この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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二話目。


闇と光

「──アルバス。随分とまあ感情的になっているでは無いか」

 

 冷や水を浴びせ掛けるように横から掛けられる声。

 その声の主は、言うまでもなく、蒼の義眼を回す元闇祓い。口元は大きく歪められ、愉快気な心中を隠そうともしていない。彼の輝かしい経歴を知らなければ、今にも人を殺そうとしている闇の魔法使いにしか見えなかった。

 

「しかし已むを得ん事では有るだろうな。物を知らぬ若僧によって文句を付けられれば、如何に大人だろうと、いや大人であるからこそ我慢して居られる物では無い」

「……アラスター。君の方は非常に楽しんでおるようじゃな」

「当然だ。アルバス・ダンブルドアに対して真正面からここまで言える人間がどれだけ居るのやら。それが若き故の蛮勇だろうと、この国、いや世界を探しても類を見ないだろう。まあだからこそ儂は、スリザリン生である事に眼を瞑って教えても構わないと感じた訳だが」

 

 低い笑い声と共に教授が肯定した後、顔を向けるのは大臣の方向。

 

「して、ファッジよ。レッドフィールドの疑問に付き合ってやる事が悪いとは言わんが、こやつを呼びつけた以上、()()()が有ったのでは無いのかね?」

 

 僕達の会話に口を挟まなかったコーネリウス・ファッジ大臣は、教授の呼び掛けで漸く我に返ったらしい。ただ、それが良かったかどうかは、顔面の傷を更に歪ませて笑みを大きくする教授を見ていれば判断が付かなかった。

 

「もっとも、こやつがどれだけ我が強い子供であるかは今見た通りだ。授業中、儂が掛けた服従の呪文に抵抗してみせる位だからな。お前の提案に儂は賛同したが、是が非でもそうせねばならんとまでは考えておらん。今から撤回するとしても別に構わんぞ」

「そ、そうだな。確かに用件を済ませねば──いや、待て。服従の呪文を掛けただと?」

「ああ、それがどうかしたか」

 

 頷き掛けて愕然とした大臣と、平然とした態度で頷いた狂人は酷く対照的である。

 それが大臣にとっては挑発のように見えたのだろう。教授の言葉が漸く脳に染み込んだのもあってか、彼は再度顔を赤くして怒鳴り声を上げた。

 

「貴方は当然御存知だろうが、服従の呪文を人間に掛けるのは違法だ! 確かに戦時中は例外的に闇祓いにその使用が認められたが、相手は死喰い人だけだ! しかし今は戦時では無く、貴方は元闇祓いであり、そして彼はホグワーツの生徒なのだぞ!」

「おお、その程度の事は儂はよおく知っておるとも。かつて儂も当事者だったからな」

「ならば──」

「だからそれがどうしたと言うのだ」

「なっ……!?」

 

 突き放した悪びれなさに、一瞬大臣が硬直する。

 そしてその隙は、この場においては致命的でも有ったのだろう。ここは元より理性的な政策議論の場では無く、相手は〝マッドアイ〟ムーディなのだから。

 

「闇の魔術に対する防衛術の授業において、その闇の極致を教えずして何を教える? 許されざる三つの呪文。先の魔法戦争で最も人を壊し、殺してきた呪文がどれだけ凶悪で、破壊的で、油断出来ぬ代物かを実感せずして、一体何を防衛出来るというのだ?」

「せ、生徒に恐怖を与えるような呪文を教える事が論外だろう! ましてや生徒に服従の呪文を実際に掛けてみるなど正気の沙汰では無い!」

「何故だ? 鍋の熱さを知らねば不用意に触れる阿呆が出るように、禁呪が齎す恐怖を真に教えねば戒めにならん。そして服従の呪文を掛ける事が正気では無いだと? 儂は正気だからこそ体験させたのだがな」

 

 嘲笑と共に教授が大臣に近付けば、彼は圧倒されたように一歩下がる。それを認識した教授は、更に楽しげに笑い声を上げて一歩近付いた。

 

「服従の呪文を破れさえすれば、魔法を掛けて安心した相手の隙を突き、命を拾える可能性が高まるというのが想像出来んのか? 特に服従の呪文は許されざる三つの内、慣れによって抵抗する事が可能であり、尚且つ肉体と精神に大きな後遺症を残さない唯一の呪文だ。破るのは資質と努力が必要だが、試してみるに越した事は無いだろう」

 

 口元は未だ笑みが張り付いていたが、その瞳は一切笑っていない。

 

「嗚呼、実の所、抵抗出来る生徒はほぼ居なかった。しかし、儂に失望は無い。自分が服従の呪文に抵抗出来ないと知るのは得難い経験で、学習だ。闇の魔法使いに呪文に掛けられる事が事実上死を意味すると真に理解しているか否かで、危機への咄嗟の対応に差異が出るからな」

「っ! 生徒がそのような事を知っている必要は無い! 防衛術なのだから、生徒にはもっと役に立つ呪文や、逃げ方を教えれば──」

「百の呪文を知っていようが一の気概が無ければ役に立たん。そもそも逃げるだと? 魔法法執行部隊に居た割に随分と甘ったるい言葉を宣う物だな、ファッジよ」

 

 教授は最早、その表情から侮蔑を隠そうとしなかった。

 抑揚を付けずに紡がれる言葉は、しかし逆におどろおどろしさしか感じない。

 

「逃げる事だけを考えるならば、本来杖一本有れば足りる。儂等魔法使いはそれだけで呪文により守られた場所や、相手が知らない場所へと移動出来る」

「ムーディ! 姿現しをもっと早くから教えろというのか!?」

「違う。免許は馬鹿げた物だと思っておるが、姿眩ましは相応に危険で高度な呪文だ。基礎を固める事無しに早く教えた所で憶えられん。一年坊主に教えるなど時間の無駄だ」

 

 ……大臣の反駁を一蹴した教授が何を言おうとしているかは想像が付いた。

 

 姿眩ましと姿現しに限った事では無い。魔法使いの長距離移動手段としては、他にも移動鍵や煙突飛行がある。電車や車、自転車などの道具に加え、更に距離に比例する時間を追加費用(コスト)として要求されるマグルとは違う。魔法使いは、いわば瞬間移動に等しい行いを可能であり、それにも拘わらず──

 

「儂が言いたいのはな、ポッターやロングボトムが何故犠牲になったかという事だ」

 

 ──あの魔法戦争は大勢の死人を出した。

 

