セドリック・ディゴリーは、いつぞやの時のように立ち止まった。
それが僕の思惑通りであるかは別として、自身の背中に投げつけられた挑発と侮辱に対し、彼は真っ向から受けて立たざるを得ないのだろう。これは彼が生来持っている資質と、努力によって獲得した仮面の両方が彼に課する、いわば宿業とも言える代物に違いなかった。
「〝スリザリン〟的、か」
ボソリと零された言葉には、侮蔑と嘲笑が含まれている。
「今のホグワーツの中で、それ程に空虚な言葉は無い。そうは思わないか?」
「────」
「何せそれは殆ど〝死喰い人的〟である事を意味している。しかもハッフルパフを劣等生と呼ぶような類の、半ば揶揄混じりの言葉じゃない。頭の悪い選民思想だけが歪に肥大した、拷問と殺戮だけが好きな狂人候補生。そんな三寮の憎悪と殺意に基づく物だ」
セドリック・ディゴリーは振り返った。
先程より距離が空いて、彼は再度僕と対峙する。その表情には、陰鬱な影が落ちている事はない。やはり完璧な、優等生の仮面を被れてはいる。けれども先程までと違い、その下に滲む皮肉と冷笑を隠し切れていなかった。
「マルフォイの面の皮の厚さは称賛に値するよ。魔法界は狭く、今のホグワーツにも死喰い人に親族を殺された者なんて珍しくもない。だというのに、ああして自分達には一切罪も責任もありませんというように平然と歩いているんだから」
「…………」
「服従の呪文に掛かっていた。しかし、果たしてそれは免罪符になるんだろうか。仮にそうであったとしても、マルフォイの金と策、そして杖によって戦争では大勢が死んだというのに。彼等の楡の杖には、指紋だけでなく多量の血がべっとりこびり付いている」
反論しようと思えば幾らでも出来たが、僕はそうしない事を選んだ。
セドリック・ディゴリーは明らかに論理の話をしている訳では無かった。理屈を超えた話、頭では解っていても受け入れられない遺族達の感情の話をしている。
「もっとも、君は多少違うのかもしれない。君の性格の悪さは他のスリザリンに引けを取らないと思うが、君の親が死喰い人だったというのは聞かない」
その言葉にも、僕はやはり反論しなかった。
今度はセドリック・ディゴリーが次に何を言おうとしているか想像が付いたからだ。
「──だから、今のスリザリンの中で純粋に〝スリザリン的〟と言えるのは、サラザール・スリザリンの意思を正しく受け継ぐのは、多分君以外に居ないんだろうね」
「──嗚呼、
そして案の定、或いは期待通りに、彼はその禁句を口にしてしまった。
どんなにスリザリンとの親和性が高かろうが、彼はスリザリンにはなれない。
最初からそうで在ったならば別の道も有ったかもしれないが、セドリック・ディゴリーはスリザリンではなくハッフルパフで六年を過ごしたからこそ、そんな馬鹿げた勘違いをする。
視界の隅で、僕達を遠目から伺っていた人間達に再度緊張が走ったのを認識する。
……嗚呼、多分今の僕は、善良な彼等が思わず警戒心を抱いてしまう位には、余程酷い表情をしているのだろう。しかし、彼等が近付いてくる気配はなかった、それどころか彼等は明らかに腰が引けており、そして余計な人間達に邪魔されないのは歓迎だった。
「別に〝スリザリン的〟が死喰い人的であるという事を否定はしません。それを知って僕がマルフォイ達と交流を維持している以上、厳しい視線を向けられるにも文句はない。そして親をどうこう言うならば、僕の母方は兎も角、父親の方は良い魔法使いとは言えませんよ。彼は最低でも
僕の言葉にセドリック・ディゴリーは怯んだが、別に同情を惹きたい訳では無かった。
「確かに一度組分けされた以上、僕はスリザリンの指針から可能な限り外れまいとしては居ます。しかし僕にはスリザリン的である資格がそもそもないんですよ。貴方も知っているでしょうが、僕は
「どうしてそれが問題になるんだい?」
僕にとっては酷く間抜けな事に、彼は理解が出来ないと眉根を寄せる。
「確かに純血、或いは聖二十八族より劣ったと看做される事は知っているさ。しかし、スリザリンは半純血を受け容れている。君の寮監、スネイプ教授だって半純血だろう? ならば──」
「──お忘れですか、セドリック・ディゴリー。スリザリンの創始者サラザール・スリザリンは、誰もが認める生粋の
「────」
簡潔にして絶対の指摘。
過去の時代には揺ぎ無く、しかし今の時代の人間が忘れている単純な論理に、セドリック・ディゴリーは漸く言葉を喪ってくれた。
