この夏休暇中に在るべきモノ。
一カ月の時間が有れば、存在して然るべき証言。
それが、今をもってして尚、何処にも存在していなかった。
「一応、去年の学期末に貴方が多くを語らなかった事を責めはしませんよ」
あの時アルバス・ダンブルドアが全校生徒に語ったのは、大雑把に言って二点。
闇の帝王が復活した事と、闇の帝王によってセドリック・ディゴリーが殺された事。先の話からすれば後者を為したのはピーター・ペティグリューが正確なのだろうが、まあ闇の帝王の杖が使われ、闇の帝王の指示も有った訳だから、まるっきり嘘だとは言えまい。
しかしながら、その二点以上の内容は語られなかった。
「ええ、大した内容が語られなかった事に不満を抱いた人間は居た──僕もその一人ですが──でしょうが、表立って貴方に物申す人間は居なかった。理由は簡単です。それらの疑問に悩まされるのは一時的な物であって、誰もが直に解消されると信じて居たからだ」
実の所、僕は魔法省の立場からして検閲されるだろうと考えており、大衆が知る事が出来ないだろうと考えていたのだが、それはまた別の話だ。
「つまりはハリー・ポッターの証言が公になれば、あの日に何が起こったのかという真実を知れるのだと、ホグワーツ生の多くが考えていた。生徒の親もそうですし、あの第三の課題に招かれていた来賓、セドリック・ディゴリーが死んだ事を知った大衆もそうです」
「……儂はハリー
「僕は先程から
ここまで来て惚ける老人へ流石に大きな苛立ちを覚える。
……だが、考えてみれば惚けざるを得ないのかもしれない。
この老人の類稀な頭脳をもってしても、真っ当な反論は思い浮かばないのだろう。
「証言が真実であるかどうかを判断する方法で、もっとも重要な一つは本人から聞く事だ。人から聞いた話には誤解や過誤が入り得る。また本人が証言するのならば、幾何かの質問をする事で真実かどうかを吟味する事が出来る。しかし又聞きだとそれが出来ない。にも拘わらず、伝聞について嘘だの真実だの安易に判断を下すのは、正直言って馬鹿の所業ですよ」
故に、
ハリー・ポッターが闇の帝王の復活を見たと
……嗚呼、こうも言い換えられるだろうか。
自分の子供がこう言っていましたという親の発言を、世間一般は果たして何処まで真剣に受け止めるのだろうかと。
「勿論、ハリー・ポッターが広くインタビューを受けろとは言いません。大衆に対しては貴方経由でも構わない。ただ魔法省及び国際魔法使い連盟に対しては、尋問でも公聴会でも非公式の会談でも何でも良い。ハリー・ポッター本人が直接証言して然るべきだ」
闇の帝王の復活。
それは国内からのみならず、国際社会からも関心を向けられる事柄である。
死人の復活は何なる魔法でも不可能というのが現在の常識だ。
公的にではないとはいえ、闇の帝王は事実上死人扱いされていた。彼が如何にして復活を遂げたかの経緯について、国際魔法使い連盟が説明を求めようとするのは何ら不思議ではない。
そしてまた、如何に一国の内戦とは言えども、大勢を殺戮し続けた闇の魔法使いの動向に連盟が注意を払うのは自然である。特にボーバトンの魔法使いは、ドーバー海峡が四十キロにも満たない事を考えれば、対岸の火事とは言っても完全に無関心では居られまい。
加えて言えば今年の事件が起きた──代表選手も死んだ──のは三大魔法学校対抗試合、ボーバトンとダームストラングも関わる国際行事の中である。当事者である二校に対しては当然、更にその本国に対しても説明責任は果たされるべきだろう。
そしてそれらの説明は目撃者であるハリー・ポッター本人によって自ら直接に為されるべきであって、魔法大戦の英雄であるアルバス・ダンブルドアだろうが──付け加えるならばこの国の魔法大臣であるコーネリウス・ファッジだろうが──代理で為す権利など一切無い。
ハリー・ポッター本人が最低一度、公の場において証言を残すのは、最早世界に対する義務であるとすら言って良い。
「だというのに、ルシウス・マルフォイ氏はそんな物は存在しないと僕に言った」
それは、僕達にとって決して受け入れられない〝裏切り〟だった。
