この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

65 / 90
三話目。


十四年前の疑問

 〝アルバス・ダンブルドア〟は段々崩れつつあった。

 

 動揺は何とか治め切れている。しかし、苦渋が、敵意が、そして僕への憎悪が存在していた。日が大きく傾き、夜の帳が染みつつある校長室の中、蒼の瞳が焔のように燃えている。僕は漸く、この老人の仮面を剥がしつつあり、しかしまだそれは始まりである。彼が他人の前に置いた分厚い壁は、まだ破壊し切れていない。

 

「まさか今指摘されるとは思っていなかった。そのような反応ですね」

「…………」

 

 答えなかったが、答えたも同然だった。

 

「別に自分が賢いからこの指摘を出来たというつもりは有りませんよ。この十四年間でハリー・ポッターが何故闇の帝王を滅ぼす事が出来たのか。その謎に多くの人間が挑み、あれこれと頭を悩ませ続けてきました。この回答はそれらの予想の中に当然有りましたし、何より先程貴方自身が気付かせようとしていたんです。指摘出来ない筈もない」

 

 賢者の石にそうした時と同じように、と内心のみで呟く。

 それを口にしなかったのは、この予言の存在についてアルバス・ダンブルドアが自分から気付いて欲しい──真に気付かせたい相手を自覚して居ないからだ。そしてわざわざ代わりに伝えてやる程に、僕はこの老人に都合の良い存在になる気は無かった。

 

「もっとも鎌掛けの面が有ったのは否定しません。ですから嘘を吐いても良いよう正確に視線を合わせた訳ですが、どうやら貴方を過大評価していたみたいですね」

「……()()()()()()()()()()()()。それを既に儂は理解しておるからの。無意味な事はせんよ」

 

 絞り出すような声色でアルバス・ダンブルドアは言った。

 

「しかし、儂もまた君の事を過大評価しておったのかもしれぬ。君は論理と合理を第一に重んずる人間だとこの四年間で思っておった。その君が、まさか真の予言の実在を本気で確信し、ここで持ち出すとは夢にも思わなんだ」

「無駄に惚けてみせるのは貴方の悪癖だ。そう思いますけどね」

 

 自分の都合の悪い部分を見たがらないのは誰にでも有るだろうが、それでもこの老人は一際酷い。賢過ぎるアルバス・ダンブルドアは、他人の知性こそを過小評価している。

 

「四年前、クィリナス・クィレル教授はこう言っていましたよ。『最初、〝生き残った男の子〟──つい一年ばかり前に生まれた赤子がヴォルデモート卿を退けたのだと聞いて、一体誰が信じたと思う? それが大嘘では無い証拠は?』と」

 

 僕が今以上に何も知らなかったあの時。

 既に闇に囚われていた教授は、そう厳かに問うてみせた。

 

「……クィレルの名を持ち出さずとも、君はその疑問を当然に抱いた筈じゃ」

「そうですね。ただ、当時を知らない生徒に対して謎の根幹を的確に提示してみせる程には、あの教授は非常に賢い人でしたよ」

 

 予言の存在の確信。

 彼の言葉がその一助となったのは確かだった。

 そう長い会話では無かったが、それでもあれは途中で終わってしまったが故に、この四年間その一切が心残りのままで、印象に残り続けて来た。

 

 本当に、かの教授のマグル学の講義を受けたかったものだ。

 スリザリンから排斥される羽目になるとしても、その危険を冒す価値は有っただろう。

 

「まあ教授の言葉を抜きにしても、闇の帝王が復活した今、十四年前の謎を洗い直す必要を感じるのは当然の事ではないですか? ハーマイオニーとて──」

「──彼女には君のような推論を立てる事は出来ぬ。君程に、彼女は賢くはない」

 

 その無慈悲に切って捨てる物言いに少々不愉快さを抱いたが、彼女が気付き得るか否かは今の本題では無く、僕は言葉を続けた。

 

「……ともあれ、物事の渦中に居た貴方がたにとっては、〝生き残った男の子〟の存在は何ら不思議ではないのでしょう。けれども第三者から見れば──特に、この四年間のハリー・ポッターの物語を聞いた僕にとってみれば、ソレは不思議で仕方が無い。そう思いますよ」

 

 確かに穴は有るし、推量が多分に混ざる部分も有る。

 だがそれでも合理の下に予言の存在を疑うには、十分過ぎる材料が存在していた。

 

「闇の帝王が消え去った当時の噂という物を、僕は良く知りません。しかし、当時の記録を見る限り、早い内からハリー・ポッターは〝生き残った男の子〟だったようですね。いえ、こう言いましょうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アルバス・ダンブルドアは敢えてだんまりを決め込んでいる。

 僕が何故、予言の存在に行き着いたかの説明を、無言のままに促し続ける。

 

「あのハロウィンの夜、ゴドリックの谷のポッター家でジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの二人が死に、ハリー・ポッターが一人残った。そして、闇の帝王が姿を消した。もっとも、これだけの〝客観的事実〟が伝わるのにも相応の時間が掛かったでしょうし、その事実の情報が流れた当初では、それが真実かどうかはまだ解らなかったでしょうが」

 

 当時は未だ戦中であり、誤報が無い方が珍しかっただろう。

 

「そしてポッター家の悲劇の目撃者は現在に至るまで現れて居ませんし、実際目撃者は居なかったのでしょう。つまり、当時何が起こったかは、闇の帝王が死亡しただろうというのも含めて〝想像〟です。ええ、想像するしかないんですよ」

 

