この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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七話目。
炎のゴブレット編終了。


賽は投げられた

 一応覚悟は決めていた。

 だが思ったよりも、その拘束は緩やかな物だった。

 

 夕食が終わった後に一人連行されていく僕をスネイプ教授が口元をピクピク震わせながら見送る一方、ミネルバ・マクゴナガル教授の方は闇祓いに対して神経質にクドクド言っていたから、一体どんな事になるかと興味半分恐怖半分であったのだが、何と言う事は無い。生徒の殆どがクィディッチピッチに出払った事で静かになったホグワーツ城内の一室で、監視役の若い闇祓いと一緒に閉じ込められるだけだった。

 

 しかも、閉じ込めるというのも名ばかりで、彼女は鍵を閉める素振りは無かったし、杖を取り上げようとすらしなかった。

 そのような対応の裏には、そもそも僕が闇祓いをどうこう出来るとは考えられておらず、仮に後から間違いが判明したとしても、拘禁ではなく安全確保の為の保護に過ぎなかったと主張しやすいという思惑が透けて見える。

 

 まあ僕としても文句は無いし、後に問題が生じたならば声を挙げる位はしても良い。コーネリウス・ファッジ大臣に恩を売るのは無意味ではないだろう。クィディッチピッチで今晩何が起こるかという心労を除けば、僕の方は気楽だった。

 

 だから課題終了までの時間──制限時間が一時間と明確だった第二の課題と異なり、どれだけ掛かるか解らないが、三時間も見れば十分だろう──ゆっくりと本でも読みつつ軟禁生活を謳歌しようと思い、許可を受けた上で本の山を教室に持ち込んでいた。

 

 ……が、ただ一つ、そこには誤算が有った。

 

 その誤算とは、監視役の闇祓いが非常に煩かった事だった。

 それも間違いなく、僕が今までの人生で出会った中で一番煩かった。

 

 流石に監視兼護衛という意識が有るらしく、杖を仕舞わないまま壁を背にし、ドアを視界内に入れつつ僕から視線を一度も逸らそうとはしなかったが、とにかく喋る喋る。一体何時息継ぎをしているのかと疑問に思ってまじまじと観察してしまう位に口を開きっぱなしだった。

 しかも僕に下手な動きをさせない為に会話しているでもなく、単に元々の性格が喋り好きらしい。自分の親はスリザリンだった事、自分はハッフルパフであった事、新米の闇祓いである事、アラスター・ムーディ教授が引退する前の教え子である事等々、聞いてもいない内容をペラペラ喋ってくれたし、課題終了まで一人で喋り続ける程の勢いだった。

 

 軟禁されて数分で僕は読書を諦め、大人しく彼女の会話に付き合う羽目になった。

 いや、一方的に喋っているのを果たして会話と言って良いのか解らない。セドリック・ディゴリーも大概ハッフルパフらしく無かったが、この女はそれ以上だった。あの男と違い、他の三寮の適性が無かったからこそハッフルパフに入れられた人間ではないのか。そう思う位には、他人への共感や配慮の精神が欠けていた。

 

 フラーが貞淑な女性に思えるそんな地獄の時間は、しかし開始十分程度で中断を迎えた。それは来訪者が教室のドアを無遠慮に開き、強制的に話を打ち切らせたからによるものだった。

 

 機関銃のような会話を受け流す中で彼女が本当に闇祓いであるのか段々疑いつつあったのが、流石にミネルバ・マクゴナガル教授達全員が僕を騙そうとしていた訳ではないらしい。予期されていなかったであろう彼がドアを開ける数秒前には、闇祓いは既に壁から背中を離し、油断なく杖をローブから出していた。

 

 ただ、突然の来訪者である彼にとっては、決して満足の行く対応では無かったようである。

 

「仮にも護衛ならば、儂にも杖を向けるべきでは有ったと思うがな」

 

 厳しい評価の言葉に、闇祓いは悪びれずにアハハと笑う。

 その気の抜けた反応は、叱られたとは一切思っていないのが見え見えだった。まあ、彼──アラスター・ムーディ教授の思想は、本職にとっても苛烈に過ぎ、彼女は真似する気が更々無いのだろう。僕と同様に教授もそれを見透かしたのか、追及する事なく唸るように言った。

 

「少しレッドフィールドと話したい事が有る。お前は暫く部屋の外に出ていろ」

 

 単刀直入に用件しか告げない言葉は、かつての教え子に対する対応としてはぶっきらぼうに過ぎると思うのだが、闇祓いにとっては慣れっこらしい。何の疑いも見せず信頼を示し、気の抜けるような返答を残してヒラヒラと手を振りながら外に出て行き、そうして僕と教授の二人だけが教室に残された。

 

 彼女を見送った後、教授は極滑らかな動作で扉の方へ杖を向け、二度振った。

 眼の前の光景から抱いた違和感が論理を導くよりも、教授が僕の方へと向き直るのが早かった。教授が握る杖は、真っ直ぐと僕の心臓に向けられている。今まで何度か教授の眼を覗いてきたが、その闇のような黒色は、この一年間で初めて見る感情を浮かべていた。

 

 はっきり言ってしまえば、教授は敵を見る眼をしていた。

 

「まずはレッドフィールド。杖を出せ」

「……そういう事、ですか」

 

