「――そもそも、負けの種を育んできたのは闇の帝王だけなのでしょうかね」
アルバス・ダンブルドアには多くが見えている。
故にこの老人は、僕に対し、闇の帝王が抱える弱み、歪み、脆弱さを明かす事が出来た。
そして、僕に明かしたそれらですら全体の極々一部に過ぎない筈だ。かつてトム・マールヴォロ・リドルを教えた〝アルバス・ダンブルドア教授〟は、彼へと付け入る隙を数多く見つけているのだろうし、同時に彼の嵌め方を想定出来ている事だろう。だからこそ、この老人は自陣営の勝利を疑わず、けれども老人の方にもまた巨大な弱みと隙が存在している。
「貴方は賢過ぎ、偉大過ぎ、影響力が強過ぎて、今世紀で最も偉大な魔法使いである事を隠し立てもしない。であるからこそ、弱い人間は貴方に近付きたくないのです。頼れないのです。輝かしき王は矮小な僕達の悩みなど理解してくれず、その手を煩わせるような余計な真似をしたくない。そう考えてしまう」
「……まるで儂が強いだけの人間であるように言うのじゃな。この世界に生きている他の誰よりも、君は儂がそうでない事を知っておろうに」
「強さと弱さは両立するでしょう、闇の帝王のそれが表裏一体であるように」
アルバス・ダンブルドアは闇の帝王を弱者だと定義しているだろうが、しかし闇の帝王はそれ故に、ここまで魔道の深淵まで堕ちる事が出来た。己の魂を幾度となく切り刻み、数えきれない程の死体を産み、本来魔法族に従わぬ筈の巨人や吸魂鬼すらも配下とし、一国の魔法界を根本から破壊する所まで手を伸ばし得る怪物に成長しえた。
「貴方が固執している〝アルバス・ダンブルドア〟――正義の為に奉仕する善良な大魔法使いという理想こそが、今の魔法界を存続させ続けている一方、崩壊を招きかねない歪みもまた産み出している根源ではないですか?」
「……儂がそうでないと言うのかね」
「その答えを得るには、御自身の胸に聞くのが一番手っ取り早いと思いますが」
セドリック・ディゴリーの方が余程仮面を被るのが上手かった。
彼は少なくとも今年ハリー・ポッターと対峙する羽目になるまでは、ハッフルパフの模範生を貫き通す事が出来た。そうでなければ如何にスリザリンといえど〝真のホグワーツ代表選手〟という肩書を許さなかっただろう。僕がそうしたように、セドリック・ディゴリーもまた偽物だと、今回のゴブレットの選出は無効だと素直に主張していた筈だった。
「亡霊風情に憑りつかれたクィリナス・クィレル教授は、未だ健全な肉体を御持ちの貴方を頼れなかった。友情と命を天秤に掛けられたピーター・ペティグリューは、闇の帝王と戦い続けてきた貴方に庇護を求められなかった。それまで正義に生きたバーテミウス・クラウチ氏は、善良な魔法使いである貴方に対して正気を喪うまで真実を告白出来なかった」
この老人の善人面を信用出来ない人間達が、この戦争において彼と距離を置いた。
しかし、それらの一連の裏切りや不信は、果たして避けられぬ物だったのだろうか?
アルバス・ダンブルドアという魔法使いは、ホグワーツの絶対的守護者で、ゲラート・グリンデルバルトを決闘で下した魔法戦士で、マグルやマグル生まれの権利保護を唱え続ける慈悲深き賢者で、半生涯を通して闇に対決姿勢を示し続けた正義の人で、史上最悪の魔法使いであるヴォルデモート卿が唯一恐れた人間では無かったのだろうか?
「彼等は貴方の何を信じられなかったのでしょうね?」
「――――」
「そして彼等の選択は
結局、アルバス・ダンブルドアは真に理解してくれない。
彼がどんなに感激出来る演説をして、どんなに素晴らしい論説を寄稿しようとも、他ならぬ彼の行動こそが、弱者である彼等に不信を抱かせ、紡ぐべき言葉を喪わせた。アルバス・ダンブルドアの本質は決して世間で称賛される程に素晴らしい物では無いと思わせた。
「元より貴方の在り方に気に入らない部分は有りました」
例えば、と椅子の背凭れを軋ませる。
その音は誰かが悲鳴を上げているようにも聞こえた。
「コーネリウス・ファッジは今現在、アルバス・ダンブルドアが魔法大臣の地位を狙っているのだという
コーネリウス・ファッジは他にも色々妄言を吐いていたが、彼にとって最も重要な点はそこに尽きる。彼はアルバス・ダンブルドアによって権力を奪われる事を恐れている。
「……無礼千万じゃ。儂は魔法大臣に幾度となく請われても断ってきた。その地位に就く事を儂が望んだ事は──無い」
「そうですか。しかし果たして客観的にそう見えるのしょうか」
一度もないと言わなかった点が少々不愉快では有ったが、そんな揚げ足を取る必要は無い。言葉よりも行動が雄弁な場合は往々にして存在する。
「そもそも魔法大臣は通常公の投票に基づく民主的な選挙によって選ばれる。ならば何故、貴方は魔法大臣になるよう
「……儂が断った回数を誇りに思った事は、断じて一度も有らぬ」
「それは貴方が魔法大臣に就きたがっているように見えたから。或いは貴方が魔法大臣に
アルバス・ダンブルドアの反駁を無視して僕は続けた。
