この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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元々マトモな代物では無いにしても、一場面の会話で普通の単行本以上の分量を費やす二次創作が有るらしい……。

まあ長々と続いた話も今回の更新分で終わりです。
と言っても、プロット上では学校生活に辿り着くまで後二話(厳密には三話)必要なのですが……。



在るべき英雄の姿

 アルバス・ダンブルドアの言葉は素晴らしい。

 その身に秘める魔法力も、鍛え上げられた杖腕も、築き上げてきた経歴も申し分無い。

 

 果たしてどれだけの人間が、この老人よりも自身が上等な存在であると主張出来るだろう。それどころか全世界の魔法史を探したとしても、アルバス・ダンブルドアを超えると断言しうる魔法使いを多く見付ける事は出来まい。これから後世に残る客観的事実から判断すれば、この英雄に瑕疵という瑕疵は存在せず、将来に生きる人間によって伝説化されていくだろうというのは既に眼に見えている。

 

 されど。

 

 現在生きる当事者にとって、この我儘な老魔法使い程に気に入らない人間は居らず。

 歴史の検証によって僕達が大馬鹿者だと批判される事になろうとも、独自の考えを持つ一個人として、決して受け入れられない行動、我慢の限界を超える箇所が存在する。

 

()()()()()貴方の行動。それは世界魔法大戦の比では無い位に不審でしょう。あれはまだ、ホグワーツを出て外界に関わるような真似をしたくないという言い訳が効いた。そして貴方がさっさとゲラート・グリンデルバルトと決闘して戦争を終わらせれば良かったというのも、やはり言いがかりめいて聞こえるのは確かなのですから」

 

 あれは〝世界〟魔法大戦だった。

 

 ゲラート・グリンデルバルトが焚べた業火は、彼一人を単純に止めれば終わるという代物では無かった。国際機密保持法の意義に挑戦したあの戦争は、非魔法族と魔法族の関係を問うた聖戦は、まず間違いなく、どちらかの陣営が継戦能力を喪うまで終わりなどしなかった。

 単に指導者一人が堕ちただけでは、そう軽々しく時代の潮流は止まらない。寧ろ悲劇的な犠牲を理由に神格化され、更に激しく燃え広がる。それが歴史の語る革命の本質である。

 

 喪失を嘆く遺族達の感情は別として、アルバス・ダンブルドアには必要以上に責められるべき公的な瑕疵はなく――けれども、この国内における魔法戦争、彼の事実上の戦争指導者としての振る舞いは、全く理を異にしている。

 

「特に貴方がハリー・ポッターをホグワーツに迎え入れてからの行動は流石に眼に余り過ぎる。そう考える者は少なくないのではないでしょうか。そして如何に貴方が英雄で、偉大な魔法使いだとしても、それは批判されなくて良いという事ではない」

 

 闇の帝王のように、批判すら許さぬ絶対的君主として立つなら口を噤むべきだが。

 この老人が大衆の善意を背負い、自由と正義の守護者として立つならば、やはりそれらは民意の下に批判されて然るべきである。

 

「一年目」

 

 賢者の石。

 

「客観的に見て、あのような危険物を学校に置くというのは褒められた物では無い。そして貴方はその存在を知りながら、闇の魔法使いの暗躍を許した。クィリナス・クィレル教授は貴方が被雇用者として学校に置いた人間であり、しかも貴方は()()()正体すら知っていた。どう考えたって貴方の行動は、生徒の安全に責任を負うべき校長の行動ではない」

 

 即刻辞任するまでは行かずとも、内外に向けて説明をする必要が有る程度には問題だ。

 

「更に何処からともなくホグワーツ内に広まった学期末の『秘密』の内容――チェスや論理パズルの試練について検討してみれば、何故一年生が賢者の石を護る羽目になったのか、一年生にも解ける程度の防備しか備えてなかったのはどうしてなのかを疑問に思うでしょう。そもそも始業式で生徒達の好奇心を煽る事を言ったのもいただけない。宝物の存在自体を周知しなければ盗まれる筈もなく、知られない事こそが最大の防備でしょう」

 

 管理責任を問われても仕方が無い処遇のオンパレードである。

 

 何も知らない外から判断する限り、一から十とは言わなくとも、九くらいは可笑しな話だ。

 そして、これらの問題は氷山の一角に過ぎない。責任有る、一般常識を備えた大人であれば今挙げた物までばかりではなく、より多くの問題点を指摘する事が出来るだろう。教授、或いは校長の立場からアルバス・ダンブルドアの行為を評価する場合、一年時の行動は、そもそも不適切過ぎて論ずるに値しない。

 

「――ただ、この魔法戦争を視野に入れた時、僕はそう悪い物では無かったと思いますよ」

 

 その言葉を発した瞬間、アルバス・ダンブルドアは一瞬だけ眉根を寄せた。

 

「かの物語の裏に居たのは闇の帝王。史上最悪と評価され、反射された死の呪文を受けて尚生き延び続けた魔法使い。脆弱な塵、或いはゴーストでありながら、けれども肉体を持たない帰結として真っ当に滅ぼす手段が思い付かない怪物。未だ名を恐れられる闇の深奥が、貴方()()()相手でした」

 

 ヴォルデモート卿。

 彼が歴史上有数の闇の魔法使い程度で留まるなら良かった。

 

 分霊箱(ホークラックス)の魔法を作成した呪いのハーポが現在まで生きて――もしくは存在して――いない事が示す通り、その護りもまた無敵では無い。賢者の石や生命の水が継続的使用を強いられるように、非魔法族からは万能にも思える姿現しにも一定の制限が存在するように、一切の制限が無い魔法的効果などこの世には有り得ず、分霊箱もまた地上の有限の理に服さざるを得ない。

 