「まあ、彼が僕に全て真実を語る事は有り得ませんが、今回はそれは考えなくて良いでしょう。貴方がたの証言は基本的に一致する筈なのですから。ハリー・ポッターの証言だけ隠す意味は無いし、仮に中身を聞かせたくない場合でも〝信じるに値しない戯言を述べていた〟程度の返答で十分でしょう。そう言われれば僕は引き下がるしかない」
けれども違った。
ルシウス・マルフォイ氏は真摯に僕へと回答した。
故にハリー・ポッターの証言が無いのは真実だと、そう納得する以外に無かった。
「既に強調した通り、この国の魔法界にとってハリー・ポッターは非常に大切な子供だった。流石にギルデロイ・ロックハートのように、彼に講演会やサイン会を開けと考えていた人間は少ないでしょう。しかし、それでも今回こそはハリー・ポッターが公の場に姿を現してくれると考えた。自分達へ直接言葉を投げ掛けてくれる事を、当然のように期待した」
彼の語る真実が自分達を安心させるには程遠いとしても、あの地獄の戦争の再開という凶事を前にして、〝生き残った男の子〟が言葉を尽くしてくれるのだと考えた。十四年前に残された希望の子が、不安に苛まれる自分達に寄り添ってくれる事を当然のように期待した。
「けれども、その期待は裏切られた」
僕が去年度末ハリー・ポッターの姿を見たのは、ホグワーツ特急を降りた後、本物のアラスター・ムーディらによって護送されていくのを見たのが最後だ。その後の動向は推測するしかないが、多分彼はプリベット通り四番地に幽閉され続けたままなのだろう。
故に魔法省に出頭する事も、国外の国際魔法使い連盟において証言するような事も、このハリー・ポッターの夏休暇中には一切存在しなかった。彼のその行いを止めたのは、止める事が出来たのは、アルバス・ダンブルドアただ一人しか居ない。
「ねえ、そこに正当な理由が有るんですか?」
去年度の学期末以降、彼を魔法界から丸四週間隔離し続けた事に大義が在るのか。
「貴方がハリー・ポッターの証言を独占する正当性は存在するのですか? 有るのならば言って下さいよ。言わば犯罪者の目撃者であり、被害者でもある彼の証言を、肉親でも何でもない単なる老人が妨げるだけの正義が」
「……シリウスもハリーが証言する事は望んで居らぬ」
「ならばダーズリー家は? あの家の話を聞く限りでは、一時的にしろハリー・ポッターを厄介払いする機会を見逃すとは思いませんが?」
どんなに虐待しようが、彼等がマグル界での法定の保護者である事に揺るがない。
ハリー・ポッターに関わる重要事項について彼等には相談が為されるべきであり、また賛否を示す為の一票が与えられて然るべきである。
「ちなみに闇の帝王の復活は、マグル社会で言うテロリストが行動を再開した事に等しい訳です。故に勿論、今回の一連の事情に関してはダーズリー家に説明をしているのでしょうね? あそこは第三者が想像する以上に強固な護りが施されているにしても、だからと言って自分達の安全に関わる事について、何も知らされないままで良い筈は無いと思いますが」
返ってくるのは沈黙。
それすら、していないのか。
本当に、結果だけは正しくとも、この老人が選択する過程には間違いしかなかった。
「……ハリーの心は大きく傷付いておる」
一切の流れを無視して、アルバス・ダンブルドアは言い訳の言葉を紡ぐ。
「同じホグワーツで学び続けてきた仲間を、自分が数秒前まで話していた人間を突然に殺されたのじゃ。ハリーは話す事を望まぬ」
「ええ、そうでしょうね。他人から証言を求められた所で、ハリー・ポッターは証言を強く拒絶するでしょう。それは僕の見立てでも確かですよ」
「そういう事じゃ。儂はそのような非道を若者に強制は出来ぬ」
「…………」
僕の一応の肯定に安堵を隠し切れなかった彼を見て、本当に救えないと思った。
たとえ尊厳を踏み躙られた性犯罪被害者だろうが両親を眼の前で惨殺された幼子だろうが、公的機関によって証言を強制されざるを得ない場合というのは有るだろう。
