「水の中で一時間ばかり生き延びる。その表現自体が不明確極まりなくて僕には気に入らないのだが──まあそれは今は置いておこう」
今ここに居るのがハーマイオニーであれば当然触れた。
しかし、魔法界のみに生きる彼にこの理解出来るとは思えない。そんな徒労をわざわざする気にもなれなかった。
「今回特に意識すべきは、それは君達が求める最終目的では無いという事だ」
「……えっと、僕達はそれを探してたんだけど」
「別に全てを否定はしない。しかし、それは手段に過ぎず、真に求めているのは課題の達成では無いのか? それも、大人達によって一応安全措置が取られているという建前では有るが、命の危険が有る類の代物だ」
ピンと来ていないロナルド・ウィーズリーに、更に言葉を続ける。
「つまり、一時間生き延びるだけで終わりなのか。今回の宿題とやらは、誰が最も長く水底に沈んでいられるかを競う物に過ぎないのか、という事だ」
そこまで説明して漸く彼は気付いたらしい。
深刻そうな表情に変わった所を見ると、僕の質問の真意にも考えが及んだか。
「……ハリーは、一時間以内に大切な物を取り戻す必要が有るとか言ってた」
「つまり、どう考えても水の中で生き延びるだけでは不十分だな」
それを探す事が間違っている訳では無いが、仮に見付けられたとしても問題解決に繋がらない可能性が高い。
「移動する必要も有りそうだ。そして時間制限付きか。相応の速度も要求されるらしい。ハリー・ポッターがどれ程泳げるか知らないが、ホグワーツには水泳教育の時間など無いし、家では親族に軟禁されている彼が大得意とも思えない。加えて、ドラゴンのような脅威が水中に存在する可能性も有るから、戦う手段も必要そうではある」
当然、僕は何のヒントも無しにこういった事を言っている訳では無い。
僕の頭の中にはバーテミウス・クラウチ氏と会話した場所、スリザリンの談話室が面するホグワーツの巨大な湖、緑の部屋の中から窓を通して見える水魔や水中人、そして大イカが日向ぼっこをしている光景が浮かんでいた。
けれども、僕にはあの老紳士の信頼を裏切る気は更々無く、そもそもロナルド・ウィーズリーに話すような必要が無かった。
ただ、僕の言葉を聞いて彼は更に混乱したようだった。
単に水の中で過ごす手段さえ見付かれば解決だと思っていた彼からすれば、余計に難題を突き付けられた気分なのだろう。
「……君の言葉を聞いてると、ハリーには絶対出来っこない気がしてくるんだけど」
「遺憾ながら、その感想には同意せざるを得ない」
正直な話、無理難題と言える。
「どう考えても、一つや二つの呪文で足りるとは思えないし、六年生や七年生が達成出来る難易度すら超えているように見える。ドラゴンもそうだろうと言えばそこまでだが──」
──バーテミウス・クラウチ氏の印象には合致しない。
第一の課題程に過激にしないだろうし、そこまでの技量を求めるとも思えない。
「だからこそ、僕は視点を変える必要が有ると言った。そして、僕達は魔法使いである以前に、知能を持った人間だ。杖一本で解決する義務も無いし、その必要が無い事は奇しくも君の親友が第一の課題で見せてくれた通りだ」
「呼び寄せ呪文……! そうだ、君にも聞こうと思ってたんだ……!」
何故か顔を輝かせたロナルド・ウィーズリーは、彼の〝良い〟発想を僕に語り聞かせた。つまり、ダイビング器材一式を呼び寄せるという手法だ。
彼はそれが大層名案だと考えていたようだが、話を進めるにつれて最初の威勢は失われ、最後の方は殆ど消えるような声だった。わざわざ僕の評価を告げる必要も無いらしい。
失望を隠さず息を吐いて、僕はローブから杖を抜く。
ビビったように身を縮めた彼に構わず、僕はその杖を机の上に置いた。
「ハーマイオニーは機密保持法の観点から却下したようだし、道具が上手く機能しない可能性も有るが、僕は更に別の視点から却下しよう。魔法使いは魔法を万能で有ると考え過ぎている。けれども真にそうであるならば、魔法族は千年前の時点で既に〝マグル〟に勝っているし、1692年において、彼等から離れて静かに隠れ住む最終決定を下していない」
質量保存則を始めとして物理法則に従いはしないが、魔法に秩序が存在しない訳では無い。体系が存在し、制限が設定され、暴力の手段としても使い勝手は限定される。
ルーモス、と僕は呪文を唱える。
それに応えて、杖先には淡い白の灯りが輝いた。
「簡単な呪文で有れば、直接杖に触れずともこうして魔法を行使する事は可能だ。魔法使いは家の中で、或いは外の暗闇の中で、杖を探すのに苦労しない。これは厳密には杖無し魔法では無く、そしてこれは自分の杖だからこそ使える魔法でも有る」
