この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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予定より遅くなりました。


自己実現欲求

 純血の作法に加え三つの呪文を教わるようになった事で僕の毎日は更に忙しい物となったが、それらも多少は格好がつくようになり、ホグワーツ入学後の四年間で最も〝空虚〟で有った夏休暇も漸く終わろうとしている。

 

 現状、世間で不吉な事が起こっているという事も無い。

 既に戦争が始まっているとは思えない程に穏やかで、そして毎年恒例行事で有る教科書購入の為に訪れたダイアゴン横丁では、相変わらず平和ボケした魔法族で溢れていた。(スリザリン)の制服を見かけた彼等が何か噂している姿はちょくちょく見かけるものの――去年のクリスマスの件のせいか、一方的に僕を見知っていて話し掛けてすらくる御気楽魔法使いもそれなりに居たのが解せないが――不安や疑念というよりは野次馬根性に満ちていて、あの校長達の主張を真面目に受け止めてはいなかった。

 

 何故このような奇妙な冷戦状態を保ち続けているのか。

 その理由を、僕はやはり知らない。

 

 あの校長から何とか聞きだしておけば良かったと多少思うものの、ただ彼が僕にその内容を告げなかったという事は、どう足掻いても彼が口を割る事は無かっただろう。

 ハリー・ポッターに関して多くの情報を僕に与えた事から考えるに、あの校長にも今年僕を都合良く動かしたい意図が有ったのだろうが――しかし明確な形で開示しなかった事から考えるに喫緊の対応が要求されるでも無さそうだし、僕が今持っている手札から考えても、闇の陣営が大人しくしている理由に思い当たりはしない。

 

 ルシウス・マルフォイ氏にも探りを入れたのだが、流石に回答は寄越されなかった。

 彼は良識の有る大人としての態度を保ち、子供には全く関わりの無い事だという立場を崩そうとしない――つまり、僕達は平和にホグワーツ生活を送っていれば良いのだと公言して憚らなかった。ドラコ・マルフォイは相当不満そうだったが、僕の方は逆に歓迎すべき事ではある。この四年間、ホグワーツこそが表舞台であり、主戦場であったような物である。それが避けられるとするならば、初めて平和な一年を期待出来るかもしれない。

 

 もっとも、開戦の時期もそう遠く無いだろう。

 今でこそコーネリウス・ファッジが頂点をやっているが、ハリー・ポッターの裁判で晒したあの政治手腕を見る限り、政権に居られる期間もそう長く無さそうだ。元々シリウス・ブラックの脱獄事件を境に彼の支持率は低空飛行であるし、最長でも七年ごとの選挙を要求する平時のルールに従うならば彼が魔法大臣で居られるのは残り二年程。後任も帝王の復活を否定してくれるとは限らないのだから、闇の陣営はそれを一つの目途に戦争準備を整えると考えるのが自然だろう。

 

 ともあれ、今年に限れば、例年よりも穏やかになるような予感は有った。

 シリウス・ブラックが脱獄していた一昨年や、三大魔法学校対抗試合という解りやすい面倒が予定されていた去年とは違う。今年は意識していなければ気を抜いてしまいかねない程で、翌日の始業日に向け自宅に戻って準備をしている最中、たった魔法を使えないだけの事に苛立ちを抱きすらした位だ。これまでの四年間何らそんな事を考えなどしなかったというのに、この夏休暇は何かと杖を振る事に慣れ過ぎていた。

 

 こんな事なら『君の不在中、君の家を管理する屋敷しもべ妖精を手配しようか』というルシウス・マルフォイ氏の申し出を受けておくべきだったかと思ったが、余り〝マルフォイ〟の現当主に借りを作るのも望ましい事ではない。彼もあっさり引き下がった事から断られるのを予期してはいたのだろう。そもそも氏が想像しているであろう以上に、我が自宅には〝純血〟に見られるべきでない物が多過ぎる。

 

 そんな中、予期せぬ客が来ないかという期待は多少有った。

 去年の夏は――三年の学期末に生じた僕達の蟠りは、思ってもみなかった彼女の来訪によって解消された。結果的にその仲直りは二か月程で破綻した訳だが、来たるホグワーツ始業日が憂鬱にならないで済んだのは確かで、今のような悩みを抱え続ける必要は無かったのだ。

 

 もっとも、都合の良過ぎる期待というのも承知している。

 自分が動こうとしないのに彼女の慈悲を望むのは余りに甘ったれた考えであり、そして僕がマルフォイ家にどっぷり関わるようになった現状では、非魔法界とはいえども、あの〝マグル生まれ〟の少女との接触は可能な限り避けるべきだった。

 

 それでも朝と呼べる時間が終わろうとする頃、ドアが叩かれた硬質な音を聞いた瞬間、僅かに胸が跳ねなかった訳では無い。たとえ裏切られると頭で考えていたとしても、去年度に何も無かったような関係に戻れる事を僕は夢想し──しかし、それは間違った形で裏切られた。

 

 嗚呼、去年度の蟠りの事を考えては居た。

 ……確かにそれはそうなのだが、それは彼女の方ではない。

 

「――フラー。何故、貴方がここに?」

「ふふふ。来てしまいました」

「……来てしまいましたではないんですよ、まったく」

 

 思わず額に手を当てる。

 

