この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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二話目。


悪性格立証

「――ダンブルドアを評価するスリザリンは至極珍しい。いや、普通居ないと言おうか」

 

 ルシウス・マルフォイ氏の身体は窓の方を向いたまま、視線だけが咎めるように寄越される。その声には叱責と批難の色が滲んでいて、けれども何処か薄っぺらさを感じる事からすれば――その原因までは把握出来なくとも――造り物に過ぎないのは明白だった。

 

「一応雑談の延長だと言ったが、それでも他人を試し、自分の立場を危うくするような言動は慎むべきだ。ドラコも言っていたぞ、君は寮内でも無頓着な発言が多過ぎると」

「僕は僕なりに気を付けていますし、今回もまたそうですよ。闇の帝王の力を信じるからこそ、僕はあの校長を軽んじる事は出来ない。闇の帝王が十一年を費やして尚殺せなかった人間を評価しないのは、寧ろ闇の帝王に対する侮辱では?」

「……そういう発言こそ、ドラコが懸念を示した最たる物だと私は思うのだがね」

 

 何時かと同じ論理を紡げば、視線を再度逸らされながら大きく歎息される。

 ……やはり変な事を言ったつもりは無いのだが、この純血の当主はそう受け止めなかったらしい。まあ、何時もの事と言えば何時もの事では有るが。

 

「しかし、君はコーネリウスが失敗したと言ったな」

「……それがどうしました?」

 

 ルシウス・マルフォイ氏の表情はまた見えなくなる。

 先程までと違い、氏の顔色を読めないのは今度は嫌な感じがした。

 

「そのような生意気な事を言うのだから、コーネリウスが採るべきだった正しい手段についても君は当然考えているのだろう? 単に批判するだけの愚かさを、君は良く知っている筈だ」

「……貴方が止められなかった以上、正しい手段など提示出来ませんよ」

 

 スリザリンは法を犯す事を左程躊躇わないが、それでも基本的には保守主義である。

 特に伝統と慣例――自らの先祖や親戚が代々積み上げて来た成果――を露骨に破るという真似は忌避する傾向が強く、ウィゼンガモットの権威を軽んじるに等しい今回の〝策謀〟は、ルシウス・マルフォイ氏好みではないだろう。

 

「というか僕は半ば前提としていた訳ですが、貴方は今回の件には関わっていないと考えて良いんですよね? もし仮に貴方が二年前の畜生の時より手を抜いたと言うのであれば、僕は色々と考え直さなければなりませんけど」

 

 少なくとも、あの動物裁判(ヒッポグリフ)の場合は最初から結論が決まっていた。出た所勝負でウィゼンガモットに結論を委ねた今回と毛色が違うという感覚がしている。

 

「その質問に意味がない事は理解しているだろう? どちらにしても、私は否と答える」

「……まあ認めた所で自分の価値を下げるだけですからね。仮に貴方が関わっていたとしても、明らかな失敗で終わった以上、否定するのが無難だ」

「しかしそうだな。今回の件を()()()御聞きになられた時、あの御方は余り良い受け止められ方をされなかった。その程度は答えておこう」

「――――」

 

 初めて。初耳だった。

 アズカバンが未だ敗れていない現状、現死喰い人は殆ど裏切り者で構成されているのであり、彼の了承を受けずに独断専行を為せる者はいないだろう。つまり、今回の計画は闇の帝王の意向では無く、死喰い人以外の人間によって為されたという事を意味している。

 

 改めて考えるまでもなく、今回の騒動で闇の陣営が得られた物は無い。

 

 戦争再開により自分の身が危うくなった事を理解したハリー・ポッターは、今後不用意に外出する事を慎むだろう。元々ダーズリー家では軟禁に等しい扱いだったようであるから、登校日以外では外に出る事自体が無くなるかもしれない。

 要は勝手に吸魂鬼をハリー・ポッターに遣わした誰かさんのせいで、死喰い人が彼を襲撃する機会が奪われた事になったとも評価し得る。その誰かさんは〝良い事〟をしたつもりかもしれないが、闇の帝王が不愉快になるのもまあ已むを得ない。

 

「さて、ともあれ我が友人コーネリウスが、今回ダンブルドアに勝利する為に取り得た手段だ。私が取り得た予防策でも構わない。それらについて実現可能性すら問わない。或る種の思考実験のような物だと考えてくれて良い。君はそれを思いついているのでは無いかね?」

