンセント・クラッブとグレゴリー・ゴイルは、彼の命令によって部屋を追い出された。僕と同室である同級生達も同じだ。〝マルフォイ〟の威光は、この場においても滞りなく効力を発揮した。
とはいえ、今はドローレス・アンブリッジとの接触前なのだ。内緒話をしていると受け取られるような真似は慎むべきだと僕は進言したのだが、彼は断固として受け容れなかった。僕が思っていたよりも、彼は心配症な男だった。
「不要だ、と言っただろう」
ドラコ・マルフォイに、幾度目か解らない言葉を繰り返す。
己の声が酷くぞんざいだったのは已むを得まい。
「高等尋問官職は直接〝計画〟に関わるものではない。ルシウス・マルフォイ氏からそう返答が寄越された以上、結論は殆ど決まっているような物だ」
ドローレス・アンブリッジは闇の帝王にとって必須の駒では無い。今回万一彼女を破滅させる羽目になったとしても、大人達は責める気は無い。
そう判断が下された時点で、既に彼女に勝ち目など存在しない。
「後は、どういう形で収束させるかという違いでしかない。必須でないにしろ、可能な限り失脚させないのが望ましいという〝意見〟も付いて来ていたしな。この四年間ハリー・ポッターが引き起こしてくれた騒動を考えれば、ホグワーツに一人くらい便利な駒を置いておきたいという考えも理解出来る」
差し当たってはハロウィンが山場である。
ハリー・ポッターに纏わる大事件が四年連続で発生してきた呪われた日だ。その日に何も起きないのであれば、平穏無事なホグワーツに一歩前進出来ると言っても過言ではない。
逆に言えば、闇の陣営にとっては或る意味狙い目な日と言えるかもしれない。
「……別にそんな事はどうだって良いが。僕にも計画の中身を話す気も無いのか?」
「それもまた説明した。根本的には彼女と話し合いをするだけだ。何を話すつもりかは君も知らない方が良い。全てを打ち明けられるのも終わってからだ」
「…………」
こんな事を一々主君から言い出される場合、普通ならば僕が信頼されていない証であると考えるべきなのかもしれない。
だが、残念ながら僕は開心術士だ。僕に対する不信の色は、ドラコ・マルフォイの眼に見て取れない。夏休暇中に思い知るようになったが、彼も大概面倒な性格をしているようだった。
「セオドール・ノットやパンジー・パーキンソン達も納得していただろう? 僕への積極的な協力をしない代わり、僕が為す事を黙認はするとな。まあ予め中身を話しておかない事には多少難色を示したが、それでも多少計画を仄めかせば、僕の方に理が有ると最後には受け容れてくれた。思ったよりも円滑に物事が進んだのも助かったな。あれは良い誤算だった」
内容を秘したままというのは絶対に揉めると思っていたのだが、そうはならなかった。
ドラコ・マルフォイが信用されている事もあるのだろうが、内容を知る事で自分が余計な責任を負うのを避けたという面もあるのかもしれない。そして彼等〝純血〟が責任を追及するのは、別に僕が無様に失敗してからでも遅くないのだ。
「もっとも、既に僕が何をするか薄々察している人間はそれなりに居たがな。彼等も立場上、実家の暗部を見る機会が今までにあったのかもしれない。君達貴族の習性からすれば当然で――とは言え、ここまで渋る位だ。君には殆ど見当が付いていないようだが」
「……悪いか」
「そうだな。僕が口出し出来る事では無いが、ルシウス・マルフォイ氏は過保護に過ぎるとは思っている。この手の汚れ仕事について知らない振りするのもまた上位者の仕事だ」
学生時代にルシウス・マルフォイ氏がスネイプ教授を欲し、また夏休暇中、僕に対して氏が好意的な態度を示し続けたのも納得だった。
ビンセント・クラッブやグレゴリー・ゴイル。
あの取り巻き二人は、ドラコ・マルフォイにとって扱いにく過ぎる。
彼等の頭が宜しくないという話ではない。大駒過ぎて取り回しが悪いという話である。
如何に今最も権勢を持つ家が〝マルフォイ〟であるとはいえ、階級としては対等である以上、彼等に一々雑務や面倒事を押し付けるのは角が立つ。特に捨て駒として理不尽に責任を押し付けるような真似は、決して許されない。そうしてしまえば最後、彼等の実家を丸ごと敵にしてしまうからだ。必然、この手の失敗するかもしれない仕事を任せる事も出来ない。
翻って、使う駒が半純血の場合、そんな面倒事を考えなくても良い。
貸しを作って支配するのに苦労もせず、切り捨てる際に心が痛む事も無く、一度反抗的な態度を示せば簡単に潰す事が出来る。徹頭徹尾便利屋として使い倒せば良く、話の通じない相手の下――失敗が想定される交渉にも、何の憂いなく送り込む事が可能だった。
「……靴を作る仕事は、靴屋に任せるのが一番良いというやつか」
「そういう事だな」
昨日の僕の台詞の引用。
彼がその含意を真に理解しているかは、今の所不明だ。
「……だが、君は自分で理解しているのか?」
「――何をだ?」
笑みを噛み殺しつつ問い掛ければ、ドラコ・マルフォイは僕から視線を逸らす。
うろうろ部屋を歩き回るのも完全に止めている。言葉を紡ぐ彼は僕に対して背を向けており、それは何時ぞやの彼の父君を思い出させるような態度だった。
「君は昨日言ったな。ドローレス・アンブリッジはファッジと違って半純血であり、そして持たざる者だと。だから、本来ならば僕達でどうにでもなる相手だと」
「確かに言いはした。実際、その筈だった。普通の相手であれば、君達が話を付けに行った時点で終わっていた事だろう」
今回の事例は、あくまで例外的なもの。
例外的だからこそ、こうして揉めているのだと言えるのかもしれないが。
「〝マルフォイ〟だろうと〝パーキンソン〟だろうと、或いは〝クラッブ〟や〝ゴイル〟だろうと、君達は支配力を――権力と権威を持つ側だ。どんなに少なく見積もってもホグワーツと同程度の古さを持つ歴史。君達の先祖が代々築き上げてきた人脈と財貨。君達は生まれた瞬間からそれらを持ち、故に君達は強者で、上位者だ」
そしてアンブリッジは持たぬ側である。
非純血は
僕が成功しようと失敗しようと、彼女の末路はそう変動しない。仮に僕が介入しなかったとしても、闇の帝王による聖断が下された以上、ドラコ・マルフォイ達の最終的な勝利は決まり切っていた。
「なら――」
「……なら?」
「半純血なのに好き勝手やっている人間は何なんだ? 聖二十八族と比べて力を持たない筈なのに、僕達が──僕がどうにも出来ない奴が居る」
「あの校長やハリー・ポッターの事を言っているのか?」
或いは、我等が未来の主君である闇の帝王の事か。
問いに対して、ドラコ・マルフォイは何も答えなかった。背を向けているから、彼の心どころか、表情を読むのすら不可能だった。
「……まあ一言で言えば、彼等がそれだけ強いからだろう」
「…………」
「杖腕、魔法力、呪文や魔法薬等に関する創造性と発明力。魔法使いとして求められる要素の殆どにおいて、彼等は秀でている。如何なる肩書を持っているか、如何なる血統であるかなど関係無い。仮に彼等が俗世から離れ、隠遁生活を送っていたとしても何も変わらない。彼等は単純に個として強過ぎるのだ」
