この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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一話目。
プロット時点では、第二の課題は数行で終わる(前回更新分も無い)予定でした。


第二の課題とその顛末

 第二の課題。

 ホグワーツ湖底で行われた人質救出もまた、何事も無く終わった。

 

 セドリック・ディゴリーが一番に帰還して一位。

 ハリー・ポッターが道徳性を理由に加点され二位。

 ビクトール・クラムは二番目に帰還したものの三位。

 フラー・デラクールは課題を途中で棄権した事で四位。

 

 その代表選手の何れにも大きな怪我も無く、他に人的、物的被害が出たという訳でも無い。

 加えて、この試合を目眩ましとして国内で他に大事件が起こされたという事も無い。既に世間はクィディッチワールドカップの際に闇の印が上がったのを忘れたかのように、下らないニュースやゴシップの話題で盛り上がっていた。

 

 つまりは表面上平穏のままであり、残る課題は後一つ。

 それさえ終わってしまえば、ホグワーツは事件の渦中から外れる。

 ハリー・ポッターの周辺、ハーマイオニー・グレンジャーから危険は遠ざかる。

 

 裏を返すと、此度の〝犯人〟には既に後が無くなった。

 

 ハリー・ポッターを無理矢理代表選手にさせるという周到かつ大胆な真似をやっておきながら、未だに全く表立った行動を取る事は出来ず、結果として残る一度の機会で〝事〟を起こさなければ──本当に〝生き残った男の子〟が本命ならば、だが──ならなくなった。

 

 最後ともなれば、誰だって今まで以上に警戒する。

 ホグワーツ教授陣にしてもアルバス・ダンブルドアにしても、第三の課題においては最大限注意を払う事だろうし、これまでと違って終わった後の事を考えなくて良い以上、自分達の時間も労力も六月二十四日(学期末一週間前の一日)の為に大きく費やす事だろう。

 

 更には此度の三校対抗試合の運営に魔法省が大きく関わっているのだから、そのトップたる魔法大臣も課題を見に来る筈であり、他国からの客──クリスマスの時とは比較にならないような海外の高官達もホグワーツを訪れるのが容易に予想出来る。

 クィディッチワールドカップの時と同等、或いはそれ以上の警備が校内には敷かれる事は間違いなく、その中で〝事〟を起こすというのは不可能に近い。……近い、筈だ。

 

 ドラゴン。そして水中。

 その何れの課題でも干渉の仕方は幾らでも有っただろうに、本気でハリー・ポッターの命を狙うならば幾らでもやりようが有っただろうに──〝犯人〟は何も行動を起こさなかった。

 

 僕達は何か見逃しているのか。何かを間違えているのか。

 

 ハリー・ポッター、そして三大魔法学校対抗試合。その何れも〝犯人〟にとっては関心が無いのではないかと思ってしまう程に、六月末のたった一日さえ注意を払えば全ては終わりだというかのように、代表選手が四人呼ばれたハロウィンの夜以外は事が上手く進み過ぎている。

 

 何も起こらない。本来それは良い事に違いなかった。

 けれども去年の騒動が懐かしくなる程に、今年の平穏は不気味だった。

 

 

 

 

 

 

 第二の課題は九時半に始められ、規定通りならば十時半前後に終わる。

 

 もっとも課題が終わってから即授業という無体は流石に行われない予定であったし、審査員の審議や採点の時間も考慮に入れる必要があり、更にはハリー・ポッターの帰還が大幅に遅れた以上、その判断は正しかったのだろう。

 しかし第一の課題の時と同様に半日は、つまり午後からは普段通り授業をやる気のようである。

 

 そして一応、午前中のみ授業と午後のみ授業では今回大きな差異が生じ得る。

 つまりは前回と異なり課題後にそのまま宴会を開いて騒ぎ続ける事が出来ないという問題が生じるという点であり、その事実に気付いた生徒からは不満も出たらしいが、だからと言って一時間の為に一日を潰せという要望に教授陣が頷く筈も無い。既に午後からは平常通り授業が行われる事は予告されている。

 

 とは言え、昼まではグリフィンドールやハッフルパフが多少騒ぐ猶予が与えられ、それ以外の生徒にも暇が出来たのは確かであった。

 

 故に僕は図書室に向かって少しばかり調べ物をした後、何時も通り静かに本を読んでいたのだが──しかし、つかつかと怒り心頭で歩いてきた彼女は、両手で僕の着いていた机を強く叩きながら大声で言った。

 

「何故でーすか! ここは当然、落ち込む女の子を慰めに来てくれる所でーす!」

「…………」

 

 そして僕達は案の定、図書室から叩き出された。

 

 

 

 

 

 

 

 フラー・デラクールは僕を校庭へと連れ出した。

 

 午前中は授業が行われていない以上、手頃な空き教室が存在しないという事も有ったし、暖かい校内には人の眼が有り過ぎるという事も有るだろう。つまりはまあ、彼女があのような形で第二の課題を終えてしまった事とも無関係ではない筈だった。

 

「──寒いですね」

「今朝、湖底に潜らせられた人間に言う台詞ではないでーす」

 

 僕の呟きに、銀の彼女は耳聡く反応する。

 こちらへ向ける視線にも、少しばかりの非難が混じっていた。

 

「……まあ、確かにそれを言われては返す言葉も有りませんが」

 

 白い息が僕の口元から漏れ出る。

 

 外に連れ出す気だと聞いて荷物を置くついでに寮からコートを取って来たが、強く吹き荒ぶ風は、着込んだ上からでも体温を大いに奪ってくれる。第二の課題を見ていた時も思ったが、良くもまあ、この四人は課題から逃げなかったものだ。

 

「今更聞く事では無いかもしれませんが、身体の方は? ガブリエルもそうですが、貴方の方はアルバス・ダンブルドアの護りも無く一時間ばかり湖底に居た訳でしょう?」

「ええ。中々マダム・ポンフリーが解放してくれなくて困りまーした。ただどちらかと言えば、私よりガブリエルを大いに心配したからこそ帰してくれなかった訳でーすが」

「……まあ、そうでしょうね」

 

 水中に沈んでいる内は何らかの魔法が掛かっていただろうが、それも水上に浮上してからは解けた筈だ。そして陸まで移動するほんの数分で有っても、九歳の女の子の身体にとって二月の水は非常に大きな負担だろう。

 

「でも、もうガブリエールの方も身体の芯まで温まったので問題有りませーん」

「……言葉を聞く限りでは、置いてきたようですが。それは良いんですか?」

「ええ。()()したから良いのでーす」

 

