この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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御指摘通り、章管理が一時可笑しくなっておりました……。
前回あたりで投稿位置を失敗して一話目より前にしてしまい、それを訂正した際、章位置もそのままズレたようです。多分直っている筈。


ポリジュース薬

「まずは()()()()()。よう来てくれたと言っておこう」

 

 アルバス・ダンブルドアは、椅子に掛けず立ったまま言った。

 未だ不機嫌さは滲んでいたし、歓迎する気配など欠片も無かったが、それでも御互いの立場と状況、そして開口一番の僕の皮肉を考えれば、和やかと表現出来る程度の反応だった。

 

「そして御互い忙しい身、と言っても現在の君の方の忙しさは、非常に真っ当な学生らしい物であり、儂としては多少複雑ながらも喜ばしく思っておるのじゃが――」

「……貴方に僕の私生活をとやかく言われる筋合いは有りませんよ」

「――とかく、手早く済ませたいのはやまやまじゃが、どう考えても儂等二人が会って話が短くなる筈もないの。特に此度は話すべき事は数多い。去年度を含めた今までについても、そしてこれからについても」

 

 互いの表情が逆転した事に多少気を良くして、飄々と老人は続ける。

 

「暇潰しというには重すぎる本を渡した以上、君を待たせる事になってすまないとは謝る必要は無いじゃろう。ただ、敢えて言い訳を述べさせて貰うならば、こうして長く時間を取る為には仕方なかったのじゃよ。君が二言、三言話して済む相手であれば、今儂を悩ませている問題への対処の合間に、ぶらりとここに来る事は不可能ではなかったからのう」

 

 その問題、ハリー・ポッターの件について彼は言わなかったし、僕も追及しなかった。

 御互いに承知の事であったし、今更取り立てて話題に出すような物でも無かった。直ぐに答えが解る事だし、そもそも今回僕達が会う必要性を見出した諸事情と異なり、二人の間で認識の摺り合わせを行う意味自体が感じられない。

 

「……ならばまず済ませるべき事を済ませたらどうです? 今更御互い遠慮する間柄ではありませんし、そちらの方が御互い話を進めやすくはあるでしょう」

「そうじゃな。まずは済ませねばならぬ事をしよう」

 

 僕は腕を軽く広げ、老人は答えたが、予想に反して彼はローブから杖を取り出さなかった。

 それどころか、アルバス・ダンブルドアは深々と頭を下げた。

 

「……一体何のつもりです? どんな反応をして良いのか困りますし、僕に対する冗談の趣向を変えたとすれば、非常に質が悪い気がするんですが」

「別に冗談のつもりは有らぬ。儂は最初に君に感謝を伝えねばならぬ」

「…………貴方にそれを強いるような事をした記憶は、僕には一切有りませんが」

 

 惚けるつもりは無く、本気で思い当たらない。

 呆れと共に問えば、老人は感情を押し殺した声で答えを紡いだ。

 

「セドリックの両親の求めに君が応えてくれた事じゃ」

「――――嗚呼、その事ですか」

 

 老人の重苦しい響きと反対に、僕の言葉は自分で驚く位に軽かった。

 

「別に貴方がわざわざ頭を下げるような事では有りませんよ。単にセドリック・ディゴリーへの義理を果たしただけであり、彼の両親からも寮監からも礼は貰っています。そして流石にあの男が最初の模範とした両親だ、予想したよりは楽な仕事でしたしね」

 

 僕にしては珍しい本心からの言葉に、老人は首を振る。

 

「それでも、儂はホグワーツ校長として、そして失敗した大人として、義務無き君の気高き行いには当然に感謝を捧げねばならぬ。セドリック・ディゴリーの最期の会話の背景を知りたいという彼等の求めに応じ、一応子供である君に対応を強いる事が儂等とて正しいと言えるかは、流石の儂も判断が付かなかったからの」

「……その手の話も既にポモーナ・スプラウト教授からも聞いた話ですし、そもそもこれは御互いの立場と現状を確認するよりも先にする事ですか?」

「儂はそう思うておるよ。戦士以前に、人間として忘れてはならぬ事はあろう」

 

 僕は全くそう思わないから、大いに意見の対立があるようである。

 セドリック・ディゴリーに対して僕が過度に思い入れの有るような対応は止めて欲しい物だ。この校長室が安全であり、外部からの盗撮や盗聴が不可能であると解っていても、僕の立場を危うくしかねない行為をされて良い気にはなれない。

 

 何より、そのような礼を受けとる資格が僕には無い。

 

「――正直な所、僕も彼の死に責任を感じていない訳では有りませんよ」

 

 思わず嘆息混じりになったのは、これがこの老人にしか明かせない言葉だからだろう。

 セドリック・ディゴリーの両親は当然として、ポモーナ・スプラウト教授に対しても口には出さなかった。あのハッフルパフの模範生と直接的に関わる話題では無かったのも有るが、意図して口を噤んだ一番の理由は、やはり自分の保身だ。全てを明かす事によって得られる自己満足と天秤に掛ければ、己の危険を避ける事を選択するのは当然だった。

 

「僕にはセドリック・ディゴリーの命を救う機会が有ったのではないですか?」

「――――」

「校内のあの死喰い人が僕と接触したのが、厳密に第三の課題が始まる直前なのか、始まった直後なのかは僕の視点からは解りません。しかし、それから直ぐ僕がクィディッチ場に向かったのであれば、間に合う事が出来た気がしてならないんですが」

 

 つまりは完全に()()()になってしまったのは、ハリー・ポッターが迷路に入った瞬間だったのか。それとも迷路に入った後だったのか。

 

「……それは君の責任ではあらぬ」

 

 アルバス・ダンブルドアは、問いに答える為に渋々顔を上げながら言った。

 

