この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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一話目。


歴史上最も邪悪な魔法使い

 三月になった。

 

 先月末デラクール姉妹によって持ち込まれた大問題については──少なくともスリザリン内部においては、だが──何とか収拾を付ける事は出来たのだろう。

 大騒動を巻き起こしてくれたガブリエルが帰った後、当然僕はすぐさまマルフォイの所に行って頭を下げたのだが、彼から返ってきた反応は「君が混ざり者と一時の火遊びをしているのは知っている。ただ君は自分がスリザリン生である事を最後には思い出すべきだし、そもそも純血の僕に不愉快な物を見せるのは余り感心しないね」という淡泊な物だった。

 

 当然ながら、その言葉を額面通りに受け取る事は決して出来ない。

 彼の発言は現状を一応許容するものであれ、自分の眼に見える所でやるなという非難でも有るし、仮にそのような真似を感知すれば次は無いという警告でも有る。

 加えて、彼は僕の庇護者として今回の件は叱責する正当性が存在していたにも拘わらず、敢えて黙認してみせる寛容と温情を示したのだ。つまりは単純に叱責されるよりも大きな債務を彼に対して負う羽目になったのであり、それを理解して尚、僕は再度頭を下げるしか無かったのだった。

 

 そして必然の帰結として次に向かったのは、フラー・デラクールの下である。

 ホグワーツ内で捕まえるよりもマシだろうと気が進まないながらもボーバトンの場所を再度訪れ、彼女に対しては次の旨を真正面から伝えた。スリザリンは純血主義の蔓延る寮であり、君が公の場で僕に近付いて来ると面倒な事になるから止めて欲しいと。

 そして、そのような明確な拒絶の言葉を聞いて尚近付いてくるような酔狂な人間など早々居ない筈であるから、僕は今回の件もそれで清算が終わったつもりで居た。

 

 しかし──どういう訳か、彼女はそれを他人に見られなければ構わないと解釈したらしい。

 前回のようにスリザリン寮内から呼び出すとか図書室で近付いて来るような真似は止め、僕を空き教室に連れ込む手口に変えたようだった。

 ……最初は一体何事かと思った物だ。

 廊下を歩いていると突然扉が開いて引き摺り込まれるのは余りにも怖過ぎる。

 

 勿論、僕としてはそれも止めて欲しかったのだが、僕をガブリエルと踊らせようとした時の危険な気配を滲まされては流石に引き下がるしかない。ボーバトンである彼女に取れる手段など然して無いだろうし、僕には思い付かないが、彼女が暴走したら何をしでかすか解らないのは身に染みている。

 

 そして確かに、見られないのであれば余り問題が無いというのもまた真理では有った。

 問答無用で接触を強要するフラーが──妹が名前呼びされている事に気付いた彼女は、自分もそう呼ぶように要求した。妹と同じく愛称呼びすら要求して来たが、その点に関しては妹共々流石に拒否した──してくる干渉は、意外と穏便な物だ。

 興味も無い世間話を一方的に捲し立てるのも、ベタベタ触られるのも、多少気が散るだけで本を読むのには支障は無かったし、どうせ後三か月程も我慢すれば彼女はホグワーツから立ち去ってくれるのだ。制御不可能な嵐は黙って過ぎ去るのを待つのが最善だった。

 

 校内の方は依然として平和な物だ。

 

 闇の魔法使いが陰謀を巡らせているとは思えない程に穏やかな物であり、あの水中人に関する法螺話も、あれだけフラーがやる気を出し、ガブリエルの方も楽し気に聞いていた割には、少なくとも僕の周りでは聞かなかった。やはり所詮は虚構と空想の産物であり、如何に適当な魔法使いでも真っ当に信じるような人間は居なかったという事だろう。

 廊下でも散々語られていた第一の課題と違い、第二の課題に関しての話題はピタリと止んでいたのが多少不思議だったが……まあ、ドラゴンと違って自分達が見てない水中の事だから自然な事ではあるのかもしれない。

 そして意外にも、一人だけ失敗したフラーに対する中傷も、同様に表向きには見て取れなかった。依然として彼女はボーバトンの女性陣で浮いて居ながらも、代表選手の中で一人失敗したにしては受け容れられているようだった。

 

 一つだけ異変が有ったとすれば、ハーマイオニーを取り巻く三角関係の記事が出た事か。

 

 しかし、それも僕の関心を左程惹くような事象では無かった。

 ミネルバ・マクゴナガル教授が表情にまでは出していなくとも内心非常に苛立っているらしい事を見てとり、しかし教授陣全体にそれ以上の動きが現れていないらしい事も把握すれば十分だ。つまりはシリウス・ブラックの時と明確に違う反応であり、あの老人の考えは容易に推察出来る。下世話な覗き屋は、やはり今回の大局に影響を及ぼす物では無いのだろう。

 

 その記事に最も強い反応を示したのは、案の定というべきか、某魔法薬学教授だ。

 授業内で御丁寧に全文を読み上げてくれるという暴挙を為した教授には流石に辟易したのだが、最大の関心事はその後にやってきた。即ち、イゴール・カルカロフの来訪であった。

 元死喰い人が確定しているという彼等の関係性からすれば、周りの眼に触れる所で、しかも授業に立ち入って来るという形で接触を図るという事は余程穏やかでは無い。

 

 つまりは彼等(元死喰い人)にとって無視出来ない何かが起こっていると考えるのが妥当であり──けれども、あの嫌味な教授は一々僕に事情を説明してくれる程に親切では無い。結局、彼等二人が接触した以上の事実を把握する事は出来ないと諦める、というよりも当然の事であろうと納得していたのだが、その予測は良い意味で外れた。

 

 翌週の魔法薬学の授業。

 その間に、スネイプ教授は一度、かつ一瞬だけ視線を僕と合わせた。

 

 僕が存在していないかのように振る舞う普段の教授からすれば、それだけでも酷く異例と言える。だが、僕を驚愕させたのは、教授がそれのみで終わらせなかった点だった。

 

 開心術、閉心術において視線を合わせるというのは元より重要な意味を持つ。

 その魔法的な技術は単に相手の思考や感情の揺れを読み取る事のみを意味せず、言うなれば心同士の接触に近しい行為である。そして教授は高い技量を持つ開心術士であり、僕の方にも少しばかり開心術の心得は多少あった。

 

 要するに御互い言葉を一切交わさずとも、最低限の情報を伝える程度は可能だという事だ。

 

 その日の放課後、僕は教授の要求通り、彼の研究室を訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 一応軽くノックした後、返答を待たずに扉を開ける。

 

 相も変わらず来訪者の気を滅入らせる、スネイプ教授個人の研究室。

 この場所はまずトーマス・エジソン以降の〝マグル〟界の明るさという物を見習うべきだが、魔法薬やその材料には光が悪影響となる代物も少なくないし、何よりこの部屋の主は現状で満足しているのだろう。

 壁を埋め突くす程の背の高い棚、そこに規則正しく並べられた数多くの薬瓶、机に広げられている書きかけの羊皮紙、机の上で煮えているフラスコと大鍋。彼が教職である以上に真理の探究者である事が解る部屋であり、そして確かに、最も教授(Professor)らしい部屋と言われて思い浮かべるのはこの部屋で有った。

 

 その部屋の片隅で、教授は薬品の整理をしていたらしい。

 彼は僕の無礼な来訪にも一切表情を動かす事は無かったし、そしてまた一瞥すらしなかった。軽く鼻を鳴らすだけの反応をした後、薬棚に向かって杖を振る。その教授の意図に従うように一本の薬瓶が宙に浮きあがり、教授の手元に飛んで行った。

 

「──まさか貴方から誘いを受けるとは思いませんでしたよ」

 

 薬瓶を危なげなく受け止めた教授に挑発の言葉を掛ければ、何時も通りの気取った、粘着いた声が返って来る。視線が無くても、その全身から僕への嫌悪が滲んでいた。

 

「我輩とて余り望ましくは無いのは言うまでも無い。しかし、今年の君は去年と違って随分と涙ぐましい努力を、それも傍目から見ていて哀れになる程の見当違いの努力をしている。であるからして、我輩も少しばかり手を貸してやろうと思ったまでよ」

「随分と笑わせる台詞を言った物ですね。スリザリン的である貴方が、そんな教師らしい善意を発揮する筈も無いでしょう。貴方にも意図が有る筈だ」

「当然有るとも。それが何か問題が有るかね?」

 

 心外だと言うように、ねっとりと疑問が紡がれる。

 

「それに、たとえ我輩に目的が有ったとしても君への助力である事に違いない。君が拘るスリザリン的な主義からしても、当然肯定される行いである。同胞愛は我等が愛すべき寮の奉ずる徳目であり、〝身内〟には少々甘くなる物だ」

 