 手頃なベンチを発見したフラーは一度杖を振って多少綺麗にした後、更に胸元からハンカチを取り出して置き、その上に座った。一方僕は一々そのような事を気にする身では無い。そのまま彼女の横に距離を開けて座り、持ってきた小さな本を片手で開いて読み始めた。

 

「……解っていましたが、本ッ当、機微の無い(いと)でーす」

「だとすれば、一々僕を連れ出さないで欲しい物ですがね」

 

 呆れ半分、諦め半分の声を軽く受け流す。

 

 まさか先程の言葉通りに、本気で慰めて欲しかった訳でもあるまい。

 如何にボーバトン内に彼女の敵が多かろうが一人くらいは友人が居るだろうし、そうで無くとも、課題の失敗に傷心の彼女を慰めようとする男は大勢居るのは確実だ。そのような言葉が僕から出てくるのを期待する方が大いに間違っている。

 

「それで、用件が有るから連れ出したのでしょう?」

「……用件が無ければ話をしてはいけないのですーか」

「少なくとも僕はそうですが。何も無ければ基本話し掛ける事は有りません」

 

 僕が口を開くのは、授業や課題の際に必要な場合が殆ど。

 後は気紛れに話し掛けて来たマルフォイの応対をする程度で、それ以外に言葉を交わす相手も居ない。例外はハーマイオニー・グレンジャーくらいの物だが、その例外はもう数か月ずっと疎遠になってしまっている。

 

 けれどもフラー・デラクールは、何故か僕に聞かせるように大きく溜息を吐いた。

 

「…………ああ、これは私も悪かったのでーすね」

 

 ガックリと脱力して項垂れた後、しかし次に上げられた声には怒りが有った。

 

「ですが! やっぱり貴方にも非が有ーるでしょう……! ユール・ボールに参加しない挙句、何時の間にか自宅に帰っているとはどういう事ですか! その癖、新学期が始まってから一切謝りにも来ないとは思いませんでーした!」

「……僕に何を求めているんですか」

 

 視界の端で騒がしい彼女を他所に、僕はページを捲る。

 

「ユール・ボールの事をまだ言っているんですか? そもそも、三年生以下の昼食会に出てしまった以上、僕は四年生以上のイベントに参加すべきでは無いでしょう。結果的に規則を破る事にはなりましたが、それでも均衡は保たれるべきだ」

 

 ガブリエル・デラクールも何故かその前提で動いていたような気がするが、それは決して許されるべきでない行為だった。

 

「そして貴方はレイブンクローのロジャー・デイビース、でしたか? 彼をパートナーとして楽しい夜を過ごしたとは聞きましたよ」

「……何故、それを知っているんでーす? 貴方は噂に興味が無いと思っていまーしたが」

「良く解りませんが、彼がわざわざ直接僕に伝えに来たので」

 

 下級生のスリザリンの下に何しに来たんだか、あの男は。

 

「……一応、そう一応言っておきまーすが、私は余り楽しく有りませーんでした。彼は表面上のエスコートは完璧でーしたが、心が全く伴っていなかったでーす」

 

 そして彼女は一体何を伝えたいのか。

 

 意味の通らない事を言う似た物カップルだという事なのだろうか。

 

「では、ユール・ボールの事はもう良いでーす……! 何も言わず勝手に帰ったのは何故でーすか! 新学期になっても何も言いに来ないのはどうしてでーすか!」

「……いや何故も何も、伝える理由も近付く理由も無いでしょう」

 

 僕はフラー・デラクールと友人でも何でも無い。

 二日ばかり止むを得ず関わる羽目になっただけで、ただそれだけの関係だった。

 

「でも、貴方はガブリエールと手紙の遣り取りをしていると聞いてまーす!」

「それは彼女から送ってくるからですよ。あのクリスマスの日も半ば大人達に拉致されたとは言え、彼女に別れの言葉もそこそこに立ち去った負い目が有りますしね」

「……その辺りは意外と義理堅いのですね、貴方は」

「義理堅いというか……何時辞めたら良いと思います? 辞め時が解らないんですが」

「私が知る筈無いでしょう!」

 

 激怒を叩きつけて来る彼女に内心のみで溜息を吐く。

 

 出来れば姉経由でガブリエルに辞めるよう伝えて欲しかったのだが、この様子では受け容れてくれそうにもないし、彼女が飽きるまでは付き合う以外に無いのだろう。

 

 しかし問題は、既に手紙に何を書いて良いのか解らなくなってきたという点だ。

 僕の学生生活など何ら変わり映えがしないから、話題が尽きてくるのも早かった。ほんの三か月、数度の遣り取りでこれなのだから、流石に二年、つまりホグワーツ基準での入学まで続くという事は止めて欲しいのだが。

 

 ……まあ、良い。

 

 手元の本を閉じる。

 どの道、彼女は静かに読書をさせてくれる気は無いようだ。

 

「では、今度は僕が質問しましょう。第二の課題はどういう物だったのです?」

「────」

 

 真っ直ぐ視線を合わせて問い掛ければ、彼女は唇を軽く噛んだ。

 

「貴方は今回、非常に難しい立場に追い遣られました。貴方は代表選手の中で一人だけ失敗した。第一の課題とは全く正反対。貴方に好意的なボーバトンの生徒でも今の貴方には話し掛け辛いでしょうし、場合によっては陰口を再開させたりもするでしょう」

「……それが解っていて、貴方は私から話を聞こうとするのですか」

「話す気が無いというならば、それを尊重しますが」

 

 無理に彼女の口を割る必要までは感じない。

 

「ただ、人伝てに僕の所まで課題の内容が伝わってくるのには時間が掛かりそうです。更には他の三者が一々僕の下を訪れてくれる事はないでしょうし、僕の疑問に答えてもくれないでしょう。一方で貴方は何の理由で僕を呼び出したのか解りませんが、非常に有り難い事に今僕の前に居る。となれば当然、僕は貴方に聞くのが手っ取り早い」

「……貴方の疑問に答えられるのは私だけ、でーすか?」

「一応間違っていませんが、それが何か?」

 

 そう言えば、彼女は何故だか僅かに瞳を輝かせた。

 けれども、直ぐに顔を俯かせた事によって見えなくなった。

 

「……良いでしょう。周りも今は直接私に聞いてくる事は有りませーんが、何時までも口を閉じておく事は出来ないとも思いまーす。貴方は過大に評価する事も、過小に評価する事もしない人でーすから。今回は他の誰よりも聞き手に相応しいのでしょう」

 

 スコットランド特有の曇り空を見上げ、フラー・デラクールは言った。

 

「課題。その中身ですね。ええ、とにかーく、酷い所でーした」

 

 

 

 

 

 

 

 第二の課題は特異だった。

 

 水中という性質上、地上からは代表選手が何をやっているのか全く見えない。

 