「そもそも魔法大臣の地位を拒絶したから何なのです? 貴方はそれを権力への拒否、支配への嫌悪を示す態度だと本気で思っているんですか? 魔法大臣の地位を拒絶する事と、貪欲な権力志向を宿している事は、決して矛盾する訳では無い」
何故なら。
「ルシウス・マルフォイ氏もまた、魔法大臣を望んだ事は一度も無い」
「────」
アルバス・ダンブルドアと彼は、その点において一切の差異が無い。
「正確には彼は死喰い人であったが故に就けなくなった訳ですが、マルフォイ家が代々魔法大臣への野心を見せなかったのは確かです。そもそも名前がその地位の本質を体現しているではないですか。ラテン語の教養が少し有れば、『Minister』の名を過度に有り難がる訳がない」
謙遜から始まったのかもしれないが、良くもまあそんな名を付けたものだ。
歴史を見れば、国際機密保持法の制定による対応する為にウィゼンガモットから独立して設立されたのが魔法省である。つまり本来の論理で言えば魔法省は評議会の出先機関に過ぎず、魔法大臣の椅子は形式上最上位に置かれただけに過ぎない。
「マルフォイ家は魔法大臣に就かなかった。しかし彼等は代々権力への野心を持ち続け、またこの魔法界の政治を大きく左右する一族で在り続けた。そして今も服従の呪文無しでコーネリウス・ファッジを都合良く扱い続けている。元より彼等には魔法大臣の地位など不要で、このように権力を掌握した一族や個人など歴史上珍しくも何ともないんですよ」
責任と義務から逃れる為、敢えて王座を退けた者は大勢居た。
「
そしてそれもまた差異を生ずるものではないだろう。
「貴方もそうだったのでは?」
魔法大臣に就かずとも、この男は自分の意思を叶える事に不自由しなかった。
「コーネリウス・ファッジの就任直後、彼が貴方にしょっちゅう相談に訪れている事を報道する下世話な記事が有りました。本来の理屈で言えば、魔法大臣とホグワーツ校長のどちらが偉いかは明白だ。しかし、コーネリウス・ファッジの媚び諂う姿を貴方は愉快だと思いませんでしたか? 魔法大臣が貴方の傀儡だという批判に、何も感じる所は無かったのですか?」
「……最早今更じゃが、君は捻くれた偏見と先入観で儂を見続けておる。儂は親切心から忠告と助言を為しただけで、ルシウスらのように私心で魔法界を操ろうとした事は無い」
「貴方はそのつもりで、客観的にそれが事実でも、周りの主観にはそう見えたのでしょうか。貴方に魔法大臣に就けという要請は、裏で人形を操る真似をせず、自ら先頭に立って動くべきだという忠告だった。そう聞こえてしまうのは僕の気のせいなのですかね」
アルバス・ダンブルドアの視線は、僕をしっかりと捉えたまま揺るがない。
しかし、最早張りぼてだ。己の善性と正義を疑わない、真っ直ぐとした強さは既に無い。これがアリアナ・ダンブルドアに繋がる瑕が齎す歪みである。たった百年生きた程度では、いや百年も生きているからこそ、それを隠蔽出来る筈もなかった。
「もう一つ、権威の話をしましょうか」
自分から視線を逸らし、話題を変える事を示す。
「この国は立憲君主制とはいえ女王を戴き続ける国であり、また貴族制度を色濃く残している国でも有る。貴方がこの国のマグルの新聞にどれ程眼を通しているか解りませんし、これはタブロイド紙が好む類の話題ですが、時にこのような記事が載る事があります」
「…………」
「何処ぞの誰々が
今度はアルバス・ダンブルドアの反応を伺わなかった。
この後に及んで、偉大さを喪った老人の反応を一々確認してやる必要など無かった。
「貴族号や勲章を受け取らないのが偉いと言いたい訳では有りません。しかしその行為によって表明される彼等の意思――帝国主義の残滓の否定、彼等の無欲さ、自由でありたいという希望、権力への不服従の態度には、敬意を表す人間が大半でしょう。そもそも彼等が貴族号等を肩書きにつけなかった所で、彼等自身の残して来た偉業や功績が消える訳では無い」
翻ってアルバス・ダンブルドアはどうだろう。
彼の肩書は立派で、煌びやかで、眼が痛くなる程だ。
「仮に一人の自由な老人で居たかったならば、何故数々の勲章を受けとる真似をしたんです? 権威を備えた人間の言葉は大衆を動かしうる。貴方は眼を逸らしているようですが、権威獲得も権力獲得への道筋なんですよ」
古代ローマ共和政の終焉を齎した一人の英雄。
彼が若くして最高神祇官に就いた事は、決して小さい事件では無い。
多分に脚色や伝説化されている部分もあろうが、それでもあの職を獲得するのに失敗していれば、
「……他人から名誉を授けられる事と、自ら権力を握る事には超えられない差がある。そして君が今自認したように、勲章が有ろうと無かろうとも儂の英雄としての立場、最も強き魔法使いという地位は変わらぬ筈じゃろう」
「であっても、行動で権力と相容れぬ姿勢を示す事は出来る筈ですが」
この老人からは権威と名声を好む一般的な俗物である事が透けてみえ、自分は魔法大臣を拒否する高潔で無欲な人間だという主張は、僕の心に全く響かない。コーネリウス・ファッジの主張は多少強引であっても、正論の範疇に留まっているようにしか思えない。