 ……僕を身内などと思っていないだろうに、本当に良く言う物だ。

 

「そしてこのような場合、我輩を何と呼ぶべきか解らないかね。なあ、レッドフィールド( スリザリン生 )?」

「スネイプ()()。僕が貴方を呼ぶにはそれで十分でしょう?」

「相変わらず敬意に欠けた生意気な小僧よ。それでこそ、君だと言うべきでは有るが」

 

 ()()はやはり僕を見なかった。

 そして僕もそのような親密さを期待していなかった。

 

 冷え冷えとした部屋の中で御互い一切視線を交わす事は無く──けれども、僕個人の感想を言えば、この教授の態度は非常に付き合いやすい物だ。感情や気分では無く、利益と理屈によって支配されている会話は心地良くすら有った。

 

 解り切っていた事だが、教授は椅子を用意してくれるような親切さを発揮してはくれない。ただ、僕をわざわざ呼び付けた教授との話し合いが、短時間で済むとは思っていなかった。だから、僕は適当に研究室の壁にもたれかかって腕組みをする。礼儀も何も有った物では無いが、教授はこちらに視線を寄越さないままに軽く眉を顰めただけだった。

 

 ただ一つだけ、教授は今までの行動と違う動作を取った。

 すなわち、教授は薬棚から杖先を逸らし、僕が入って来た扉、或いは部屋自体へと杖を向けて振った。その際、教授がマフリアートと呟いているのが耳に入る。

 

「嗚呼、これは防諜の呪文だ」

 

 一応僕の視線を気にしたのか、教授はそう補足する。

 

「どう考えても、君との話は他人に聞かれて愉快になれる筈が無いのでな。特に今年の君は他人に盗み聞きされる才能を発揮しているようだ。用心をするに越した事は無い」

「……スリザリン談話室での事を言っているのですか?」

「いや、それとはまた別の一件だ。君自身は重要だと考えずとも、他が同じく考えるとは限らない。特に君は今年に入って、より目立つようになった。周りにはもっと気を付ける事だ」

 

 言葉の裏側には明確な嘲りが含まれていた。

 忠告というよりも警告であり、しかしやはり教授にとって全く関心が無い事なのだろう。僕の皮肉の応酬を待つ事なく、言葉を続ける。

 

「クリスマスは、君にしては相当派手に動いたな」

 

 教授は、手元の薬瓶の中身を検分するように軽く杖で叩いていた。

 

「嗚呼、学生らしいと言えば学生らしい行いである。しかし、あれが君の目的に何か影響を齎したとか、状況を変えたとは全く思えないが? 正直、最初我輩は耳を疑った物だ、君が無意味に思える行いに、あんなにも労力を費やすとは思ってもみなかったのでね」

「……全面的に否定はしません。けれども、ああして動かなければ、フラーにもオリンペ・マクシーム校長に接触する事は出来なかったでしょう」

「我輩はそれが無意味に思えると言った筈だが? 学生風情が探偵ごっこをした所で限度が知れているという当然の事を今更言うつもりは無い。しかし、ボーバトンに近付くにしても、もっと賢い手段が有ったのではないかね?」

 

 ……相変わらず、的確に急所を抉ってくれる。

 

「君は最低限確認出来れば、それで満足出来た筈だ。服従の呪文を筆頭に、本気で潜伏した闇の魔法使いというのは一、二度の接触で簡単に炙り出せる物では無いからな。故にあのような手段を取ったのは、単にそれが自身の〝美学〟に合致する物で有ったからであろう?」

「……それが事実だったとして、何か貴方に問題でも?」

「全く無いとも。しかし、やはり君は我輩では無いという事を確認出来たという点で意味が有ったからな。少なくとも、あのような危険な真似は我輩には出来ない」

「スリザリンらしくなかったと?」

「いや、スリザリン過ぎたからこそ言っている」

 

 教授は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 気のせいではなく、その言葉を紡ぐ言葉には先程より力と熱が籠っていた。

 

「しかも、我輩達に通常許される類の遣り口では無い。為すべき行動方針だけを定め、しかし己に降りかかる面倒を能力有る他人に全て丸投げする。これがどんな人種の遣り口で有るかは、スリザリンである君に言う必要はあるまい?」

 

 ……嗚呼、言われてみれば。

 あのような行為は、貴族(一流の純血)の遣り口だった。

 

「……領分を超えたと思いますか?」

「厚顔無恥に言う物だ。君の本質はそれを問題視しないだろうに」

「…………」

「だが、安心したまえ。貴族は互いに利用し合う存在だ。そして君の関与が全く無かったのであれば、たとえ同じ状況を聖二十八族だけが作ったとしてもダンブルドアは決して頷かなかっただろう。君も理解している通り、あの校長閣下は好き嫌いが激しい」

 

 領分を超えたとすれば、と教授は続けた。

 

「ナルシッサを指定した点は明確に線を踏んだな。あの意図は何処に有った?」

「……ルシウス・マルフォイ氏は確実に死喰い人でしょう。しかし、夫人は不明確であり──ベラトリクス・レストレンジの事は一応念頭に在りましたが──彼女からの提案の方が老人としても受け容れやすいだろうと考えたまでです」

「間違いだったとまでは言わん。彼女は確かに死喰い人では無い」

 

 スネイプ教授は仏頂面のまま認めた。

 

「しかし、君は去年ダンブルドアがルシウスを学校に入れた事を忘れているし、何より、上位者の行動を下位者が制約するような真似はすべきではない。たとえそれが結果的に正しいと思えたとしても、だ」

「…………」

 

 返答はしなかった。

 けれども、僕は教授の言葉に理が有ると感じたし、そして教授にも伝わった筈だった。

 

 恐らく、あのクリスマスの一件は、ホグワーツ生の、しかも純血ではない者の不作法だったからこそ見逃されたに過ぎないのだろう。

 彼等とて一度で怒りを示す程に狭量では無いだろうが、それでも何度も許してくれる程鷹揚でも無い筈だ。直接警告が飛んで来なかったのは寛容を示す物か、或いはそれを察せない愚か者は直ぐに切られる事を示す物なのか。

 何れにしても、今後気を付けるべき類の危険な行為だったのは違いなかった。……と言っても、あのような真似をする事は無いだろうが。

 

「ただ」

 

 僕の意識を向けさせるように、教授は強調する。

 

「聖二十八族にとってあの昼食会が非常に好都合だったのは確かだった」

「……あの後に僕の方に文句が来なかったのでそれは心配していませんでしたが、彼女達も利益が得られたのは確かなのですね」

 

 あの日の夫人の苦労を思えばその報酬は当然与えられて然るべきであり、実際、スネイプ教授は普段よりも大きく──普通の人間と比較すれば極小さく──頷いた。

 

「何時もと違い魔法大臣を始めとして高官を呼べはしなかったが、逆に下から噂となって広く伝わったようだ。何故招待してくれなかったという文句と共に、今夏は是非呼んで欲しいと各方面から声が掛かったようだ。イースター休暇の予定も埋まっていると聞く」

「……それは結構な事ですが。しかしまあ、貴族達は自身が呼ばれない事を嫌うというのは本当のようですね」

 

 あの惨状を見るに彼等は来なくて正解だった──逆に不平不満が出たに違いない──と思うが、それはまた別の話なのだろう。

 

 そして、クリスマスの昼食会で思い出した事が有る。

 

「そう言えば、あの夜僕はホグズミードで酔い潰された訳ですが、それからスリザリン寮に僕を連れ帰ってくれたのは──」

「──それは」

 

 スネイプ教授は、最後まで僕に言葉を紡がせなかった。

 

「我輩の一切関知する所では無い。我輩が君の事を気にするような親切な人間だと思って居るのかね? 要領が良過ぎる君に対して余計な心配をする程、愚かなつもりは無い」

「……まあ、そうでしょうね。何の利益も義理も無く、貴方が僕を救う事は有り得ない」

 

 結局、アレは幻覚だったのだろう。

 しかし、そうなると僕が心の奥底では、この教授を良い大人として信頼していたという事になってしまう。それはそれで嫌な話だが、一応、スネイプ教授が僕をわざわざ探しに来るなどという事実が有る方が不気味であり、恐怖を抱くに足る物だった。

 

「だが、気をつけたまえ。君は意外と不用意な所が有るようだ。特に、自身の関心が無い分野や領域に引き摺り込まれると弱い傾向が強い」

「……誰だってそうでは? 知らない事はどうしようも無いでしょう」

「極端過ぎると言っているのだ」

 

 珍しく、その言葉には真摯な響きが含まれていた。

 

「君はそれらについては無知と無干渉のままで良いと思っている。世の中は全てが冷淡で距離が有るように見えて、その実、御互いが複雑かつ密接に関心と関連を有している物だ。何の予兆も無く突然爆発するという事は無い。必ずや伏線と因果が有る。先週についても──」