 想像を働かせ、どのような展開が合理的かを推測せざるを得ない。

 

「ポッター夫妻の死と、赤子の生存。闇の帝王の消息不明。それ以上の情報が解らず、しかしそれらの情報を踏まえた時、普通はどのように推測すると思います?」

「……答える必要が有るかね」

「まあ、そうですね。貴方からは期待出来る答えが返って来そうにない」

 

 そうしてくれる程素直ではないし、アルバス・ダンブルドアは最初から誰よりも多くを知り得る立場に居た。今回聞く相手としては不適切だった。

 

 故に、僕は自ら答えを紡いだ。

 

「普通はこう考えると思いますよ。闇の帝王がポッター家を襲撃した()()()()()()()()()()()()、それによって闇の帝王が姿を消した、とね」

 

 つまりは如何に頭を悩ませようとも、赤子が闇の魔法使いを滅ぼしたという〝間違った(正しい)〟結論を導く事にはならないだろう。

 

「一応ハリー・ポッターに対して死の呪文が行使されたというのも事実のようであり、これを知れば彼が帝王を滅ぼしたと想定する事は可能です。しかし、捜査機関の検証には時間が掛かる筈ですし──そもそも魔法界の捜査機関にそれを知る能力が有るか自体を知りませんが──その場合で有っても尚、他の第三者を仮定する方が余程合理的に思えます」

 

 勿論、第三者の存在を仮定するのも結構な無理が有る。

 闇の帝王によってポッター家が襲撃された際に偶々他の魔法使いが訪れており、その魔法使いは闇の帝王に対抗出来る程に凄腕で、そして両者は相討ちによって同じく肉体を喪ったというのは、まあ中々考え難いストーリーだ。

 

 もっとも、その魔法使いがアルバス・ダンブルドアであれば辛うじて信じられそうな話であり、第一、赤子が最悪の闇の魔法使いを打ち破ったというストーリー自体が荒唐無稽過ぎるのだ。どちらの方が信じられるかと聞けば、前者だと答える人間の方が多いだろう。

 

 だがそれにも拘わらず、ハリー・ポッターは早い内から〝生き残った男の子〟だった。

 

「そして究極を言えば、第三者の認識なんて問題無いのかもしれません。死喰い人達。そして不死鳥の騎──いえ、アルバス・ダンブルドア。対立する両陣営は何故、目撃者も無しに、闇の帝王を打ち破ったのがハリー・ポッターだと信じたのでしょう?」

 

 特に死喰い人達は──転向したルシウス・マルフォイ氏達や、忠誠を崩さずにアズカバンへ行ったベラトリックス・レストレンジ達のいずれも──何故、他の人間が闇の帝王を殺したのだと、赤子によって滅ぼされたなど酷い大法螺だと大きく主張しなかったのだろう。或いは、何故その主張が受け容れられなかったのだろうか。

 赤子に滅ぼされた魔法使いなどいう風評は主君の名誉を大きく失墜させ、ひいてはそのような人間に忠誠を誓った自分も軽んじられる可能性が有るにも拘わらず、だ。

 

「もっと言えば、姿を消した事が死を意味するとは限らない。単に何らかの目的が有って姿を隠したのかもしれない。しかし両陣営は闇の帝王が死んだ、そうでなくとも死に等しい状況に陥ったと考えた。死の飛翔の名や死喰い人の名称からすれば彼等が不死を求めていたのは明らかなのに、それが確実に破られたと考えた理由は果たして何故なのか」

「……その答えが、予言かね」

「ええ。それが存在していれば、これ程理屈が通る事は無い」

 

 先の謎について綺麗に、単純かつ簡明に説明が付いてしまう。

 

「ハリー・ポッター、その時点で一歳に過ぎない赤子。そんな彼が闇の帝王を打ち破るなどという予言を馬鹿正直に信じる人間は居ない。闇の帝王が冗談交じりに死喰い人に告げ、その予言の真偽を試してみようと宣言するのは有り得る話です。その予言を残した人間が見るからに才能が無さそうであったのならば、余計にその可能性は高くなるでしょう」

 

 闇の帝王視点ではどう考えたって外れる予言なのだ。

 そして、そのように判断する人間の方が圧倒的多数だろう。

 

 どんなに大穴狙いの人間であったとしても、赤子が闇の魔法使いを打ち破る方に賭けはしない。それはこのアルバス・ダンブルドアとて例外では無い。

 

「しかし結果として闇の帝王は姿を消し、ハリー・ポッターの両親は死亡したものの、一歳の赤子が生きていると伝えられた。史上最悪に狙われて絶対に生きている筈もない人間が生きており、当たる筈の無い予言が当たったように見えた。()()()()()()()()()()()()ように思われた。故に、死喰い人達は挙って転向した」

 

 最初に裏切った一人が誰だったのかは不明だ。

 けれども、闇の帝王が裏切者をどう処分するかを良く知るような高位の死喰い人が──たとえばルシウス・マルフォイ氏が──公然と裏切ったならば、多くの人間が闇の帝王は死んだのだろうと考えるには十分だった事だろう。

 

「貴方の側もそうです。現代最強の魔法使い(アルバス・ダンブルドア)が十一年全力を費やして滅ぼせなかった相手が、しかし一夜にして忽然と姿を消してしまった。誰が為したのか疑問に思うのが当然であり、寧ろ闇の帝王の策を疑って然るべきですらある。けれども、そうはしなかった。何らかの理由によって貴方は予言を事前に知っていたから」

 