 一応水中人からの報告が有ったのか、或いは何か魔法を使って見ていたのか解らないが、司会進行(ルドビッチ・バグマン)審査員(アルバス・ダンブルドア)はある程度情報を把握していたようである。それは代表選手に命の危険が生じた場合は急行しなければならない以上何ら不自然では無く、寧ろそう在って然るべきだと言えるだろう。

 実際、フラーが課題失敗(リタイア)になると速やかに──魔法省の役人がやったのか、或いは親切過ぎる水中人がやったのかまでは湖上からは全く見えなかったが──水上に引き上げられたのだ。第一と同様に無茶な課題だったが、夥しい死者を出した過去の轍を踏むつもりはないという宣言は丸切り嘘という訳では無かったらしい。

 

 そして彼等を通じて間接的に、観客もまた選手達の動向を一応把握する事は出来た。

 ただ、その内容も今何処に居るか、何の脅威に立ち向かっているか程度の物で、詳細と言うには程遠かった。はっきり言えば、観客を含めた地上の人間には水中で何が起こっていたのかが全く解らなかったに等しく、大逆転の要因となったハリー・ポッターの〝道徳的〟行為とやらも例外では無かった。

 

 当然、フラー・デラクールが何故失敗したのかも、詳細は解らぬままである。

 

「私は侮っていまーした。もっと上手く出来ると思っていまーした。あそこまで湖底というのが酷い所だとは、考えても無かったのでーす」

 

 今は水中に居ないというのに、彼女は震えていた。

 

「何よりも最悪なのが、水の痛さでーす。冷たーいというよりも、肌を焼く炎のようでーした。それに視界も良くないでーす。悪い場所は、三メートル先も見えませーんでした。泳ぐ為に足を動かすと黒い泥が巻き上がり、水が濁って暗くなりまーす」

「……嗚呼、代表選手への課題には水温と視界の克服も有った訳ですね。実体験に基づかない推測というのは全く役に立たない。そう強く実感しますよ」

 

 第一の課題が常識外れだったから事前に余り意識していなかったが、スコットランドの二月末、それも九時半から湖に潜水させる課題というのも大概イカレていた。

 

 あの時の気温はどんなに高く見積もっても五度より多少上と言った程度。水温というのはそれより遥かに高いだろうが、湖底を楽しくダイビングというには寒すぎるだろう。

 確かに魔法族は〝マグル〟より病気に掛かりにくく丈夫でもあるし、魔法によって多少の保護を掛ける事も出来る──実際、彼等三人は地上で何らかの魔法を使っていたようだ──が、冬の湖底を一時間ばかり散歩させるのは普通に死人が出ても可笑しくなかった。

 

 加えて視界か。

 言われてみれば、あの湖の透明度は決して高いとも言えない。

 

 人間の眼は水中で正確に物体を見られるような構造をしていないし、さらに今回の課題の目的は大切な物、攫われた彼女達の人質を取り戻す事なのだ。その為には恐らく──

 

「──ルドビッチ・バグマンの話を聞いていた限りでは、代表選手は湖の何処にガブリエル達が居るかというのは伝えられていなかったようですが?」

「その通りでーす。(わたーし)は彼女をまず探す必要が有りまーした」

 

 案の定、フラー・デラクールは銀の髪を大きく揺らして頷いた。

 

「とはいえ、あの湖は相当広い。一応試合の王道(セオリー)で言えば、人質が繋がれているとすれば湖の中央だろうとあたりをつけるんですが……幾らなんでも、ノーヒントという訳でも無いでしょう?」

「ええ。鈍く光る石が点々と置かれていたーり、時折水中人の歌が聞こえてきたーりしまーした。多分、目的地が湖の中央だというのも正解でーす」

 

 肯定するフラーの表情は暗い。

 それは、彼女が課題に失敗したからだけでは無さそうだった。

 

「でも、水中では何度も止まって魔法を使わないと方向が解らなくなーり、水草の茂みや黒の森によって道を塞がれたーりしました。あの広さと深さですから散々迷いまーしたし、一時間で戻るどころか、辿り着けるかどうかすら解りませーんでした」

「…………」

 

 確定だ。

 

 第二の課題が代表選手に求めたのは、水の中で息をする事のみでは無い。

 真冬の水温への耐性、大切な物を捜索する事が出来る手段、制限時間内に目的地に辿り着く為の移動速度、更に水中の脅威へと対処出来る戦闘能力。ざっと数えただけでもこれだけの問題が突き付けられていたのであり、必然的に導かれる結論は一つである。

 

 呆れと共に空を仰ぐ。

 

「──真っ当に考えれば杖一本、成人したばかりの生徒の実力では無理でしょう」

 

 本気で課題として突き付けられたのであれば、最初から殆ど不可能な課題だった。

 

 高度な人間の変容を自在に扱える者以外、この課題を達成出来るというような見通しは事前に立てられない。そしてそれ程の変身術の腕を持つ者は、今回の正規の代表選手三人、炎のゴブレットによって三校の中で最も優秀と判断された者の中にすら皆無だった。

 

 一見すれば第一の課題より穏当に見えるものの、その実同じ位に質が悪い。

 前回の敵が怪物の脅威であるとするならば、今回の敵は自然の脅威そのものだ。〝マグル〟よりも優れていると称する魔法族ですら未だに水中に村落を築く事が出来ていない最大の理由について代表選手達は考えさせられ、そして挑まされた訳だ。

 

 意地の悪さを改めて思い知る僕を前に、フラーはおずおずと口を開いた。

 

「……それで、ええと、やはり貴方は今回ハリーが一番だと考えるのでーすか?」

「──何で、そんな話になるんです?」

「え?」

 

 何故か僕がそう断言すると確信していたらしい彼女は、驚きに眼を開いた。

 けれども、僕からすればその反応の方が驚愕に値する。ハリー・ポッターを一位に挙げる理由など、僕には全く存在しない。

 

「今回は別にセドリック・ディゴリーが一位で何ら文句は無いでしょう。手段としても、結果としても課題を達成するのに殆ど不足無かった。ハリー・ポッターは当然の事、ビクトール・クラムですら彼より劣る。一位だけ見れば順当も順当ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 フラーは口を開けたまま静止した後、何故か激昂し始めた。

 

「それは可笑しいでーす! 貴方ならば当然泡頭呪文が今回の課題に適切で無かったとか、何も考えず安易な手段を選んだとか、散々に文句を付ける筈でーす……!」

「……どれだけ僕を性格が悪い人間だと考えているんですか、貴方は」

 

 自分が良い方では無いというのも自覚しているが、それでも酷い言いがかりだった。

 