「……先週?」

 

 教授は突然、口を噤んだ。

 明らかに自身が不用意な事を口走ってしまったという反応だった。

 

「イゴール・カルカロフ、では無さそうですね。嗚呼、そちらで無いとすれば、貴方がハーマイオニー・グレンジャーについての記事を朗読してくれた事ですか」

「…………」

 

 教授の苦々しげな反応からすれば正解らしい。

 正直何故正解なのかまでは掴めなかったが、けれども突く隙としては十分だった。

 

「アレはまさか僕が知らないと思っていたから、わざわざ読み聞かせてくれていた訳ですか? 確かに初耳では有りましたが、あの記事の内容は僕の心を揺らがす物では有りませんでしたし、貴方の行為を止めるような出過ぎた真似もしませんよ」

 

 去年の末の出来事が無ければ、明確に非難したかもしれない。

 けれども、僕は教授の心に開心術という直接的過ぎる手段をもって立ち入ってしまった。

 

 彼が最も憎悪をぶつけたいジェームズ・ポッターも、自分の愚行を止めてくれるリリー・エバンズも、その何れも、この世界には既に居ない。それを理解してしまったからこそ、如何に教授として相応しくない振る舞いをスネイプ教授がしようとも、そのような自傷行為を止める気が失せてしまっている。仮に僕が止めると考えていたのならば、勘違いも甚だしい。

 

 だが、それを一々教授に伝えてあげる程に僕は親切では無いし、何より僕達の関係からすれば、もっと相応しい言葉が有る。

 

「『週刊魔女』を手に、一文一文を抑揚と感情を込めて読み上げる貴方の姿は、随分とまあ楽しそうでした。それを見ていて、僕が何を思い出していたかを御教えしましょうか?」

「……言わんで良い」

「ならば敢えて言いますが。ギルデロイ・ロックハートを思い出していましたよ」

 

 瞬間、激烈なまでの拒絶反応と共に教授は顔を大きく歪めた。

 教授の神経を逆撫でしまくったあの男の記憶は彼にとって未だに鮮烈な物であるらしく、それ故に、僕は当然言葉を続けた。

 

「彼がチャーミング・スマイル賞を受賞した時の記事を読み聞かせてくれる時は、まさにあのような感じでした。その上覚える位に何度も聞かされた事から考えれば、しかも五連続受賞なので五通りの読み聞かせが有った事を思えば、一度で済んだのは楽な物です」

 

 アレももう二年前か。

 正直、懐かしくすら思える。

 

 あの時はバジリスクという明確な死の脅威であり、ハーマイオニーへの直接的な危険としては今年よりも高かった筈なのだが──今年よりも雰囲気が明るかったような気がしてならないのは何故だろう。あれでも道化として役立っていたという事なのだろうか。

 

「嗚呼、貴方が懸念しているかも知れないから言っておきますが、リータ・スキーターを止める気は有りませんよ。彼女はあのような下世話な記事に打ちのめされる程弱くは無いですし、寧ろ逆に発奮する類の女性です」

 

 実際に覗き見た様子からみても間違いなく、彼女はリータ・スキーターへの復讐を画策しているし、その手段が無いかを探っている。特に、あの記事は非常に個人的な内容のように思えた。如何なる手段を使ったにせよ、それが真っ当な形で聞かれた物では無いだろう。

 

 捻じり曲がった黒い薬草の入った薬瓶を手に静止し、しかし中身を確認している風でもない不思議な反応を示している教授に対して、僕は質問を投げ掛ける。

 

「一応貴方にも聞いておきますが、彼女は死喰い人では無いでしょう? 貴方には近付こうとしませんでしたし、悪の側に振れる程に彼女に勇気が有るとは思えない」

「……確かに、アレも死喰い人では無い。勿論、我輩が知る限りでは有るが」

 

 我に返ったらしい教授は、作業を再開する。杖を振り、薬瓶は棚へと戻った。

 

 その回答が留保付きであるのは、ピーター・ペティグリューの事が念頭にあるからだろうが、その点を僕は余り気にしていない。教授の過去の経験からの言葉は、僕の主観よりは明らかに信頼出来るからだ。

 

「その割に彼女はマルフォイ家と繋がりが有る訳ですが……まあ、一応貴方と違ってルシウス・マルフォイ氏の方は疑惑止まりですからね。とはいえ、僕から見れば自分を誤魔化しているだけに過ぎないように見えますけど」

 

 スネイプ教授はダンブルドアに身元を保証されたが故にアズカバンに行く事は無かったが、それは教授が死喰い人では無かった事を理由とする物では無い。一方でルシウス・マルフォイ氏は裁判を経た結果として無罪である。

 両者は法的に白であるのは同じでも、裁判上確定した事実として黒と白の違いが有る。

 

 ただ、どちらが光の陣営として信頼出来るかもまた言うまでも無いが。

 

 懸念事項が一つ完全に片付いた。

 そう満足していた僕に対して、教授は不思議な視線を寄越した。その深い漆黒の瞳の中には、何時も通り感情は読み取れないが、少なくとも敵意は存在しないように思えた。

 

「──しかし、君は、お前はそのような人間だったな」

 

 その言葉が帯びるのは納得では無く、呆れに近いようだった。

 

「成程、お前がデラクールを平気で近付けていられる訳だ。そのような人間であるからこそ、デラクールが近付いているのかもしれんが。だが、女という生き物は周りを良く見ている物だ。特に、こちらを全く見ていないように思える時というのが一番信頼出来ない」

「教授が性差別的な事を言うのですか?」

「我々に差異が有る事を否定は出来んだろう。そもそも、先の言葉に対してそのような揚げ足取りをしている時点で、君は無知と不理解である事を甘受している」

 

 教授は失笑を隠さない。

 

「貴方とて、女性について語れる程、華が有る学生生活を送った訳では無いでしょうに」

「少なくとも我輩は、君よりも真っ当な形でリリーと関係を築いていたつもりだ。最後に我輩が間違い、それが壊れたとしてもだ」

「…………」

 

 僕に反論を許さなかったのは、教授の口からその名前が出たからだけではない。

 こちらに視線どころか顔を向けておらずとも尚はっきりと見て取れる程に、物懐かしく過去を映している漆黒の瞳を覗く事が出来たからだ。

 だが、それも泡沫であったように直ぐに消えて行った。

 

「──本題に入らないで良いのかね? 御互い無限に時間が有るという訳では無い。そして我輩の助力を拒絶する程に君が気高く居られるというのであれば、それは一向に構わないが」

「…………」

 

 その言葉で、漸く教授の誘いに乗った理由を思い出す。

 今回の接触が僕に対する嫌がらせなのは殆ど確実だ。教授には利益が無く、僕に利益が有り過ぎる。恩を着せ過ぎており、それを僕が最も嫌う事を熟知している。

 だが、それでも僕に乗らない選択肢は無いのだ。

 

「では単刀直入に聞きますが。今回の〝犯人〟は一体誰なのです?」

 

 

 

 

 

 

 僕の問いに首を少し回して、教授は視線を返す。

 

「君に答えられるのはこれだけだ。我輩は知らん」

 

 ほんの数秒、教授は視線を合わせ、再度逸らした。

 それでも、言葉に一切嘘偽りが無いのを理解するには十分だった。

 

 教授は自身がまたもや作業を止めていた事に気付いたのか。杖を二度振り、手元の薬瓶を入れ替えた。そして机上に置かれた小さな白色の灯りに翳し、手元を動かしながら品質を見分しつつ、けれども同時に会話を打ち切る気は無いらしかった。

 

「君は何処まで今回の事件を把握している? いや、こう言おう。君にとって最も不可解で、我輩に問い質したいのは一体どの部分だ?」

「……クィディッチ・ワールドカップの闇の印です」

「だろうな。君はそこに引っ掛かるだろうと思っていた」

 

 見抜かれた事に良い気はしないが、教授ならば当然だという感覚も同時に有った。

 

「ポッターが三大魔法学校対抗試合の代表選手となっただけならば、君にとって物事は簡単だったに違いない。君はその裏に闇の帝王が居る可能性が非常に高いと判断して行動した筈だ。何せ、君は去年ピーター・ペティグリューが逃げた事を知っている。その二つを結び付けるのは至極自然な発想と言える」

 

 ……教授がシリウス・ブラックと言わなかったのは、教授なりに去年の出来事を整理し、失敗を受け止めているからだろうか。それとも、僕の認識をそのまま述べただけなのだろうか。

 相変わらず内心を覗かせないままに、彼は淡々と言葉を続ける。

 

「しかし、闇の印が上がった。いや、それだけならば、やはり君は当然にその事実を素直に受け取ったかもしれない。だが、アレは死喰い人の行進に対して打ち上げられた物であり、それを見た死喰い人は残らず逃走してしまった」

