この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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前回更新分で三校対抗試合を四年毎のように書いていた点を修正。
クィディッチワールドカップは四年毎、三大魔法学校対抗試合は五年毎。完全に確認を怠ったが故のミス。

後は前回更新分に付け加え忘れていた、原作中に三大魔法学校対抗試合中の二校の動向について二話前に追記。


ライブラリアン

 ユール・ボール、或いはクリスマスパーティー。

 

 その何れに参加したかを問わず、あの狂乱の宴では多くの者が散々騒ぎ、そしてまた想い出として強く心に残ったのだろう。クリスマスが終わった翌日ですら騒ぎと話題が尽きる事は無く、しかし流石に新年を迎えて新学期が始まってしまえば、ホグワーツは表面上完全に落ち着きを取り戻していた。

 

 今ならば、教授達がクリスマスに全ての決着を付けようとした理由も解らないでもない。

 仮に代替イベントが今後に繰延ばしになっていた場合、校内は未だに革命騒ぎ、御祭り気分を引き摺ったままだった筈だ。けれどもああして下級生達にも満足出来るイベントを用意し、全員に明確な区切りが付けられた事によって、彼等は自分達の日常を思い出す事が出来た。

 

 そして考えてみれば、如何に今年三大魔法学校対抗試合が組まれていようとも、五年にはO.W.L.が、七年にはN.E.W.T.が変わらず待ち受けているのだ。

 

 ハロウィンから続くホグワーツの賑やかさで、彼等としても余計に実感が湧きにくかったのかもしれない。しかし、自身の将来を大きく決定する試験が()()有るとなれば、流石に現実と向き合わねばならなかった。

 特に五年を中心として少なくない人間が神経質となり、耐えきれなくなって下級生を怒鳴りつける事もしばしばだったが、気分が良ければ鷹揚にもなれるという事だろう。クリスマスの余韻に未だに浸っている下級生達は怒鳴られた所で余り動揺する事は無かったし、たとえ二月末には再度の楽しみ(第二の課題)が予定されているとしても、それを大っぴらに騒ぎ立てて、焦燥に追われる彼等の気分を逆撫でするような事もしなかった。例年通りのホグワーツが戻ってきていた。

 

 そして僕の方はと言えば、やはり何も変わりは無かった。

 

 目覚めたその日の夜、つまりクリスマスの翌日にはミネルバ・マクゴナガル教授に告げて早々に帰宅させては貰ったものの、それから外出する気力は最早無く、殆ど何もする気が無いまま家で引き籠っている間に冬期休暇が終わっていた。

 

 結局の所、あのクリスマスが劇的に僕を変えたという事も無いし、周りの扱いが変わったという事も──と言っても、変えられた所で大いに困る訳だが──無い。新学期が始まって以降も相変わらず嫌厭されたままであり、僕にとっては平穏そのものだった。

 

 あの反乱(パーティー)の絵図を描いた一人が僕である事に全く誰も気付いていないとは思わないが、さりとてやはり、気付いている者は殆ど居ないだろう。

 

 フラー・デラクールには口留めをし、更に僕が罰則を受けていたのは必然ホグズミードを中心としてであり、その姿をホグワーツ生が見る事は殆ど無かった。

 パーティーに上級生が独りだけ混じるという事態にしても、あの日を楽しんだ下級生達にとっては大抵が大きく気に留める事でも無い問題だっただろう。更にはミネルバ・マクゴナガル教授や警備の闇祓いと普通に会話していた姿は見られていただろうから、僕の参加が黙認されている事に彼等なりの理屈を付けたに違いない。

 

 そして逆に、僕がユール・ボールに参加していないという事に気付く者も居なかった筈だ。

 代表選手のような当然に目立つ立場の人間ならば別として、あの広い会場、それも暗くて混雑しているであろう場所で、一々誰が居て誰が居ないという事を完全に把握出来た者が居るとも思えない。パートナー無しで一人で参加していれば悪目立ちもしただろうが、最初から居ないのならば気に留められようもない。

 

 強いて言えば、スリザリン寮の人間くらいか。

 下級生、上級生問わず、僕が確実に関わっていた事を知って居そうなのは。

 

 あの場に居た者は僕がマルフォイにした話を残らず全部聞いていたし、もしかしたら──というより十中八九、聞いていた下級生が僕の悪巧みに乗るよう彼に頼み込んだ事だろう。