 僕の表情は決して好意的な代物では無かった筈である。

 学期末、ボーバトンとダームストラングがホグワーツを立ち去る日。僕が彼女に何を告げ、そしてどのような別れをしたかを思えば、彼女の来訪を心から喜べる筈も無い。

 それでも尚、もう会う事は無いと思っていたフラー・デラクール――外見上だけは上品な令嬢が如く、つばの広い帽子を被り、白いワンピースを着た美貌のクォーターヴィーラは、悪戯っ子のように輝く笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――清算、した筈だったのだ。

 

 あの日、僕はフラーとガブリエルに対して率直に思いを伝えた。

 純血主義の覇権を懸けて戦争が始まった以上、僕達はもう仲良くすべきではない。御互いの関係は、きっぱり断ち切っておくべきなのだと。別れを惜しみ、再会を約束しようとした彼女達に対して、永遠の別れの宣言をした。

 

 その時の言葉だけで理解が得られた訳では無い。

 彼女達の反応は芳しいものではなく、質の悪い何かの冗談の類だとすら思ったようで、後にデラクール姉妹達が送って来た文面がそれを明瞭に語っており――しかし僕は彼女達への返信の代わり、彼女達の両親宛てに事情を説明する手紙をふくろうに託した。その後はマルフォイ邸に滞在していた事も有ってか、僕に手紙が届く事は無かった。だから理解してくれたのだと思っていた。

 

 ただ、それでもフラーはここにいた。

 ここに居て、僕達の間で何も無かったかのように笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フラーに僕の住所を教え得る人間。

 それは最初から一人しか思い当たらない。

 

 実際、彼女は封蝋された手紙を携えて来たのだが、敢えて開きはしなかった。

 ミネルバ・マクゴナガル教授の名が裏書きされたソレの中には、どうせ御叱りの言葉が記されているのは解り切っている。少し御節介過ぎないかと思わないでも無いが、僕の良識と教授の良識、どちらが信頼出来るかも良く良く承知している。彼女の方が正しいに違いない。

 

 そして僕に追い返す気が無くなった事を目敏く見て取ったのだろう。

 それまでの不安を消し去ったフラーは招きの言葉を待とうとせず、僕を押し退けて家へと上がり込んだ。しかも無遠慮に家のあちこちを見回った上で、当然のようにアレコレと品評しだすオマケ付きである。

 予想より掃除されているけど細かい所は意外と行き届いていないとか、エントランスに飾ってある絵は趣味じゃないとか、ソファーはもっと柔らかい方が好きだとか、ベッドの方は割と好きになれるだとか、客間には花の一つでも生けておくべきだろうとか、何処の女主人かという位に言いたい放題だった。

 

 そして最終的に「まるで葬式中みたいな家ですね。私は全体的に好きでは有りませーん」と言い放った上で、僕を外へと連れ出した。

 

 丸二ヶ月会わなかった程度で懐かしく思える傍若無人な態度であったが、それでも僕が彼女の行動を止め切れなかったのは、その一切合切が去年良く見知った〝フラー・デラクール〟らしい物であり、そして何より、左程外れた批評でもないなと苦笑してしまったからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 強引に連れ出されたのは意外な事に非魔法界(ロンドン)だった。

 いや、彼女がローブ姿で無かったのを見て予想して然るべきではあったか。

 

「魔法使いなのに〝マグル〟の世界を歩く事に躊躇いはないのですか?」という質問に対し、フラーは「感性を磨くには見慣れない物を見るのが一番です。特に最近のマグルのファッションと香水の発展は特筆に値しまーす」と事もなげに答えた。実際、全く非魔法界の常識を知らない訳ではないようで、足取りに迷いは有ったものの危なげは無い。

 

 ヴィーラの血故か、外を出歩く事自体に余り慣れていなさそうでも有ったが、フラーが懸念であった不審な(魔法族的)行動に及ぶような事は全く無かった。二階建てバス(ダブルデッカー)地下鉄(チューブ)の支払いにまごつく素振りは見せず、街中でもぽつぽつ見掛けるようになった携帯電話(電波発信源)から露骨に距離を取ろうとする真似もしない。寧ろそれらの魔法界に存在しない品々について、己の妹にそうするようにあれこれと僕に教えようとする始末だった。

 

 ……まあそれはそれで不審では有ったのだが、彼女の好きなようにさせた。

 

 去年度あれだけ一緒に居たのだから、流石に彼女も僕の〝マグル趣味〟は多少知っている。

 だが、流石にホグワーツ内──少なからずスリザリンの眼が有る場所に居たのだ。その趣味の深度がどの程度の物なのかフラーは理解していなかったのだろう。ただ、彼女に好きにさせた一番の理由は、それが四年以上前の自分を何となく思い出させる行動で、自分でも懐かしく思えてしまったからに他ならない。

 

 フラーは僕を外に連れ出したものの、別に用事や目的地が有る訳ではないらしい。

 彼女は興味と好奇心の赴くままに、あちこちへと僕を引っ張り回した。ストリートに点在する服飾店や化粧品店群をひやかし、店先に山程食料品を積み上げた屋台が密集したマーケットで買い食いをし、かと思えば美術館に赴き真剣な顔で印象画を鑑賞し、そして運河に沿って散歩していれば傍に立ち並ぶ邸宅の善し悪しをあれこれと批評してみせるなど、本当に自由だった。