「……ええ、不可解でしたよ、本当に。あれで闇の印の意図が一気に解らなくなった。せめてどちらかで有れば、これほどまでも悩まずに済んだでしょう」

 

 あの印を何処に位置付けるべきか解らないからこそ、今年は不気味なのだ。

 

「世間の認識では闇の帝王は死人のままです」

 

 ハリー・ポッター達、或いは僕達にとっては違うが、表向きにはそうだ。

 

「そして死人が生き返らないというのは魔法界の常識です。『三人兄弟の物語』という御伽噺の影響も有りますが、歴史を見ても死人が復活した前例は一度も無い。賢者の石やユニコーンの血などで人を死ににくくは出来ても、死人を完全に復活させる事は理論自体が存在しない」

 

 人の魂はまだ魔法の手の届く領域に在るが、死後の世界は完全に範囲外である。

 

 神秘部に存在すると噂されるヴェール。

 この国の魔法省が出来た1707年時点には既に存在し、そもそも何時から在るのか、何処から来たのかも不明な神秘中の神秘。セストラルと同様に死を識る者だけが視認する事が出来る可能な、世界と世界の狭間。その先から〝人〟を取り戻す手段は、未だに手掛かりすら見つかっていないと言われている。

 

 魔法で出来るのは自由意志の無い亡者を作り出す所まで。

 それでさえ、蘇りの石くらいの伝説的魔法具を使わねば難しいと出来ないと言われ続け、先の魔法戦争で闇の帝王が指揮して衆目に晒すまでは、そのような事は不可能に近いと考えられていた。しかしそれでも、学者の認識が一致するような理論の支柱は確かに有った。

 

 一方で、死者蘇生は理論すら無い。

 法螺話や伝説以上の、魔法的に実現出来るような理屈すらも見つかっていない。

 だからこそ、魔法界の人間達は闇の帝王を未だに恐れながらも、彼が帰ってくる事は決して無いと考えている。闇の帝王が勝利目前で失墜し、その後は何事も無く十四年の平和が続いた以上、未だに名前を呼べない世間一般でさえも、殆どがそう信じ切っている。

 

「ただ、僕達はそれが間違いであるという事を知っている。死者蘇生は問題とならず、クィリナス・クィレル教授を通じて、闇の帝王は生存していたという事実を認識している。もっとも、あの老人は学期末に馬鹿な加点をする以外は表に出しませんでしたがね」

「我輩達には理解出来ない深謀遠慮が校長には有られるのだろう」

「そう思うのならもっと心を籠めて言って欲しい物ですね」

 

 教授の皮肉をわざわざ聞くまでも無く、スリザリンの認識は元から一致していた。

 

「何にせよ、闇の帝王が生存しており、且つ復活しつつあるという情報は表沙汰になっていない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、最低でも世間は知らない。そうであれば──現時点で闇の印を打ち上げる利益というのが全く無い」

 

 秘密裏に、自由のままに動ける状況に居るのだ。

 それなのに、十三年振りの印を掲げて自分の存在をわざわざ誇示する理由が存在しない。

 

「大々的な事件を起こし、自身の復活を宣言するのならばまだ解りますよ。ただ、あの事件で死人は出ていない。まして、闇の印を打ち上げる側である筈の死喰い人が、その印を見て何故か残らず逃げ出すというオマケ付きです」

 

 そこまで言って、教授の方に視線を向ける。

 

「一応聞いておきたいのですが、あれは本物の死喰い人ですか? 仮に偽物であったのならば、闇の印を見て逃げ出すのは自然にはなりますが」

「我輩はやはり答えを口には出来ん。しかし、これだけは言える。闇の帝王が残された恐怖は、たかが十三年如きで偽物を産み出す程に生温くは無い」

「成程」

 

 それは偽物が利用するのも好都合であるという事を意味するのだが、これが教授の──元死喰い人であり、今も死喰い人達と繋がりを持つ人間の──発言である以上、その発言の内容は素直に受け取るべきだった。

 

「となれば、余計に解らなくなってしまう。逃げ出した死喰い人達が上げる筈も無い。如何に不忠者の彼等が気に入らずとも、闇の帝王も怒りを示す為だけに上げないでしょう。では、一体誰が闇の印を打ち上げたというのです?」

「そこで我輩を見られても困るが。我輩は知らん。嗚呼、もう少し解りやすく言ってやろう。我輩の周りにも知っている者は居ない」

「それは先週来訪してきたイゴール・カルカロフを指す物では無さそうですね」

 

 無言は肯定の証だった。

 

「では、闇の印が偽物だという線は? 全く同じ魔法を使う事は出来なくとも、似たような魔法を作る事は出来そうな物です。言ってみれば、所詮は動く絵図ですから」

「……まあ、不可能では無いな。奇しくも君が先程話題に出した男が学生時代に、ホグワーツの校庭に自身の顔を打ち上げてくれた。あれが何を参考にしたかなど、誰が見ても解る」

「…………本当に良く殺されませんでしたね。今の時代とは違うでしょう」

 

 遺族からも、死喰い人達からも。

 ギルデロイ・ロックハートが無神経だったのは学生時代からだったらしい。

 

「技量は知れていたから然して似てもいなかった上、あの男の馬鹿さは広く知られていたから、死喰い人も殺すような価値を見出さなかった。そして、今までの話を聞いたにも拘わらず、まさか君の口からあれを偽物だと疑うような台詞が出て来るとは思わなかったが?」

「……そうですね。貴方の発言から、その答えは自動的に導かれてしまう」

 

 偽物であったのならば、死喰い人達は逃げていない。

 

「ならば、誰が打ち上げたかは解らないのですか? 偽物を打ち上げられては困るのは戦争時も変わらなかったでしょうし、何らかの暗号が仕込まれていても不思議では無いと思いますが。少なくとも、僕なら絶対にそうします」

「我輩としてもそれが妥当だと考えるし、有り得ないと否定する材料は無い。しかし、それは君が考える以上に困難だという事を認識すべきだ」

 

 詰まらなそうに言った後、教授は僕を一瞥する。

 そして自然な動作でもって、利き腕に持った杖を僕へと振った。

 

「ステューピファイ」

「プロテゴ。……一体何の真似です?」

 

 僕が防いだ事に不満げに鼻を鳴らした教授は、しかし更に追い討ちを掛ける気は無いらしい。教授に杖を向けたままの僕を気にした風も無く、あっさりと再度薬棚へと向き直る。

 

「反応がまだ遅いな」

 

 一瞬前に不意打ちで呪文を放った者らしい、傲慢過ぎる批評だった。

 

「我輩が本気で杖を抜いたのであれば、君は無様に失神していた筈だ。そして、せめてその程度の盾は無言で作ってみせたまえ」

「……無茶を仰る。無言呪文は六年の範囲ですよ」

 

 二年先取りで使えるようにしておけというのは無茶が過ぎる。

 

「そして貴方は杖捌きを確かめる為にこのような真似をしたという訳では無いでしょう?」

「まあ、そうだ」

 

 杖を仕舞えという視線に、僕も大人しく従う。

 

「何の呪文を使ったか、そもそも魔法が使われたか否かを判別するのは難しくは無い。但し、魔法を見ただけで、それが誰によって使用されたかを判別するのは非常に困難だ。君が今見たのは失神呪文だったが、これが武装解除呪文(エクスペリアームズ)でも同様、呪文は精々光線だ。守護霊でもない限り、呪文に個性は現れ難い」

 

 先程の呪文の意図は解ったが、それでも人に向けて放つ必要は無かっただろう。

 そんな僕の抗議の視線を無視して、教授は説明を続ける。

 

「必然、術者を識別するのは困難を極める。さながら羊皮紙に一本の線を引いただけで、誰によって書かれたかを判別するような物だ。線がどの位真っ直ぐか、筆圧がどの程度かで人物を特定するのが無理なのは想像が付くだろう」

「……しかし、場合によっては誰が呪文を放ったか解ると聞いた事が有りますが」

「それは杖の振り方や身体の動き等で判別しているのが殆どだ。特に優れた決闘士はその技能を持っている。相手の癖や小さな動作、呪文の選択の仕方から先を読み、相手を打ち倒す必要が有るからな。その副作用として、誰かに変身していようとも本人を見抜く事は可能だ」

「嗚呼、成程。線自体から誰であるかは解らなくとも、その線の引き方によって人物を特定する事は出来るという事ですか」

 

 利き手の動かし方、反対側の手の位置、羊皮紙から紙の距離など。

 線を一本引くにしても、人間によって千差万別だ。それと同様に、呪文自体に特徴は左程現れなくとも、呪文の使い方によって誰かは解り得るというのは納得出来る理屈では有る。

 

「ただ、当然御理解頂いていると思いますが、闇の印は絵ですよ」

 