 だが、彼は歴史上殆ど類を見ない次元に堕ちた闇の魔法使いだった。

 塵以下に貶められようとも成人した魔法使い(クィリナス・クィレル教授)を堕落させ、手足になる下僕一人(ピーター・ペティグリュー)に指示するだけで肉体を復活する魔法薬を作成してみせる大魔法使い。

 分霊箱を作れはしても、果たして同様の行為を出来る魔法使いがどれだけ居るだろうか。魔道という領域において彼以上に極めた存在は、歴史を見てもそう居まい。

 

「現れるかどうか不確定な将来の魔法使いに期待せず、最強の魔法使いである貴方が存命の間に闇の帝王を滅ぼす。それを考えた時、一年目の貴方の行動はそう悪い物では無かったのでしょう。当時僕がそこまで考えていたかは微妙だった気がしていますが、少なくとも今は、そう考えて良いと思っています」

 

 もっともハーマイオニーを巻き込んだ事だけは、やはり文句を言いたいですが。

 そう軽く息を吐きながら言葉を一区切りする。

 

 ただ、その感想は感情的で、独善的な物に過ぎない。

 今ここに至って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは解っているつもりだ。最悪でも保険、最良の場合には武器になる。そして現時点で判断する限りでは、どうやら後者の側に寄りつつある。本当に、謀を巡らせるという点において、この老人は超一流だった。

 

「賢者の石に繋がる貴方が用意した試練、そして彼の両親を殺した闇の帝王を前に、〝生き残った男の子〟がどう行動するかを見定める。みぞの鏡(Mirror of Erised)へとハリー・ポッターを対面させ、彼の本質が高潔で無欲であり、賢者の石の誘惑にも屈さないかどうかを確認する。加えて彼の親友と共に試練を乗り越えさせる事で、成功体験を積ませる。それら全てを目論み、滞りなく完遂してみせたのは、他ならぬ貴方だった」

 

 教授や校長としてみれば眼前の老人は失格も良い所だが、現時点の情報を踏まえて戦争指導者として見た場合、アルバス・ダンブルドア以上に上手くやってのけた者などそうは居まい。

 

 もっとも、やはり彼もまた、全てを予見していた訳では無い。

 

『君は儂の〝些細な〟計画が全て上手く行ったと考えておるのじゃろう。嗚呼、上手く行ったとも。上手く行きすぎた』

 

 学期末の言葉を、弱々しい老人が漏らした本音を思い出す。

 今改めて考えれば、一年目の顛末は余りにも出来過ぎていた。あの時は話半分だったが、特に去年度の一連の事象を踏まえた場合、あの英雄殿はやはり非凡だったのだろう。

 

「貴方は学期末最後、グリフィンドールへの大幅な加点で醜態を晒しましたが、しかしあれは些細な事だ。闇の帝王を滅ぼすという大義の為ならば、たかだか一年くらいの寮杯をくれてやる事に支障はない。大いなる善の為に、そしてスリザリンの殆どが潜在的な敵であるのに、要らぬ御機嫌取りをしてやる必要など無い」

 

 どんなに良い大人であろうとも、戦争に勝てねば意味が無い。そもそも闇の帝王が君臨してしまえば、良い人間が暮らせる明るい未来が訪れない。

 であれば、アルバス・ダンブルドアが悪い大人だろうが大きな支障は存在せず、後から評価を取り戻せる程度の行動でしかなかった。

 

「もっとも、これは僕の色眼鏡を通した見解であり、そしてそもそも現在情報を多く得ているからこそ、このようにも解釈出来るに過ぎません。何も知らなければ、賢者の石という危険物を学校に置いた挙句、自身の部下である教授の非道を看過した校長、たまたま死人も出さずに済んだだけの幸運な老人にしか見えないでしょう」

「…………」

「要は世間にとってみれば、貴方は無能だった」

 

 そしてアルバス・ダンブルドアへの信頼を喪うには十分だった。

 

 そこまで口にして、僕は多少間を空ける。

 同意や不同意、補足や反論。何でも良いが、この老人が口を挟む時間を作ったつもりだった。けれども、指組みの向こう側から彼は僕に視線を向け続け、沈黙を守った。それは最後まで聞く姿勢の表明に他ならなかった。

 

 だから、僕は次へと移った。

 

「二年目」

 

 秘密の部屋。

 

「秘密の部屋が開かれ、生徒達を石化させた事の評価は人によるでしょう。秘密の部屋は千年もの間、歴代校長や数多くの生徒が捜し求めながらも見つからなかった伝説の部屋であり、また貴方以外が校長なら防げたという保証は無い。そもそも約五十年前の前回、前任の校長(アーマンド・ティベット教授)の際にも一人死んでいるのですから」

 

 責任問題であり辞職の追及に直結し得る問題だとしても、絶対に辞めねばならないと思う程の問題では無かった。あの時点では治療可能な石化、つまり以前の例よりはマシであり、今後の犠牲者を防ぐ為に校長として職責を続けるべきという主張は、相応の合理性を持っていた。

 

「もっとも、貴方の行動として大勢が気になったのは、秘密の部屋自体ではないでしょうね」

 

 そこで注意してアルバス・ダンブルドアを見るが、やはり表情を動かさない。

 まったく、忌々しくも面の皮の厚い人間であった。

 

「マンドレイク。アレは本当に学内で育て続ける必要が有ったのでしょうか?」

 

 先入観無しに素朴に考えた際、奇妙さを感じる点はそこだった。

 

「貴方の友人の伝手で、聖マンゴの在庫で、或いは国外から輸入する事は出来なかったのか。魔法界には移動鍵や姿現しの高速移動手段が存在し、まして非魔法族の社会では飛行機が金持ちの独占物でも無くなった。猫は別に良いとして、コリン・クリービーを七カ月、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーを六カ月程石化させておく必要は有ったのか。全てをホグワーツ内部で解決する意味は有ったのかと、そう思った人間は多数居たでしょう」