「確かに現在スリザリンには半純血が居て、そして先の時代で闇の帝王が推し進めた〝純血主義〟も記憶に新しい。それ故に貴方がたは簡単に勘違いしている。しかし、思想の大本は〝マグル〟的な汚染が有るかどうかですよ。それは現在の純血の代表である聖二十八族達が、自分達にはマグルの血が一滴も含まれていないという建前を掲げており、ウィーズリー家が血の裏切り者と呼ばれる事から明らかでしょう?」
マグル生まれだろうが半純血だろうが、穢れた血が混じっているという点ではどちらも変わらない。純血主義者にとって等しく侮蔑と差別対象であり、そして当然の事ながら
「インクを混ぜた珈琲は、見た目も変わらず決して飲めなくはなくとも、出来れば飲むのを遠慮したいと思いませんか? 彼等純血にとって、僕達はそのような存在なんですよ」
スリザリンの中に居れば当然に痛感する。
半純血である自分達は、二流市民以上の存在には決して成れない事に。
「貴方達にとって一番身近な〝純血主義〟は先の戦争の物でしょうが、しかし闇の帝王のそれは非常に穏健だ。言ってしまえば帝王は寧ろ半純血達の権利拡大に舵を切っていた側で、その意味でアルバス・ダンブルドアと同じ立場です。寧ろ口だけ達者なあの老人よりも実際に行動した帝王の方が、差別に晒されていた者には余程有り難かったでしょう」
「……随分過激な発言だね。そんな事は初めて聞いたよ」
「本物の純血、スリザリン内部の人間にとってはわざわざ言うまでの事では有りませんからね。そして余所者にわざわざ説明してやる程、純血達は無粋でも野暮でもない」
僕からすれば闇の帝王はかなり異端である。
間違っているとまでは言わない。帝国主義下に有ったこの国が支配の手段として分割統治を用いたように、最初から全てを敵に回すというのは愚かな行いである。その考えに基づいて初めは半純血を受け容れるという政策を取るのは理解出来、しかし、主義思想は純化を進めていく中で必然のように過激化するものなのだ。
ホロコーストを行った第三帝国とて、最初期は両親もしくは祖父母に
後に政治によって多少の修正を加えられようとも、祖父母に何人ユダヤ人が居るか等によりユダヤ人か否かが判定され、一応ドイツ人だと認められたとしても第一混血・第二混血と階級付けがなされた。そしてそのような運用が為されようとも、まず確信しているが、実際の運用の場面では法律と異なり普通に差別された筈である。
にも拘わらず、闇の帝王は、五十パーセントも
その割に、当時既に成立していた聖二十八族──建前上魔法使い以外を親族に一切持たず、当然の帰結として家系にマグルの血も含まれない者達は、闇の帝王の穏健主義に対して余り表立って反対した気配が見られないのも内心意外である。
後に厳格化するという約束をしていたからこそ従っていたという見方も出来なくもないが、この国の1642年からの革命にしても、対岸での1789年の大革命にしても、純化した思想は最終的に根本からの解決、つまり派閥間での殺し合いを余儀なくされた。
それを考えれば、既に滅んでいたゴーントは兎も角、レストレンジあたりは闇の帝王の取った政策に反対を表明しても良さそうな物だが──流石に戦争中に内部分裂する程愚かでは無かったのか、それとも闇の帝王の支配力が桁外れだったのか。
「……だが、サラザール・スリザリン本人が純血主義をどう捉えていたかについて、当時のホグワーツの記録は余り残っていない。そして当然、サラザール・スリザリンが半純血を排除したかどうかも不明な筈だ」
「逆に言えば庇護した記録も有りません」
「……でも組分け帽子が君をスリザリンに入れた」
「組分け帽子はサラザール・スリザリンの思想を吹き込まれてはいても、そのものではない。他の三人の創始者と混ざっているし、変わるには十分な千年以上の時が経っている。そもそもサラザール・スリザリンについて、組分け帽子は何と歌っていますか?」
あの不愉快な骨董品からは、
「サラザール・スリザリンが何処まで〝純血〟として認めたかは兎も角、最低でも〝マグル〟を直接の両親に持つ半純血は拒絶した可能性が高いでしょう」
その点に関しては、僕は殆ど間違いないだろうと考えている。