「だって、貴方は今回代表選手に与えられた課題は、水中で息をする事だけだと最初から考えていなかった筈でーす。水の中を移動する事や、戦える手段を確保する事も考えていまーした。そしてさっき、貴方は水温や視界も課題だと言っていましーた。私達の『泡頭呪文』は、その何れの問題も解決するものではありませーん」

「……まあ、それはその通りですし、貴方がたが使用した呪文が僕の趣味嗜好に全く合うような解決策では無いのは確かですが」

 

 ロナルド・ウィーズリーに対して指摘した問題点二つにしても、今湧き出た問題点二つにしても、泡頭呪文は役立たずに等しい。変身術は失敗云々と別の意味で惜しかったが、やはり僕であれば選ばなかっただろう。

 

「というか、そもそも僕の言いそうな事を良く言い当てられますね」

「それはその……勘でーす。私にはそれくらい解りまーす」

 

 一気に怒りを萎ませたフラー・デラクールが気まずげに答える。

 

 ……開心術士でなくとも気付ける嘘を平気で吐くのは止めてくれないだろうか。

 

「しかし、結果というのは無視出来ないでしょう。セドリック・ディゴリーは課題で求められた内容を殆ど達成し、満点に非常に近い点数を取ったのです。審査員、今回の課題と代表選手を正しく評価出来る権限を有した者達は、そのような判断を下した。にも拘わらず、僕がその部分を否定してしまっては難癖に等しいでしょうに」

 

 呆れた息を吐くが、フラーは納得しなかったようだった。

 

「でも、ハリーのギリーウィードは──」

「──ええ。確かに彼の()()()()()()、非常に賢い物でしたよ」

 

 第一の課題の時とは違う。

 代表選手が選択した手段の間には、明確な優劣が存在している。

 

「先程僕はそれについて調べましたが、随分と世界には奇妙な薬草が存在する物だと思いましたよ。今回の課題が無ければ僕は知りもしなかったでしょう」

 

 実の所、僕は魔法薬学と薬草学の比較であれば、前者の方に答えが有る可能性が高いだろうと思って居た。魔法薬学ならば調合によって代表選手個人の実力を測る事が出来るし、課題後に発生しそうな批判も避けやすいからだ。

 

 けれども、その予感は外れた。

 今回の課題の答えは、薬草学の分野内にこそ在った。

 

(gill)という名が付けられるだけ有って第一の効能は解りやすいですが、あの薬草の効果はそれだけでは無いようです。手足への水掻きの出現、視覚の変容、水温への適応。解りやすく言えば人間を水中人に近付ける薬草です。今回の課題にうってつけと言ってよく、何よりそれが一つの簡単な手段によって為されるというのが申し分ない」

 

 解決策というのは、可能な限り単純な方が良い。

 複数の手段を組み合わせて問題を解決しようとする場合、そのどれか一つにでも問題が発生してしまえば上手く行かなくなってしまう可能性が有るからだ。

 無論、たった一つの手段で全てが解決するというのはまず現実的には不可能だが、今回は三大魔法学校対抗試合という用意された舞台でも有った為か、ギリーウィードは殆ど全ての問題を一挙に解決してしまった。

 

 しかも授業で扱うような大抵の薬草と異なり、ギリーウィードは殆ど加工無しに、ただ飲み込むだけで効果を発揮してくれる。まさに魔法族が水中に行く為の手段とも思え、第二の課題が出した難題の解決にも適切だった。

 

「一方で泡頭呪文。これはもう名前の通りですね。水上の酸素を確保し、そのまま水中に持ち込む。鯨のようなというよりも、多分非魔法族の潜水の歴史と同じでしょう。人間である以上、考える事は殆ど一緒だという事かもしれません」

 

 非魔法族生まれのハーマイオニーが思いつかなかったのが多少不思議であると言えなくもないが、ギルデロイ・ロックハートの時に露骨だったように、やはり彼女は発想を魔法からスタートさせる傾向が有る。

 魔法的(magical)な事には魔法(magic)が関わっていて然るべきと考えがちであり、今回も魔法(magic)は当然に魔法的(magical)な解法を与えてくれると考えたのだろう。つまりは魔法によって〝マグル〟がやっている事を代用出来ないかという考えはしなかった。

 

「ただ、貴方が指摘した通り、これは水中で息をする事しか解決してくれない。空気の膜の外の視界は悪いままですし、水の冷たさを顔周りしか緩和してくれませんし、移動速度も人間の足のままだ。それらを我慢するか、他の呪文を更に使って解決する必要が有る」

 

 今回の課題の内容と目的が暗に示唆していた問題を、そのまま解決してくれる物では決して無い。

 

「ちなみに、泡頭呪文は通常水場で使われるような類の魔法として本には載って無かったと思いますが、貴方は何処で見付けたんです?」

「……呪文によって綺麗に出来る魔法族の村と違い、昔のマグル社会のパリは道が非常に汚かったと聞きまーす。それは、悪臭によって歩く事自体が耐えられない程だったそうでーす。だから魔法族は、マグル社会を歩く時にはしばしば泡頭呪文を使っていたらしいでーす」

「まあ、そんな所だろうと思いましたよ」

 

 つまりは、あの呪文を水中で使うというのは教科書的な発想では無かった。

 ただ新鮮な空気が存在しない場所でそれを確保するという点では同じであり、今回の課題において転用出来るという発想をしたのは悪くなかった。

 

「難点は、それが空気を頭の周りに纏わせるだけに過ぎないあたりですか。魔法的な泡とは言っても外からの衝撃に左程強い訳でも無いでしょう。壊れてしまえば直ぐに息が出来なくなりますから、魔法の維持と衝撃の回避という二点に同時に注意して移動する必要も出て来てしまう。水中という環境でそれをやるのは、正直言って僕は御免ですね」

 

 常に緊張を強いられ続け、息が出来なくなる恐怖にハラハラし続けるのは勘弁して貰いたいし、僕はその選択が出来る程に勇敢では無い。

 そう思いつつも、それを選択して見せた代表選手は眼前に存在している。

 

「本人に聞くのは多少気が引けますが、セドリック・ディゴリーは成功し、けれども貴方は失敗した。その分岐点は一体何処に有ったのです? 一応貴方がどうしても答えたくないというので有れば、やはりそれを尊重する気は有りますが」

 

 流石に自分の失敗した原因の事だ。

 フラーは唇を噛み締めて暫し黙り込んだが、最終的には重い口を開いた。

 

「……水魔(グリンデロー)でーす」

「つまり、彼等の襲撃によって泡頭呪文が壊された。ないしは、集中が完全に途切れてしまい、自らの魔法力でそれを壊してしまった。そんな所──」

「──それは違いまーす!」

 

 フラーは大声で遮り、しかし恥じ入ったように俯いた。

 