 

 その間彼女は一貫して楽しげで──そしてまあ、一時の事だとしても、僕の頭から戦争の事が消えていたのは、流石に認めざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

 映画館を出て、フラーは今見た内容と女優の演技について一通り酷評と自論を述べてみせた――つまりは割と満足の行くものだったようである――後、彼女は僕を遅めのアフタヌーンティーへと誘った。

 

 ストリート沿いに洒落た何軒かの店を何も見なかったように平然と通り過ぎ、最終的に迷いなく入ったのは、非常に意外な事に、華やかさとは程遠い古びた喫茶店だった。

 何故そこに決めたのか解らないが、どうも彼女には確たる基準が有ったらしい。解る事といえば、ストリートを望めるテラスの方に僕を引っ張っていった点からして、少なくとも外で紅茶を飲めるかどうかは必須だったのだという事くらいである。後は客で混雑していないのも有るだろうか。十程有るテラス席は二つしか埋まっていない。

 

 もっとも相変わらずフラーはフラーであり、テラス席に座るなりこの国の紅茶の味は余り好きでないと平然と言ってのけたのは流石だった。が、完全に言葉通りでも無さそうなのは表情が物語ってもいた。注文した紅茶を待っている間も、ティースタンドの中からケーキを物色している間も、やはり彼女は楽し気な様子のままであった。

 

 しかし、流石にもうそろそろ良いだろう。

 

「――ところで、何故貴方はこの国に居るのです?」

 

 付き合いで半分だけケーキを食べた僕に対し、僕から奪った半分に加えてケーキ三つをフラーが平らげた後。僕と彼女の美味しいの基準は相容れない――良くも悪くも彼女は舌が肥えすぎている――のを再確認した上で棚上げにしていた問いをぶつけてやれば、彼女は今日初めて笑顔を崩した。

 

 紅が引かれた唇を、フラーは不満で尖らせている。

 

(わたーし)のような美人とデートしてるのに、野暮な事を言うものではありませーん」

「野暮でも無粋でも構いませんが、何時までも聞かない訳でも行かないでしょうに」

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授への義理として、そして半ば罪滅ぼしとして、これまではフラーの望む通りにさせた。しかし、何時までもこうしても居られない。僕は彼女が今ここに居る理由を聞きだし、可能な限り早く、彼女が居るべき場所に帰らせるべきだった。

 

「そもそも学期末の事を忘れた訳では無いでしょう?」

「当然覚えていまーす。(ママン)達への手紙も読みまーしたね」

「ならば、僕の考えも十分伝わった筈です。そもそもそのような行動を取った身で何ですが、完全に貴方がたから愛想を尽かされたものだと思っていましたし」

「ですから、こうして再度仲良くしようとしているのではないですか。今なら指を絡める事も特別に許してあげまーす」

「……ですから、の前後が全く繋がっていませんよ」

 

 全く悪びれた素振りも無く、テーブルの上で指を絡めて来た彼女に溜息を吐く。

 その一拍後、自転車が倒れる派手な音や、人と人と衝突する音、男を詰る女性の怒声など多種多様な環境音が周りから生じた。それらの諸悪の根源が何事も無かったかのように平然としているのは、最早呆れるどころか感心してしまう。

 

 フラーもつくづく面倒な体質をしている物だ。

 この有様ならば、まともな恋愛一つ出来ないというのも確かに頷けてしまう。彼女の魅力は非魔法族・魔法族問わず男を狂わせる。ヴィーラは人と交わりその()を獲得した事によって、逆に事態を悪化させてしまったのかもしれない。

 

「……貴方も相変わらず動じませーんね」

 

 もっとも、僕が嘆息一つで済ませた事は御気に召さなかったらしい。

 学期中何度も繰り返された事象ではある。流石にフラーも呆れ交じりではあったものの、それはまた全く別の事であるらしく、その眉は確かに吊り上げられていた。

 

「決まった恋人の居る人間に魅力(チャーム)が通じないという事は稀に有りますが、そうでもない人がここまで完璧に抵抗してみせるのは本当に初めてでーす。貴方は絶対何処か可笑しいと思いまーす」

「発情期の猿じゃあるまいし、そう簡単に魅了される方が可笑しな話でしょう」

 

 まあ去年を振り返る限り、己にも全く通用しない訳でも無さそうではある。

 だが、その事実を漏らせば面倒な反応が返ってくるのは目に見えており、この手の誘惑が通じにくいのは事実である。四方八方より遠目から盗み見て来る同種の視線を、僕は今のフラーに向ける事は出来なかった。そして彼女はやはり不満そうだった。

 

「寧ろ、貴方がそれを解決する努力をしない方が問題なのでは? デラクール夫人はあれだけの美人であり、尚且つ貴方よりヴィーラの血が濃い訳でしょう。しかしそれでも貴方程に余計な虫が寄って来ないのは、やはり彼女には決まった夫が――無言で抓るのは止めません?」

「女性の前で他の女性を褒めるものではありませーん」

「……貴方の母親の事ですし、別に口説こうとしている訳ではないのは文脈から解る筈ですが」

 