 

 流石に純血、主にマグル生まれには死んで欲しいスリザリンには、マンドレイク回復薬、或いは同種の魔法薬を拠出する人間は居なかっただろう。しかし、この世に純血主義の魔法使いしか居ない訳ではあるまい。犠牲者多数ならば他所から在庫を融通して貰うのも難しかろうが、総数で四人、それも十代の子供だ。外部から協力を期待する事は出来たに違いない。

 まあホグワーツの自治と大人としての体面が多少問題となるだろうが、それでも石化してしまった子供に対する親の不安と、子供達の数ヵ月の学習期間。それらを天秤に掛ければ、どちらを優先すべきかは明確だ。

 

「ただし。貴方にとっても秘密の部屋、或いはバジリスクなど些細な問題でした」

 

 自身に批判が集まろうが、理事会を宥める為に頭を下げる必要性が有ろうが、アルバス・ダンブルドアにとって単に不愉快なだけでしかなかった。まして大きな爬虫類如き、発見に成功さえすれば、殺すどころか容易に無力化してしまえただろう。

 

 だが、この老人は更に優先すべき事情を理由に動かなかった。

 

「闇の帝王。かつて秘密の部屋を開けたのが彼であり、今回も彼ないし彼の下僕が動いていると貴方は予測していた。けれどもスリザリンに怪しい人間は居らず、ホグワーツにどのように干渉しているかという手段も見つからなかった。それを突き止められるかこそが一番の焦点であって、今後死人が出るのを防ぐ為に取り組まなければならない最大の問題だった」

 

 分霊箱という、人一人を乗っ取れる邪悪な魔道具。

 ジネブラ・ウィーズリーの魂を喰い尽くしたトム・マールヴォロ・リドルが暗躍し、ホグワーツ生を片っ端から殺したらどうなっただろうか。

 

 彼女は――彼女の身体は――当然のようにアズカバンに行き、しかしそれを為した黒幕が捕まる事は無い。彼はクィリナス・クィレル教授に対してしたように、既に用済みとなったジネブラ・ウィーズリーを殺した上で、別の生徒に乗り移って凶行を続けただろう。そして黒幕は公的に不明のままである。手段が分霊箱である事のみならず、更に分霊箱が日記帳である事を突き止めなければ、死人が出続けたのは間違いなかった。

 

「それを突き止める鍵はやはりハリー・ポッター。闇の帝王の肉体を滅ぼし、つい前年にも彼が賢者の石を奪うのを邪魔した存在。あの事件の裏側に居るのが闇の帝王であるならば、彼にちょっかいを掛けない筈は無かった」

 

 〝生き残った男の子〟は一種の餌だった。

 可能な限り防衛策を講じては居ても、あの年においてこの老人は、ハリー・ポッターを道具として、武器として使う事を躊躇わなかった。

 

「マンドレイク回復薬の作成に学期末まで掛かるとした事は、貴方にとっては時間の設定、それまでは石化が解ける事は無く、バジリスクの正体もバレないと犯人に知らせる意味合いが有ったのでしょう。しかも貴方は、犯人が闇の帝王である限りにおいては、彼が死人を出す事を可能な限り望まないという確信が有ったようだ」

 

 闇の帝王。

 彼を良く知り、解きほぐす事が出来るのは、この老人以上に居なかった。

 

 そもそも伝説通りのスリザリンの継承者で有れば、あの事件が石化止まりである事自体が奇妙だった。マートル・エリザベス・ワレンが死んだ五十年前と同様、ホグワーツで学ぶに相応しくない者をさっさと殺すべきだった。そうして初めて、秘密の部屋が開かれたと大衆が信じるだけの説得力があった。

 

 しかし二年時は違う。

 『継承者の敵よ、気を付けよ』と警告はしたが、平然とホグワーツの学期が続けられた事から不十分なのは明白で、犠牲者は丸一年度掛けて生徒四人とゴースト一人と猫一匹。サラザール・スリザリンの伝説を念頭に置けば落胆すら覚えるせせこましい事件であり、秘密の部屋の怪物を騙って小悪党が何か悪事を働いているに過ぎないという可能性は、外部の眼から見れば決して排除し切れなかった筈だ。

 

 けれども、アルバス・ダンブルドアはそれを不思議に思わず、黒幕を早々に突き止めた――寧ろ、闇の帝王ならばそう行動すると予め想像していただろうというのは想像が付く。

 実際、トム・マールヴォロ・リドルは、スリザリンの継承者というよりも闇の帝王として振る舞う事を望み、自分の未来を挫いた男の子を誘き寄せる私利私欲の為に用い、マグル生まれを殺す事は『どうでも良い』とすら宣ってみせた。

 

 そしてちらりと、この老人がマグルの孤児院出身だと言及した事が脳裏に過ぎる。

 ホグワーツが閉鎖されるかもしれないという噂、それも嘘か真かアルバス・ダンブルドア自身がそれを考えているという噂すらもあの頃には聞こえて来たが、多分それを流したのも彼の策の一環で有ったに違いない。

 

 あの一年もまた、殆どの事象が老人の手中にあった。

 

「最後の最後、ハリー・ポッターが一番無能な教師(ギルデロイ・ロックハート)を輩に選んだ挙句、全てを一人で終わらせたのは貴方とて予想だにしなかったでしょうが、それでも貴方は可能な限りホグワーツの安全、そして今後の戦争を有利に進めるように尽力していた」

 

 今石化している生徒数人と、将来出るであろう死者数千、或いは数万人。

 大いなる善の天秤に掛ければ、どちらを選択するべきかなどは明白である。

 