「貴方からマーリン勲章勲一等を剥奪するという話も出て居ましたが、そんな話が今出ているという事は、裏を返せば未だに剥奪されていないという事でしょう? ならば何処ぞのロックンローラーのように、自らマーリン勲章を叩き返したら如何です? 魔法省及びウィゼンガモットへの批判としてこれ以上に象徴的な行為は存在しないでしょうに」
「……仮に儂がそうした所で、何処まで行ってもパフォーマンスとしか見られんよ。儂がそれを貰ったのは過去の魔法省とウィゼンガモットからじゃ。今のでは無い。そして勲功は……為した事への対価として受け取ったに過ぎぬ」
「それでも行動する事には意味が在る筈ですし……対価、ね。貴方が本当にそれを──先延ばしにしたゲラート・グリンデルバルトの打倒を真に讃えられるべきだと考えているならば、それはそれで問題だと思いますが」
彼は
国内のみならず国外からどう考えられているかなど想像するのは容易い。
この老人はどうせ国外からも数々の名誉勲章は受け取っているだろうが、それらを与えた当の本人達は、アルバス・ダンブルドアが真剣に英雄だとは考えていなかったに違いない。
「ただ、僕には真剣に理解出来ないんですよ。ホグワーツ校長、ウィゼンガモット最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員等々の強力な
だから嫌いだった。
恐らく、彼の本質に触れた一年生の時から。
「どちらかならば僕は受け容れられた。多くの勲章を胸に煌めかせながら魔法大臣になっても、無粋な名誉と称賛の一切を拒絶して単なる一教授に留まっても。どちらの在り方も僕にとっては純粋に敬意を抱ける存在であり、けれども貴方はどちらでもない」
アルバス・ダンブルドアは中途半端だった。
そして彼の周りには、この程度の批判をしてくれる親友は居なかった。
この最強の魔法使いの怒りを買うのを承知で挑む、僕のような愚か者もまた居なかった。
「他ならぬ貴方が一貫性が重要であると抜かすならば、元より貴方に一貫性など無い。少なくとも貴方が言う一貫性が何か解らない。貴方がそんな歪であるのには理由が有る筈で、故に僕は貴方の人格に信頼が置けず、その行動も読み切れない」
二年時に彼が僕への共感を示した事から考えるに、彼には百年物の瑕が、それもアリアナ・ダンブルドアに纏わる致命的な後悔が存在するのは確かだ。ただ僕の今には知り得ず、そして知らないでも問題は無いという範疇を超えてしまっている。
「寧ろ、逆に貴方流の一貫性が維持される方が悪いのかもしれない。この戦争の勝敗を左右する場面において、万一、アルバス・ダンブルドアをアルバス・ダンブルドアたらしめる思想信条が問題になった場合。貴方は絶対に〝正しい〟行動を取れないからだ」
アリアナ・ダンブルドアの事情とハリー・ポッターの状況が、何らかの要因で奇蹟的に一致した場合。この老人は、不死鳥の騎士団長である事も今世紀で最も偉大な魔法使いである事も忘れ、それがたとえ己の死と魔法戦争の敗北の結果を齎すとしても、愚かに突き進んでしまう事だろう。
「実際今も間違い続けているではないですか」
この老人は、
この今世紀で最も敬意を払われるべき魔法使いは、今この瞬間にも続く魔法界への背信行為によって、来世紀で最も軽蔑を向けられるべき魔法使いの一人となろうとしている。
「今コーネリウス・ファッジがのうのうと魔法界の頂点に居座り、言論に圧力を加え、新法の乱立と現行法の恣意的な解釈を濫用し、そして魔法省とウィゼンガモットの腐敗を公然と露わにしている事が、
「…………」
「まあ、それに関しては、ハーマイオニー・グレンジャーの事さえ考えなければ、僕にとって良い気味だとすら思える事柄ですけども――」
大きく息を吸って、そして吐いた。
平静のままに紡げないのは、自分でも意外に思う位には平穏が嫌いでは無いらしい。
革命を起こさずに済ませられるならば誰だってそれが一番である。そんな一般論が当て嵌まる程に、僕はマトモでは無いと思っていたのだが。
「――あの一年の学期末、僕が貴方に何を求めたか。繰り返す必要がありますか?」
アルバス・ダンブルドアが応えてくれれば、全てをひっくり返して良かった。
去年から今年にかけ、僕は散々自らの節穴と無能振りを露呈してきたのだ。
今更護るべき矜持など僕には無いし、一貫性とやらもアルバス・ダンブルドアと闇の帝王だけに当て嵌まるらしい以上、僕が投げ捨てる事に何の問題無い。残りの二年で僕がスリザリン寮から、或いはドラコ・マルフォイから直々に始末される羽目になるとしても、今回の魔法戦争でどちらに付くのかを公然と鮮明にしてすら構わない。
アルバス・ダンブルドアが、今世紀で最も偉大な魔法使いが、僕が知る限りにおいて最強で最優の戦士が魔法界の頂点に立つ事には、それだけの価値が存在する。
眼を合わせ、一切の心を隠し立てせず、決死の覚悟で問い――けれども今世紀で最も偉大な魔法使いから答えは返ってこず、やはりそれが解答であり結論であるのだった。
アルバス・ダンブルドアの瞳に光る物は無い。
だがそれでも彼は、既に泣いているように見えた。
殆どの人間の眼から隠し続け、また護り続けて来た、この老人の脆弱さ。