 ほっそりとした女性の指でも、抓られれば流石に痛い。

 軽く指を払ってやれば、私は虫ではありませーんと抗議しつつ僕の手の甲を撫で、しかしそれで多少満足したのかあっさりと手を引いた。

 

「そもそも去年度、僕は明確に言った筈ですよ。貴方が僕にどんな関係性を望もうと、僕は恐らく応えられないと。貴方は僕に〝Ma Belle Fleur〟とでも呼んで欲しいのかもしれませんが、そのような優しい人間が欲しいというならば、貴方はさっさと他を当たるべきです」

「もう。私はそんな独創性のない陳腐な愛称で呼ばれたい訳ではありませーん。……で、でも、貴方がどうしてもというのなら受け容れても良いでーす」

「……でも、の前後がやはり繋がっていませんよ」

「…………貴方はピレネーの凍土より堅物でーす」

 

 更に頬を膨らませたが、しかし今度の彼女は楽しげである。

 そして、明らかに軽い調子を演じている素振りをして、フラーは言った。

 

「少し、調子を取り戻したようでーすね?」

「…………」

 

 僕が今まで出会った人間の中で、最も恐ろしい眼をするのは当然あの校長だ。

 しかしながら、彼女達は時に彼すら及ばないと思える程の、覗き込むだけで絶対的な敗北感を抱かせる類の色を瞳に浮かべる事がある。そして、フラーやガブリエル、またハーマイオニーが何れも女性であるのは、果たして偶然なのだろうか。

 

 フラーは徐に、肩から掛けていたミニバッグへと手を伸ばす。が、彼女の肩に手を掛ける事によって僕はそれを止めた。

 

 盗み聞きされたくも無いと考えて杖を取り出そうとしたのだろうが、魔法を使った隠蔽が必ずしも良い事とは限らない。もう一度周りを見るが、他の客達との距離は多少空いているし、ストリートにもそれなりに雑踏と喧騒が有る。魔法族の注意と〝マグル〟の注意、どちらをより引くべきでないかは明らかである。

 

 僕の意思が堅い事を見て取ったか、彼女は渋々手を引っ込め、改めて話始めた。

 

「本当は、あの日、私が今ここに居る理由を貴方に告げるつもりでーした」

「…………」

 

 理由を知らないのは貴方に責任が有る。

 彼女の瞳はそう雄弁に言っており、けれども僕にも言い分が存在していた。

 

「……事前に聞いてなかろうと何かが変わる訳でも有りませんよ」

 

 現状、僕はフラーを歓迎する気にはなれない。

 

「この魔法界は現在戦争状態。十数年前に多くの死者を産んだ反政府組織が暗躍し、今後更に大勢殺す企みをしている真っ最中な訳です。そんな場所に他国からわざわざ訪れているのですから、貴方にはさぞかし大層な理由が御有りなのでしょうね?」

 

 渋い顔で甘ったるい紅茶を啜りつつ問えば、フラーは案の定僕の方を見ていなかった。

 横顔から伺えるフラーの瞳は明らかに泳いでおり、先程とは違い、明確に僕と視線を合わせようとしていなかった。

 

「……えーと、その。何と言いまーすか」

「どうせ大した理由ではないのでしょう?」

「な、夏が明けてからは……グ、グリンゴッツ銀行で働くつもりでーす」

「…………はあ。で、何故?」

「え、英語が上手くなりたいと思ったからでーす」

 

 もう更なる溜息すら出ない。

 

 確かに公式窓口である魔法省が闇の帝王の復活を否定してはいるのだ。そんな惚けた理由で今この国を訪れる魔法族も、探せば何処かに居るかもしれない。

 

 しかし、彼女はあの場所に――あの時のホグワーツに居たのだ。本当の理由は別に存在するだろう、寧ろ存在していてくれと視線を向けるものの、フラーが頑なに僕の方を見ようとしない以上、真実を得る事は不可能のようだった。

 

「……去年あれだけ一緒に居たのです。僕が何を言いたいかは解るでしょう?」

「聞く耳は持ちませーん」

「英語が上手くなりたいという程度の理由でこれから戦火に包まれる国に来るとか正気ですか? しかもよりにもよってグリンゴッツ、闇の帝王が何れ潰すであろう場所に? 貴方の本国が英語を見下しがちであるとはいえ、それでも学ぶ場は有るでしょうに」

「……聞く耳持たないと言った筈でーす。そして貴方に指図される筋合いも無いでーす」

「確かにその通りでは有りますが。けれどもデラクール夫妻は何と言って居ました?」

「私は既に成人しているのでーすよ……!」

「物には限度という物が有るでしょう」

 

 そしてこれは、家族を持つ者が個人で決め得る範疇を超えている。

 

「デラクール夫妻もセドリック・ディゴリーが帰って来た場に居ました。最後の課題の日に彼等が貴方の応援に来た事は当然僕も知ってますし、ガブリエルもあの別れの日まで留まっていた訳ですからね。まず間違いなく、夫妻からは大反対を受けた筈ですが」

 

 夫妻が何処まで闇の帝王の脅威を理解しているかは解らない。

 だがその言葉の響きからして、帝王の治世下でヴィーラのハーフやクォーターが余り歓迎されない事位は承知しているだろう。

 

