今回分で炎のゴブレットは完結。
精々十二万字程度なので多少時間が空いた時にどうぞ。
誤字報告、脱字等、意味の訂正(執筆意図と真逆になっている部分が結構有るのは流石に脱力しました)有り難うございます。特に放置してた分は見慣れた名前の方が多くて非常に申し訳なくなりました……。
可能性は高くはないとは思っていた。
それでも予測に入れていた事態が起こったのは、五月が終わろうとする頃だった。
フラーから第三の課題が迷路の中で──外部から見えない形で──行われると聞いてから、そう日は経っていなかっただろう。それを僕に告げた時のフラーの表情はそれはもう物凄い物だったが、彼女はそれ以上何も言わなかったし、以降は課題について話題に上らせようとせず、何時も通りの下らない、しかし彼女にとっては重要らしい日常の話を続けるばかりだった。
僕の側も宣言通り既に触れる気は無く、一応過去の三校対抗試合において、第三の課題が迷路で実施された例が存在する事を確認はした。外部に内情が公開されないままに課題を行うのは珍しい事態では有るが、それだけで試合を中止すべき異常では無いのだろう。
ただ一点だけ、
ともあれ、後は第三の課題が起こるのを待つばかりである。
そう考えていたのだが、その〝事態〟が生じるかもしれない懸念を僕は忘れていた。
といっても、最初に思い描いていたのは二月頃、つまり三カ月も前であり、それだけ音沙汰がないのであれば、起こる事は無いだろうと考えていたから仕方のない事ではあるのだが。
だが、授業途中にミネルバ・マクゴナガル教授によって呼び出され、それと共に僕が今日会うべき来客が予告された事によって、かつての懸念が現実化した事を理解した。
ミネルバ・マクゴナガル教授が内容に口を噤もうとも、何が待ち受けているかを予測するのは難しくも無い。教授も僕が解っている事を前提として動いている節も有ったが、流石に全てが御見通しという訳には行かない。問題は、何故今僕に会おうとする必要が有るのかという点なのだが、それは直ぐに知らされる事ではあるのだろう。
最早通いなれたと言っても過言ではない、ひっそりと壁に隠された校長室。
僕を先導したミネルバ・マクゴナガル教授が合言葉を告げ入口を開けた後、僕一人行くように促した。扉を潜り螺旋階段を上った先で待っていたのは、三人の大人。
一人は当然、この部屋の主であるアルバス・ダンブルドア。椅子に腰掛け、机の上に肘をおいて指を組み、僕には見慣れた険しい表情をしている最強の魔法使い。
もう一人はアラスター・ムーディ教授。壁を背にして、油断なく蒼の義眼を回している元闇祓い。ローブの中に手を突っ込んでいるのは、杖を握っているからだろう。こちらは何故か楽し気で、口元に皮肉な笑みを浮かべている。
そして最後の一人、校長と教授に対して向かい合うように立っているのは、日刊予言者新聞の写真で見た事は有っても、直接会うのは初めてである人物。
縞模様のローブに黄緑色の山高帽という魔法界基準で普通の恰好をし、校長と元闇祓いと向かい合うように部屋の中央に立ち、気の良い笑みを僕に向けているその人間が誰であるかなど、この国の魔法界の人間で知らない者はまず居ない。
「やあやあ、授業を途中で抜けさせてしまってすまないね。余りこういう事をしたくはないのだが、何分事が事でね。どうか気を悪くしないで欲しい」
この国の政治の頂点。
コーネリウス・ファッジ魔法大臣がそこに居た。
「良く来てくれたのう、ステファン」
「スティーブン、ですよ」
アルバス・ダンブルドアの呼びかけに釘を刺す。
老人は少しだけ長く白い髭を動かしたが、それ以上の反応はしなかった。
この部屋の主である彼が魔法大臣を僕に紹介し、そして僕を魔法大臣に対して紹介する。そんな儀礼的でまどろっこしい初対面の挨拶を経た後、僅かな沈黙が訪れた。
解っていたが、楽しい話とは行きそうになかった。
黙っていては何も進まないが、僕が促すまでも無かったようである。授業を抜けさせてまで呼び付けた以上、自ら話を切り出すのが大人としての責任だと感じていたのかもしれない。沈黙を破って口を開いたのは、コーネリウス・ファッジ魔法大臣だった。
……もっとも、その切り口は僕の予測の遥か斜め上を行ったのだが。
