この老人をもってしても、盟友の弱体は掘り下げたくない話題だったのだろう。
アルバス・ダンブルドアは話に区切りをつけるように一呼吸置いた後、自ら次を紡いだ。
「そして君はよくよく理解しておるじゃろうが、儂の最大の失態は、アラスターの成り代わりを看破出来ず、敵を懐に入れ続けた事などでは断じて無い」
自身の正当化では無く、寧ろ自身の断罪の為に老人は明言した。
「はっきり言って、アラスターに化けている者が校内に潜んでいようとも、それは無視しても問題無い部分じゃった。あの死喰い人は自分の仕事を果たすまではハリーを殺す気は無かったし、第三の課題の最後の最後まで、彼は事実上無害であったと言って良いからの」
僕は答えず、老人が代わりに説明を続ける。
「故に突き止めるべきは今回の目的であり、手段であった。警備の何処に隙が有るか、動くとすれば何時動くか、仮にヴォルデモートが三校試合に干渉するならどうするかこそ、儂の頭脳を最大限に働かせるべき部分じゃった。要は儂がホグワーツ外より校内の事、課題がどのように実施されるかについてもっと関心を抱いていれば、儂は此度の悲劇を止められておった」
それはまあ……そうかもしれない。
「優勝杯に触れたハリーとセドリックは、ヴォルデモートの下に連れ去られた。それはハリーがセドリックの遺体と共に
「……
そのような事が出来るかは知らない。
ただ、第三の課題の顛末を人伝てに聞いた時からずっと考えていた事であり、即座に否定が返って来なかったあたり、完全に間違っている訳でもない筈だ。
「魔法に対し素直にエネルギー保存則は適用出来ませんが、大きい現象を起こす方がより困難になるのは変わりない。つまり片道より往復の移動鍵を用意する方が手間であり、何よりハリー・ポッターを死地に送り込んだ死喰い人が、わざわざ帰りの便を用意してくれる筈も無い」
機能を発揮して消え失せた優勝杯は、バーテミウス・クラウチ・ジュニアが代わりに偽物を置けば十分。そもそも優勝杯が行方不明のままでも──それが移動鍵として用いられたと後に判明した所で、左程支障も無さそうだ。
ハリー・ポッターが消えた事を知り何が起こったかを老人が推測する程度は、闇の帝王の側とて織り込み済みだろうし、侵入・脱出経路が一つ塞がれるのと引き換えに闇の帝王の復活と生き残った男の子の死亡が叶うというならば、十二分に過ぎるだろう。
「何より疑問に思っていたんですよ。外部から見えない迷路で第三の課題をやるというならば、では一体どのように優勝者を判定するのか。壁の存在を物ともしないアラスター・ムーディの魔眼が有るとしても、彼が不正にホグワーツの優勝を宣言すれば困ってしまう訳ですから」
「……儂も同種の疑問をルードにぶつけた。それに対して彼は、優勝者は誰が見てもはっきりと解るような、アッと驚く仕掛けが有ると言っておったよ」
「まあ違う意味で驚いたでしょうね」
僕があの場に居合わせなかった以上、セドリック・ディゴリーの死体が現れた時の阿鼻叫喚は想像するしかないが、相当な物だった事だろう。
「
優勝杯は迷路の中央に置かれており、初めから往復機能を備えた移動鍵として作られたのならば、元の迷路の中央に戻るのが普通だろう。
しかしハリー・ポッターは迷路の入口に現れた。それは、優勝杯に最初に触れた者を移動する仕掛けが初めから備わっていたのだと、そう考えるのが妥当ではないだろうか。
「そもそも、ただの移動鍵でホグワーツの護りを抜ける訳では無いのでしょう?」
「それが可能ならホグワーツは難攻不落と呼ばれては居らぬし、前回の戦争でもヴォルデモートが移動鍵を作れる人間を潜入させようとした筈じゃ。けれども幸運な事に、侵入者によって生徒が人質として取られたような事件は起こらぬかった」