その証言者に対する配慮を求めるのは構わない。捜査や裁判によって忌まわしき記憶を掘り起こされ、更に傷付けられるであろう彼等に保護が与えられるべきなのは当然だ。しかし証言自体を拒絶するのは、それが止むを得ない例外的な場合を除いて、社会の在るべき秩序として許されるべきではない。
もっとも、この時代遅れの権利意識に囚われた老人は、ただハリー・ポッターの心が安らかで在って欲しいとだけ願う男は、断固として認めない。
「ヴォルデモートが復活したと述べる儂の言葉を信じぬのならば、たとえハリーが証言した所で信じる道理は無かろうに。だというのに彼が数時間も長々とした話を強制され、方々から散々に質問攻めにされ、心身共に憔悴させる必要が一体何処に有るだろうか?」
「……確かに彼が述べた所で心変わりするのはほんの一握り、数パーセントの人間でしょう。しかしその一握りの賢明な支持を獲得する事こそ、非常に大きいと考えますけどね」
ハリー・ポッターの証言が無い事は異常だ。
感情的ではなく、理性的にそう考える頭を持った人間は、たとえ少数でも価値が有るだろう。
「──そもそもの話。ジェームズ・ポッターは現状を是とするんでしょうか?」
「…………君は、何を」
アルバス・ダンブルドアにしては珍しく勘が悪かった。
いや、彼にとってジェームス・ポッターは既に考慮に入れる必要のない人間だ。彼が実親であろうとも、親としての職務を果たせない人間だ。だからこそ彼ならばどうするかなど、死人に眼を向ける程に弱くないこの老人には、決して考えが及ばない。
「ジェームズ・ポッターは間違いなく僕が大嫌いな類の
そして、この老人がグリフィンドール的でない部分でもある。
「シリウス・ブラックの冤罪。十四年前の魔法省の大失態であるそれを、この機会を利用してハリー・ポッターがぶちまけるのは、そう悪くない考えだと思いません?」
「────」
グリフィンドール。
騎士道を尊ぶ、勇猛果敢な獅子の寮。
そこに所属した事を誇りに思う人間が、無実のシリウス・ブラックが未だに殺人鬼扱いされている現状を憂い、それを是正するのに絶好の機会を見逃せるだろうか。
「リーマス・ルーピン教授もシリウス・ブラックも貴方には恩義があり、弱みが有る。故に、それを主張する事が出来ない。しかしジェームズ・ポッターが生きていれば──その場合、ハリー・ポッターは〝生き残った男の子〟ではない訳ですが、今は無視しましょう──この現状でハリー・ポッターを表に出さずに居られるかは疑問だ」
「……子供が傷つく事を望む親など居らぬ。それはジェームズ達とて同じの筈じゃ」
「ハリー・ポッターは、自分が何かして傷付く事以上に、何もしないで傷付く事を恐れる。僕は彼をそんな人間だと思っていますし、ジェームズ・ポッター達が真にハリー・ポッターの親ならば、彼のその想いを汲んでくれると思いますけどね」
一昨年度のシリウス・ブラックの一件について口を噤むのはまだ納得出来る。
ただそれでも去年度は、今年は、状況がまるで変わってしまっている。
「既にハリー・ポッターは大嘘吐き扱いされているんだ。そして闇の帝王の復活という〝嘘〟は、後に覆される事は解り切っている。ならば今更〝嘘〟が一個増えた所で一体何の問題が有るでしょう? 占い師が一部を言い当てて言葉の全部を真実だと思わせるように、シリウス・ブラックについてもそれを行えば良い」
「……シリウスは現状大量殺人鬼扱いのままじゃ。彼を擁護する真似をしてしまえば、ハリーは更に窮地に追い遣られる事になる。ハリーが
「では、何時シリウス・ブラックは冤罪の嫌疑から逃れられるんです? 貴方が裏で魔法省に圧力を掛けますか? それでは日刊予言者新聞でただ一行、〝シリウス・ブラックは冤罪囚でした〟と御詫び記事が載るだけで、彼がダイアゴン横丁を歩く度に通報される事態は変わらない。法的に無罪となろうと、彼は世間的に有罪のままですよ」
シリウス・ブラックの真実について大々的に報道される事は有り得ない。
失敗を言いふらしたがる人間など居ないし、今年の魔法省や『日刊予言者新聞』の対応を見るに、彼の名誉は間違いなく回復されないままである。
しかし先のような詐術を使えば、シリウス・ブラックの名誉は多少マシになるだろう。