「一年間ホグワーツに居たアラスター・ムーディが敵であった以上、君の視点では誰が敵で、周りが何処まで信頼出来るか解らないのも当然じゃ。彼一人が潜入している保証も、服従の呪文の不存在の立証もないからの。君の警備に就いた闇祓いに加え、部屋の監視が外に居る事も考えて動こうとしないのは、何ら可笑しな事ではない」

「僕はそのような事を聞いた訳では有りませんけどね」

 

 老人が露骨に、深々と溜息を吐く。

 

「……その質問には儂は答えられんよ。確実かどうかは解らぬからじゃ」

「ならば単刀直入に聞きましょう。ハリー・ポッターが闇の帝王の下へ送り込まれた時間は?」

「…………。ハリーとセドリックは、優勝杯に触れた事によってヴォルデモートの下に送り込まされた。つまり、君を含めた儂等がどうにもできなくなったのは、ハリーが迷路に入った直後では無い」

「そうでしょうね。ええ、僕が居なかった時の顛末を聞いた時から解っていましたとも」

 

 予期してはいたが、案の定であった。

 

 要は、あの死喰い人に僕は嘘を吐かれた訳だ。

 

 合理的である事は決して正解である事を意味しない。

 僕はその基本的な論理を、あの時もっと吟味しておくべきだった。自分の立場を決する重要な分岐点であり、かつ間違えてはならない場面で有ると理解しているならば、隙や見落としが無いかについて更に検討を深めておくべきだった。ハリー・ポッターが迷路に入った後、優勝杯を掴むまでは、あの闇祓いが本当に敵であるかも含めて、考察を深め、試す時間は残されていたのだから。

 

「……繰り返すが、それは君の責任ではない」

「ならば、貴方がたが同じ立場に置かれれば大人しくしていましたか? アルバス・ダンブルドア。ハリー・ポッター。ハーマイオニー・グレンジャー。ロナルド・ウィーズリー。グリフィンドールが、たかだか死喰い人に脅された程度で行動するのを止めましたか?」

 

 回答を待たず、僕は独白した。

 

「あの帽子は苛立たしい程に正しい組分けをする。僕をグリフィンドールに入れようとしなかったのも当然でしょう。僕には最初から獅子寮の資質が無かった」

 

 こうまで鮮やかな形で突き付けられると清々しさすら有る。

 僕がレイブンクローに組分けされる可能性は零では無かろうと、やはりグリフィンドールに組分けされる可能性は零だった。眼前の老人も大概グリフィンドールらしくないが、それでもやはり基本的な志向はグリフィンドールであり、組分け自体が正当性を欠く訳ではない。資質自体が無く、当然に拒否された僕とは決定的に本質を異にしている。

 

「貴方がまんまと出し抜かれた人間なら、僕はセドリック・ディゴリーを見殺しにした人間ですよ。そして彼等はそれを知らずに僕へと感謝を向けた。僕が口を噤んだから当然の帰結ですが、要は貴方を責めたり、或いは貴方から礼を言われるべき程に身綺麗では無い」

 

 ハリー・ポッターが迷路に入った時点では、何ら彼の死は確定していなかった。

 あの時点で僕がアラスター・ムーディの偽物に敵対する事を決めていれば、闇の帝王の復活とハリー・ポッターの殺害を目的とする計画は失敗する可能性が有った。セドリック・ディゴリーを救う可能性が残っていて、しかし僕はむざむざと見過ごした。

 故に僕には責任が有り、それを忘れずにいる必要がある。

 

「……これまでの付き合いで重々承知じゃが、君も大概面倒な性格をしておるの」

「でなければ貴方とこうして付き合ってられないでしょう。僕が貴方よりマシだと思う位には、貴方の性格には毒が有り過ぎる」

「流石にそこには見解の相違があるようじゃの」

 

 老人は困ったように少し眉を寄せ、僕は鼻で笑う。

 

「まあ貴方の礼を受けとるまで話が進まないというのであれば、一応受け取っては置きますよ。何時までも貴方を立たせたままというのも気分が悪いですからね」

 

 椅子に掛けたまま、長身の老人を見上げる。

 

「だからまず最初に為すべき事を――さっさと記憶を見ればどうですか? これは貴方が僕をここに呼んだ理由の一つでしょうし、貴方が直接見た方が、今日の今後の話も進めやすくなるのは明らかだ」

「……ファッジの前でも君は平然と言ってのけたが、開心術を受ける際は、普通はもっと臆するものじゃよ」

「折角人の心を覗き見る魔法が有るのだから、使わなければ損でしょう? そして僕の感覚としては、憂いの篩を使うより我慢出来ますよ。記憶(憂い)を取り出しても自分の中から喪われる事は無いとは解っていますが、自分の物が他に流出して残存するというのはやはりゾッとする」

「儂にとっては開心術も変わらぬと思うがの。そもそもそれだけの思考力を頭に入れておいて頭が爆発しないのが不思議なくらいじゃ」

「前者は見解の相違。後者は余計な御世話ですよ」

 

 そしてこれが――彼が僕の心を暴く事が、互いにとって必要である事に変わりない。

 あの時何が行われたかを知らねばアルバス・ダンブルドアは僕を信用し切れないし、僕もまた話を進める為に、この老人の信頼をある程度獲得する必要を感じている。利害は一致している以上、やらない選択肢など初めから存在していない。

 

 アルバス・ダンブルドアはゆっくりとローブを取り出し、僕の心臓に杖を向ける。

 二年前、閉心術を教わっていた時から思っていたが、非常に特徴的な杖だった。この老人には似つかわしくない、見ていて良い気がしない不吉な杖である。そう感じてしまうのは、この杖がさながら人間の骨を模したような外見をしているからだろう。