非魔法界の言葉で言えば、
「突き詰めて言えば、彼等一人の好意を得る事が利益となり、逆に敵対する事が不利益に成り得てしまう。君も良く知る通り、スリザリンに所属する聖二十八族とて一枚岩では無い。彼等のような超人に何処かの一家が気に入られ、反対に他の一家が嫌われた場合、即座に力の不均衡や序列の変化が生じ得る。そして、それはスリザリン以外でも同じだ。彼等は如何なる勢力も無碍に出来ない存在であり、だからこそ好き勝手に振る舞える」
ただ一人で勢力図を書き換えられ得る怪物達。彼等はそうであるが故に、古い血を引く家であっても、その他の誰にとっても無視出来ない力を持っている。
「……なら、ポッターはどうなんだ」
「まあ、彼の事は非常に難しいな。アレを強いというのは憚られる」
先の二人とは明確に違う。
「客観的に見れば、彼は弱者だ。既にポッター家の血は汚染され、両親の死を機に家の人脈は吹き飛び、ハリー・ポッター個人もあくまで普通の才能ある魔法使い止まり。財貨に関しては祖父の代の成功で相応に有るようだが、それでも君達には遥かに及ばない。本来の理屈で言えば、〝純血〟が気に留める相手でも無い」
僕達の世代の最重要人物。四寮の全てから動向を注目され、校内の王たる資格を認められる唯一の存在は、本来ならドラコ・マルフォイの筈だった。
〝生き残った男の子〟という大例外が生まれさえしなければ、間違いなくそうなっていた。
「しかしそれでも彼を特別たらしめる理由を挙げるとすれば――それは〝幻想〟だろう」
少しだけ迷い、適切な言葉を探した果てに、そう口にする。
「得体の知れなさ、その裏返しとしての期待の大きさと言い変えても良いかもしれない。強弱や上下、常識や論理を無視し、この人間ならば不可能を為し得ると思わせるだけの無形の力。これを権威や権力、実力等の何処に位置付けるかは悩ましいが、兎も角、ハリー・ポッターにはそれだけの力が有る。正しくは、持っているのだと大勢から看做されている」
順当に階位を昇った人間が英雄と呼ばれる事は無い。
どんなに偉くなろうと所詮は王や貴族、大将軍や大政治家止まり。
ただ唯一、人を超えて奇跡を成し遂げた者のみが英雄と呼ばれ、歴史に名を刻み得る。
「あの二人と違い、彼が持つ幻想は自分の物ではない。それは闇の帝王に由来するものだ。故に、本来の実力より不相応に巨大な幻想を背負っているという評価も可能である。というより、それが正確な見立てだろう。だから何処かの大魔法使いの行動も一定程度理解出来るし、当然ながらドラコ・マルフォイ、君が不愉快に思う気持ちにも理解を示せる」
〝生き残った男の子〟。
その称号が過剰に評価されている事を、僕は良く知っている。
一歳のハリー・ポッターが生き残ったのは、リリー・エバンズの愛の魔法の御蔭。
そしてそれ以降に彼が命を繋いできたのは、運に恵まれたという以上に、彼が闇の帝王の力を受け継いだ分霊箱――双子の芯の奇跡も、彼等が近しい存在となって居なければ有り得なかった可能性が高い――であるという要素が大きい。
「だから君がハリー・ポッターに勝ちたいと思うのならば、話は単純。その〝幻想〟を打ち崩してやる事だ。どうすれば良いかも明快と言って良い」
「……そんな手段が有るのか」
「有るとも。
――ドラコ・マルフォイ。
その提案に、〝純血〟の子息は震えた。
政治ごっこは終わりらしい。耐え切れなくなったように勢いよく振り返り、同時に僕が予想していたよりも激烈な拒絶反応を示した。
「!? ししし、正気で言っているのか!?」
「僕はまったくの正気だ」
真正面から、瞳孔が大きく開いた灰色の眼を見据える。
こんな事を冗談で口にはしない。
「御互い未だに死の呪文を使えぬ身では有るが、それでも上手く呪文を利用すれば、人一人を始末する事は簡単だ。僕達が行使するのは夢に満ちた、幻想的で清らかな力などではない。
ハリー・ポッターは闇の帝王に勝てるかもしれない。
そんな疑惑や期待こそが彼に〝幻想〟を与えている訳で、彼が同級生に殺される程度の存在に過ぎなかったと証明されたのならば、ハリー・ポッターは単に運が良かっただけの少年に成り下がる。
そしてまた、彼に代わりドラコ・マルフォイこそが、新たな〝幻想〟を背負う人間となる。
「……て、帝王はポッターを殺したがっているんじゃないのか?」
「だろうな。だが、僕としては無視可能な類の指示だと思っている」
どんなに不合理な内容だろうと、独裁者の命令に背く事は基本的に死を意味する。
しかしながらこの件に関しては、まず間違いなく許しを得られるだろうという確信も有る。
「そもそも冷静に考えて、偉大なる帝王がハリー・ポッターに拘るべき理由が有るのか? 彼は校長とは違う。並外れた幸運を持っているだけで、平均よりは優秀なだけの人間だ。なれば代わりに殺す事を申し出て、主君の手間を省く事こそが真の臣下ではないのか?」
帝王本人が殺したいというのは所詮臣下への建前に過ぎない。
まあ自分が殺せぬ者を殺した魔法使いの誕生――己より〝特別〟な人間の出現を忌避するという考えも帝王には当然有るだろう。だが、正直言って杞憂だ。
半純血でありながら、〝純血〟達に頭を垂れさせた魔法使い。ゲラート・グリンデルバルトを真正面から打ち破った人間に、敗北の可能性を想像させる程の魔法使い。そして前代未聞の魂の複数分割を成し遂げ、肉体の消滅を経ても蘇ってみせた、史上最悪と呼ばれる魔法使い。
一体どれだけの人間が、彼と同じ事を出来るというのか。
あの校長を殺しただけで今世紀で最も偉大な魔法使いに成り代われないのと同様、ハリー・ポッターを殺しただけで闇の帝王を超える事など出来ない。
「しかも君は〝マルフォイ〟だ。他の有象無象ならいざ知らず、君を簡単に殺す事は帝王とて出来ない。ハリー・ポッターを殺す事にしても、評価されることはあれ、死を賜る筋合いはない。彼を殺した事による褒章を拒否し、真なる忠誠を抱く者として当然の行為をしたまでだと主張したのならば、帝王は寛大さをもって君を迎えてくれるに違いない」
「だ、ダンブルドアが──」
「――あの老人は生徒を殺せんよ。彼はホグワーツ校長の名誉を捨てられない」
多少の期待は抱かなくもない。
我が子とも思えるハリー・ポッターを殺した相手に、激昂と共に復讐する事を。アリアナ・ダンブルドアを喪って以来の、普通の人間らしい熱量を取り戻す事を。
だが、彼には無理だろう。
「そして殺されないならば、後から幾らでも帳尻を合わせる事は可能だ。アズカバンは遠からず破られる。吸魂鬼の管理が杜撰である事は、ハリー・ポッターの一件によって暴露された。現状以上の警備の強化もコーネリウス・ファッジが許すまい。何より帝王に忠実な死喰い人が未だあそこに居る以上、彼は本気でアズカバンを攻略しようとするだろう。既に帝王の支配下であっても驚かんし、来たる騒ぎに紛れて逃げる事も不可能ではない」
――そこまでしてハリー・ポッターを超えたいなら、協力するのも吝かではないが?