 そして寮内政治にしても下級生の女子生徒からの頼みにしても、彼の立場を思えば早々無碍に出来たとは思えないし、マルフォイ家の金銭と労力の負担さえ許容出来るのならば、やはり彼にとっても大いに利益が有る話だった。

 

 しかし僕の関与をスリザリンが知っていても、今度は寮外に話が出る事も無い。

 セドリック・ディゴリーの時とは違う。あの昼食会はマルフォイ家の、ドラコ・マルフォイの、その他聖二十八族の功績で無ければならなかったし、その功績を()()()()()()()()()()()()()()を吹聴する馬鹿は、決してスリザリンには居てはならないのだから。

 

 クリスマス後と言えば、フラー・デラクールもあれ以降近付いては来なかった。

 

 学期が始まって暫くの間、何故か自分は怒っていますというようなあからさまな態度を僕へと示していたが、正直言って僕の知った事では無い。

 それどころか、余りにも目立ち過ぎる彼女が冷淡な対応を取ってくれる事は、学期末に彼女と近付いている所を見られている僕からすれば大いに歓迎すべき事で有った。

 

 彼女の妹(ガブリエル)の方がふくろう便を定期的に送ってくるようになった事は少しばかり悩みの種だったが、あのパーティーの苦労に比べれば、些細な時間を使うだけで済むのはマシなものだ。手紙の中身の半分が自分の事についてなのは良いとして、残り半分が大抵フラー・デラクールについての内容であるのも辟易する事の一つではあったが、まあ姉妹仲睦まじくて良い事ではあるのだろう。

 

 ただ一つ。

 懸念事項を上げるとすれば、それは未だにハーマイオニーと疎遠である点だった。

 

 彼女からクリスマスプレゼントが一応送られて来ていたという事は、多少の救いだったと言えるだろう。けれどもそれは、毎年続けていた事を今年も続けただけという、いわば義理のような物で、彼女に特別の意図など無かったのかもしれない。

 ハーマイオニーは新学期が始まって以降も一貫として僕に近寄ろうとしなかったし、明らかに僕を避ける意思を表明していた。図書室で彼女の姿を見かける事が有っても彼女は僕に視線を寄越そうとすらしなかったし、眼が合ったように見えても、全く興味が無さそうについと視線を逸らすだけで、彼女はそれ以上の反応を示さなかった。

 

 ……嗚呼、一度だけ、彼女から接触が有ったか。

 

 新学期が始まってから一日、二日経っての事。

 ふくろうが彼女からの手紙を運んで来て、その中には、リータ・スキーターの取材にマルフォイと共に居合わせたかという質問が書かれていた。

 僕は当然それに対して直ちにイエスと返答したのだが、彼女がその手紙を送ってきた意図らしき物に思い至ったのは、既にふくろうを飛ばした後だった。

 

 リータ・スキーターの記事。

 それはルビウス・ハグリッドが半巨人である事を暴露する内容だった。

 

 彼の出自に気付いている事に関し、僕は一度もハーマイオニーに言及した事は無い筈だ。

 しかし僕より彼に近しいハーマイオニーが、彼の出自を全く予想していないとも考えられなかったし、僕がそれに気付いていると彼女が判断するのもまた有り得る話だった。

 

 そして、彼が半巨人である情報が何処からリータ・スキーターに流れたのかを考えた場合、スリザリンである僕がその発信源だと考える事も不自然では無い。あの記事にはマルフォイが去年のヒッポグリフが自分を傷付けた事も書いて有ったから、僕がリータ・スキーターに彼の出自を漏らしたという発想は、非常に論理的であると評せるだろう。

 都合の悪い事に僕にはそれを否定する材料も無く、あの記者が半巨人のスクープを得た他の手段を即座に思い付く事も出来なかったし、そもそもあの取材の場に居たというのは揺るぎない事実ではあった。結果として、僕は黙り込む以外の選択肢は存在しなかったのだ。

 

 更に〝良い〟事に、僕の気を逸らしてくれるような事態も起こっていない。

 

 ガブリエルのエスコートと無礼な魔法使い達の横暴によって僕は途中から心配するどころの話では無かったが、懸念されたクリスマスの事件(トラブル)は全く無かった。

 

 クリスマスパーティー・ユール・ボール共に、警備の教授や闇祓いの仕事は酔っ払いや常識知らずの大人達、或いは羽目を外し過ぎた生徒達を粛正するのみで、それ以外は平和そのものだったとミネルバ・マクゴナガル教授から直々に聞かされている。