 

「ただ、この前に予め一つくらい明らかにしても良いのではないですか?」

「……アラスター・ムーディの正体じゃな」

「先入観無しの方が心を読みやすいと言うならば、読んでからでも良いですが」

 

 アルバス・ダンブルドアは答えず、僕の言葉を待った。

 

「学期末にアラスター・ムーディが姿を現していた事から見て彼が裏切っていた訳では無いんでしょうが、服従の呪文が使われたのか、或いは偽物だったのかは僕の視点からでは解らない。もっとも、後者の方が可能性が高いとは思っては居ますけれど」

「……君は成り代わりの方を疑っているのじゃな」

「ええ、まあ」

「――その推測は正しい。アレはクラウチじゃった」

「…………は?」

「バーテミウス・クラウチ・ジュニア。彼がアラスターに化けていた」

 

 事前予想に一切無い解答に一瞬思考が止まり、けれども直ぐに目まぐるしく回る。

 だが、それは同時に心の防備を疎かにする行為である。アルバス・ダンブルドアが意図して造り出した、僕が考え込まざるを得ない爆弾を投げ込んだ事により生じた隙。それを突くようにして行われた次の行動は、自分に対して行われるのでなければ、手放しに称賛したい位に美しい遣り方だった。

 

「予め宣言するが、儂が覗き見るのは君とクラウチの記憶だけじゃ。

 ──開心(レジリメンス)

 

 詠唱と共に呪文が構築され、心への侵入が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 人の心を読むという事は、自然に反する行為である。

 

 書物のように一読出来るように出来ていない心を、嘘発見器程度の判定のみならず、当人が抱いた感情や五感によって描いた風景まで読み取ろうとすれば、さながら臓器移植による拒絶反応が生じるように、入り込んでくる異物(他人)を、心は自然と拒もうとしてしまう。

 それを如何にして穿ち、懐柔し、暴き立て、解きほぐすかこそが開心術士の腕の見せ所で、その点この老人は言うまでもなく一級の術士である。本能的な反射による防御は意味をなさず、そしてだからこそ、僕は当然の礼儀として最大限の妨害の努力をした。

 

 不意を突かれた事によって後手に回ったものの、この程度の不意打ちは二年前の閉心術の訓練で散々やった物だ。そしてスネイプ教授により一手とはいえ貴重な指導を受けた事で、()()()()()に対してどうやれば良いのかも想像(イメージ)が出来ている。

 不自然ではない程度の反射的な拒絶を見せると共に、侵入者が要求する情報を自ら心に浮かび上がらせ、更には疑問を敢えて抱かせて侵入者自ら探る努力をさせる事で誘導を掛ける。真正面からの抵抗や反発以外、考えられる偽装や隠蔽は全てやった。

 

 それでいて尚、僕の抵抗は限られ、アルバス・ダンブルドアは欲した物の殆どを抜き取ってみせた。心の一切を隠し通すという観点で見れば、僕は完敗したと言って良い。

 

 ただ、真の勝敗という面でみれば、表情から見れば明らかである。

 顔を不愉快そうに歪めたアルバス・ダンブルドアは杖先を僕から外し、ローブの中にしまった。その後、疲れと呆れが半々混じったような溜息を吐きながら椅子に掛ける。

 

「……儂が教えなくなって一年半経つが、その間君は毎日修練を欠かさなかったようじゃな。随分と閉心術の腕前が向上しておる。君が半ば儂の行いを受け容れていて尚、心を探るのにこれ程苦労させられるとは思わなかった」

「それでも、貴方の前では隠し切れなかったようですが」

 

 飄々とした返答に、彼は余計に苦々しげな表情を浮かべる。

 

「良く言ってのけるものじゃ。儂は確かにバーテミウス・クラウチ・ジュニアの記憶を求めたが、シニアの記憶まで見せよと求めたつもりはない」

「貴方は()()()()と言ったでしょう? ならば両方見るのが筋でしょう。そもそも、教授に化けたバーテミウス・クラウチ・ジュニアも、あの時後から来た訳ですし」

「……その部分に関して報告は受けておる」

「だとしても、当人の記憶で検証しなくて良いという話にはならないでしょう」

 

 当然本心は嫌がらせの為であり、奏功して何よりである。

 バーテミウス・クラウチ氏があの湖畔で語った内容の信用性は低いのだとしても、最早彼が何も語れなくなってしまったであろう以上、アルバス・ダンブルドアは知っておくべきだった。

 

「……ですが、バーテミウス・クラウチ・ジュニアが正体ですか。その可能性など一切検討していませんでしたよ。僕の記憶違いでなければ、彼は既に死人だった筈ですから」

 

 心の防衛を行った事による疲労か、或いは真実の重みが齎す心労か。

 体重を大きく椅子に預けながら言えば、僕の記憶が間違ってない事を保証するように、老人は軽く頷いた。

 

「彼はクラウチ・シニア──バーティによって秘密裏にアズカバンから連れ出されておった。彼は十数年もの間服従の呪文を掛けられて幽閉されており、しかし今年の初めに自由になる機会を得た。それがあの闇の印であり、ヴォルデモートを呼び寄せる合図にもなったのじゃ」

「……それはまた、事件の裏で随分と予想外の事態が起こっていたものですね」

 

 どんな千里眼を持とうと見透かすのは無理な話で、ただ、腑に落ちる部分は在った。

 

「道理で彼はスネイプ教授が無罪放免になった理由を知らないし、僕が吸魂鬼に触れた事を危うい所だったと表現する筈ですよ。そしてバーテミウス・クラウチ氏の行動に警戒心を抱き続け、失踪後にホグワーツに現れた彼に対しても強い危機感を抱くのも頷ける」