 その言葉に思わず天井を仰ぎ、そしてアラスター・ムーディ教授へと再度視線を戻す。

 教授は依然として杖を真っ直ぐと僕へと向けたまま、鋭い視線で観察している。口を真一文字に引き絞り、それ以上の説明をする気が無いと告げていた。

 

 僕はローブの中に手を差し込み、良く動きが見えるようにゆっくりと取り出す。

 そしてそのまま手を開いて地に落とし、教授の方へと蹴り転がした。己の杖に対して余り好ましい扱いでは無かったが、この場合は止むを得ないというべきだろう。

 

 そして背凭れに体重を深く預け、両手を堅く組み、抵抗の意思がない事を示した。

 

「──フン。思わず腹が立つ程に、お前は賢いな」

 

 転がって来た杖を義眼で一瞥し、身動ぎせずこちらを伺い続ける教授は低く笑う。

 

()は単に杖を出せとだけ言ったつもりだったがな。そのような対応は、まるで俺がお前に害を為そうとしているようでは無いか?」

「では違うのですか? 口だけでも否定して頂けると安心出来るのですか」

 

 誘いの言葉に、教授は──闇の魔法使いは笑うだけだった。

 それだけで、此度の一連の不審な事件、ハリー・ポッターが四人目の代表選手となり、バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツで消えた謎への解答としては充分だった。

 

「──アルバス・ダンブルドアは負けたのですね」

「そうだ」

 

 その返答を聞いて、僕は内心驚いた。

 あの老人の敗北という答えを聞いたからではない。

 その事実に対して失望と落胆を抱いてしまった自分に──何処かで僕はそんな事は有り得ないという希望を持っていた事にこそ、僕は驚きを覚えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今世紀で最も偉大な魔法使いとやらも耄碌した物だ」

 

 アラスター・ムーディは侮蔑の言葉を口にする。

 同時にその裏にある自賛の響きを隠し切れてはいない。

 

「確かに幾度か危うい場面は有った。が、それでもあの男は俺を一切疑おうとしなかった。一年間も時間が有ったのにだ。そして今、俺は目的を全て果たそうとしている。この任務の達成をもって、俺は誰よりも高い地位を約束されるだろう」

 

 随分と傲慢な発言内容だが、しかし彼に言う資格は有るだろう。

 ハリー・ポッターの名前を炎のゴブレットに入れる所から始まり、一年間正体と目的を知られる事なく潜伏し続け、バーテミウス・クラウチ氏が校長閣下に警告する前に彼を消し、そして滞りなくハリー・ポッターを第三の課題へと送り出した。

 このアラスター・ムーディが堕ちた本物だろうが、成り代わられた偽物だろうが、何れにしても簡単な仕事で無かったのは間違いない。

 

「……ハリー・ポッターは死にましたか?」

「一応未だに生きているとは言っておこう。しかし、()()()()()()()()()()。賢いお前ならば、それ以上説明する必要はないだろう?」

「……まあそうでしょうね。貴方が僕の所に来てこうして呑気に話している以上、既に詰んでいる。そう考えるのが論理的で、合理的だ」

 

 ハリー・ポッターと僕の、どちらの優先順位が高いかなど考えるまでも無い。本命の仕事が終わっていない限り、僕の前に現れる意味は無い。第三の課題にはハリー・ポッターを確実に殺す仕掛けが存在している。今生きていようと、直ぐに死ぬ。

 

 そして既に先手を取られてしまっている。

 恐らく部屋には僕が騒いでも支障がないようにする呪文、ないしは閉じ込める呪文が掛けられているだろう。抵抗の機会が有ったとすればそれは教授が扉に向かって杖を振った瞬間、油断大敵の教えに従い教授に武装解除を打ち込めていればまだ目は有った。だが僕は油断し、杖を喪い、そして死喰い人に命を握られてしまった。

 

 そもそもの話を言えば、最初から騒ぐ価値が有るかすら疑問だ。

 もはやアラスター・ムーディが〝犯人〟であるのは疑う余地がないが、彼が単独犯であるとは限らない。先程外に出て行った闇祓いとて、彼の協力者、或いは彼によって服従の呪文の支配下に置かれている可能性は十分に考えられる。

 奇蹟的にそれらを退けたとしても、ここは校舎の中である。第三の課題が行われているクィディッチピッチまで直線距離でも数百メートルの距離が有る。そこまで生き延び、このアラスター・ムーディの裏切りを伝えられる見込みは殆ど零に等しい。

 

 この状況に至った以上、()()出来る事は何も無い。

 本職以外が闇の魔法使いに出会う事は死を意味する。それは今回においても不変だった。

 

「それで、わざわざ僕の所に来てまで話している訳は何なのです?」

 

 椅子に座ったまま、油断なく僕を見つめる〝犯人〟に問い掛ける。

 義眼の方は一時も止まらずグルグルと回り続けている。離れて行った闇祓いのみならず、三校試合の結末に興味を示さず学校に残った一部の変わり者や、クィディッチピッチで第三の課題の行方を見守っている人間達の方まで警戒を怠っていないようであった。

 

「随分と余裕だな、レッドフィールド」

「まさか。虚勢ですよ」

 

 思わず肩を竦めそうになり、しかし何とか止めた。

 杖先を向けられている状況で、変な動きをするべきでは無かった。

 

「曲がりなりにも貴方はダンブルドアを出し抜いた訳ですからね。敵わない相手に戦いを挑む程、僕はグリフィンドールではない」

「フン。お前が抵抗はしないと踏んでは居たが、それでも多少渋ると思っていた」

「落ち着いて考えれば、僕の命は保証されるみたいですので」

 