 クリスマス後の翌日から数日間、学校に残った生徒は寮に軟禁されて〝大掃除〟が行われたらしいが、それ以上の騒ぎが有ったとも聞かないから、何も出なかったか、騒ぐ事の大きな何かが見つかった訳でも無かったのだろう。そして当然のように、あのクリスマス以降で校内に目立った変化というのも見られない。

 

 結果として次の山場、〝犯人〟が動く事が有り得るとすれば第二の課題の時だろうという判断を下さざるを得ず──だからと言うには変だが、僕は去年と殆ど同じように、何時も通りの何もない学生生活を送っていた。

 

 そして、気付けば既に二月半ば。

 第二の課題を一週間後に控え、僕は新たな来訪者を迎える事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 今年は本当に色々と異例だった。

 

 特にフラー・デラクールの来襲は僕に多大な面倒を齎したものであり、あれ以上の出来事は早々無く、寧ろ気軽に転がってきては大いに困る。それに比べれば、今回の来訪者は多少の意表を突かれたにせよ、決して予想外という程では無い。

 

「──僕は、君に連れられて外に行く気は無い」

 

 僕は本に視線を落としたまま、気まずそうな表情を浮かべて近寄ってきた彼──ロナルド・ウィーズリーに向かって言った。

 

「去年のように世間話に付き合う義理も無いし、君が求めるような話を出来るとも思えない。しかし……それでも構わないというならば、そこに座りたまえ」

 

 

 

 

 

 

 

 正直、座るかどうかは半信半疑だったと言って良い。

 僕の方は用事が無い以上、彼が立ち去ろうとも何ら構わなかった。

 

 ただ、これまでの三年半僕に全く近付こうとしなかった彼は、今回その主義主張を返上するには十分な理由で僕の下を訪れたらしい。ロナルド・ウィーズリーはおずおずとした、もしくは恐々とした様子で僕の前に座り、机の上に積まれた本の山を御互いの顔が伺える程度に横へと除けた。

 

 マダム・ピンスの方をちらりと見る。

 

 けれども、彼女はこちらに一瞥を返してきただけで、再度蔵書の点検へと戻った。フラー・デラクールの時のように近付いて来る気というのは無いようだった。

 

 ……グリフィンドールとスリザリンが同席するのは面倒事以外の何物でも無いと思うが、これは一応警戒が溶けたのか、或いはロナルド・ウィーズリーが侮られているという事か。何れにしても、邪魔されたが故に答えずに済むという幸運は期待出来ないようである。

 

「余計な御託は要らない。本題だけを単刀直入に言ってくれれば良い」

 

 何から話せば良いかまごついている彼に告げてやれば、少し面食らった顔をした後、都合が良いと思う事にしたらしい。彼は僕の促し通り、自身の質問だけを口にした。

 

「あー、水の中で一時間生き延びる為の呪文を君は知っているかい?」

 

 思わず僕は軽く顔を上げる。

 彼から発された問いの内容は、それだけの価値が有った。

 

「──成程。随分とまた、興味深い宿()()だ」

 

 僕の視線か、或いは言葉か。余計に彼は居心地が悪そうに身を固くする。

 

 だがやはり彼は立ち去る気配を全く見せず、そんな僕への嫌悪感を押し殺してまでこの時期に彼が聞きに来るという事など、たった一つしか考えられない。

 ハリー・ポッター、否、代表選手達は、また無理難題を押し付けられたらしい。

 

「しかし何故、君が聞きに来る?」

 

 ただ、それと別の疑問が湧いたのもまた事実だった。

 

「正直言って、ここに来るとすればやはりハリー・ポッターが一番高く、仮にそうでなかったとしても、精々来るのはハーマイオニー・グレンジャーだと思っていた」

 

 彼は第一の課題( ドラゴン )を自らの発想と実力で出し抜いたのだ。

 それ程の人間が今更僕を頼りにするとも思えなかったが、仮にその可能性が有るとすれば、本人直々にか、或いは僕と一番近しい彼女が来ると思っていた。僕とは交流が皆無であると言って良いロナルド・ウィーズリーが訪れて来たのは、やはり意外の一言だった。

 

「えーっとまあ、僕も柄にも無い事をしていると思うよ。ほらだってさ、ホグワーツに入学して以来、僕は君を、その──」

「──毛嫌いしていたし、避けてもいたな。それについて僕は何も言う気が無いが。スリザリンとグリフィンドールの関係性からすれば、それが普通だ」

「まだるっこしい言い方をしなきゃ……まあそうだ」

 