百年もの間増築され続けて来た要塞は今や完全に崩れ落ちており、他の人間と同じく持っていた老人の本心を、僕は漸く覗き見る事に成功した。
ホグワーツの四年を費やし、ハリー・ポッターという鍵を用いる事によって、とうとう今世紀で最も偉大な魔法使いの核心部へと辿り着いてしまった。
「儂には決して出来ぬ……」
「何故」
「それが儂の大いなる過ちに繋がるからじゃ」
枯れ果てた男は、身と声を大きく震わせながら言った。
「グリンデルバルド、いや、ゲラートは儂が友と呼べる以上の存在じゃった」
「…………」
彼は祈るように手を組み、額に当て、顔の殆どを覆い隠した。
どんな表情をしているかは見えなくなったものの、見透かすのは容易かった。
「大いなる善の為に。それは元は儂が唱えた言葉じゃった。自分の才に自惚れ、初めて対等な相手を得た事で浮かれ切った若き魔法使いが、自分達の支配を正当化する為の題目として生み出した物じゃった。あの世界魔法大戦は、機密保持法を打破してマグルと魔法族を支配する為の聖戦は、彼の夢ではなく儂等の夢だったのじゃ」
それが、この老人の瑕か。
「……アリアナ・ダンブルドアはどう関わるのですか?」
「そもそもの発端は、マグルによってアリアナが攻撃された事であった」
嗚咽を隠さずに、老人は答えた。
「魔法使いの幼い子供が魔法力を制御出ぬ事はしばしば有る事じゃ。しかし不幸だったのは、彼女が魔法を使う光景をマグルの子に見られた事じゃった。そして更に不幸だったのは、どんなにマグルに強制されようとも、彼女が再度魔法を扱えなかった事じゃった」
「……〝マグル〟は
「――君の想像通り、その報復じゃよ」
その行為を批難する気は起きない。
御互いに幼き故の悲劇であろうと、決して許せない行為は有ろう。
「アリアナは狂った。彼女を放置していれば、機密保持法の名の下に、聖マンゴに閉じ込められるのは確実じゃった。だからそれを防ぐ為、儂の母はアリアナの癇癪を止める為に人生を捨てた。そして最後の最後、当然のように失敗した。儂等家族は三人になった。それが儂のホグワーツ卒業直前の出来事であった」
「…………」
「誰がアリアナの面倒を見るか。答えは歴然としておった。我が弟は未だホグワーツの生徒じゃった。儂は学校を卒業し、そしてまた家長じゃった。そうして儂は妹の癇癪を抑える為だけに、己の才能を費やす事を余儀無くさせられた。ゲラートがゴドリックの谷に来たのは、その頃の話じゃ」
そしてゲラート・グリンデルバルトに惹かれた訳か。
老人の独白はとめどなく続く。
「儂等は強固な絆を育んだ。革命を、理想の未来を語った。が、しかし最終的には破綻した。儂はの、革命の旅に妹を連れ歩けると
「…………」
「そこにゲラートが加わった。儂が見ない振りをしていたのじゃが、彼には非道な部分が有った。それが最も恐ろしい形で現れた。彼は聞き分けの無い、彼がそのように感じた儂の弟を痛め付けた。そして儂等は三つ巴の決闘となり、恐らくアリアナは儂等の諍いを止めようとして、それで、それで――」
「――もう結構ですよ」
告解の言葉を止める。
それ以上は不要で、過剰だった。
魔法大臣の椅子を拒否するようになった理由まで直接話が繋がっている訳では無いが、若きアルバス・ダンブルドアは当然に、革命によってその座を獲る事を計画していたのだろう。
しかしその結果彼はアリアナを喪い、自分の家族愛と善良性を信頼出来なくなり、それ故に彼は魔法大臣に就きたがらなくなった。誰に求められようとも、百年の後悔を理由に至上の地位を遠ざけ続けた。
嗚呼、理解はした。
そして同時に、この老人を更に痛め付ける言葉など幾らでも思い付いた。
魔法大臣に就任する事がそのまま力によるマグル支配と等しい訳ではないとか、アルバス・ダンブルドアの父親がやったように魔法大臣でなくともマグルを虐げる事は可能だとか、既に散々言ってきたように魔法大臣でなかろうと権力を振るう事は可能だとか──眼の前に座っている弱々しい老人が紡いだ、論理の破綻を指摘する事は可能だった。
けれども、それ以上に致命的な瑕疵を僕は見付けてしまった。
どうやらスティーブン・レッドフィールドは、そのように出来ているようだった。
「──機密保持法と心無きマグルによって、可哀想なアリアナは死んだ」
アルバス・ダンブルドアへ投げかける言葉には、己でも驚く程に力は無かった。
息を呑む音。単なる前置きの言葉で、老人が打ちのめされた事を示す反応。それを聞いて尚、僕は止める事無く、椅子から崩れ落ちるようにして、中空を見詰めたままに疑問を紡ぐ。
「ならば、
「────」
「アリアナが死んでしまったが故に貴方がホグワーツに引き籠ったのであれば、では、彼女が生きた意味というのは、果たして何処に有ったのでしょう──?」
終わりだ、と瞳を閉じる。
御互いが相容れない事は明確になった。
この瞬間、僕達は道を共にしえない事を、決定的に実感してしまった。
「……儂が断言しよう。そう言う君も、儂と同じ道を辿る」
「……かもしれませんね。けれどもそれは、まだ今ではない」
気配だけで、アルバス・ダンブルドアは深く項垂れている事は解った。