アクシオ、と今度は唱えた。
二十センチばかりの些細な移動だが、机の上に置かれていた杖は確かに浮き上がり、僕の手の中にピタリと収まる。
「一年時に魔法を放つ為の四要素については学習しただろうが、呼び寄せ呪文では特に集中力、それも対象を心の中ではっきり想い描く事が重要だ。今こうして僕は杖を少し呼び寄せたが、それが出来たのは、魔法使いにとって杖は半身とも言えるからだ」
心象の中で正確に思い描くのに苦労もせず、難易度としても高い物でも無い。そう補足しながら、僕は杖を再度ローブの中へ仕舞った。
「翻って第一の課題。彼は自身の箒を呼び寄せた。推測するに校舎か箒ロッカーから飛んできたのだろうから、誰にでも出来る事では無い。しかし、あの箒は彼が良く見知った道具。クィディッチ選手にとっての半身のような物だと、やはり僕は理解しているが」
「……じゃあ、そういうのじゃないダイビング器材を呼び寄せるのは無理だって事?」
「魔法使いとしての力量次第で可能では有るだろう。ただ、眼前に無い物は想像しにくく、難易度も高い。尚且つ、箒は自分で飛べる。一方、器材は飛べない。アレ一式だと重量も結構な物だった筈だから、正直望み薄だな」
法律違反云々、機械の作動どうこう以前。
魔法法則から見て、ロナルド・ウィーズリーの発想というのは論外だった。
「──話を元に戻すが、見方を変えるというのは別だ。つまり、探す分野について」
魔法界で図書配架や分類についてもっと考えられていたのなら苦労しなかったが、それでも多少の役に立ちはする。
「呪文の区分や分類における
何より、こちらの方が彼にとって取っ付き易い筈だ。
「ホグワーツには一年から続く基本科目、呪文学、変身術、薬草学、そして魔法薬学が存在する。さて、今回は何処を探す?」
「そりゃ勿論……呪文学関係の本を探すべきじゃないのか?」
「何故」
「僕達に人を変身するような高度な術は使えない。なら、まず探すのは呪文学関係の本だろ? まあ、ピンスはそんな風に御行儀よく並べてくれてないけどさ」
僕は軽く頷く。
彼の回答には、一応及第点を与える事が出来る。
「でも、あのさ──」
「──君の言いたい事は解っている」
口を開いたロナルド・ウィーズリーを、僕は遮った。
「しかし、見つからなかったと言いたいのだろう? そして、それは既に確認した事であるから僕も重々承知している。だが僕としては、それは左程不思議ではないとも思っている。特に、君達が水の中で生き延びる為の呪文を探していた場合には」
「? どうしてだよ?」
「仮に君がホグワーツの七年生で、それも人を変身させるような呪文を容易に使える程の優等生だったとする。その状況で、新たに水の中で過ごせる呪文を作り出そうと思うか?」
稲妻に打たれたように暫し静止した後、ロナルド・ウィーズリーは渋々答えた。
「……多分、思わない」
「そういう事だ」
多くの人間が、その結論を下すだろう。
「他の呪文で代用出来るのに、わざわざ新たな呪文を作る必要性というのは基本的に無い。発明した所で世間的に評価もされはしない。そういう例が全くない訳ではないが、期待し過ぎるべきではない。特に水中で長時間活動するというような、魔法族の普通の生活には必要とされない特殊技能に関する物であるならば猶更だ」
水の中で過ごすという限定的用法の魔法が幾つも発明されたとも思えないし、改良しようとした酔狂な人間も極少数に違いない。魔法族は根本的に陸の生物であり、仮に水中生物や植物の研究等をするとしても、まず変身術を覚えようと努力する。新たに呪文を作るよりも余程近道で、世に出回っている多くの教本を参考にも出来る正攻法だ。
「まして
もっとも、この辺については、教授陣は異なる見解を持っているかもしれない。
気になってしまった以上後で質問してみようとは思うが、今回のロナルド・ウィーズリーには不要でも有るだろう。そもそも興味を持ちはするまい。
「君達が適切な呪文を探そうとしていたのは理解するし、見つかればこのような事を考える事など不要だった。しかし、見つからないならばこのように頭を使う事が必要であるし、別の分野から探す事も有用だろう。そして、呪文学と変身術を除けば、範囲はかなり絞られる」
「えっと、薬草学や魔法薬学から探せって事か」
「そうだな。後は魔法史から探し出す事も不可能とは言えない」
疑問を浮かべた彼に、僕は理由を付け加える。