「ホグワーツ創設期、魔法使いは〝マグル〟よりも種として圧倒的に強かった。だからこそ赤子や子供が狙われ、その守護として建設された城塞の一つがホグワーツです。そんな時代において、サラザール・スリザリンが魔法使いとマグルの合いの子を受け容れたなどと本気で思いますか?」
「…………」
「付け加えておくと、戦争で良くあるような、強姦されて生まれた不幸な混血は基本的に居ません。杖を持つ魔法使いの方が強いんですからね。まあ杖を奪われれば力関係は逆転するので皆無では無かったでしょうが、しかし大多数は愛と合意の下に生まれた子か、劣った〝マグル〟に惹かれる惰弱な精神を持った魔法使いの子だ」
そんな彼等に教える事を、貴族中の貴族足らんとした彼が果たして望んだだろうか。
僕としては大いに疑問符を付けざるを得ない。というより、殆ど有り得ないだろうと考えている。今でこそ半純血の存在が決して珍しくなく、またマグル生まれという存在が象徴的であるからこそ無視されているが、しかし当時は半純血とて差別対象であっても可笑しくないし、寧ろそう考えて然るべきではないだろうか。
「……けれども、マルフォイは君を傍に置いているだろう。それこそが君が純血から、聖二十八族から受け容れられている証じゃないのか」
それが反論になると思っているのなら御笑い種だ。
そんな思いが露骨に表情に出てしまったのか、セドリック・ディゴリーは顔を歪めた。
「階級社会は下級市民、つまり被支配者の生存を当然に肯定する。純血が屋敷しもべ妖精に仕事を与えるように、支配されるべき者にも然るべき役割は存在する。下賤だからと言って即座に拷問するとか、殺すとかいう発想には直接飛躍しないだけです」
弱者を庇護するのも高貴なる責務の内では有るのだ。
しかし下僕や使用人として許容はしても、友人や仲間だと思う筈も無い。ドラコ・マルフォイもそれを理解出来ない程に愚かではない筈だろう。たとえ丸四年を同じ寮で過ごしたとしても、彼が純血で僕が半純血である以上、それは決して超えられぬ境界線である。
「結局、ハッフルパフに過ぎない貴方は、スリザリンの歪みや矛盾に直面して来なかった」
彼の交友の広さでは、当然にスリザリン生も知己として含んでいた事だろう。
けれども、彼は決してスリザリンの核心に触れた事は無い。他の有象無象と同じように、彼はスリザリンを単なる殺人鬼候補生としか観ず、その思想を理解しようとしないからだ。
「スリザリンに来た半純血ないし〝マグル〟生まれ──そして一部の生粋の純血ですらも、一つの疑問に直面します。ええ、当然ながら、何故自分が組分け帽子によってスリザリンに所属させられたかでは有りません」
あのような閉鎖的で階級化された世界に居れば、
「──何故、このホグワーツに今、スリザリンが存在しているのか。
セドリック・ディゴリーは、何も言わなかった。
流石に一度も疑問に思わなかったという訳ではないだろう。
ただ、それが生粋の純血以外にとってどれ程重い意味を持ち、切実な願望であるのかについて考えが及ばなかっただけだ。そしてその思考停止こそが、スリザリン内部に居る者とそれ以外を決定的に判別する分水嶺である。
「スリザリンでは平然と差別主義的思想が罷り通り、闇の魔法使いを数多く輩出している事は周知の通りで、特に先の魔法戦争では非常に割合も高かった。ならば悪しきスリザリン寮を潰し、今後のホグワーツは三寮にしてしまおう。その主張は、ハッフルパフを始めとする貴方達に受け容れられますか?」
「……まあ、流石に反対意見が出るだろうね」
セドリック・ディゴリーは不服に顔を歪めながらも肯定した。
「千年以上続く伝統を破壊するというのは抵抗がある。特にそれを為した者として自分が悪評が残るのは、グリフィンドール出身の人間ですらも流石に御免被るだろう」
「でしょうね。貴方がたですら一枚岩になれないし、当然スリザリンの卒業生は反対するでしょうから、まず実現する筈もない改革と言えるでしょう」
しかし。
「ホグワーツ史において、それが容易に可能な機会が一度有りました」
「…………」
「言わずもがな、ホグワーツで思想が対立し、内戦が勃発して、最終的にサラザール・スリザリンがホグワーツを去った時の事です」
創世期のホグワーツに何が起こったかは、今でも解らない事が多い。
それは魔法魔術学校の創設自体が世界規模で見ても革命的思想であり、千年経っても残る程に成長するとまでは考えて来なかった事もあるだろうが、一番の理由は、ホグワーツが断絶しかねない分裂を経験した魔法使い達の多くが、当時の事について口を噤んだからなのだろう。