彼がどんな表情をしているのかも、わざわざ見て確認する必要は無かった。しわくちゃの手によって完全に覆い隠されていようとも、他ならぬ僕はそれを察する事が出来た。
国際魔法使い連盟機密保持法。
その秩序が神聖不可侵である事を前提としても、何も為し得ない訳ではない。
ゲラート・グリンデルバルトによる革命の打倒に関わらなくとも良い。コーネリウス・ファッジらが生きるような政治の世界に打って出る必要すらない。
マグルによって消えぬ傷を負った子供達。スクイブやオブスキュリアルと言った、この魔法界の歪みが生み出した弱者。そんな彼等と向き合い、一人一人を地道に救う聖者の道は存在した筈であり、そしてそれが可能で有ったのは、彼等の痛みを自らの身に知り、共感を抱ける過去を有し、誰よりも強大な魔法使いであるこの男では無かっただろうか。
しかし、それでもアルバス・ダンブルドアは、ホグワーツという安全で恵まれた箱庭において、その稀代の才能を浪費する事を選択した。大部分は彼でなくても誰かがやれたであろう仕事を、自分しか出来ない偉大な仕事のように振る舞い続けた。
彼は間違いを知っても尚間違い続けたのであり――そしてまあ、それは彼が予言したように、これからの未来の僕にも該当し得るかもしれない。僕達が自分本位で利己的で、そして身勝手な人間であるのは、今更語るまでも無い事だった。
老人が完全に落ち着くまで、永遠と思える時間が必要だった。
しかしその静寂の嵐が過ぎた後。上げられたホグワーツ
「君も気付いておる筈じゃ。好意を持てぬ人々に対して、儂が酷く冷ややかである事を。個人的な欲を優先し、為された非道を無視すらしてしまう事を」
「…………」
「例えばハリーに入学許可を渡す時点、その際にハグリッドを遣わした事じゃ。君は明確に不愉快に思った部分が有ったじゃろう?」
「……正直、見事だという感想は抱きましたけどね」
求められた言葉では無いと知っていて、しかし本心からの言葉を紡ぐ。
「虐待を受け続け、己の未来に希望を持てなかった少年。その少年が十一歳の誕生日を迎えた時、山程のふくろうの群れが非日常の到来を告げ、非魔法界では見られないような大きな人間が眼の前に現れる。そして大きな彼は、少年が実は魔法使いだったと知らせると共に、意地悪な従兄弟の家族をもやり込めてしまう。嗚呼、素晴らしく劇的で、物語的では有りませんか」
これ以上の演出など中々出来ない。
あの半巨人には演劇の才能が有るのかもしれなかった。
「その瞬間、さながら鳥が刷り込みによって親を覚えるように、ハリー・ポッターはルビウス・ハグリッドに対して強い好感を抱いた事でしょう」
ミネルバ・マクゴナガル教授を遣わした方が確かに穏当ではあった。
自分の両親の事すら知らされる事なく魔法界から隔離され続け、けれども〝生き残った男の子〟という非常に繊細な対応を求められる子供に対しては、あの女教授程に賢く、臨機応変に行動出来る人間を充てるのが適当だと、普通の人間ならば考えるだろう。
しかし間違いなく、彼女は適当ではあれど、最上ではなかった。
出会った最初の魔法使いがミネルバ・マクゴナガル教授であったのならば、聖ブルータス更生不能非行少年院の教師よりも少しマシに見える程度の印象しか、ハリー・ポッターに与えられなかっただろう。勿論、あの情の深い教授はダーズリー家に何らかの意趣返しをした事だろうし、グリフィンドールに組分けされた後でハリー・ポッターがそれを知った可能性は高いが、それでもルビウス・ハグリッド程に親しみを覚える事は無かった筈だ。
そもそも当時、彼がグリフィンドールに組分けされるかは不透明だった。
両親が同じ寮に属していたとしても、子供が別の寮に組分けされる事例は、少なくはあっても稀とまでは行かない。しかしその場合でも、ハリー・ポッターとルビウス・ハグリッドの友誼――己を魔法界に連れ出してくれた者への好意が続いた事は間違いなく、アルバス・ダンブルドアは半巨人を通して状況を支配する事が可能だった。
ただの十一歳の少年の心を操る事など、この老人にとっては朝飯前だった。
彼が入学する以前から、ハリー・ポッターへの干渉は既に始まっていたのだった。
しかしアルバス・ダンブルドアの視線は静かなままで、僕は渋々降参の言葉を続ける。
「……ええ、気に入らない点は有りましたよ」
椅子に座ったまま、軽く両手を挙げつつ答えた。
ハリー・ポッターを迎えに行く際にルビウス・ハグリッドが少々マグル虐めをしたのは些細な事だ。彼が退学後に折れた杖を持っていた事も無視出来なくはない。
ただ、ハリー・ポッターが十年間虐待を受けていた事は、ルビウス・ハグリッドが魔法界の秩序を無視して良いという事にそのまま繋がる訳では無い。
「魔法族は隠されなければならない。だというのにマグルの民家に大量のふくろう便を送り込んだのは看過出来ず、何よりマグルに魔法を掛けたのはまだ見逃せたとしても、それを治療しないまま『ロンドンの私立病院で尻尾を取る』事を許したというのは論外だ」
要は国際機密保持法の明確な違反である。