 だからハリー・ポッターの保護に速やかに動いた。

 魔法省がポッター家の悲劇を完全に察知するよりも、ゴドリックの谷の他の魔法使いが事件を掌握するよりも、誰よりも早く動く事が出来た。

 

「ハリー・ポッターこそが闇の帝王を打ち破った。その考えで二つの陣営の考えが一致している以上、実は他の人間が闇の帝王を滅ぼしたのだという噂が生まれようもない。ルシウス・マルフォイ氏のような転向者も、不要な嘘は付けないでしょう。予言の存在まで述べたかは知りませんが、闇の帝王の目的がポッター家の皆殺しであった程度の事は言える筈で、予言の記録を有する魔法省が全てを隠蔽したのも有り得る話です。そうして〝生き残った男の子〟の伝説は生まれた」

 

 多くの人間は、闇の帝王がジェームズ・ポッターもしくはリリー・エバンズの殺害を目的としてポッター家を襲撃し、()()()()殺そうとしたハリー・ポッターを殺しきれなかったのだと考えている。当然の話だ、わざわざ闇の帝王が赤子を殺しに行く必要が有ったなど考えはしない。

 

 故にハリー・ポッターは〝生き残った男の子(The Boy Who Lived)〟と呼ばれている。

 闇の帝王を討ち破った男の子ではなく、闇の帝王を滅ぼす運命に選ばれた男の子でもなく、あくまで奇蹟的な偶然によって生き延びたに過ぎない人間として。

 

 しかし、実際は違うのだろう。

 彼は元より、闇の帝王と対決する事を宿命付けられていた。

 

「勿論、これは仮説に過ぎません。予言が存在したから以上に当時の両陣営の動向を説明し得る物語。それを貴方が作れるのならば、僕は一応聞く気が有りますが」

「……そうする必要は無かろう。言ったように、儂は君を易々と騙せるとは思っておらぬ」

 

 じゃが、とアルバス・ダンブルドアは口をひん曲げる。

 

「君の語った部分には明確な間違いが有る。それは予言の中身は、ハリーがヴォルデモートを滅ぼすという内容では無かったという事じゃ」

「そうですか。まあ絶対に当たる予言は存在しえないという話も有りますし、勝利が予言されているならば、貴方がハリー・ポッターを戦場に引っ張り出さない道理も無いですか」

 

 そもそも闇の帝王は生きていた。

 予言は外れたか、未だ成就されていない。

 

「……しかし、君らしくも無い言い草じゃ」

 

 そう言い捨てる老人に、鏡を見せたい気分になる。

 物分かりの悪い愚者を前にしているような苛立ちを浮かべている彼は、更にそれ以上に顔を歪めている僕に向かって吐き捨てた。

 

「真の予言は確かに存在する。けれども、神秘部の予言の間におかれた予言とて、かすりもせずに外れた物は少なくない。高名な予言者の予言とて、全てが的中した訳でもない。ケンタウロスですらも星を詠み間違うように、百発百中の未来視は絶対に存在しない」

 

 ()()()()()()()と、老人は重々しく言った。

 

「かつて真の予言者と呼ばれた者の血を引く者が、ホグワーツの職を求めて儂に会いに来た。しかし、その者は、占い学を履修した事のない儂の眼から見ても、全く才能が無いように思えた。そんな彼女が突如トランス状態に陥ったような素振りをして、絶対に実現しようにない酔っ払いの法螺話とも思える予言を宣告した場合。君はその内容を信じるかね?」

「寧ろ信頼する理由が有るんですか? 職を得る為に、或いは自分を偉大な予言者に見せる為に演技をするというのは、世間的に見て珍しくもない行動原理でしょうに」

 

 真正面から彼女の予言を信じるのは馬鹿の所業である。

 予言を知って対策措置を一応講じたアルバス・ダンブルドアも、予言を受けて実際に行動に及んだ闇の帝王すらも信じていなかっただろう。

 

「もう言ってしまいましょう。シビル・トレローニーの第一の予言は信頼に値しない。貴方がポッター家の悲劇を防げなかったのは一応失態ですが、さりとて大々的に責められる物でも無い。神に対して子供が石に取り換えられるのを予測しろというよりは無茶な話ですよ」

 

 当人達が何を宣おうが、どんな反論をしようが、アルバス・ダンブルドアが秘密の守り人を引き受けるべきであり、その上でハリー・ポッターは手厚く守られるべきだった――そう主張するのは後出しであり、結果論である。あの恰好だけ立派な占い師による予言が為された時点において、その予言の内容を真剣に受け止めろというのは土台無理な話だ。

 最低限の用心はするだろうが、わざわざ最大戦力が手を割ける程、魔法戦争は暇でもなかった筈である。シリウス・ブラック達の悪戯めいた入れ替わりが騎士団長に報告されなかった事や、透明マントが一時貸し出された事も、当人達の危機感の欠如を示している。

 

「ただ、最初から僕は第一の予言には左程興味が有りませんでした。全く興味がない訳ではないですが、貴方の様子から判断する限り知って得はしないようですし、そもそも僕は占いが当たるか外れるか自体に興味がない。その点で、貴方の僕への見立ては正しい」

「…………」

「だから僕が関心を寄せるのは、予言の内容ではなく、それが存在する事による力であり、人に及ぼす影響ですよ」

 

 百発百中の予言が存在し得ないのではないかという論拠と同じ。

 真の予言を聞いた人間は通常、予言を受けて何らかの反応や行動を示すもので──

 

「特に僕が去年から強い興味を抱いていたのは、シビル・トレローニーが為した第二の予言の方でした。あの予言は、ハリー・ポッターの行動に一切影響を与えなかった。であれば、あの予言は一体何故存在したのかと」