「流石に炎のゴブレット。五百年もの間代表選手達に不破の魔法契約を続け、二百年倉庫に眠っていても一切機能を損なっていない、超一級の魔道具は伊達では無いという事ですか。まあ余計なドッキリ要素を仕組んでくれたのには、今の僕達は文句を言いたい位ですが」
かの骨董品は、並外れた技量を持つ魔法使い達が相応の歳月を費やし、尚且つホグワーツを含む三校の校長達の関与と承認の上で作成された筈である。それがホグワーツの護りを無視して移動を可能にしたとしても、何ら不思議では無い。
「そして説明書に記されていない、或いは忘れ去られた機能をバーティは知り得る立場に居たじゃろう。当然、ヴォルデモートは彼から情報を得るのに支障はない」
「……そうですね。彼であれば、隠されていようが知らないままという事は無いでしょう。或いは、純血達が残してきた記録や日記帳にそのまま書かれていないとも限らない」
二百年振りの復活の一回目。
三大魔法学校対抗試合の不手際が、最悪の形で現れた。
「本当に、ここまで上手く行くと呪われているとすら思えてきますよ」
今年は何から何まで今年は異例過ぎた。
「今年都合良く自由になった、死んでいた筈の死喰い人。主君の復活を前に行動した死喰い人達を咎めるように撃ちあげられた、想定される犯人が居ない闇の印。引退して世間と接触を断った闇祓い。二百年振りに倉庫から引っ張り出された炎のゴブレット。どれかの要素が欠ければ、貴方が気付く余地は有ったでしょうに」
そして、セドリック・ディゴリーも死ななかった。
「……君は意外に責めはしないのじゃな。儂はもっと批判される物だと思っておったが」
「ここに居たのがハリー・ポッターやハーマイオニーならばそうしたかもしれませんが、僕はスリザリンの中で裏の事情を知り、そしてまた貴方の性格を良く知っている。今回は多くを知っている者程間違える類の問題でしょう」
ハリー・ポッター視点では、今回の主要人物で〝犯人〟と考えられる存在は闇の帝王のみであり、そのしもべとしてゴブレットに名前を入れ、状況を都合良く支配出来る立場に居るのはアラスター・ムーディしか居なかった。物事を単純に考え、消去法で考えれば正答を導けた。
しかし、ルシウス・マルフォイ氏やイゴール・カルカロフを含めた元死喰い人達の動向や思惑まで考慮に入れると、途端に問題は複雑化する。
結果から見れば自分で物事を難しくしただけの空回りの馬鹿だった訳だが、バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツで消えた時点で、僕もこの老人も、今回の事件中に人死にが出た事は疑っていなかった。それ以上の被害を防ぐ――代表選手三人やその他の生徒、ルドビッチ・バグマンを始めとする審査員まで視野に入れて護るという観点で見ると、やはりアラスター・ムーディだけを警戒しておけば済むというのは難しい。
もっとも、如何に言い訳しようと負けは負けであるが――
「……どんなに予想していても、実際に会わなければ解らないという事も有るのう」
「…………?」
眼の前の老人が一体何を言い出したのか、一瞬僕は理解出来なかった。
そして、理解出来なかったが故に、人の心を読み切る怪物の攻撃を許してしまった。
「まさか君とも有ろう者がこれ程
アルバス・ダンブルドアから不愉快な言葉を投げつけられた事は幾度も有る。
しかし、それらの記憶を軒並み浚った所で、此度程に気分を害する言葉を投げつけられた事はそう無かった。これまでの中でも最上位に位置するであろう、心を削られるような皮肉。この老人の本性の一端を確かに覗かせる、血の通っているとは思えない人間の言葉。
「――貴方より情を移しているのは確かなのかもしれませんね」
自分でも驚く位に、今まで聞いた事がないような声色が出た。