「水中人は魔法族と歴史的に関わりが有る。彼等が1692年に意見を聞きに呼ばれた事や、グローガン・スタンプ魔法大臣の〝
一面から見て物事を把握する事は出来ない。
一つの事について多方面の視点から検討・理解出来るのが
「勿論、それだけでは余りにも広過ぎるし、全ての書籍がきっちり魔法薬学や薬草学の本という形で別れている訳でも無い。しかし、探し方の視点については触れた筈だ。君達は単に水の中で一時間を過ごす為の手段を探している訳では無いからな」
「早く移動出来て、戦うのに苦労しない手段か。本当に極狭い範囲を探せば見つかりそうだ」
ロナルド・ウィーズリーは皮肉を飛ばすが、僕は無視した。
「そして何より──君は奇しくも、既にこの問題の中核を突いた」
僕にとって最も注意を引いた点。
或いは疑念を抱いた点は、この課題の大前提にこそある。
彼と会話するまで余り考えてみなかったが、こうして整理してしまえば違和感が際立っていた。この課題は、余りにも無茶苦茶で、不可思議に満ちている。そしてそれ故に僕のような人間は、悪辣な陥穽が何処かに存在するのでは無いかと、当然のように疑ってしまう。
「ダイビング器材の提言は馬鹿げていたが、そこまで理解していた上でああ言ったならば見事と言える。君は僕が触れようとしていた事を先取りした。どう考えても一つ二つの呪文では何も解決しそうにない、そう思ってしまった瞬間から僕が抱いていた、一つの疑念についてだ」
「……そりゃ光栄だね。で、君の言い回しは相変わらず面倒臭いけど、そりゃ何だい?」
軽く肩を竦めた彼からは、やはり論理も知性も感じない。
けれども直感で正解を引いたのであれば、一応評価されるべきだろう。
「仮に、薬草学の教科書から君達の求める答えが発見されたとしよう。早く移動出来て、戦うのに苦労しない手段だ。さてここで、今回の課題で一番問題となるのは何だか解るか?」
「当然、どうやって手に入れるかだろ?」
「違う。当然、
万事が適当な魔法族は、万人に解る形で規則を公開してくれない。
反則を一切露わにしない──どのチームも事例集は収集しているだろうし、審判経験者が漏洩する事などザラだろうにだ──クィディッチが良い例だ。公開が必ずしも公正を示す訳では無いが、万人に理解を求める手頃な手段では有るのは間違いない。しかし、そのような手段を魔法族は嫌う傾向が強く、今回もまた同じだ。
代表選手で無いならば必要無いと考えられているからか、三大魔法学校対抗試合における詳細な規則を僕は当然知らない。まあ、それは今更文句を言っても仕方がないが、今回においては大いに問題になるように思える。
「第一の課題で、彼はファイアボルトをわざわざ呼び寄せた。持ち込みをしなかったという事は、禁止されていたからだろう。つまり、箒は許可されていなかった。武器以外の、明らかに攻撃力が無い道具ですら、あの時は駄目だった」
だからこそ彼は呼び寄せ呪文を必要とし、そして課題において効果的でもあった。
「では、第二の課題は? 第一の課題で杖以外が禁止され、第二の課題が同じ三大魔法学校対抗試合の枠組みに有るのならば、同じく禁止されると考えるのが自然だ。わざわざ持ち込みが許可されると大々的に告知されない限り、規則が変わったと考える余地は無い」
「……えーと、でも代表選手は事前にヒントを貰ったし、三か月の準備期間が与えられたんだぞ? そしてまさかローブで潜る訳には行かないんだから水着は必要だろ?」
「ならばその〝準備〟は何処まで許される? そもそも君は水着を例に挙げたが、水着の持ち込みが許されるというのは、絶対に規則には書かれていない」
「どうしてだよ? 寧ろ禁止する方が可笑しいだろ」
「ならば、聞くが。今回の課題が水場で行われると、最初から代表選手は知っていたか?」
ロナルド・ウィーズリーは黙り込んだ。
僕が知っているのは、代表選手が金の卵を与えられたという点まで。
あの卵にどういう仕掛けが有るかは知る由も無いが、開ければ自動的に水の中で課題が行われると解るという事も無いだろう。必然、水着の持ち込みが許可されるというような規則を制定する事で、あからさまなヒントを出してしまう筈も無い。
「その辺りの規則がどうなっているかについて、ハリー・ポッターは何か言っていたか?」
問うように視線を向ければ、ロナルド・ウィーズリーは露骨に逸らした。
……まあ、最初から期待していなかったが。
「既に示した通り、呼び寄せ呪文には制限が有る。決して何でも呼べる訳では無い。生物の類を直接呼び寄せる事は基本的に制限され、加えて魔法を掛ける事で呼び寄せ自体を禁じる事も出来る。そもそも毎回毎回呼び寄せ呪文を使わさせるというのも芸がない」