「……既に述べた、内々に適当に裁けば良いという以外で、ですよね?」

「そうだな。そちらの方が考える価値は有るだろう。今回の刑事大法廷、ウィゼンガモットの招集は避けられないとしよう。その上で、君ならばどうした?」

 

 答えるのが正解なのか、それとも答えないのが正解なのか。

 見飽きている筈の中庭を彼が熱心に見詰めているせいで、僕にはその思考が読み切れない。全くもって上手い手だ。大人と子供、マルフォイ家の当主と平民、そして僕の庇護者の父親。そのような関係性の下での単なる雑談だという体であるからこそ、このような無礼が許され、しかし開心術士に対してここまで有効な手段もそうない。

 

 少しだけ考えた結果、僕は結論を下すしかなかった。

 

「……政治的に採り得る手段では有りませんよ」

「全く問題無い。検証こそが大事だと言っただろう? 沈黙より劣る発想は存在せず、その材料を提供しただけで十分評価に値すると私は考える。私は自由な発想を何ら咎め立てしない。私がどうすべきだったかでも構わないとも」

「…………」

 

 そうは言うものの、流石に氏の失策を指摘する気にはなれない。

 コーネリウス・ファッジの取り得た手段を指摘する方が余程マシであった。

 

「……ウィゼンガモット大法廷。考え方によっては余り悪くない場所とも言えるのかもしれませんね。大臣が目論んだ見世物を行う場としては、被告人と証人の本質を問い得る一人の〝人間〟を呼ぶ場としては、これほどまでに適切な場は無いでしょう」

 

 つくづく魔法界は歪んでいる、と内心のみで吐露する。

 理屈は解るのだ。信用性に難が有ると判断するのは魔法族にとって何ら不思議でも無い。不思議でも無いのだが、最初から完全に排してしまうのはやはり違うだろう。

 

 そしてあの校長。

 彼を聖人の如く(グリフィンドール流に)扱う気にはなれないのは、この辺りの卑劣さにも起因する。

 結局の所、彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であって、()()()()()()()()()()()()()()()()では無い。

 

 畢竟、彼は本質的に〝マグル〟の味方などではない。

 

「僕は訴追側である大臣が証人を呼ぶ権利を持つのか知りませんが、まあ名目は参考人でも何でも構いません。そもそも現行の魔法法の下において、彼は証人としての資格を持っていない。しかしながら、既に刑事大法廷を招集するという無法を犯しているんです。今更法律違反など問題とならず、故に何としてでも、僕は彼を召喚する手筈を整えようとするでしょう」

 

 今回の喜劇に登場しなかった、けれども本来登場して然るべき人物。

 

 

「──ダドリー・ダーズリー。被告人が守護霊を使った際に出くわした〝人間(マグル)〟を」

 

 

 

 

 

 

 

 氏が小さく背中を震わせたが、それが肯定的か否定的かはやはり読み取れない。

 ただ、僕がその名を出した意味は正確に理解したのだろうというのは明白だ。そうでなければ、彼の名前について反応を示す事は無い筈である。

 

「……成程。それは我々にとって政治的に取り得ない手段だ」

「でしょう? 伝統を重んじるスリザリンに、そんな恥知らずな真似は出来ない」

 

 と言っても、コーネリウス・ファッジならするかもしれない。

 この程度の事件にウィゼンガモットを招集するような真似をした事から見て取れるように、彼は心の何処かで伝統を軽んじている人間である。今回のような完敗を避けられると知ればこの手の奇策に縋り着く事も有り得るかもしれないし、寧ろその方が僕には好感が持てる。

 

「――ふむ、しかし説明を求めても良いかね?」

「……? 説明? 何をです?」

 

 答えるべき事は答え、伝えるべき事は伝わった。

 だからこの問答は終わりだと思ったが、氏は不可解にも話を引き延ばそうとしてきた。

 

「何故、そのマグルを呼ぶ事がコーネリウスの勝ちに繋がりうるか。それを君は説明していない」

「……反応的に貴方は理解しているのでは? そして、別に確実に勝つとは言いませんよ。違法行為をやっている以上、大臣が不利なのは変わりない」

「そのような謙遜は不要だ。君は確かに勝利の手段を提示したのだから。そして繰り返すが、君の口から説明を聞きたい。それこそが私にとって大事なのだ」

「…………まあ、別に構いませんが」

 