「……き。き、君はポッターを殺す事を何とも思わないのか?」
「何も思わない訳では無いが、君がやると決めれば協力はするとも。君は僕の主であり、君が力を付ける事は、僕にとっても利益だ。反対する理由は無い」
ハリー・ポッターとドラコ・マルフォイ。
魔法界を進歩させる人間が何れで有るかに、左程の拘りはない。そして方法論としては、合法より非合法の方が遥かに都合が良い。人体実験をしてこそ得られる成果も多いだろう。
「但し、僕が助力出来るとしても御膳立てをする所まで。最後に手を穢す部分だけは、他ならぬ君の手でやって貰う必要が有る。僕が彼を殺してしまえば意味が無くな──」
「――解った。もう十分だ」
その声に嫌悪を隠さず、ドラコ・マルフォイは僕の言葉を遮った。
俯いてしまった彼は、僕に瞳を覗かせなかった。
「得体の知れなさ、か。確かにその通りだ」
「…………」
「色々言ってやりたいと思っていたが、今更
「そうか。君がそう言うならば従うまでだ」
一応頷きはしたものの、更に何かを聞かれる物だと思っていた。
けれども彼は全てを棚上げして、僕の口を封じる事を選択したようだった。事実、それは正しい。ハリー・ポッターを殺す気が無いなら、架空の計画を掘り下げる意味も無い。
「だから、僕は今の事だけ言っておく」
「今?」
「アンブリッジの事だ」
嗚呼、そうかと僕は頷く。
再度顔を上げた彼の瞳からは動揺が消え失せており、ただ親身な色だけがあった。
「あれだけの人間の前で大口を叩いてみせたんだ。失敗は絶対に許されない。君が万一アンブリッジへの対処を失敗した場合、〝純血〟は君を罰さなければ――矜持を懸けて叩き潰さなければならないし、僕もまた、これまでのように庇う事は出来なくなる」
「…………」
「良いか、君が少しでも真っ当であるつもりなら、僕の忠告を改めて心に刻め」
闇の魔術に対する防衛術教授の部屋は、この四年間常に個性的だった。
けれども、あれらの部屋に対して個性的という言葉を使ったのが間違いだと思える程、このピンク一色の部屋は個性的──いや、そうでも無いか。やはりギルデロイ・ロックハートの部屋は、これと良い勝負をしていたと言って良い。とはいえ、ドローレス・アンブリッジの方も一方的に負けていないと言えるのは確実だ。
そんな部屋の主と僕は机を間に置く形で向かい合わせに座っていたのだが、会話を始めて五分も経てば、真っ当な話合いをする気力を喪うには十分だった。
「私も本意では有りませんわ。しかし、ダメです。ダメなのです」
彼女はニタニタと頬を緩め、甘ったるい口調で言ってのける。
相談に来たという僕を彼女は快く──少なくとも表面上は──部屋に受け容れたのだが、僕の用件など最初から予想していたのだろう。彼女の僕への説諭は、嫌に粘っこく、比喩に満ちていて、内容が無い部分も多かったが、それでも生徒の要望に対する拒絶という指針には一切の揺らぎが無かった。
「マルフォイ家の御坊ちゃま達が来た時にも伝えた筈ですが、今年の指導内容は魔法省の決定です。残念ながら、私の一存で大きく変えられる事ではないのです」
チッチッチと、ずんぐりとした人差し指を小さく振る。
「確かにスリザリンの学習は全体的に進んでいるようですけど、だからと言って基礎を蔑ろにして良いという事にはならないでしょう? 確かに最初は無味乾燥に思えるかもしれません。しかし勉強とは往々にしてそのような面が有り、既に学んだと思える内容だとしても、更に学び直せば驚くような発見が有る物なのです」
「……つまり、僕達は未熟であるが故に、貴方がた大人の真意に気付けはしないと?」
「素晴らしい答えです」
スリザリンに点数は上げられませんが、と。
自分では慈愛に満ちていると思っているらしい笑みを浮かべつつ、彼女は頷いた。
「勿論、私は貴方がたの力になりたいと思っています。けれどもそれはまだ先の話です。スリザリンだけ贔屓し過ぎるのも良く有りませんし、ポッターやウィーズリー達のように、私への反抗心を隠さない人間も居ます。この状況でスリザリンだけに私が特別授業したとなれば──御互いに良くない事になる。その程度の事は想像が出来ませんか?」
「…………」
成程、ドラコ・マルフォイがあそこまで強く不可能だと言い張った理由が解った。
確かにコレは無理だ。
最初から生徒の話など聞く気が無い。生徒を見下し切っており、対等な存在とは認めていない。自分の持つ権力を存分に振るう事に愉悦を覚え、己の地位を確認する事に大きな満足感を抱いている。事前に想定していた通りの、酷い有様だった。
僕の想定していた範疇を、彼女は超えてくれなかった。
「──そうですか。良く解りました」
もう十分だ。
そんな思いを籠めて、説得を打ち切る。
相手が〝純血〟でなく半純血ならば変わるかもしれないという望みを抱いていたのが間違いだった。最初からスリザリン流の対応をすべきだったのだ。
「まあ、解ってくれましたか……! それは良かった!」
彼女は僕の言葉を降参と服従の言葉と受け取ったらしい。甘ったるい声と共に大袈裟に手を叩き合わせ、自身の頬へと当てる。一々少女めいた仕草をするのは幼少期にトラウマでも有るのだろうか。流石にそこまでは誰も知らなかったし、そして知りたいとも思わない。
「――ところで、僕が貴方と最初に御会いしたのは、夏休暇中の事でしたね」
交渉を始めようと、質問を投げかける。
それに対し、ドローレス・アンブリッジは短く太い首を傾げてみせた。
「……? それは確かにその通りです。私はコーネリウスから貴方を紹介された時の事を良く覚えていますよ。非常に見込みの有る生徒で、今年私の助けにもなってくれるだろうと」
「ええ、僕も記憶しています。そこまで大臣に評価されているとは思ってもみなかった――とは言いませんよ。大臣は
「……あの場?」
「大臣から何か聞いていないのですか?」
「…………何をです?」
「たった一度しか会っていない生徒を、魔法大臣ともあろう方が記憶している理由ですよ」
淡々と告げた言葉に、ドローレス・アンブリッジはギクリと表情を変えた。