「しかしながら──それを察し得ない世間にとっては、貴方は無能だった」

 

 表に出ている事情だけ見れば、アルバス・ダンブルドアへの信頼を喪うには十分だった。

 

「三年目」

 

 アズカバンの囚人。

 

「バジリスクを片付けたのがハリー・ポッターであるのに続き、貴方がたが主張する難攻不落のホグワーツに今度こそ疑問符が付いたのは、あの年かも知れませんね。あの年にはシリウス・ブラックの侵入、及び学期末の再逃走を許した訳ですから」

 

 前年に一度解職したアルバス・ダンブルドアをホグワーツ理事会が再度呼び戻したのは、ジネブラ・ウィーズリー――今最も広く知られている考え方(聖二十八族基準)では純血一族の娘――が誘拐され、したがってマグル生まれの排除を目的とする筈の()()()()()()()()()()()()()()()に対し、この老人の力が必要だと考えられたからだ。

 

 しかし結果として二年目はハリー・ポッターさえいれば校長など不要とも思える終わり方をしていたのであり、そしてバジリスクの石化騒動に続いて脱獄囚の凶行が起こってしまった。他の人間であれば止められたかはやはり不透明だが、シリウス・ブラックの件につき今度こそは責任を取るべきだという声が上がるのは不自然ではない。

 

「ただ、シリウス・ブラックは未登録の動物擬き(アニメーガス)であり、そして彼がアズカバンから脱獄したというのも多少問題をややこしくしたでしょう」

 

 アルバス・ダンブルドアが最初から知っていれば、とは最早言うまい。

 他の三寮とはまた違う理由で、グリフィンドール共(ジェームス・ポッター達)が彼を信用出来ぬ理由というのは有ったのだろう。特にこの老人は、近しくなればなる程に聖人君子とは程遠い事を思い知らされる存在で、戦争を続けている間に傍に居たのならば、余計にこの老人の本質に触れる機会は有った筈である。

 

「動物擬きは吸魂鬼の影響を受けにくい。そんな研究結果が一般的に存在し、広く知られているとは思えませんしね。そもそも彼はピーター・ペティグリューの生存を認識しない限り脱獄する気にならなかった、つまりは十二年間は彼を収監するのに成功したのであって、アズカバンの防備が完全に無効化された訳でも無かった」

 

 シリウス・ブラックにとってアズカバンに留まる事は半ば自罰的な行為であったろうが、それでも酷過ぎる場所だから出てやろうという気力を沸かせる事は出来なかった。彼にとって自由の為の脱獄自体が目的ではなく、脱獄は裏切者を追い詰める為の手段に過ぎなかった。

 

 それを考えると、僕は今まで以上に吸魂鬼へと好意を抱けそうだ。

 

「そして状況を見る限り、彼は可能な限りホグワーツ内に留まろうとしなかった筈です」

 

 その理由がかつての友人であるリーマス・ルーピン教授の存在であり、更には友人達と共に作成した、先程の話にも出た忍びの地図の存在であろう。

 

「あの年の新しい闇の魔術に対する防衛術の新任教授が自分の学生時代の親友、リーマス・ルーピン教授である。シリウス・ブラックがその事実を何時知ったかは不明です。けれども友人であるならば、彼が動物擬きである事も、更には忍びの地図の使い方も当然知っている。地図で監視される危険を考えればホグワーツに長々と留まる事など出来はしなかった」

 

 この老人が全力でホグワーツを捜索しようとも捕捉出来る機会は非常に限られていた筈で、更にはもう一点、擦れ違いを産む要因が有った。

 

「シリウス・ブラックがリーマス・ルーピン教授の存在を知った時、少しばかりの希望を抱いたかもしれない。かつての友が自分を捜してくれているならば、ポッター家襲撃の真相についてこっそり話をする機会が有ると考えなかった筈もないですから」

 

 旧き友誼に期待するのは自然であり、説得は不可能とも言えなかった。

 彼がピーター・ペティグリューの生存を知ったのは『日刊予言者新聞』の写真が原因であり、その存在さえ知らせる事が出来れば、リーマス・ルーピン教授は懐疑的ながらも最低限調べる事はしただろうし、直ぐに真相に辿り着いた事だろう。無実の人間が十二年もの間鼠に姿をやつして暮らしているというのは、どう考えたって変だからだ。

 

「しかし、多分リーマス・ルーピン教授は探さなかった。スネイプ寮監を筆頭に、彼は自分が疑われている事を知っていたから。故にシリウス・ブラックはピーター・ペティグリューの身柄無しでは、話を聞いてくれないと考えたのでしょう」

 

 そもそもシリウス・ブラックは長いアズカバン生活を送っており、尚且つ校内には多くの吸魂鬼がうろついていたのだ、あの男は余計に正気だったとは言えないだろう。実際、彼は感情に任せてグリフィンドール入り口の肖像画を切り裂く程度には狂っていた。そこで諦めず、何とかしてリーマス・ルーピン教授に写真について知らせる手段を考えるべきだったと言うのは、当事者でない気楽な人間の勝手な言い分であり、流石に酷であろう。

 

「結果としてシリウス・ブラックは学期末まで逃げおおせ、そして同時に、彼が無実で有ると判明するのが遅れに遅れた。……しかしまあ、少なくともポッター家の悲劇の関与と十三人の殺人罪に関しては無罪である事には変わりない。正義の魔法使いたらんとする貴方が見ない振りは出来なかったでしょう」

 

 人は神でない以上、冤罪によって罪を着せ、罰を課してしまう事は有り得る。

 だが冤罪を知りながら尚それを執行する事は──回復不能の処刑を看過する事は、善良な人間として絶対に行ってはならない。

 