 何らかの意図が氏には有りそうだというのは解る。ただ顔を合わせていないせいも有り、それを読み切る事は出来ない。つくづくルシウス・マルフォイ氏は上手い事やったと思う。

 もっとも、今回は氏の察しが良かった訳だが、仮に()()()()()()()()()()()理解出来なかったのであれば、どの道説明する必要は有ったのだ。説明を求められたからと言って、予期していた労力が増える訳でもない。大人しく従うのは吝かでは無かった。

 

「……ハリー・ポッターが守護霊の呪文を使ったのは果たして吸魂鬼の襲撃から身を護る為であったのか。その状況を語り得る人間は、ハリー・ポッター本人と居合わせた〝スクイブ〟だけでは有りません。そこにはもう一人の人間が居た。勿論、ダドリー・ダーズリーの事です」

 

 魔法族は彼を数に入れないが、〝マグル〟の方は彼を勘定に入れない事は有り得ない。今回の吸魂鬼襲撃事件に登場する関係者は、当然に三人であるべき筈だった。

 

「彼は〝マグル〟だ。故に、吸魂鬼は見えません。しかし、証人が目撃した事のみしか語れないという制限は一切ない。つまり心を蝕まれた時の体験を語る事は可能であり、更に大臣も裁判中に指摘はしたようですが、守護霊の呪文は〝マグル〟も視認する事が出来る。彼は事件の全てを語れずとも、その中核部分を語りうる証人と言えます」

 

 吸魂鬼が居たか。

 ハリー・ポッターが吸魂鬼に対して呪文を使ったか。

 〝マグル〟の証言からでも、それらの真実を推し量る事は可能だろう。

 

 特に吸魂鬼の存在を〝スクイブ〟は知っていても、〝マグル〟の方は知らない。すなわち、〝スクイブ〟のように本で読んだ知識に基づいて、その姿や行動を語るという事は殆ど不可能だ。或る意味〝スクイブ〟よりも信用出来る証言が得られると言っても良い。

 

 更に高位の守護霊は動物の姿を象るのであり、ハリー・ポッターが牡鹿の守護霊を作り出せる事は知っている。〝マグル〟には銀色の靄としか認識出来ない可能性は有るが、それの辺りは裁判所内で実際に試せば良い話であり、仮にダドリー・ダーズリーがハリー・ポッターの守護霊の姿を語れるのならば、証言の信憑性というのは高くなる。

 

「しかし、僕は真実を追求する為に彼を呼びたい訳では有りません。一応確認なのですが、ハリー・ポッターとダーズリー家の関係性は御存知ですよね?」

「確実に友好的とは言えないというのは知っている。噂程度でしかないが、虐待を受けているという風聞も耳にしてはいるな」

「でしょうね。彼は有名人ですから。まあ、あの英雄殿は全く自覚していませんけどね」

 

 特に入学直後は、彼の一挙手一投足が学校中に〝報道〟されていた。

 〝生き残った男の子〟。史上最悪の闇の魔法使いを打ち砕き、これから殺される筈であった多くの命を救った希望の星。そんなハリー・ポッターが十年間、つまり魔法界から隔離されていた間はどんな生活をしていたかは当然誰もが興味を示す部分である。グリフィンドールは当然、スリザリンですら寮全体が強い関心を抱いていた。

 

 そして彼が大っぴらに詳細は語らずとも──自分が虐待を受けているというのは、まあ普通に口を噤みたくなる事実ではある──四年間も共にホグワーツに過ごせば、彼等の関係が良くないのだと多くが察している。

 去年度とて、キングズクロス駅に迎えに現れたダーズリー家に対して、ウィーズリー家やアラスター・ムーディ達が〝友好的な〟遣り取りをしているのを少なくない人間が見ているだろう。あの駅には(マグル)服の魔法省の闇祓いや魔法法執行部隊が万一の事態の為に(何時でも忘却術を使用出来るよう)詰めているのであり、それらの人間から氏が情報を得るのは不可能でも無い。

 

「さて、彼等の関係性は宜しくないようです。それを踏まえた上で、召喚されたダドリー・ダーズリーは果たして〝真実〟を証言するのでしょうか? 吸魂鬼の存在を感じたと証言し、ハリー・ポッターを助けるような行為を出来るのでしょうか?」