「〝マルフォイ〟などの名家出身ならいざ知らず、半純血風情が大臣に拝謁する機会など早々無い。まして名前を記憶して頂く場合なんて非常に限られる。その事に貴方は疑問を抱き、大臣に探りを入れようとは思わなかったのですか?」
「き、聞いては居ませんね。コーネリウスは私に何も言いませんでした。コーネリウスが運良く貴方の事を覚えていただけで、私に伝える程では無いと考えたのでしょう」
「まあ、そうかもしれませんね」
否定をせずに、僕は頷く。
「大臣と御会いしたあの場には校長も居ましたが、既に今年の夏、彼が痴呆老人である事は明らかになりました。当時僕が何を言ったかは最早重要で無く、そもそも既に済んだ事ですしね。バーテミウス・クラウチ氏は死に、三校試合は終わったのですから」
「――――」
ドローレス・アンブリッジが居心地悪そうに身じろぎする。
今更ながらに自分が油断し切っていたかもしれない事に気付いたようである。視線を忙しく彷徨わせ、落ち着きなく自分の手を揉みしだいた後、僕のカップに視線を向けた。
「と、ところで、ミスター・レッ……スティーブン。紅茶の御代わりは如何――あら? ま、まったく飲んではいないでは有りませんか」
「ええ。去年の防衛術教授は一つの教えを残してくれました。貴方のような相手から差し出された飲み物に対し、僕は一体どのような対処を為すべきなのかと」
徐にローブから杖を抜く。
生徒が突然そんな行動に及ぶとは思わなかったらしい。ドローレス・アンブリッジは口をあんぐりと開けたまま、僕を制止しようともしなかった。
エバネスコ。
紡いだ呪文によって、一滴も口に入れなかった紅茶が消え失せる。メッセージは明確だった。
「さて、交渉に移りましょうか」
杖を仕舞いながら、唖然としている高等尋問官へ椅子上で姿勢を正す。
「貴方は今回ドラコ・マルフォイの命令に従わなかった。つまり、現在貴方はスリザリンを敵に回そうとしている訳ですが――」
「──どうしてそんな事になるのです?」
直ぐに笑顔を取り繕ってみせたのは、流石に魔法省で生き抜いてきただけ有る。
もっとも額にはピクピクと青筋が浮いており、顔に比べて不自然に小さい瞳には敵意と警戒心が浮かんでいる。僕の先制攻撃は、彼女の仮面に罅を入れる事くらいは出来たらしい。
「まさか寮への加点程度で好意を獲得出来ていたとでも? 確かにスネイプ教授はその手の真似をやっていますが、それだけで同じ敬意を獲得出来ると思われては教授も心外でしょう。現状、〝純血〟の貴方への敬意は零だ。いえ、マイナスでしょうか」
「……私は子供の間違いに寛容な教授であるつもりです。同じ寮のよしみも有ります。今すぐ謝るならば見なかった事にしてあげますよ」
「果たして見逃して貰う必要が有るのはどちらでしょうね?」
ドローレス・アンブリッジの眼に怯えが無いのは評価出来る点だった。
しかしながら、自分の地位に対する自惚れが現状を生んだ事を考えれば、彼女に対して少しばかり哀れみを抱かないでもなかった。
「〝純血〟は貴方に対して失望している。しかも貴方はドラコ・マルフォイ達の言葉、彼等の警告を真剣に受け止めなかった。それもあろうことか非常に無礼な形で追い返してしまった。これは致命的な失策と言って良い。最早貴方に味方するスリザリン生は校内に居らず、貴方の自己満足に丸二時間付き合いたいとも思いはしないでしょう」
──要するに。
「明日以降、貴方の授業を全スリザリンが欠席する。そんな事態が起こりかねませんが?」
ドローレス・アンブリッジの表情が凍った。
グリフィンドールの反抗ぐらいは彼女も予想はしていた筈だ。
スリザリンとの関係は千年以上前から悪いが、今のグリフィンドールには
しかし、彼女の足元──と信じ切っているだけだが──のスリザリンから、公然とした反抗が生じるとは思っても居なかったらしい。何とか動揺を鎮めようとしているが、彼女の顔からは笑顔が消え、瞳は動揺に震え、声は混乱を隠し切れていない。
「そ……それは、告発と受け取って良いのね?」
「告発? そんな話が有る訳無いでしょう」
頭が悪い問いをせせら笑う。
「貴方もスリザリン出身なら御理解頂けるでしょうが、僕達は同胞を容易く売らない。まあ絶対に、では無いのですが、少なくとも今回は違いますよ。そして僕は懸念を示しただけで、別に確たる未来を予言した訳でも無い」
そもそも吐いた言葉自体が大嘘だった。
彼女の授業の欠席を考えている人間はそれなりに居る筈だが、それがスリザリンの意思として統一されているという事はない。ドラコ・マルフォイも含め
明日以降もドローレス・アンブリッジの授業は通常通り行われ、そしてスリザリンも嫌々ながら参加する。寮内の意思は現状、そちらの方向で統一されている。
しかし、ドローレス・アンブリッジは知り得ない。
また、こうして疑念を持たされた以上、信じる事は出来ない。
「──っ。でも貴方は今、私の前で生徒達の叛乱を口にしました! 計画が無いのにそのような言葉を吐く筈が有りませんし、懸念に過ぎないというのは詭弁でしょう!」
「確かに詭弁では有りますね」
こんな理屈を通す世界は何処にも無いだろうと微笑む。
ドローレス・アンブリッジは漸く、僕を敵だと認識してくれたらしい。
屈辱に顔色をピンクに染める彼女の姿は、酷く無様で、滑稽で、そして幼く見える。
僕が彼女を舐め切っているという事も理解したのだろう。取り出された短い杖は、こちらに先を向けないものの、両手で堅く握りしめられている。またプルプルと震えながら敵意と激怒を露わにして険しい視線を向けてくるのだが――まあ、蛙に睨まれて怯む蛇は居ない。
「しかし逆に質問をしたいのですが、まさか高等尋問官殿は、全スリザリンから授業放棄される事が有り得ると御考えなのですか?」
「――――」
「公平に評価すれば、我等がスネイプ寮監も大概酷い教え方をしています。だが、それでも意図的に彼の授業を欠席する生徒は居ない。毎回手酷くやられているハリー・ポッターですら、欠席を考えなどしないでしょう。彼も今年O.W.L.試験を受ける身ですからね。スネイプ教授による板書の一文字一文字、そして減点混じりの指摘の一言一言が貴重な教えである。その事を理解する程度の頭は、流石の彼も持っている」
そして、と乗り出すように机の上に両肘を置き、指を組む。