 仮に僕が知ってはならない情報を知ったというのであれば、彼は僕をさっさと始末すれば良い。自分が今回の件の犯人で有る事を明かす必要すらない。

 

 服従の呪文。或いは死の呪文。

 前者の方は一度破ったが、それでも再度破れるとは限らない。後者の方は、僕はハリー・ポッターでない以上、防げる訳がない。

 

「だから興味が有ります。ハリー・ポッターの死が既に確定しているとしても、貴方がこうして一生徒に接触し、正体を明かす事が非常に危険を上げる事は言うまでもない。だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()、一体何の──」

「──裏切っただと? あろう事か、俺が闇の帝王(あの御方)を裏切ったというのか……!?」

 

 部屋全体が震えたように思えたのは当然錯覚だ。

 だが、直ぐにアラスター・ムーディは平静を取り戻した。覚悟していた僕が一切動揺していなかったというのも有るだろうし、自分が嵌められた事に気付いたからだった。

 

「……俺を試したな」

「ええ、まあ」

 

 先程より強い殺意を向けられながらも軽く頷く。

 

「しかし僕の立場も理解して欲しい物です。安易に主君を裏切る人間程に信じられない物は無い。そのような人間は、下を騙して嵌める事にも当然罪悪感を抱きはしませんからね。僕に断る選択肢はなくとも、最低限の用心はしたい」

 

 これは自身の対応を考える上で必要な確認だった。

 〝犯人〟が元死喰い人と現死喰い人のどちらであるかというのは、あの闇の印が上がって以降の疑問であり、僕が為すべき正解の振る舞いも変わり得る。聞く事自体が地雷なのは承知で、しかし知らずに地雷を踏んでしまうよりは余程マシである。

 

「……このような状況でも自分を正当化するか」

「こういう性格ですよ、僕は。一年間で貴方はそれを知っている筈ですが」

 

 未だ不愉快そうでは有ったが、渋々アラスター・ムーディは頷いた。

 

「……確かに当然の用心では有る。闇の帝王(あの御方)を裏切った負け犬、脳みその無い敗北主義者共に着きたくないと考えるのは自然だ。しかし、仮にそのような奴等で有れば、不愉快な妄言を吐いたお前を殺すとは考えなかったのか?」

「それは無いと踏んでいましたよ。僕が知っているのは、〝アラスター・ムーディ教授〟でしたが、貴方の裏切者への憎悪は本物に見えた。貴方が僕を知っているように、僕もまた、貴方という人間を良く知っている」

 

 何故彼がこうして〝犯人〟として立っているのかは解らない。

 だがそれでも、僕に投げ掛けた言葉の全てが嘘では無かったというのは解る。嘘を吐いていたのならば、あれ程まで僕の心は揺らされなかった。

 

 僕の想いが伝わったか、彼は口を歪な弧に曲げ、そして用件を口にした。

 

「──良いだろう。

 スティーブン・レッドフィールド。お前を死喰い人(仲間)に勧誘しに来た」

 

 

 

 

 

 

 その言葉の意味が脳に染み込むのに、数秒の時間を要した。

 用心の為か敢えて直接的な表現を避けた言葉は、しかしこの状況を踏まえれば何を指しているかなど明白である。それは闇の陣営の勧誘以外に在り得なかった。

 

「……真っ当な死喰い人(純血主義者)は僕に近付かない。そう思っていたのですがね」

 

 僕の揶揄に頬を動かしたが、教授が反論するより早く僕は言葉を続けた。

 

「しかし、それが貴方の口から発されるならば腑に落ちる部分も有ります。貴方が殆ど真実を語っていたとしたら、血を誇るしか能がない裏切者を引き込む事はしないでしょう。貴方はアズカバンから逃れた人間達を徹底的に嫌っていたのですから」

 

 スネイプ教授の認識は、あくまで十四年前の死喰い人だった。

 

 時間は人間に変化を与える。

 この()死喰い人にとって、半純血を誘う事は不自然では無かった。闇の帝王が消えてからも忠義を貫き続けた彼にとって、裏切者の純血の方が余程信用に値しなかった。それは僕が考えていた当初の予想が当たった形になるが、予想の上を行った部分も有る。

 

「何より貴方が死喰い人(そうである)ならば、最大の問題、知らぬ者を身内として組織に招く筈が無いという部分も解決している。この一年の指導を通して貴方は僕がどのような人間かを理解しており、加えて貴方が純血ならば、半純血を推薦する資格も有しているでしょう」

「そうだな。ただ、闇の帝王(あの御方)は確かに血を重んじるが、それ以上に才を愛する。しかもお前は〝スリザリン〟だ。必ずやお前を歓迎して下さるだろう」

 

 スネイプ教授がそうですからね、とは言わなかった。

 この場で冗談でも言ってはならない事の区別は流石に出来ている。

 

「ただ意外に思うのも確かです」

 

 こうなる事を確かに希望はしていた。

 けれども死喰い人がアラスター・ムーディだったならば、また別の問題が持ち上がる。

 

「率直に言って、僕は貴方側に不利となるような動きをしていた場合も有ったと思います。そしてドラコ・マルフォイと違い、僕の天秤はどちらに偏り過ぎているという事も無い。僕が貴方がたと反する陣営に着く事も、貴方は当然考えた筈です」