「い、いえ。完全に違うという訳では有りませーん。最後にーは、そうなりまーした。けれど、私が水魔を、あの程度の生き物を全く撃退出来なかった訳では無いでーす。いえ、やっぱり撃退出来なかった訳ですけども、その……」

 

 取り留めない告白を黙って辛抱強く聞いていれば、彼女は段々落ち着いていった。

 

「泡頭呪文は問題無く使えてまーした。けど、水魔の大規模な襲撃の後、私は突然息が上手く出来なくなったのでーす。顔の空気の泡はまだ大きかったのにでーす」

「…………」

「それまで共に居たセドリックとビクトールが、何処に行ったか解らなくなりまーした。私は暫く水中を進んでいましたが、何時の間にか異変が生じている事に気付きました。真っ暗で静かな世界でも聞こえーる程大きく心臓がバクバク動いていて、手足が痺れはじめて満足に動かせなくなーり、水上に無性に上がりたーくなって、そこで漸く自分が速く浅い息をしている事に気付き、そして、そして──」

「──再度の水魔の襲撃が有って、そこで泡頭呪文が解けて棄権という事ですか」

 

 彼女はコクリと頷く。

 そして、あれは何だったのかという視線を向けられるが、流石に肩を竦める。

 

「僕に問われても困りますよ。僕は身一つで湖底に行った事は有りませんし、呪文の専門家でも無い。貴方のその反応や症状を直接見たという訳でも有りませんしね」

 

 知識内に存在せず、取っ掛かりすらもない事はどうしようも無い。

 

「ただ、泡頭呪文が水場で使われる呪文として載っていない魔法であるというのには相応の理由が存在するという事でしょう。その辺りは、フィリウス・フリットウィック教授に聞く事を勧めますよ。貴方の弱音にも真摯に向き合ってくれる筈ですし、答えもくれるでしょう」

「……貴方が言うのならば、そうしまーす」

「まあ何だかんだ言って、魔法族はやはり陸の生き物だという事なんでしょうね。自身の変容は、或る意味で人間でなくなるという事でも有りますから」

 

 水場の専門家が泡頭呪文の存在を知らない事は無いだろうし、場合によっては使用をするかもしれない。

 セドリック・ディゴリーも、フラー・デラクールですらも途中までは、今回の課題において使用するに支障が無かったのだ。適切に利用される限りにおいては有用なのだろうが──しかし専門家にとっては、可能な限り使用を忌避するだけの理由が有るのだろう。

 

「でもそれならば、貴方にとってセドリックは適切な手段を取れなかったのではないでーすか? その……失敗した私が言うべきでないのは解っていまーすけど」

「……確かに、貴方の体験談を聞いて少しばかり観方が変わっては来ましたが」

 

 同じ魔法でも使い手の差が出たと切り捨てるのは簡単だ。

 

 けれども彼女の話を聞いた限りでは、そして僕の感覚的に言えば、決してそれだけでは無いようにも思える。恐らく泡頭呪文という回答には悪辣な罠が仕込まれていた。運次第では回避出来るかもしれなくても、致命的となりうる類の陥穽が。

 

「しかし、前提を忘れてはいけません。これはどれだけ適切な手段を見付けられたかの勝負では無く、あくまで本旨は課題の目的を達成出来るかという点に有る。そしてセドリック・ディゴリーが貴方と違い単に運が良かったというだけにしても、それも実力の内でしょう。彼は一番早く、そして殆ど完璧に課題を達成してみせた。それが全てです」

 

 趣味嗜好の裁量は許されても、採点基準から逸脱するべきでは無い。

 

 そして真っ当に考えれば達成不可能のように思えても、今回はあくまで試合の課題であり、代表選手には達成する事が期待されていた。

 

「水魔が脅威として水中に居る事は貴方から聞きました。では、それ以外は? 例えば、あの湖には大イカが居た筈ですが。或いは、近場の湖(Loch Ness)で非魔法族に目撃を許してしまった水獣(ケルピー)。他には海蛇(シーサーペント)海馬(ヒッポキャンパス)など。そう言った脅威は居ましたか?」

「……ええと、そのような生き物は一切見ませんでした」

 

 一瞬解答が遅れたのは、話題が突然変わったように思えたからだろう。

 そしてその分を差し引けば、彼女は殆ど即座に答えを出したに等しかった。彼女はわざわざ思い出す努力が無い程に、水魔以外の脅威となる生物を見ていないようだった。

 

「ハリー・ポッターらは? 無論、これは知っていればで構いませんが」

「ビクトールやセドリックとは一緒に迷っていたので彼等も見ていないのは同じだと思いまーす。()リーの口からも、そのような生き物が居たとは聞いていません」

「そして、最大の脅威と成り得る水中人。彼等についても、貴方がたは戦う事は決して無かったし、課題を邪魔される事も一切無かった。そう考えて良いですね?」

 

 僕の言葉に、フラー・デラクールはしっかりと頷いた。

 今の質問で一番重要なのは水中人の部分だったが、最後の光景を見る限り余り心配しても居なかったし、実際その通りだった。彼等は代表選手の前に立ち塞がらなかったらしい。

 

「となれば、今回の課題で用意された代表選手への直接的な脅威は水魔(グリンデロー)程度だった。まあ彼等が有利な水中ですから、M.O.M.分類XX(無害で飼いならす事が出来る)というのは当てにはなりませんし、実際貴方は失敗させられた。ただ、それでも決定的要因ではないようですから、こう言って良いでしょう」

 

 第二の課題は、僕が予想した以上に単純だった。

 

「今回の課題の最大の脅威は溺死に過ぎず──まあ、十分過ぎる程の脅威ですが──代表選手がそれを防げるように対策出来たのであれば、十分な点数を取れるようには出来ていた。つまり、難易度はある程度考えられていた」

 

 水中での生存、かつ一時間という制約が試練であり、それ以上は求められなかった。

 

「仮に今回の課題において水中人と決闘()()()、或いは追いかけっこ()()でもさせられていたならば、ハリー・ポッター以外は残らず失格だったでしょうね。視界も機動力も相手が圧倒的上。戦う以前に逃げる事すら出来ない。しかし、そうはならなかった」

「……加減されていた、という事ですか」

「第一の課題より多少マシという程度、気休めに過ぎませんがね」

 

 難題である事には変わりない。

 ギリーウィードでは余裕だが、それ以外の手段を使うとなると難易度が跳ね上がる。

 ただ人間の変容を扱う事が出来る程の技量が有るなどの、学校史でも稀な位の天才的能力までを求められた訳では無い。普通に優秀な知識と杖腕、そして度胸と判断力を駆使すれば達成は可能だった。

 