「彼等が姿眩ましを知らなかったとでも? 護るべき赤子を忘れ、最初から無謀にして堂々たる決闘を選んだとでも? まあポッター達の方は相手が悪過ぎた訳だが、基本的に闇の魔法使いはな、最初に相手が逃げられぬようにして殺すものなのだ」

 

 一つ残った瞳には爛々と、殺戮の光景が映っている。

 

「闇の魔法使いにとって特に楽な仕事は、逃走しか頭に無い臆病者を背中から撃ち殺す事だ。他方で厄介な仕事は、最後まで抜け目無く敵の隙を伺い続ける相手を真正面から殺す事だ。たとえそれが学生だろうと関係無い。武装解除、失神呪文、石化呪文。魔法使いであれば一矢報いる牙は幾らでも持っている」

 

 魔法使いの杖。

 それは非魔法族の銃と変わらない脅威であり、逃走にすら用いる事が出来るという点で更に優れている。戦闘員非戦闘員の区別無く、杖を捨てない魔法使いは敵である。

 

「無論、儂等のような本職以外が闇の魔法使いに出遭ってしまった時、それは殆ど死を意味する。ホグワーツ在学中の、或いは卒業したばかりのひよっこの呪文など、儂等にとっては微風のようなものよ。抵抗の上から殺すのにそう苦労はしない」

 

 だがな、と教授は荒々しく続ける。

 

「だからと言って、妻や子供が危険に晒されても諦めよというのか? 闇祓いが駆け付けて来るまでの数分、或いは姿眩ましが禁じられている場所から外に出る為の数メートル。それを勝ち取らせる為の武器を、教師として生徒に与えたいと考えるのが不自然か?」

「こここ、この平和な時代で生徒が戦う必要など無い……!」

「平和? 現状の何処が平和だというのだ? 去年上がった闇の印に対する親や親戚の恐慌を見て、生徒達が何も感じなかったとでも? 未だ十代の子供であるから社会の問題に全く思いを巡らせないのも当然だと、本気でそう思っているのか?」

 

 圧巻であり、圧倒的でもあった。

 その瞳の奥に地獄を燻らせ続ける元闇祓いは、現場を忘れた大臣が敵う物では無かった。教授は一歩も動いていないというのに、大臣が震えながら後退っていた。

 

「子供が無知と無垢のままで居てくれと願うのは、自惚れた大人の傲慢だ。特にマグル生まれなんぞは先の戦争で大勢が狙われ、拷問され、殺された。年齢など関係無く、産まれこそが罪としてな。あの悲劇を想えば、儂が生徒に教えを授ける事に手を抜ける筈もない」

 

 魔法戦争は遠からず再開される。

 ハーマイオニー・グレンジャーのようなマグル生まれにとって、この国に居る限りは死の危険が付き纏い続ける。戦争が始まった後、生活や友人、親戚や仕事、財産の多くを捨てて逃げないのならば、彼女達には戦場の地獄の方から近寄ってくる。

 

「嗚呼、儂は教えるとも。このホグワーツは他ならぬダンブルドアの存在によって安全が確保されており、だからこそ安心して最悪を教えられる。儂の教えが役に立たないに越した事は無い。だが、あの時学んでおけばよかったとの後悔を抱くのが死ぬ寸前では遅いのだ」

 

 アラスター・ムーディ教授の考えは、戦場を生きる者の考えだ。

 この国の〝マグル〟的思考からすれば非難轟轟であり、大臣のような反応を肯定する社会の方が正しいのだろうが──しかし、僕は教授の方に共感を覚えてしまう。

 

 自力救済が跋扈する社会は野蛮である。

 だがそれでも先の戦争中、死喰い人が勢力として圧倒し、長い間魔法省が機能不全に陥っていた事を考えれば、最後に頼れるのは己の力だと結論付けるのが真っ当では無いだろうか。

 

 ただコーネリウス・ファッジにとっては受け容れられなかったらしい。

 

 ……嗚呼、間違いとは言わない。僕はそれもまた認める事が出来る。

 この大臣がシリウス・ブラックの逃亡の真実どころか、恐らく賢者の石や秘密の部屋騒動の裏に有った陰謀も知らされず、今年の闇の印や死喰い人の行進は脱獄した一人(シリウス・ブラック)のみが計画した程度にしか考えられないのであれば、そう考えるのは筋が通っている。

 

「ダンブルドア! 貴方はホグワーツ内で私軍を作ろうとしているのか……!?」

 

 彼は狂人の戯言に構っていられないと矛先をアルバス・ダンブルドアに向けたが、最早気疲れした様子を隠そうともしない老人は首を振った。

 

「……コーネリウス。この点に関しては儂も君に同意する。アラスターの指導方針は、流石の儂も過激過ぎると思っておる」

「なら!」

「しかし、儂がアラスターを隠遁生活から引っ張り出すのと引換えに、その教育内容には口出しをせぬと約束した。そして保護者からの苦情も当初は沢山来たが、多くの生徒達は真剣に受け止めて授業に取り組んでいるようじゃ。スリザリンですらそうじゃろう?」

「……ええ。遺憾ながらそうですよ」

 

 チラリと一瞥してきた老人の視線を受けて頷く。

 縋るように僕を見て来る大臣には悪いが、それは動かしようがない現実だった。

 

「教授も年中服従の呪文を掛け続けている訳では有りません。他は過激ながらも現実的で真っ当な教えであり、教授を辞めさせようとすれば特にO.W.L.やN.E.W.Tを控えている五年や七年からは強硬な反対を食らうのは見えています。流石のマルフォイですら賛同はしませんよ」

 

 教授の戦歴から必然と言うべきか、主に魔法生物の対処を扱った去年と違い今年の授業内容は対人特化で問題も多いのだが──それでも、この科目は闇の魔〝術〟に対する防衛術なのだ。魔法生物に対する護身術ではない。

 去年のリーマス・ルーピン教授の授業がそれらのテストに役立たないという訳ではないし、彼もまた有益な呪文を教えていたのだが、やはり理論と実践の徹底という点においては今年の教授の講義程では無いだろう。

 

「問題が有ったのは認めるが、生徒の多くが望んでいる以上、儂は現時点でアラスターを辞めさせるつもりは無い。どの道、アラスターの契約は今年限りのつもりじゃ。コーネリウス、今後こういう事が無いと約束するが、今回は引き下がってくれんかね?」

 

 大臣は明らかに不満気であり、けれども言葉が出ないようだった。

 教授の選解任の権限はホグワーツ校長に存在しており、大臣に権限は無い。ホグワーツの自治の下で魔法界の頂点として抗議は出来ても、校長の決定を曲げる事は原則出来ない。今回の場合に理が存在するのはアルバス・ダンブルドアであった。