「おうとも。確かに考えた」

 

 探りの言葉に対して、教授は些かも動じる様子を見せずに頷いた。

 

「お前の扱いには頭を悩ませたのは確かだ。特にブラックを持ち出して吸魂鬼共を招こうした部分はヒヤリとした。あれが実現していれば、俺は間違いなく窮地に立たされたと言って良い。あの時は俺も珍しくダンブルドアの慈悲に感謝したものだ」

 

 ……彼とは逆に、僕は現在進行形で内心あの老人を罵っている。

 

「お前は自身の発想や思考、着眼点を特別な物だと思っておらん。だが、周りにとっては違う。寧ろ俺はお前が俺の正体を暴露する事自体よりも、お前の意見を参考に俺の正体に気付く誰かが現れる事こそを恐れていたと言って良い」

「……しかし、結局それは貴方にとって僕が邪魔だという事では?」

「邪魔では有った。お前を引き込む見込みが全くないのであればの話だが」

「────」

 

 その返答が返ってくるのは、薄々解っていた。

 だがそれでも、やはり失望が有ったのだ。冷静に考えればやむを得ない事とはいえ、この死喰い人ですら、僕はそのように見えてしまったのかと。

 

 内心での感情のうねりを他所に、死喰い人は言葉を続ける。

 

「この一年間で、お前はファッジやダンブルドアに失望している事が俺には良く見て取れた。クラウチとの会話などは最も解りやすかった。お前は現状に不満を抱いているし、今の社会に君臨している者達を嫌悪している」

 

 彼の一つ残った瞳に映るのは、やはり共感の情。

 

「お前は賢過ぎ、そしてまた自身の主義という物を持ち得ている。故に、あれらと肩を並べる事は決して出来はしない。無論、それが勝利する側であれば渋々ながらも付き従うだろう。お前が何時か言ったように、それこそがスリザリンの性であり──しかし今はどうだ?」

 

 杖を僕へと向けたまま、もう片方の手を大きく広げる。

 

「俺はダンブルドアを出し抜いた。〝生き残った男の子〟という幻想も今日で終わる。この期に及んで、間違った側を選べるのか?」

「────」

「いいや、お前には絶対に出来はしないとも」

 

 ……この教授は、僕の思想を良く知っており、尚且つ指摘は正しい。

 

「白状しよう。お前を誘うべきか、誘うとすれば何時引き入れるかは、俺をもってしても簡単に結論を出せなかった。しかし、お前の今年度の動向、特にダンブルドアとの会話を見て思ったのだ。全てを済ませた後であれば、〝他〟に先を越されてお前を取られてしまうだろうと」

「……随分とまあ僕を評価して下さっているのですね。たかが学生一人でしょう?」

「これも既に言った筈だ。あれに真正面から文句をぶつけ、己が主張を通そうとする人間が一体どれだけ居ると思う? ホグワーツ中どころか、この国の魔法界全部を探しても極少数だ」

 

 皮肉を紡ぐ教授の肉眼は血走り、傷だらけの顔には狂相が浮かんでいる。

 

「お前が思う以上に、俺はお前に注目してきた。お前を観察し、価値を測り、本質を捉えようとしてきた。だから確信した。ダンブルドアを含め、誰もがお前を見誤っていると」

「…………」

「お前は子供だ。気に入らない社会を、この不都合な世界を怒りと共に破壊したくて堪らない糞餓鬼だ。お前にとってはスリザリンですらも枷であり、敵なのだ。四年の学生生活でお前は自らを下らん鎖に繋ぎ続け、大人しい振りをしているが、けれどもお前にとって今の魔法界は、否、()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 僕は沈黙を堅持し、けれどもアラスター・ムーディは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

「俺達とお前、その理念の全てが一致する訳では無い事は言っておこう。だがな、一つの絶対法を除いて死喰い人(我々)は自由だ。己が望む事の多くを好きなように出来る。願いを叶える為の力を得る事が出来る。全てお前の望み通りとは行かずとも、その形に近付く事は出来るのだ」

 

 死喰い人は組織では無く個である。

 ……故に規律という物は存在しないに等しく、如何に全体として純血主義を掲げていようとも、多少の我儘を通す事は可能なのだろう。

 

 絶対の法──ヴォルデモート卿への忠誠と服従さえあれば。

 

「魔法省、或いは不死鳥の騎士団。そしてアルバス・ダンブルドア。自分達だけ良い生活をしながら、民衆に不自由を強いる既得権益者共の下に就いて一体何になる? あのようなふざけた善人面を許したままで居られるのか? お前の本心に秘めた野望は叶うのか?」

「……だからこそ今の内に貴方がたの側に着いておけ、と?」

「ああ。これ程の好条件は今をおいて他に無い。それはお前も解っている筈だ」

 

 解っているとも。

 死喰い人として一年もの間ホグワーツに潜入し、アルバス・ダンブルドアを騙し続け、ハリー・ポッターを嵌める為の工作に従事し続けたのだ。この教授は闇の帝王の復活後、死喰い人達の中で最も高い地位を得る事だろう。

 そしてその人間に直接引き立てられ、忠誠を誓ったのであれば、僕も相応の地位を得られる。そのような未来を思い描くのは至極簡単だった。

 

「──どうやら、僕に選択肢はないようです」

 