 

 ――しかし、あれはそうでは無かった。

 

 ハーマイオニー・グレンジャーに聞いた時から疑問だった。

 幾度検討しても、あの第二の予言の存在価値は無かった。

 

「……本人すら意図し得ない予言の存在理由を考えようとする事自体が無意味である。君はそう思わんのかね?」

「その主張を受け容れるとしても、予言は存在する事によって人の行動を変えうるという点において意味が有り、その価値は否定し得ないでしょう。さながら第一の予言が、闇の帝王にとってそうであったように」

 

 そこまで紡ぎ、僕は首を振った。

 僕達の間柄において、それ程迂遠な言い方はする必要は無い。

 

「闇の帝王の(しもべ)の帰還。その予言を真剣に受け止めなかったハリー・ポッターは何も動かなかった。その結果ピーター・ペティグリューは逃げ去り、シリウス・ブラックは殺人犯の汚名を着せられたままで、そして今年闇の帝王が復活した。ハリー・ポッターの心境は推測するしか有りませんが、その不作為に深い後悔と自責の念を覚えている事でしょう」

 

 あの時こうしていたら。

 誰もが人生で一度は考えるであろう仮定の話は、しかしシビル・トレローニーの第二の予言の場合には異なる。あの時ハリー・ポッターが予言の内容を真剣に受け止めていたら、万一の可能性を想い、アルバス・ダンブルドアに即刻相談していたのならば、自分の後見人であるシリウス・ブラックを救える可能性は残っていた。

 

「であれば、今度はそれを繰り返さないと、次は予言を信じて行動しようと考えると思いませんか? 要はあの予言は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その点に意義が有り、価値が有った。僕にはそう思えてならないんですよ」

 

 第二の予言という本物が存在した。

 であれば、第一の予言もまた本物ではないか。

 

 そう考えてしまうのが、普通の人情では無いだろうか。

 

「……君が知らぬ以上仕方ない事では有るが、シビルの第一の予言は信じて行動すれば未来を変えられるといった類の予言では無い」

「成程、ならばどういう類の予言なのです? いえ、今は最も重要な部分だけを聞きましょうか。その第一の予言の内容をハリー・ポッターは知っているのですか?」

「────」

 

 この老人が語った四年の中に第一の予言の話は一切出てこなかった。シビル・トレローニーの予言を二つ目と評した際にも彼は語らず、そして今の沈黙でもって確定した。

 

 ……嗚呼、そうなのだ。

 闇の帝王の復活という戯言を触れ回っている今のアルバス・ダンブルドアを見て、彼程にハリー・ポッターを信頼している者は居ないのだと、そう多くの人間は考えるだろう。

 

 しかし、実態は真逆だ。アルバス・ダンブルドア程に彼を、闇の帝王を一度打ち破った〝生き残った男の子〟の能力と資質を疑っている人間は居ない。

 これまでの四年間、特に一年時の賢者の石の一件は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()を試す為の試練で、それ以降の三年間も同様の観点に基づく物で、そして他ならぬあの英雄は真正面から受けて立った上で証明し続けて来たにも拘わらず、この老人は未だ信じ切れていない。

 アルバス・ダンブルドアのハリー・ポッターに対する認識は、ダーズリー家に置いて行った一歳の小さな男の子から殆ど変化していない。自分一人が護らなければ何も為し得ない、弱々しい存在だと考えている。だからこそ、彼に関わる真実を平気な顔で隠してしまう。

 

「貴方はハリー・ポッターに纏わる、為すべき仕事を為していない。魔法戦争が再開され、勝利の為に最大限尽力するべきであるにも拘わらず、しかしハリー・ポッターを蔑ろにし続けている。それは彼の価値と意義と功績を想う限り異常で、許されて良い行いでは決してない。ハリー・ポッターの物語を聞いた今だからこそ、僕は余計にそう思えて仕方がない」

 

 

 

 

 

 

 

「――たしか一年の時には聞いていなかったと思いますが、今こそ聞きましょう」

 

 クィリナス・クィレル教授はもう一つ、印象深い言葉を残していた。

 

「第一次魔法戦争の勝敗について。もっと言ってしまえば、そもそもハリー・ポッターが闇の帝王を打ち破ったハロウィンの夜が無かった場合。闇の帝王とアルバス・ダンブルドア。貴方がたのどちらが勝っただろうと、貴方は予測しているのですか?」

 

 仮定の話だ。

 けれども、今だからこそ意味が有る。

 

 闇の帝王を滅ぼす為の道筋、分霊箱という不死の手段の破壊について語りながらも、その()()()()()()()()()()()()()()()()について、アルバス・ダンブルドアは一切語っていない。そんな現実に僕が気付いてしまった、この今だからこそ。

 

「僕は当時の事を直接知らない。しかし、後世から見た正直な感想として、あの戦争では闇の帝王や死喰い人の勢力が圧倒していたように思えてならない。魔法省は散々醜態を晒し、貴方がたの騎士団員にしても多くが死んで行った。ハリー・ポッターさえ居なければ、普通に闇の陣営が勝利を収めた可能性が高かったように思いますが?」

 

 不死鳥の騎士団を率いたアルバス・ダンブルドアが居て尚──今世紀で最も偉大な魔法使いの力をもってして尚、行き着く結果は厳しかったように見える。

 

「……確かに、ヴォルデモートの最盛期は、死喰い人の勢力の方が圧倒的に強かった」

 