第一の課題におけるハリー・ポッターの解決手段は劇的だったが、それを二回も三回も繰り返されるというのも興醒めだ。数百メートル先の校舎から一々呼び寄せる実力が無ければスタートラインにすら立てないというのも余りにナンセンスである。
「……そう。発想としては悪くない筈なのだ。一つや二つの真っ当な呪文で解決しそうにないというのであれば、呪文を使う事自体を諦めて他所から丸ごと持ってくるというのは基本だ。魔法族とて全てを杖一本で解決する訳では無い。魔法薬や魔法具に代表されるように、事前に労力と時間を投資して解決するという事も有り得る」
市場で売っているような道具を買ってきて解決するような真似は流石に駄目だろう。
しかし、例えば自分で調合した魔法薬を使うならば、それもまた選手の実力の内だとも評せるのでは無いか。三校で最も優秀な選手を決めるという、三大魔法学校対抗試合の趣旨に反しないのでは無いだろうか。
「けれども、持ち込みが一切禁止の場合、今までの僕の推測や示唆は全く的外れになる。そうなってしまう。だがそれでは余りにも詰まらない」
「つまらないって……。そんな言い方ありかよ」
「そうか? 水中で一時間ばかり過ごす手段として
適切な形でのヒトの変身、それもヒトの姿から掛け離れた変身は、七年生程度が早々扱える難易度でも無い。
しかし、それを実演出来た人間は大いに評価され──逆にその手段を選ぶ実力が無い人間、その挑戦から逃げた者は、当然のように点数を引かれる。そんな事が有っていいのだろうか。
「勿論……持ち込みが反則だという事が判明するのは悪い訳では無い。その場合は完全に割り切って呪文学と変身術の中で答えを探そうと努力出来る。指針が明快になる。最高は取れなくとも、その次を狙う位は出来るだろう。これはこれで歓迎すべき事ではある」
「……その割に、君は随分とその答えには不満そうだな」
「当然だ。呪文の知識クイズや変身術コンテストをやるだけならば、三大魔法学校対抗試合である意味が無い。用意された正答というのは有るんだろうが、数学では無い以上、最高の解法が一つしか許されないというのは余りに陳腐で、腑に落ちない」
あれだけ第一の課題は見応えが有ったのだ。
結果として全員が全く別の手段を使ったものの、そうならない場合でもやはり四者四様の試合となったのは間違いない。同じ結膜炎の呪文を選択した者が居ても、ドラゴンの種族と個体が異なり、別個の機会に戦わされるともなれば、展開は当然変わり得る。対応には個人差と能力差が生じ、評価の際に選手間の格差を付ける事も当然のように出来る。
けれども恐らく今回は違う。
課題の舞台となるであろう場所から逆算して考えれば、代表選手間で──特に、水の中での活動の解決策として同じ方法を選択した者達の間で──大きく変わる展開が有るとも思えない。創意工夫も何も無く、ただ水中を活動出来る魔法が上手いだけの人間が勝つというのは、正直言って面白味が無さ過ぎる。
そして僕はあのバーテミウス・クラウチ氏を知るからこそ──彼の意地の悪さを理解しているからこそ、何か仕掛けが有るような気がして止まないのだった。
「でもさ」
ロナルド・ウィーズリーは、考え考え言葉を口にする。
「魔法省の役人なんてどいつもこいつも頭がガチガチなんじゃないの。君は自分の好みで何か屁理屈をでっち上げたいだけで、そこまで真剣に考えていないかも知れないし」
……その指摘は、確かに的を射ているのかもしれない。
まず趣味嗜好で検討してしまうというのは、恐らく僕の悪癖だ。特に第一の課題がああいう形だったから、余計それに引き摺られてしまっている事は否定出来ない。
「そもそも君はクラウチが今回の課題に関わっていると考えているらしいけど、仮にそうでもパーシーが信奉する人間だぜ? バグマンみたいに面白味を求めすぎるのも困るけど、課題に面白味や盛り上がりが必要だとか、そんな真っ当な事を考えてるとは思わないよ」
「パーシー・ウェーザ……ウィーズリーか」
かつてのグリフィンドール生、そしてあの期における男子の首席。
貴族中の貴族たる老紳士が露骨に軽んじ、しかし最低限の評価は与えていた人間。
「折角話題に出たのだ。その君の兄はどういう人間なんだ」
「パーシーの事か?」
「ああ」
頷いて肯定を示せば、大きく顔を歪めた。
「そりゃあ……ハーマイオニーを二、三回り頭でっかちにしたような人間さ。とにかく融通が利かないガリ勉野郎だ。そして規則にも煩い。無駄に気取っていて、仕切り屋でも有る」