「加えて、ハリー・ポッターは自身の後見人が無罪である事を知ってしまった。故に、シリウス・ブラックは貴方にとって是が非でも救わねばならない存在となった。それが非常に困難である事を、貴方の明晰な頭脳は結論付けていたとしても」

 

 状況が手遅れとなっていたのは、やはり否定出来ぬ現実だった。

 

「正攻法の裁判手続では、彼を無罪にする事は非常に困難でした。そもそも『日刊予言者新聞』によれば、あの時点で、十三人の殺人罪、アズカバン脱獄、及びホグワーツ侵入の罪を理由に『魔法省が、吸魂鬼に対して、ブラックを見つけたらそれ(吸魂鬼の接吻)を執行することを許可』していた。その状況で彼を逃がさずに命を救うのは、まあ難しいと言わざるを得ない」

 

 ハーマイオニー達がシリウス・ブラックを逃がす事が出来たのは、単純に学生の居るホグワーツ内で人一人を処刑するのは不適切だという考えによるものであろう。少なくともこの老人はそう主張するだろうし、内容としても至極妥当である。コーネリウス・ファッジも、後に世間から批難を受けかねない政治的失点は避けたかったと想像出来る。

 ただそれは裏を返すと、護送の闇祓い達の準備が整ってシリウス・ブラックがホグワーツから連れ出されれば即処刑という事を意味する。のんびり再審請求をすれば良いという反論は、あの状況では成り立ち得ないのだ。ピーター・ペティグリューの身柄があれば流石に別だろうが、彼が逃亡した以上、既に為された死刑執行の署名に待ったを掛ける事は出来ない。

 

「故に貴方は逆転時計を持っているハーマイオニーに指示し、コーネリウス・ファッジに政治的な打撃を与え、自分も誹りを受ける事を覚悟の上で、シリウス・ブラックを逃亡させた。より最善の手段が無かったのかというのは僕には何とも言えませんが、貴方は可能な限り最善を図ろうとしたように僕には思え、そして貴方の目的は滞りなく達せられた」

 

 何より、ハリー・ポッターも同時に使()()()というのが非常に都合が良かった。

 

 アルバス・ダンブルドアが意図して造り上げてきた二年間とは違ったが、三年目をああいう形で解決してしまう事は、この老人の指針に適うものであった筈だ。

 特に学期末、シビル・トレローニーが闇の帝王の復活を予言し、いよいよ悠長にして居られる暇がないと解ってからは、ハリー・ポッターがシリウス・ブラックを――人一人の命を救った事は、後々大きな意味を持って来るに違いなかった。

 

 今回もまた、老人は殆ど動かないままに多くを得た。

 

「しかしながら、コーネリウス・ファッジがこの国の秩序と安全に責任を負う魔法大臣であるのと同様、アルバス・ダンブルドアはホグワーツ内の秩序と安全に責任を負うホグワーツ校長だ。シリウス・ブラックの件について自分は無関係であると言い逃れする事は許されない」

 

 ましてや二年連続。

 盤石である筈のホグワーツの防備は抜かれてしまった。

 

「裏の事情を把握し得ない世間にとって、貴方は無能だった」

 

 そしてアルバス・ダンブルドアへの信頼を喪うには十分だった。

 

「四年目」

 

 炎のゴブレット。

 

「これは言うまでも無いでしょう」

 

 ほんの直近の事なのだ。

 わざわざ長々と説明する必要が感じられない。

 

「貴方が直々に年齢線を引いたのにも拘わらず、ハリー・ポッターの参加を許した。そしてセドリック・ディゴリーが死んだ。ホグワーツの安全神話は誰の眼にも明らかな形で、完全に崩壊した。故に──貴方を無能だと思い、強い不信感を抱くのは十分だと言って良い」

 

 それだけを言って、僕は口を一端閉じた。

 それまでの三年間と違い、擁護の言葉を続けはしなかった。

 

 それは単純に、僕がセドリック・ディゴリーの死について已むを得なかったという言い方をしたくないだけで、多分この老人の方も僕から聞きたくなかっただろう。更に追及をしないままに、アルバス・ダンブルドアは口を開いた。

 

「……それで、ずらずらと()()()()儂の失態を並べて君はどうしたいのかね?」

 

 その声と表情は嫌に穏やかで、優しげですらあった。

 それ故に、好好爺の外面の一枚下には、煮え滾る本心が透けて見えた。

 

「儂を疑う者が大勢居るのは承知しておる。客観的に見て、世間にとって儂が信用に足らんのも重々承知じゃ」

 

 けれども、と。

 

「今君が口にした事柄の大半は、君にとってどうでも良い、気に入らずとも無視出来る事の筈じゃろう。そして君は儂を擁護するような補足すらして見せた。つまり君が儂を扱き下ろす理由にはなっておらぬし、儂が勝てないと判断する根拠にもならぬ」

 

 アルバス・ダンブルドアは当然のように核心を突き、実際その通りだった。

 僕が口にした部分は、僕にとって些細な問題だった。

 

 この老人が如何に不愉快な所業をしていようが、学期中に大きな失策をした訳では無い。後出しで揚げ足取りをする事など幾らでも出来るが、それを除けば然して大問題と言うまでの事はない。彼が冷ややかに指摘したように、セドリック・ディゴリーの死すら許容範囲の失態だと言って良い。彼が生きていれば今後の戦争の展開に影響を持ち得る存在となりえたかもしれないが、死んだからと言って、アルバス・ダンブルドアや不死鳥の騎士団にとって取り返しのつかないものではない。

 

 しかし──

 

「──何故、貴方は四年で終わったと思ったんです?」

 

 アルバス・ダンブルドアが長い髭をピクリと動かした。

 それまで平静を取り繕ってきたからこそ、外見から解るその反応は、彼の内心における大きな動揺をありありと示していた。

 