 不死鳥の騎士団の指導者は、当時を最も良く知る者として僕の疑問を認めた。

 

「組織の人数比で言えば、最も悪い時で二十対一にも上ったじゃろう。しかし、それは数だけの話であり、不死鳥の騎士団に属して居る者だけが闇に抵抗したという訳では無い。バーティが先頭に指揮した闇祓い達もいわば同胞達であり、それ以外にも表に出ない協力者は大勢居った。君も承知しておると思うが、数の論理で行くならば、純血を名乗れる人間の数よりも、名乗れぬ人間の数の方が圧倒的に多い」

「まあ、確かに聖二十八族以外の純血を数に入れて尚、〝マグル生まれ〟と半純血を併せた数には及びませんが。だから貴方がたが当然勝っただろうと?」

「戦争である以上、断言は出来ぬよ。しかし、儂等は十一年戦ったのじゃ。決して一方的にやられていた訳では無いし、君のようにヴォルデモートが勝ったと断言するのは間違いであろうと──」

「ならばその十一年で、分霊箱を幾つ破壊したのですか?」

「────」

 

 つまり、零か。

 

「……あの男の不死の仕組みが幾つあるか解らぬというのに、不用意な行動に出るべきでない。特に分霊箱――当時儂はそれを一個だと思っておったが――その存在を隠されてしまえば絶対に捕捉出来ぬ代物じゃ。君は儂の行動に理解を示す側だと思うがの」

「それでも尚、貴方が闇の帝王に届かなかった事には変わりませんよ。その不死の仕組みを解き明かし、命を刈り取りに行く所までは辿り着けなかった」

 

 何が分霊箱に変えられたかについて、それを語る証人には死人が居る。

 アルバス・ダンブルドアはそう言った以上、その記憶は――少なくとも分霊箱の存在を推測する一部は、魔法戦争中に得ていた筈である。それでも尚、戦争は終わらなかった。

 

 今世紀で最も偉大な魔法使いという偉大をして、彼の首根を掴むには至らなかった。

 

「死の飛翔にとって、死喰い人と名乗る人間達は仲間でも何でも無い。かの闇の帝王さえ生きていれば組織は不滅であり、逆に彼が居なくなったからこそ、十四年前はあっさり決着が付いた。要はこの戦争を終わらせるには、闇の帝王を絶対に打倒しなければならない」

 

 (キング)を仕留めなければ遊戯(チェス)が終わらないように。

 この魔法戦争の勝利条件は、少なくとも光の陣営側では、初めから明確である。

 

「アラスター・〝マッドアイ〟・ムーディがどれだけアズカバンを埋めようと大勢に影響は無く、ルシウス・マルフォイ氏を始めとした死喰い人がどんなに仕事熱心だろうとやはり影響はなかった。だからこそ、アラスター・ムーディは貴方の御零れで伝説の闇祓いになり、ルシウス・マルフォイ氏はアズカバン送りを辛うじて避けられた」

 

 闇の帝王にとって、彼等が有象無象であったのと同様に。

 アルバス・ダンブルドアにとっても、彼等は遍く無視していい雑魚だった。

 

 だから、この老人は最強でありながら、最もアズカバンを埋めた人間にはならなかった。

 

「ゲラート・グリンデルバルトが灯した革命の灯とは違う。この戦争を根本的に終わらせる為には、貴方はただ一人、闇の帝王のみを殺す事に尽力すれば良い。その事実を当時から貴方は解っていた筈で──けれどもその結果は、第一次魔法戦争の顛末が示す通りです」

 

 アルバス・ダンブルドアは、闇の帝王を殺せなかった。

 今世紀で最も偉大な魔法使いはゲラート・グリンデルバルトの革命と異なり、己が有する殆ど全ての勢力を費やす事が出来ていて、しかし届かなかった。

 

「闇の帝王は、唯一貴方を恐れていたと言われています。実際、直接決闘を()()()()()()()()、貴方が勝つ可能性というのは低くはなかったのではありませんか?」

 

 沈黙。しかし、肯定。

 まあ、納得出来る結論では有るのだ。闇の帝王と死喰い人達が仲良く決闘クラブに勤しんでいる姿など想像出来ないし、逆にアルバス・ダンブルドアのそれは容易に想像出来る。

 

 今まで聞いた内容から構築した闇の帝王像は、魔法戦士というより研究者に近しい。

 多分、知っている呪文や魔法理論の数を比べれば、アルバス・ダンブルドアは闇の帝王の足元にも及ぶまい。けれども、それらを使う事に関しては多分、この今世紀で最も偉大な魔法使いの方が遥かに優れている。

 

「一応加齢による衰えや志向した分野の差異もあるでしょうから、貴方がたに敬意を表して実力は互角としておきましょう。しかし、闇の帝王は、戦ってくれなかったのでしょう? いえ、彼は貴方と戦う必要性を見出さなかったのでしょう?」

 

 やはり老人は口を噤んだままである。

 薄々感じていたというのも有るのだろう。

 

 闇の帝王は、今世紀で最も偉大な魔法使いを軽んじていたのだと。

 

「貴方がたの勝利条件は殆ど一つだけだと言って良かった。けれども、闇の帝王の側は違う。不死鳥の騎士団やその協力者を、魔法省の闇祓い達を──つまりは貴方の手足となり得る者を徹底して狙えば良かった。そして貴方の方はキングだけが残っていても勝利ではない。勝利条件は非対称で、不平等だった」

 