 その上、彼等にとってこの国の魔法界は、セドリック・ディゴリーを護り切れなかった校長を、そのままの地位に据え続けている世界である。闇の帝王の復活を宣言した彼の言葉を真っ向から信じていないとしても、万一本当に戦争が始まったのだとしたらという危惧は抱いて然るべきであり、真っ当な親ならば娘をこの魔法界に送りたがる訳もない。

 

「それに、最後には納得して貰いまーしたね」

「賛成は?」

「こうして私がここに居る以上、貰ったも同然でーす」

「きちんと言葉の定義を踏まえて発言すべきだと何時だったか言った筈ですが。……いや、それでこそ貴方らしくは有りますけどね。貴方が妄言を吐き始めた際の夫妻の苦労が目に見えますよ」

 

 恋人でも何でもない人間に自分の娘の愚痴を漏らしていた位である。

 しかしデラクール姉妹が我儘放題なのは溺愛されている事の裏返しでもあり、この銀色の暴走特急が本気で反発すれば、夫妻にも止められはしなかったのだろう。それはフラーなりの愛嬌故とも言い換えられるのかもしれない。

 

 そして僕がこれ以上責める気がないと悟って漸く顔を戻し、口を開いてみせるあたり、彼女は非常に目敏く、そしてあざとい女性だった。

 

「でも、何の目的も無く来た訳では有りませーん。ちゃんと文句も言いに来ました」

 

 口を軽く尖らせながらフラーは主張する。

 そして彼女は、わざわざ僕の下を訪れた理由を告げた。

 

「ガブリエールは、貴方との別れを悲しんでいました」

「…………」

 

 意外な事に、僕にはまだ動揺するだけの心が残っているようだった。

 

「ガブリエールは最初、内容を余り良く理解出来なかったようでした。理解した後は散々泣き喚いて、駄々を捏ねていまーしたね。貴方から返ってきた手紙も、ガブリエールの望むものでは有りませんでしたから。そして……納得出来なかったのは私もでーす」

 

 あの日、離別を告げた瞬間、幼い少女の瞳は困惑に満ちていた。

 僕は己の手でそれを作り出し、そして彼女の無理解に甘えた。ガブリエルが以降どのような反応を示すかを予想出来ていて尚、僕はそれを選択した。

 

 フラーの方は妹よりも事情を多少理解してはいたようだが、それでも真面目に受け取る事を拒否していた。あの場で露骨に拒絶の素振りを見せなかったのは、追い縋るようなみっともない真似をしたくないという想いが彼女には有り、また僕の気が直ぐに変わるだろうという自信を持っていたからのように見えた。そして、やはり僕はそれを利用した。

 

「ガブリエールが……私達があの別れの日に多くの言葉を呑み込んだのは、貴方の言葉が唐突で、一方的な物だったからではありません」

 

 僕から視線を逸らし、どうにか日常を取り戻したストリートを見ながら彼女は言う。

 もっとも、きちんと眼の前の光景を見ているのかどうかは怪しい。その瞳はぼんやりとしていて、あの学期末の事を思い浮かべていた。

 

「ええ、他でも無く貴方の表情がそれを許さなかったのです。第三の課題の後から貴方は変わりましたが、特にあの日あの時の貴方は……その、言葉を選びませんが、非常に恐ろしく見えましたから」

「……確かに内容は穏やかでは無かったですが、それでも可能な限り丁寧に説明したと思いますけどね」

「そういう事では有りませーん。言葉よりも雄弁な物は常に存在しまーす」

「…………」

 

 フラーは基本的に、感想を真っ直ぐ表現する女性だ。

 その彼女が謎めいた言い方をする場合、その裏には大概強烈な批難が隠されている。それは、彼女と半年間を過ごす内に学んだ事の一つである。

 

「……去年度、僕が優柔不断であった事は認めましょう。済し崩し的に関係を続けた結果、貴方がたを傷付ける羽目になったのも申し訳ないとは思っています。それでもこうなった以上、僕達の関係は清算すべきでしょう」

 

 あの四年目は、あの年だけで完全に終わらせておくべきだった。

 しかし、僕は既に学年末に一度別れを告げ、そしてフラーは納得出来なかったから今ここに来ている。そんな言葉で納得してくれるならば、それはフラー・デラクールでは無かった。その時抱いた感情も一緒に持ち越して来ているらしく、彼女は大きな怒りを露わにして言った。

 

「スリザリンが、たかが学生の寮分けが何だというのです?」

 

 たかが。

 解り切った、しかし最早認める気が無い事柄を、彼女は言い切った。

 

「たとえ今までどれだけ多くの闇の魔法使いを生み、またこれからどれだけ多くの闇の魔法使いを生もうとも、貴方の価値が損なわれる事など有りませーん。私達が輝きを見出した、あの時のままでーす」

「…………」

「そもそも、何故貴方はスリザリンに忠誠を誓うのでーすか? あの寮が、貴方にどれだけ多くの事をしてくれたのでーすか? 血の純度を誇り、貴方(半純血)を侮辱し、しかしながら私に言い寄ってくるスリザリン生が一人も居なかったと思っているのでーすか?」

 