高等尋問官はたじろいで、椅子と共に身体を大きく引いた。
「今御話を伺った限りでは、貴方は魔法省の指針に忠実に従った、非常に素晴らしい授業を御やりになっている筈だ。ならば、その授業を欠席しようとする人間自体が有り得ないのでは? 御自身で言われたように、学習の何たるかを理解出来ない数人が欠席する事は有り得るでしょう。しかし全スリザリンの欠席となると、常識的には考え難いと思いますが」
「す、スリザリンならば有り得るでしょう……! 私達の寮は一度純血が命令すれば――」
「――ここに居る僕は、半純血ですけどね」
ドローレス・アンブリッジが愕然とする。
今更、この場に居るのがドラコ・マルフォイでなく僕である理由を察したのか。
「全スリザリンの授業放棄が計画されている。『それは嘘です』。他ならぬスリザリン生の僕が、それも半純血風情が言うのだから間違いありません。僕は何も聞いていないし、命じられてもいない。仮に貴方が疑問を抱いているなら、今すぐ確認しても構いませんよ。しかし貴方がスリザリンの誰に問い詰めたとしても、叛乱の証拠など何も出ないでしょう」
実際そんな計画など無いのだから、当然の話である。
どんなにしつこく嗅ぎ回ろうとも、初めから無い物は見付ける事が出来ない。
「ただ、貴方が一々スリザリン生に問い詰めて回ったのならば、その行動もまた悪くないと考える人間が出るかもしれませんね。〝純血〟の誰かが命令してでは無く、貴方の被害妄想を受けて一人一人が考えた結果、己の意思でもって貴方の授業を放棄する。その結果として全スリザリンが欠席する事も有り得るかもしれない」
「……っ。そ、そんな不道徳な真似は絶対に許しません……!」
不道徳か。
高等尋問官殿のそれと、僕のそれは意味が違うらしい。
二重顎をプルプルと震わせて唸り声を上げる彼女を見ながら思う。
「私は魔法大臣付上級次官であり、高等尋問官であり、教授なのです! 今までのホグワーツ教授は貴方がたに甘かったようですが、私は厳正に対応します!」
「へえ。それで何をするのです?」
「決まっています! 当然そのような不届き者には罰則を──」
「──で、どうやって罰則を課すんです?」
顎を手の上に置きつつ、薄笑いと共に真摯に疑問を紡げば、彼女は再度停止した。
それも今度は先程より長かった。そして長いというのは歓迎出来る。それだけ思考を回せるという事は、これからの話が通じる可能性も期待し得るからだ。
「今の一連の無礼に対し、僕に罰則を科したいならばどうぞ御自由に。教授である貴方にはその権利が有る。けれども〝純血〟達と、それに自然と倣った全スリザリン。その全てが授業放棄を決め込んだ場合、貴方は彼等を止め得る手段を保有していない」
「────」
「ええ、勿論理屈上は可能です。今年の最後まで……残り八か月程ですか。それまで毎週毎週数百人の生徒に罰則を科すのは大変でしょうが、まあやろうと思えばやれない事も無い」
覚悟を決めてしまえば、物理的に不可能とまでは言えない。
「しかし思い出して頂きたいのですが、貴方の後援者の一人、ルシウス・マルフォイ氏の息子はO.W.L.試験受験者です。七年生の場合はN.E.W.T.試験を控えている。貴方が彼等に罰則を課した場合、その分だけ彼等の勉強時間が減る訳です。つまり貴方の行為で。貴方の責任で。他ならぬ貴方が元凶として、彼等から貴重な時間を奪う」
「お、可笑しな話でしょう……!あ、貴方は私の責任のように語りますが、それは授業をサボった者に対する当然の罰です! 私が責められる筋合いなど有りません!」
「普通ならばそうでしょう。しかし今回は普通ではない。重要なのは貴方の認識でも魔法省の判断でも社会からの評価でもない。唯一〝純血〟の審判こそが絶対であり、彼等が貴方のせいだと判定を下したのであれば、それは全て貴方のせいなのです」
「そんな馬鹿な話が通る訳が──!」
「
ドローレス・アンブリッジはとうとう、いや、やっとか。言葉を喪ってくれた。
〝純血〟は絶対だ。
ホグワーツ、特にスリザリン寮内において。
彼等の意向に反する行いは許されない。それが寮の根底に存在する基本原則だ。
「ドラコ・マルフォイ達を追い返したのは不味かった」
ただ御気持ちは解りますよと、顔面蒼白で震え始めた彼女に笑い掛ける。
「貴方の学生時代でも〝純血〟は絶対で、半純血風情が彼等の命令を拒否する事など有り得なかったでしょう。しかし、今や貴方は権力を――現在の魔法界で一応そう看做されている地位を得た。実際に多くの人間から傅かれ、遜られる身となった」
魔法大臣付上級次官。ウィゼンガモット評議員。
全体から見れば、十分
「そして貴方はホグワーツへと戻って来た。しかもホグワーツ教授として。何者でもない女学生であった、かつてとは違う。今の自分は〝純血〟より上だと自惚れるのも無理は無い。そして今回ドラコ・マルフォイ達の命令を拒絶した事で、上下関係が逆転したように貴方は感じたでしょう。数十年の悲願が叶ったといえる瞬間は、貴方にとって自分の正しさへの確信と、途方もない快感を齎すものであったに違いない」
それこそが、彼女がドラコ・マルフォイ達の望みを無碍にした理由の根幹。
怨恨と復讐。自分を軽んじ続けた純血達を〝正義〟の下に踏み躙る事は、彼女がホグワーツ在学時から見続けてきた夢であった。だからこそ彼女は、それがどんな惨劇を引き起こすかを理解していながらも我慢出来なかったし、途中で引き下がれもしなかった。
まあその手の憤慨や憎悪を抱いているのは、彼女に限った事では無い。
たかが魔法族の血を多く引いているだけで、家が長い歴史を持っているだけで、一体何が偉いというのか。寮内で彼等が王族のように振る舞うのは許せない――態度にまで表さずとも、内心でそう思っている半純血や〝マグル生まれ〟は、スリザリン内にそれなりの数が居る。学年が上がるにつれて……というより、僕の開心術士の力量が上がるにつれて、そう言った人間を良く見るようになった。だからドローレス・アンブリッジが半純血だと知った瞬間、僕には今回の事情と彼女の動機を把握する事が出来たのだった。