「アラスター・ムーディの成り代わり、更に優勝杯の絡繰りを見逃した事は良い。しかし、貴方の立場と権力からすれば、その時点でも決して
しかしアルバス・ダンブルドアは状況を座視した。
「逆転時計は時を五時間遡れる。ならば何故、それを使わなかったんです?」
僕の指摘に、老人は軽い鼻息で髭をそよがせるだけで、表情は動かさない。
「かの魔法具は歴史を変えられる。セドリック・ディゴリーが死んだと解った時点で魔法省へと飛び、時計をひっくり返せば良かった。時計を用いて貴方が介入すれば、闇の帝王の復活自体は止められなかったとしても、彼を生かす事くらいは出来たでしょう」
「……ステファン。それは決して許されぬ行いじゃ。特にヴォルデモート程の魔法使いの意思を曲げて人一人の死を覆すともなれば、どれだけ広範囲に時間の歪みを引き起こすか、儂をもってしても想像が付かぬ」
「は? そんな些細な事でしょう……!? あの男の死が、
「──セドリック一人が生きていた所で、
差し込まれた酷薄な言葉に凍り付く。
そこで漸く、己が前のめりになりつつあった事を気付き、改めて椅子に身体を預けた。自分の体重が酷く重く感じたのは、椅子が軋むような音を立てただけでは無い筈だった。
先の言葉は、アルバス・ダンブルドア当人の言葉では無い。
この大魔法使いは、そこまで突き放した評価を軽々しく他人へと吐く事は無い。それが自分の嫌っている相手でないとなれば猶更だ。であるからこそ、先の言葉は本来僕自身が吐くべき言葉で、
……アルバス・ダンブルドアは此度も正しいらしい。
セドリック・ディゴリーに対し、僕は在るべき以上に入れ込んでしまっている。
「……一昨年、何故ホグワーツに逆転時計が持ち込まれたんです?」
気付けば恨み言が口を突いて出ていた。
これまで逆転時計が一度もホグワーツに存在した事が無いのであれば、こんな愚かな事を考えはしなかった。その想いは眼の前の老人にも伝わった筈だった。
「選択科目を全て取り、かつ優等生だったから逆転時計を貰ったというハーマイオニーの言葉は、正直僕には信じられないんですよ。何故ならO.W.L.を十二科目合格して首席にもなった事例は、ウィリアム・ウィーズリーとパーシー・ウィーズリーが存在している訳ですから」
つまりその程度の条件は、貴重では有っても稀少では無い。
ハーマイオニー・グレンジャーは、学校の評価枠組みで判断する限りにおいては、ホグワーツ史で見てしばしば生まれ出る優秀さと、多少便宜を図るべき程度の価値しか有してない。学校の枠では閉じ込めきれなかった大天才、在学中に数々の論文を発表し、卒業時点で多くの賞と名誉を受け取っていたアルバス・ダンブルドアとは、決して同じ軸で語る事は出来ない。
「先程の建前を信じる場合、直近の十数年で計九年もの間、グリフィンドールに逆転時計が存在する事になってしまう。彼女は途中放棄しましたが、それでも七年です。その間、グリフィンドール生は一人として余計な詮索をしない程に自制心が強く──或いは同級生が時間旅行している事を全く察しもしない程に馬鹿なのですか?」
そこまでグリフィンドールを過小評価する程に、僕は単純になれない。
そして同じ事はスリザリンにも言える。
「先のグリフィンドール三人のように、十二科目取れる程の優秀な生徒が連続して現れたのが例外的だったとしましょう。しかし逆転時計を生徒に貸し出すという特例が昔から存在していれば、スリザリンの一人くらいは時間遡行に気付いて良いでしょう? そして一人気付けば子孫、或いは後輩に伝えるのは可能な筈です。つまり、この国に旧くから根付いた家系出身の人間が知っていないのは変だと言って良い」
すなわち、問題は在るべき事が無かった不自然である。