 

 ダドリー・ダーズリーが嘘を吐く必要は別に無い。

 ただ、その時の事を何も覚えていないと言えば足る。それはマグルの住宅街に吸魂鬼が居たというよりも、寧ろ居なかった事を示唆する証拠となるのだから。

 

「そもそも彼は出廷したがるんでしょうかね。今回の事件の真実を知る為に、もう一人の被害者の証言を聞く事は重要だ。そう判断したウィゼンガモットが、()()()()()()()()()()()()()()()()ハリー・ポッターに、()()()()()()()()()()()証人を連れて来て欲しいと要請した場合、果たしてそれは上手く行くんでしょうか」

 

 ハリー・ポッターが本当に守護霊の呪文を使ったのならば、それがダドリー・ダーズリーの魂を護る為でも有ったのならば、()()()()すんなり連れて来れる筈である。血縁関係を有し、十四年間同じ家で暮らし、そして命の恩人である相手を助ける為なのだ。証言する事自体がかなりの面倒だとしても、証人として立つ事自体を拒否するというのは常識的に考えづらい。

 

「ダドリー・ダーズリーをハリー・ポッターが連れて来られない。それは少なからず余計な疑念を呼ぶでしょう。通常、自分に有利な証言をする証人を隠そうとする人間など居ない。その証人の語る内容が重要であればある程に、当事者は己が勝利の為に証人を呼びたがる。その経験則に反した末路というのは、この現状が良く示していると思いますが」

「……ダンブルドアはハリー・ポッター本人に証言させない事によって、自分にとって都合の悪い事を隠そうとしている。それを言いたいのだね?」

「ええ、まさしくその通りです」

 

 セドリック・ディゴリーの〝事故死〟を許したアルバス・ダンブルドアにとって、闇の帝王の復活を語るハリー・ポッターは当然自分に有利な証人である。しかし彼を証言させないのは、国際魔法使い連盟が求めても拒否するのは、どう考えても筋が通らない。

 そして同種の経験則は、今回の場合にも当て嵌まり得る。

 

「マグルの住宅街に吸魂鬼が居た事はなく、ダドリー・ダーズリーは吸魂鬼の存在を一切認識しなかった。全ては大嘘で、だからこそ被告人ハリー・ポッター、或いは証人アルバス・ダンブルドアは、彼を証言台に連れて来られない。そんな疑念が生まれる筈で──まあ、それで終わらせる気は有りませんよ。ダドリー・ダーズリーの存在は見世物に必須なんですから」

 

 彼は役者として在廷していなければならない。

 魔法族と共に育った〝マグル〟が出廷して初めて、二人の本質と価値を問い得る。

 

「裁判所による証人召喚命令。それと同種のモノは恐らく魔法法にもあるでしょう。まあ無くても何でも理屈を付けられる。それを為す理屈と正義は明らかにこちら側に在る」

 

 彼等は善人として立とうとするが故に、次の論理を否定出来ない。

 

「〝生き残った男の子〟の裁判に誤審が有ってはならない。たとえマグルをウィゼンガモットに入れた先例が無くとも、特例としてダドリー・ダーズリーの話を聞く価値は認められる。そして、たかがマグルであるというだけで証言を封じるなどという馬鹿な真似は、マグルの権利の擁護者で在り続けたアルバス・ダンブルドア校長がする事は無いだろうと」

 

 彼が法律・慣例違反を持ち出してダドリー・ダーズリーの召喚を拒否するのは結構だが、これまで散々それらを馬鹿にしてきた人間がどの口でという反応が寄越されるのは目に見えているし、そもそも譲歩しているのはウィゼンガモット側である。

 ハリー・ポッターに有利となる証人を、魔法族至上主義の道理を曲げてまで召喚するのだ。そのような行為に〝正義〟の校長が反対するのは不自然にしか映らない。

 

「ダドリー・ダーズリーを証言台に立たせる事はまず可能でしょう。その後は──まあ、出来る事は有りませんね。大きく干渉出来るのはそこまでで、最後はダドリー・ダーズリーの〝良心〟に掛かっている。彼が吸魂鬼の存在を確かに感じたと証言してしまえば、こちらは潔く敗北を認め、無罪判決を下すしかない」

「……君から潔くという言葉が出て来るとは驚きだな」

「今回の裁判は元より不利ですし、現れた結果は認めざるを得ないでしょう」

 