しかし、全てが伝わらなかった訳ではない。
サラザール・スリザリンが純血主義を有していた事。そして彼が他の三人と袂を分かち、ホグワーツを去った事。それらはまず歴史的事実と言って良い。
であれば、スリザリンを潰す事は決して不可能では無かった。
「創始者三人は純血主義を退け、スリザリンは強力な指導者を喪った。その際にスリザリン寮を取り潰す事は可能だった筈だ。ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー。元々桁外れの魔法使いだった彼等に抵抗出来る者はまず居らず、そして筋としてもスリザリンを潰す事は否定されるべきではない」
どんなに言い繕おうとも、サラザール・スリザリンはホグワーツを去った。
故に彼の影響を一掃する為に、彼の教えが残る寮自体を取り潰すというのは合理的であり、残った勝者の選択として許容される。
「……確かに、僕も疑問に思わなかった訳ではないね」
セドリック・ディゴリーは認める。
「組分け帽子は、グリフィンドールの持ち物だ。けど、その中にはスリザリンの思考が残っている。サラザール・スリザリンを追放したならば、それも排斥すべきではないのか? そうしていれば、純血主義という馬鹿な思想は、少なくとも今よりは残らなかった」
「純血主義が馬鹿だという価値観は兎も角、僕もそう思いますよ」
寧ろゴドリック・グリフィンドールはそうして然るべきだった。
徹底せずに甘さを残したが故に、今現在にまで余計な禍根を残してしまっている。
「汚濁は見える所で管理しておく方が良いと考えたのかも知れませんが、しかしホグワーツは教育機関で、子供に力を与える場所です。自ら危険分子を育てるような物だというのに、スリザリン寮は何故か見逃され、生かされた。つまりはサラザール・スリザリンの離脱以降、この寮の存在自体が一つの矛盾を抱えてしまっている」
人間の歴史を見れば、旧く善い物──この場合では純血主義の原点とそれに対する崇敬──が必ず保存される事は有り得ない。敗者の記録は残らず消し去られ、拭い去られるのが普通だ。相手が高貴なる血を引いていようが関係無い。善かろうが悪かろうが、敗ければ滅ぶ。
対して勝者は、自分の正当化の為に、敵の影響を残らず根絶しなければならない。
「そしてまた、サラザール・スリザリンの思考が吹き込まれた筈の組分け帽子は、何故か半純血をスリザリンに入れるという暴挙に出ている。これもまた矛盾だ」
スリザリンについて考えれば考える程に、その歪さが露わになる。
壊れかけている現状が、至極当然であるように思えて来る。
「僕には不思議で仕方が無い。我が寮以上に、スリザリンに対して生温い対応を続ける貴方がた三寮が。穏やかな排除と迫害を続けながらも、しかし四寮制の現状維持を図ろうとしている、それが出来ると勘違いしている貴方がたの行動が、僕には理解出来ない」
「……君は、スリザリンが滅ぼされるべきだと考えているのかい?」
「そんな事は僕には口が裂けても言えませんよ」
僕はスリザリンである。
だが、レイブンクローに所属していた場合。或いはハッフルパフやグリフィンドールに所属していたのならば、どのような立場を取るかは明白だ。
「もっとも、これだけは断言しておきましょう。貴方達が現状維持を──スリザリンの緩やかな滅びを望むならば、スリザリンは何れ自己の存続の為に先制して他の三寮を滅ぼそうとする。過激化した純血主義は、その結末に行き着く事を回避出来ない」
スリザリン寮の在り方は最早立ち行かなくなっている。
ゲラート・グリンデルバルトと闇の帝王。かの二人が主導した大戦争によって、多くの純粋な血と伝統が永遠に断絶した。ペストによる人口の激減で相対的に農民の地位が上がったように、彼等の革命で上流階級が死滅した事により、それ以外の地位が相対的に向上した。
そしてまた、魔法界の外に存在する〝マグル〟社会も、二度の大戦で大きく変わってしまった。社会は変化を求めており、けれどもスリザリンは明らかに着いて行けていない。
自分達が滅ぶという〝純血〟の焦燥感は、第一次魔法大戦期よりも強くなっている。
子供や親族の数は明らかに減り、多くの家系が先細っている事は隠し切れる物ではなく、半純血やマグル生まれの勢力拡大も最早止められず、魔法界の歪みと澱みは最早見て見ぬふりが出来る限度を超え、問題の最終的な解決──審判の日が求められている。