「ドラコ・マルフォイは当然逆転時計を借りて然るべきだった。彼は成績面のみは優良に属する側であり、ハーマイオニーよりは法律や校則を破っておらず、五時間余計に悪さをする為の道具を見逃す程に謙虚でもない。しかし、彼が去年から時間遡行をした様子は一切無かったと断言出来る。その理由は一体何処に在るのです?」
加えてスネイプ教授の一昨年の動向、すなわちシリウス・ブラックが密室から逃げ出した際に怒り狂っていた事を思えば、逆転時計という反則の道具がハリー・ポッター達の手許に有った事を教授が知っていた可能性は、非常に低いように思えてならないのだ。
そして真っ当な思考を働かせれば、時間遡行を可能とする強力な〝玩具〟を生徒に貸し出すという特例を作るより、授業を受講せずともO.W.L.試験に挑む事が可能であるという特例を作る方が妥当である。個人授業や個別の宿題を出さざるを得ない教授達に負担は増えるだろうが、未成年の魔法使いが不用意に〝時〟を破壊してしまう危険には代えられないからだ。
要するに、ハーマイオニー・グレンジャーこそがホグワーツ内で逆転時計を与えられた唯一の事例のように思えてならず──しかしながらアルバス・ダンブルドアは頑なに口を閉ざしたまま、静かに僕を見返すだけだった。
「……だんまりですか」
まあ、解答が返って来ない事は解っていた。
アルバス・ダンブルドアは僕に多くの秘密を明かしているように見えるが、しかしそれはあくまで必要な限りにおいてであり、不必要だと考える事は明かさない。賢者の石の時も、秘密の部屋の時も、僕が得る情報は明確に選別されていた。僕が当時求めなかったというのも有るが、仮に当時実際に問うてみた所で、この老人は答えてくれなかっただろう。
「しかし、やはりハーマイオニーに逆転時計を貸すべきでは無かったのでは?」
ただそれでも、問い続ける事は止め切れなかった。
心の奥から沸き上がる熱い何かが、僕を止めさせなかった。
「シリウス・ブラックは吸魂鬼の接吻から救われ、けれどもセドリック・ディゴリーは死の呪文から救われる事は無かった。彼等の間に横たわる不平等、命の救済の基準は何処に──」
「──両者の違いは、あくまで逆転時計が絶対に不可欠とされるかという点に有り、それ以上に、時間に干渉する事が目的となっていないが故だと儂は推測しておるよ」
僕の言葉を遮って、アルバス・ダンブルドアは自分に言い聞かせるように呟く。
「元からシリウスを救う道は幾つか存在し、儂等が過ごす時間で最もスマートに解決する手段が逆転時計で有ったというだけなのじゃろう。そして逆転時計がハーマイオニーの手許に存在する事を要求されたのは、恐らくシリウスを救う為ではない。であるからこそ、時間が壊れる事は無かったと考えておる。勿論、他にも理由が有り得る事を否定せぬが」
「……けれども最早彼女の手許に逆転時計は存在しない訳ですが。つまり、これから彼女が再度逆転時計を手に入れ、そして使う羽目になると?」
「ハーマイオニーが将来逆転時計を必要とし、使用する事になるかは解らぬ。だが少なくとも、彼女が逆転時計の事を良く知っておる点にこそ意味が在る。君は同意せぬかもしれぬが、儂はそう考えてならぬのじゃ」
それは彼女達にシリウス・ブラックの命を救わせた事の正当化に過ぎない。
そんな反論が口から出なかったのは、アルバス・ダンブルドアの言葉が嫌に予言めいていて、しかも的中してしまう予感がしたのが一番の理由だろう。
「……貴方にどう聞こえるかは別として、僕は情故に彼を惜しんでいる訳では有りませんよ」
老人の推測と主張を受け容れ、僕は深い嘆息と共に内心を吐露した。
「闇の帝王は復活した。彼は十四年前の裏切者を許した。これより戦争は再開され、故に三寮と蛇寮の分断が更に進む事もまた確定しました。そして貴方がたが僕達の迫害を進める以上、スリザリンは何時も通りの両天秤でなく、闇の帝王の勝利に全賭けせざるを得ないでしょう」