 

 もっとも、僕の方にも不満が無い訳ではない。

 生徒の支持によって辞めさせるべきでないと考えるならば、生徒の支持が殆ど無かったかつてのギルデロイ・ロックハートをさっさと辞めさせるべきだっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

「……今回の件は理事会に報告させて貰う」

 

 負け惜しみのように、コーネリウス・ファッジは言った。

 そして実際、報告した所で結論は決まり切っているように見える。

 

 一年限りの教授の暴走を理由に、この校長閣下を辞めさせる事は出来ない。

 特に闇の魔術に対する防衛術教授は長らく──少なくとも、リーマス・ルーピン教授の学生時代からずっと──継続して一年以上教えられる例が存在していない。その問題を理事会が把握していないとは思えず、呪われた職に就いた人間が少々やり過ぎた所で騒ぐとは思えない。既に明らかにしたように、少々過激である点さえ除けば、アラスター・ムーディ教授の指導内容自体に左程の問題は無いのだから。

 

 けれども、この大臣は大変御苦労な事に抵抗するつもりらしい。

 面子から見れば当然と言えば当然だが、形式的な物に留まる気は無いようだ。アルバス・ダンブルドアに良いように操られるのも解る。要は真面目で、頭が固すぎるのだ。

 

「……私は引き下がる訳ではないぞ、ダンブルドア。正式な抗議は文書でもってさせて貰う。幾ら生徒が支持していようと、彼等は未だ判断力が未熟な子供なのだ。それを護るのが大人の仕事であり、私は今回の虐待的な指導を見逃す事は出来ん」

「後半部に関して儂は少々意見を異にするのじゃが、お待ちしておりましょうぞ」

 

 アルバス・ダンブルドアは軽く頷いて答えるが、その態度が大臣にとってどれ程腹立たしい物に映るか解っていてやっているのだろうか。

 にやにやと笑った教授が口を開こうとしたが、それは老人が視線で止めた。ややこしくするなという事であり、そして脱線し過ぎだという事でもあるのだろう。

 

「……ええと、スティーブン君だったかね?」

 

 威厳を取り戻そうとするように大臣は咳払いする。

 強い方を相手にするよりも、弱い方に向かい合う方が楽だと思ったのかもしれない。まあ、漸く僕が今回呼ばれた用件を済ませる気になってくれたのは歓迎すべき事だった。

 

「アー、いみじくも君がどういう人間かは今までの会話で多少なりとも解った気がするのだが、ええと、その何と言うべきか。良心を持った善良な若者にこういう要求をするのは私も非常に心苦しいのだが、どうか気を悪くしないで欲しい」

 

 何処からともなく取り出したハンカチで、大臣はせわしなく額を拭う。

 

「これは私が独断で決めたという訳ではなく、捜査の中で魔法省が色々な事情を考慮して多角的に検討を重ねた結果としての判断なのだ。私は余り賛同できないのだが、私の立場としても仕方ない事で有って──」

「──つまり、何なのでしょう?」

「その、君にはだな。第三の課題の間、魔法省の監視下に居て貰いたいのだ」

 

 一瞬言葉が詰まる。表情すら動いたかもしれない。

 その反応を早とちりしたらしい大臣は、慌てて言葉を続けた。

 

「いやいや。君がバーティをどうこうしたとは全くもって考えていないとも。未成年の魔法使いにどうこう出来る物では無いし、ハリー達の言葉からは、姿を消したバーティは相当頭がどうかしていたようだしね。ただその、何だね。ほら、解るだろう?」

「……正気だった時のバーテミウス・クラウチ氏と会った僕が何か不必要な事を知ったかもしれず、〝犯人〟が危害を加えるかもしれない。そういう事を言いたいのですか?」

「そう、その通りだ……!」

 

 我が意を得たりと頷く。

 助け舟として出した言葉に、大臣は大袈裟な位に大きく頷いた。

 

 僕はそれが口実に過ぎない事を彼の瞳から読み取れたのだが、しかし生徒の保護が目的であるというのは丸切り嘘という訳でも無いらしかった。

 

「アルバス・ダンブルドア。貴方が反対し、しかし教授が賛成した云々はこの事ですか」

「……そうじゃ」

「そうだ」

 

 顔だけを向けて問えば、老人は渋々認め、教授は不敵に笑いながら認めた。

 

「ただレッドフィールドよ。お前は儂がこうする事に一切の疑問を持たないだろう?」

「……ええ、そうですね。僕がバーテミウス・クラウチ氏と接点を有し、ハリー・ポッターに危害を加えうるスリザリンである事は疑いが無い。貴方は当然そう主張すべきだ」

 

 先のような阿呆な口実を信じるべきではなく、油断大敵を信条とする闇祓いは僕がバーテミウス・クラウチ氏を消した可能性を疑うべきであり、たかだか教え子であるという程度で信頼しては〝マッドアイ〟と呼ばれるに足りなかった。

 バーテミウス・クラウチ氏が姿を消す前に接触し、かつ彼に会った人間としては浮いた存在である以上、治安を維持する彼等は寧ろ僕を怪しまなければならない。

 

「御話は分かりましたよ、大臣。僕がわざわざ呼ばれた理由も」

 

 何故かハラハラとした様子を見せているコーネリウス・ファッジに僕は続ける。

 

「僕にとって予想外の申し出であったのは確かです。けれども、貴方の要請とも有れば、僕に何ら断る理由は有りませんよ。その要請を受け容れましょう」

 

 承諾の言葉に、一瞬、大臣は何を言われたのか解らないという顔をした。そして少し時間を掛けて僕の答えを咀嚼した後、恐る恐るというように問い掛けて来る。

 

「……えっと、それは文句が無いという事かね?」

「ええ」

 

 思う所は有れども、反抗まではしないと頷く。

 

「この国の頂点である貴方がわざわざ足を運び、その上でこうして丁重に頼んでいる。善良な一市民がそれを断る理由は無いでしょう? もっとも、今すぐアズカバンに行けともなれば流石に抵抗もしますが──」

「そ、そんな事は断じてない! 君は闇祓いの護衛付きで保護される事になるだろう」

「──ならば僕から言うべき事は何も有りません。三校試合の結末が見れないのは多少残念では有りますが……大臣、貴方の指示に従いましょう」

「そ、そうか。いやはや助かる……! 魔法大臣として君の協力には心から礼を言おう」

 