 ダドリー・ダーズリーの高潔な行いに対し、心から敬意を示すしかない。

 

「ただ、彼が法廷にさえ現れてしまえば、その緊張を解す名目で〝雑談〟が出来るかもしれません。ハリー・ポッターはどんな人間か、ダーズリー家でどんな振舞いをしているか。ハリー・ポッターから虐待されていないか、それ位露骨な質問をしても良いかもしれない」

「……ダンブルドアはそれを止めようとするだろうな」

「ええ。そして御分りの通り、その制止の主張は正しい。事件に無関係な質問は咎められて然るべきであり、ハリー・ポッターの生活態様は言うまでもなく本件被疑事件に無関係で、しかし止められた所で問題は無い。その遣り取りをダドリー・ダーズリーはどう思うでしょうかね。そのような〝正論〟で口を塞がれて、彼は素直に道理を飲み込めるのでしょうか」

 

 まあ本人に会った事が無い以上、その辺りを断言する事は出来ない。

 僕の知るダドリー・ダーズリー像はあくまでハリー・ポッターの主観を通したものであるし、そもそも左程興味が有った訳でも無いから詳しい人格について聞いた訳でも無い。ハーマイオニーも良く知らないようであった。故に僕の彼の行動は多分に想像が混じるモノに過ぎず、実際のダドリー・ダーズリーは意外と理性的で、状況を正確に把握出来る人間かもしれない。

 

 しかし、そうでなかったとすれば。

 その上で、彼等の関係性が僕の想定通りだったとすれば。

 ダドリー・ダーズリーを法廷に引き摺りだした時点で勝ったようなものだ。

 

「口を塞がれた腹いせに〝真実〟を語ってくれても良いですが、()()()()〝失言〟をしてくれるのが最上ですね。ハリー・ポッターから虐待を受けていた。そのようにダドリー・ダーズリーが漏らしてくれれば、今回の微罪事件が吹っ飛ぶ醜聞へと発展する。それに対して、いや自分こそが虐待を受けていたのだとハリー・ポッター側が反論してくれたのならば、これはもう申し分無い結果と言って良いでしょう」

 

 それらは事件の証拠には一切ならない。

 ハリー・ポッターの性格が悪いからと言って、今回吸魂鬼が居たという主張は嘘となるものでは無い。本件事件において無罪判決を下すべきという結論は何ら揺らぎもしない。

 

 しかし証言として何ら認められず、記録化すらされなかったとしても、一度顕出されたモノを無かった事には出来ない。公平かつ善良な裁判官により運営される裁判ならば通常問題とならないが、今回の裁判はそうではないし、そもそもそのような失言が真に活用されるのは、裁判内ではなく裁判外においてである。

 

「両親を喪った悲劇の遺児を任された者が、ハリー・ポッターへの虐待を見逃した。或いは、マグルの権利と庇護を唱えて来た者が、ハリー・ポッターによるマグルへの虐待を黙認した。どちらに転ぶにしても、あの校長の権威は致命的に損なわれる。彼の悪しき性格は一人の少年によって立証され、彼を光の陣営の旗頭、純血主義への対抗者と観る者は格段に減る」

 

 加えて裁判内においてハリー・ポッターとダドリー・ダーズリーの関係が破綻してくれれば、ハリー・ポッターは以降ダーズリー家にも居られなくなる。

 

 勿論、忘却術により全てを有耶無耶にする事は可能であろうが、それは〝正義〟の魔法使いの所業ではない。そして魔法省──闇の帝王の意を受けたルシウス・マルフォイ氏は、コーネリウス・ファッジを通じて闇祓いを派遣させ、そのような非道を阻み得る。

 

 そしてあの校長が掛けた魔法の守護は無意味となり、闇の帝王を阻む障害は消え失せる。

 

「……成程。君にとってみれば、守護霊ポッター殿の有罪無罪など眼中に無い訳だ」

 

 相も変わらず、氏は僕に背中を向けたまま言った。

 

「それどころか君は、彼に対して無罪判決程度くれてやっても構わなかったとすら思っている。裁判など所詮は手段に過ぎず、目的を達成出来るならば何でも良い。そういう思考が無ければ、そのような手段を思いつきはしない」