「君は敢えて見ない振りをしているようじゃが、儂等はスリザリンにもまた門戸を開いておるよ。『
「ならば、現在我が寮監以外に不死鳥の騎士団として戦っている主要なスリザリンの名を挙げて欲しいものですね。貴方が信頼出来ると本心から断言出来るならば、無名の協力者として貴方がたと共に戦っているスリザリンでも構いませんが」
「…………」
「嗚呼、貴方が現時点で寮監の事を真に信用出来るというならば、妥協して良いですが」
答えは当然返って来ない。
ホグワーツは結束しなければならない。
この老人は学期末にその手の言葉を述べたが、果たしてどれだけの生徒があの言葉を真剣に受け止めているだろうか。特にグリフィンドール生の中で、結束しなければならない仲間としてスリザリンを頭数に入れた者がどれだけ居るだろうか。最大限好意的に見て、スリザリンが頭を先に下げてくるならば仲間に入れてやって良い程度でしかないだろう。
「グリフィンドール被れのシリウス・ブラックは、スリザリンを、我が寮が保存してきた旧き善き理念を護ってくれないでしょう。寧ろ破壊する側に率先して回るのは間違いない」
「君は偏見に満ち過ぎている。流石のシリウスとてスリザリンが滅べと考えてはいまい」
「この状況に至った以上、傍観もまたスリザリンの滅びの道ですよ」
シリウス・ブラックが悪い人間であるかは、会った事がないが為に断言出来ない。
されども善が悪を、良心が破壊を為し得るのは、今学期でも強く思い知った教訓である。
「マグル生まれとマグルを大量虐殺した、闇の帝王と死喰い人を輩出した寮。一度目は許せても、二度目は無い。迫害されるマグル生まれは、そして彼等により今後も増え続けるであろう遺族達は、決してスリザリンを許せない。特に次が完璧なる勝利であれば、前回のような〝生き残った男の子〟による済し崩し的な終戦でないならば、勝者の権利行使を止められない」
歴史上、魔法使いを狩ったのは悪魔ではない。
神に忠実な高潔な聖職者や、平和を愛する善良な市民こそが魔を狩ってきた。
「戦後のスリザリンは名だけの別物に変わるでしょう。レイブンクローが、ハッフルパフが、グリフィンドールが、スリザリンを〝改善〟する。それによって良くなる部分は有るのは否定しませんが、それでも僕等が過ごし、愛したスリザリンは既に無く、千年前から続く伝統は事実上終焉を迎える事になる」
「……君は悲観的に過ぎる。確かに儂はスリザリンに好意的になれんが、それでもホグワーツの四寮制を崩すような真似は、ホグワーツ校長として看過出来ぬ。君が恐れている未来が訪れる事は、儂が生きている内は有り得ぬと保証しよう」
「貴方が止めようとしないとは言ってませんよ」
アルバス・ダンブルドアは善良足らんとする人間であり、叡智に満ちた大賢者である。
だからこそ、ホグワーツ創始者達の願いを無下にする事は有り得ないだろうし、まず間違いなくスリザリンの崩壊を止めようとする側に回ってはくれるだろう。その程度の善良さは知っているし、けれども僕はそのような一人の行動のみに焦点を当てている訳ではない。
「ただ、1960年代にノビー・リーチ魔法大臣が生まれ、同時期にスクイブ達が大行進をやったように、大衆の意思による社会変化、来るべき未来の到来は止められないのです。それは一人の英雄が頑張った所で、どうこう出来る物ではない」
アルバス・ダンブルドアを止められる個人は、これまでこの国に誰も居なかった。
けれども、集団が止められないかどうかは証明されてないし、まず可能だと思っている。
「あれは確実に非魔法界の潮流と連動している。マグル生まれもスクイブも、非魔法界の社会の変化を魔法族より知っている訳ですからね。結局、それらが大問題化する前に闇の帝王による魔法戦争が始まり、その尽くが棚上げになりましたが、戦争が終わってこの国の魔法界が今後もやっていく気ならば、当然彼等に