 魔法大戦は、ゲラート・グリンデルバルトとアルバス・ダンブルドア、二人の指導者による決闘をもって事実上終結した。けれども大将同士の決闘で決着が付いた、もしくは決着を付けようとした戦争が果たしてどれだけあるだろうか。

 

 王や元帥の仕事は、後方で頭を使い、戦争全体の指揮や戦略策定を為す事である。

 必ずしもそうとは限らないが、現代戦であれば殆ど確実にそうであって、特に勢力が圧倒的に上回っている側が、王を戦場に出す必要性は余り無い。

 

 この魔法戦争も同じだ。たとえ闇の帝王が陣営の最大戦力であろうと、率先して彼が戦場に出る意味は無く、寧ろ出てはならないとすら言える。

 グリフィンドールのような会戦主義の脳筋戦争は、策略と陰謀を好む蛇には合わない。闇の帝王はスリザリンであり、そしてスリザリン流の美しい戦争とは、自分が可能な限り手を煩わされないで済む、美学に満ちた貴族の戦争である筈だった。

 

「闇の帝王が貴方を恐れている。その風評は彼にとって甚だ不愉快だったでしょうが──冷静に見て、わざわざ()()()()()を行う必要性は欠片も見出せない。何れ勢力が圧倒するのは解り切っているんです。貴方の言でも長らく死喰い人側が優勢だったようですし、そもそも貴方がたは、特に貴方は死喰い人達を捕えてしまう。少なくとも裁判無しでの処刑を避ける。そして捕えられているに過ぎないならば、何れ逃がす事が可能だという事です」

 

 闇の陣営は、たとえ戦場で敗北しようが戦力は殆ど減らない。

 光の陣営は、戦場での敗北はそのまま戦力の減少を意味する。

 

 その不均衡の是正を馬鹿真面目に、かつ堂々と主張したのはただ一人。

 どうせ脱獄出来るならば混乱に乗じて悪事を働こうという馬鹿共を威嚇し、更に死喰い人の数自体を減らす事を考えたのは、禁じられた呪文──死の呪文は除外されていない──の使用を闇祓いに許可したバーテミウス・クラウチ氏のみである。

 

「アルバス・ダンブルドア。貴方が幾ら強かろうが全てを護る事は出来ない。貴方に味方した人間を、或いはその恋人や子供達を弱い順に片っ端から殺していけば、貴方に味方する人間は何れ居なくなる。そして貴方が一人になった後は悠々と、二十四時間休みなく、数百人の物量で貴方を殺しにいけば良い」

 

 それがこの戦争に勝つ為の一つの、そして解りやすい手段。

 

「或いは、貴方の老衰による死を待ってすら構わない。闇の帝王は不死を追及し、その一部を既に実現している。更には今回肉体を復活させてみせたのだから、老衰した身体を取り替える位は出来そうな物です。時間は彼の味方であり、生きているだけで勝ちを掴める」

 

 これもまた、戦争に勝つ手段である。

 

 正々堂々戦えと、そうグリフィンドールは言うだろう。

 しかし、別にスリザリンはその負け惜しみに律儀に付き合ってやる義理は無い。その正々堂々の戦場を設定出来ない、戦略的に勝利し得ない脳筋が悪いだけだ。

 

「当然、このような手段は貴方以外の大駒が居ては取れません。貴方の影響力を超える大政治家がこの国の魔法使いを束ねるならば、もしくは貴方に比肩する大魔法使いや戦士が戦力として立つならば、闇の帝王も手抜きする事は出来ず、戦場に出ざるを得ないでしょう。

 

 ──だが、現実には、そんな人間は居なかった」

 

 大規模な戦争が起こるとテセウス・スキャマンダーのように、才有る人間は当然に頭角を現し、広く評判を残すものだ。しかし、あの第一次魔法戦争で名を上げた人間が、果たしてどれだけ居るだろう。殆どが戦争中に死に、生前の勇敢さを墓石で讃えられるばかりだ。

 

 かの戦争で大きく名声を集めて生き残った、かつ()()()魔法使い。

 此度の戦争の再開で指導者として立つ事を周囲から認められる──この人間の指揮下ならば魔法戦争に勝つ可能性は零では無いと、そう思わせる事が可能であった者達は。アルバス・ダンブルドアを除けばたった二人。バーテミウス・クラウチ氏とアラスター・ムーディだけ。

 

 その二人でさえ、今年、既に闇の陣営の前に敗北を喫している。

 

「結局、第一次魔法戦争において貴方だけが邪魔で、闇の帝王の野望を打ち砕く力を持っていた唯一の人間だった。しかし単にそれだけで、避けて通れば済む程度の障害に過ぎなかった。言ってみれば、()()()()()()()()()()()()()()()

「……そんな事を言うのは、世界で君一人じゃろう」

「そうでしょうか? ならば問いますが、これからの戦争で貴方が闇の帝王と決闘している場面を、貴方は御自分で想像出来ますか?」

「…………先の戦争で、儂はヴォルデモートと幾度か杖を交えた事も有る」

「しかし、僕が言っている〝決闘〟は、己の全てを賭した、どちらが斃れるまで止めない最終的な決着手段の事です。さながら貴方がゲラート・グリンデルバルトと為したと伝わる、世紀の大決闘のように」

 

 苦しい弁解は、今度は返って来なかった。

 

「僕が譲歩して貴方の主張を一部受け容れるとしても、貴方が闇の帝王の敵で在れたのは、1981年10月31日までです」

「────」

 

 その日に何が起こったのか。

 今この国に生きている魔法使いで、答えられぬ者は居ない。

 