ドローレス・アンブリッジはわなわなと震え、瞳孔は大きく開いている。彼女の瞳の中には、狭く暗い部屋の中で一人泣いている少女が見える。
不当に奪われたのだ、と。
緑のローブを着た少女はそう喚いていた。
至極予想通りの光景で、僕自身、思う所が全く無い訳では無い。僕もまた半純血、その中でも最下級に位置する血の純度の人間であり、ドラコ・マルフォイの庇護を受けられなければそうなっていたかもしれない。
だが、それとこれとは話が別だ。
「本来の貴方ならば、こんな間の抜けた事をしなかった筈だ。第一次魔法戦争後の魔法省で生き残るには、並々ならぬ狡知と姦計が必要だった筈ですからね。しかしホグワーツに戻って来て、それを忘れてしまいましたか? 或いは、昔を否定したいと思いましたか? でも間違いだ。貴方はホグワーツにおいて持たざる者だ」
潜在的な敵対者を服従させる権威も。
顕在化した敵対者を屈服させる権力も。
その何れも、ドローレス・アンブリッジは持っていない。
「魔法大臣付上級次官。半純血や〝マグル生まれ〟ならその地位を有り難がるでしょうが、生粋の魔法族は違う。彼等は本質的に魔法省を軽んじている。一族の傍流や庶子が入省する時代にもなったので、過度に貶めもしないようですけどね。しかし本心では猿山の格付け程度にしか考えていないし、汗水垂らして日銭を稼ぐ貴方達を見下し切っている」
砂の家の肩書に〝純血〟は従わない。
それが自分の利益になるか、余程道理に適った指示でない限りは。
「出来たばかりで伝統も無い高等尋問官職も同様。ルシウス・マルフォイ氏達〝純血〟の支持が有って辛うじて成立しているような職に、スリザリン生は軽々しく頭を垂れない。そもそも偉そうに聞こえるだけで、生徒に対しては何の権限も持たない職だ。強制力を備えていない以上、従う義理はやはり無い」
教育改革としても半端な以上、自分達が支える意味も全く見出していない。
「そして唯一敬意を抱き得るホグワーツ教授にしても、その人間が無能で素質が無いとなれば、やはり軽んじる事を躊躇いはしない。寧ろそう在るべきなのですよ。四人の創始者に由来する
「……あ、貴方は生徒が教授に逆らう事を当然だと主張するのですか?」
僕の耳には生徒如きがというニュアンスに聞こえたが、言葉に出さなかっただけ上等だろう。けれども内心どう思っているかは明らかで、しかし彼女は半純血にも拘わらず、〝マグル〟世界の大学──ボローニャ等で如何なるせめぎ合いをやってきたのか知らないらしい。
「御忘れのようですが、ホグワーツ入学は義務で有りません」
その教育を是とするかは親の、そして生徒個人の意思に委ねられている。
「ここで行われているのは自由教育であり、相手に資格がないと考えるのであれば、黙って大人しく授業を受けてやる義理もない。寧ろその人間に教授としての資格が無いと判断すれば、その授業を拒否し、場合によっては学校から追放する方が余程理に適っている。と言っても、今のホグワーツ生はスリザリンも含め、牙を喪ってしまったようですが」
占い学では十数年間無能な教授が教え続け、ここ数年は闇の魔術に対する防衛術においてもほぼ同様だった。それ故にホグワーツ生は、無能な教授が校内に居続ける事に関して、或る意味で不自然さを抱かなくなってしまった。
更には現在の〝マグル〟界の常識の下では、教授や先生に反抗するのは望ましくない事で、大抵の場合は生徒の側に非があると看做される。
その結果、権威に容易く屈する生徒ばかりが生産されてしまった。
昔のホグワーツであれば、シビル・トレローニーにしても、ルビウス・ハグリッドにしても、早々に学校から追放されるか、教える事が出来なくなっていたに違いない。魔法族というのは元来、気に入らない処遇へ我慢出来る程に寛容な種では無いのだ。
「改めて断言しましょう。貴方は学生時代とは異なり、自分は権力と地位を得ているのだと御思いなのかもしれません。ですが、それは勘違いという物です。スリザリンは──〝純血〟は依然として貴方よりも格上で、力の序列は何も変わっていない」
不当に奪われた。
彼女は半純血であるが故に校内で権力を得られなかった、不遇な学生時代を過ごす羽目になったと考えており、一面においてその考えは正しい。
半純血はスリザリンの監督生になる事が出来ない。
成績や素行が寮内一位、それどころか学年一位であったとしても、
しかしながら、半純血でも
今のアルバス・ダンブルドア校長は当然純血主義者では無いし、前任のアーマンド・ディペット校長にしても、トム・マールヴォロ・リドルを当然のように首席にしている。そして監督生でなくとも首席になった生徒は、ジェームス・ポッターを始め数多く居る。世代の象徴として認められる程の人間ならば、校長によって必然のように首席に任命されるのだ。
仮にハーマイオニー・グレンジャーがスリザリンで、寮内の要件を理由に監督生に任命されない事が有ったとしても、六年間一貫して学年一位の成績――それも図抜けた成績――を取り続けたのならば、やはり当たり前のように首席に任命される事だろう。
けれども、ドローレス・アンブリッジは首席になっていない。
要はホグワーツにおける彼女の価値などその程度。
自己を過剰に評価し、悲劇の
「──では。あくまで仮定の話という前提で進めますが」
茶番だ。
そう伝わっている事を理解して尚、敢えての言葉を紡ぐ。
「全スリザリンが貴方の授業を欠席するなどの〝愚行〟に及んだ場合。別に貴方が対抗手段を持たない訳ではありません。生徒に叛逆する権利があるならば、貴方もまた叛逆を叩き潰す権利を有している。御互いを個として認めるならば、それが筋であり、平等だ」
まず一つは、既に述べた通り、罰則を下し続ける事ですと告げる。
彼女の闇の魔術に対する防衛術教授の地位は、ホグワーツ校長により承認された正当な物だ。保護者の抗議を聞き入れずに罰則を課す事は、別に非難される行いでは無い。
そして教授の解任権限は校長、理事会、今年の高等尋問官に在り、その全てがドローレス・アンブリッジの在職を支持するのであれば、外部に何と言われようと教授のままで居られる。
もっともドローレス・アンブリッジは知り得ないが、実の所、スリザリン生に対して満足に罰則を課す事は不可能である。