「ええと、何から話すべきかな。君は突然こうして魔法大臣の前に呼ばれた事に驚いただろうし、不安に思っているかもしれない。ああ、確かに、君は入学前に少々問題を起こして魔法治安維持部隊の人間に抵抗したとも聞いている。いや、安心してくれていい。子供が暴れた程度で前科を付ける程度に魔法省は狭量ではない」
「────」
瞬間、コーネリウス・ファッジ魔法大臣の姿が見えなくなった。
何か異変が起こったという訳では無い。僕が彼を認識出来なくなったのは、激情故に、視界が真っ赤に染まったからだ。
「確かに君の母君は国外で大きな事件を起こしているし、君の父君とて問題が有るような人物であるし、君の保護者とて何時入国したか記録自体が無い。しかし、子供であった君に罪は無く、そもそも私個人としては、その後の事を考えれば省の対応には怠慢が有ったように──」
「コーネリウス」
今までで一、二を争う位には鋭い声だった。
アルバス・ダンブルドアによる、強烈な制止の言葉。
……僕は初めて、彼に心底感謝したように思う。
たとえ相手が魔法大臣だったとしても関係無く、もう少しで杖を抜く所だった。
「……コーネリウス。彼の昔の事は今持ち出す必要が無いじゃろう。魔法族の子供が感情に任せて魔法を暴発させた事についても、その後に彼の保護者が衰弱死した事についても、一切の事件性は無かった。そう記録されている筈じゃ」
「ダンブルドア、私もその事については問題として居ない。だが、予め説明と謝罪はしておくべきではないかね? 彼は大切に想う人間を喪ったのだ。我々魔法省の対応に彼が疑念と嫌悪を抱いても何ら不思議は──」
「──
非礼と解っていて尚、言葉を遮った。
息を大きく吸って、そして吐く。
改めて魔法大臣の顔を真っ直ぐと見据える。
こちらに向いた瞳の中に映っていたのは、慈愛と憐憫。突然この国の最高権力者に会う羽目になった生徒に対する、彼が理想と考える大人としての仮面。僕の過去を不用意に持ち出したが、それは単に少々無神経だっただけで、悪意が有った訳ではないらしい。
しかしながら、それを僕が好意的に受け取れるかは別の話だ。
「直々の御心遣いは有り難いですが、あの時来た役所の人間には概ね親切にして貰いましたよ。魔法省に一切の問題は有りませんでしたし、責任を問う気も有りません。まあこれは落ち着いて考えた後での結論であり、当時は違ったのは認めますが」
あの時は冷静でなかったし、今よりも子供だった。
まあ今も多少冷静では無いが、わざわざ彼が過去を掘り返したのも決して考え無しの行為ではないと判断出来る位には頭が冷えた。
仮に僕があの事件で魔法省を嫌っていれば、今これからの魔法大臣の行動に大きな支障が出かねないのは明らかだ。僕に罪も責任が無いと前置きする事で、警戒心を解こうとする意図も有ったのだろう。
だが、それは勘違い甚だしい。
多分、コーネリウス・ファッジ魔法大臣の性根は善良な人間では有るのだろう。
そして善良過ぎるが故に、元より他人を信用しない人間がどのように思考し、行動するかについて考えが及ばないのかもしれない。
「──ただ、遺憾ながら、僕の責任を勝手に奪うのだけは止めて頂きたい。彼女が死んだのは僕の自業自得であり、それを譲る気は一切無い」
そう言い切れば、この国で最も高位に有る魔法使いは、何故か大きくたじろいだ。
この魔法大臣は、僕に開心術士の心得が有るのは知らない筈である。けれども、僕と眼が合うのを避けるように、僅かに視線を逸らしている。
「用件を仰って下さい──と言っても、何の御用で僕が呼ばれたのかは予想が付いています。まさか、魔法大臣直々にとは思いませんでしたが」
「……何の事かね?」
「バーテミウス・クラウチ氏の事でしょう?」
魔法大臣は依然視線を合わせないまま大きく狼狽したが、まあ仕方のない事かもしれない。
アルバス・ダンブルドアやアラスター・ムーディ教授は僕を知っているが、彼は僕を知らない。彼にとっては突然の訪問と面会のつもりであり、僕がそれを三カ月以上も前に予期していた事など想像だにしなかったのだろう。
「と言っても、僕は何故今魔法大臣が来たのかまでは理解出来ません。バーテミウス・クラウチ氏が公から姿を消してから半年近く。貴方が捜査に乗り出してから三か月程です。彼が消える前に会ったスリザリン生の事を魔法省は把握していた筈ですが、捜査の眼は何ら向かなかった。だというのに、何故今なのです?」
問いと共に魔法大臣の眼を見ようとしたが、彼は視線を合わせないまま沈黙する。それを見て老人の方を見るが、小さく首を振られた。