「ゲラート・グリンデルバルトが何故貴方と決闘するという選択を──国際機密保持法の打破という理想の敗北を確定させる道を取ったのか。それを僕は知りません」

 

 既に組織が崩壊していた為に最後の逆転の手段として決戦に挑む羽目になったのか、或いは彼等が直接戦わなければならない理由が有ったのか。部外者である僕には解らないが、それでも彼等は決闘に同意し、革命の終焉の鐘を鳴らし、全ての幕引きをした。

 

「しかし、闇の帝王は同じ轍を踏む気は無いでしょう。彼は貴方とは絶対に決闘をしてくれない。仮に遭遇戦をやる羽目になったとしても、適当に戦った後で引く。彼が分霊箱を多数作る程に死を恐れているならば猶更だ。自分と貴方が互角の力量で、決闘をやれば五割で勝てると予測していても、自らの死に繋がりかねない危険は冒せない」

 

 そして闇の帝王が噂通り亡者(Inferi)の軍勢を操れるならば、彼の戦争に生者は不要であるとすら言える。どれだけ死喰い人達が死に、また裏切ろうとも、闇の帝王が死を迎えない限り、この国に訪れた暗黒の時代は決して終わらない。

 アルバス・ダンブルドアは負けずに済んでも、同時に彼に勝利する事は出来ない。

 

「──但し、闇の帝王が絶対に雌雄を決しなければならない人間が一人居る」

 

 アルバス・ダンブルドアが今回敗北した原因。

 その一つは、自分の価値を高く見積もり過ぎた事。

 

 そしてもう一つは──

 

「〝生き残った男の子(ハリー・ポッター)〟。彼だけは、闇の帝王が戦わなければならない」

 

 ──愛に眼が眩み、願望によって彼の価値を低く見積もり過ぎた事。

 

「彼は貴方に敗北した訳では無い。けれども、ハリー・ポッター。彼には、しかも赤子の彼には敗北を喫した。どんな詭弁を弄そうとも、あの十四年前を消す事は出来ない。……まあ、赤子に負けた間抜けとして闇の帝王を侮った人間は、即刻己の愚かさを後悔する羽目になるでしょうが――」

 

 単に逃げ回るだけの臆病者が、眼の前の怪物と十年以上戦える筈も無い。

 

「――しかし、ハリー・ポッターの存在が、今後の統治や臣下集めに小さくない影響を及していく事は間違いない。彼の復活を信じている闇の陣営でも暫く様子見しようとする人間は増えたでしょうし、再結集した死喰い人達には未だ心の奥底には疑念が宿っている。何より闇の帝王自身が、己の名声と偉大さを毀損した人間を絶対に許せない」

 

 去年度末の事件がそれをはっきりと示している。

 自身の復活にハリー・ポッターの血を用い、他の死喰い人によってハリー・ポッターが殺される事を是とせず、己がハリー・ポッターより強いと証明する為に決闘した。そうまでしておいて尚、今回ハリー・ポッターは辛くも逃げ切ってしまった。彼はこの十四年間、徹頭徹尾、闇の帝王が何ら絶対(Lord)ではない事を証明し、その面子を潰し続けて来た。

 

「故にハリー・ポッター。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アルバス・ダンブルドアでもなく。

 今世界に存在する、或いは今後生まれるであろう世紀の大魔法使いでもなく。

 格別強力とはいえない、幸運によって生き延びた少年のみが、唯一彼と戦う資格が有る。

 

「貴方が他の分霊箱を全て破壊出来たとしましょう。その場合、闇の帝王は貴方の前に現れない。新たな分霊箱を作るか、他の不死の秘法を求めるか、どちらにしても貴方と戦わない。そして貴方が善人の仮面と倫理の枷を嵌め続けている限り、闇の帝王の下には辿り着けない」

 

 逃げるが勝ち。

 不格好であるが、これは戦争である。

 

 勝利に美学を求め過ぎるべきでは無く、そして闇の帝王は前回の戦争中、アルバス・ダンブルドアの眼を盗んで非魔法族と魔法族を虐殺する程度の事は楽々やっていた。この最強の魔法使いとは絶対に真正面から戦わないという誓いを立てた上で、それでいて尚魔法戦争を続行する事は、何ら難しい仕事では無いだろう。

 

「けれども、ハリー・ポッターだけは違う。彼だけは、闇の帝王本人が打倒せねばならない。半世紀以上も最強で在り続けた貴方と違い、母の愛に生かされただけの凡庸な小僧から逃げる事は許されない。分霊箱を破壊した果て、最後の魂の欠片は、絶対に彼の前に現れる。史上最悪の魔法使いを永遠に滅ぼしうる絶好の機会が、確実に一度は訪れる」

 

 この戦争において、彼は必須の武器である。

 十四年前の時点でハーマイオニー・グレンジャーやロナルド・ウィーズリーを武器として考慮していなかったとしても、彼だけは勘定に入れていなければならなかった。そしてアルバス・ダンブルドアだけがそれを出来ていたのであって、故に賢者の石から始まる四年間、これまでの偉大な校長のホグワーツ計画の殆どを正当化する事が可能だった。

 

「だというのに、今や貴方はハリー・ポッターを生かし続け、また彼が平々凡々な学生生活を送る事こそを至上命題としている。予言を知らせず、彼に〝生き残った男の子〟の意義に気付かせず、自分だけで勝てると思っている。何も知らされない不死鳥の騎士団はそうするしかないんでしょうが、僕は知ったが故に、貴方に反対の意思を表明せざるを得ない」

 