「────」
「魔法省に就職してからは特に酷くなった。夏休み中なんてずっとピリピリしてしたし、怒鳴ってばかりだったな。しかも、今回の三校対抗試合についても、僕達に教えてくれもしなかった。なのに、僕達の前で極秘事項がどうとか、勿体ぶって口にしてたんだ。あいつは自分が他人より優れてる事を自慢したいだけの自惚れ屋だよ」
……水を向けた身では有るが、ここまでベラベラ喋ってくれるとは思わなかった。
「あいつが監督生でも首席でも無くなった事は、今年になって最も良かった事の内の一つだね。全く煩いのなんの。あの権力大好き男が魔法大臣でもなっちゃったらこの世の終わりだよ。フレッドとジョージなんかはアズカバンに入れられた挙句、延々と鍋の厚さを測らせられるのは間違いないさ……!」
「……吸魂鬼と鍋が何故繋がるか解らないが、兎に角凄く嫌な奴だという事か?」
三年間遠目から見ていた限りではそう思えなかったが、意外な事も有る物だ。
そんな想いと共に聞いてみれば、彼は非常に形容しがたい表情を浮かべた。そして何かを言いたそうに口を頻りにもごもごした後、漸く重い口を開いた。
「……アー、いや、その、決して嫌な奴では無いというか」
「今までの言葉は嘘だったという事か?」
「ええと……全て事実で、本当に嫌な奴なんだけど……何だろう。非常に表現に困るというか……どう言えば良いのか解らないけど、敢えて言うならば──」
「──君の兄だからか」
「そう! 僕の兄なんだよ! とにかくそういう事だ!」
理屈も論理も何も無い。
けれども──言葉に出来ず、また言葉が不要であるという事はやはり有るだろう。
「……そうか。君の兄、か」
背もたれに大きく体重を預けた。
兄弟の居ない僕に、その感覚は全く解らない。
ただ、どんなに口で悪く言っていても、嫌っているという感情までは伝わっては来なかった。どんなに性格や気質が合わないとしても、彼にとっては自分の兄で、家族で、それは何が有ろうと決して揺るぎはしない繋がりなのだろう。
ロナルド・ウィーズリーはパーシー・ウィーズリーに好意を抱いて居なくとも、それでも家族の情は抱いている。そしてそれが両立し得る事を、僕はこの身で良く理解している。
「えっと、ここまで言っておいてなんだけど、君がわざわざ聞くって事は、パーシーが何かヤバい事をやったとか、そういう訳じゃないよな?」
「……いや、その懸念は大いに外れだ。今回君に聞いたのは偶々で、気紛れに過ぎない」
しまったという表情をあからさまに浮かべている彼に首を振る。
何時も何時も、確たる計画を持って僕が動いていると思われても困るものだ。
「パーシー・ウィーズリーに思う所が有って君に質問した訳では無い。僕はあくまでバーテミウス・クラウチ氏の部下であるという点のみに関心が有った。君の兄が彼の部下で無かったのなら、僕は今回話題にすらしなかっただろう」
「……クラウチ? 何でレッドフィールドがクラウチを気にするんだよ」
「彼とは少しばかり、そして直接会話を交わした事があるからだ。その中で君の兄の話が出たから、少々興味を持って君に聞いてみたに過ぎない」
まあ少しばかり、と表現するには踏み込んだ話では有ったのだが。
「脱線はこれくらいにしておこう。そして君の考え、つまり僕が考え過ぎだという指摘自体も一理有る。あくまで僕のは〝一般論〟に過ぎず、今回の宿題に対して直接向かい合っている君の方が正しいというのは有り得る話だ。どうするか自体は君達が決めると良い」
話題を修正し、纏めに掛かる。
最初は余り気が向かなかったが、一度検討し出してみると興味深くは有った。
自分がこの課題に立ち向かうのは絶対に御免だと言えるものの、完全な安全圏で頭を使うには良い暇潰しになったといえる。その点に関しては、わざわざ僕へと話を持ち込んできたロナルド・ウィーズリーに感謝しても良い。
「一応これまでの話を整理すると、僕の本命は魔法薬学か薬草学。魔法史学も参考になる余地は有る。……嗚呼、仮に変身術や呪文学の分野を探すとしても、僕であれば水に関わる本は余り選ばない。今まで君達が読んで来なかった類の本を探すだろう」
「……えっと、何で水に関する本は選ばないんだい?」
「君達が散々探した挙句、ヒントすら見付けられていないからだ」
それで解決していたならばこのような事は言わない。
けれども見つかっていないのであれば、やはりこれも視点を変えるべきなのだ。