故に答えは彼等二人では無く、今まで口を挟まなかったもう一人から語られた。
「ほんの数日前、クラウチがホグワーツ内に現れたからだ」
「アラスター」
呆れたような呼びかけに、教授は軽く鼻で笑う。
「レッドフィールドは余りにも小賢し過ぎる。儂はこの小僧を教える上でそれを良く理解しているし、アルバス、それはお前も同意する所では無いか」
「だとしても、明かす必要のない秘密という物は有るじゃろう」
「しかし我々はレッドフィールドに要らぬ負担を押し付けようとしているのだ。何ら説明も無いままに黙って受け容れろというのは、余りにも生徒に対し酷では無いかね?」
「……アラスター。まさか君の口からそのような言葉を聞くとは思わなんだ」
「入れ込んでいると言いたそうだな? しかし、ファッジの提案に反対したのはアルバス、お前の方だろう。儂は一切反対などしなかったではないか」
両者の言い争いは教授に軍配が上がったらしい。
老人は身を引くように椅子の背にもたれかかり、再度机の上で指を組んだ。それ以上口を挟む気は無いという意思表示だろう。そして教授が改めて僕へと向き直ったのを待って、僕から口を開く。
「……バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツに現れた。その事自体に何の問題が有るというのです? 彼は三大魔法学校対抗試合の審査員であり、学校に現れるのは不自然ではない」
「わざわざ解り切った事を言うのは確認のつもりか? 余り賢いとは思えんが」
アラスター・ムーディ教授は邪悪に笑う。
「つまり現れ方が拙かったのだ。クラウチを発見したのはポッターとクラムだったが、奴等の証言によれば、クラウチはまるで長旅をしてきたようにボロボロで、見るからに正気を喪っていたらしい。三カ月も失踪していれば自然と言えば自然ではあるが」
「……らしいという表現は、要は彼はまだ保護されていない訳ですか」
「その通りだ。クラウチの下にクラムを残してポッターがダンブルドアを呼びに来た訳だが、ダンブルドアがその場を訪れた時には──そして儂が少し遅れて辿り着いた時には、気絶したクラムだけしか居なかった」
何処で発見されたかという場所を初め、情報が幾つか抜け落ちている。
それは部外者に対して過度に情報を漏らさないという考えも有るのだろうが、どちらかと言えば教授が一々説明する真似は不要だと考えているのが大きいのだろう。実際、教授の言葉だけでそれがどれ程の異常事態であるかを悟るには充分だった。
「……バーテミウス・クラウチ氏が消えた。それは良いとして、その場にはハリー・ポッターが少し前まで傍に居て、ビクトール・クラムは気絶していたと?」
「ああ、その通りだ」
「それはまた──」
不可解だ、と言葉に出さずに口の中だけで唱える。
〝生き残った男の子〟の命を奪うならば絶好の機会だった筈だ。
「……話の流れとしてビクトール・クラムが自分に杖を向けたという訳では無いのでしょう? バーテミウス・クラウチ氏がその下手人だという可能性は?」
「ななな、何を馬鹿な──」
「儂の見立てになるが、無い。まあ聞く限りではクラム襲撃犯であるのは違いないらしいが、それを為したのは別の人間の意図によるものだろう。恐らく服従の呪文が使われたな」
不満の声を挙げかけた魔法大臣の言葉を切って捨てつつ教授は解答する。
そして問い掛けた身でなんだが、僕も同感である。
バーテミウス・クラウチ氏が〝犯人〟であるのならば、約三カ月もの間失踪し、突然ホグワーツに現れる必要は無い。彼は三大魔法学校対抗試合の審査員だったのだから、工作をするのにわざわざ怪しまれるような動きをする理由が無いのだ。
つまりそれ以外──既にホグワーツに潜んだ誰かが関与した可能性が高い。
一応、ハリー・ポッターが立ち去った後にバーテミウス・クラウチ氏を消した〝犯人〟が追いついたという可能性が考えられるが、しかしそうであればビクトール・クラムを気絶させた事に疑問が生じてしまう。
要は
それにも拘わらず、バーテミウス・クラウチ氏を消した人間はハリー・ポッターを傷付ける事は無かったし、ビクトール・クラムにしても気絶させて放置した。恐らく〝犯人〟は、何よりも先にバーテミウス・クラウチ氏に呪文を掛ける事を優先した。
……何故?