「……まあ、そうですね。勝訴判決を得たとしても中身は実質敗訴というのは理屈上有り得るでしょう? 大臣の本来の目的はハリー・ポッターに有罪判決を下す事ではない。無関係では有りませんが、そもそもの根源は、彼の名誉と信用を失墜させる事でした」

 

 それを為し得る鍵を握っていたのは、僕の眼には一人の〝マグル〟だったように映る。

 

「マグル殺しの純血主義と、マグル擁護の平等主義。魔法戦争はそのような対立軸に基づく闘争だと一般的に〝誤解〟されてます。しかし大法廷において、本来の対立軸が純血至上主義と魔法族至上主義の戦いであると引き直されたのであれば、今後の展開は果たしてどうなるでしょうね?」

「……その割に、君はどうでも良さそうだな」

 

 氏の声色には微妙に棘が有った。

 

「……所詮は思考実験でしょう? 余り過度に熱を持てませんよ」

 

 もっとも言葉が多少弱くなったのは、それが図星だったからだ。

 

 裁判の結果自体に興味は左程無い。

 結局、僕の関心はダドリー・ダーズリーが何を語るかどうかにこそ有る。

 それが叶ったのであれば、現在までの魔法族とマグルの関係性は正しかったのか、正しくなければどう在るべきなのか、国際機密保持法という聖典は維持されるべきかどうかを改めて問い直す素晴らしい裁判になったのは間違いなく、本気で見たいと夢想すらしてしまう程で、しかし──

 

「――しかしながら、僕達には出来ません。神聖なるウィゼンガモットに、下等生物( マグル )が足を踏み入れる事は許すべきではない。それは我らが祖先、そして現在の魔法族全体に対する侮辱でしょう」

「……そうだな。()()()()()、その通りだ」

 

 ルシウス・マルフォイ氏は認める。

 渋々と言った感情を読み取れたのは、恐らくは気のせいだろう。〝純血〟であれば、僕が提示したような行動を取るべきでは無いのは揺らがないからだ。

 

 そして今回の事件で明らかな事がある。

 

 〝マグル〟的客観視の下では、ダドリー・ダーズリーは事件に関して重要な証人である。

 しかし彼は裁判所に呼ばれなかったし、裁判官も被告人側も問題化する事は無かった。

 

 つまり、魔法使いは〝マグル〟に対して裁判における証人適格、話に耳を傾けるに足る一個の人格を基本的に認めていない。忘却術や記憶修正術、服従の呪文等によって証言が歪められる可能性は魔法使いも同様──寧ろルシウス・マルフォイ氏達が死喰い人疑惑を上手く逃れたのを見て解る通り、基本的に人間の証言なんぞ信用しがたいものであるというのに、〝マグル〟には物事を正確に認識する頭が無いという偏見の下、その価値を否定している。

 

 ウィゼンガモットの主席魔法戦士であったあの校長が〝マグル〟に証人適格を認める為の政治活動をしてきたかどうかは不明確ではあるが──それでも今回に限って言えば、彼は法の欠陥を都合良く利用したのは明白である。

 未成年魔法使い(ハリー・ポッター)が二度も騒動を起こして尚運転免許制限や猟銃規制が如く杖所持を禁じようとはしないのと同様に、今回の裁判で彼が召喚される事こそが致命だと看破した校長は、同じ人間の〝マグル〟(ダドリー・ダーズリー)に対する差別的取扱いに対して見ない振りをした。他の魔法族と同様に、彼もまた、自分の利益になる不条理は簡単に見逃せる人間でしかない。

 

 この国の魔法界は差別と偏見に満ち溢れている。

 それを正す事の出来る能力と意思を持った者は、ただの一人も居ない。

 

 今世紀で最も偉大な魔法使いを含めてすら、その改革を期待する事など出来やしない。

 

 

 

 

 

 

 

「……私の認識が甘かったようだ」

 

 ルシウス・マルフォイ氏は額に手を当てながら、疲れたように紡いだ。

 半ば見せつけるような演技臭さは有ったが、全て作り物という訳では無いらしい。

 

「ドラコやナルシッサから君の危険さは良く聞いていたし、去年一騒動起こしてみせた手腕を考えるに、君を過少評価など出来はしなかった。しかしそれでも尚不足だった。君が蛇に組分けされたのも当然というべきだろうな」

 