「君は水の中で生き延びる方法を聞いたが、既にそれのみに拘る事無く、水に関係有りそうな本は当然片っ端から探していた筈だ。中々見つからないのであれば、余計にその選択をした事だろう。けれども、それでも尚、三人掛かりで何も見つける事が出来なかった」
ならば、そこには無いと考えるのがやはり自然だろう。
「つまり、真っ当な方法で見付ける事は不可能では無いかと僕は疑っている。当初は水中で使用する事を想定されて発明された訳では無い呪文の、教科書的で無い用法では無いかと」
ファイアボルトの欄、或いはその開発者の欄でティンダーブラストやスウィフトスティックが触れられる可能性が有るように、解説中に湖底でも利用は可能であるとサラッと触れられている事は有り得ない話ではない。
「……それって、水の魔法を探したら馬鹿を見るって事か? 流石にそんな性格悪い奴なんて早々居ないし、正直反則だろ」
「まあ断言はしないがな。単に古くて忘れ去られた呪文か、或いは新しく発明された呪文だという可能性も無い訳ではない。その場合でも、今まで見つからなかった事に理屈は付けられる」
呪文が見つかるとすれば、考えられるのはそのどちらかだろう。
「そして僕は当然気が向かないのだが……君達がそれでも水に関する本から呪文を探したいのであれば、水中の生存にも種類が有るという事は最低限意識しておくべきだ」
水の中で生き延びる。
その不明確さが気に入らない根源的な理由でも有る。
「つまり鯨と鮫の違い、多量の酸素を水上で確保し効率的に運用するか、水中から酸素を取り込むかの差異だ。そもそも呼吸が不要な生物も居る。結果は同じように見えても方法論は異なり得るのだ。呪文学の分野を探すなら、その辺りはヒントになるかもしれない」
「……えーっと、全く意味が解らないんだけど」
「だろうな。だから省いたし、後からハーマイオニーに相談したまえ。彼女ならば理解した上で探しているとは思って居るが、彼女は時に視野狭窄に陥る事が有る。一応確認しておくに越した事は無い」
やはり指針は大事なのだ。
特に今回のような、図書室が素直に答えを用意してくれない類の、少しばかり捻った内容を探している場合においては。
「何より──君は既に最善で最短の、そして最も賢明な手段を取っている」
「え?」
「図書室のみが答えを与えてくれるという訳では無い。君達次第、君達の周りの人間達次第であるが、今回はそちらの方がまだ目が有るのかもしれない」
彼は偉大な一歩をもう踏み出している。
呆けた返答を寄越した彼に、僕は軽く笑った。
「つまり、詳しい人間に聞く事だ」
図書室の本を一々ひっくり返すなど愚の骨頂。
今回彼が僕に試みたように、それこそが最も単純かつ効果的な手段である。
「無論、僕は
合同授業で共にする魔法薬学は別として、グリフィンドール生の薬草学の成績は流石に知らない。まあ前者は当然、後者においてもその最優秀生徒はハーマイオニー・グレンジャー以外に居ないだろうが、授業範囲外の広範な知識を持っているかは別問題だ。
更に四年生のみでは無く別学年も含めて考えるともなれば、僕は知る由も無い。
「既に解っていると思うが、聞き出せるのが取っ掛かり程度でも構わない。流石に
三大魔法学校対抗試合においては、代表選手は自らの力のみで課題を達成する。それが建前に過ぎないとしても、それが秩序である以上、表向きは維持されなければならない。
……口が堅く、自身の活躍や貢献を濫りに吹聴しないグリフィンドールか。余り想像が付かないが、七学年全てを探せば居ない事はないだろう。そして彼等の交友関係で見つからないというのなら、所詮はそこまでの話でしかない。
「でもさ、それなら長々と君が小難しい話をする必要が有ったのかよ」
「……何が言いたいかは予想が付くが、一応続けたまえ」
「君は長々と話してくれたけど、要は魔法薬学や薬草学に詳しい奴に聞くのが一番手っ取り早そうだって事だろ? じゃあ最初からそう言えば済んだんじゃないか」
恨みがましく言うロナルド・ウィーズリーに、僕は長く溜息を吐いた。
彼は全くもって、何も理解する気が無いらしい。
「その答えは一理有ると言って良い。寧ろ僕としてはその方が楽だった」
「じゃあ、何でそうしなかったんだい?」
「君は最初に自分が何を言ったのか忘れたのか? 君はハリー・ポッターの役に立ちたいと言った。最初から詳しい誰かに聞くだけでは、君が活躍したとは言えないだろうに。少なくとも、君がその意味を理解した上で指揮を執らねば、それは功績とは言えまい」
その言葉を聞いて漸く、ロナルド・ウィーズリーはバツの悪そうな表情を浮かべた。
僕も