仮にそのような事態――僕の交渉が失敗した場合、先んじて全スリザリン生に対して罰則のスケジュールを入れて貰うよう、既にスネイプ教授へと頼んでいる。まあ丸々一年間の放課後全てを教授の罰則で埋める訳でも行かないので、彼女が罰則を課す時間も多少は残るだろうが、今考えている程に上手く事が運びはしないのは間違いない。
「他の一つはアルバス・ダンブルドア校長に頼る事。彼は校長職に基づき、生徒を退学する権限を有している。ホグワーツ教授を不当に困らせ、学内秩序を破壊する生徒は退学処分にせざるを得ない。そう脅されたのであれば、流石のスリザリン生も屈さざるを得ない。……もっともその道は、貴方があの校長に頭を下げる事を意味しますが」
その光景を想像したのか、高等尋問官は屈辱に歯を食い縛る。
「更なる一つはコーネリウス・ファッジ大臣に頼る事。建前に過ぎないとはいえ、彼は魔法界の頂点だ。その彼の御願いともなれば、やはりスリザリンは従う必要が有る。……ただ、未成年の子供すら満足に支配出来ない部下を大臣はどう思うでしょう? そして他の魔法省職員は、貴方の失態と能力不足を見逃してくれるでしょうかね?」
更に歯をきつく食い縛ったのは、彼女にとってそちらの方が嫌だからか。
魔法省は一枚岩などでは無いし、コーネリウス・ファッジとドローレス・アンブリッジも運命共同体などでは無い。まして出世競争相手である魔法省の同僚は、彼女にとって敵である。失態が大っぴらになってしまう事は、彼女の政治生命が危機に瀕する事を意味する。
「しかし、この三つの道の何れを選んだとしても、積年の恨みを晴らせるのは確実だ。強制的にスリザリン生を学習椅子へと座らせる事は出来る。全てが彼等の思い通りに行く事は無いのだと思い知らせる事も出来る」
「――――」
「貴方の戦う道は残っている。だから、そう暗い顔をする必要は無いんですよ。今までに得た全てを代償にしても尚、学生時代の報復の続行を望むのであれば、貴方は為すべき対処を粛々と為せば良い。僕に対してもこう言えば済む。〝たかが生徒風情が、私に逆らうな〟と」
僕は彼女の行いを否定しない。
彼女がそこまでの革命の闘士足らんとするならば、僕はそれを肯定する。
闇の帝王が堕ちて以降の時代の変化、〝マグル〟の平等思想に付いていけていない〝純血〟共の傲慢を叩き潰す事は、スリザリンの大部分から敵意を抱かれても、一部からは支持を受けられるだろう。魔法省こそが上位者なのだと道理を強いる事が出来たならば、今のスリザリンに、少なからず変化を齎す風と成り得るかもしれない。
また、そこまでの覚悟を決めてホグワーツでの権力確立を志向出来るならば、今は無用の長物でしかない高等尋問官職も金へと変わり、あの校長を永久に追い落とす事も期待出来る。彼が最も不得意とする相手は、そのような
……まあ彼女が意地を張った場合、それは僕の破滅も意味する。
元々失敗した場合にタダで済むとは思っていなかったものの、あれ程強くドラコ・マルフォイが警告してきたのだ。スリザリンから爪弾きにされるどころか、責任を取って退学する程度は覚悟すべきだろう。真っ当に魔法界で生きる道すらも閉ざされる可能性すら有り得る。
だが今この瞬間、それも一興だと思えている。
「――――」
暫く沈黙の時間が続いたので僕は視線を外し、壁に掛かっていた蒼い眼の猫のタペストリーを観察する事を始めた。多少時間を与える程度で覚悟を決めてくれるというのであれば、待つ事は何ら苦では無かった。
五分程度は待っただろうか。
部屋の中を観察するのに飽き始めた頃、漸くドローレス・アンブリッジは口を開いた。
「……貴方は、いえ、貴方達は良いのですか?」
「何か不都合でも?」
どんな反論が出て来るのかと見やれば、彼女は何故か自信を取り戻したようだった。
両生類らしい厭らしさを感じる、ニタニタとした笑い。落ち着きなくピョコビョコと上下に動く小さな身体。落ち着きなく揉みしだがれる、ふっくらとした手の動き。そして彼女の瞳は一瞬で失望を覚えてしまう程の、勘違いしきった色を浮かべていた。
「――っ。げ、現状の話です」
「現状とは?」
「ま、魔法省はポッターとダンブルドアの言葉を否定しています。彼等を嘘吐き扱いし、帝王の復活を否定しています。だから私達は貴方がたにとって味方――」
息を吐いた。
そこまでの意図は無かったが、ドローレス・アンブリッジは大きく身を震わせ、耳障りな主張を続ける事を止めてしまった。その表情は一瞬で蒼白に戻り、自信喪失し切っていて、しかし、非常に助かる反応で有ったのも事実だった。期待外れでしかない、馬鹿な主張で耳を汚したくもなかったからだ。
「闇の帝王の復活を否定しているのは魔法省、いえコーネリウス・ファッジ大臣の都合でしょう? 別にスリザリンが指示している訳では無いし、まして魔法大臣でも無い上級次官風情が決める事でも無い。勿論、貴方がコーネリウス・ファッジ大臣を説得出来るならば別ですが」
そして夏休暇中の彼の様子から判断する限り、不可能だとは解り切っている。
彼は権力欲に憑り付かれ、味方の引き留めに躍起であり、彼の意図に反する人間を許しはしまい。ドローレス・アンブリッジを切り捨てる事も、当然躊躇わないだろう。
「……っ。わ、私は貴方がたの利益となる行動を――」
「――そもそも貴方は魔法省、ひいては御自身の価値を過大評価しているのでは?」
僕は言える立場に無いと解っていても、それでも言わずには居られなかった。
「万が一、闇の帝王が復活しているという妄言が事実だとしましょう。で、貴方は何をしようとしているのです? 帝王が戦争に勝利する為に、一体何が出来るのです? 自分では頑張っているつもりという主張は、決して無能無策の免罪符にならない。結果こそが評価の全てであり、帝王が貴方を褒めてくれるとは限りませんが?」
ドローレス・アンブリッジが〝純血〟に媚びているつもりでも、ドラコ・マルフォイ達や、ルシウス・マルフォイ氏が彼女を大いに嫌っているように。
自分にとって都合の良い反応を他人が示してくれるとは限らない。
「そ、それは……! 私は今こうしてホグワーツに潜入しています……! ホグワーツ教授、そして高等尋問官の地位を有しています! その力をもってすれば――」