 氏は窓際から離れ、僕の対面へと座り直す。

 面と向かっては話辛いような、御互い微妙な取扱いを求められる話は終わりという事だろう。指を組んで、少しだけ僕の方に身を乗り出した。

 

「話を求めた身で言うのも何だが、やはり君は発言に注意すべきだ。我々にとってマグルの権利を拡大するそのような主張は、そもそも聞く姿勢を見せる意義すら感じない話だ。ダンブルドアを称賛するのとは比較にならない位に危険だと言える」

「重々承知ですよ」

 

 開き直りにしか見えないのを理解した上で僕は頷いた。

 

「ただマルフォイ家の当主である貴方ならこの程度は問題無いだろうと考えたのであり──そして、これは〝雑談〟でしょう? なればこそ、〝穢れた血〟の権利の()()()()()()がどう行動したがるかという事は、貴方の耳に入れておくべきだと感じましたので」

「……マグル被れなのは我々にとって不適切だ。そうは思わないかね?」

「マルフォイ家は、特に国際機密保持法施行前では()()()やってきたと聞きますが? そして下等な屋敷しもべだろうと不潔な獣畜生だろうと、その生態を知っていれば絞り取れる利益を見出せる。僕としては、そのような狡猾な蛇である方が好ましく思えますけれどね」

 

 勿論、貴方は別の御考えを持っているでしょうが、と付け加える。

 

 しかしながら、ルシウス・マルフォイ氏は意識しておくべきだとは思う。

 

 確かに十四年前に闇の帝王を裏切り、それでも尚許された以上、マルフォイ家は闇の側に全賭けせざるを得ない。ただ、氏が分霊箱を喪うという、取返しの付かない大失態を犯しているのも事実なのだ。日記帳(分霊箱)の秘密へと注意を向けられるのを避ける為、闇の帝王の反応は表向き激怒程度で済む筈だが――内心で抱いた殺意を忘れてはくれないだろう。

 

 故に再度の裏切りをする気ならば〝穢れた血〟達の思考や倫理観は知っておくに越した事は無く、同時に自分達が利用出来るかどうかも検討に入れていて然るべきである。

 

「――成程、その諫言は一応心に留めておこう」

 

 暫く真剣に考える様子を見せた後で、ルシウス・マルフォイ氏はそれだけを言った。

 

「しかし、君は思ったよりセブルスに似ていないな。彼は私を――他の人間を、というべきか。自分の言葉で左右しようとは考えない。だが、君は違う」

「……褒め言葉として受け取っておきます」

「ははは。その謙遜の仕方と表情の作り方は似ているかもしれない」

 

 単純に似ていると言われるより嫌であり、そう思ってしまった事は伝わったのだろう。ルシウス・マルフォイ氏は更に愉快そうに笑った。

 

「もっとも、君のその――操作的人間(マニュピュレーター)とでも言おうか。そういう在り方は、余り他から好意を向けられる物ではない。寧ろ、不愉快に思う人間の方が圧倒的に多いだろう。私やドラコの前では構わないが、気を付けた方が良い」

「……ええ。可能な限り努力しましょう」

 

 最早治らない悪癖の類だと思うが、それでも彼の真摯な忠告だという事は伝わってきた。頭を軽く下げて心からの感謝の意を示す。

 

 そして雰囲気として、彼の話は済んだようだった。

 左程大した話をした気はしないし、既に終わってしまった事を蒸し返して何がしたかったかは今一不明だが、まあルシウス・マルフォイ氏は本当に雑談――息子の知人がどういう人間であるかを図る為に、一対一で会話を交わしたかっただけなのかもしれない。

 

 もう既に冷えてしまった珈琲を啜りつつ、しかしふと思い出した。

 

「……丁度話が出ましたが、僕の前に貴方が呼んでいた彼は何処に?」

「ああ、ドラコか」

 

 そう言えば、彼の姿が見当たらない。ここに招かれる途中も見ていない。

 そんな疑問を口に出せば、氏は()()()()()()()()()()()()遠い目をした後、楽しげに笑った。

 その笑みは嫌に引っ掛かる物だった。感じたのは、自分は何か見落としをしてしまったのではないかという不安。しかし、不吉というまでは行かない。その原因は、ルシウス・マルフォイ氏が浮かべた表情が、悪戯を企んでいる時の彼の息子(ドラコ・マルフォイ)の物に似ていたからだろう。

 