 後回しにした追及をすれば、教授は解っていると頷いた。

 

「然り。だが、呪文を放つ際に要求される基本事項を、君は重々承知しているだろう?」

「……杖の動作(wand movement)呪文の発音(incantation)集中力(concentration)、そして意図(intention)

「概ねその通りだ。そして、同じ呪文を扱う場合、通常それらは術者が違おうとも原則的に重なるし、それら無しには呪文は正確に発現しないと君達は散々教わった筈だ」

 

 もっとも所詮原則に過ぎず、杖無し呪文のように、前二つは術者次第では不要である。

 しかしその例外の場合でも省略出来ない後二つこそが、今回では問題なのだろう。

 

「無論、集中力や意図の部分に個性は出る。人の心が同じでない以上、それは出ざるを得ない。が、個性によって許容される誤差を離れ、同じ杖の振り方と同じ詠唱でもって、殆ど同じだが細部を異なる呪文を意図的に描かせるというのはやはり困難である」

 

 不可能とは言わないがな、と続ける。

 

「そういう訳で、死喰い人同士では闇の印だけを見て判別する事は出来ないと考えたまえ。そもそも、誰が打ち上げたかを知る必要が有る場合というのがまず無いからな。あれは味方同士の連絡手段では無く、敵に対する犯行声明なのだから」

「……ならば、やはり誰が使ったかは誰にも解らないのですね」

「君は結論を急ぐ傾向に有るな。この四年間で解っては居た事だが」

 

 スネイプ教授は、冷ややかな眼を僕に向けた。

 

「死喰い人同士では不要であり、不可能である。しかし、本物を確実に見抜く必要が有る人物が一人だけ居る。尚且つその人物は、杖の動作と詠唱を殆ど同じにしながら自壊しない程の精緻な魔法式を構築し、呪文を教える際にはその細部を変えた呪文を教え、他人の意図や集中力に干渉出来そうですら有る」

 

 そこまで言及されれば、流石に誰かは解るものだ。

 その条件を満たす者など、今の世界に唯一人しか存在していない。

 

「──闇の帝王」

「そうだ」

 

 僕の回答に、教授は重々しく頷いた。

 

「と言っても、我輩の推測が正しいとは限らん。闇の印の呪文は全て同じで、一切変わらないのかも知れぬ。単に帝王が死喰い人個々人の癖や個性を正確に把握しており、線の引き方だけで誰かを当てられる程魔法を熟知しているのだとしても、我輩は何ら驚かん」

「……確かに、同じ闇の印を想像するにしても複写機のように完全一致する訳でも無し。加えて絵の描き方にも個性が有る為に、必然の帰結として闇の印には細部の違いも出そうな物ですが──そこまで行けばもう何でも有りでしょう」

「そう思えてしまうのが、我等が主君なのだ」

 

 断言する教授の表情には、やはり畏怖と恐怖が覗いている。

 

「グリフィンドールの馬鹿共は、聖二十八族が単に闇の帝王の思想に共感したから従属したのだと安易に考えている。確かにそれは否定しない。帝王は暗い魅力を御持ちだった。しかし、更に大きな理由は、闇の帝王がそれを可能な力を持っていたからだ。特にスリザリンは──」

「──勝つ為には手段を選ばない。そしてその手段には相手側に寝返る事も当然入る」

 

 クィディッチのようなスポーツでは許されないが。

 命の懸った戦争において、その行いは批難される物では無い。

 

「理解しているようで結構。60年代において、アルバス・ダンブルドアは依然として偉大だった。いずれ寿命が来るにしても、それはまだまだ先だった。特に強大な魔法使いはその魔法力でもって、何の魔道具や魔法薬の援けも無しに長生きする傾向が有る」

「……しかも、今の年になっても尚、最強の座は殆ど揺らいでなさそうですからね」

 

 全盛より衰えていようが、三十年前は更に強力だった事だろう。

 

「半世紀を残しながら今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ばれた存在は、同時に今世紀中は最も強い魔法使いである事だろうと予想されていた。どんなに気に入らずとも、聖二十八族は頭を下げる事も出来る。実際、グリンデルバルド期の基本方針はそうだった」

「しかし、それに戦争を仕掛け、打ち勝てる程の魔法使いが現れた訳ですか」

 

 聖二十八族と言われる家系、それも国内に限れば断絶した家系は多い。

 だが、それを考えても、前大戦期で家としてアルバス・ダンブルドアに明確に味方した聖二十八族は、僕が知る限りではプルウェット、ロングボトム程度。

 一応別路線を取ったバーテミウス・クラウチ氏が居るが、それにしたって有名所の純血達は──聖二十八族という枠組みが恣意的だとしても、彼等が旧家である事は揺らがない──軒並みあの老人を支持しなかった。

 

 自分の命が惜しかったし、そしてまた純血主義者である闇の帝王ならば自分達を殺す事は無いという考えも有ったのだろう。

 けれども、あの老人が絶対に勝つと考えていたならば、身の程知らずの馬鹿が現れたという認識であったのならば、やはりアルバス・ダンブルドアを支持する位はして良い筈だった。実際、シリウス・ブラックは家の異端者(グリフィンドール)であれど帝王の支配に反抗し──しかしそのような存在は彼一人でしかない。他は第一次魔法戦争において傍観を、消極的でながらも闇の帝王への支持を選択した。

 

 結果として闇の帝王はアルバス・ダンブルドアの御膝元で十年以上戦い抜き、魔法族非魔法族の区別無く、数多くの人間を殺し続けた。そして最終的に闇の帝王を止めたのは〝生き残った男の子〟という奇跡だった。

 

「君は闇の帝王を見た事は無いだろう。しかし、ダンブルドアは当然その眼で見ている。しかも君は、今ホグワーツに居る誰よりも正確にダンブルドアの実力を把握している筈だ」

「…………」

 

 ホグワーツの誰よりもかは知らないが。

 僕が百年どころか千年人生を積み上げようとも、あの領域に達する事は決して無いというのは十分に理解している。僕と違い、彼は間違いなく神に愛されている。

 そして、闇の帝王も同様、いやそれ以上か。このセブルス・スネイプ教授──僕が知る中でも闇の魔術に最も精通する魔法使いが従属を選択し、想い人を殺された時点ですら決闘を仕掛ける事を考えだにしなかった。

 

「それと同種の物を、我々は闇の帝王に感じた。遠く無い未来において、現在の〝ダンブルドア政権〟が砕かれると考えた。闇の帝王であれば、それが魔法の領域に属する限り、不可能は無いと思った。特にダンブルドアと違い、帝王は力の行使を隠そうとしなかった」

 

 例えば、と教授は言った。

 

「闇の帝王は杖のみで空を飛べる」

「────は?」

 

 

 

 

 

 

 

 冗談を言われたと思った。

 しかし、スネイプ教授は何時も通りの仏頂面だった。

 それこそが、先の発言が紛れも無く真実なのだと雄弁に告げていた。

 

「……待って下さい。それが一体何を意味するか解っているんですか?」

「おお、教授を馬鹿にするのかね? 当然我輩は理解して言っている」

「いや、だって。魔法族はホグワーツが出来る前から箒で空を飛んでいますが、杖のみの飛行は別だ。1544年にジャレス(Jarleth)ホバート(Hobart)が教会の屋根の上で制御不能のままに宙にぶら下がっていただけで魔法史に残っているんですよ? 本当に杖のみで飛べるならばそれだけで魔法史に残る偉業だ……!」

「君は忘れているようだが、既に帝王は魔法史に残る偉人だ」

「……そう言う事では無いでしょう」

 

 浮遊呪文で最も有名なのはウィンガーディアム・レビオーサであるが、浮上を実現する呪文というのは実の所数多い。派生まで含めるならば上昇呪文(アセンディオ)なども含まれるだろう。

 それだけ似たような魔法が開発されたのは、水中と違って空は一貫して魔法族が強く焦がれ続け、また箒や絨毯のような代替手段が存在する以上、水中よりは簡単だとも思われた領域であったからで──けれども、誰もそのような魔法を作り出す事は出来なかった。

 

 先のウィンガーディアム・レビオーサですら今は一年でも教えられる魔法では有るが、四百年前は相応に高度な魔法であったのだ。

 

「飛べるというのは、浮けるとは違いますよね?」

「当然だ。箒と同様に、或いはそれ以上に自在に飛べる」

「……流石の非魔法族もそこまでは至っていませんよ」

 

 飛行機で空を移動出来ても、箒程に小型な飛行道具というのは非魔法界に存在しない。まして、殆ど生身で空を飛ぶとなれば、これから二、三十年経ったとしても不可能だろう。

 

「君が今実感した衝撃を我々は味わった。先は一例であり、闇の帝王が開発した魔法というのは数多い。そして帝王は惜しみなく──とは言えないが、幾何かを臣下に提供して下さっていた訳だ。当時ホグワーツで簡単な変身術しか教えていなかったダンブルドアと違ってな」