彼女の妄言を他所に、もう一度、僕はローブから杖を抜いた。
高等尋問官が大きくビクついたが、今度杖を向ける先はドアだ。マフリアート。既に習熟した呪文を唱え、魔法は正しく効力を発揮した。
「嗚呼、失礼。今掛けたのは盗聴防止の呪文です。ここまでする必要は無いかもしれませんが、それでも内容が内容だ。用心し過ぎる事も無いでしょう」
「……そ、それは構いませんが」
「その上で、ここだけの話として質問させて貰いますが」
クルクルと両手間で杖を投げ渡し、回しながら弄ぶ。
僕のその不作法を、彼女は最早止めようとはしなかった。
「──要するに、貴方がアルバス・ダンブルドアを殺してくれるという事ですか?」
「…………は?」
あんぐりと口を開けて驚愕を示してくれるが、非常に心外な反応だ。
何故この程度の話が出ただけで、一切考えもしなかったというような顔をするのか。
「嗚呼、これも仮定の話、闇の帝王が復活していたらという思考実験です。その場合、この魔法界は必然的に戦争状態に突入している事になる。つまり殺し殺されの世界であって、闇の陣営の目的も、当然あの校長をぶち殺してやる事の筈だ。彼を校長の座から引き摺り降ろすとか、彼の名誉を低下させるとか、そういう呑気な真似を計画しているのでは無い」
「────」
「それとも何ですか? 仮に闇の帝王が復活していたとしても、貴方はあの校長をホグワーツから追い出すだけで、後処理は全て帝王に
俯き震える小さな女性を前に、大きな溜息を繰り返す。
内心で闇の陣営に付きたいと考えている人間すら、こんなにも平和ボケしているのか。
少なくとも〝純血〟には――闇の帝王に着いたルシウス・マルフォイ氏にしても、その反対位置に立ったバーテミウス・クラウチ氏にしても、己の身を血で穢す覚悟が有ったのだが。
「……嗚呼、殺すのはハリー・ポッターの方でも構いませんよ」
「────っ」
息を飲む音と、引き攣ったままの表情に気付かない振りをして僕は続ける。
「この二週間程、貴方はハリー・ポッターに毎日罰則を科していたようですね? しかも、この部屋で、彼一人で。つまり誰にも知られる事無く、彼を己の好きに出来るだけの状況を獲得していた訳だ。また多少彼を挑発してやれば、今後も同様に獲得する事が出来るでしょう」
「…………」
「貴方がた教師は破れぬ誓いまでとは言わずとも、生徒を傷付けない旨の誓約を何らかの形で結んでいるでしょう。更にあの校長は間違いなく、ハリー・ポッターに特別な仕掛けを施している。彼を殺す事は、見掛け程、言う程に簡単な仕事ではない」
ハリー・ポッターは、彼が思う以上に手厚く護られ、監視されている。
「しかし、一切の不法侵入を許さない家が存在しないように、この世に絶対の契約や護りなど存在しない。あの校長が如何なる護りを施していようとも、彼を致命的に傷付ける為の抜け道は何処かに存在する筈で──今年度全てを費やし、それを探す努力をする気は御有りでしょうか?」
復活の材料として必要とされた去年と違い、ハリー・ポッターは殺せない相手ではない。
そうやって闇の帝王の勝利に貢献する気はあるのか。
己がアズカバンへ叩き込まれて尚、献身するだけの覚悟を有しているのか。
真正面から真剣な問いを投げ掛け、高等尋問官殿の表情を確認し、弄んでいた杖を再度ドアに向けて振った。マフリアートの護りは最早必要無かった。
ドローレス・アンブリッジ。
彼女に校長やハリー・ポッターを殺す度胸は無く、意気地も無かった。
両天秤を掛けるのはスリザリンとして悪いとも思わないが、それが出来るのは代替不能な者、二つの陣営に己を売り込めるだけの価値を持つ
高等尋問官にしても闇の魔術に対する防衛術教授にしても、彼女が居なくなれば別の人間が来て、後を引き継ぐだけ。魔法大臣付上級次官やウィゼンガモット評議員でも同様だ。彼女は幾らでも代わりの利く程度の価値しか持っていない。
今回の交渉に
教育令第二十三号は、教授の解職権限を高等尋問官に与えた。
それが意味するのは、アルバス・ダンブルドア校長を辞めさせる事が出来ずとも、ミネルバ・マクゴナガル教授を辞めさせるだけの権限は与えられているという事である。勿論、公正にやれば、ミネルバ・マクゴナガル教授の解職が妥当という判断になる訳が無いが、けれども、
ハリー・ポッターの裁判と同じだ。
権力を握る側が本気になれば不可能など殆ど無く、合法的に敵を破滅させる真似など幾らでも可能である。それが体制であり、権力の座なのだ。
やり過ぎれば当然チャールズ一世やマクシミリアン・ロベスピエールと同種の末路を辿る訳だが、既に魔法省はホグワーツ――そして今世紀で最も偉大な魔法使いに対して
しかしながら、ドローレス・アンブリッジは馬鹿正直に査察をやるだろう。
ミネルバ・マクゴナガル教授もポモーナ・スプラウト教授も、彼女の御嫌いであろう非人間の血が混じっているフィリウス・フリットウィック教授ですら、彼女は決してクビには出来ない。解雇出来るとすればルビウス・ハグリッドとシビル・トレローニーあたりの、大きな反発の起きず、当たり障りのない、自分よりも弱いと彼女が確信出来る人間だけだろう。
嗚呼、本当に。
アルバス・ダンブルドア校長は斯くも運に愛され、そして偉大である。
他の人間――死喰い人予備軍と呼べる人間をホグワーツに入れ、闇の魔術に対する防衛術教授及び高等尋問官に就けた場合、もっと酷い事態に発展した事だろう。
スリザリン生を意のままに動かし、生徒を経由して他寮の人間に片っ端から服従の呪文を掛け、ホグワーツ内で煽動と破壊活動に勤しみ、闇の帝王や死喰い人の校内への侵入を容易にする程度の事なら出来たかもしれなかった。
けれども、この女にそれ程大それた真似は出来ない。
彼女は〝正義〟――他人から正当性を認められる行為しか為し得ない。
出来る悪事は精々、一週間の内ほんの数時間の学習機会を生徒から奪い、またハリー・ポッターを言葉や罰則で嬲る程度の、酷く小さなものだけ。そして今後も
今年ホグワーツに已む無く入れる敵性勢力。
その人員としてドローレス・アンブリッジは一番望み得る種類の人間で、