教授に視線をやれば、低い笑い声を上げた。
「儂にも解らん。ポッターを殺すつもりならば、これ程の機会は無かっただろうに」
「殺す……! 殺すだと!?」
教授の言葉に、魔法大臣は気分を盛大に害したらしかった。
「そんな恐ろしい事が有る筈無いだろう……! 今の魔法界で、このホグワーツであの子を殺そうとする人間が居る筈も無い!」
「ゴブレットにポッターの名を入れた闇の魔法使いが居るだろう」
「しかしムーディ! 貴方はハリーの名前が出て来たのは、ハリーを殺そうとしているからだと以前に推理しただろう! けれども今までも、今回も、ハリーに危険は及ばなかった! であれば、貴方の推理とやらは見当違いで、貴方の残った眼は節穴だったという訳だ!」
「その見解を儂は撤回したつもりは無い。勿論、一つ残った眼を取り替える気もない」
熱くなる魔法大臣に対し、教授は冷ややかに言った。
「寧ろファッジよ、お前にとっては儂の説の方が都合の良い筈だが? ポッターを殺す為に犯人が名前を入れたのでなければ、二人の代表選手を出させてホグワーツを勝たせようとした犯人が魔法省に居る事になる訳だからな」
痛烈な皮肉に対して魔法大臣は更に顔を真っ赤に染め上げたが、更なる応酬がされる前に僕は質問を差し込んだ。
「その正気を喪っていたバーテミウス・クラウチ氏は最後に何と言っていました?」
良い大人の醜い争いに興味は持てない。
僕のそんな心境が視線にも表れたのか、魔法大臣は分別有る大人らしく素直に黙り込んだ。一方で教授は油断ならない目付きをして僕の方へと顔を向けた。
「ふむ。儂としては口を開く事は吝かでは無いが──」
無精髭を撫でながら、教授は老人の方を一瞥する。
案の定、アルバス・ダンブルドアは渋い顔をしながら首を振った。
「……成程、知り過ぎだという事ですね」
まあ、部外者の子供に与える情報としては十分過ぎる程では有るか。
失踪を続けていたバーテミウス・クラウチ氏が突如として現れ、そして消えた。証言者は代表選手二人であり、偽証の可能性も完全に排除して良いだろう。
魔法大臣がわざわざ出張るには十分過ぎる程の異常。しかも消えた場所がホグワーツともなれば、過去にバーテミウス・クラウチ氏に接触した人間から話を聞きたいと考えた所で何ら不自然は無い。僕が呼び出されるのも当然だ。
けれども、大体事情は把握した。
今僕がどう振る舞う事が、最も利益が有りそうだという事も。
「ステファン」
「スティーブンだ、と言った筈ですが」
流石にアルバス・ダンブルドアは勘が鋭い。
けれども、ホグワーツ校長風情は今御呼びではないのだ。
対面すべきはこの国で最も高い地位に位置する、否、位置しなければならない存在。コーネリウス・ファッジ魔法大臣にこそ語り掛けねばならない。
「バーテミウス・クラウチ氏はホグワーツ内で消えた。そして、ホグワーツ内では姿現しも姿眩ましも出来ない。三校試合の厳戒態勢を鑑みれば、校内の煙突飛行も制限され、監視されているでしょう。そのような状況の中で、彼は忽然と消えてしまった」
この事実を踏まえて、部外者が連想する事が一つ存在する。
「──つまり、
僕の言葉に対する反応は三者三様だった。
アルバス・ダンブルドアは余り表情を動かさずとも苦々しさを抱いているのは明らかで、アラスター・ムーディ教授は酷く興味深げに義眼を煌めかせながら回し──そして、この国の魔法界の頂点に位置する人間は、居心地が悪そうに沈黙するばかりだった。
けれども、三人とも予想外の事を指摘されたという反応では無かった。
それでいて、今更周回遅れの議論をするなという返答が寄越されなかったのは、彼等が気付きながらも尚、それが絶対に対立を生むが故に指摘しきれなかった事実である証だった。
しかし、部外者である僕にとっては、そんな微妙な均衡など知った事では無かった。
「ええ、当然ながら聞き及んでいますよ。公には報道されていませんが、ここで起こった事ですからね。ホグワーツ内でシリウス・ブラックが忽然と消え失せた事によって、我がスネイプ寮監は大層御怒りでした。その事を魔法大臣は御存知ですか?」
「……知っているとも。他ならぬ私が、このホグワーツに居た」
当然、それは僕も知っている。
ハーマイオニー・グレンジャーから直接聞いたのだから。
「そして今年、バーテミウス・クラウチ氏がホグワーツ内で消えた。ハリー・ポッター達が嘘を吐く動機も利益も無い。となれば、成程、ホグワーツの警備には大きな穴が有り、死喰い人が暗躍する隙が依然として存在するようですね」
「今回ブラックが校内に入り込んだという事は有り得ぬ。去年を受けて儂は更に防備を追加した。何より、君はそれが間違いである事を十分理解している筈じゃ」