それを為そうとしている直近のスリザリンが今まさに復活しようとしている闇の帝王であり、初めから理念と思想が歪んでいるからこそ、必然的に多くの流血を伴わざるを得ない。
「セドリック・ディゴリー」
何の因果か、こうして会話する羽目になっている彼へと呼びかける。
「貴方は、自分がハッフルパフに相応しくない存在だと考えているんでしょう?」
「……まあ、そうだね」
彼は渋々肯定した。
そして先程の話からすれば、彼は入学時よりそう思っていた。
彼には騎士への崇敬が有った。知識への渇望が有った。野望への共鳴が有った。
セドリック・ディゴリーにとって誠実であるとか公平であるとか──つまりは単なる〝良い子ちゃん〟として評価される事は優先順位が低く、それよりも遥かに、魔法史に残るような偉大な魔法使いになりたいという夢の方が強かった。
──さながら、〝生き残った男の子〟がずっと前にそう成ったように。
「貴方がハッフルパフの理想を何と定義しているかは知りませんが、まあ予想は出来ます。そしてこうして僕と会話している以上、貴方は自分が思うハッフルパフの理想とはなれなかった事に、深い絶望を抱いているのでしょう」
「…………」
「しかし貴方はスリザリンでは無く、スリザリンが内包する思想と葛藤に一度も向き合って来なかった。だから貴方は望もうがスリザリンになる事は出来ないし、他の寮生にもなれない。貴方はハッフルパフ以外の何者でも無いんですよ」
「──そうか。僕はハッフルパフなのか」
その言葉には、何処か落胆とも取り得る深い慨嘆が含まれていた。
……本当に奇妙な事では有る。
僕が見る限り、この男はグリフィンドールでも、レイブンクローでも、そして当然ながらスリザリンでも上手くやれたと思う。彼は狡猾や野心を、勇気や度胸を、知恵や機知を、各寮に所属する一般的な人間よりも遥かに多く持ち得ていた。そうでなければこれ程までに圧倒的な成績を文武の両面で修めた上で、スリザリンですら一目置く程の人望を広く獲得する事は無かっただろう。
今となってはスリザリン以外では生きていけなかったであろう事を自認する僕と異なり、セドリック・ディゴリーにはそれだけの資質が有り、そしてまた能力が有った。だというのに、彼はどういう訳かハッフルパフに所属している。
僕の疑問を他所に、彼は何故か顔を僅かに綻ばせながら語り掛けてきた。
「フラーやグレンジャーが君の事を怖い人間だと評していた理由が今なら解るよ」
「…………」
「君が多くを見通してしまうからじゃない。妥協を許せず潔癖に生きようとする君の本質こそが、僕達にとっては理解出来ないからだ」
「……別に必ずしもそうである訳ではなく、論理が許せば構いませんよ」
「それが君の恐ろしい所だと思うけどね。理屈が合えば君は肯定してしまう。君がマルフォイと上手くやれている事なんて良い例だ」
まるでそれが奇妙な事だというように、セドリック・ディゴリーは楽し気な声で言う。
先程まで壊れそうだったにも拘わらず、何時の間にか、彼は完璧な〝セドリック・ディゴリー〟を取り戻しつつあるように思えた。
「ただ、君の本心は違うだろう? こうして話してみて痛感したよ。君は決して現実を認められない訳ではないのに、理想主義な所が有り過ぎる。徹底的で、破滅的だ」
「…………」
「君も何処かで解っている筈だ。先程君は、僕が為そうとしている行動を〝スリザリン的〟ではないと言って止めた。しかし、〝セドリック・ディゴリー〟はそれを選ばない。決して選べない。君の冷静な思考は、そう判断していたんじゃないか?」
「────」
僅かに動揺を露わにしてしまったのは、内心でその指摘が正しいと認めてしまったからだ。
あの廊下で、そして今までの会話の中で、僕はセドリック・ディゴリーを見た。けれどもそれは、彼が僕を──スティーブン・レッドフィールドを見る事と同義だった。僕が彼を見透かす事が出来たのならば、彼に出来ない道理もなかった。
「君は想像し、そして何処かで期待したんだろう? 自分の矮小さに絶望した僕が、優等生の仮面をかなぐり捨てて本当の僕を露わにする事を。僕の両親に、先生に、友人達に、周りが見て来た〝セドリック・ディゴリー〟は造り物で紛い物に過ぎないと突き付け、全てを台無しにしてやる事を」
……その通りかもしれない。