「今からでもダーズリー家が魔法省に告発すれば、ルビウス・ハグリッドが折れた杖を持っているのと併せ、あの半巨人をアズカバンに叩き込むには十分でしょうね。無知で有る事は罪では無いが、無知であれば自分が損をする事を示す恰好の例だ」
「しかし、君はそれを助言しないのじゃろう?」
「ええ。ハーマイオニーの少々の、そしてハリー・ポッターの多大な不興を買ってまでするつもりは無い。秩序の維持よりもそれだけの損失を回避する事を優先してしまう」
この老人も同様だろう。
また、〝処理〟が行われたのは聞かずとも想像が付いている。
産まれたばかりの赤子でもない、十一歳にもなる子供に生えていた、豚のような尻尾を切除した。そんな医療事例は何処の病院にも存在せず、あまつさえ外科手術によって取り除いた尻尾が保存され、研究されているという事は無いだろう。
医者の記憶を消したのか、或いはこの老人自身が魔法で尻尾を消したのか。
どちらの処遇を取ったにしても、彼は一応魔法界の秩序を守る為には行動し──しかしそれは裏返せば、この老人がルビウス・ハグリッドのマグル虐めを事後承認したという事だ。ルビウス・ハグリッドは法律違反を理由に叱責などされていない筈で、この老人は寧ろ良くやってくれたという感想を抱いていたに違いなかった。
「そういう事じゃ。儂はしばしば、マグルの権利保護の為に尽力する立派な魔法使いと呼ばれる事になる」
「……実際、貴方がマグル保護に全く貢献していないとは言いませんよ」
「慰めでも嬉しいものじゃの」
アルバス・ダンブルドアは小さく、軽やかに声を上げて笑った。
「ただ、儂はマグルを心から愛せぬのじゃ。アリアナを壊したマグルを、ハリーを虐げるマグルを、そしてその他の敬意を抱くに値せぬマグル達を。無論、そのような者ばかりではないのは頭では理解しておる。しかし儂の心の奥底にはマグルへの不信が有り、力を与えられた者として、魔法でもって彼等を罰する事を厭わぬ冷酷さが横たわっているのじゃ」
「しかし貴方が冷酷なのは、相手が〝マグル〟だからではない。貴方は魔法族に対しても全く同じでしょう?」
「そうじゃな。その点において、儂は皮肉にも平等であると言えるのかもしれぬ。軽蔑すべき魔法族に対しても、儂は決して力を貸したくないと感じてしまうのじゃから」
誰だってそういう部分は有るだろう。
好意を抱ける者に対しては助力を惜しまず、しかし嫌悪しか抱いていない者に対しては、僅かの利益すらも与えたくない。そう考えてしまうのは人間の性で有って──けれどもこの老人は影響力を持ち過ぎており、自分が奉ずる正義を貫きたがる位には我儘で、尚且つ自身の好き嫌いが極端過ぎた。
「……貴方がハリー・ポッターを使おうとしない、真の理由は?」
「君は下らん拘りだと切り捨てるじゃろう。しかし、儂はハリーに近付けぬのじゃ」
最早誤魔化す事をせず、アルバス・ダンブルドアは素直に白状した。
「何時だったかアバーフォース──儂の弟が批難をぶつけてきた事が有る。いや、独り言に近い不平であったか、もしくは儂以外の者に告げたかもしれぬ。ともあれ、彼はこう言った。『兄がとても気にかけた相手の多くは、結局、むしろ放っておかれたほうが良かったと思われる状態になった』とな」
「…………」
「儂は可能な限りハリーに、無垢なる少年に近付かない方が良い人間なのじゃ。おお、今は上手い関係を抱いておるとも。けれど近しくなれば、儂と彼が親しくなれば状況は変わるじゃろう。少しくらい遠いと思える関係の方が、寧ろ友好を築ける場合もある」
……僕は今日彼を散々に批難したが、それでも此度は同種の言葉を紡げなかった。
アルバス・ダンブルドアの主張もまた一理有るのかもしれないと、そう思ってしまった。
「儂は最初からハリーに接触すべきであったかね? ハリーの誕生日、儂は直々に魔法界とホグワーツの説明をするべきであったじゃろうか? 返せずに借り続けたままだった透明マントを携えて、彼に真正面から向き合うべきじゃっただろうか?」
僕の答えを待たずに、アルバス・ダンブルドアは首を小さく振った。
「儂には出来なかった。儂がハリーと向き合えば、当然ジェームズとリリーの事に触れざるを得ないじゃろう。そして透明マントを直接返してしまえば、儂が私利私欲でマントを借り受けたせいでジェームズ達が死んでしまったのだと、ハリーがそう考えてしまうのは想像が付いた。それは儂の計画に大きく反しており、それ以上に儂はハリーに嫌われるのが怖かった」
「……たかが透明マント如きが有った所で、ポッター家の結末が変わるとは思いませんが」
流石にその発言には口を挟んだ。
「確かに伝説によれば一切の魔法を受けつけず、死からも逃れられる秘宝でしょう。けれども伝説通りに完璧でないのはアラスター・ムーディの義眼が隠蔽を見破った事からも明らかです。そもそもマントの存在は、ピーター・ペティグリューが主君に伝えている筈だ」
「そうじゃな。ヴォルデモートなら見破る。みぞの鏡の前に透明のまま立ったハリーを、或いは秘密の部屋について聞く為にハグリッドを訪れたハリーとロンを、儂が易々と見破ったようにの。第一、透明マントは身体を無くす訳でもない。ウィンキー達のように、四方に撃った呪文に不幸にも当たる事はありうる」