 安堵を浮かべるコーネリウス・ファッジは気楽な物だ。

 僕がそういう気分になれないのは、軟禁されるのが予想の斜め上だったというのもあるが、僕を留めておく事に左程の価値を感じないからだ。

 

 僕が何か重要な情報を意図せず握った可能性は否定出来ない。

 出来ないが──今年の初めから奇妙な事が続く計画の為に、何が何でも排除しなければならないという程の情報を得たという感覚はしない。今回の事件に関して一番事情に通じていそうなウィンキーという屋敷しもべ妖精の事もある。僕が殺されるとすれば、本命の計画が済んだ後で彼女共々ついでに始末される場合くらいのように思える。

 

 だが、大臣は意気揚々と老人へと振り返った。

 

「どうだ、ダンブルドア! 本人の同意は取り付けた。これで貴方も文句はないだろう?」

「……そうじゃな。その事に文句は言わん。だが、スティーブンもまたホグワーツの生徒で有って、儂としては──」

「──大臣」

 

 老人の無駄な言を遮り、僕はコーネリウス・ファッジへと呼びかける。

 彼はチラリとアルバス・ダンブルドアを──生徒に発言を遮られて気分を害しても可笑しくない人間の方を見たが、その老人は不機嫌そうな表情を作りつつも視線を臥せていた。

 どうやら僕の意思というのは正しく伝わったらしい。

 

「な、なんだろうか。何か気になった事が有るのかね?」

 

 自分が答えざるを得ないと理解したらしい大臣は、漸く反応する。

 

「申し訳ありませんが、僕は授業を抜け出してここに来ているのであり、出来れば時間内には戻りたいと思っています。ですので、僕は今後の事について聞いておきたいのですが」

「あーっと、今後の事というと?」

 

 眼を白黒させた大臣に、僕はここに連れて来られた時からの疑問をぶつける。

 

「先の要請が僕にとって予想外だったのは否定しません。しかし、予想外だったのは内容が問題だった訳では有りません。つまり僕は今回呼ばれた理由は、バーテミウス・クラウチ氏と接触した際の事情聴取の為だろうと思っていたからです」

「────」

 

 十一月末の第一の課題以降、バーテミウス・クラウチ氏が消えた。

 その時点において、僕は事情聴取の為に呼び出される事を予想していた。僕が本当に事件へ関与していると疑うかはさておき、彼が公から姿を消す前の様子を捜査機関が把握しようと考えるのは、何ら不思議な行為ではないからだ。

 まあ六月の今までそれが無かった所を見るに魔法省はそれを不要だろうと判断したのだろうが──その判断が不合理だという程自惚れていない──今回彼がホグワーツに現れ、そして消えたともなれば、流石に事情は変わって来ると思う。

 バーテミウス・クラウチ氏が会った人間として存在が浮いており、今回彼が消えたホグワーツにも居たスリザリン生に話を聞いて然るべきではないだろうか。バーテミウス・クラウチ氏が何時消えたか知らないが、その頃僕にアリバイが有るかは自信が無い。

 

「そちらの方はどうされるんです? 出来れば早く済ませたいと思いますし、望まれるのであれば開心術や真実薬の使用にも異論は有りませんが」

「──アー、それはだな」

 

 だが、大臣は奇妙な位に大きく視線を逸らした。

 ……歯切れの悪い言葉が返ってきた時点で、次に紡がれる言葉も想像が付いた。

 

「バーティは強力な魔法使いだった。だから未成年の魔法使いが今回の厄介な事件に関与したと真剣に疑う程に、魔法省は馬鹿ではない。また君がバーティと会話をした事実が有っても、重大な事を知らされたとか、秘密裏に遣り取りをしたとも思っていないのだ」

「…………」

「君はそれまでバーティと接点がない。そして君には力を持った両親や親戚なども居ない。そんな君が、あのバーティに何が出来る? 或いは、バーティが何故わざわざ意図して君と接触しようとする? 仮に大事な事を任せたりするならば、マルフォイ君とか、そういう人間を使うのが自然だと思わないかね?」

 

 理屈は通っている。通っているが、問題はそこではない。

 

「……要はバーテミウス・クラウチ氏と何を話したかについて、貴方どころか他の闇祓いに対しても語る必要は無い。そういう認識で良いのですか?」

「あ、ああ。その通りだ」

「……そう、ですか」

 

 ならば何故僕を監視下に置く必要が有るのか。

 それをわざわざ聞いてやる程、僕は気の良い人間では無かった。

 

 ──要するに、この大臣にとってはどうでも良いのだ。

 

 今回わざわざ僕との面談を求めた事も。第三の課題中に僕を監視下に置く事も。

 自分が有事に際して忙しく、魔法大臣らしい仕事をしているふりが出来るのであれば何だって良いのだ。秘密の部屋の際にルビウス・ハグリッドをアズカバンに送ったように、この大臣にとっては保身が第一で、真相を追い求めるのは二の次なのだ。

 

「……御用件は以上ですか、大臣」

「う、うむ」

 

 大臣の頷きを受けた後、僕は老人の方を見やる。

 

「という事らしいです。既に決まったのだから下手な擁護は要りませんし、その必要が無いのは解るでしょう? 貴方は余計な善人面に労力を割くより為すべき事が有る筈だ」

 

 政治的な失点を非常に恐れているこの大臣が、僕に対して下手な拘束をする筈がない。

 アルバス・ダンブルドアが先に示した懸念は見当外れでしかない、

 

「そして僕の軟禁が確定事項となった以上、僕もまた他の事に関心を向けざるを得ない。つまりバーテミウス・クラウチ氏が姿を消す前に会った生徒が大臣から直々に聴取を受けたという噂が、期待通りに、何処からともなく流れるかどうかについてです」

 

 この老人は曲がりなりにもホグワーツ校長である。

 校内の肖像画は勿論、教授や教職員、ゴースト、もしかしたら生徒にすら、自身が望む噂を流し、ホグワーツ内の情報を操る事が出来ると信じている。

 

「……スティーブン。儂はそうすべきではないと思うておる」

 

 アルバス・ダンブルドアは首を小さく振る。

 

「それを広告する事は少なからず君の危険を上げる。それ以前に、今までの経緯とバーティが消えた状況を考えれば、君は得られる物が有ると端から期待しておらぬ筈じゃ」

「しかし可能性は零ではない。そして費やす労力は微小で、当たった時に得られる利益は極大です。ならばやらない選択肢など無い」

「生徒が自らを餌にするような行いには賛同出来ぬ」

「貴方の仕事は如何なる状況だろうと生徒を護る事でしょう? それとも貴方は、闇の魔法使いに狙われるのが解り切っている生徒を護れないと宣うのですか?」

「……良く言ってのける物じゃ。そんな事など本心で思っている訳では無かろうに」

 