「理解? 何を理解すると言うのです?」
眼鏡の奥から冷ややかな蒼の瞳が僕を貫く。
しかし既に見飽きたその敵意は、何の脅しにもならない。
「そもそも何れであろうと同じ事だ。違いますか?」
シリウス・ブラックであろうとピーター・ペティグリューであろうと。
世間にとっては、大量殺人を犯した凶悪な死喰い人が逃げ出した事には変わりないし、当然、どちらが闇の帝王を復活させようが同じだ。シリウス・ブラック達に個人的な感情を抱いていない人間にとっては、そのような真実など全く関心を持ち得ない。
そして世間と少々意味が違えど、僕達にとってもやはり同じだ。
闇の帝王。
復活が近い唯一絶対の脅威の前では、彼等は殆ど無視して構わない要素である。
「客観的で、確固たる事実だけを言いましょう。一昨年から去年に掛けて、ホグワーツ校長である貴方はシリウス・ブラックの侵入も、その逃亡も止められなかった」
「…………」
「また裁判によって確定された事実によれば、シリウス・ブラックは死喰い人です。そして去年の夏。クィディッチ・ワールドカップで死喰い人が行進し、闇の印が上がりました。どちらに関与しているにしろ、彼が脱獄した翌年にそれらが起こったという点は見逃せない」
チラリと魔法大臣を一瞥すれば、彼は僕の視線を避けるように身動ぎした。
それを見て内心に湧き出て来た感想を敢えて捻り潰し、再度老人の方へと視線を戻す。
「シリウス・ブラックは国外に居ると報道されているのは僕も承知していますよ。しかし、彼がホグワーツ校内の、鍵の掛かった部屋から忽然と消え失せる能力を持っているのは去年判明しています。故に、今回も彼がバーテミウス・クラウチ氏を同様に消したと考えるのは自然でしょう」
「儂はそう思っておらぬ。そもそもブラックが何故、バーティを消すのかね?」
「ホグワーツに侵入して肖像画を切り裂き、生徒に馬乗りになってナイフを突き立てようとする狂人の考えを理解する必要が有りますか? そして彼をアズカバンに送ったのは、他ならぬバーテミウス・クラウチ氏だったと記憶しています。恨みを持つには充分では?」
御互いが茶番と解り切っている応酬。
だがそれでも、この場でする事に僕は意味を感じており、そしてこの老人は僕にさせたくないと考えていた。だが横目で視界に入れているコーネリウス・ファッジ魔法大臣は、眼の前で行われている事態に着いて行けず、オロオロとした様子を見せるばかりだった。
「……では、アルバス・ダンブルドア。貴方は、シリウス・ブラックが現在ホグワーツ周辺に潜伏している事は決して有り得ないと御考えですか?」
「儂は根拠のない推測を口にする事は好まぬ」
「他ならぬ貴方の推測ならば、確実で無かろうとも大いに賭ける価値が有ると思いますがね。この国の魔法界で貴方より賢い人間など、数える程しか居ない筈ですから」
回答は返って来ず、そして僕はアルバス・ダンブルドアの性格を把握している。
この老人は居ないとは言わず、質問から逃げる事を選んだ。つまりは今現在、どうやらシリウス・ブラックは国内に居るようである。それも恐らく、ホグワーツから遠くない場所に。
去年の騒動の元凶であるのは確かなので、シリウス・ブラックとハリー・ポッターの関係性が余り宜しくない可能性も有ったが、そういう訳ではないらしい。
「──ちなみにですが、魔法大臣」
老人から視線を逸らして、魔法大臣へと視線を戻す。
たかが生徒の視線を前にして尚、彼はピクリと身体を震わせた。
「今の僕の見解は、去年と今年で同じ侵入手段が使われた事を前提としている。だが、仮に違うのであれば──
「アー、それは……その、子供に対して易々と話せる事では無い」
「……つまりは魔法省の機密だという事ですか?」
「あ、ああ。そう考えて貰って構わない」
歯切れ悪く回答を拒絶した大臣からは、何かを隠している気配は全く感じない。
彼の立場からすれば、ホグワーツ生に隠すべき重要事を
「……では、善良な一市民として聞きますが、僕からすれば、シリウス・ブラックがバーテミウス・クラウチ氏の失踪に関与した事を疑う証拠は揃っている。つまり去年と同様に、
「ステファ……スティーブン。儂はあの生き物がホグワーツに入る事を許可せぬ」
「貴方には聞いていませんよ、ホグワーツ校長。そしてホグワーツ内は無法地帯では無く、魔法省が施行した法律が当然及ぶ筈だ。故に僕は魔法大臣、この国の頂点に聞いています」
吸魂鬼嫌いのアルバス・ダンブルドアは僕の求めに不快さを隠そうとしなかったが、僕にとっては意外な事に、更に不快を隠さなかったのはアラスター・ムーディ教授だった。