「……そりゃあ、付き従うのが当然ですね。正しく魔法の領域という物を広げていますし、本当に不可能など無いように思える」

 

 活動年代から考えても、闇の帝王はアルバス・ダンブルドアよりは若いだろう。

 あの老人の時代を終わらせるのは、或いはそこまで行かずともあの老人が寿命で消えた次は、闇の帝王の時代が来るだろうと考えるには十分過ぎる理由である。

 

「ダンブルドアと帝王は対等と言われる。実際、我輩には戦えばどちらが勝つかは判断出来ん。両者共に、我等から実力が隔絶し過ぎている。ただ、呪文の作成、特に闇の魔術の分野では帝王が圧倒的に上だ。後者に関しては、ダンブルドアは我輩にすら劣る」

「……まあ、あの老人は闇の魔術を忌み嫌っていますからね」

 

 アラスター・ムーディ教授の方がまだ、知識と理解を持っている事だろう。

 費やした関心と時間、そして労力を、才能のみで埋めるには限界が有る。あの老人が最も強大な闇の魔法使いになれる可能性を秘めていても、それを選んで来なかった以上、専門として献身し続けた人間には敵わないのが普通であり、自然である。

 

「故に、我等は闇の帝王を恐れる。平和ボケした愚か者共よりも、不死鳥の騎士団を名乗った敵対者よりも。あの御方を良く知るからこそ、その力に恐怖を抱かざるを得ない。実際、闇の帝王は今や死の淵から蘇り、復活を遂げようとしている」

 

 闇の時代が戻ってくる。

 より強大となった死の主が、遠からず地獄を再現させようとしている。

 

「君にとって闇の印は非常に奇妙だった。しかし、何故死喰い人が十三年振りに、クィディッチ・ワールドカップで活動したのかも疑問に思ったのでは無いかね?」

「……それはその通りですが」

 

 ピーター・ペティグリューが逃げた事は、やはり公には知られていない。

 仮にシリウス・ブラックを真の死喰い人だと信じていたとしても、彼が脱獄しただけで死喰い人が動くのは理由として弱い気がした。

 クィディッチ・ワールドカップなのだ。世界中から十万を超える魔法使いが集まり、この国のみならず各国の闇祓いが集まるようなイベントなのだ。たかが〝マグル〟虐めをするにしても、相当の準備を費やし、相応の危険を冒す必要が有る。気紛れに虐めたくなったから実行に移すという訳には行かない。

 

「その理由は簡単だ。死喰い人は在野もアズカバン内も問わず、一人の例外無く闇の帝王の復活を悟ったからだ。そして、帝王の凋落後に何もしなかった不忠者達は、立場を明確にする必要に迫られた。その一つが、あの行進だった」

 

 そう口にしながら、この方が早いというように教授はローブの袖を捲り上げた。

 露わになったのは酷く悪趣味な刺青。別に個人の趣味嗜好は自由だが、個人的に遠慮したい図柄だという感想がまず最初に出る。但し、やはり一番の問題は、それがほんの数カ月前の新聞で見た物と同種の図柄で有る事だった。

 

「見て解るだろうが、闇の帝王によって直々に入れられた闇の印だ。単なる印では無い。これが黒く焼き付くと、呼び出しが有った事を示す」

「……当然、十四年前の裁判では露わになっていませんでしたよね? そんな解りやすい証拠が有れば敵味方の判別に苦労しないし、無罪になったとも思えない」

「そうだな。これ自体が非常に高度な魔法の産物であり、そして帝王が堕ちた後は殆ど消えた物だ。しかし、今はこの有様。呼び出しを受ければ更に解りやすく焼け付くのだが、それでも戻って来たと確信するには十分だ」

 

 色も、そして恐らくその存在も。

 教授は袖を下ろし、その印を再度隠す。ほっと息を吐き、そうして自身が息を止めていた事に気付いた。当然ながら、それを齎せたのは刺青の醜悪さに圧倒された訳では無かった。

 

「……教えてくれた事には心から感謝しますよ」

「おや、随分と素直なのだな」

「貴方の気紛れであったとしても、僕にとって有り難い情報ですからね」

 

 賢者の石の時のように、教授には教授なりの思惑が存在するのは解り切っている。

 しかしそれ以上に、この情報は余りにも貴重過ぎる。闇の陣営に所属しないでこれを知っているのは、同じく教授から知らされたであろうアルバス・ダンブルドアぐらいだろう。

 

「ですが、改めて帝王への忠誠を示す始まりだった筈の行進は、それを咎めるように闇の印が打ち上げられた事で終わった訳ですか」

「そうなる。そして、その犯人が解っていない。印を見ただけで誰であるかを判別出来そうな、闇の帝王ただ一人以外は」

「…………」

 

 やはり、あの闇の印が問題なのだ。

 

「君は今回の三大魔法学校対抗試合の〝犯人〟についてどう考えている?」

「……考えられる犯人像は、大きく分けて三つ。今回行進を行った者達に代表される在野の死喰い人。闇の印を打ち上げた人間。そして、当然ながら闇の帝王」

 

 一応、偶々ハリー・ポッターを殺したくなった全くの第三者という可能性は有るが、流石に根拠も兆候も無い以上、今は排除しても良いだろう。

 

「そして、貴方の話を聞く限りでは在野の死喰い人の可能性は低いように思える。……嗚呼、一応あの闇の印が上がったが為に、他を出し抜いて自分だけ〝手土産〟を持ち込もうとしそうな死喰い人というのは考えられますか」

 

 在野の死喰い人は残らずアズカバンを逃れた不忠者であり、しかし帝王の劇的な失墜を招いたハリー・ポッターを殺したのであれば、許される余地も見えてくる筈だった。

 

「……ただ、君は余りそう考えていないようだな」

「何となく、貴方もその可能性は低そうだと考えている気がしたので」

 

 教授は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 しかし、僕の言葉を否定まではしなかった。

 

「闇の印を打ち上げた人間ですが、前提として最低元死喰い人で無ければ闇の印を上げる事は出来ない。これは真実と考えて良いのでしょう?」

「あの呪文について吹聴する事は禁じられている。そして、仮に闇の帝王が印を見ただけで誰の物かを判断出来る能力を有している、或いは絵図や魔法的暗号を仕込んでいると考える程度の頭を持っていれば、そのような真似を軽々しくする筈もない」

 

 つまり、そちらもやはり本物だという事か。

 アズカバンを逃れた()死喰い人が〝マグル〟虐めを行い、それに対して彼等を愉快と思わなかった()死喰い人が本物の闇の印を打ち上げた。今回の事件は見た通りのままであり、だからと言って奇妙でないという事はない。

 

「ルシウス達が動きを止めたのは何故だと思う?」

 

 考え込む僕に対して教授は静かに問うが、最初から僕に答えさせるつもりは無かったらしい。問いに対して直ぐに答えを続けた。

 

「それを為すような死喰い人に心当たりが無かったからだ。ブラックに加えて他に一緒にアズカバンから脱獄したか、或いは一人だけ闇の帝王の寵愛を()()勝ち取っている裏切者が居るか。そのような場合で無ければ、あのタイミングで闇の印は上がり得ない」

「……貴方は後者の可能性は低いと考えているようですが、それでも互いに疑心暗鬼になるには十分だという訳ですね」

 

 闇の印は、闇の帝王の臣下の証。

 十三年前にアズカバンを逃れた者達が軽々しく掲げられる筈も無く、しかし今それを掲げられるのは、闇の帝王に対し一切恥じる事をしていない忠義者以外に有り得ない。

 

「だから死喰い人流の活動から手を引き、真っ当な活動に尽力している。それもまた、遠からず復活する我等が主君への貢献にはなり得るからな。それは名家である聖二十八族でしか為し得ず、君の企みに乗ったのもその一貫だ」

「……闇の帝王に許されるかどうかは、現状では解りませんしね」

 

 教授は今度も何も言わなかった。

 

 闇の帝王が復活した後の動向は、未だに読めない。

 十四年前の失墜、その後の元死喰い人の対応への怒り次第では、ルシウス・マルフォイ氏を筆頭に、罪を免れた者達が皆殺しにされるのは有り得ない事ではない。

 殺して組織の引き締めを図る方が良いか、殺さないで支配の拡大を優先する方が良いかは判断が難しい。組織が最終的に目指す方向性次第で、どちらの選択肢を取るのも正解と言えるだろう。そしてそれを選ぶ権利が有るのは、当然ながら闇の帝王ただ一人である。

 

「……まあ、その人物についてはこれ以上考えても何も出そうに有りませんね。推測する材料が余りにも少な過ぎる」

 