「それを考えれば、今回の課題は泡頭呪文で十分だった。十分だったとは言いますが、貴方が失敗させられたように、やはり簡単では無かったでしょう」

 

 水魔の魔法省分類がXXとされているのは、水中人が彼等を操る事が出来るという点も大きい。恐らく、いや間違いなく、彼女は意図的に襲われた事だろう。

 

「それでも、セドリック・ディゴリーは──辛うじてなのだとしても──課題を達成出来た。難癖を付けるとすれば、時間オーバーは時間オーバーだという点くらいですか。課題の目的は、〝一時間以内に自身の大切な物を取り戻す〟ですからね。後半は達成しても、前半は達成出来ていないのは他二者と変わりません。ただ一分に過ぎないのも確かですから、一位なのは順当でしょう」

 

 47点、つまり最低でも二人が満点を付けたのは点数をやり過ぎな気もするが、相対評価分も加味してそう判断するのも解らなくはない。

 

「……では、ビクトールの方はどうなのでーすか?」

 

 僕の判断理由に納得行ったのかどうかは解らないが、彼女は別の一人に矛先を向けた。

 

「ビクトールは高度な変身術に挑みまーした。その、少しばかり不十分でーしたけど」

「まあ、見た目は普通に悪かったですね」

 

 半魚人(マーマン)と呼ばれるに相応しい奇天烈さだった。

 

「けれども、セドリック・ディゴリーより少しばかり遅かった程度で、課題の目的の後半部分を達成した事には変わりないでしょう。40点は点数を引き過ぎなように思えますけどね、イゴール・カルカロフはビクトール・クラムに9点か10点を付けたでしょうし」

「でも、アレは失敗でしーた。手段としては──」

「──適切では無かった。僕には一概にそう言い切れない気もしますが」

 

 見栄え重視のルドビッチ・バグマン、後は完璧主義者で融通が利かないらしいパーシー・ウィーズリーあたりが結構減点したような気がするが、少なくとも変身術の大家であるアルバス・ダンブルドアはビクトール・クラムに適切な評価を与えた事だろう。

 

「高度な人間の変容、それも種を超えた正しく変身と言える程の魔法は、非常に難易度が高い物です。最大の問題は他人の助力無しに戻れなくなる可能性ですが、もう一つ小さくない問題は、それは人間と全く違う身体構造になってしまうという点に有ります」

 

 魔法は万能では無い。

 それが引き起こす全ての問題を、解決してくれる訳では無い。

 

「……それは、鰭や尾鰭を上手く使えないという事でーすか?」

「それも有る気がしますが、その辺りは魔法が魔法的(magical)に解決してくれるのかもしれません。ですから、僕が言いたいのは今回の課題に即しての話ですよ」

 

 変身すれば自動的に泳げるようになるのかもしれない。

 その辺りの判断は僕の知識の範囲内では出来ず、だからこれは全く別の話だ。

 

「第二の課題の主要目的は、自身の大切な物を取り戻す事です。それを考えた場合、鮫に変身し過ぎる事は、果たして適切なのでしょうか。例えば、眼について」

「……? 鮫は水の中で餌を取りまーす。当然良く見える筈でーす」

「しかし、それは果たして人間と全く同じ観え方をしているんでしょうか?」

 

 あの変身を見ると共に浮かんだ疑問だった。

 

「彼等は水中で魚を捕れさえすれば生きていけるでしょう。そして外敵から逃げる必要も殆ど無い。人間という大例外を除いて、彼等は捕食者の頂点に位置している。感覚として、それ程高度な眼の機能は必要が無い気がするんですよね」

 

 環境によって身体の機能は変化しうる。

 退化とまでは言わないが、鮫には人程の進化は不要では無かったのではないか。

 

「彼等が色を識別出来る程度は? 視野は? 視力は? 鮫の生態に詳しくない以上、僕はそれらの答えを持ち合わせていませんが、大切な物を取り戻す。つまり、人間には全く慣れない眼を使って湖の中からハーマイオニー・グレンジャー一人を探し出すのには、正直鮫の眼は向いていないと思うんです」

 

 そもそも、人間個体の識別が出来るのだろうか。

 ハリー・ポッターが二人の人質を連れて来た事から解る通り、四人の人質は同じ場所に居た。そして、あくまで取り戻すのは()()()大切な物で無ければならない。連れ帰ってみたら別人だったとなれば、最悪他人の妨害として失格になりかねない。

 

「そして〝取り戻す〟という部分。その対象が何であるのか不明で有ったとしても、どう考えても鮫の鰭では都合が悪そうだ。人間の強みは、自由自在に動かせる手と五指ですからね」

 

 当然、一度変身を解くという解決策が無い訳ではない。

 しかしながら、地上で有ったとしても非常に難度が高い術なのに、水中で、酸素不足の中、人間に一度戻った後で再度鮫に変身するという事実上二度の変身を行い、その間に人質の救出も行うというのはかなり無茶な話である。

 

「僕は今眼と手のみについて触れましたが、逆に水中での聴覚や嗅覚あたりは鮫の方が圧倒的に優れているでしょう。ただ、やはり課題の目的を達成するには向きそうに無い」

「……だから、ビクトールは敢えて不完全な形で変身術を行ったのでーすか」

「意図的かどうか解りませんが、結果的に悪くは無かったとは思いますよ」

 

 実際、制限時間を超えたとはいえ、課題の主要な目的は一応達成出来たのだ。

 

「種を超えた変容の場合、その変身対象と同等まで知能が低下してしまうという話も有ります。しかし、彼は半分人間のままだった。変身は肺までを含む半身が変化しただけで、手は使えた。眼や知能がどうなっていたか知りませんが、ああも不十分だった訳ですから、見た目が完全に変化したとしても中身まで完全に変化していたとは限らない」

 

 そうでなければ、ハリネズミを針山に変身させたにも拘わらず、人が針を持って近付くと丸まるという事も無いだろう。外見だけは完璧でも、中身が不十分という事は有り得る。

 

「個人的な見解ですが、種を超えた人間の変容で最も重要なのは、変身しながらも変身し過ぎない事なのかもしれません。鮫は杖を使えませんしその必要も無いですが、杖ごと鮫に変身した魔法使いは、決して杖の使い方を忘れてはならない。でなければ、元に戻れなくなってしまう。魔法的に人間の利点を残したままに変身する事こそ、変身術の奥義なのでしょう」

 

 自分で変身対象を選ぶ事の出来ない動物擬きに一定の需要が存在する理由も、単に動物擬きには杖が不要であるというだけでなく、その問題点にこそ起因するのかもしれない。

 その現象を表現する呼称の中に魔法使い(magus)が含まれているように、彼等は変化した後ですらも完全な動物では無いのだ。手酷い失敗をして人の姿でなくなるという事は有り得ても、獣畜生と化して我を忘れてしまうという事は恐らくないのだろう。