だが、二人とも言葉を差し挟まず、魔法大臣の言葉を待った。
この場に居る三人の視線が一人へと向き、他から助けは得られず、問いからも逃げられないと悟った彼は渋々答えを口にした。
「残念ながら、それは出来ない」
……それは期待通りに、期待外れの答えだった。
「アー、君の言いたい事も理解出来る。しかし、去年吸魂鬼が生徒を襲おうとしたというのは我々にとって無視出来るものではないし、更にはブラックは吸魂鬼に警備されたホグワーツに侵入し、その上逃げおおせたのだ。要は遺憾ながら、彼等は役立たずだった訳だ」
「────」
「そして何より海外の高官には吸魂鬼を嫌う人間というのは少なくない。三校試合の結果を見る為に、第三の課題にはボーバトンやダームストラングからも客人が来る予定だ。だから、今のホグワーツは勿論、第三の課題の警備に吸魂鬼を充てるという事は決して出来ない」
「……要は今回、一番問題であるのは国際的な体面。それ故に第三の課題の警備に際しては吸魂鬼を使えないのであり、それ以上に大きな理由は無いという訳ですね」
「そ、それはどういう意味かね?」
「言葉通りの意味ですよ」
食い気味に問い掛けて来た大臣に微笑みかける。
解らないならばそれで良い。いや、良くはないが、納得はした。
「確かに世間的な評価を考えなかったのは僕の失態であり、吸魂鬼を入れれば良いというのは安直な発想でした。どうか御許し下さい」
「あ、ああ。納得してくれたのであれば……私は別に構わん」
頭を軽く下げるが、その寸前に老人が顔を歪めているのが見えた。
当然、僕は吸魂鬼を校内に入れられるか否かに余り関心が無かった。
現在の状況を動かしうる不確定要素が増えるのは歓迎だったが、駄目で元々。そして、真に知りたかった事は今の遣り取りで十分知れた。
あろうことか。
この魔法大臣は、
逆転時計によって時の流れを変える事は、必ずしも不可能ではない。
そもそもの話、時間が強力な復元力を持ち、時間旅行さえも歴史の一部であり、故に過去に戻った人間が如何なる行動をしようとも本来の歴史を変える事が出来ないというならば、究極、法律による逆転時計の規制は不要とすら言える。
時間を変える事自体が不可能ではないからこそ、その危険が歴史的に証明されてきたからこそ、逆転時計の使用は魔法法によって厳格に制限され、使用の際にも過去の人間に干渉してはならない等の様々な規則が設けられ、賢明なる魔法使いは使用自体を自制する。
要するに、〝シリウス・ブラックが生きている現在の歴史〟が最初から正しい歴史だったという保証は無く、彼が死んでいるのが本来の歴史だったという可能性は一切排除できない。
今現在時間の流れに歪みが生じていなかろうとも、ハリー・ポッターとハーマイオニー・グレンジャーが禁忌を犯したとみなす事は、本来在るべき歴史を変えたが故に処罰されるべきだとの主張は決して不合理ではないのだ。寧ろ魔法大臣は、法の擁護者として正しく彼等を処罰しなければならない。
バーテミウス・クラウチ氏の言葉が脳裏に蘇る。
『アルバス・ダンブルドア。彼こそが、我が国の歪みだった』
咎める視線を老人へと向ければ、彼は真正面から受けて立った。
心の接触を通して伝わって来るのは、コーネリウス・ファッジ魔法大臣は決して認めないし、信じもしないし、知れば間違いなく保身に走るだろうという主張。
けれども、それに対する僕の主張もまた解り切っている。本人の資質がどうであろうと、この国の頂点に対して通すべき道理が存在する筈だった。
シリウス・ブラックの逃亡幇助は歴とした違法行為だ。
冤罪囚だから逃がしても罪に問われないという法は、何処の国にも存在しない。私人の独断をもって、警察機関、裁判所、そして世間の安寧を乱す事は許されないからだ。
だがそれでも尚、
しかし、危機が去ってからも何ら後始末をしないというのであれば別の話だ。
どうせ信じないからという子供じみた理由で真実を語る口を閉ざし、シリウス・ブラックの
そうであれば、この老人が何れ魔法大臣──否、コーネリウス・ファッジという個人から大きなしっぺ返しを受けたとしても文句は言えない。アルバス・ダンブルドアが彼に対して信頼も忠誠も誠意も示さなかった以上、彼がそれらを返す義理も全く無いからだ。
そして今回の事件の厄介さも、この魔法大臣には伝わらない。
死喰い人の行進。闇の印。あれらが何故あの時生じたのかをシリウス・ブラックにしか関連付けられず、今回のバーテミウス・クラウチ氏の失踪についても、シリウス・ブラックを第一容疑者としか見れない。その裏にちらつく闇の帝王の影を見る事は出来ない。