「ドラコには一つ、仕事を命じたのだ。今はそれに取り組んでいる最中だ」

「――貴方がたの〝仕事〟ですか?」

 

 闇の帝王の、という意味を含めて問うたが、氏は軽く首を振った。

 

「私の、いやドラコの仕事だ。マルフォイ家次期当主としての訓練とも言えるかな。()()()()君の話を聞いた上で感じた所も有る。この後またドラコを呼んで話をせねばならないし、この分だと思ったよりも長くなりそうだ」

「そうですか。貴方も大変そうですね」

「そうでもない。この種の苦労は親である私の喜びでもあるし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。君を我が家に招けた事は本当に良かった。それは間違いなく私の本心だよ」

「……良く解りませんが、御役に立ったならば何よりです」

 

 向けられた含み笑いの真意は測りかねたが、悪い事では無いだろう。

 誤魔化すように、カップに残った最後の一口を啜る。ルシウス・マルフォイ氏は黙ってそれを見届けた後、最後の問いを僕に投げ掛けた。

 

「――嗚呼、そうだ。君はドラコの事をどう思っている?」

 

 今までと違う、明らかに意図を測りかねる問いに困惑する。

 

「どうとは? 彼に対する僕の評価を聞いているのですか?」

「いいや、違う。君とドラコとの関係を聞いている」

「……それなりに上手い関係を築けていると僕個人は思っている、という事を聞きたいのでしょうか? それとも、彼が僕の庇護者(パトロヌス)である事は十分に理解している、と御答えすれば良いのでしょうか?」

 

 まさか、ホグワーツ同級生であるという当然の回答を期待した訳ではないだろう。

 この場で適切と思われる回答を僕は持ち得ず、しかしルシウス・マルフォイ氏は何故か苦笑した。僕が浮かべ得ない類の、成熟した大人の笑みだった。

 

「成程、良く解った。君のその言葉を聞いた親としては、君に言える事は一つだ。残り三年間か。これまで通り、ホグワーツでは私の息子を助けてやって欲しい」

「……それはまあ、被庇護者(クリエンス)であるのだから当然そうするつもりですが」

「くくく。そういう回答を私()が期待した訳では無いのだがね」

 

 ルシウス・マルフォイ氏は更に苦笑を深めた。

 

 己は全く馴染みが無い筈なのに、スティーブン・レッドフィールドは僕にそのような表情を見せた記憶が無いというのに、彼の表情を見て父親らしい表情だという感想が浮かんで来たのは何故だろう。

 それはもしかしたら、ルシウス・マルフォイ氏の表情から、冷たい蛇には余り似つかわしくない温かみを見出してしまったからかもしれない。

 

「しかしながら、君の性格は何となく掴めてきたよ。そしてドラコが間違いなく私の息子だというのも強く実感する。恐らく私の父も多分こんな気持ちにさせられたのだろう。……まあ私の方には同じ経験が有る以上、良くも悪くも父程辛辣にはなれそうにないがね」

 

 感慨混じりの言葉を漏らした後、彼は退出して構わないと告げる。

 

 その瞬間、まるで僕達の動向を覗いていたかのように完璧なタイミングで屋敷しもべ妖精が現れた。流石にマルフォイ家のしもべ妖精は良く教育されている──何処かの妖精は余程狂っていたのだろう──という感想を抱きつつ部屋を退出しようとした僕に対して、ルシウス・マルフォイ氏は至極柔らかい口調で今後の予定を宣告した。

 

「それとだ。君の考え──禁じられた呪文を身に着けておきたいという希望は、ドラコから聞いている。そして現在の情勢を考えるに、私もその考えには一理有ると判断した。明日よりドラコと一緒に教えるつもりだから、そのつもりで準備をしておきたまえ」




・悪性格立証
 本来の意味では、被告人が酷い奴である事を立証し、だから被告人が今回の酷い事件を起こしたのだろうと推認させ、最終的に有罪判決を下そうとする事。英米コモンローに由来する裁判官に予断を生じさせない為の概念であり、わが国でも悪性格立証は原則禁じられる。
 またこの理念を徹底する限りはその逆の行為、つまり被告人側が「こんなに良い人が残酷な犯罪を犯す筈は無い」と弁護する事もまた当然の論理として禁止される。
 上記から解る通り、法律用語として扱う限りにおいては、作中の行動に対する言葉として不正確である。

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