 この老人は、ハリー・ポッターの話についても四年で終わらせた。

 しかし、それは不適切なのだ。本気で僕にハリー・ポッターの行動予測をさせる気ならば、セドリック・ディゴリーを眼前で殺された彼の現状を語らなければならないし、そして同様に、現在の状況を語るならこの夏休暇中の事についても言及しなければならない。

 

 そもそも、何故僕が四年間の事柄についてズラズラ並べたと思っているのか。

 あれらは世間の反応を指摘する為ではなく、ただ一人が有する価値の為に捧げられている。

 

「一カ月の留保。それを定めておいて良かったと思いますよ」

 

 当初はさして明確な意図が有った訳では無かった。

 神経質になっているだろうセドリック・ディゴリーの両親とは会いたくないという気が優先しており、第二次魔法大戦の開戦による情勢を見極めたいというのは劣後していた。

 まあ猶予が別に無くても結論は変わらなかっただろうが、それでもこの老人の()()()()失態が無かったのならば、ここまで己の立場について確信を持つ事は出来なかっただろう。

 

「これまでの四年は、貴方の行動に納得する部分が有りました。気に入らなくとも、それは僕の認識で間違っていると思えるだけで、貴方自身はまた違った見解を御持ちなのかもしれない。貴方が僕と違う人間である事は当然に受け入れられていて、そう我慢する事は可能であって、けれども今年は違う」

 

 ハリー・ポッターの物語として、それは在ってはならない。

 

「いえ、これは必然なのでしょうね。この四年間、僕は貴方のホグワーツ内での対処自体には左程文句は有りませんでしたが、それからの後始末とホグワーツ外での行動には多くの不満が有った。この四年間を通じて夏休暇中に為すべき事をしなかったという点で貴方は一貫しており、今年のそれが特段酷いという見方も可能だ」

 

 〝生き残った男の子〟が僕の予想通りの存在であるというのならば。

 この一カ月で、この老人が行った所業は批難されて然るべきで有るし、そして彼の言葉が信頼されなかった理由がそこに存在する。

 

「セドリック・ディゴリーは本当に見事だったと思いますよ」

 

 アルバス・ダンブルドアが語ったハリー・ポッターの証言、去年度の最後に現れた双子の芯の奇蹟、こだまとして残した言葉は素晴らしかった。

 

「貴方は当然理解しているでしょう? 今回の初戦で最大の戦果を上げたのは当然ハリー・ポッターですが、それに次ぐのは文句無しにセドリック・ディゴリーだと」

「…………」

 

 セドリック・ディゴリーは敗北した。

 それでもあの男は、死んでも献身(ハッフルパフ)を忘れなかった。

 

「現在コーネリウス・ファッジが率いる魔法省は、闇の帝王の復活を躍起になって否定しています。けれども貴方は十四年前の時点で既に、闇の帝王は死んでいない、姿を消したに過ぎないのだと主張していた筈です」

「……当然じゃ。あの時点で、儂はあやつが死んでおらぬと確信しておった」

 

 アルバス・ダンブルドアが当時、闇の帝王の生存を主張して損する事は殆どない。

 そもそも赤子が史上最悪の魔法使いを殺したという説自体が、客観的に見て酷く馬鹿らしい事を忘れてはならない。十四年前の時点においては〝生き残った男の子〟の風説を信じない方が寧ろ自然であり、合理的である。

 

「ですが、貴方は闇の帝王が生存している根拠を説明し、提示出来なかった。或いは貴方自身、闇の帝王に対する或る種の信頼以外には、その根拠が無いと自覚していた。……嗚呼、推測の理由一つ口にしなかったとしても批難はしませんよ。戦争が終わっていない以上、不利になりかねない推測を広めるのは不適切だ」

 

 ルシウス・マルフォイ氏を始めとした死喰い人は檻の外に居たのだ。アルバス・ダンブルドア自身の推測という貴重で強力な武器を、彼等に与えてやるべきではなかった。

 

「もっとも、貴方の言葉を世間が信じたかどうかは今の状況が示す通りです」

 

 闇の帝王は既に死んだ、最大限譲歩して二度と力を取り戻せない位に弱体化したという扱いを受けており、今年のセドリック・ディゴリーの〝事故死〟を経て尚、魔法省はその前提を堅持し続けている。

 

「ハリー・ポッターやハーマイオニーあたりは、突然貴方が嘘吐き扱いされたと考えているでしょう。しかし、それは決して正しくない。貴方は十四年前からずっと、闇の帝王が死んでいないという戯言を叫び、けれども当時から一貫して狼老人扱いされ続けてきた」

「……流石にあの頃は、今のように言われる事は無かったがの」

「だが、十四年の平和によって闇の帝王の死が確実視された。要は()()()()()()、コーネリウス・ファッジはこれまで通り、貴方をボケ老人とするだけで良かった。対決する必要は無く、ただ分別有る大人として優しく諭す態度を取れば良かった」

 

 一般論として、認知症に陥った人間が整合性を欠く事を言い出すのは珍しくない。

 可哀想な老人は自分の生徒(セドリック・ディゴリー)の消失を認められず、故に伝説的な闇の帝王の復活を持ち出したのだと主張する事は、決して理がない訳では無い。

 

「優勝杯に予め備えられていた移動鍵の動作不良により、セドリック・ディゴリーは過去のクィディッチの審判のさながら、サハラかどこかに間違って飛ばされたのだろう。だから魔法省が捜索を開始すれば直ぐに彼は見つかるに違いない。本来そう主張する事が出来た()()()()

 

 そして、かつて偉大だった英雄は現在を認知する能力を喪い、第一次魔法戦争時代の過去の記憶に舞い戻ってしまったのだから、そっとしておくのが一番だ──そう主張する事こそが、闇の帝王の復活を否定したいコーネリウス・ファッジにとって、最も楽な道だった。いずれ破綻するとしても、最初から対決する事は有り得なかった筈だった。