 流石のヴィーラの魔力、いやフラー・デラクール自身の魅力というべきか。

 そして解っている。最早スリザリンにも真に〝純血主義〟を信奉している者など居ないと。

 今の魔法界には半純血の人間が多過ぎ、聖二十八族であるオリバンダーやブルストロードですら純血を喪いつつある。闇の帝王の妥協は現実を見据えた対処と評価し得なくもないのだ。

 

 そしてマグル生まれとの混血が忌避され、ヴィーラとの混血が受け容れられるという理屈。それを可能とする純血主義の修正案――正しくは定義の明確化――は、僕の中に有る。

 有るのだが、やはり机上の理屈でしかないのは事実だ。

 

 考えにふける僕を前に、フラーは瞳を僅かに潤ませ、何処か悲しげに言った。

 

「ねえ、ステファン。貴方がホグワーツを去る訳には行きませんか?」

「――――」

 

 思ってもみなかった提案。

 いや、眼を背け続けていた一つの解決策を、彼女は提示した。

 

「貴方が魔法教育を受け続ける事を望むならば、それはボーバトンでも可能な筈でーす。貴方であればきっと上手く……は、やっていけそうにないですが、それでも貴方の求める知識や技能が手に入る事は間違いないでーす」

 

 言語や文化の壁があるなどという反論を彼女は許さなかった。

 実際、既に戦争が勃発している今現在、その程度の障壁など些細な事ではある。

 

「自分ではそう考えていないようですが、貴方は何だかんだ言って優しい人でーす。マダム・マクシームも貴方に感謝していました。その、自分と彼の仲直りの手伝いをしてくれたと。確か名前はル、ルビ──」

「……ルビウス・ハグリッドですか?」

「そう、その人でーす」

「…………はあ。まあ、覚えは有りますよ」

 

 忘れる筈もない。去年度僕がオリンペ・マクシーム校長を容疑者から早々に外したのも、僕に持ち込まれた無茶な御願いが原因だった。真に闇の帝王の側に転ぶ気を有している人間が、骨の髄までアルバス・ダンブルドア信者な彼と寄りを戻そうとする筈もなかった。

 

「……ただ、それは然して大した仕事でも有りませんでした。どちらも仲直りをしたがっていた。僕がやったのは、ただ彼等を詭弁で殴りつけ、もう一度会うと言質を取っただけです」

 

 特にルビウス・ハグリッドは論理に弱いと知っている。

 彼を言い包める事など僕にとっては容易い仕事であり、彼の本心としてもオリンペ・マクシーム校長と仲直りしたいと考えていたのであって、そして二人が実際に会ってしまえばする事は殆ど無かった。

 

「でも、何故マダムは貴方に頼む気になったのでーすか? 貴方はこんなにも朴念仁で、恋の仲立ちなんて最も不向きな人間だと思いますけど」

「……それはフラー、貴方に全ての原因が有るのですけどね」

「?」

「解らないならいいですよ。それは貴方の良さでも有りますから」

 

 僕が邪険にし続けて尚フラーがべったりであった事は、彼女をして、いやボーバトンでフラーを良く見て来た人間だからこそ驚愕するものであったらしい。そのせいで、オリンペ・マクシーム校長は、僕が恋愛面で百戦錬磨な人間だと誤解してしまっていた。

 一応説明はしたものの、それはそれで無意識に女性を引き寄せる誘蛾灯扱いされたようで、今をもって誤解が解けているかどうか怪しくはある。

 

 まあそんな理屈をフラーに説明するのは彼女も憚られたのだろう。僕が仲立ちに努力した事を教えても、核心については口を噤んだようである。

 暫くの間、フラーは僕を見詰めていたが、僕も回答を寄越す気が無いと察すると、気を取り直したように彼女は続けた。

 

「とにかーく、マダムは保証してくれまーした。学校を移るという事は余り前例が無い事態ですが、それでもボーバトンで学びたいと思う魔法使いを拒む事はないと」

「…………」 

「私はその後、ダンブリドールの所にも行きまーしたね。そして、彼は私の提案を非常に独創的で素晴らしい物だと褒めてくれましたし、貴方を頷かせられるのであれば、ホグワーツからの転校手続を取ると約束してくれまーした」

「……また無茶苦茶を通すものだ。家族でも何でもない人間が、それも本人の同意無しに転校云々の話を進めている。それは道理どころか常識を欠いているでしょうに」

 

 しかし、あの校長は面白がって受け容れた事だろう。

 少なくとも表面上は、そして――内心でもそう在って欲しいものだ。

 

「ボーバトンはホグワーツより遥かに偉大で、素晴らしい学校でーす! 険しくも雄大なピレネーの中に佇む美麗なシャトー。絶景の庭園と壮大な噴水。数多の国から訪れる多種多様な学生と、それにより集積された膨大な魔法の知識の数々。ホグワーツと異なり、貴方が興味を示すであろう錬金術にも力を入れていまーす。貴方も好きになる事間違いなしでーす……!」

 

 僕は反論せずフラーの言葉を聞き続ける。

 言葉を連ねる度、彼女の意気は段々消沈していって。

 

「……ただダンブリドールは、貴方が決して受け入れないだろうとも話していました」

 

 そして最後に小さく紡がれた不満混じりの言葉が、あの校長の本心を暗に示していた。

 

『一貫性を喪ったのじゃ』

 今世紀で最も偉大な魔法使いはそう言った。

 