 未練や心残りが無いと言えば全くの嘘になる。

 けれども、朧気ながらもこの結末を学期当初から思い描いていたのは確かであり、アラスター・ムーディは──アルバス・ダンブルドアの敵は今ここに居る。ハリー・ポッターもまた遠からず死ぬ。

 あの今世紀で最も偉大な魔法使いが敗北を喫した以上、最早光の陣営の側に立ち続ける義理も無く、覚悟と決断を決める時だった。

 

「それで、僕は何をすべきでしょう?」

 

 僕の言葉に、教授は傷だらけの顔に微笑みを浮かべた。

 誓いや契約の言葉を紡ぐ必要は無い。互いにそのような面倒は不要だと考えていたし、それを捧げるべき相手は一人しか居ない事を、僕も彼も理解していた。

 

「貴方がこうして僕を引き摺り込んだのだから、僕にやらせる仕事が有るのでしょう?」

「ああ。手段は問わん。お前は課題後に騒ぎを起こせ」

 

 それ以上アラスター・ムーディは説明しなかったが、何の為にかは解る。その混乱に乗じて、彼は逃げるという事だろう。

 

「無論、今すぐとは言わん。課題中はお前が拘束されていたという方が都合が良いし、俺もまだ()()()()()が残っている。お前が解放されてからで構わない」

「要は第三の課題の異変が露見した後で、アルバス・ダンブルドアを貴方の傍から引き離し、意識を逸らさせる。そういう事で構わないんですよね?」

「その程度はお前にとって難しくも何ともない仕事だろう?」

「ええ。騒ぎが落ち着いた後に疑われはするでしょうが、それでも貴方が逃げる間気付かれない程度なら保証は出来るでしょう」

 

 元々僕はアルバス・ダンブルドアに眼を付けられている。

 それを利用すれば、あの老人を僕の下へと呼び寄せる事は簡単だと言って良い。

 

「本来は連絡し合うべきなのだろうが、御互いの状況を考えれば怪しまれる真似は慎むべきだろう。何時始めるかは任せる。が、しかし出来るだけ早く始めろ」

 

 そうせざるを得ないだろうと僕は頷く。

 別に緻密な折衝を必要とする計画ではないし、この死喰い人にとって駄目で元々だ。

 一年間の知己で有ろうとも、僕が死喰い人の仲間として信頼出来るかはまた別の話である。僕が役に立てば悠々と逃げる事が出来るし、仮に僕が裏切っても当初の予定通り自力で逃げるだけ。故に僕は行動でもって信頼を獲得せねばならない。 

 

「その点は了承しましたが、一つ確認しておきたい事が。貴方のその立場についてなのですが、第三の課題終了後には不要と考えて良いんですよね?」

 

 そう問えば、アラスター・ムーディは頷いた。

 

「実の所、潜伏を続けられるのであれば続けろという命は下っている。この地位と立場は色々と便利だからな。ただ俺としては──」

「ええ。目的を果たしたのであれば、即座に離脱すべきだと思いますよ」

 

 言葉の先を察した上で肯定する。

 

「その場合、貴方の主君から多少の不興を買うかもしれません。貴方の反応から見てもそうなのでしょう? アラスター・ムーディ、伝説の闇祓いの立場はそう軽々しく手放すには惜しい。留まる事が出来れば、今後の戦争を圧倒的有利に進められる」

 

 それは互いに重々承知だが、それ以上に実感している事も有る。

 

「ただハリー・ポッターの死亡、或いは行方不明が発覚した後は、最早あの老人の油断を期待する事は出来ない。今世紀で最も偉大な魔法使いの名を冠する者に相応しく、己が全精力を費やして裏切者を見つけ出そうとする筈です」

「……俺に媚びるような発言を求めている訳ではないが?」

「僕がそんな人間でないというのは、既に理解して頂けていると思っていますよ。そもそも貴方自身も、あの老人にとってハリー・ポッターが〝生き残った男の子〟以上の存在だと薄々勘付いているからこそ、潜伏の続行を放棄しようと考えたのでは?」

 

 ジロリと向けられる義眼は脅しにもならない。

 この死喰い人が老人の傍に居たのであれば、それを察する事の出来る機会は幾度か存在した筈だ。あの老人にとってハリー・ポッターの死は、〝生き残った男の子〟という象徴の喪失よりも遥かに大きな衝撃を与える事になる。そして、自暴自棄になった人間程に恐ろしい存在は無い。元々桁外れの怪物であるなら猶更だ。

 

「ハリー・ポッターの死以上に欲張るべきではない。僕はそう考えますよ。僕とは違い、貴方にとってここは敵地のど真ん中で、命を捨てて価値が生まれるような状況でも無い」

「……自分が安全圏に居るような話振りは気に食わんな」

「実際、安全圏に居ますからね」

 

 眼の前の杖を除けば、直近での僕の危険というのは存在しない。

 

「アルバス・ダンブルドアは人間の善性を信じたがる。もっとも、彼の理性は全く信じていないにも拘わらずそうしたがるのだから、悪癖以外の何物でもないですが。僕の関与が露見しようとも、あの老人は僕をアズカバンに送るどころか退学にすら出来はしない」

 

 罪人を逃亡させる程度の事は去年のハリー・ポッターもやっている。

 それと同様に、あの老人は僕の関与にも理由が有ったと考えたがるだろう。

 

 上手く僕が騙されて、もしくは脅されて手を貸した。

 それが有り得ないと頭で理解していても、感情の下にそう信じたがり、そしてまた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えてしまう。