 教授に視線をやるが、その横顔から伺う限りでは異論はないらしい。

 

「そして大本命。闇の帝王ですが──」

 

 ハリー・ポッターは確信を抱いていた。

 けれども、やはり僕には確信を持ち切れない。

 

「──今回の件を実行しようとしていたならば、闇の印を打ち上げさせる理由は無い。アルバス・ダンブルドアが闇の帝王の存在を知っているにしても、魔法省を始め、ワールドカップに来た他国の人間まで知らせる意味は無い」

「一応闇の帝王陣営の動きとして理屈は付けられる。即ち、闇の印を打ち上げた人物は当時闇の帝王の指揮下に無く、しかも何らかの事情で印を上げる必要が有った。しかし、今は闇の帝王の指揮下に組み込まれて〝犯人〟として動いているという理屈だ」

 

 学期当初から散々考えていたのだろう。

 推測を語る教授の言葉には一切の澱みが無かった。

 

「……嗚呼、成程。確かにそれなら整合性が認められます。しかし、余りにも偶発的過ぎる、もっと言えば運の要素が有り過ぎるのでは?」

 

 理屈が有っていようが、正しい訳では無いだろう。

 フラーに対して捏造してみせた水中人の伝説と同様に、言葉の上で有れば幾らでも尤もらしい論理は造り上げられる物だ。

 

 事実、教授は頷いてみせる。

 

「それは否定しない。だが、そうであろうがなかろうが、我々にとっては何ら変わりはしない。最も重要な部分、闇の帝王の動向が不可解だという点は、決して揺るぎはしないからだ」

 

 教授の言葉は明らかに〝犯人〟、或いは闇の印の謎自体に焦点を当てて居なかった。

 そのような事はどうでも良いのだと、暗に言っていた。

 

「君は闇の印に強く疑問を抱いた。それは間違っていないし、死喰い人に影響を及ぼしたのもアレだった。しかし、君の立場からすれば、最も強く関心を抱くべきは闇の帝王ただ一人だろう。少なくとも現状は、だ」

 

 教授の言葉は力強く、そして確信に満ちていた。

 

「君は知り得ないだろうから我輩から言おう。三百年振りに復活した三大魔法学校対抗試合の贄としてハリー・ポッターを殺すというのは、非常に闇の帝王の好みである」

 

 断言したにも拘わらず、教授の表情は疑問を払拭し切れていない。

 

「しかしながら、一方で策としては雑に思える。確かに課題中はダンブルドアの庇護の魔法が外れ得る。そのような贔屓や肩入れは、三校対抗試合の魔法契約の下に排除される。だが、それでもダンブルドアの眼が無くなる訳でも無いし、魔法省を初めとする守護の眼が加わる訳だ。煩わしく面倒である事に変わりはない」

「……まあ、そうですよね。軽々しく抜ける防備という訳では無いでしょう」

 

 当然の事ながら、本来の闇の帝王ならば、その程度を恐れはしないに違いない。事実、アルバス・ダンブルドアが率いる不死鳥の騎士団、そしてバーテミウス・クラウチ氏指揮下の魔法法執行部以外は敵とならず、しかも彼等でさえ帝王の暗躍を止められなかった。

 

 けれども──

 

「……それにも拘わらず貴方の主君は、未だに復活していない」

「然り」

 

 死んでいないだろうが、死に近しい状態に在る。

 

「いや、復活しつつある。十三年もの停滞は終わった。()()、このような状況と状態でわざわざポッターに干渉する理由というのが薄いのだ」

「……僕が想像していた以上に、厄介なようですね」

 

 闇の帝王が関わっていない可能性がそれなりに有ると考える位には、セブルス・スネイプ教授は──そしてアルバス・ダンブルドアは、その材料を有しているらしい。

 

「僕には見当も付きませんでしたが、塵のような状態から復活出来る魔法薬というのは?」

「アルバス・ダンブルドアも同じ事を我輩に聞いたな。が、結論としては我輩にも解らん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔法薬学教授は、既に匙を投げた事を隠さなかった。

 

「当時、そして三年前までは、塵ないし霊魂未満のゴーストだった。しかし今の闇の印の戻り方からして今は違うだろう。恐らく赤子程度の力しかない脆弱な物だろうが、それでも既に肉体を得ている。しかしながら、であるからこその、今のこの複雑な状況なのであるが」

 

 その言葉は僕に聞かせるようであり、それ以上に自問するようだった。

 

「つまり、闇の帝王は肉体を得る魔法薬を作り、既に使用した。考えても意味が無いというのはそういう意味だ。肉体としては脆弱極まりないままで在ろうと、魔法力を増大させうる状況に在り、死喰い人に刻まれた印が色濃くなりつつあるのもそれ故だろう」

「…………」

「予め言っておくが、そのような二段階の復活過程を闇の帝王が必然と考えたかは解らん。ただ、その行為自体は左程不自然という訳では無い。一見回り道に見えたとしても、一手間を加えた方が深みに至れる場合は往々にして有る。期間と労力を代償に、難易度を下げる訳だ」

 

 助走と踏切が有った方が、高く、遠くに飛べるような物か。

 魔法薬学教授からすれば、塵から人間に直接戻る方が完全に楽だという事でもないらしい。

 

「ゴーストから脆弱な肉体を取り戻す事。脆弱な肉体から人間へと戻る事。両者は全く性質を異にする。当然ながら、その材料も調合過程も。君の事だから多少調べはしただろうが、それでも君程度に理解出来る代物では無かったのではないかね?」

「……ええ、癪ですが全くもってその通りですよ」

 

 偽っても露見するので素直に認める。

 

「見つからなかった訳では無いですが、僕はそれが真実であるかどうかを判断するだけの知識を有して居ない。調合法を読み解くなどもっての他ですよ」

 

 書物が嘘を書いていない保証は無い。

 それが表すのは、当時の書き手の認識でしかない。意図的であれ勘違いであれ、客観的事実を示す物では無いのだ。それらの手法が書かれているのは事実が淘汰されている教科書では無く、独善的価値観から記された胡散臭い魔法書の数々である。

 だから、僕には探し切れなかったし、初めから期待もしていなかった。

 

「さもありなん。この手の類は、多くの魔法使いが追い求めてきた物だ。まさしく玉石混交よ。素人が手を出せば、何の効果も出ない魔法薬を作れて御の字と言った所だろう」

 

 そして最悪の場合、当然のように命を代償として支払う羽目になる。

 けれども、この教授は石を排し玉を見つけ出せる才能を持った魔法薬学教授である。アルバス・ダンブルドアが如何なる意図で彼をその座に留めていようと、ギルデロイ・ロックハートやシビル・トレローニーのように偽物の力しか持っていないという訳では無い。

 

「ともあれ、先の二者は明確に違い、当然ながら前者の方が困難である。実体を有さない類の存在に対して影響を与える魔法薬の調合は、常に至難を極めると言って良い」

「……そう言えば、貴方はニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿を石化擬きから回復させる程の見事な手腕をお持ちでしたね」

 

 ギルデロイ・ロックハートが自信満々に色々言っていたが、それでもホグワーツにおいて石化回復薬を調合する人間はこの眼前の存在しか居ない。

 

「フン、我輩にとってみれば造作も無い事だ。けれども、今度は〝ヒト〟である」

 

 教授は少しばかり頬を緩め、直ぐに顔を引き締めた。

 

「君は我輩を高く見積もり過ぎているようだが、正直言って我輩の力量の及ぶ所では無い。恐らく、ゴーストから仮初の肉体を得た方は闇の帝王が()()()()()()()()()独自の代物だ。稀少な魔法材料を要するのは疑いないが、最も必要なのは我輩すら及ばない類稀な魔法薬の力量と才覚と経験だ。常人の想像力と発想力では有り得ない」

「……そこまで貴方に言わしめるのですか」

「そうでなくては、闇の帝王は臣下さえ名を呼ぶのを恐れる存在足り得ないのだ」

 

 ゲラート・グリンデルバルドの名は、この国に限らず広く呼ばれている。彼がその猛威を奮った大陸ですら、その名前を呼ぶ事自体を厭う者は居ない。

 それは革命に対する彼等の立場の違いも有れど、闇の帝王は──ヴォルデモート卿は、世界の全てに君臨するに足る程の隔絶した絶対者なのだろう。

 

 ……もしかしたら、アルバス・ダンブルドア、そして油断大敵を信条とするアラスター・ムーディ教授以外に、善なる陣営で彼を正確に評価している人間は居ないのかもしれない、そしてそれ故に、決定的に危機感を共有出来る者が居ない為に、あの老人は自分で抵抗組織を立ち上げなければならなかったのかもしれない。

 

 そこまで考えを及ぼし、当たり前のように顔を歪めさせられる。

 

「……整理しましょう」

 