 

「しかし、セドリック・ディゴリーの死体が晒された」

 

 彼は光の陣営に一本の剣を残した。

 己が身をもって、コーネリウス・ファッジの逃げを許さなかった。

 

「ハリー・ポッターはまず間違いなく、セドリック・ディゴリーの死体の価値を理解していなかったでしょう。本当に素晴らしい言葉だと思いますよ。僕の身体を両親の許に連れて帰ってくれ、でしたか。そんな彼の最期の願いを、あの英雄殿が聞き届けない筈もない」

 

 その託された使命は、ハリー・ポッターにとって自身の命と同じ位に重要だっただろう。

 初めから彼が移動鍵(ポート・キー)を使って帰る事のみを考えていれば、優勝杯が何処に置かれたままになっているかを必死に探していたのであれば、卓越した開心術士である闇の帝王に思考を読まれるか、行動から逃亡の目論見を看破されたかもしれないとすら思う。

 けれどもセドリック・ディゴリーの死体を是が非でも奪還しようとするハリー・ポッターの行動は、多分、闇の帝王には全く理解出来なかった。

 理解出来なかったが故に、彼はまんまと逃げおおせる事が出来た。

 

「セドリック・ディゴリーの死は確定した。ホグワーツを含めた三校の生徒。三大魔法学校対抗試合の結末を見に来た、ボーバトンやダームストラングの本国の人間、そしてその他多くの国の高官達。彼等の眼にも触れてしまった。生存の可能性を語る事は許されず、どんなに言い繕っても魔法省の失態による事故死以上に、状況が良くなりはしないのが確定してしまった」

 

 十四年の平和は破られた。

 

「セドリック・ディゴリーの死体に一切の外傷がなく、少なくとも外見上、死の呪文を用いられた死体と同様だった事は、あの場に居た大勢が目撃したでしょう。その時点で、貴方の言葉には一応の理があるかもしれない。そう考える人間が出て来る事を止められなくなった」

 

 闇の帝王の復活が、現実味を帯びてしまった。

 

「また代表選手が事故死した事によって、三校試合の運営に関与した魔法省の管理責任が問われ、コーネリウス・ファッジにも批難が集まるのは避けられない。その矛先を逸らそうとすれば、彼が魔法大臣の職にしがみ付こうとするならば、貴方をボケ老人扱いするだけでは足りない。貴方こそが全ての元凶であるとして責任を押し付ける必要が有り、公然と対決しなければならなくなった」

 

 そして非常に都合の良い事に、今年アルバス・ダンブルドアはハリー・ポッターの参加を阻むのに失敗している。セドリック・ディゴリーに関しても、耄碌した老人が失敗したから死んだのだと主張するのはそう悪い選択とは言えない。

 

 勿論、この最強の魔法使いを敵に回す事を考えなければ、だが。

 

「けれども、あの魔法大臣の椅子に座っているだけの男の言葉が、果たしてどれ程真に迫って聞こえるでしょう?」

 

 アルバス・ダンブルドアの事を考えないのであれば。

 コーネリウス・ファッジもまた、魔法大臣としての能力につき左程評価されているという訳ではなく、広く尊敬や信頼を勝ち得ているとは決して言えないのである。

 

 そして非魔法界が女王や首相に対して平気で批判し、またその言葉を真正面から嘘だと非難する事が有り得るように、魔法界における魔法大臣の言葉もまた、その一切が無条件で信じられているという訳ではない。

 

「シリウス・ブラックが脱獄し、ワールドカップで死喰い人が暴れ、十三年振りに闇の印が打ち上がった後なのです。そして〝生き残った男の子(ハリー・ポッター)〟が三校対抗試合に巻き込まれ、一人の代表選手(セドリック・ディゴリー)が死んだ。魔法省が如何に躍起になって闇の帝王の復活は嘘だと主張しようと、何かが変だと感じない馬鹿の方が余程少数の筈だ」

 

 更に闇の帝王の復活を語るのは、他ならぬアルバス・ダンブルドア。

 その言動と性格によって各方面から蛇蝎の如く忌み嫌われている老人であろうと、彼がゲラート・グリンデルバルトを打倒し、闇の勢力に対抗し続けて来た大魔法使いである事に変わりない。アラスター・ムーディが狂人でありながらも伝説の闇祓いで在り続けたように、史上最高峰の能力を持つと誰もが認める魔法戦士の言葉は、戯言と一蹴出来る程に軽くはない。

 

「──だというのに、何故魔法界は信じないんでしょうね?」

 

 アルバス・ダンブルドアは口を堅く結び続けたままだ。

 この国で最も賢い老人は、愚か者の真似事を止め切れない。

 

「まあ信じないというより半信半疑というのが近いでしょうか。貴方を信じ切れず、心地良いコーネリウス・ファッジの言葉に耳を傾け、まだ戦争の再開まで猶予が有ると勘違いして、優柔不断のままに立場を決められない。セドリック・ディゴリーの尊き献身にも拘わらず、そうなってしまった原因というのは一体何処に有るのでしょう?」

 

 魔法界はそこまで理性と論理的思考を持たない人間ばかりなのだろうか。

 そうである筈は無い。今年のアルバス・ダンブルドアにこそ、大人としての義務と責任を果たさなかった老人にこそ、現在の状況への責任が存在する。

 

「闇の帝王が復活し、そしてハリー・ポッターが辛くも闇の帝王の下から逃げ帰って来た事を受けて、僕は改めて〝ハリー・ポッター〟について調べました」

「……それは君にとって今年必要だったのかね」

「大いに必要でしたよ。これからの戦争では避けて通れませんし、既に四年前ざっとは調べていましたが、今ならばまた変わった観方が出来るだろうと感じましたから」

 