そう言いながらも、彼は自身の言葉を殆ど信じて居ないようだった。
死の秘宝が真の所有者に対して齎す奇蹟を願う位には、この老人は自己の振る舞いを恥じ切っていた。
「しかし、それは君だから言える事じゃ。君であれば一年の時から同じ反論を出来たじゃろうが、普通のホグワーツ一年生には期待出来ぬ。お前のせいで親が死んだ。その感情的で、さりとて子供らしい真っ直ぐな批判を退ける事は、儂には決して出来ぬ。ジェームズ達が不死鳥の騎士団に所属していた事を考えれば、決して見当違いという訳でもないしのう」
「…………」
「更にもっと致命的な問題が有る。それは儂がハリーをダーズリー家に預けた元凶、彼の不幸の諸悪の根源であった事じゃ」
……そうか。
確かに、その問題が有ったか。
最早意味の無い仮定であるが、僕がグリフィンドールに組分けされていたのであれば絶対に利用したであろう、ハリー・ポッターに取り入る為の決定的な隙が。
「儂がダーズリー家に向かえば、彼等夫妻からその話が出るじゃろう。話もせずに一歳の赤子を置き去りにした儂に文句も言いたくなるじゃろう。そしてハグリッドと違い、儂は多くを知っておる。誤魔化すにも限度があり、子供だから大人の嘘に気付かないというのは期待すべきではない。故に儂はそれが露見するのを恐れた。更に彼が儂を憎悪し、
「……悪しき側? ハリー・ポッターがですか?」
自覚はしていなかったが、僕の反応が余程可笑しかったのかもしれない。
アルバス・ダンブルドアは瞳に強烈な光を激しく瞬かせ、愉快そうに頬を綻ばせていた。君程の人間が、そんな愚かしい事を言うのか。彼は無言の内に告げていた。
「そうとも。はっきり言えば、儂はハリーに疑いの眼を向けておったのじゃ」
今世紀で最も偉大になるべきでなかった魔法使いは、今こそ十四年を懺悔する。
「鏡の中にハリーが自身の家族を見て、賢者の石の試練を突破し、儂の期待以上の偉業を成し遂げる前まで。いや、それ以降ですらも。儂は心の何処かで常にハリーを疑っておった。何故ならのう、シビルの予言はの、
「――――」
魔法界に均衡を齎す者とも予言しなかったのう。
校長は何処か茶化すように笑ったが、僕は一切笑えなかった。
当たる筈の無い予言が当たった。
それは闇の帝王のみならず、アルバス・ダンブルドアにも影響を与えた。
予言を素直に信じる筈もない合理的な人間に、しかし真なる予言の存在を疑う程に不合理でない人間に、予言内容を検証させ、善良であろうとしている老人には本来想像出来なかった筈の最悪の未来予測を構築させる羽目になった。
「ヴォルデモートと
そこまで言って、彼は大きくかぶりを振った。
「いや、君には一切を秘さずに言おう。予言の内容を聞いて、儂が何を思い浮かべたと思う? 儂は当然、ゲラートに対するアルバスを想い浮かべた。名が体を現さぬ、腹の中が真っ黒な、ゲラートと
「……だから、貴方は一貫して彼と距離を保ち続け、そして今もまた距離を置いている」
「然り。おお、結果として儂は間違え続けておったのかもしれぬ。けれども、それは今だから言える事じゃ。ハリーの善性を一切疑う余地が無い、今だからこそ」
ハリー・ポッターを非魔法界に隔離する事は、この老人には更に二点の利点があった。
彼がさながら王子様のように、自分の力と地位に驕った人間として育てられるのを防ぐ事。そして彼が魔法の存在を自覚し、学んで更に力を高めるのを遅らせる事。
……つまり、アルバス・ダンブルドアと同じ道を辿るのを阻むという事。
魔法を嫌う非魔法族のダーズリー家にハリー・ポッターを預けた事は、彼がオブスキュリアル化する危険を筆頭に、様々な危険と問題を抱えていた。ただそれでも、ハリー・ポッターが新たな闇の帝王として君臨し、更に多くの命が喪われる未来を憂うのであれば、この老人にとってダーズリー家やハリー・ポッター自身の犠牲など非常に些細な事であった。
この大魔法使いが捨てきれない理念、大いなる善の下に肯定出来た。
「……成程、ハリー・ポッターの性質を善と信ずるなら、貴方の不親切と秘密主義はどう考えても狂っている。しかし彼の性質を悪と疑うなら――貴方の立場も理解出来てしまう」
これ程までに腑に落ちる種明かしというのも早々ない。
もしかすれば、この老人程にハリー・ポッターが〝悪〟であるのを期待した人間は、この世界に居ないのかもしれない。
ハリー・ポッターがダーズリー家へ魔法力を用いて過度の報復を試みるならば、それを口実にして合法的に討ち滅ぼす。ハリー・ポッターが強大な闇の魔法使いだったが故にヴォルデモート卿を打ち滅ぼしたという噂を真実と成し、またシビル・トレローニーの予言――アルバス・ダンブルドアが闇の帝王を滅ぼす為の障害をも破壊する。
この老人が何処まで本気であったか、
けれども少なくとも僕のスリザリン的思考は、それが有りだと結論を下している。
ハリー・ポッターという余計で計算不能な駒を速やかに排除し、アルバス・ダンブルドアと闇の帝王の戦いという形で解りやすく盤面を整理するのは、一つの策として許容出来た。