新大陸で第二次世界大戦後に赤狩りをやったように。
純血主義という忌むべき伝統を尽く焼却しなければならない。
その象徴としてスリザリンの浄化は、彼等への良い御機嫌取りになる事だろう。
「……セドリックは、その流れを止められたというのかね」
「少なくとも、それを期待は出来ましたよ。ホグワーツ首席。三百年振りの代表選手。ハリー・ポッターの盟友。そしてヘルガ・ハッフルパフの申し子。何より、今年度のホグワーツを一つに纏め上げられる人間は、未だホグワーツの生徒である彼しかいなかった」
一年で出来る事などたかが知れている。
たかが知れているが、それでもその少しがスリザリンには助けになった。
校長や教授という強権的な立場の人間ではなく、曲がりなりにも七年間同じ立場で過ごして来た者が仲間としてスリザリンを受け容れ、声を上げる事こそが、純血主義に染まらぬ今の極少数のスリザリン生に対する庇護となり、光の陣営の側へと歩み寄る救いの道となった。
しかし、三寮と一寮を繋ぐ懸け橋となれた人間は既に居ない。
正確に言えばそれを可能な地位を有する者は一人居るが、スリザリンの資質を持ちながらグリフィンドールに組分けされたあの英雄殿は性格が向いていないし、何よりスリザリンに隔意を持っているのは事実で、これまでの経緯から已むを得ない。それにも拘わらずスリザリンに手を差し伸べてくれという虫の良い話は出来ない。
「今年以降、ホグワーツ内では今まで以上にスリザリンが、丸ごと犯罪者予備軍扱いされる。まあ最初から立場を決めている僕達は良いですが、決めかねている者達は、やはり貴方がたに協力する気にならないでしょう。仮に貴方がたの側に立ったとして、結局戦中も戦後も、裏切者や二流市民扱いされるのには変わりないのですから。そして四寮がバラバラになる事は止められない」
「……敢えて冷淡な言い方をしよう。それは被害者意識が過ぎるとは言えんかね? 四寮を破壊しようとしているのは儂等では無く、間違った道を進む君達じゃ。危険を冒して共に闇に立ち向かわんとする
「調子が出て来たようですね。その善性に満ちた言葉に、確かに僕は反論する事は出来ない」
老人の淡々とした、しかし痛烈な揶揄の言葉に笑う。
皮肉ではなく、純粋な称賛と賛美である。アルバス・ダンブルドアはそうでなくてはならない。彼の善性の大半が理性によって形作られた上っ面だけの仮面だとしても、彼の本質は悪に染まりきれない。怠惰に陥れる事は可能でも、堕落し切るには、この老人は余りに強過ぎる。
そして個人として強過ぎるが故に、コーネリウス・ファッジを善性の下に突き放した事が象徴するように、やはりこの老人は弱者を理解し切る事が出来ない。
「ですが、下等で、馬鹿で、惰弱なのが人間ですよ。貴方が他に対してどれだけ期待しようとも、その人間達が応えられるとは限らない」
「たかが十数年、狭い社会の中でしか生きていない若僧が良く言う」
「たかが百年生きただけで世界全てを知った気の老人に言われたくはないですよ」
平行線で、そしてどちらが正しいかはこれから解る。
その相互理解と共に、どちらともなく視線を打ち切った。
「――ただ、
「……そうじゃな。儂の校長生活でも最上位の、痛恨の極みじゃったと思っておる」
意図せぬとも溜息が重なった。
セドリック・ディゴリー。
ハッフルパフの理想に最も近付く事が出来たかもしれない存在。
「……彼も死ぬ事によって、自寮の理想を体現する必要は無かったでしょうに」
貴族のスリザリン、騎士のグリフィンドール、賢人のレイブンクロー。
そして──聖者のハッフルパフ。
だが、聖者は基本的に生在りし日の功績によって認められるべきだろう。