 

 馬鹿な話だ。

 人は戦場のみで死ぬものではないし、戦場以外でも人は人を殺せるというのに。

 眼の前の人間を──殺人者を逃がすのに手を貸すとはそういう事だ。僕は自身の行いによって未来の死人の数を増やす羽目になる。その事には自覚的であるべきだろう。

 

「……フン。お前がそこまで断言するならば、そういう事にしておいてやろう」

 

 アラスター・ムーディの肉眼が僕から一瞬逸れる。

 誘いだったのか、或いは義眼で何かを認識した為の咄嗟の警戒だったのか。

 僕の視点では何れなのか解らなかったし、どちらでも良かった。その程度で動くならば、僕は初めから抵抗している。

 

「騒ぎを起こして以降のお前の仕事はホグワーツに潜伏し続ける事だ。今後の行動の指示については追って知らせよう。それで問題無いだろう? 儂はまだ用心していたい身であり、今回のお前の働きぶり次第では、勧誘も含めて考え直すのも視野に入れねばならん」

「異存は有りませんよ。当然の考えでしょう」

 

 命令伝達手段は幾らでも有る。

 ふくろう便でも、ドラコ・マルフォイ経由でも。

 また、死喰い人達が独自の連絡手段を持っていた所で何ら驚きはしない。

 

 そもそもの話、アルバス・ダンブルドアに検閲されて困るような仕事をすぐさま僕に任せる事は流石に無いだろう。暫くは地味な仕事が続く──というか、学業に専念するよう伝えられて放置されても可笑しくない。

 

 アラスター・ムーディは一度鼻を鳴らした後、身を屈め、落ちていた僕の杖を拾った。

 その際、義眼の方は周囲の警戒を止めて僕だけを捉えていたが、僕は依然として座ったまま、どうぞ御好きにと手で促した。まさか現在の状況で返して貰えるとは思っていないし、僕から杖を奪っていた事が判明した所で、彼の立場としてはそれ程不自然でもない。

 

「──ただ、叶うならば。僕から貴方に御願いが有るのですが」

「…………」

 

 杖を拾った死喰い人は、ピクリと眉を動かした。

 彼は何も返答をしなかった。僕の言葉次第だと態度が伝えていたし、そもそも聞く義理も無いという思いを抱いているのは明らかだった。

 

 だから僕はその〝()()()〟をし、そして死喰い人は案の定露骨に顔を顰めた。

 

「お前は今、何を俺に求めたのか解っているのか?」

「ええ。軽々しくねだる物ではないと理解していますよ」

 

 スネイプ教授から聞いている以上、それは解っている。

 

「短い時間で可能かは怪しいでしょうし、そもそも今回は使いたくないと考えています。貴方が今の時点で僕に自分の正体を明かしたのは、貴方がここから立ち去った後でも手足と成り得る存在を残す為でしょう? 僕が使ってしまえば支障が出る」

「…………」

「ただ、僕が使える利点を考えれば、試さないで諦めるには惜しい。貴方の側で予期せぬ問題が発生した場合、或いは今後間違いなく切札となりえます。そもそも僕がそれを悪用出来ると考える程に愚かではないというのは、貴方には十分御理解頂いていると思いますか?」

 

 求めた側とは言え、この死喰い人が叶えてくれる公算は余り高くなかった。

 だがこの死喰い人を裏切った場合には無駄になる類の願いである事は伝わっているだろうし、駄目で元々だった。果たして──死喰い人はぶっきらぼうな口調のままに言った。

 

「……今与えるのではなく、後からでも問題無いと思うがな」

「…………」

 

 言葉は否定であり、けれども態度は違った。

 僕から杖を逸らす事は無かった。しかし少しの間顎を撫でて考えた後、結果として死喰い人は僕の杖を差し出し──だが僕はそれをまだ取らなかった。

 手の届く距離では無かったというのもあるし、彼の視線が停止を命じていたというのも有る。そして未だ、彼は僕の願いを叶えるとは言っても居なかった。

 

「それを叶えるかどうかは、テストをしてから考えるとしよう。……嗚呼、非常に簡単なテストだ。お前が一つの質問にどう答えるかを俺は聞きたい。お前の方も既に一度は俺を試したのだから、文句はあるまいな?」

 

 試すように舐めまわす視線に、僕は軽く頷く。

 自分から要求を突き付けた以上、断る選択肢など存在しなかった。

 

「──お前はスネイプの事をどう思う?」

 

 そう聞いて、しかし死喰い人は軽く首を振った後で言葉を紡ぎ直した。

 

「いや、これではお前には不可解だろう。俺の見た所、あの男はお前に対して随分と眼を掛けている。何時ぞやの時にスネイプと積もる話をしたのだが、その時は闇祓い風情がスリザリンに手を出すなと強く牽制されたものだ。あれにしては非常に珍しいと言って良い」

「……眼を付けられているの間違いですけどね。好かれている訳でも有りませんし」

「そうか? 俺にはそう見えなかったし、そしてお前があれに恩義や義理を感じているのは嘘ではないのだろう?」

「それは勿論。色々と世話になったのは事実ですよ」

 

 一年生の時からして、教授に危うい所を救われている。

 教授が来なくても無事だった──たとえ生きていたとしても自我を保つ事が出来ていたと考える程、僕は楽観的な人間では無かった。今を含めてすら、あの時こそ僕が最も死に近付いたと言える瞬間だった。