ハリー・ポッターが殺人犯シリウス・ブラックを擁護したというのは、『日刊予言者新聞』が自ら大々的に報道してくれるのだ。この老人の主張通り一時的に悪くなる事は否定しないが、闇の帝王の方も、表立って動けない不自由な冷戦状態を何時までも是とする筈もない。今は大人しくしていても、彼が公然と動く時は必ず来る。
そしてそれは魔法省が、もしくは世間が闇の帝王の復活を認めざるを得ない時である。
その瞬間に魔法戦争の再開が誰の眼にも明らかとなり、ハリー・ポッターとアルバス・ダンブルドアの評価は一変し、同時にシリウス・ブラックに纏わる風評もまた丸ごと反転する。
「加えて彼の名誉回復を現時点で行っておく事は、今後の戦争遂行の上で全く無価値では無い。去年のクィディッチワールドカップにおける闇の印。あれは貴方の側も、一体誰が撃ち上げたか解らなかったのでしょう?」
「……ヴォルデモートの指示ではないとは確信しておった。十四年前に軽率な行動により肉体を喪った教訓を持つあやつが、あれを配下に撃ち上げさせる事は絶対に有り得ぬ」
「成程、僕よりは強く確信していた訳ですか」
ハリー・ポッターと違い、この老人は闇の帝王が関わっていないと考える理由が有った訳だ。
「ただ、コーネリウス・ファッジの前でも言った筈です。一般の人間は違う、シリウス・ブラックが撃ち上げたと考えると。そしてそれは今後についても同様の事が言えます。これから魔法省が隠し切れないような大事件が起こった時、その全てを魔法省はシリウス・ブラックに結び付けようとするのはまず確実だ」
十二年間アズカバンに繋がれていた人間が、今どれ程戦力になるか僕は知らない。
けれども戦争で使えるような駒を遊ばせておいて良い理屈は決して無く、使えるようにする為の手段があるならば、可能な限り努力すべきである。
「ハリー・ポッターは『日刊予言者新聞』を読む人間では有りませんし、ハーマイオニーの方も、わざわざ彼に現状のシリウス・ブラックの扱いを伝えはしないでしょう。しかし彼がそれを知れば、そして正す力が自分に有ると理解すれば、彼は絶対に動こうとする」
どちらかと言えば、ハリー・ポッターは理屈より感情を重んじる人間である。
そして彼が後見人の事を大事に思えば思う程に、彼の行動は止まらない。
「一度公の場に出てしまえば、手酷い批判や心無い罵倒に晒される羽目になる。或いは、シリウス・ブラックの逃亡幇助に関しても正式に罪を着せられるかもしれない。そう事前に説明され、逃げる道を同時に示されたとしても、間違いなく彼は証言台に立つ事を望むでしょう」
それが彼の
「今までのホグワーツ生活で、彼は幾度となく大勢から批判される立場に置かれてきた。それ故に多少の耐性があるとはいえ、今回ばかりはそれらが御遊びと思える程の壮絶な悪意がぶつけられるのは間違いない。けれども、それでも彼は──」
屈する事は決してない。
それ程、ハリー・ポッターという人間は弱くない。
そう続けようとした僕を、しかしアルバス・ダンブルドアが遮った。
「──解るじゃろう、君には」
アルバス・ダンブルドアは声を荒げた訳ではなかった。
けれども平静は崩れ、醜悪な激怒を隠し切れていない。
僕は今まで何度かこの老人が被る仮面の一部を破壊し、その本性を覗き見てきた事があるが、今回は一等酷い。しかし彼が露わにする感情の核心に巣食うのは僕に対する憎悪であるべきで、ハリー・ポッターと最も親しき誰かへの嫉妬であるとは決して考えたくなかった。
「ハリーが公の場で証言するような事態になってしまえば、彼に対してどのような侮辱的で、その心を大いに傷付ける質問が為されるのかを」
「……つまり、こう言いたいのでしょう?」
去年度末の事件について、世間で流れている噂が一つ存在する。
「
求めたのは自分だというのに、彼は解答の重さに怯んだように見えた。
けれども心を立て直すかのように姿勢を正して、アルバス・ダンブルドアは頷いた。
「然り。ハリーは未だ自分がそう批判されうる立場に居る事を気付いてはおらぬ。『日刊予言者新聞』も流石にそこまでは書かぬ。しかし、そういう見解が有るのは、ルシウスらがこそこそと嘘を流しておるのは動かぬ事実じゃ」