 魔法戦争の十年。そして束の間の平和の十四年。

 その総決算として辿り着くのは、やはり彼に違いなかった。

 

「幸か不幸か、今までの四年で僕はハリー・ポッター本人を知り過ぎている。ホグワーツで遠目から、ハーマイオニー経由の伝聞から、そして直接の会話から。だからこそ僕は今一度、客観的な視点──世間は〝生き残った男の子(ハリー・ポッター)〟をどう捉えているかを知りたかった」

 

 たった十四年とは言え、闇の帝王の野望を挫いた彼について語る書籍や記事は数多い。

 ハリー・ポッターがホグワーツに、この国の魔法界に帰ってからは更に増えた。以前に調べた経験も有って、予め抱いていた想像の裏付けを得るには十分過ぎた。

 

「十四年前のハロウィンの後、ハリー・ポッターはマグル界に隠された。後見人でも何でもない貴方が独断でその決定を為した事に散々文句は出たようですが、ロングボトムの両親が破壊されて以降、その声は小さくなったみたいですね。魔法界の混乱や危険、そして政治的な懸念を考えれば、彼の処遇はそう都合が悪い物でも無かったのでしょう」

 

 それによりハリー・ポッターはダーズリー家で不幸な幼少期を送る運命が確定したのだが、その程度の犠牲は受け入れられる代物であった。闇の帝王が消えて即刻、混乱が収束した訳では無い。赤子に過ぎなかった彼の身に危険が有り、非魔法界に隔離される必要性が有った事は、あのハリー・ポッターとて渋々認めざるを得ない現実だろう。

 

「もっとも、魔法界はハリー・ポッターの事を忘れた訳では無かった。何かあるごとに彼への祝福と感謝の言葉が捧げられていた。特にホグワーツ入学の節目の年、彼の十一歳の誕生日は──まあ、その頃彼はダーズリー家によって岩上の襤褸小屋に連れ出されていた訳ですが──大々的に祝われたようですね」

「…………」

「ホグワーツへの入学は義務では無く、家庭教育や海外留学も認められている。そんな一抹の不安は有りましたが、しかしハリー・ポッターはこの国の魔法界に戻って来た。そして彼の帰還、及び闇の帝王が堕ちてから十周年を祝し、ハロウィンは国中が御祭り騒ぎ──その頃ハリー・ポッターは懲りもせずトロールと戦う羽目になっていましたが──に包まれていた」

 

 流石に新聞に長々と記事が載っている訳では無かったが、それでも二、三行の文章で彼等の派手さが想像出来る位には、相当な騒動になったのは充分に伝わってきた。

 

「この国の人間にとって十四年もの間、ハリー・ポッターは非常に象徴的で、そして大切な子供として在り続けた。『ときどき夜になると、僕はいまでも両親を思って泣きます』。この内容に聞き覚え、というより見覚えは?」

「……三校試合中のリータの記事じゃの」

「ええ、あれはハリー・ポッターを知る者から見れば非常に馬鹿げていましたが、それでも彼女は世間の需要を正確に把握していましたよ」

 

 ゴシップ記者としては最上と言って良いだろう。

 この老人によって幾重にも守られたハリー・ポッターに接触し、直接のインタビューにまで漕ぎ着け、多分に捏造や脚色が含まれてはいても、読者の求める通りの記事を書き上げてみせたのだから。

 

「『日刊予言者新聞』の記事にしても『週刊魔女』の三角関係の記事にしても、あれらの記事を真剣に信じていた者は極少数だったでしょう。けれども、あれらの記事が真実の一端を報道していたのもまた確かであり、そしてホグワーツ生の子供を持たない人間にとっては、あれが殆ど初めて触れるハリー・ポッター像だった」

 

 ハリー・ポッターが毎年教科書をダイアゴン横丁に買いに訪れるのを知ったとしても、良心の有る大人ならば、無遠慮に押し寄せて迷惑を掛ける事は無かっただろう。

 だがそれでも彼等が〝生き残った男の子〟の事を気にしていなかった訳ではない。彼等は常に、そして確かに、心の片隅でハリー・ポッターを気に掛け続けてきた。

 

「先の魔法戦争で自身の家族を、己が子供を喪った者は少なくない。それらの人間にとってハリー・ポッターは光で、希望だった。要するに彼を我が子のように大切に思っているのは、赤毛が特徴の一族や、()()()()()()()()()()()()だけの特権では無いんですよ」

 

 蒼い瞳が僕を責めるように、鋭く細められる。

 聞きたくないならば止めれば良い。この老人が止めれば、僕は直ぐに言葉を打ち切る。

 だというのに、この老人は止められない。この世にそんな〝善良〟な人間など居ないというのに、自分にとって不愉快な理屈を感情的に打ち切らせるのは不思議でも何ともないというのに、アルバス・ダンブルドアは、彼の理性が正当性を認める論理を阻めない。

 

「そしてそれ故に、彼等は当然のようにこう思ったのです」

 

 〝ハリー・ポッター〟が如何なる存在であるのか。

 

 それは此度において重要な点であり、その面を見ない振りをしているのは他ならぬこの老人、アルバス・ダンブルドアだった。誰よりも賢い筈の魔法使いが惚けている、今年為したその善意の所業こそが、彼が世界の信用を喪った最大の理由に繋がっている。

 

「──この()()()。〝生き残った男の子〟による直接の証言。セドリック・ディゴリーが殺され、闇の帝王の復活を目撃し、在野の死喰い人達が再集結した旨を語るハリー・ポッター自身の言葉。それが魔法界に存在しないのは、一体全体どういう理屈なんです?」

 

 その指摘に漸く、アルバス・ダンブルドアは表情を歪めてくれた。


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