「アルバス・ダンブルドア。これは僕の推測になりますが、魔法省高官にして三校試合の運営責任者の一人、そして審査員でもある彼が不可解な失踪を遂げた以上、貴方は今直ぐ三校対抗試合を中止すべきと主張したでしょうね」
「……そうじゃ」
重々しく発された返答に、何の驚きも感じなかった。感情自体が動かなかった。
「そして
わざわざ訂正した呼称に対して何らかの反応を示す事を多少期待したが、コーネリウス・ファッジ大臣は一切気にならないらしかった。僕の内心の変化を他所に、彼は小さく頷いた。
「……当然だ。確かにハリーの参加から始まり、良くない事が続き過ぎている。しかし、ここまで来て自国の都合で一方的に試合を中止しては、私は支持を喪ってしまう」
コーネリウス・ファッジ大臣が競技続行に固執するのは当然だ。
三大魔法学校対抗試合は三校の協力によって成立する国際的行事であり、一校の校長が中止を主張しようとも、他の二校の校長は現状中止の必要性までは感じていないだろう。バーテミウス・クラウチ氏にしても一応行方不明のままで、未だ死亡が確定した訳では無い。それにも拘わらず中止を強行すれば、各所から大きく非難を受けるのは眼に見えている。
何よりこの大臣にとっては、三百年振りに三大魔法学校対抗試合を復活させたという政治的功績は是が非でも欲しいのだろう。それをもってすぐさま支持率が上がる訳では無いが、その唯一無二の功績をもって歴史に美名を残す事は可能だからだ。
……無論、それはあくまで三校対抗試合が無事に終了すれば、だが。
「スティーブン。君はどちらが正しいか解っている筈じゃ」
良心に訴え掛けるような老人の言葉を僕は無視した。
解っている。アルバス・ダンブルドアが絶対的に正しい。
去年の夏から不可解な事だらけであり、しかしその中核に三大魔法学校対抗試合が有る可能性は非常に高い。特にバーテミウス・クラウチ氏は、三校試合の準備と運営に深く関与している面からも、今回ホグワーツに現れた事からしても、大きな鍵を握っている筈である。万全を期すのならば、今からでも形振り構わず問答無用で中止するのが〝正しい〟。
ただ、正しい事だけでは世の中で回らないし。
「既に手遅れだ。それは貴方が理解しているのでは?」
「…………」
アルバス・ダンブルドアは黙り込む。
唯一中止する機会が有ったとすれば、それは最初の時。四人目の代表選手の誕生という、大きな規則違反が露見した時だけだった。
炎のゴブレットの魔法契約を破った際に、どんな罰が降りかかるのかは解らない。
しかし、三校対抗試合の
つまりは当時の契約の強度は知れていた筈で、ハリー・ポッターが多少の悲劇と不幸に見舞われて聖マンゴ魔法疾患傷害病院にでも叩き込まれるのを許容するならば、
けれども、ハリー・ポッターは既に第一、第二の課題に参加してしまった。
三校対抗試合は代表選手のみが参加出来る祭事であり、逆に言えば彼が三大魔法学校対抗試合の中で戦ってしまった以上、彼は代表選手以外の何者でも無い。当然ながら、炎のゴブレットの拘束力は強化され、途中離脱は非常に困難となっているだろう。
「ハリー・ポッターのみを外せるというならば別です。ここまで来て彼を排除するのは生徒に不平不満は出るでしょうが、彼は本来居てはならない人間だ。道理は通っている。しかし魔法契約破棄の為に全てを中止しろというのは、最早道理が通らない」
中止出来たのは精々
それ以降は、既に止める選択肢など与えられていない。
「それとも、貴方が今からでも責任を取りますか?」
挑発の意思を籠めて、アルバス・ダンブルドアを真正面から睨みつける。
「年齢線を間違って未成年者を参加させ、バーテミウス・クラウチ氏は職務放棄し、今回彼の保護も失敗した。三校試合の課題や運営の秘密が漏れたのではないかという懸念も有りますし、国際的クィディッチ選手のビクトール・クラムが襲撃されたという醜聞も有る。校長の首一つが飛ぶ事に不自然さは全く有りませんし、それと引き換えであれば、問答無用での三校対抗試合の中止も能うでしょう」
炎のゴブレットの魔法契約さえどうにか出来るならば、僕の見た限り通ると思う。
オリンペ・マクシーム校長は既にハリー・ポッターに好意的であり、腕の印に戦々恐々とするイゴール・カルカロフはこの国をさっさと出たいと思っている筈だ。両校長共に、何が何でも最後まで三校対抗試合を完遂しなければならないとまでは考えておらず、本国への適当な口実──たとえばアルバス・ダンブルドアの失脚──さえ用意してやれば、普通に中止を飲むだろう。延期くらいならば余裕そうですらある。
彼等四人の決着を付けるにしても、必ず三校対抗試合の舞台でやらなければならないという道理は無い。彼等が
「──君は、今すぐ儂が辞めるべきだと言うのかね?」