 そしてこの老人が守勢に回り続けている限り、闇の帝王はアルバス・ダンブルドア側の人的資源を削り続ける事を第一目標として戦争を遂行し続け――そして何れ限界が来る。死喰い人達に数と戦力で圧倒された光の陣営は、一騎当千のアルバス・ダンブルドアが健在であろうとも、当然のように敗北する。

 

 その未来を見通してしまったからこそ、僕は今ここで言葉を尽くしており、

 

「……だから何だというのかね」

 

 けれども、この老人は決して容れない。

 

 我が子の事となると、どんな賢人であろうと愚者に堕する。それはこの稀代の魔法使いにおいても例外では無いらしかった。

 

「ヴォルデモートがハリーを絶対に殺したいと思っているのは確かじゃろう。けれども、それが儂の勝利に何の価値が有るのかね? まさか君は、ハリーがヴォルデモートに勝てると本気で考えておるのかね?」

 

 彼は淡々と言葉を紡いでいるつもりであろう。

 けれども、その声は、表情は、憎悪をありありと宿していた。僕が突き付けた論理を、全身全霊で否定しようとしていた。ただ、彼の否定は論理よりも感情が先行してしまっていた。

 

 〝アルバス・ダンブルドア〟である事を、彼は既に忘れつつあった。

 

「確かにハリーは君よりも遥かに闇の魔術に対する防衛術の才能を持っておる。しかし、それだけじゃ。ヴォルデモートは学生時代より桁外れの才覚を示しておった。ハリーは元から足元にも及ばんし、数十年の修練を積んだ今では隔絶しておる」

「ええ、そうでしょうね。今回は運が良かっただけです。真正面の決闘でハリー・ポッターが闇の帝王に勝てる可能性は零で、去年度まんまと逃げおおせた以上、次は逃がしてくれないでしょう。今度彼が一人で出遭ってしまえば、最早どちらかが死ぬまで戦うしかない」

「その通りじゃ。ヴォルデモートは愚か者じゃが、その力量が並外れている事に疑いはない」

 

 老人は語気荒く吐き捨てる。

 

「家族皆殺しにされたエドガー。遺体の欠片しか見つからなかったベンジー。狂うまで拷問されたフランクとアリス。そしてジェームズとリリー! 彼等のように年齢と経験を重ねた魔法使いが、未だホグワーツ生でしかない子供にも劣る無能共だったと思うかね……!?」

「思いませんよ。才能に溢れた数多くの魔法使いが、闇の帝王の前に敗れてきた。ロングボトムやポッターですら逃げるのが精々で、基本的に戦いにすらならなかった」

 

 かの魔法使いは史上最悪と言われる闇の魔法使いであり、単純計算で六十年以上年齢と経験を積み重ねた老練な魔法使いでもある。そんな化物を数年の訓練しか積んでいないホグワーツ生が打ち破れるのならば、今世紀で最も偉大な魔法使いはこれ程までに苦労していない。

 

「貴方が正しい。ハリー・ポッターが闇の帝王の実力を超えられるとすれば、闇の帝王が老衰で死ぬ直前くらいの物だ。何せ、彼がアルバス・ダンブルドア――今世紀で最も偉大な魔法使いである貴方と比肩する力を得た姿など、僕には全く想像が付きませんから」

 

 ハリー・ポッターの才は、その程度でしかない。

 その程度と言っても、アラスター・ムーディを超える域くらいには達しうるのかもしれないが──しかし、闇の帝王はそんな人間達を屠り続けてきたし、アルバス・ダンブルドアの方もまた同等の人間達を一蹴し続けてきた。

 彼等は歴史に名を残す傑物中の傑物達で、単純に比較相手が悪いだけだ。

 

「客観的に判断して、ハリー・ポッターは闇の帝王に勝てはしない。何処をどう検討しても勝率は零だ。彼が闇の帝王を打ち倒す手法など僕には一切思い浮かばない」

「ならば何故君はそこまで不合理な主張を出来るのじゃ……! ハリーがヴォルデモートより強いとは思わぬ、勝てるとも考えぬ! それでいて尚、君はハリーを必要とするのじゃ!?」

「それでも尚、それしか道が見えないからですよ。貴方がハリー・ポッターに一切の権利を認めない現状が、どう考えても間違っていると感じるからですよ」

 

 アルバス・ダンブルドアは傲慢過ぎる。

 自分一人だけが、物事全てを上手く解決出来ると思っている。

 己が保有する能力に対して、誰よりもこの老人自身が過大評価してしまっている。

 

「貴方がどんなに偉大で賢明であろうと万能では無く、貴方は所詮限界の有る一個の人間でしかない。貴方は自分だけが闇の帝王を打ち倒せると妄信しているようですが、そうとは限らない。この国の未来を取り戻したのが一歳の赤子であったように、貴方が信用しきれない他人こそがそれを為し得る場合は有り得る」

 

 ゲラート・グリンデルバルトはアルバス・ダンブルドアのみが打倒する事が出来た。

 それは今の歴史を見る限り正しかったのだろうし、けれども、その論理が今回も妥当するとは思えない。どんな遊戯においても死のカード( Ace of Spades )が必ず強いとは限らない。

 

「僕は別に不合理な事を言っているつもりは有りません。光の陣営が完勝する為には、最早ハリー・ポッターに賭ける以外の道は見えない。しかし、貴方が彼に真実を明かさず、また表舞台に上げようともしない以上、貴方はどうも彼に賭ける気がないようだ。であればやはり、僕もハリー・ポッターに賭けられはしないでしょう」


▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。