「遺憾ながら、僕としては一理有ると言わざるを得ませんがね」
その主張は決して合理性を欠いてはいない。
「いわば密室だった空間から、死体一つと生きた人間一人が一緒に発見された。そしてその死体を検証した所、死の呪文によって殺害された遺体である事が判明した。この状況で殺人の第一容疑者として疑うべきは誰か。それに対する解答は明らかでしょう」
セドリック・ディゴリーが殺された場面を見た者は居ない。
であれば、彼の腕を握って現れたハリー・ポッターを疑うべきは当然である。
殺された手段が死の呪文である事は多少の問題になるが、そもそもハリー・ポッターは赤子にして闇の帝王を打ち破った人間だ。十四年にそのような異常事態が発生したのは、ハリー・ポッターが更に凶悪な闇の魔法使いだったからだった。そんな噂は当時から存在していた。
その事を思えば、未だ十四歳のハリー・ポッターがセドリック・ディゴリーを殺せる筈が無いという反論は、そう強い物ではないのである。
「加えて、彼が直面するのは悪意だけでは在らぬ」
僕の感想を無視し、老人は正当化を続ける。
「善意と好意こそが人を責め、追い詰める事は大いに有り得るのじゃ。その点で儂は先達と言って良い。グリンデルバルドを倒す前も、倒してからも、儂は英雄として無責任な大衆から期待され続け、働く事を余儀無くさせられたからのう……!」
如何にこの老人が気に入らなかろうと、決して否定し得ない事実が有る。
それは今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ぶのが相応しい程に、化物染みた技量と魔法力を有しているという事だ。大抵の行動は不適格であろうと、最後の最後には英雄として立ち、その義務を果たすのを辞めなかったという事だ。
「ヴォルデモートの復活を信じた者が居たとしよう。或いは今後、ヴォルデモートの復活が公になったとしよう。その際、公の場に姿を現したハリーに──赤子の身でありながら史上最悪の魔法使いを退け、そして完全に復活したあの者と死喰い人達の包囲から逃げ延びた人間に、一体どんな言葉が向けられると思っておる?」
「まあ、ハリー・ポッターが英雄として先頭に立ち、戦う事を望むでしょうね」
「然りじゃ。彼に、十五歳になったばかりのあの子に大勢の者が縋り付く。ホグワーツに
勝手な妄想とは言い切れない。
他ならぬ彼にはそれを懸念する資格が有る。
アルバス・ダンブルドア以上に英雄と呼べる存在は、この国には一人を除いて他に居ない。その上彼は五十年近く英雄という職業をやっている。英雄という地位の面倒さと大衆の醜悪さを、彼が良く知っているのは確かだろう。
「ハリーが一度表に出てしまえば二度三度と求められる。あの子を気軽に呼び立てて良い者だと思い、歯止めが利かなくなる。また、ハリーは政治にも巻き込まれるじゃろう。シリウスは後見人の資格を剥奪されており、法的に保護者と言える者は居ない。儂が真っ当な形での保護者となれないのは最初から眼に見えておったからの」
「当然でしょう。英雄ハリー・ポッターの保護者、彼の身柄を握った人間が政治的に強力になるのは明らかだ。これ以上貴方が強くなる事は、誰も望まない──と言っても、現状で貴方は事実上それを握り、また濫用している訳ですが」
アルバス・ダンブルドアに何の権限もないという事は有り得ないだろう。
戦争に自ら身を投じた者達が遺言を残さない筈もなく、ポッター夫妻も然りである。
そして第一に後を託された相手は恐らくジェームズ・ポッターの親友三人だろうが、第二に託された相手はアルバス・ダンブルドアに違いない。
後見人シリウス・ブラックを筆頭とする三人がポッター家の遺言を実現し得なくなるという事は、それは即ち、彼等三人の戦死を意味しているに等しい。そのような末期的状況にあたって最強の魔法使いの慈悲に縋らない理由が無い。彼等は当然のように遺言にその旨を記し、遺言の調査義務を有する魔法省にも同様の記録が残っている筈である。