「君にとって、彼の正体は納得出来る物じゃったのかね?」

「貴方もそうだと思いますが、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの人物像(キャラクター)まで掴めていた訳では有りませんけどね。当時の時点で彼は死喰い人となって間もなかった筈でしたし、あれから十四年程の時が経っている。しかしまあ、僕の前での彼の言動は、まさしく生粋の〝純血〟らしい物でしたよ」

 

 半純血である僕を仲間に引き込もうとした事も妥当である。

 マルフォイと同じく非の打ち所がない純血中の〝純血〟、己の地位に一切の疑いを抱かない魔法使いであるのならば、間違いなく半純血の(親戚の中に一人でもマグルが居る)者と単に純血を名乗っている(遠い祖先にマグルがいて血も混ざっている)者を余り区別せず、結果として半純血に寛容にもなれるだろう。

 

 彼の正体により今まで抱いていた疑問全てに説明が付き、他の死喰い人としての不自然さの部分についても解消された。死喰い人の組織に対して理想を抱いているのも当然だ。彼がアズカバンに叩き込まれたのはホグワーツを卒業してそれ程経っていない時期であり、つまりは死喰い人の内情と現実を他の人間程に熟知していた訳ではないだろう。

 

「……けれども、現実は本当に厄介ですよね」

 

 諦めすら抱いて吐息を宙に投げる。

 

「実は死人が犯人だったという展開は推理小説で結構有るようですが、しかし読者に対する公平と挑戦を意識せざるを得ない小説と異なり、現実では推理側に死人が生きている事を気付かせるヒントが常に与えられる訳では無い。貴方が気付く機会もなかったでしょう」

「……そうじゃな。世間が言う程にバーティが冷酷でも無慈悲では無いというのは、この儂も知っておった。しかし、如何に息子と言っても、彼が脱獄させる程とは思わぬかった。奥方の末期の頼みだというのを考えても、やはり意外であるのを否定出来ぬ」

「魔法法に忠実な堅物という雰囲気でしたからね。経歴から見ても、容貌や言動から見ても。まあ言動は、僕が見た部分は服従の呪文下であろう事から当てにならないでしょうが」

 

 去年の初めの時点、もしくはバーテミウス・クラウチ氏がホグワーツに逃亡してきた時点で、彼の息子が生きているなどと看破するのは神の所業である。如何にアルバス・ダンブルドアが神算鬼謀の大賢者であるとしても、そこまで察する眼と頭脳を持ち得はしまい。

 

 唯一真実に辿り着く事が可能な道筋が有ったとすれば──

 

自分の家(クラウチ家)の屋敷しもべ妖精がホグワーツに居るのを見て、あの死喰い人は死ぬ程驚いたでしょうね。彼女だけが唯一、今回の物語の真相に迫る鍵を語れた訳ですから」

「…………」

 

 ──ウィンキーとやらの口をこじ開ける事だった。

 

「やはりバーテミウス・クラウチ氏がホグワーツ内で失踪した時点で、彼女を拷問すべきだったんじゃないですか? その時点で少しでも手掛かりを、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの生存を知れればまた違った筈だ。今回死人が出るのを防げた可能性も存在したでしょうに」

「……屋敷しもべ妖精だからといって迫害して良いという理屈にはならぬ。そして拷問したとて容易く口を割る種族で無い事を、スリザリンである君は理解している筈じゃ」

「ならば貴方の信奉する愛とやらで口を開かせれば良かったのでは? 絶対法たる主人の為であれば、屋敷しもべ妖精は人間を傷付け、また秘密を破る事も可能でしょう。失踪したバーテミウス・クラウチ氏を餌にそれが出来なかった時点で、やはり貴方は大いなる善の為に拷問を選択すべきでしたよ」

 

 そう批判を口にしながらも、我ながら切れ味が悪いのは自覚していたし、単なる八つ当たりであるというのも解っていた。可能性は零では無いが、非常に低いのは確かだからだ。

 

「それで、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは何処に?」

 

 個人的な関心は既に左程無いが、しかし流れとして聞くのが自然な問いでは有った。

 

「今のコーネリウス・ファッジの非常に愉快な妄想と正論を丸ごと否定する証言を、彼は為し得る筈だ。まあロングボトム家に対する罪が濡れ衣だったとしても、アズカバンからの脱獄の罪状と今回の事件の嫌疑で、彼が再収監されるのは妥当ではありますが――」

「……彼は、吸魂鬼の接吻を受けてしまった。最早何も語れはせぬ」

「────」

 

 何故証言させないのかと紡ぐ前に、斜め上の回答に口を噤ませられる。

 容易に証言出来ない状態になっている事は覚悟していた。だがそれでも、曲がりなりにも正義を奉ずる魔法省が、この老人が、そんな真似を軽々しく許していたとは思わなかった。

 

 そうか。彼は死よりも惨い末路を迎えてしまったのか。

 

 思う所が無いと言えば嘘になる。

 そして如何なる経緯でそうなったかは──聞かない方が良いのだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 万一その答えが返って来た時は、何と反応して良いか解らなかった。それを聞きたくないと思う位には、あの死喰い人の思想と理念に僕は入れ込んでいたらしかった。

 

 ただ、その一方でそうなるのも当然かと納得する部分も有る。

 彼は闇の帝王を特別視する一方で、彼は自身もまた特別であるような言葉を紡いでいた。彼は裏切り者である在野の死喰い人達を憎悪し、彼等が闇の帝王に罰される事を何処か確信していたようであり──しかし結果は今が示す通りだ。闇の帝王にとって、バーテミウス・クラウチ・ジュニアもまた、決して掛け替えない無二の人間などでは無かった。

 

 多分闇の帝王は死喰い人達に期待していないし、便利な手足以上の事を望んでいない。

 