「何より、聞き出すにも技術が居る。人間というのは、誰かから唐突に質問されて、直ぐに思い出せるようには出来ていない。特に今回のような、水の中で生き延びる方法という抽象性の高い質問ならば猶更だ。順序立てて話を聞いたり、多少のヒントや自身の希望を口にしたりする事によって、相手から初めて出て来る情報というのも有り得る」
たまたまその情報を直近で知ったという状況で無い限り、普通は思い浮かばない。
「……君って友達居ない筈だけど、何でそういう事解るんだい?」
「彼の──マルフォイの口を割らせるには、時に技術が必要であるからだ」
そして実験台としても手頃で、便利で、都合も良い。
……まあ、僕が真に必要とする情報は簡単に口を開き、逆に必要ではあるが是非とも欲しいとまでは言えない情報は渋る傾向が有るというのが少々腑に落ちないが。ただこれは余り重大な理由が有る訳でも無く、僕と彼とでは価値観が異なるというだけに過ぎないのかも知れない。
「僕のスリザリンでの生活は良いだろう」
余計な詮索をされるのは好きでは無い。
「後は君の問題、グリフィンドールの問題だ。僕の説明を一言一句繰り返す必要は無いし、君なりに話せば良い。従えとすら言わない。これは一般論に過ぎず、今回の事例で用いるには不適当かも知れないからな。そこまでは僕も責任を持てない」
ハーマイオニーあたりは、僕の口出しを拒絶しそうである。
それもまた構わない。僕にとってハリー・ポッターの生死が左程重要でないように、彼が優勝するかどうかというのは更に関心が薄い。
そもそもの話、僕は彼が三校試合で勝つべきでは無いと考えている──と言っても、流石にそこまで助言する気は無いが。近くに〝犯人〟が潜んでいる可能性を理解しながら、明らかにハリー・ポッター寄りの干渉をするというのは適切では無いからだ。
「ええと、ともかく君の言いたい事は良く解っ……いや、あんまり解らなかったな。クソッ、ハリーが言ってた事が解るぞ。一度話してしまうと、考え事で頭の中を一杯にされる。やっぱり君、イカレてるな。どう考えても普通じゃないよ」
「僕に言われても困る。それを求めたのは君なのだから」
「アー、でも何だ。その……えーっと。わざわざ君の所に来た意味は有ったというか。つまり、僕が君に対して何を言いたいかというと──」
「──嗚呼、その先は不要だ」
ロナルド・ウィーズリーを遮る。
何を言おうとしたかは解るし、それは言わせるべきでは無いからだ。
「まさか何の打算や利益も無しに、僕がこう長々と話すと思ったのか? 商品を受け取った後なら、その対価を求められないとでも考えていたのか? だとすれば余りにも虫が良過ぎ、君はスリザリンという物を甘く見過ぎている」
愕然とした表情を浮かべたロナルド・ウィーズリーに、僕は更に笑った。
最初に述べた通り、彼は僕の事をそう悪くないスリザリンだと考えていたのだろう。
けれどもそう思ってしまった時点で、彼は既に蛇の罠に立ち入ってしまっている。あからさまに隙を見せられて付け込まない程、僕は御人好しでも何でも無い。
「しかし、今回僕が君に答えを与えた訳では無いのは事実だ。僕にとっても興味深い話題では有った。恩に着せすぎるというのも不当ではある」
義理難く恩を返すのはグリフィンドールでは無い。
仲間の為、己が信義の為ならば、それを都合良く忘れてしまえる事こそ彼等の本領でも有る。
「だから一度で良い。僕が助力を求めた際に、少しばかり耳を傾けてくれれば良い。嗚呼、それも君が僕の頼みを拒絶したら終わり。僕の一度切りの求めに対し、君が一度応じるか、或いは一度断ってみせるか。それで全て清算という形で構わない」
現時点で必要になるとは限らない。今年必要になるかどうかすら怪しい。
だが、保険は何処にでも掛けておいて損は無い。特に彼はハリー・ポッターやハーマイオニーと違い、容易く操れる類の駒では無いからだ。今回は彼に対して縛りを課すには都合が良く、その点においても利益が有ったというべきか。
「つまり僕は、君が断らないだろうと考える程度の些細な頼み事しかしない。見誤ってしまえば、僕は君に何も頼み事を出来ないままに終わる。その程度の対価で有り、貸しに過ぎない。御互いに、それくらい軽い方が都合が良いだろう」
「……それって僕に有利過ぎない? だって、君が何を言っても僕が断れば良い訳だろ?」
「その行為が君の良心に反しないならば、別にそれで構わないが」
「…………」
グリフィンドールは恰好付けたがりであり、その上、これは人間として許容出来るかの問題だ。あの二人の親友であるというのならば、早々簡単に出来ない類の行為である。