死ぬ事自体にこそに意義が有ったというのは、決して望ましい事ではない。彼が生きてさえいれば更に多くの偉大な事を為し遂げられたであろうこそ、セドリック・ディゴリーは僕よりも遥かに価値の有る人間であったからこそ、余計にそう思う。
「彼はホグワーツの〝王〟となる資格が有りましたよ。スリザリン、レイブンクロー、グリフィンドールを備えたハッフルパフ。そして今回三校試合の代表選手として絶大な権威を獲得した彼のみが、此度の苦難を前に千年前の理想像を取り戻す事が出来た」
「儂はバーティが誰に対して語り掛けたかを忘却すべきではないと思っておるよ。少なくとも彼は、王となるべき資格は
「……それこそ馬鹿な話ですよ。純血の資格云々以前の話。偉大なるマーリンが王座に昇らなかったように、人には向き不向きという物が有る。僕には向いていない」
「望まずして権威の衣を着る者こそ、儂は良い指導者になれると思うておる」
「ならば余計に僕は不適格でしょうに。僕は権威が欲しくない訳ではない」
そしてセドリック・ディゴリーは向いていた。
あの男は近い将来、魔法界で重要な地位を占める事が出来た筈だった。魔法大臣として君臨しようと、在野の魔法使いとして生きようと、彼はスリザリンのみならず、全ての寮にとって不可欠な存在になっていた筈だった。
「……セドリック・ディゴリーは戦士として死にましたか?」
「……いや。君の前だから言うが、さながら虫ケラのように殺された」
「そうでしょうね」
予感はしていたし、学期末の言葉が暗示していた。
セドリック・ディゴリーは偶然、覇者の前を横切ってしまっただけだ。
単純に運が悪かったが故に、彼は命を落としてしまった。ハリー・ポッターとの差異は僅かで、けれども生死の境界線としては決定的だった。
「結局、闇の帝王に頭を垂れ、自ら杖を差し出す者のみが生き延びられる。彼にしてみれば、本人の価値などどうでも良いのでしょう。バーテミウス・クラウチ・ジュニアもあのハッフルパフ生には心の闇と利用価値を見出していたでしょうに、主君には伝わりはしなかったらしい」
仮定の話。
ハリー・ポッターとセドリック・ディゴリーは同時に優勝杯を掴んだ。しかし彼等の性格を踏まえた場合、最初から同時優勝を狙っていた訳では無い筈だ。
彼等の間には現場での妥協と合意が存在していた筈で、裏を返せば何か状況が一つでも変わればセドリック・ディゴリーが単独で優勝杯を掴む事も有り得たのであり、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの一年間の潜伏と計画は全て無駄になる危険が大いに存在していた。
つまり万全を期すならば、ハリー・ポッターに多少の不自然さを抱かせる事になっても尚、セドリック・ディゴリーを排除すべきだった。周りに他の教授の監視が有って、正体が露見するかもしれなくとも、ハリー・ポッターに優勝杯を掴ませさえすれば勝ちなのだ。闇の帝王の忠実なる臣下として、どのように行動をすべきであるかなど明白である。
それでも、あの死喰い人は彼等の良心、御互いが出し抜くような真似をする筈はないという側に賭けた。それは何処かにハリー・ポッターのみならず、セドリック・ディゴリーも共に送り出せるのならば最上だという思考が無ければ有り得ないと思う。
しかし、彼は失敗した。主君への連絡を怠り、あの男を殺させた。
僕の事を引き込むような工作をする暇が有るならば、あの男の事を何とかして伝えておくべきだった。闇の帝王がセドリック・ディゴリーを堕落させる事が出来たならば、彼を死喰い人に引き込む事が出来たのならば、闇の陣営にとって掛け替えのない武器となっただろうに。