 老人は微妙に苦々し気に吐き捨てる。

 彼にそうさせる理由は、彼の理性が僕の言葉に一定の利が有ると認めるからだろう。

 ハリー・ポッターに比べれば、僕は喪っても左程支障のない駒である。ホグワーツ校長である以前に、彼が戦争に挑む冷徹な指導者であるのならば、些細な犠牲を是とする僕の提言を容れなければならない。

 

「ま、待ちたまえ。魔法大臣が生徒に疑いを掛けたともなれば私の体面が──」

「──大臣。これは無責任で勝手極まりないホグワーツ生の噂ですよ。馬鹿正直に信じる人間は誰も居ません。貴方はそんな事は有り得ないと毅然としていれば良い」

 

 慌てて割り込もうとした大臣に対し、老人を睨んだままに答えれば、更なる反論は残念ながら返って来なかった。

 

 ……これが、魔法界における行政府の最高位か。

 嗚呼、本当に。魔法界というのは全くもって──

 

 浮かぼうとした邪念を、軽く首を振る事で掻き消す。

 

 仮にも魔法省で出世し、ルシウス・マルフォイ氏の後押しが有ったとはいえ広く支持を集めていたのだ。平時であれば良い魔法大臣なのだろう。

 ただ、ああして闇の印が上がり、スネイプ教授達が闇の帝王の復活を予感している以上、既に有事に突入している。そしてこの大臣は魔法法執行部隊の経歴を有している割には、来る戦争の指導者として向いているようには見えない。かつてのハロルド・ミンチャム魔法大臣と同じく、この暗黒の時代に頂点に立ってしまった事こそが、彼の不幸だったと言うべきか。

 

「では、この場を辞させて頂きますが。最後に、アルバス・ダンブルドア」

「……何かね?」

 

 コーネリウス・ファッジは俯き、アラスター・ムーディ教授は口元を歪め、この場において最も地位の高い老人は僕の視線を静かに受けて立った。

 

「貴方は去年度の末、自身の御膝元であるこのホグワーツ内において、生徒を傷付けた狂暴な獣一匹(ヒッポグリフ)の逃亡を許し、凶悪犯一人(シリウス・ブラック)を捕まえ切れなかった」

 

 何故、今それらを持ち出すのかとは彼は問わなかった。

 この老人も確かに僕の理解者であるから、何処に話の着地点が有るのかを見透かしている筈だった。大臣が怪訝な顔をし、教授が油断ならない鋭い目付きをしていようと、アルバス・ダンブルドア一人は理解している筈だった。

 

 理解していて尚、この老人は話の筋が解らないというように惚けていた。

 

「シリウス・ブラックが逃げ出した時、忌々しい吸魂鬼が出ていく事に気を良くし、まさか『愉快そうに見ていた』だけでは無いと僕は信じています」

「…………」

「ええ、そうである筈は無いでしょう。彼が逃げ出してしまった責任の一端は魔法省に在りますが、しかし貴方にも少なからずあった。故に大臣が責任を追及された際には、貴方は大臣を()()擁護し、政治的な後ろ盾となるのが当然の行いだ」

 

 アラスター・ムーディ教授が知っているかは解らないが、少なくともアルバス・ダンブルドアには、僕が籠めた言外の意味は伝わる筈だ。

 

 シリウス・ブラックの逃亡。

 それは単に警備に不手際が有ったというのでは無く、この老人がハリー・ポッター達を使って助力したが故である。その結果が魔法大臣にとって政治的にどれ程致命傷であるかは当然理解出来ていただろうし、それでも尚彼等の無法を許したというのであれば、分別有る大人として後始末をしなければならない。

 

 世の秩序を犯した責任は、最低限取らなければならない。

 

「そして今年のハロウィン以降、大臣が国外から非難されている原因の一端は、貴方が年齢線を間違えた事に在る。更には今回、ビクトール・クラムというクィディッチ界の至宝が傷付けられ、バーテミウス・クラウチ氏の保護にも失敗しています。これらによって大臣は更に苦境に陥る事が眼に見えている訳ですが──」

 

 良くもまあこれだけ政治的失点が積み重なったものだと溜息を吐きながら尋ねる。

 

「──それらを前提として、貴方は何か感じる所が無いのですか? 貴方が為すべき仕事というのが有ると思いませんか?」

「……それは君が知らず、見ようとせず、理解しようともしていないだけじゃ」

 

 アルバス・ダンブルドアは視線を逸らさない。

 表情は頑なに引き締められ、しかし言葉は苦々しさを隠し切れていなかった。

 

「儂は為すべき事をしておるし、迷惑を掛けた各所にも頭を下げてもおる。そしてまた、君が暗に非難したような恥知らずな真似をしたつもりも無い。コーネリウスにしても、魔法大臣として良く職務に励んでおると思っておるよ」

「思っているだけでなく、僕のような馬鹿にも解るようにやって欲しいのですがね」

 

 しゃあしゃあと言ってのける老人に吐き捨てる。

 

「例えば魔法省に頻繁に出入りをして協力する姿勢を見せると言ったように。特に今ならば、死喰い人が行進し、闇の印が上がり、ワールドカップがぶち壊され、魔法省職員二人が忽然と消えた現在ならば、かつての英雄である貴方が動くのは何ら不自然では無い。貴方の行動一つで、動揺している魔法界は多少なりとも落ち着ける」

「……そのような見世物は、ホグワーツ校長である儂の仕事では無い」

「僕はそれも貴方の仕事だと考えますが。マーリン勲章勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、そしてウィゼンガモット会員及び最上級独立魔法使い。それらの称号が単なる煌びやかな飾りに過ぎないと聞いた覚えは有りませんから」

 

 やり込めたつもりは決して無いが、アルバス・ダンブルドアは黙り込む。

 

 そのような行いが、この老人の主義信条に合わないのは理解している。

 百年近くの長きに渡って培われ、確固たる物となった信念だ。今更若僧の言葉一つで揺らぐ筈も無いし、三年前の時点でそれは既に明らかになっている。

 だがそれでも尚、僕は指摘せざるを得なかった。

 

 この老人は気付かないのだろうか。

 コーネリウス・ファッジが今、どれ程期待に満ちた眼で自分を見詰めているのかを。

 世間の評価から自由で居られない弱者にとって、己を揺ぎ無く貫き続ける事が出来る強者がどれ程眩く、そして同時に憎たらしく見えるのかを。

 