 この教授が必要としないのは解っている。

 けれども、自身の心を落ち着かせる為には、僕にはそれが必要だった。

 

「ゴーストから仮初の肉体を得る事は、少なくとも今の貴方には不可能な領域に属する事柄だ。そして、闇の帝王は独自の手法でもってそれを実現した。既に闇の帝王は、脆弱であれども肉体を得てしまっている」

 

 つまり。

 

「一番難しそうな事は既に終わっているじゃないですか」

「そうだ。だからこそ、恐らくアルバス・ダンブルドアは戸惑っている」

 

 重々しく、そして苦々しげに教授は言った。

 要するに、こういう事だ。

 

「……本来ならば、闇の帝王は既に復活して無ければならない」

「然り」

 

 何故だか闇の帝王の復活が遅れている。

 それこそが、アルバス・ダンブルドアの誤算である。

 

()()()()()()には幾つかの手段が有る。元の肉体へと回復したり、新しい身体を複製したり。方法論は様々だが、それは珍しくもない代物である。何故だか解るか?」

「……老いからの脱却ですね」

 

 ひいては、不死への挑戦。

 

「その通りだ。スリザリンへの点数はやれんがな」

 

 詰まらない冗談を前置きとしたのは、教授をして不愉快な事実だからか。

 

「確かに困難である事に違いはない。また、試す気にすらならない位の一見して出鱈目が書かれている書物も少なくない。珍しくない題材であるが故に、不良品もまた多い。だが、我輩にも時間を掛ければ──何十年かは必要だろうが──研究し尽くせる代物だ」

「貴方には出来る。そしてそれを闇の帝王とも有ろうものが、速やかに出来ない筈も無い」

「そういう事だ」

 

 つまり、闇の帝王には復活を遅らせている意図が有る。

 それが壮大な計画で有るか、或いは拘りめいた趣味であるかは不明だが。

 

「……思えば、アルバス・ダンブルドアは、闇の帝王が必ず復活すると確信していたみたいでした。信頼していたと言ってすら過言では無いのでしょう」

 

 自身の教え子であるとか関係無く、誰よりも闇の帝王の理解者のようだった。

 

 だからこそ思う。

 

「──もしかしたら、十三、四年も持った事の方が意外だったのかもしれませんね」

 

 ピーター・ペティグリューが逃げ出してほんの数カ月。

 彼が余程特別で、復活に欠かせない要素だった場合は別だが、しかしながらそうでは無く、彼が闇の帝王の指示を聞くだけの手足に過ぎない場合。そのような人物が一人でも居れば闇の帝王は何時でも簡単に復活出来たという事になる。

 闇の帝王が失墜した後も、少数派とは言え、ベラトリックス・レストレンジを筆頭に真に忠実な死喰い人達も存在したのだ。彼女達が闇の帝王の下に辿り着かなかったという保証は無く、そうなれば十数年ばかり復活が早まる事が自然であり、寧ろアルバス・ダンブルドアはそれを想定し続けていたのではないだろうか。

 

 特に闇の帝王は四年前の時点において、都合良く憑り付ける肉体さえあれば、自身の復活をある程度自由に模索出来る事が明らかになっていた。

 しかもゴースト程度の状態ですら、グリンゴッツに侵入出来る程の才覚を有した大人の魔法使いを下す程度の力を持っている事も同時に判明している。あの時は憑りついた肉体をホグワーツへの侵入と賢者の石の奪取に使ったが、その肉体を別の方向に使う可能性──つまり、己を復活させる魔法薬を作成する為に使用するというのは、当然ながらあの時点でアルバス・ダンブルドアには予期出来ただろう。

 

 そうであれば、去年ピーター・ペティグリューが逃げ出した事自体についても、あの老人は多少の痛痒を抱きはすれども、衝撃を受けはしない。

 闇の帝王が復活する機会を許してしまったのではなく、良くもまあ十三年も持ち堪えた。あの老人にとっては何れ来るべき時が来ただけに過ぎず、それ以上の感想を持ち得ない。

 

 その場合はその場合で、あの老人が全く準備していない点にこそ僕が嫌悪する理由になるが──いや、やはりあくまでそれは結果論に過ぎないかもしれない。

 

 十三年も緊張関係を続けられる者など居ない。

 復活しない闇の帝王の脅威を叫び続けたアルバス・ダンブルドアが、狼少年よろしく法螺吹き老人と認識されて、逆に厄介な事態になる可能性も無い訳ではない。

 

 既に述べた通り、魔法界ですら、死んだ筈の人間が復活する事自体が有り得ない。死んでいないと主張し続ける事は可能だとしても、事実として十年間は闇の帝王が潜伏を選択した以上、世間は闇の帝王が死んだと扱いたがるだろうし、結果としては変わるまい。

 

 つまりは意図してか知らないが、闇の帝王は失墜させられた時から常に主導権を持ち続けていた訳だ。

 

「ただ、あの老人の過去の考えなど最早どうでも良い事ですね。何にせよ、僕は間違えていた訳だ。〝犯人〟が誰かに気を取られ過ぎていた訳ですから」

「そういう事だ。考える事が無意味では無いが、最も関心を抱く相手を君は間違えていた」

 

 真っ直ぐと僕を見詰め、教授は言葉を紡ぐ。

 脅すように、それと同時に諭すように。

 

「三大魔法学校対抗試合に闇の帝王が関わっていようといまいと同じ事だ。復活を遅らせている帝王の意図と動向が不明確であって──しかし、どういう計画を立てておられようとも、光の陣営に打撃を与える物なのは間違いない。そしてそれが解らないからこそ、ダンブルドアは動き切れていないのだ」

 

 今回の考えられる〝犯人〟像。

 

 闇の帝王の下へと帰る為に手土産を求める()死喰い人。

 ワールドカップで闇の印を上げる程の忠誠心を持った()死喰い人。

 そして、復活を遂げようとしている闇の帝王自身。

 

 その何れが〝犯人〟であろうとも──この中に正解が存在しなかったとしても──最も重要なのは闇の帝王の動きなのだと教授は言う。

 

 そして、やはり教授の言葉の方が正しい。

 

 最も強大で、かつ脅威であるのは闇の帝王。

 そして手足となれる者が一人居れば最短数ヵ月、どんなに長く考えても十年程度で復活寸前までこぎつけられる事が明らかになった以上、最早復活自体を止めるのは不可能と考えるべきだ。一度復活を挫いたとしても、必ずや闇の帝王は復活してしまう。

 

 更にスネイプ教授は知り得ないが、アルバス・ダンブルドアが二年前に示唆した複数の分霊箱という問題も有る。今年の三大魔法学校対抗試合で蠢く策謀のみにかかずらっているべきではなく、最も懸念すべきは今後の戦争はどうするべきかである。そしてそれが何時始まるかというのは、やはり闇の帝王の復活が何時行われるかにこそ関わっている。

 

 テロリズムにおいては悪しき者が必ず先手を取る事が出来る。

 頭の上では理解していても、こうして突き付けられてみると、それは非常に厄介だった。




・ワールドカップ時点のヴォルデモート卿のスタンス
「お許しください。しかし──わたしにはわかりません。どうしてワールドカップが終わるまで待たなければならないのでしょう?」
「愚か者めが。いまこのときこそ、世界中から魔法使いがこの国に集まり、魔法省のお節介どもがこぞって警戒に当たり、不審な動きがないかどうか、鵜の目鷹の目で身許の確認をしている。マグルが何も気づかぬようにと、安全対策に血眼だ。だから待つのだ」
(四巻・第一章)

・霊魂未満からの回復する魔法薬
「俺様は、未発達で虚弱なものであれ、曲がりなりにも自分自身の身体を得るための指示をこやつに与えた。真の再生に不可欠な材料がそろうまで仮の住処にする身体だ……俺様が発明した呪いを一つ、二つ……それと、かわいいナギニの力を借り」
「一角獣の血とナギニから絞った蛇の毒から作り上げた魔法薬……俺様はまもなくほとんど人の形まで戻り、旅ができるまで力を取り戻した」

・更に肉体を回復する魔法薬
「もはや賢者の石を奪うことは叶わぬ。ダンブルドアが石を破壊するように取り計らったことを俺様は知っていたからだ。しかし、俺様は不死を求める前に、滅する命をもう一度受け入れるつもりだった。目標を低くしたのだ……昔の身体と力で妥協してもよいと」
「それを達成するには──古い闇の魔術だが、今宵俺様を蘇らせた魔法薬には──強力な材料が三つ必要だということはわかっていた」
「敵の血は……ワームテールは適当な魔法使いを使わせようとした。そうだな? ワームテールよ。俺様を憎んでいた魔法使いなら誰でもいい……憎んでいる者はまだ大勢いるからな。しかし、失脚のときより強力になって蘇るために使わなけばならないのはただ一人だと、俺様は知っていた」

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