 ロナルド・ウィーズリーの声は更にバツの悪そうな物に変わった。

 

「ただ、そのさ。僕がハリーと喧嘩していた時、君はハリーの味方をしてくれていただろう? バッジの事もそうだし、ハリーだけが代表選手の地位を奪ったとは限らないってさ。あれで僕は、その……つまり、僕が思っていた程、君は悪──」

 

 そこまで聞いて、指で軽く机を叩く。

 彼はピクリと跳ねるように反応し、言葉を止めた。

 

「ロナルド・ウィーズリー。グリフィンドールに有りがちな事で、ルビウス・ハグリッドもそうだったが、表だけを見て全てを判断すべきではない」

 

 グリフィンドールが時に直情馬鹿と揶揄されるのも妥当だろう。

 彼等は事物の裏側に眼を向けたがらないし、自分が見なければそもそも存在しないようにすら考えてしまっている。

 

 マルフォイのように、悪意や害意を直接向けて来る解りやすい敵というのは稀であり、親切や友好を装って近付いて来る人間こそが真の脅威なのだ。

 そんなにも簡単に白黒はっきり付くのであれば、特に今年僕は──アルバス・ダンブルドアもまた同様に──余計な心労を抱えてはいない。

 

「たかが一時の、一つの出来事で僕を見なおすなどというのは、全く賢明な真似とは言えない。グリフィンドールがスリザリンと明確に一線を引くのは悪い事では無いのだ。特に三人組の中で最もグリフィンドールである君は、その視点を強く意識しておくべきだろう」

 

 彼等は安易に人を信用し過ぎる。

 ネビル・ロングボトムを始めとする他のグリフィンドール生がたとえマルフォイに虐められていようとも、僕は一貫してそれを当然の事として無関心のままで在り続けたのを容易く忘れ去っているらしい。

 

「それで。君でなくハリー・ポッターが来なかったのは何故だ」

「……ハリーは、冬休み中に君がお墓参りに行くと思っていたっぽいからさ」

 

 彼は気分を害した様子だが、僕の問いに対してロナルド・ウィーズリーは大人しく答えた。その言葉の裏側には何処か諦念が滲み始めてもいたが、素直であるのは歓迎すべき事だった。

 

「君はああは言ったけど、ハリーには確信が有ったみたいだった。でも、君はクリスマスには残っていただろう? 休みになっても君の姿は時たま見かけたし、グリフィンドールのチビ共なんて、クリスマスに君を見たなんて事すら言ってたもの」

「そうは言うものの、一応休暇中家へと帰りはしたんだがな。ただ……君達にスリザリンの状況など解る筈も無いのも事実か。そして、確かに墓参りに行っていないのも正解ではある」

 

 けれども、ハリー・ポッター個人としては不快を抱くのも当然の事か。

 そう結論付けた僕に、けれども、ロナルド・ウィーズリーは慌てたように付け加えた。

 

「あーっと、別に怒っている訳じゃないと思うんだよ。ただ、何か腑に落ちきれていない感じっていうかさ。そういうのは、君達にとっては重大事なんだろう?」

「──そうだな」

「だから、ハリーも余計にもやもやしてるみたい。ほら、君も解ると思うけど、ハリーって結構頑固な所が有るだろ? それで今は余り君に近付きたくないんじゃないかな。君と話すと何時も、考えなければならない事で頭を一杯にされるとも言っていたし」

「……彼らしい言い草だ」

 

 思わず軽く笑ってしまう。

 

 確かに、彼が今考えるべきは第二の課題の事である。

 僕などに関わっている暇など無いし、ロナルド・ウィーズリーが僕の下へと来た以上、その余裕も無いのだろう。それも、ハリー・ポッターの親友である彼が、嫌いなスリザリン生に対して近付かざるを得ない程に思い詰めている。

 

「彼の事は理解した。ハーマイオニーの方はどうした?」

「あー、あいつの事は良いんだよ」

 

 もう一人の事に話題を振ると、彼は露骨に顔を顰めた。

 

「全く友人の居ない君も、ハーマイオニーの事は聞いているだろう? あいつはクラムと踊ってクリスマスは楽しく過ごしたんだよ。それなのに、クリスマスが終わってから何かいきなり不機嫌になるしさ。精神が不安定なのも良い加減にしてくれと思うよ」