 

「正直、見た目だけでそう悪く言われるべき物でないと思います。完全な種の変容が出来る人間が他に居たのならば、ゴブレットはその人間を代表として選んでいそうな物です。加えて、セドリック・ディゴリーも貴方もそのような事は出来なかった。ならば、少なくともこの世代では、そんな離れ業が出来る者は三校に居ないと考えるのが自然でしょう」

 

 名乗りを挙げていない事も有るが、十分な実力を持っていながら尚、謙虚な魔法族というのがまず考えられない。力を持っている者は基本的に自信過剰であり、この眼前の女性がその典型とも言える。完璧な変身術を使えるのであれば第一の課題を上手くこなす事も可能だったであろうから、その可能性は殆ど排除してしまっても良いだろう。

 

「では、ハリーはどうなんです?」

「僕が何を言い出しそうかは、何となく勘付いていそうな物ですがね」

「…………」

 

 確証が有った訳では無い。

 あくまで彼女とは二カ月程度、それも今回で殆ど二度目の付き合いに過ぎない。

 

 だが彼女は何処に情報源が有るかは兎も角、僕が泡頭呪文の問題点を指摘した事を知っていたし、実際フラーは表情を歪め、嫌な物を見る目付きをした。

 

「ハリー・ポッターは論外、とするのは明らかに言い過ぎですが。確実な事は、彼は二番目の地位、45点もの高得点を与えられるのは相応しくない。今回に限っては三位が妥当。それも僕の個人的な趣味嗜好すら排して、ビクトール・クラム以下の点数が下されるべきです」

 

 

 

 

 

 

 

「今回の課題の目的は、一時間以内に自身の大事な物を取り戻す事です」

 

 そこが最初の出発点であり、その前提を決して忘れてはならない。

 

「時間制限を大きく逸脱した事はとやかく言いません。厳しい事を言えば、セドリック・ディゴリーすら守れなかった訳ですから。そして彼は、自身の大事な物(ロナルド・ウィーズリー)を取り戻す部分については達成した。それに関しては、大いに評価されるべきでしょう」

 

 目的自体を達成出来なかったフラー・デラクールよりは明確に上ではある。

 

「ただ、道徳心の発揮云々は目的に書かれていない。採点基準として示されていないし、目的から解釈するにも離れ過ぎている。それにも拘わらず、審査員はそのような主観的過ぎる、最初に設定した基準から離れ過ぎる判断を下してしまった。それが秩序の破壊、混乱の招来と言わずして何と言うんです?」

「……でも、あれは三大魔法学校対抗試合の精神に合う物でーすし、魔法使いとして正しい姿の筈でーす。貴方が非難するのは可笑しな話だと思いまーす」

「別に加点自体まで文句は言いませんよ。個人の裁量(好み)によって得点を下すのは、審査員の当然の権限です。しかし、一時間という時間制限を大幅に超えた──つまり、課題の目標の半分を明確に失敗した──にも拘わらず、満点を与えるのはやり過ぎだ」

 

 この点に関しては、イゴール・カルカロフが五点しか与えなかった方がまだ妥当である。

 八点程度、もっと露骨に言えばビクトール・クラムと同列の点数を付けるのであれば好きにすれば良いと思う。しかし、それを超えるような点数を付けるのは許されるべきではない。

 

「例えば、ビクトール・クラムは第一の課題でドラゴンを傷付け、偽物の卵も破壊しました。しかし、そのような行為は魔法生物に対して惨く許されるべきではない仕打ちだと怒りを覚え、ドラゴンと卵を護る為に課題に乱入したらどうなります? それもまた一種の道徳心の発露の筈で、ならば今回と同様に加点するつもりですか?」

「それは……他の代表選手の仕事を邪魔しているでしょう。今回とは違いまーす」

「極論なのは理解していますよ。けれども、そのような点数稼ぎの目立ちたがり(スタンドプレー)を防ぐ為に、採点基準や目標設定が有る筈です」

 

 確かに例外は許される場合が有る。

 しかし、それは原則として秩序に適合する物で無ければならない。

 

「今後三大魔法学校対抗試合が開催されたとして、今回の()()()()()を踏まえ似たような馬鹿が出たらどうするんです? 出るだけならばまだしも、その出しゃばりの行為の結果死人が出たら? 褒め称えられる事は構わない。しかし、一線は引かれるべきでしょう」

 

 賢者の石の時も、似たような事を思った。

トロールの際、ミネルバ・マクゴナガル教授はあの二人に加点する傍ら、少なくともハーマイオニーに対しては明確に減点の判断を下し、しかし他方でクィリナス・クィレル教授の際、アルバス・ダンブルドアはそのような遠慮も無く単に加点のみをした。

 

 どんなに道徳的に正しくとも規則や法律の下で裁かれるべき行為というのは有る筈だというのに、あの騎士道気取り(グリフィンドール)は平然と無視してみせた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それは看過された。

 

 好き勝手に言える(第三者)からの断罪。

 それに対し、フラー・デラクールは不服そうな表情を浮かべていた。

 

 明らかに何か言いたげで、表情だけでなく全身から不承認を示していて、けれども彼女は更に反論をするような真似をしなかった。それは僕の語った理屈に納得出来る部分が有ったというよりも、逆に理解出来ない身でありながら尚理解しようとするが故だった。

 

 その不器用過ぎる心の在り方に、思わず軽く口元が緩む。

 

「ハリー・ポッターが貴方の妹の命を救った。そういう考え自体まで否定しませんよ」

 

 彼女の主観までを支配しようと思ってもいない。

 

「貴方も馬鹿では無いでしょう。孤独な水中の世界では理性的に考えられなくとも、人で溢れた地上の世界では理性的に考えられる筈だ。()()()()()()()()

「……一時間を超えれば、最早望みは有り得ない。そういう約束だった筈でーす」

「一位で帰ってきた人間ですら一時間の制限を一分オーバーだった。採点発表の際にルドビッチ・バグマンがそう言うのを、貴方もまた聞いていた筈ですが」

「……知りませーん。聞いてもいませーん」

 

 そっぽを向くが、仮にそうでも今聞いただろう。

 

 彼女は当然に気付いており、けれども見ない振りをしている。

 非論理的な行動で有るが、見たくない物が有るというのは理解出来るし、彼女とて本気で言っている訳でも無いのも伝わってくる。彼女にとって事実かどうかは重要では無く、彼女と彼の主観に基づく行為自体の尊さにこそに価値が有った。

 