 彼は制度上民意を反映している魔法大臣なのだ。無能であろうと無力ではない。

 その好意を獲得する為に擦り寄り、惜しみなく利益を与え、己が願いを聞いて貰うよう最大限尽力する事を──あの気位の高いルシウス・マルフォイ氏ですら行っている事を──どうして躊躇う必要が有るだろうか。

 意に反する相手に媚びるのが嫌ならば、十四年間も魔法大臣の椅子を無造作に打ち棄てておくような真似をすべきではなかった。初めから自分がその地位に昇っておくべきだった。

 

「──君の言いたい事は解る。しかし、儂が出来る事にも限界はある」

「貴方の言う限界は、僕のような人間の限界と違う」

 

 意思によってしないのと、能力によって出来ないのは違う。

 

「勇ましく杖と剣を振るう事だけが戦場で犠牲を減らす唯一の道だと思っている辺り、貴方は本当に悪い意味でグリフィンドールらしい。しかしスリザリンは戦場に出ずともそれが可能だという事を、()()()()()()だという事を良く知っている。僕の言っている意味が解らない程、貴方は愚かではないでしょう?」

 

 十四年前、この老人はルシウス・マルフォイ氏をアズカバンへと叩き込めなかった。

 その落ち度によってどれ程の死人が増えるのか、気付いてないとは言わせない。 

 

 見かけ上、政治の世界で死人は出ない。

 けれども裏では、或いはその結果には確かに死人が出るのだ。

 万が一ルシウス・マルフォイ氏が闇の帝王から許された場合、彼の影響力と政治力は、第二次魔法戦争において脅威となるのは解り切っている。この老人が自身の信条に固執し、十四年前に彼を潰し切れなかったが為に、ルシウス・マルフォイ氏によって多くの非魔法族と魔法使い、そして不死鳥の騎士団員達が惨たらしく虐殺される事だろう。

 

 御互いの視線がぶつかり合い、僕の方から視線を切る。

 そして僕は狼狽し切ったままの大臣に一礼し、何が可笑しいのかニヤついている教授にも軽く目礼した後、そのまま踵を返して扉を出た。

 

 最後に揶揄の言葉を口にしてやろうかとは思った。

 バーテミウス・クラウチ氏は、貴方をこの国の王と評していたと。

 

 だが、そのような言葉を紡ぐのは辛うじて自重した。

 先のアルバス・ダンブルドアへの助け舟と異なる言葉を吐く事によって、わざわざコーネリウス・ファッジ大臣の猜疑心を煽ってやるのは良い結果を産み出さないからだ。

 

 

 

 ──嗚呼、それでも。

 僕の言葉は、間違いなく届かないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 螺旋階段を降りて校長室が隠された壁から出ると、一人の人間にばったりと出くわした。

 微動だにしないガーゴイルの前で片足を抱えながら奇妙に飛び上がっている彼は、他ならぬハリー・ポッターである。爪先を何処かにぶつけでもしたのか、大きく顔を歪めていた。

 

「……一体、何をやっているんだ」

 

 自分で聞いていて解る程に呆れが混じった言葉を掛けてみれば、ハリー・ポッターは僕の顔を見てピクリと震え、どういう訳か畏まったように背筋を伸ばした。

 

「え、ええっと、何故ステファンがここに? 授業はどうしたんだい?」

「当然ながら君も授業が有る筈だがな。そして僕の方はきちんと許可を得た上でこの場に居る。ここに居る事は何ら咎められる事も無い」

 

 許可を得ている、という部分で再度ハリー・ポッターは震えた。

 どうやら彼の方は許可を得て校長室を訪れたという訳では無いらしい。つまりサボりか。

 

 ……ただ、他の生徒ならいざ知らず、ハリー・ポッターが──〝生き残った男の子〟が校長室を訪れるというのは、決して軽んじて良い状況では無い。

 

「急ぎか?」

「えっと、うん」

 

 ハリー・ポッターはチラリと校長室の中を見ながら頷く。

 反射的に左手が顔──向かおうとしたのは額、だろうか? 断言は出来ない──の方に動いたが、彼はそれを意思によって自制したようだった。

 その理由までは解らない。ただ、その緑の瞳の中には切迫さまでは見えなくとも、真摯な色が見て取れた。元々性格上有り得ないと解っていたが、サボりにも相応の理由が有るらしい。

 

「ならば行くと良い」

 

 入口が閉じられても困るので、一応部屋の外に出ないまま、横に身を引いて道を開ける。

 

「アルバス・ダンブルドアは部屋の中に居る。来客の対応中では有るが、他ならぬ君が訪れたともなれば邪険にされる事は無いだろう」

「……でも、勝手に入って良いのかな」

 

 他人の眼が有るからか、躊躇った様子を見せた彼を軽く鼻で笑う。

 

「少なくとも校長室は、望まれない来訪者を排除する場合が有ると聞く。そうでなくとも事後的に承諾を得れば何の問題も無い。君がわざわざ授業を抜けてまでアルバス・ダンブルドアと話をする理由が有ると考えたのなら、追い返される事もまず有り得ない」

「……そう思う?」

「見た事は無いから断言出来ないが、そうだと聞いては居る」

 

 彼は部屋の入口を護るガーゴイルが襲い掛かって来ないのを視線で確認した後、そろそろと部屋へと入ってくる。しかし、僕の進路上から退こうとはしなかった。

 それどころか立ち塞がるようにして、意を決したように問いを紡いだ。

 

「ハーマイオニーとまだ仲直りするつもりは無いのかい?」

「────」

 

 冗談を口にした訳では無いらしい。

 偶然の遭遇であり、最初からその話題を僕にぶつける事を考えていた訳では無かったろうが、機会さえ有れば僕と話したいと思っていた話題では有ったのだろう。僕を真っ直ぐと貫く碧の瞳は、相変わらず僕の苦手な光を帯びている。

 

「……何故、君がそれを問う? 君には関係無い話では無いのか」

「関係有るさ。ハーマイオニーは僕の親友だからね」

 

 堂々と、余り聞きたくない言葉を彼は吐く。

 

「正直言って、今の状況は僕も余り良い気はしないんだ。まあハーマイオニーは知っての通り強情だし、クリスマスやハグリッド、第二の課題の事、そしてスキーターの記事で君に声を掛け辛い状況になってる。でも、彼女は君と仲直り出来る切っ掛けを探してるとは思う」

「……随分、確信を持っているんだな」

「言っただろう、僕と彼女は親友だ。それ位は解るよ」

 