 

 友人に対する軽口というには、やはりその内容は相当辛辣なように思える。

 けれどもクリスマス前、あのルビウス・ハグリッドの小屋における彼等二人の様子から見れば、これくらい容赦の無いのが通常にも思えたし、そもそも彼は僕の事などどうでも良いようにグチグチと不満を零し続けていた。

 

「新学期が近付いて漸く機嫌を治してきたかと思ったら、学期始まって直ぐには何故か激怒するし。その割に、何時の間にか萎れたような態度に変わってるんだからさ。しかもその理由も、僕達には全く話してくれやしない。ユール・ボールでも思ったけど、女の子っていうのは神秘の塊だね。男には理解不能だよ」

「……別に僕はハーマイオニーの観察記録を話せと言ったつもりは無いんだがな」

「ぐっ」

 

 ロナルド・ウィーズリーが呻き声を上げる。

 軽く頬が紅潮しているのは、自分が喋り過ぎた事を自覚しているからか。大いに動揺した表情を浮かべたまま、取り繕うように言葉を続けた。

 

「で、でも、そういう訳で僕が君の所に来たんだよ。君は色々賢いのは二人から聞いているし。この答えも君ならば簡単に答えてくれるんじゃないかと思ってさ」

「そもそも代表選手は、誰の助けも無く一人で課題の答えを見付ける筈だが?」

「……そ、それは確かにそうだけど」

 

 チクリと警告を飛ばせば、彼は怯んだように黙り込む。

 

 けれども今回は、その正論で終わらせる気というのは僕の方にも無かった。

 

「……しかし、確かにスリザリンとしても、その程度の規則は時に無視されても構わないだろうとも考える。そもそも既に御目溢しがされているようだしな。彼、或いは君が他の者に多少助けを求めた所で、それが〝上手く〟行われる限りにおいては問題無いのだろう」

 

 その行為が公然になってしまえば処罰されざるを得ないが。

 それが限度を超えないのであれば、今回は見逃されるべきだと考える余地は有る。

 

「……? どういう事だい、それ?」

「彼は一人だけ年齢が下であり、自分で名乗りを上げた訳でも無い。そして君達の寮監が、君達二人の協力に全く気付いていないなどと、まさか本気で思っている訳では無いだろうな?」

「…………ああ、そっか。マクゴナガルは、まあそうだよな」

 

 ガックリと項垂れるが、当然ハーマイオニーは気付いていたに違いない。

 

 間接的にであっても教授陣に質問するような事をすれば流石に一線を超えるし、今後一切の助力が禁止されかねないが、少なくとも今まで通りの仲良し三人組で課題に取り組む事は黙認されている。ハーマイオニーがその事を利用出来るようになったのは、ガチガチに規則で縛られていた一年時から考えればまあ、一応進歩では有ると言えるか。

 

 そして、他の代表選手も気付いては居るだろう。

 

 セドリック・ディゴリーは当然、フラー・デラクールやビクトール・クラムも、四カ月近くホグワーツに居て全く勘付かない程に愚かでも無い筈だ。

 

 ただ、二年の差異の存在はそれだけ大きいと彼等は考えているのだろうし、同じ課題(ドラゴン)に立ち向かった者同士として、ハリー・ポッターが過度な不正をする人間では無いとも信頼しているのかもしれない。

 勿論、一番大きいのは自分達の実力に対する自信だろうが。

 

「でも、なら話が早いや」

 

 気を取り直したように、ロナルド・ウィーズリーは僕へと顔を近付ける。

 周りに聞かれたくない話でも有るからだろう、彼の声は一段小さくなっていた。

 

「……とにかく、そういう訳で答えを欲しいんだ。しかもほら、君も知っているだろうけど、僕は第一の課題では何ら活躍出来なかったからさ。ここらでハリーにもハーマイオニーにも良い所を見せておきたいんだよ。そして君も僕を通じてハリーを秘密裏に助ける事が出来るんだ。良い話だと思わないか?」

 

 ……四年()まで関わらなかったから当然とも言えるが、このロナルド・ウィーズリーは全くもって僕という人間を理解していない。

 

 別に僕はハリー・ポッターを率先して助けたいと思っても居ないし、彼が事故死したとしても悲しむような良心を持ち合わせてもいない。

 この辺りはハリー・ポッターの方がまだ理解しているだろう。僕が彼を邪険にしないのは、決して好意や好感に基づく物では無いというのは解っていて──解っていながら、ああいう対応をし続けるから質が悪いが──僕との交流を続けている。