「……彼の成り代わりの手段は何でしたか?」

 

 アルバス・ダンブルドアの顔を見ないままに、質問を続ける。

 

「誰かがホグワーツ、或いは魔法省内の何処かに入り込んでいるのは既に四人目の代表選手が現れた時点(ハリー・ポッターの参戦)で既に解っていたというのに、まさか暴露呪文(レベリオ)で解るような、ちゃちな変装を貴方が見逃したという訳では無いでしょう?」

「ポリジュース薬が使われていたのじゃ」

 

 答えを聞いた瞬間、老人から更に大きく視線を外して天井へ息を吐く。

 あれから様々な可能性を想定してはいた。その中にポリジュース薬を使った成り代わりという想定が在ったのは事実だが、そのようなある種の覚悟を決めていて尚、よりにもよってそれか、という感想を抱かざるを得なかった。

 

「……また随分と無茶苦茶な手段が用いられたものですね。今回の事件から考えて、彼等の狙いは第三の課題だった。つまり九ヶ月の潜伏を視野に入れていたにも拘わらず、その為にポリジュース薬を使うという発想は正気の沙汰とは思えませんが?」

「そうじゃな。このような飛び道具的手段が用いた例は、世界の魔法史を探しても稀じゃろう。成り代わり自体はままある事じゃし、先の戦争でも使われなかった訳でも無かった。しかし、今回のように妄執すら感じる程の例は、流石の儂も聞いた事は無い」

「……でしょうね。手段妥当性としても実現可能性としても、下から考えた方が早い筈だ」

 

 単純かつ明快、そして効果的。

 だがそれ故に露見するのが通常で、けれども此度、闇の帝王達は――というより、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは通してみせた。

 

「化けっぷり自体も見事な物じゃったよ」

 

 その点を最初に明らかにする必要があると感じたのだろう、老人は自分から口火を切る。

 

「君の記憶のアラスター・ムーディは、殆ど本人そのものと言って良いじゃろう。儂の前でボロを出さなかったのだから、当然と言えば当然なのじゃが。勿論、殆どと評したように、君の記憶の中にもアラスター・ムーディらしからぬ場面は有った」

 

 儂が明らかに奇妙さを感じた部分は、と彼は続けた。

 

「流石のアラスターとて、生徒が少々隠し事をした程度で服従の呪文を掛けようと試みはせぬ。君に事実を突き付け、呪文を掛けると脅せば十分じゃろう。答えも待たず問答無用で使うのは、本人であれば絶対に有り得ぬ。呪文を破った君を警戒したが故の行動じゃろうな」

「……やはり、そこで気付くべきでしたか」

「儂なら気付いたじゃろう。本物のアラスターであれば絶対に行わぬと確信するには充分じゃ。しかし、その場に儂が居なかったからこそクラウチは行ったのであり、そしてアラスター本人に会った事が無い君に気付けというのは流石に酷な事ではある」

 

 アルバス・ダンブルドアは頷きながらも否定の言葉を口にする。

 まあ客観的にも難しいか。あの時確かに違和感は抱いたのだが、それでもドラコ・マルフォイをケナガイタチに変えた記憶が鮮烈過ぎたのが悪かった。

 

「君が考えている事は解る。しかし、あの体罰自体が論外なのは大前提として、無防備な相手の背中へ呪文を撃つ行為に対してアラスターは甘くはなれぬ。彼は闇祓いの職務の中で、卑怯な真似によって殺されてきた仲間達を散々見て来ておるからのう」

「……油断大敵を忘れた自業自得と切り捨てる事は感情的には難しく、トラウマを刺激されれば過敏で過激にもなりますか」

「少なくとも儂は、あの騒動を左程不自然には思わなかった」

 

 つまりあれはアラスター・ムーディがやりそうな行動では有った訳だ。

 しかしふと、アルバス・ダンブルドアが問題視しなかったもう一つの部分に気付く。

 

「そう言えば、アラスター・ムーディであれば服従の呪文を授業で使っても()()()()()()()という事と、アラスター・ムーディ本人が服従の呪文を授業で()()()使()()という事は天地の差がある訳ですが、それは一体どちらだったのです?」

 

 さしたる意図も無い素朴な疑問。

 ドラコ・マルフォイへの仕打ち以上に、違法行為も厭わないあの苛烈な授業こそが、アラスター・〝マッドアイ〟・ムーディがどんな人間であるかを校内に知らしめた。良識をもった保護者達は反発しただろうが、それでも闇の印が撃ちあげられた後なのだ、概ねのホグワーツ生にとって闇の真髄を知る事は歓迎されるべき事柄で、望んでの事かは不明だが、かの〝アラスター・ムーディ教授〟はあの時に熱狂的な支持を獲得したのだった。

 

 それに対し、アルバス・ダンブルドアは頬を僅かにヒクつかせたが、けれども彼は大きく息を吸った後で答えた。

 

「……儂はそのどちらとも答える事が出来ぬ。儂はアラスターでないからの」

 

 ただ一般論を言う事は出来る、と続けた。

 

「アラスターが囚われの身になったのは、アーサーやハリーの証言からしてホグワーツの学期が始まるその前日じゃ。そして、クラウチは〝アラスター・ムーディ〟に化けようとしていた。ならば、クラウチが服従の呪文を使ってアラスターから授業内容を聞き出そうとするのは当然であり、仮に本人が授業内容を決めていればそれを踏襲すると思わんかね?」

 

 ……成程、この老人をして言葉を濁さざるを得なかった理由が解った。

 

「つまり、アラスター・ムーディが、ミネルバ・マクゴナガル教授派であるか、それともギルデロイ・ロックハート派であるかという話ですか」

「……良く言ったものじゃの」

 