 こうも自信満々に言ってのけられるのは羨ましくもある。

 既に四年もホグワーツで生活して振り切ったと思っていたが、入学前に抱いていた理想をここまであからさまに突き付けられると、流石に何も感じない訳には行かないらしい。

 

 それを別としても、その言葉自体が嬉しくない訳では無いのだが──

 

「仲直り云々は別としてだ。今の僕は、ハーマイオニーに近付く気は無い。また状況が変わったのだ。仮に彼女から近付こうとして来たとしても、僕は彼女を避けるだろう」

「何でなんだい?」

 

 露骨に疑問を表した彼に、僕は笑った。

 鏡が無くても、己の笑みが自嘲である事は確信していた。

 

「つい先日バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツに現れた時、君は傍に居たんだな?」

「っ。何故、君がそれを知っているんだ?」

「校長室に行けば直ぐに解る」

 

 驚愕を露わにしたハリー・ポッターにそれだけを口にし、横を通り過ぎようとすれば、彼はそれを許さなかった。ローブ越しに腕を強く掴まれ、無理矢理振り向かされる。

 

「君はフラー達を傍に近付けてる」

「…………」

「彼女らだってスリザリンからすれば許せない人間だろう。だというのに、君はそれを良しとしてる。ハーマイオニーと一体何が違うんだ」

「……それは重要か?」

「ああ」

 

 軽く睨んで尚、ハリー・ポッターは視線を逸らさなかった。

 

 思い返せば、彼はロナルド・ウィーズリーと立場を異にしていた。

 僕がハーマイオニーとユール・ボールで踊ると思っていたという戯言を口にしたし、そもそも一年時からの僕と彼女の友好関係に何も言っていない。ハリー・ポッターは彼のもう一人の親友のように、スリザリンはグリフィンドールに近付くなという解りやすい考えの下に動いてはいない。

 

 その真意が何処に有るかまでは掴み切れないが、少なくとも逃げるべき事では無いのは理解出来る。彼は彼女の親友として僕の態度へ真剣に憤りを感じており、そして僕が彼女を大切に想うのであれば、ハリー・ポッターの問いから逃げるのは、何となく不義である気がした。

 

「──彼女達の間には、本質的に違いは無いのかもしれない」

 

 深く息を吸って、大きく吐いた。

 

「だから問題が有るとすれば、それは恐らく僕の方なのだろう」

「君の方?」

「ああ」

 

 碧の瞳に真剣さを宿したままの彼に、僕は小さく頷く。

 この点に関しては、アルバス・ダンブルドアを揶揄出来ない。対象とする人物が異なるだけで僕達はとことん同類であり、言葉を飾らずに言えば意気地がない。

 

「九割九分の確率で勝てるギャンブルが有ったとしよう」

 

 ハリー・ポッターはうんざりした表情を浮かべたが、僕の言葉を遮りはしなかった。

 

「裏を返せば一分の確率でしか負けない。君はこのギャンブルで勝負する事も出来るし、勝負しない事も出来る。さて、この場合に君は賭けを行うか?」

「そりゃ……当然賭けるだろ? 殆ど勝てるんだ。勝負しない手は無いさ」

「その一分で取り返しのつかない唯一無二を──ハーマイオニー・グレンジャーやロナルド・ウィーズリーの命を喪うとしても、か?」

 

 ハリー・ポッターは怯んだ。

 彼にその反応をさせたのは、恐らく言葉の内容だけでは無い筈だった。

 

「これから起こる戦争というのはそういう賭けの連続である訳だが──今は置いておこう。ただ九割九分、まあそこまで行かずとも勝つ可能性が非常に高いと踏んだ場合は、賭けるべきであるという考えは正しい。喪失を恐れて賭けから逃げては勝利も無い。それが〝合理的〟な選択であり、通常為すべき判断では有るのだ」

 

 理性では、そんな事は解っている。

 

「しかしながら、絶対に勝つ訳では無いという事は、それは即ち非常に低い可能性で負ける場合も有るという事だ。遊び(ギャンブル)で有れば、一度負けたとしても後から喪った金銭を取り返す事も出来るだろう。ただ、現実はそうはいかない。死人は帰って来ない」

「……でも、まだ戦争が起こっている訳じゃない」

「そうだな。それは非常に大きい要素だ」

 

 ハリー・ポッターの指摘は的を射ている。

 奇妙な事件が連続していても、未だ大々的な殺し合いは起きていない。行方不明者二人が出る程度の事件は、マグル基準では毎日どころか毎時間テレビで見る事が可能な日常であり、魔法使い基準でも異常と言い切るまでの事ではない。

 

「ただ、アルバス・ダンブルドアもそうだが、僕達は常に最悪の場合を特に強く思い描いてしまうのだ。それを懸念する事が不合理で、天が落ちてくるのを憂うような愚行だとしても、その可能性を排除する事は決して僕達には出来ない」

 

 既にハーマイオニー・グレンジャーには大きな危険が有る。

 ハリー・ポッターの親友。それだけで死喰い人が彼女を殺すに足りるというのは解っている。だから僕が彼女を遠ざけようとも、大きく危険度が変わる訳でも無い。

 けれども嗚呼、それを理解していて尚、僕の行動如何で彼女の危険が僅かでも上がってしまうというならば──僕が自制するだけで彼女の安全を確保出来る可能性が存在するというならば、僕はその選択肢を取る事を辞められない。

 

 そしてそれはあの老人も同様の筈だった。

 

「えーっと、君は解る気がするけど、ダンブルドアも?」

「君が疑問に思うのは当然だろうな。だが、これは断言して良い」

 

 首を傾げると共に表情で不可解を示したが、僕ははっきりと頷いた。

 ハリー・ポッターが気付かないのは止むを得ない。その感情を向けられるのは彼自身であり、尚且つアルバス・ダンブルドアが見て見ないふりをしている。スネイプ教授やミネルバ・マクゴナガル教授でも恐らく気付けず、曲がりなりにも彼から開心術を直接教わった僕だからこそ察せられる事柄だった。

 

「ガブリエルやフラーが傷付いても何ら問題無いと考えている訳では無い」

 

 誤解は無いだろうが、一応は告げておく。

 彼女が健やかに生きている事は、まあ、一応喜ばしい事ではあった。

 

「だが、僕にとって優先すべきはハーマイオニーだ。比較した場合に後者の方が危険な立場に居るというのも有るが、僕にとっての優先順位は決して揺るがない」

「順位って……人にそんなのは──」

「付けられる」

 

 納得行かない風なハリー・ポッターを、真っ向から否定する。

 