しかし、この老人に当時どんな思惑が在ろうと、ハリー・ポッターは善だった。
ハリー・ポッターはアルバス・ダンブルドアとは違うと証明されてしまったが故に、彼はハリー・ポッターに敬意を払い、惹かれ、愛してしまった。そして愛してしまったからこそ、今このような面倒な事になっている。
アルバス・ダンブルドアは、〝アルバス・ダンブルドア〟である事を忘れてしまった。
いや、元より解り切っていた事なのだろう。自分でない仮面を被るにも限界が有る。セドリック・ディゴリーがそうであったように、アルバス・ダンブルドアもまたそうだった。
「――結局、貴方は最後までハリー・ポッターを信頼出来ないんでしょうね」
「……いずれは、と思うておる。しかし……君の見立てでは、儂は無理なのじゃな」
「ええ。多分、いえ絶対に貴方は躊躇する。全ての真実を告白する度胸は、貴方には無い」
「そうか……。そうじゃろうな」
予言の事のみでは無い。
仮にこの老人が第一の予言について語る日が来たとしても、全てを告げる事は出来ない。
先の見えない謎めいた道筋だけを示して、彼には何も解らないまま、アルバス・ダンブルドアという大賢者の道具として扱われる事を期待するのだろう。
「ですが、貴方がそう決めたならば、僕はもう何も言いませんよ」
属する陣営が違う以上、最初から必然では有った。
けれども、今こそ意見の相違と対立を、心の底から受け容れた。
「僕が予測する未来においても、最後に難題が存在しているのは事実です。貴方であれば、もしかしたらハリー・ポッター無しで何とかやる方法を見つけ出すのかもしれない。己の愛と善を他の誰よりも信じきれず、それ故に他人のそれらを誰よりも尊ぶ貴方ならば」
ハリー・ポッターが闇の帝王をどのように打倒するか。
アルバス・ダンブルドアが闇の帝王をどうやって引き摺り出すか。
その何れの答えが簡単で楽なのかは、僕には断言出来ない。
ハリー・ポッター有りを選ぶのも無しを選ぶのも、それぞれ一長一短。
そして僕は直感的にであるが、ハリー・ポッターを喪ったアルバス・ダンブルドアであれば、闇の帝王を滅ぼし得るとも考えていた。ならば、ハリー・ポッターを戦場に出さないが為に本気となった魔法使いは、やはりそれを為し得るのかもしれない。
「けれども、本当の最後に一つだけ。僕が貴方でなくハリー・ポッターと戦争をするならば、まず何よりも最初に、僕は彼等の友情に亀裂を入れようとするでしょう」
ハリー・ポッターは闇の帝王と違うが故に、僕はそれに意義を見出す。
「殺すのはハーマイオニーの父親が良い。殺し方も可能な限り残忍に、彼女のホグワーツの友誼が原因だと解るようにすべきでしょう。そうすれば彼女は残された母親の望み、
「儂はトムがそうすると思わぬよ」
僕の言葉の深刻さに比して、アルバス・ダンブルドアの口調は軽かった。
「人質を使う、もしくは他人の犠牲を餌にするというのは、あやつらが先の戦争中で散々やった手法じゃった。しかし現状、その手段をハリーに対して用いる筈もない。日記帳のトムがハリーをどう評していたかを考慮すれば、成長したとはいえ、あやつの頭では考え付かぬ。そう、付かないのじゃが――」
アルバス・ダンブルドアは微笑んだ。
穏やかで、優しげで、けれども見る者を凍らせる程度の凄みが有った。
「――それは既に叶わぬ。絶対とは言わぬ。時間が経てば破れる可能性は確かに上がる。また、夫妻が偶然に死喰い人達の被害に遭う可能性は一応高くなっておる。ただ、魔法の力を絶対視するあやつらが指揮する限り、今回儂が施した偽装を見破れはせぬじゃろう」
「……そう、ですか」
助言のつもりで発した言葉は、結局余計な御世話だった訳だ。
正気で居る限り、この魔法使いを超えられる者はそう居ない。
今の時代に対抗出来るのは闇の帝王一人で、しかし彼も人である以上、得手不得手な分野は存在する。アルバス・ダンブルドアが魔道の知識の面で闇の帝王に一歩劣るとしても、この手の操作では彼の追随を許しはしないのだろう。
「――やはり、この国に貴方しか居なかった事こそが悲劇なんでしょうね」
この老人は、ただただ孤独だった。
ゲラート・グリンデルバルトと会うまで。そして、会ってからも。
「貴方以外の誰かが居れば。今こそ本当の意味でそう思いますよ。貴方と歩を同じく出来るだけの能力を持った誰かが居れば、まず間違いなく、この魔法戦争は余裕勝ち出来ていた」
「……その意味では、バーティもアラスターも完全に力不足じゃったの。そして時間が足りぬかった。今この時に間に合ったとすれば、それは皮肉にもヴォルデモートじゃったろう」
「少なくとも彼は、貴方が強烈に意識し、敵視するだけの能力が有った訳だ」
「でなければ、儂等は十年以上殺し合いをして居らぬよ」
アルバス・ダンブルドアは少しだけ寂し気に笑った。
「今思えば、儂はトムと出会った瞬間からそれを知っていたように思う。兎を吊るし、仲間を傷付け、魔法力でもって平然と大人へ命令する事を躊躇わない、
もっとも君に言わせれば、トムにとって儂は何ら特別ではなかったようじゃが。
この国に君臨させられてしまった哀しき王は、そのように言葉を結んだ。