 あの場において、その指し示す範囲は非常に限定されてはいた。

 だが、彼は本当はもっと拡大したかったのではないだろうか。善を信奉しながらも善なる信徒になれなかった弱き大魔法使いは、今この瞬間も彼を批判している世間に――しかし何れ都合良く〝英雄〟を求めるであろう風見鶏達に、最低限の一貫性を抱いて欲しかったのではなかろうか。

 

 そのような邪推が当たっているかは今では解らない事だが、あの校長の言葉が無くとも、彼が現在どのように考えていようとも、僕の心は決まっていた。

 

「……やはり、貴方は受け容れてくれないのですね」

 

 返答する前に、フラーは微笑みながら言った。

 そしてやはりこの手の笑みこそ、彼女を真に美しく見せる笑みだと僕は思った。

 

「結局、貴方は()()求めているのです?」

 

 その質問は解らないからというだけでなく、解ろうとする為になされたものか。

 

「貴方が誰かに恋をしているというならば、私はまだ納得出来まーした。勿論、私の美貌と魅力に敵う女性などこの世に存在しません。一時の気の迷いを解いてしまえば私の勝利は絶対でーす。ですから、そのような人間がホグワーツに居ないかどうか、私は注意深く観察してきたつもりでーすね。けれども──」

 

 そう言ってフラーは、彼女にしては珍しい、皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「──私の直感から判断する限り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その人間の事だけで頭が一杯になって、胸が苦しくなると共に何処か弾む気持ちになれて、一緒に居るだけで幸せを感じられる事を確信している人間。そんな相手は、貴方の視線の先に一切見当たらなかったでーす」

「…………」

 

 僕とハーマイオニーの関係を知っている者が居る。

 生きていた時のセドリック・ディゴリーはそう言っていた。

 

 しかし、彼の言によればそれは女生徒──兎に角男子生徒は外れるらしい──である筈で、そしてフラー・デラクールは同性に好かれる類の性格をしていない。殆ど一年間ホグワーツに居ようとも、フラーが僕の傍に纏わりついている事を多くの人間が知っていようとも、彼女に教えるような善意に満ちた人間など存在しない。

 だからフラーが知らないのも当然と言えば当然なのだが、しかしそれでも彼女の言葉の調子は、僕にそのような安易な結論付けを許さない程度には、深刻な表情で紡がれていた。彼女は彼女なりの調査と確信をもってそう判断したのだと感じさせる、心配に満ちた色を瞳に浮かべていた。

 

「第一の課題。私を褒めてくれた時の事を、周りが言う程に貴方が悪い存在では無いと知った時の事を、私は良く覚えています。そして勿論、ガブリエールの為にクリスマスに尽力してくれた時の事も。けれど貴方の事を知れば知る程、逆に貴方は遠い人のように思えてしまう」

「……変とか異常とかは良く言われますが、遠いという評価は少々新鮮ですよ」

 

 悪く言われるのは慣れている。

 しかしフラーの形で率直に僕を評価する人間は、周りには居なかった。

 

「……ただまあ、そう感じられるのは貴方が真っ当である何よりの証明なんでしょうね」

 

 フラー・デラクールは無意識に人を怒らせる悪癖が有って、高慢な自信家で、それに見合う桁外れの美貌を持つ女性ではあるが、それでも他のホグワーツ生やボーバトン生と違うと感じた事は無い。

 あの校長に対するように、人間として狂っていると感じた事は一度も無い。

 

 出来れば内心を口にしたくも無かった。

 けれどもフラーを納得させる為には必要だと覚悟すべきだった。

 ただ一つ、彼女の心に更に傷を――それも普通の人間には耐え難い程の忘れらぬ傷を負わせる真似が正しいかどうかは判断が付かない。そして今後も付きそうにない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 僕の懺悔にフラーは一瞬驚愕を示し、しかし彼女は口を一文字に結ぶ事で受け止めた。

 

「部下が手を穢さないままで居るのを許してくれる程、我等が帝王は優しくもない。現在のスリザリンには犯罪者ばかり。同級生の親も、我が寮監も、善人と呼ぶべき人間達を少なからず手に掛けている。地獄という物が本当に有るとすれば、彼等は残らず地獄行きに違いない」

 

 ルシウス・マルフォイ氏にしろスネイプ教授にしろ、彼等は故意に人を殺している。

 それも戦場での倣いという()()()言い訳の利く場面でも無い。非戦闘員に属するである人間達を、彼等は間違いなく虐殺している。その非道を犯さない限りは同胞として認めてくれない血に飢えた組織が、過去の、そして現在復活した闇の陣営であり、彼等の裁かれるべき罪も明白であった。

 

「このまま行けば、当然僕もその後を追う事になる。己が欲望と利益の為に、何の躊躇いも無く手を穢す。そしてその未来を僕は受け容れられている。しかし、自分で言うのも何ですが、それはやはり真っ当な精神性を持つ人間の在り方では無い」

「……まだ、貴方はそうしていません」

「けれども、それも悪くないと思ってしまっているのも事実なのです。死んだ方が善である人間は、この世界に確かに存在している。そして己の死後にどうなるかまで考えられる程、僕は余裕が有る訳ではないですから」

 