「君とて、君の親友二人の命と、他のグリフィンドール生の命。その何れかを必ず選べと言われたら答えは決まっているだろう? 強く意識していないだけで、人は序列を付けている。そして君が考えている以上に、今のこの魔法界において人の命は軽いのだ」

 

 そこまで口にして、彼の反応を伺わないままに僕は軽く首を振った。

 

「いや、君はその考えで良いのかもしれない。僕と違い、君は特別だ。その全てを掬い上げられなくとも、君はどちらも選び取り、限りなく多くを護る事が出来るのかもしれない。必ず一兎以上を得られるならば、二兎を追わないという選択肢は無いだろう」

「……僕が〝生き残った男の子〟である事なんて、君は昔からどうでも良かった筈だけど」

「同時にそれ以外に価値を見出している事は君も勘付いている筈だが」

 

 殆ど初めての邂逅の時。

 銀世界を前にして、僕は既にハリー・ポッターに違う価値を見出した。

 

「君は実績を残している。十一歳で闇の魔法使いに立ち向かい、十二歳でバジリスクを殺し、十三歳で吸魂鬼を退け、十四歳ではドラゴンを出し抜いた」

「それは……単に僕の運が良かっただけだ」

「普通の人間は運が良かろうとも出来ないのだ」

 

 ハリー・ポッターの胸を拳で軽く叩く。

 避けようと思えば出来た筈なのに、彼はそうしなかった。

 

「少なくとも僕には出来ない。断じて。君も直ぐに知るだろうが、第三の課題中に僕は軟禁される事になる。嗚呼、疑われている訳ではない。〝生き残った男の子〟である君と違い、彼等にとって僕は子供で、言葉を聞き入れるに値しない者なのだ」

 

 今年、僕はそれなりに派手に動いた。

 しかしながら、それで何が変わっただろう。

 解らない事が解っただけで、僕の力や権限では今回の真相に辿り着かない事が明白になった。アルバス・ダンブルドアも、アラスター・ムーディ教授も、当然ながらスネイプ教授も僕よりも多くの情報と知識を有し、また多くを為す能力を備えているというのに、しかしそんな彼等ですらも未だに今回の〝犯人〟には辿り着いていない。

 

 僕はこれまでの三年間と同様に、事件の外にしか居られない。

 

「だから()()()()()()()()()()、僕はハーマイオニー・グレンジャーに近付けない。僕のせいで彼女を危険に晒す事になってしまっても、その責任を取れないからだ」

 

 問題が解決するまで。

 ……それが何時になるのかは、自分自身、既に薄々見当が付いている。

 

 偶々今年、敵がホグワーツ内に潜んでいるという形で顕在化しただけで、闇の帝王が生きていると知った一年の学年末から〝期限〟を先延ばしにしてきたに過ぎないからだ。

 

「……責任、ね。ハーマイオニーはそんな事を君に言って欲しくないと思うけど」

「ならば君は何と言うべきだと考える?」

「…………」

 

 僕の問い掛けにハリー・ポッターは碧の澄んだ瞳で僕を真っ直ぐと見返すだけで、何も答えなかった。挑発に乗るつもりは無いという意思表示であり、お前が自分で考えるべきだという主張を全身で表現していた。

 

 そして、まあ、正しいのはどちらであるのかというのは明白だった。

 小さく息を吐き、話題を変える。

 

「一応聞いておくが、正気では無かったバーテミウス・クラウチ氏は何を言っていた?」

 

 話の流れとしてハリー・ポッターが答えない可能性も有ったが、彼は素直に口を開いた。

 

「……えっと。木をパーシーと思って仕事の命令してたり、奥さんと息子を連れてパーティーに行くとか言ってて正気じゃなかった。ただ、少し正気に見えた時は、大変な事をしてしまって、ダンブルドアに警告しなきゃならない事が有るとは口にしてた」

「……まあ、重要な事を口走っていればアルバス・ダンブルドアも苦労はしないか」

「だと思う。あくまで正気だったのは少しだし、クラムが不気味がる位にはずっと変だったよ。バーサの事が自分のせいだとか何とかは一応言っていたけど」

「多少気になるが、今回の事件に関与しているらしい人間の言葉だから今更だな。彼女はルドビッチ・バグマンの部下だが、三校試合の準備で接触がなかった訳ではないだろう。磔の呪文などで壊されるに足る何かを目撃していても可笑しくない立場に居るのは確かだ」

 

 あの老人が教授の口を噤ませた事から少々期待していたが、流石にそう簡単に行く訳では無いらしい。僕としても、その発言内容に違和感は覚えない。

 意外なのは、バーテミウス・クラウチ氏の妻と子供の死をハリー・ポッターが知っているらしい事くらいか。そうでなければ正気を喪っているという感想は出て来ない。

 

「君は今回の犯人が──」

 

 ハリー・ポッターが何を言おうとしたのか理解し、敢えて先んじて言った。

 

「クリスマス前と同じだ。その答えは、依然として解っていない。犯人像どころか犯人の数、動機や目的の見当すらついていない。先程僕が話した感覚としては、多分、アルバス・ダンブルドアも同じだ」

「……そっか。ハーマイオニーも解らないって言ってた」

「ああ、今年は異常だ。これまでの三年間の比では無い。〝犯人〟は君を代表選手とした事には明確な目的が有った筈なのだ。しかし、二度の課題では事件が起こる気配すらなく、君が代表選手となった事で利益が他の場所で生じた訳でもなく、目的は未だ不明なままだ」

 

 十月三十一日を除けば、今年生じた異常はバーテミウス・クラウチ氏関連のみ。

 殆ど一年間を通じて何らかの事件が起こってきた三年間とは違う。不気味である事以外に、ハリー・ポッターの周りは平穏だと言っても過言ではない。

 

「……やっぱり、君も第三の課題で何か警戒しなきゃならない事が起こると思ってる?」

「何も起こらなかったとすれば、代わりに他の場所で異常事態が発生しているという事で、初めから君や僕がどうしようもない事だ。そして僕はそちらの方を望んではいる」

 

 ハリー・ポッターが、他の本命の為の単なる目眩ましに過ぎない事を祈っている。

 

「ただ、今年のホグワーツの始まりは、やはり君が代表選手になった事なのだ。だから第三の課題が最もきな臭いとも思っている。僕に言われるまでも無いと思うが、精々気をつけろ」

「……肝に銘じておくよ」

 

 改めて表情を暗くしたハリー・ポッターを置いて、僕は彼の横を通り過ぎる。今度は彼は止めなかったし、後ろから言葉を掛けてくる事も無かった。


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