勿論、アズカバンに行ったシリウス・ブラック、或いは死亡扱いのピーター・ペティグリューと異なり、リーマス・ルーピン教授は戦後も健在だった。
しかし、彼は狼男だ。単なる戦争遺族の面倒を見る程度なら問題は無かっただろうが、流石に〝生き残った男の子〟となれば別である。世間の注目を集める事は間違いなく、余計な詮索により狼男であるという秘密が露見した場合は最悪で、彼が已む無く辞退した結果、アルバス・ダンブルドアはポッター家の諸事務を管理する権限を握ったのだろう。
ただし。
ハリー・ポッターの身柄まで
アルバス・ダンブルドアは一応善良な大魔法使いだ。故にグリンゴッツ銀行の金庫を筆頭とする財産管理を委ねる事に何ら不足は無い。魔法省、或いは良からぬ親戚がポッター家の財産を侵害するのを防いでくれる筈だと考える程度には、この老人は信用出来る存在である。
けれども――我が子を預けられるかという観点で見れば、多分信用出来ない。
そもそもの話、アルバス・ダンブルドアは不死鳥の騎士団団長である。自分達が戦死した時の事を想定しているのに、自らの子供を戦争指導者に預けようとする人間はそう居ないだろう。アルバス・ダンブルドア側としても迷惑である。奇跡的にジェームズ・ポッター達の死と停戦が重なっただけで、この老人は本来なら魔法戦争で忙しくしている筈だったのだから。
故に間違いなく、そこには欺瞞や詭弁が有る。
ハリー・ポッターを自由にする権限は、アルバス・ダンブルドアには無い。
「確かに貴方は十四年前に彼を最初に保護した人間であり、今貴方が彼に掛けている守護も厳重であり、完璧に近いのでしょう。闇の帝王すら認める位の保護なのですし、過去も今でも魔法省がそれを用意出来たとは思えない」
この大魔法使いが取る行動が齎す結果は、概ねの場合正しい。
「だが、だからと言って、貴方がハリー・ポッターを自分勝手に支配する事を正当化していい訳がない。今この状況を見れば猶更そう思えて来る。貴方のハリー・ポッターに対する仕打ちに、魔法界は絶対に納得出来ない」
アルバス・ダンブルドアは偉大なる先達としての善意の下に動いているのだろう。
しかし僕にして見れば、アルバス・ダンブルドアという男は善意で悪事を為す天才と言って良い。これまでも、今も、これからも。この老人は秩序を乱し、魔法界に害を齎し、他ならぬハリー・ポッターを苦しめ続ける元凶であるようにしか思えない。
「貴方が正しいと思う事と客観的に正しいという事は、決して等号で結ばれない。貴方は今の自身の行為が正しいと誰か一人からでも保証を受けたのですか? 誰かに相談し、説明し、議論し、時に妥協して、今の行動を選択しているのですか?」
「当然、儂は信頼と信任を受けておるとも。儂の言っておる事、やっている事は正しいと言われているとも。そうでなければ、一体どうして儂が不死鳥の騎士団を率いられようか?」
「僕が言っているのはそういう事では無い。貴方に白紙委任されて構わない偉大な戦争計画では無く、周りや本人から承認を受けるべきもっと小さい指針の事を、ハリー・ポッターに与えられて然るべき選択の権利の事を言っている」
「同じじゃよ。君の理屈の根源は餓鬼の理屈でしかなく、君と同様、ハリーは英雄である前にまず子供なのじゃ。そして君が持つ現代マグル的な観念からも、子供を政治や戦争に引っ張り出すべきでないという理屈は理解出来るであろうに」
「…………」
この男は、気付かないのだろうか。
今の論理は、コーネリウス・ファッジが使った論理と殆ど同じだという事に。
そしてあのアラスター・ムーディ教授は偽物だったが、あの演技が完璧だった以上、多分本物も同意しないだろう。戦争の現実を多少でも知っていれば、そのような御花畑の理想論を馬鹿正直に語れる筈もない。
けれども、アルバス・ダンブルドアだけが語れる。
殆ど一生涯最強の座に君臨し続けて来た魔法使いのみが、その手を血に汚さず御綺麗なままで居られた男だけが、子供は戦場に出るべきではないと――〝生き残った男の子〟が何者であるかを知っていて尚、ハリー・ポッターを子供扱い出来るのだ。