しかし、僕は初めから解っていた筈ではないだろうか。
スネイプ教授はセドリック・ディゴリーを今回の事件の容疑者に上げた。けれども僕は、一体何と言ってその可能性が低いと判断しただろうか。
「想像するのと実際に出来るのは違うというのは、ここでも言える。こいつを殺したいと考えて実際に行動に移す人間は少数であるように、今の〝セドリック・ディゴリー〟を捨てる事は僕には出来ない。そうする事は、全くの利益が無いからだ」
「……そう、でしょうね」
「残り一年でホグワーツを卒業するし、自惚れでも何でも無く、まず間違いなく僕は来年首席になるだろう。学生生活で問題は生じておらず、寮の外にも友人は多く、後輩からは慕われ、可愛い彼女も居る。現状を捨て去るなんて以ての外だ」
セドリック・ディゴリーは正しい。
その言葉も、恐らく僕の評価も。
普通の人間ならばそう考えるのであって、しかし僕は見誤った。それは多分セドリック・ディゴリーがどうするかではなく、僕ならばどうするかを考えていたから。
ただ、そこまで口にして、彼は一呼吸を置いた。
決して小さくも短くもない、覚悟を決めるような間。一瞬本来のセドリック・ディゴリーが見えた気がしたが、一方で錯覚に過ぎない気もした。それでも並ならぬ覚悟を決めた上で彼が言葉を紡ごうとしているのは歴然としていた。
「裏を返せば」
ほんの少しだけ声を荒げながら、彼は続ける。
「それだけの利益を見いだせれば、僕はそうしたかもしれない」
「…………」
あくまで仮定の話。そして意味の無い話でも有る。
彼がハッフルパフに組分けされて六年を過ごし、今年三校抗試合の二つの課題を滞りなく達成し、そして揺ぎ無い地位と名声を既に獲得している今、それを認めた所で壊れる物は何も無い。時が巻き戻らない以上、彼は〝セドリック・ディゴリー〟のままである。
けれども、それでも彼は認めた。認めてしまった。
……それは間違いなく、僕が持ち得ない善良と公平性の発露だった。
「ハリーはこの四年間、幾度か誹謗中傷や大きな逆風に晒されてきた。一年時はスリザリンの七年連続優勝に加担しそうになった戦犯だったし、二年時は生徒を石化しまくる狂人扱いだった。三年時だって、ブラックが何を犯したかを知って居れば、御近づきになりたい人間じゃない。そして今年の事については、最早わざわざ言うまでもないだろう」
「……まあ、良くもああして騒動を引き起こし続けられる物ですよね。彼は生き残った男の子ではなく呪われた子だった。そう言われても僕は信じますよ」
半分本気の僕の冗談にセドリック・ディゴリーは笑わなかった。
「けれども、僕はそこまで強く在れるだろうか? 仮に第一の課題で失敗していたら? その後の第二、第三の課題で他を見返す事が出来なかったら?」
「……貴方はそうしたかもしれないと?」
「仮にハリーがそうなった場合でも、彼ならばそうしなかった。僕はそれを断言出来るけど、自分については自信が無いよ。この六年間、自分がハッフルパフの理想を──寛容や献身、公平性や優しさを持っているか疑問に思い続けて来たんだから」
苦笑する彼も、自分の中にそれらが全くないとは流石に考えていまい。
けれど、それ以外を多く持っていると自認するが故に、彼は疑問だったのだろう。
「そしてだからこそ君に聞きたい」
「答える義理は有りませんが」
「ここまで僕が弱みを見せたんだ。ここで黙る程、君は恥知らずじゃないだろ?」
──今更僕に恥を感じる真っ当な感覚など無いが。
そうだとしても、セドリック・ディゴリーの挑戦から逃げるのが嫌なのは確かだった。
「……一体何を聞きたいのです?」
「ハッフルパフの理想像について。君にとって、それは一体どんな物なんだい?」
理想。目指す人物像か。
「……残念ながら、その答えは僕の中には有りませんよ」
色々と業腹であるが、そう答えざるを得なかった。
「貴族のスリザリン。騎士のグリフィンドール。賢人のレイブンクロー。各寮を端的に表現しうる単語は見つかっても、ハッフルパフだけは見つかりそうもない。貴方と話していても……と言っても、貴方は純正のハッフルパフに見えませんが、やはり解りません」
「へえ。なら、善人のハッフルパフというのはどうだい?」
「……やはり貴方はそう考えていたんですね」
「まあね」
彼はそう考えていた。