 僕の形容に感心したのか、その評価は微妙に呆れの響きを帯びている。

 

 ミネルバ・マクゴナガル教授であれば、新任教授として赴任する前日まで授業内容を一切決めないという事は有り得ないし、休暇中に丸一年の計画を練っていても驚きはない。一方でギルデロイ・ロックハートであれば、自分なら行き当たりばったりでも素晴らしい授業が行えるだろうという無駄に高い自己評価の下、赴任前日まで何も決めていないだろう。

 これを今回のアラスター・ムーディに当て嵌めれば、服従の呪文を生徒に掛ける事を予め計画していた狂人であるか、それまで従事していた闇祓いの指導員の延長として生徒を教えようとしていた狂人であるかのどちらかになる。

 

 どの道教授としては問題が有ると言える行動であり、そして明らかにしないままの方が御互いに心の平穏は保たれるだろう。

 

「ただ、見事な化けっぷりだったのは良いでしょう。しかしそれでもスネイプ寮監にしても、僕にしても、アラスター・ムーディが今回の事件で〝犯人〟となるべき地位に居たのは解っていた。名前が思い当たる中では第一容疑者だったと言って良い」

 

 バーテミウス・クラウチ氏との繋がりが不明であるという部分を除けば、彼は今年の事件に関して余りに都合の良い位置に居過ぎていた。

 

「けれども見逃した一因は、あのアラスター・ムーディを貴方が信頼していたからです」

「……そうであろうな。君やセブルスは疑いを持って然るべきであり、けれども儂に否定されるのが解っている事を伝えようとはせぬかったのじゃろう」

「ええ。僕達は疑惑の立場を取り、けれども貴方ならば信頼の立場を選択する事は解っていた。それは御互い了解済みであった訳ですが、まあ言葉にはすべきでしたね」

「同じ事じゃよ。儂は君達の疑惑程度で疑いはせぬ。結果は変わりはしなかった」

「ですが、貴方ともあろう者が、単にアラスター・ムーディを信じたかっただけという訳でもないでしょう? 貴方が見逃した理由は一体何処に有ったんです?」

 

 この老人が〝アラスター・ムーディ教授〟を完全に信用し切っていたから見過ごした馬鹿だとは、僕は更々思っていない。

 確かにこの老人の感情は他人を信用したがるが、その理性は他人を全く信用していない。そして同時に、他人を信頼する為に逆に疑うのだという事を忘れる程に、彼は耄碌していない。仮にアラスター・ムーディが変だと少しでも察知すれば、惚けた振りして本人しか知り得ない情報を問い、平然と鎌を掛けて確かめる位はやってのける筈なのだ。

 

 故に彼の成り代わりが完璧であったのと共にアルバス・ダンブルドアの方にも何らかの原因があった筈であり、問いに対して老人は疲れたように肩を落とし、一度眼鏡を外して眉間を軽く揉んだ後、再度眼鏡を掛けながら言った。

 

「ポリジュース薬などによる他人に成り代わる変装というのは基本的に、不意打ちとしてしか使えぬ代物じゃ。それまで良く見知った間柄であれば必ず露見する。さながら二年時のクリスマスに、君がハリー達の変装を容易く見破ったようにのう」

「ええ。ビンセント・クラップやグレゴリー・ゴイルと同じ寮で二年暮らした以上に、それまでの二年間、僕がどれだけあの三人を見て来たと思っているのです?」

 

 羨望と共に見て来た彼等の仕草、思考、そして行動原理。

 確実な根拠や証拠がなかろうとも、結論に飛び付けるのは必然だった。

 

「もっとも、ドラコ少年は気付かなかったようじゃが──」

「──流石に一年もの間騙し続けるのは無理な話です。そして彼も数十分で違和感は抱いていました。ただ、本物が帰って来た時、マルフォイが掛けた言葉が悪かった。さっきは随分と様子が変だったが何か変な物でも食べたのかと彼は言ってしまった訳ですから」

「……ふむ。それがどう繋がるのか儂には解らんのじゃが」

「ハリー・ポッター達は、ポリジュース薬の材料確保及び一時間ばかり本人を遠ざけておく為に、睡眠薬を菓子に仕込んだらしいですよ。しかもその菓子は廊下に置いたそうです。そして結果は彼等がスリザリン寮に侵入した事から解るでしょう」

「…………成程、そのような恥ずかしい話は確かに喋れる訳がなかろうの」

 

 それを聞いた時は大いに脱力させられた物だった。

 罠を仕掛ける方も仕掛ける方だし、罠に掛かる方も掛かる方である。

 スリザリン寮への侵入についてはハリー・ポッターはアルバス・ダンブルドアに告白したようだが、その裏側で用いた手段までは白状しなかったのだろう。そして流石の老賢者とて想像の斜め上を行かれたらしく、酷く微妙な顔をしていた。

 

「しかし、儂もドラコ少年が気付く事を否定はせぬ。一年も共に居て気付かなかった耄碌ジジイと、君に批難されても仕方が無いとは思っておる」

「……バーテミウス・クラウチ・ジュニアが良い役者であったのは既に御互いが認める所です。彼が口にした闇祓いとしての在り方は、まず間違いなく本物に迫っていた。そして成り代わり自体が、そもそも今回の事件では想定しにくいでしょう」

 

 アルバス・ダンブルドアが不意打ちだと言ったように、長期間他人に成り代わって情報を得たり、工作したりという事はまず無い。

 暴露呪文(リベリオ)やグリンゴッツ銀行に備え付けられた滝が代表的だが、どんな魔法的手段で成り代わろうとも、その化けの皮を剥がす方法は多々存在し、他にも秘密の守り人によって守護された場所に入れなかったり、入る事を露骨に避け続ければ直ぐにバレるだろう。つまり呪文や魔法薬で他人に成り代わるのは便利なようでいて、戦争中のように敵から警戒されている間は成功しにくく、最も有効に使えるのは精々短期の破壊工作や暗殺の場合なのである。