そもそも、あの死喰い人は馬鹿な真似をしていた。僕の性格を読み切っていたとはいえ、あの男は一年掛けた重要な計画を他所に、全てが台無しになる危険を無視して尚、単なる一生徒を死喰い人に勧誘するが為に──
「──それだけの危険を冒す意味が、彼には有ったのじゃ」
眼を合わせていないというのに、彼は僕の思考を正確に見通した上で言った。
「第二の課題やクリスマスの際に見せた君の頭脳と発想力。ドラコ少年を説得し、デラクール嬢を誑かして、学校全体を巻き込んでみせた政治力と影響力。儂やファッジと対等に言葉を交わせてみせる度胸と信念。そして何より数奇な事に、状況は特殊だったとは言え、君はバーティ――他ならぬクラウチ・ジュニアの父君に、ただの一度の会話で認められてしまった」
「────」
「それだけの人間を自分の下に置きたいという欲を、彼は我慢出来なかったのじゃ」
評価し過ぎだ。そう思わずには居られない。
人一人救う勇気も覚悟もない人間が、一体どれ程の価値が有るだろう。
「……僕はスリザリンだ。であれば、全てが終わってからでも良かったでしょう?」
溜息交じりの結論に、アルバス・ダンブルドアは首を小さく振る。
「ハリーが消えた事による混乱が起こった後では間に合わぬと考えたのじゃろう。君の傍にはマルフォイが居り、セブルスも居た。あの時点で彼等がヴォルデモートに生かされるかは不明じゃったが、生かされれば君は直ぐにどちらかに接触したじゃろう」
「この一年間程、アラスター・ムーディに化けた彼は僕に恩を売り続けていた。ならば、それを持ち出せば良かったじゃないですか」
「それでは君の忠誠の全て──更なる主君となるべきヴォルデモートを除いてじゃが──を得る事は出来ぬ。彼が一番に、それも危険を冒して君を味方に引き入れるからこそ価値が有る。儂はそのクラウチ・ジュニアの気持ちが解るのじゃ」
儂もまた君をこうして呼び寄せておるのじゃからのう、と老人は呟いた。
けれども、彼なりの最大限の好意を示されて尚、乾いた笑いしか出なかった。
「貴方が本気で戦争に勝つつもりならば、ここに居るべきは僕では無く、セドリック・ディゴリーであった。やはり僕は本心からそう思いますけどね」
「…………」
「元より貴方が万能では無い事は理解していたつもりでした。けれども、それでも尚、貴方の支配と監視下においては生徒に死人など出ない。僕はそう信じていましたよ」
「……それは儂も同様であり、しかし儂の思い上がりに過ぎなかった」
それでも最早意味は無い。
如何に悔やみ、悼もうとも、喪われた命は還って来ない。
セドリック・ディゴリーは死んだのだ。
・試験制度
O.W.L.試験において、ただ試験のみを受けて終わらせる事が可能であるか(要はハーマイオニーの三年から五年までの計三年間の授業態度・成績が考慮される必要が有るか)どうかは、原作中の描写のみで判断する限りは微妙のように思える。
少なくともN.E.W.T.の方は、N.E.W.T.クラスとN.E.W.T.試験は、同じ用語を使いつつも明確に区別されては居るのだが……。
ちなみにO.W.L.(Ordinary Wizarding Level)試験は、英国で1987年まで行われていたGCE-O(GCE Ordinary Level)をもじったものであるが、過去の制度だけ有って何時も以上に参考程度にしかならない本家wikipediaによれば、主に(主にというのがまた嫌な表現である)テストの点数によって評価が算出される制度であったらしい。
一方で1988年から始まったGCSEは、必修科目+選択科目(year10の間に自ら選択)について、year10~11(我が国の中三、高一)の二年間授業を受けた上で、いわゆる平常点(Coursework)+試験結果によって最終評価が決定されるようである。
まあ変わるという議論もあるらしいので、現在も同じかは保証出来ないが。