「君が考える程に魔法界は成熟して居らぬ。一昔前のように、社会はハリーに戦いと犠牲を強いる。何より儂や君と違い、ハリーは性根が善良過ぎるのじゃ。彼は容易く言質を取られ、現在幾重も張り巡らされている保護を剥がされ、その身一つで戦争の最前線へと送り込まれる事になる。これは予想でなく予言じゃ。そしてそうなっては流石の儂とて彼を護り切れぬ」
我儘な老人は語気荒く、己の正当性を強弁する。
「君は重々理解しておるだろうが、儂は多方面から嫌われておる。近しい者であっても、いや、近しければ近しい程、儂が油断ならぬ事を知っておる。まして君が指摘した通り、ハリーは強力な駒じゃ。何時も口煩い人間達は、十四年前に〝ハリー・ポッター〟という武器を得られなかった者達は、今度こそ死に物狂いで獲りに来るじゃろう」
アルバス・ダンブルドアの言葉に同意出来る部分は確かにある。
この老人も大概だが、それ以上に魔法省が信用出来ない組織である事は認めざるを得ない。子供が戦争や政治に引っ張り出される社会が不健全だというのも同意しよう。加えて、この老人が敢えて言及していない、僕の頭では思いもつかないような数多くの熟考と覚悟と決断の下に、今現在の状況が作られているのも受け容れて良い。
けれども、ただ一点。
絶対に同意出来ない、否定しなければならない部分が存在する。
「……どうやら、僕は貴方を、ハリー・ポッターへの評価を勘違いしていたようです」
肺が空になる程に、大きな溜息を吐いた。
言葉を交わせば交わす程に、この老人の歪みを僕は見付けてしまう。
僕はアルバス・ダンブルドアと接触するべきでは無かった。最早遠い昔の事のように思える四年前、僕はグリフィンドール的な正義感を振るって、彼の下を訪ねるべきでは無かった。そうでなければ、御互いにこんな思いをする必要も、わざわざこうして対立する必要すらも無かった。
今まで僕は、アルバス・ダンブルドアと幾つもの見解の相違が有った。
けれども今回程に絶望した時は無い。
来る戦争に向けて、誰よりも多くを見通せる指導者が、これ程までに甘っちょろい言葉を述べている事に。この体たらくで、この老人は
「これまで僕は、貴方がハリー・ポッターを非常に高く評価していると思っていました。しかし、逆なんですね。闇の帝王や死喰い人達まで数に入れたとしても、貴方よりもハリー・ポッターを過小に評価している人間は、この国の魔法界に存在しない」
賢者の石と秘密の部屋。
済し崩し的にハリー・ポッターが巻き込まれた去年と一昨年と違い、あの二年間の事件は大筋においてアルバス・ダンブルドアの意思の下に支配されていた。
賢者の石においては、この老人はクィリナス・クィレル教授を校内で泳がせ、ハリー・ポッターに散々ヒントをくれてやり、石に辿り着く為の迷宮を一年生でも解ける難易度に設定し、闇の帝王と対峙する機会と権利を与えた。
また秘密の部屋においては、秘密の部屋の怪物がバジリスクだと推測する程度の頭脳を有していたにも拘わらず、五十年前の真実と此度の校内への手段を突き止める為に気付かない振りをし、大蛇の毒を癒す不死鳥とグリフィンドールの剣を内蔵した帽子を残して学校を離れ、ハリー・ポッターが真犯人を突き止める事を期待した。
その何れにおいても、この老人は〝生き残った男の子〟を大きな危険に晒している。
しかしそれはハリー・ポッターは能力が──自分が救援に駆け付けるまで生き残れる程度の能力がある。そのように信頼しているからだと、今まで僕は思っていた。
しかし、ここに至って違う事が判明した。
いや、かつてそうだったとしても、違うようになってしまったのだろう。
この四年間を経て更に増したハリー・ポッターに対する愛情が、今世紀で最も偉大だった魔法使いを堕落させ、理性と道徳を喪った盲目で白痴の老人に変えてしまった。
アルバス・ダンブルドアは、闇の帝王が一貫性を欠いたと非難した。
しかしそうであるならば、彼もまた、既に一貫性を欠いてしまっている。
「──予言、有るんでしょう?
ハリー・ポッターに関わる予言、それも彼が闇の帝王を滅ぼす類の予言が」