 

 故に長期間一ヵ所に留まって共に過ごす事自体が一種の身分保障に成り得るのであるのであって、ホグワーツという半閉鎖空間、かつ一応まだ平時であった今回、アラスター・ムーディの成り代わりの可能性を想定しろというのは中々難しい。

 

 しかも今回用いられたのはポリジュース薬、簡単に呪文を掛けた程度では剥がせない類の、光学的でなく物理的な変化を齎す手段である。継続的な服用の必要性、肉体自体が変化する事による面倒──眼や足などの身体的欠損、そして義足や義眼調達の問題──など、単純ではあるがそう易々と取れる手段でも無いのだ。

 特にアラスター〝マッドアイ〟ムーディの特徴である義眼は殆ど唯一無二だろう。

 壁を見通す義眼を何処から取り寄せるか、或いはどうやって作成するかという問題が付き纏う以上、彼が長期旅行に出ているのを奇貨として成り代わると言った真似は不可能であり、伝説の闇祓いを打ち倒さなければそもそも成り代わる事すら出来はしない。

 

「しかしそうだとしてもアルバス・ダンブルドア、他ならぬ貴方がポリジュース薬による成り代わりを考慮にすら入れないというのは、やはり奇妙に思いますが」

「……そうじゃな。君なら語るに支障はないし、隠し立てする必要もない話でもある」

 

 アルバス・ダンブルドアは椅子に背を預け、過去を思い返すように宙を見た。

 

「君の事じゃから、アラスター・ムーディがどんな人間であるかというのは、ある程度情報を浚ったじゃろう。故に聞きたいのじゃが、彼はどんな人間であると考えたかね? あの偽物は儂から見ても出来がよかったから、君があやつを見て感じた印象も含めて良い」

「……かの伝説の闇祓いの印象ですか」

 

 学期初めの頃に抱いた印象。

 魔法省の一役人について語る、断片的な記録から構築した人物像。

 

「まあ端的に言えば、闇の根絶に人生を捧げ、死ぬ寸前まで闇と戦い続けるような、そんな人間だと――って、そう言う事ですか」

 

 思い当たらなかった事が不思議な位の単純な論理に、途中で脱力して言葉を切った。

 

「気付いたようじゃな」

 

 僕が察したのを知り、老人は頷く。

 

「アラスターは闇祓いとしての職務に全てを捧げておった。鼻を、眼を、足を、そして人生を。そして年を取り、また義足となった事で満足に動けなくなったとしても、彼の闇への敵意は些かも弱まらなかった。君もアラスターの教え子に会ったと思うが、第一線を退いたとしても、ほんの数年前まで彼は彼なりに闘い続けておったのじゃ」

「……なら、何故そんな彼が引退したのです?」

 

 スネイプ教授にもぶつけた問いに、しかし老人は同じく首を横に振った。

 

「それは聞いて居らぬ。老人になるとのう、君達若人のように面と向かって聞くような真似は出来なくなり、御互い言葉無しで理解しあった振りをしたがる物なのじゃ」

 

 引退直前に会ったかどうか自体、アルバス・ダンブルドアは敢えて口にしなかった。

 友人としては会っていても可笑しくはなく、しかし一方で戦友としては敢えて直接会う事を避けても可笑しくもない、そんな気がした。

 

「アラスターがまさか引退するとは思わぬかった。そりゃあ足も眼も喪った彼は、全盛期と比べれば衰えたとは言える。しかし、彼は平和に耐え切れず、直ぐに田舎から出て来る筈だと笑われる位には、悠々自適な隠遁生活という言葉が似つかわしくない男じゃった」

「……何時だったかその手の発言を耳にした時は、確かに正気かとは思いましたよ」

 

 それは〝アラスター・ムーディ〟らしくなかった。

 数年前ならば、そんな妄言を宣った時点で偽物認定すらされたかもしれない。

 

 ──ただ。

 

「アラスター・ムーディという男に変化を齎すには充分だった訳ですね」

「それが起こったのが引退前か、引退中かは解らぬがの」

 

 親しい人間なら他人が成り代われば直ぐに気付くのが当然だという主張は、人間は普通そう簡単に変わる筈がない事を暗黙の前提としている。だが、闇祓い一筋として生きて来た男が仕事から身を引いたのであれば、何も変わらない事の方が寧ろ異常だろう。

 

「三校試合が行われる事は早い内から解っておった。当時ハリーが参加する羽目になるとは儂は夢にも思わなかったのじゃが、さりとて警備に万全を期さぬ理由も無かった。故にアラスターが引退していたというのは、あの時点の儂にとっては非常に都合が良かったのじゃ」

「……まあ、現役の闇祓いも魔法省での仕事があるでしょうし、三校試合当日である計三日間以外の警戒まで期待するのは難しいでしょう。そして彼等以外から人材を探すとなれば、アラスター・ムーディ以上に適任の存在もそう居ないでしょうね」

 

 アルバス・ダンブルドアの盟友。

 あの偽物の完璧な演技を見る限り、この老人とは多くの面で主義主張は相容れず、しかしそれでも先の戦争において不死鳥の騎士団員として共に戦い、不正義との対抗という面においては、この老人が大きな信頼を寄せられる人間。

 

「君がアラスターの若き教え子に会ったように、アラスターの引退はそう昔の事では無い。そして儂がアラスターに教授職を打診しに行った時──勿論、その時は本物じゃが──実際、外見上では、彼の杖腕や魔法力が格段に衰えていたようにも見えなかった」

 