だからこそ、ハリー・ポッターと比べて自分がそうではなく、寧ろ彼がハッフルパフの徳目を備えていると感じてしまった時、彼は他ならぬ己自身に絶望してしまった。
「もっとも、今までの会話からすると、君なら絶対に違うと言いそうだけど」
「ええ。貴族も騎士も賢人も、善人である事は兼ねられるでしょう。別に重複してはならないという道理はないですが、正直言って重複し過ぎる。別個の寮を立てた以上、もっと違う道を求めていて然るべきだという気がしています」
「……そうか。確かに言われてみればその通りだ」
「そもそもハッフルパフは善や正義を徳目に掲げていませんよ。勿論、ハッフルパフに限らず、四創始者全員が敢えて外したのでしょうが」
騎士道馬鹿のグリフィンドールですら掲げていない。
善や正義というのは相対的であり、突き詰めてしまえば対決と分裂しか生まない代物だ。かつてホグワーツを支えていた四つの柱が崩壊した時、彼等はそれらを思い知った筈だった。
「じゃあさ、見方を変えて、君が最もハッフルパフ的と思う人物は誰なんだい? ハッフルパフの理想は解らずとも、それに近いと思える人物は挙げられるだろう」
「……また面倒な問いを」
きちんと伝わるように表情を歪めたつもりだが、彼は露骨に無視した。
そもそも他寮の人間に聞く事では無いだろうと思ったが、敢えて上げるならば──
「──テセウス・スキャマンダーでしょうね」
瞬間、セドリック・ディゴリーは何故か非常に驚いた顔をした。
今日一番の驚きであると言って良いのかもしれない。それ位に大きな反応だった。
「……何でそんな顔をするんです?」
「いや、だってさ。まさか他寮の人間からその名前が出てくるとは思わないし」
「……その名は当然知っていて然るべきでしょう。彼の業績を知っていれば、たとえハッフルパフ以外でもニュートン・スキャマンダーの親戚程度の扱いなど決して出来ませんよ」
セドリック・ディゴリーが明確に反応した以上、当然彼はテセウス・スキャマンダーがどんな人物で有るか、彼の業績がどんな物であるかを知っていた筈だ。しかし、それでも一瞬眼を逸らしたのは……ハッフルパフでもそう思う人間が少なくないからか。
「けど、彼は歴代の闇祓い局長の中で最も憧れを受ける、子供が是非彼のようになりたいというような人物ではないだろう?」
「……一応それは認めますが」
「一方でニュートはそうじゃない。彼は世界中を旅して様々な魔法生物に出会い、そしてああして素晴らしい本を書いた。別にハッフルパフに限った事ではなく、僕達魔法界の子供がまず憧れるような人物だと言って良い」
「遺憾ながらそれも認めましょう」
子供受けするのは圧倒的にニュートン・スキャマンダーの方だろう。
「ただ、彼は生粋のハッフルパフという感じはしませんよ。……嗚呼、別にハッフルパフに入るべきでは無かったと言って居る訳では有りませんし、あくまで僕の雑感ですが」
口を挟もうとしたセドリック・ディゴリーを制止して、僕は続ける。
「僕が著作や法律から受ける彼の印象は、ルビウス・ハグリッドを少しばかり穏健にした魔法生物第一主義者です。人間が嫌いかは断言出来ませんが、人間と魔法生物が対立したならば、魔法生物との絆を優先する類の人間でしょう。さて逆に聞きますが、そんな人間が主として人の和を重んじる貴方がたハッフルパフに馴染むと思います?」
その仮定と結果を想像してしまったのか、彼は微妙な顔をした。
「まあニュートン・スキャマンダーが半巨人でない以上、あそこまで周りにとって危険ではないと思いますが、しかし彼の著作は基本的に彼の魔法生物との〝交流〟を前提に作成されている。捕獲でも飼育でも調教でもない。言うまでもなく大概の魔法生物は人間にとって脅威ですが、それを忘れているかのように行動出来ている時点で相当の変人ですよ」
僕が言うのも何だが、学生時代浮いていた気がしてならない。
一方でルビウス・ハグリッドの方は、魔法生物関連の騒動で上級生を多大にイラつかせながらも、それでも一員として認められていた──たとえ彼が半巨人だと気付かれていようと──のが容易に想像出来る。
良くも悪くも、グリフィンドールというのはそんな寮だ。
ともあれ、ニュートン・スキャマンダーは魔法生物に対する
「そしてこれが僕にとって一番の理由になりますが、彼はホグワーツ退学者であり、それにも拘わらず魔法省に勤務を認められながら、しかし早々に辞めたようです。そこから考えるに、多分組織への