勿論、スリザリンである僕は何ら躊躇無く断るだろうが。
「……えーと、その今回の貸しとやらについて少し解らないんだけどさ」
「構わない。事前にそれを解消しておくのは、僕としても望む所でもある」
「じゃあ聞くんだけど。それは例えば、ハーマイオニーへの口利きをしろって事なんかじゃ無いよね? そういう面倒な真似に関わるのは、僕は絶対に御免なんだけど」
彼から飛び出た問いに思わず眉根を寄せる。
事前の予想の何れとも大きく外れ、そして突飛で荒唐無稽だった。
「何故そこでハーマイオニーが出て来るのか解らないが……その回答としては否だ。君を通して彼女をどうこうするような、そんな非効率な真似をする気は無い」
是が非でも必要となれば自分で彼女の下に行くし、仮に仲介が必要だとしても、ハリー・ポッターに頼むだろう。
ロナルド・ウィーズリーは短気で短絡的過ぎるし、ハーマイオニーと口論せずには居られない発想や考え方をしがちだ。場を収める為の仲介者としては、全く不適当である。
「じゃあ……まあ、それで良いけど。──あっ、良いって言うのは、その貸しで良いっていう意味だぞ。君がどんな頼みをしてこようと、多分僕は断るからな……!」
「その台詞は、君に頼み事をした時に再度聞くとしよう」
そして絶対では無く多分という単語を選択した時点で、既に語るに落ちている。
荒々しく立ち上がった彼を他所に、僕は視線を手元の本へと落とす。
彼はこれ以上の助力を求めていないだろうし、僕もそれを与える気は無い。どういう答えを彼等が導き出すか自体には興味が有るが、それは一週間後に自然と解る事だ。そしてまた答えが無いというのでも僕は当然に納得出来る。ハーマイオニー・グレンジャーが求めるような場合でない限り、彼等の傍に付き纏う必要を感じない。
現時点で特に関心を持ち、課題によって確定したいと考えているのはただ一点だけ。
「──重要な事だから敢えて繰り返しておくが。第二の課題で杖以外の持ち込みが一切禁じられるのかどうかだけは明確化しておきたまえ」
彼を視界に入れないままに、最後の忠告を投げ掛ける。
「僕の一般論をハリー・ポッターやハーマイオニーが重視しない事は何ら構わない。だがそれだけは確実にしておくべきだ。万一ハリー・ポッターが知らないのならば、ミネルバ・マクゴナガル教授の下にでも聞きに行かせれば済むだろう。然して手間が掛かるという話でも無い」
クィディッチと異なり直接的に命が懸っている以上、代表選手が規則を明確化したいという要望は決して無碍にされないとは推測している。魔法省との摺り合わせも有って直ぐに答えが返って来ない事も有り得るが、全く無反応という事も無いだろう。
「そしてだ。結果としてやはり持ち込みが原則禁止されるという回答が返って来たならば、単に僕の考え過ぎで、杞憂に終わる。その方が単純で、君達にとっては都合が良い。素直に呪文学や変身術の分野を探すだけで何らかの答えが見つかるに違いない」
ハリー・ポッターに扱う実力が存在するかはまた別問題だが。
それでも、この課題の目指す所というのは最低限把握する事が出来る。
「けれども仮に、自分の力とは明らかに呼べない物を除いて、何か道具を持ち込む事自体は禁じられないという回答。ないしは水着や保護スーツの持ち込みすら曖昧にした上で、その行為が規則違反かどうかまで考えるのも課題だというような事実上の無回答が返って来た場合は……十分に注意する事を勧める」
この課題が決して単純な物では無いと。
水の中で生き延びる為の解法のみを求めているのではないと、そう示唆して来た場合。
「──僕の勘でしか無いが。その場合、この課題の出題者は酷く性格が悪い」
・Metamorphoses
食べる事によって水の存在になる草は、共和政ローマ末期から帝政ローマにかけての詩人オウィディウスの『変身物語』、そのグラウコスのエピソードを想起させる。
『変身物語』は特に中世後期からルネサンス時代にかけての西洋文芸ないし民間伝承に多大な影響を与え(というか大衆に受けた)、英国で言えばシェイクスピアやチョーサーあたりもその影響下に有る作品を作っており、直接原典を読んでいなくとも馴染みが有るという場合も少なくない。
・水着
原作中では第二の課題時において、クラムは湖に入る前に水泳パンツ姿となっているが、ドビーに起こされて急行したハリーの方は、ローブのまま湖に突入している。セドリックは不明だが、フラーの方は競技終了後「ローブは破れていた」(四巻・二十六章。ただしどんなローブかは不明確)と描写されている。