 じゃが儂はこう考えてしまったのじゃ、と老人は悲しげに言葉を放った。

 

「アラスター・ムーディという男は、果たしてこんなにも小さかっただろうか、とな」

「────」

 

 アルバス・ダンブルドアは、彼の名誉の為に明言しなかった。

 

 けれども、実際こう言ったも同然だった。

 アラスター・ムーディは圧倒的に弱くなっていた、と。

 

 それは毎日の鍛錬の中止とか、体力や精神力、魔法力の劣化だとか、片足が無い事による身体能力の弱化とかいう、そんな解りやすい引き算が原因では無いのだろう。

 未だ戦場の最前線に立っている魔法戦士だけが感じられる、非常に感覚的で言語化不可能な差異で、けれども恐らく生死を賭ける場面においては致命的な変化。それをアルバス・ダンブルドアは嗅ぎ取ってしまい、そして恐らく、彼は失望と悲嘆を同時に覚えた。これまで自分を残して最前線を去ってしまった若い魔法使い達と同様に、アラスター・ムーディもまた只人であり、衰えから逃れられないのだと知ってしまった。

 

「ペティグリューとクラウチ・ジュニア。死喰い人二人がかりとは言え、そのどちらも魔法戦には大きなブランクがあると言って良い。全盛期のアラスターであれば、厠の中で彼が襲われたとて易々と返り討ちにした事じゃろう」

「そして貴方はその印象を引き摺り続けていた訳ですか」

「その通りじゃ。彼の一方的敗北は考えられず、まして入れ替わりなど想像の埒外であった」

 

 口調から強い後悔と自己嫌悪を隠そうとせず、アルバス・ダンブルドアは続ける。

 

「始業式の際、儂は確かに彼へ違和感を抱いた。或いは、些細な仕草や動作が、身に秘める魔法力が、記憶の中のアラスターと違うように思えた。しかし、儂が長らく共に居たのは十四年前じゃった。そして教授職の打診に行った時も、余り長く観察した訳ではなかったからの」

 

 弱ったアラスター・ムーディを見たくなかっただけではないか。

 僕はそんな感想を抱き、そして多分それは正しい筈だった。他ならぬアルバス・ダンブルドアが僕を見て、小さく頷いて見せたからである。

 

「けれども、ホグワーツで過ごす内に、彼は更に変化した。一言で言えば、彼は若返ったように見えた。じゃが、儂にとってはそれは違和感を抱くというより、いわば歓迎出来る、好ましい変化だった。彼は生徒を教える内に活力と魔法力を取り戻しつつあるのだと考えたし、儂が最初に違和感を抱いたような反応や仕草も、月日が経つ内に無くなっていった」

「前者は別人かつ十数年の服従の呪文逃れだから当たり前の話であり、後者も不思議では無いでしょうね。時間が経てば経つ程に演技の精度も上がる訳ですから」

「そうして馬鹿な老人は誤解したのじゃ。アラスター・ムーディは昔を取り戻しつつあったのだと。勿論、君は馬鹿な老人が他人を信頼したがった故の不始末だと非難するじゃろうが」

「……去り行く老兵を見送る老人の気持ちは流石に解りませんから、非難など無理な話ですよ。戦場に留まる貴方が見送ってきたのは、アラスター・ムーディだけではないでしょうし」

 

 親しい者ならば普通は見抜ける筈の成り代わりを、状況が普通ではないから見抜けないという落とし穴が存在していた。故に、この今世紀で最も偉大な魔法使いは失態を犯し、敵を懐に入れ続けたのであり、今回の見逃しをアルバス・ダンブルドアの油断と切って捨てるのは中々難しいのだろう。

 

「一つだけ今の君の言葉に訂正がある」

 

 が、僕の言葉に対して老人は少しだけ悲哀を滲ませて言った。

 

「アラスターはまだ戦う気じゃよ」

「……本気ですか。此度の事を考えれば、それが意味する所が解らない筈ないでしょう?」

「当然じゃ。だが今回の失態が彼の誇りを大いに傷付けたのは推測出来るじゃろう。伝説の闇祓いが、十四、五の子供に比べれば殺す価値も無いと脇に捨て置かれたのじゃ。アラスター・ムーディはこのような仕打ちを受けて尚、易々と田舎に再度引き籠れるような男ではない」

 

 そして彼は全てを覚悟の上で此度の戦争に挑むつもりじゃ。

 そう老人は断言し、僕に言葉を差し挟む余地を与えなかった。

 

 アズカバンの半分を埋めた伝説の闇祓い。

 そんな彼は、しかし、油断大敵の下に要塞めいている筈の自宅(ホームグラウンド)に居ながらも、たかが死喰い人二人に負ける程度に堕ちた事が明らかとなった。

 

 そしてどんな輝かしい功績を過去に残していようが、戦場では弱い者から死んで行く。

 彼が今回生き残ったのは利用価値が有ったからに過ぎず、そして既に利用価値がなくなった彼が、現在もアズカバンに居る囚人達の多くから恨まれている彼の末路が今後どうなるか。僕も老人も互いに既に予想出来ていて、けれどもその災いの実現を避ける為には、敢えて口にすべきではない内容に違いなかった。




・アラスター・ムーディの戦績
 相手と状況が悪かった七年目は除外しても、四年目にはペティグリューとクラウチ、五年目の神秘部の戦いでドロホフに敗北している。

・ポリジュース薬
 クラウチ・ジュニアの正体を暴くに際しダンブルドアはリベリオの呪文を使わず、わざわざ一時間の時間制限(但し設定ではポリジュースの効能は品質により左右され、最短は十分、最長十二時間程度)を待っている。
 もっとも、これに関してはハリーが落ち着くのを待っていた部分もあったのかもしれない。

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