 

「ならば問題だ。お前は受けた恩義や義理を裏切りはしないと何時ぞやの時に言った。そして先程、安易に主君を裏切る人間程に信じられない物は無いとお前は言った。では、スネイプの事は、罪は、その行為の是非はどう考える?」

「────」

 

 非常に危険な問いで、そして僕の生命を左右しうる問いである事は直ぐ解った。

 この死喰い人が僕を仲間に勧誘した事は既に何の保証にならないのだと、その凶悪な視線が示している。自分で紡いだ問いでありながら、僕の立場を図るには良い質問だと彼自身も感じているのが表情から伝わってくる。これに対して不用意な解答しか出来ないような愚者ならば、死喰い人として迎える価値は無いと判断して処分するのが適切だと僕ですらも思う。

 

 ……嗚呼、こんなにも簡単な問いに答えられない筈も無い。

 

「まず前提として、スネイプ寮監は主君が姿を隠す前に不死鳥の騎士団側に着いた。これは当時を知る者にとっては周知の事実です」

「そうだな。お前が言った通りで、スネイプ自身の審問やカルカロフの裁判記録に、はっきりとその旨が残されていた」

 

 当時の一連の裁判は、非公開で済ませられる類の物では無かった。

 あれだけ大勢が死んで行った戦争の後始末を誰もが知りたがった。日刊予言者新聞を初めとして大勢の記者や伝記家がウィゼンガモットの大法廷に殺到し、そしてまた記録も公式、非公式問わず残されたのは当然の成り行きだった。調べるのに苦労する事も無く、僕のようなホグワーツ学生は勿論、在野の魔法使いだって簡単に知れる情報は多い。

 

 スネイプ教授が闇の陣営を裏切ったらしいという話は隠し通せる物でも無い。それが周知であるからこそ、彼は死喰い人と非難されず、ホグワーツ薬学教授を続けられている。

 それをこの死喰い人が知らなかったらしい理由が少し気になるが、答えてくれる保証は無いし、今は脇に置いておくべきだった。

 

「しかし、それが主君に対する裏切りとは限らない。つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()場合。アルバス・ダンブルドアの懐に入り込み続け、その信頼を獲得し、スパイとして利益を齎し続ける事が任務であるならば──寮監には何らの罪も無い」

 

 つまり闇の帝王の凋落前に裏切ったのは偽装だった。

 スネイプ教授の忠誠は、光の陣営に属した後も闇の帝王に向けられていた。

 

「……だが、あの男は主君が消えた後も探す事無く、安全な立場で十四年間、のうのうと過ごし続けた。その点をどう考える?」

「寧ろ何故探す必要が有るのでしょう?」

 

 その事実は彼にとって未だに甚だ不愉快らしいが、しかし僕は迎合しなかった。

 

「潜伏する事こそが命令である以上、主君に忠誠を誓っていると受け取られるような不審な行動を取るのは命令違反です。そして死の飛翔(主君の真名)を──不死を真に信じているのならば、一時的に姿を消した程度で探す方こそが侮辱であり、主の力を疑う臣下の傲慢だ」

「……レストレンジ──嗚呼、ブラック姉妹の姉の方だが──が激昂しそうな主張だな」

「僕は会った事が有りませんから何とも言えませんよ」

 

 明らかに皮肉っている物言いに、軽く肩を竦める。

 

「しかし、当然の行為では? 駒は指し手の意思を無視して勝手に動いてはならない。事前に定められた適切な手順を踏んで命令が更新されない限り、教授は不死鳥の騎士団に潜伏し続けなければならない。それが組織の一員として在るべき姿であり、正しき忠誠の形でしょう」

 

 闇の帝王が憑依している()()()魔法使いが賢者の石を奪う事を妨げる結果としても、その行為は当然に正当化されるべきである。

 余計に気を回し賢者の石の盗難を手助けするのが忠義では無い。新たな命令が無い以上、アルバス・ダンブルドアの疑いを招いて潜伏を危うくするような行動をする事こそ不忠なのだ。

 

「つまり、お前はスネイプは何ら悪くないと擁護する訳か」

「いいえ。勿論違いますよ」

 

 納得した──した振りをしている死喰い人に首を振った。

 彼が杖を握る力を強めていたのを見逃したつもりもないし、最初からここで話を終わらせる気自体が無い。間違った解答を、そのままにする訳がない。

 

「僕は最初に言い訳と言った筈です。この回答には一つ大きな弱点が有る」

 

 そして、この死喰い人が出した問いの真意でもある。

 

「たとえ潜伏自体が闇の帝王(主君)の命令でも、彼が消えたのを知って本当に裏切った可能性は否定出来ない。それは排斥出来ない主張であり──貴方が反論したい点でしょう?」

 

 闇の帝王の承認を受けて不死鳥の騎士団に入団した事と、闇の帝王の行方不明を受けて死喰い人陣営を裏切った事は両立し得る。裏切りを罰しうる人間が消え、騎士団の勝利が確定したように見えたのならば、スネイプ教授が離反するのは自然とも言える。

 十四年前に裏切ったと言われて激昂した、帝王の第一の臣下を自認するであろうこの死喰い人はその疑念を捨てきれない。

 

「解っているなら話が早い。ならば、その点を如何に説明する?」

「これ以上は何も。あくまで先のように考えられるというような理屈の提示はしますが、その正当性を強調する事すらしません」

「ほう。お前は恥知らずにも恩師を見捨てると言うのか?」

 