「僕は貴方を辞めさせる権限を持つホグワーツ理事では有りません。彼等が何も言わないのであれば、貴方が校長である事に文句は無い。無論、心の中で思う事は別ですが」
コーネリウス・ファッジ大臣が魔法大臣という職に固執しているのは解り切った事だ。
今現在、世間での彼の支持率の低下は激しい。
去年はアズカバンから初の脱獄囚を出し、ホグワーツに吸魂鬼を入れながらも尚取り逃し、二年近く逃亡を許し続けている。そして今年はクィディッチ・ワールドカップという全世界の注目が集まる場において、死喰い人の行進と闇の印の打ち上げを許し、更にはハリー・ポッターを四人目の代表選手として参加させてしまった。
当然この国の魔法界の頂点に位置する彼は国内外問わず大きなバッシングを受けており、最早辞任も秒読みでは無いかと言われている。
全ての責任が彼に存在する訳でも無いし、客観的に見ても運が悪かったに過ぎないと思うのだが──民主主義の弊害として、彼の地位と指導力は民意によって担保される。それが無くなってしまえば彼は職を辞さねばならない。
わざわざバーテミウス・クラウチ氏の捜索に乗り出したのも人気取りの為に過ぎず、しかし今まで何の成果も上げられていない。そんな状況では彼が焦るのも当然であり、職にしがみつきたくもなるだろう。
しかしそれは、アルバス・ダンブルドアの方とて強くは言えないのではないだろうか。
三年前は闇の魔法使いの暗躍を意図して見逃して学期末にハリー・ポッターを医務室送りにし、二年前では四人の生徒と一人のゴーストを石化させた上でやはり学期末にハリー・ポッターを医務室送りにし、一年前はアズカバン脱獄犯の侵入と逃走を許したのみならず、教師として雇っていた狼人間を満月の晩に暴れさせた挙句に今度はロナルド・ウィーズリーを学期末に医務室送りにした。そして今年は先の通りである。
それにも拘わらず、アルバス・ダンブルドアは校長職を喪わず、一教授に降格すらしない。
二年前ルシウス・マルフォイ氏の脅迫に屈した負い目がある理事会を都合良く利用し、殆ど何の責任も取る事無く、その地位に留まり続けている。
この老人は、ホグワーツ校長という職に恋々としている。
闇の帝王への対抗の必要性という事情もあるだろう。だがそれ以上に彼にそうさせているのは、少なくとも僕には、彼が
・三大魔法学校対抗試合の途中中止
言及される(それが可能であるように描写される)のは恐らく映画のみ。但し映画ではその時点でクラウチの死が確定している。
・アズカバンの囚人の一件に関する原作中でのファッジの反応、認識等
ファッジが闇の帝王の復活を信じていない以上、シリウスの無罪についても信じて居ないのは確定(そもそもアズカバンから十人が脱獄した際も罪を押し付けている)だが、彼がどの程度事情を理解していたかは余り詳細には描写されていない。
原作中で特に関連するであろう部分は概ね以下の通り。
『「大臣、聞いてください。シリウス・ブラックは無実です。ピーター・ペティグリューは自分が死んだとみせかけたんです! 今夜、ピーターを見ました! 大臣、吸魂鬼にあれをやらせてはだめです。シリウスは──」
しかし、ファッジは微かに薄笑いを浮かべている。
「ハリー、ハリー。君は混乱している。あんなに恐ろしい試練を受けたのだし、横になりなさい。さあ、すべて我々が掌握しているのだから……」』
(三巻第二十一章。逆転時計前)
『「スネイプ、まあ無茶を言うな」ファッジだ。「ドアには鍵が掛かっていた。いま見た通り──」
「こいつらがヤツの逃亡に手を貸した。わかっているぞ!」
スネイプはハリーとハーマイオニーを指差し、喚いた。顔は歪み、口角泡を飛ばして叫んでいる。
「いい加減に静まらんか!」ファッジが大声を出した。「辻褄の合わんことを!」』
(三巻第二十一章。逆転時計後)
『「ハリーもハーマイオニーも同時に二カ所以上に存在することができるというなら別じゃが。これ以上二人を煩わすのは、何の意味もないと思うがの」
グラグラ煮えたぎらんばかりのスネイプは、その場に棒立ちになり、まずファッジを、そしてダンブルドアを睨みつけた。ファッジは、キレたスネイプに完全にショックを受けたようだったが、ダンブルドアはメガネの奥でキラキラと目を輝かせていた。スネイプはくるりと背中を向け、ローブをシュッと翻し、病室から嵐のように出ていった。
「あの男、どうも精神不安定じゃないかね」』
(同上)
『「ダンブルドア──この子は去年も学期末に、さんざんわけのわからん話をしていた──話がだんだん大げさになってくる。それなのにあなたは、まだそんな話を鵜呑みにしている」』
(四巻第三十六章)