 アルバス・ダンブルドア校長、ハリー・ポッターとは違う。

 彼等とて万能では無いが、彼等以上に、僕の手の届く範囲は限られている。

 

 〝英雄〟である彼等は片手間に世界を変える事が出来るが、そうでない僕が何かを変えようとするのであれば、僕が有する多くを、或いは全てを賭けねばならないだろう。何せ、〝その時〟に彼等が敵に回る事は解り切っている。彼等は安穏とした現状維持を望む主流派に他ならず、不満を持ち変革を求める非主流派などでは決してないからだ。

 

 死んだあの男(セドリック・ディゴリー)はスリザリンこそが革新の指導者足る資格を持つように言っていたが、本当にそうで在るならどんなに良い事か。

 

「貴方は──」

「――許せない。一言で表現するならば、それに尽きる」

「…………」

「母は……育ての母は、僕がホグワーツに行く事を楽しみにしていました。産みの親も恐らくそうだった筈だ。そして彼女達の死後に会った、好奇と期待に眼を輝かせた〝マグル生まれ〟の子も余り変わらない。会う人間は誰もがホグワーツを、魔法界自体をこの上無く素晴らしい場所のように語り、しかし実際に視た今のソレらは──」

 

 溜息を一つ。

 去年、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは僕の核心を見通した。

 ならばまた逆も然りだ。今の僕には、彼が死喰い人に身を投じた心情を理解出来る。方向性が全く違っていたとしても、僕達は同種の感情を抱いており、故に共感も理解も簡単だった。

 

「──魔法は非常に興味深い。それは確かです。通ってみればホグワーツはそう悪い場所でも無く、そして奇しくも貴方が画策した聖夜の革命こそが、その可能性の一端を見せてくれた。あのような楽しげな事()()使えるならば、成程、その存在の価値は有る」

 

 パーティー自体以上に、あの準備の場面こそが正しく魔法で、奇跡が有った。

 あれを見たのが僕だけだったというのは非常に勿体無く思えている。魔法によってあれだけ()()()事が出来るのだと知ったのであれば、ホグワーツ生はもっと熱心に魔法を学び始めるに違いないからだ。

 

「けれどもこんな事を思う位ならば、そもそも僕は〝スクイブ〟として生まれた方がマシだったのかもしれませんね。まあその場合、僕は生まれてから直ぐに殺されていたでしょうが、それでもホグワーツで良からぬ考えを巡らせる人間は一人減らせはした」

「そんな酷い事が……!」

「出来る父親でした」

 

 アルバス・ダンブルドア校長と違い、父は明確に悪の側に立っていた。

 

「父は父なりに母を愛しては居ましたが、子に対してはそうでは無かったですからね。ただ、そうであるが故に母は助かった事でしょう。勿論、それは以降の家畜同然の生活を意味する物で、普通の人間が考える幸せな結婚生活とは程遠かったでしょうが」

 

 愛する者を自らの手で殺したのを知ったからこそ、彼は自ら滅んで逝った。

 御伽噺で語り継ぎたい位の因果応報であり、彼が自負していた小悪党らしい末路だった。リリー・エバンズの命を懸けた抵抗を受けて尚、未だ生き長らえ、ハリー・ポッターの命に手を掛け続けている闇の帝王とは違う。僕の父は歴史の表舞台に立てる程に強くなどなかった。

 

「そして、僕は間違いなくあの父親の子だと実感していますよ」

 

 果たして彼の思想が僕に引き継がれたせいか、それとも血は水よりも濃いという事だろうか。

 母達の気高さは頭では理解している。彼女達のような生き方が正しいのだとも。

 

「幸せな家庭という物を見る機会が複数回有りました。デラクール家もその一つです。ええ、頭ではあのような光景が理想だというのは解っている。それはこの世で最も素晴らしく、人間らしいと呼べる物の一つなのでしょう」

 

 グレンジャー家もまたそうだった。

 

「ですが、僕は自分がそうなっている姿を想像出来ない」

「――――」

「伴侶に愛を囁き、子を慈しみ、己の家族を護ろうとする自分を思い浮かべようとしても、僕にはそれが出来ない。寧ろ脳裏に浮かぶのは全く別の像なのです」

 

 今まで僕を異常だと評する人間は相応に居た。しかし、同時にそのような外部の論評は不十分だという思いは消えてなくならなかった。

 僕は根本的な所で普通から欠けている。これを真に理解出来ている者が居るとすれば、それは恐らく、あの偉大なるアルバス・ダンブルドア校長だけだった。

 

「意にならない伴侶を籠の鳥が如く捕らえ、手酷く扱っている自分。血の繋がっている筈の子を虐待し、死に追いやってしまっている自分。我が母君達の愛をこの身に知っていて尚、僕は心の何処かで彼女達の行為を冷笑してしまい、同じ事は出来ないと諦めている。

 ――貴方にはそう見えなかったようですが、そんな人間が僕なのです」

 

 言葉を喪っているフラー・デラクールを真っすぐと見据える。

 矜持と誇り高さ故か、フラーは唇を強く噛み締め、僕から視線を背ける事だけは何とか避けようとしていた。それでも彼女の眼からは何時もの澄んだ輝きが消え、瞳孔は動揺で大きく震えており、その中から掬い取れた感情は、まるで怪物を目の当たりにしたかのような恐怖だった。


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