 愉快そうに問う死喰い人に、僕もまた冷笑を返した。

 本当に意地が悪い。もっとも、テストというのはそう在るべきだろうが。

 

「世の中には超えてはならない領分が有ります。これもその類でしょう。命令通りかどうかは勿論、本当に裏切っているかどうかすら問題とならない」

 

 この死喰い人に、権限を持たぬ者に弁解しようとする事自体が間違いだろう。

 

「事物の是非の判断は下の人間が行う事ではない。()()()()()()()許すと言えば是であり、許されないと言えば非だ。特に僕のような下賤が異を差し挟もうとする事こそが烏滸がましい。スネイプ寮監の善悪も当然だ。僕はそのように考えますが?」

 

 上下の秩序は侵されるべきではない。

 駒は駒の立場を遵守すべきだというのは、この場合にも妥当する。

 

「……やはりお前は物分かりが良過ぎるな」

 

 皮肉を口にする教授の顔は、しかし喜色に歪んでいた。

 

「だが、正解では有る。それこそ俺が求めた答えだ。マルフォイを始めとする恥知らずは、血筋や家族、自身の利益を優先し、平気で主君の意向を無視する。けれどもお前は道理が解っている。そうだ。()()()()()()闇の帝王(あの御方)こそが絶対で然るべきなのだ」

「────」

 

 その言葉に含まれた思い上がりに少し引っ掛かりを覚えたが、僕は意識して口を噤んだままで居た。上機嫌な死喰い人を敢えて不機嫌にしても、良い事は無いからだ。

 

闇の帝王(あの御方)には、これから多くの忠実な配下が必要となる。これからの苦労を考えれば今日で教授の立場を捨てなければならんのは非常に惜しいが、お前を得られた事で我慢すべきだろう。見込みの有る人間をお前が引き込む事も期待出来るしな」

「……では」

「良いだろう。左程難しい仕事でもない。お前の願い、叶えてやろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 アラスター・ムーディは手短に僕の願いを叶えた後、僕の下を立ち去った。

 

 僕の杖を持ち去らなかったのは、命を賭けた問答によってそれなりに信用を得られたと考えて良いのだろう。少なくとも最初は、彼が僕の杖を保持しているという不自然を承知の上で持ち去るつもりだったのは間違いないのだから。

 その代わりに彼は教室内に防護魔法を嫌と言う程掛けていったが、それは僕を部屋の外に出さないのを目的とするよりも、アリバイ作りの一環が強いように見えた。それなりの時間話し込んでいた事を隠す方法としては有効であり、他人を信用しないアラスター・ムーディの行動としては自然でもある。

 

 死喰い人と入れ替わりに戻って来た闇祓いは、半ば要塞化された教室に辟易としていた──入るのにも苦労したらしく、頭が爆発していた──が、何事も無かったとするのが精神衛生上都合が良いと判断したのかもしれない。中断前と同様に無駄話を再開し、一人で喧噪を作れる彼女を前に更に適当になった僕の生返事を気にも留めずに一方的に喋り続けた。

 

 今のホグワーツで最も御気楽だったのは、多分この闇祓いだっただろう。

 第三の課題の結果が気になるからコッソリ見に行かない? と持ち掛けるのは正直頭がどうかしている。……流石にわざと誘いを持ち掛けて僕が隙を晒すのを期待したに過ぎず、決して本気の発言では無かったと信じたい。

 

 相変わらず同居人は煩かったが、考える事は幾らでも有った。

 今回の一連の事件と顛末。アラスター・ムーディが闇に堕ちた理由、もしくは偽物だとすればその正体。僕が拘束から解放された後、騒ぎを起こす場合に己が取るべき行動。そして、確かに死ぬ筈であり、しかし未だ死んでいないらしいハリー・ポッターの事。

 

 自身の陣営を決定的に表明する行動を取る覚悟が無かった訳ではない。

 勝つ側に味方するのはスリザリンとして当然の行動であり、その結果として無数の血で己が手を穢す事になるのも承知の上で──けれども僕は自身の利益の為に一つだけ、ある〝保険〟を確保した。あの死喰い人に求めた願いこそが、それを前提とする物だった。

 

 彼は噂しか聞いていないだろうが、僕はハリー・ポッターの三年間を良く知っている。

 如何に可能性が低かろうと、冷静に考えれば有り得なかろうと、それでも尚、〝生き残った男の子〟が成し遂げて来た一連の奇蹟の事を。

 

 

 ──結論から言えば。

 

 

 僕が騒ぎを起こす必要は無かった。

 

 軟禁から解放された時点で、事件は全て終わっていた。

 セドリック・ディゴリーの死体と共にハリー・ポッターは帰還し、そして死喰い人は既に拘束された後。最早僕が騒ぎを起こしてどうこう出来るような状況では無く、あの死喰い人は当然、闇の帝王にとっても想定外の事象が起こったらしい事は明白だった。

 

 セドリック・ディゴリーは負けた。

 アルバス・ダンブルドアも負けた。

 闇の帝王もまた負けたと言って良い。

 

 〝生き残った男の子(ハリー・ポッター)〟。

 赤子でありながら闇の帝王を打ち破った者だけが唯一、十四年前と同様に勝ったのだ。




次回から不死鳥の騎士団編。

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