「──そしてまあ、課題に過ぎないというのは、所詮全てが問題無く終わった後だから言える事。幸運にも全員無事だったから良かったというだけで、それが真実で有ったのならば、ハリー・ポッターの行為こそが正解なのでしょうしね」

 

 諦念と共に大きく息を吐く。

 

 水魔にしろ水中人にしろ、水底へ人間を攫っていったという伝説は数多存在する。

 それを強く念頭に置くならば、彼の行為はやはり軽々しく馬鹿にされて良い物でも無い。

 彼が二人の人質を水上に連れ帰った際、少なくない人間が愚かな事をしていると考えた筈だ。だが、そのような愚かな行為を自然にしてしまえるからこそ、僕のような人間には決して出来ない事を出来るからこそ、彼は〝生き残った男の子(特別な人間)〟なのだろう。

 

 そして同時に、看過する事の出来ない疑問が有った。

 

「……やはり貴方がた代表選手も、第二の課題前、そして湖底に潜る前においては、大切な物が何かを全く知らされていなかったんですよね?」

 

 フラー・デラクールが完全に我を喪ったのはリタイア後、水中人によって地上に戻され、周りから何かを聞いてからの事だ。それまでは通常のパニック状態というと変だが、まだ話が通じる状態だったように見えた。

 

「? そうですが、それがどうかしましたか?」

「いえ、だとすれば余りに腑に落ちないと思いましてね。つまりはアルバス・ダンブルドア、或いは魔法省の人間達は、貴方がロジャー・デイビースを見捨てるような薄情な人間だと考えていた事になります。正直、それは貴方という存在を見縊り過ぎだと思いますが」

 

 フラー・デラクールは、そこまでねじくれた人間では無い。

 今回の課題で妹の命を真剣に案じたように、彼女は純粋な心を持つ女性であり、相手が誰であろうが〝命を救う〟事を躊躇いはしなかっただろう。

 

 そして人質が誰かを第二の課題前に代表選手に教えないのであれば、ガブリエルを湖に沈める必然性が有ったとは考えられない。

 

 他二者はユール・ボールの相手が人質で、ユール・ボールでロジャー・デイビースとフラー・デラクールの仲がそう悪い物でも無かった事は本人の口から既に聞いた。パートナー(パーバティ・パチル)を相当手酷く扱ったと僕にすら伝わってきたハリー・ポッターの場合はロナルド・ウィーズリーを人質にせざるを得なかっただろうが、フラー・デラクールの場合はそうではない。

 九歳程度の少女を沈めるという狂気を行うよりは、多少インパクトが弱かろうとも、人質役をロジャー・デイビースとする方が穏当な筈だった。

 

「あっ、それは──」

「──何か重大な理由でも?」

 

 思わず反応したというようなフラーに視線をやる。

 

 だが、彼女は慌て急いで僕から再度視線を逸らしてしまった。

 

「い、いえ。それは今貴方が気にする事では有りませーん」

「……自身の妹を湖に沈められて、その感想は薄情だと思いますが」

「それは既に私達にとって問題とならない、解決済みの事なので構わないのでーす」

「…………まあ、身内がそういうのならば僕がしつこく言う事でも無いのでしょうが」

 

 言い訳をするように慌てる彼女を他所に溜息を吐く。

 

 答える気が無さそうな彼女は置いておいて、やはり思い出されるのは一年時の事。

 

 あの老人は、賢者の石を餌として、クィリナス・クィレル教授及びハリー・ポッターを泳がせた。ホグワーツ校内に自ら危険を招き、その上で放置するような真似をした。

 

 構図としては今回も似たように思える。

 ハリー・ポッターを代表選手とした闇の魔法使いが居るにも拘わらず、アルバス・ダンブルドアは九歳の女の子を事件の渦中へと巻き込んでしまった。自身が今世紀で最も偉大な魔法使いであるというだけでは、今回の行為は無茶過ぎる。

 

 第二の課題で〝事〟が起きない保証が無いという保証など無いだろうに、あの老人は今回もまた彼女(ガブリエル)を手頃な餌、闇の魔法使いがつけ込みやすい隙として使ったつもりなのだろうか。

 それとも、あの老人は今回の件に自分の最大の敵が、闇の帝王が一切関わっていないと確信する何かが有るのだろうか。だとすれば一応それは僕にとって歓迎すべき事でも有るが──それでも内心どう思うかは別である。

 

 ただ、そのような憤懣を捻じ伏せて、息を吐くだけに留めた。

 

 このような事はフラー・デラクールの前で言うべき事では無かった。結果的に何もガブリエルの身に起こらなかった以上、悪戯に不安を掻き立てる真似は不要である。

 加えて今回の三大魔法学校対抗試合が終われば彼女達は自国に帰る身なのだ。闇の帝王が近々再開させる血みどろの魔法戦争、彼女達にとっての対岸の火事に付き合う義理も無い。

 

「え、ええと……その、怒っていまーすか?」

「──いいえ。仕方ないと思って居るだけですよ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……まあ、結果的に彼等は愚行を犯したという事でしょう。貴方は最後まで辿り着く事は叶いませんでしたが、仮に辿り着いていれば当然ハリー・ポッターと同様の事をやろうとした筈だ。人質の命が危ないと思っていた点では同じですからね」

「…………」

 

 と言っても、彼女はやはり辿り着けなかったのだ。

 辿り着けていれば道徳的な行動を取っていただろう、というのは空虚で無意味過ぎる擁護だ。その身に確かな実力が無ければ、そもそも他人の命を救う事は出来ないのだから。

 

 ただそれでも、救わなかった事が確定している代表選手二人とは明確に異なるし──そもそも、もっとやりようはあっただろう。

 

 フラー・デラクールに告げたように、これは所詮試合の課題、命の危険を無駄に増やすべきでは無いイベントだったのだ。彼女の表面だけ見て冷徹で高慢なだけの女性と判断した挙句、九歳の子に危険を冒させるような大馬鹿な真似をするのは救いようがない。

 

「──そ、それで」

 

 手を組んだ僕に問い掛ける彼女の声は少し上ずっていた。

 頬が少しばかり赤いのは、流石に寒さを覚え始めてきたからか。僕もさっさと帰りたくなってきたが、彼女の話はまだ終わらないようだった。

 

「あ、貴方が持ち込みの有無について非常に、ええ、本当に非常に拘っていたという事を聞きましーた。それは何か重要な意味が有ったのでーすか?」




・泡頭呪文
 この魔法は五年時、アンブリッジに対する反乱時、糞爆弾や臭い玉が廊下に投下されていた際にも再度使用される(五巻・三十章)。
 悪臭を防ぐ事がこの呪文の本当の使い方であるのか、或いはセドリック達が課題で使用したから周知されたのかは、原作へ忠実に従う限りは不明のままである。

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