「……ええとつまり、君はニュート・スキャマンダーをグリフィンドールっぽいと考えているのかい?」
「組分け帽子が入れた以上、間違いなくハッフルパフでは有るんでしょうけどね。個人的にはグリフィンドールとの二択だった気がしますよ」
会ってみればまた印象も違うかもしれないが、しかし彼がホグワーツを卒業してもう半世紀以上は余裕で経っている。もう今更ハッフルパフ云々という年齢でも無いだろう。
「……同意出来るかどうかは別として、君がそう思う理由は解ったよ」
そう認める事自体に微妙に苦渋を滲んでいる時点でハッフルパフらしさが露骨な気もするが、セドリック・ディゴリーは肯定の頷きを示した。
「そしてだからこそ、君はテセウス・スキャマンダーを最もハッフルパフ的な存在だろうと挙げる訳だ」
「まあそうなりますね」
魔法族と〝マグル〟を区別しない寛容と慈愛を持ち、闇祓いとして組織への忠誠を捧げ、しかし第一次大戦に参加したように上に対して無批判でもなく、公平に自分が居るべき場所を見定める事が出来る。あくまで第三者の言及からの判断であり実物は僕の予想と違う可能性は有るが、大きくは外していないと思う。
そう判断出来るのは、彼が時代として新しめの人物であり、第一次大戦と魔法大戦の両方に参加しているというのが大きい。
何れの大戦も魔法界の在り方を揺るがし、世界中の魔法使いが関心を持って着目していたのだ。記録は豊富であり、正確さも期待出来る。単なる闇祓い局長ではこうはいかない──というか、人間性を把握出来るような文献は一切残りはしなかったのは間違いない。
ただ。
僕が知る限りにおいてもっともハッフルパフ的であろう人物がテセウス・スキャマンダーだったとして、そもそもの質問の発端、ハッフルパフの理想像とは如何なる存在であるかというのは、やはり湧いてきそうにもなかった。
けれども、ハッフルパフの模範生は笑った。
「そうか。良く解ったよ」
「……ハッフルパフの理想が解ったと?」
「いや、そうじゃない。君が解らないのならば僕に解る筈もないだろう」
だけど、一つだけ確かな事が有るとセドリック・ディゴリーは微笑んだ。
「君がどう考えていようとも、たとえ純血主義の面から資格が無かろうとも、君の並外れた野心と同胞愛が為に、サラザール・スリザリンは例外として君を受け容れた事だろう」
・サラザール・スリザリンと組分け帽子の立場の差異
組分け帽子は五年目(つまり本作中ではまだ起こっていない事であるが)において、『学ぶものをば選ぼうぞ。祖先が純血ならばよし』『スリザリンの好みしは純血のみの生徒にて己に似たる狡猾さ』(五巻・第十一章。原文ではそれぞれ〝Said Slytherin, 'We'll teach just those Whose ancestry is purest.〟〝Slytherin Took only pure-blood wizards Of great cunning, just like him〟)としており、組分け帽子が普通に半純血を入れている割に、その行いと反するような創設者の立場を表明している。
また魔法史学のピンズも『スリザリンは、ホグワーツには選別された生徒のみが入学を許されるべきだと考えた。魔法教育は、純粋に魔法族の家系のみ与えられるべきだという信念を持ち、マグルの親を持つ生徒は学ぶ資格がないと考えて、入学させることを嫌った』と『信頼出来る歴史的資料』は語る(二巻・第九章)と述べている。
これらの基準に従う限り、〝pure blood〟の定義をどんなに緩やかにとったしても、流石に直接の両親にマグルを持つ(マグル50%)トム・リドル、スネイプ、アンブリッジについては、サラザール・スリザリン『本人が』彼等を教え子として望む余地は存在しないように思える。
なお、やはりピンズ教授の言になるが、秘密の部屋の怪物は『この学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放する』(二巻・第九章)のであり、マグル生まれを追放するとは言っていない。つまり上記の言葉を素直に解釈する限り、半純血も殺害・追放対象に該当しうると考える事は何ら不可能ではない。
但し秘密の部屋の原作中においては、マルフォイが次は穢れた血であるお前達の番だと宣告し、ホグワーツにふさわしくない者=マグル生まれを殆ど前提として話が進められている。