 

 ハリー・ポッターが僕の下に来ないのはロナルド・ウィーズリーが告げた理由だけでは無く、それを理解しているというのも小さくない筈だ。第一の課題前に彼が僕の下へ相談に来なかったように、恐らく彼は、僕達の今までの交流内容からして、僕が課題について助言してくれるかは怪しいと考えている事だろう。

 

 そしてそれ以前に、最大の問題点が有る。

 

「君は随分と期待して僕の所に来たようだが──」

 

 真っ直ぐとこちらに見詰めている彼に対して僕は嗤う。

 

「──それに関して僕は役に立てそうも無い。何せ、水の中で一時間生き延びる呪文だったか。その類の魔法に僕は心当たりも無いし、見当も付かないからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 何を言われたのか解らないと言うように、ロナルド・ウィーズリーは瞬きをした。

 たっぷり二十秒程の時間を費やした後、彼は漸く言葉を絞り出した。

 

「……アー、マジ?」

「このような事で冗談は言わないな」

 

 その必要性も感じられない。

 

「わざわざ僕に聞きに来たという事は、ハーマイオニーも知らないという事だろう。そしてここ最近、君達三人組の姿を図書室で頻繁に見ている。しかし、それでも君達は見付けられなかった。だというのに、僕が知っていると考える事自体が非論理的だろう」

「でも、君はスリザリンだろ? 特別な魔法を知っているとか──」

「スリザリンに水中人(マーピープル)は居ない」

 

 彼の妄言をばっさり切り捨てた。

 そして彼は闇の魔術を一体何だと思っているのか。

 

 暫くこっちを見ていたが、僕が知らないのは事実だと理解したのだろう。彼は御手上げだというように天井を仰ぐ。余程落胆したのか、椅子から半ばずり落ちるような恰好になった。

 

「……けどさ、本当に見つからないんだ。僕達さ、何百冊も探したんだぜ? それなのに何処にも無し。何にも無し。手掛かり一つすら書いてやしない」

「まあそうだろうな。でなければ君は僕の前に居ないし、そもそも課題にはなっていないだろう。第一の課題においてドラゴンと抜き打ちで対峙させた人間達が、簡単に見つかる手段で解決させるとは思えない」

 

 第一の課題が無茶苦茶で有った以上、第二の課題を多少手緩くする可能性が無いとも限らないが、さりとて大きく難易度が低下する事も無いだろう。少なくとも、単なる四年生が手頃に知れる情報で解決出来る程、容易くなるとも思えない。

 

 故に、本来であれば彼にはさっさと御帰り願う所であるし、僕をこれまで通り放って欲しいものであるが──彼にとっては幸運、僕にとっては不運な事が一つ有る。

 

「但し。だからと言って、多少の〝一般論〟を述べられないという事でも無い」

「えっ?」

 

 それは、その宿題が僕に興味を惹かせる物で有ったという点だ。

 

 跳ねるように椅子へと座り直した彼に対し、僕は続ける。

 

「その内容を最初に口にしたのは正解だったな。それを聞かなければ、少しばかりの口出しをする気にすらならなかっただろう。何より、前回がルドビッチ・バグマン好みだったというのも運が良かった」

「第一の課題? 既に終わった事が、何か関係有るのかい?」

「それ自体は然して。ただ、今回の試合に関わっているのは彼のみ、彼の部署のみでは無く、もう一つの部署が存在しているという事だ」

 

 ルドビッチ・バグマンは魔法ゲーム・スポーツ部。

 しかし、此度の三校対抗試合においてはもう一つ、国際魔法協力部も関与している。

 

 それらの部署が仲良しこよしという事も無いだろうし、しかもその部長であるバーテミウス・クラウチ氏は、あの湖の畔において第二の課題のヒントを僕へと残した。それも、余りにも露骨過ぎるとも言える類のヒントを。

 

 だからこそ逆に何か仕掛けが有るように感じたし、強い関心を抱いた。

 

 仮に第二の課題の主導があの傲慢な貴族に存在していたならば、解りやすすぎる解決策を用意するとは思えない。彼等は酷く迂遠で、しかし美学の有る真似を好む。それを今ここで簡単に解き明かせるとは考えてもいないが、課題が行われる前に少しばかり多くの事を知っておくというのは、僕にとって非常に抗いがたい誘惑だった。

 

「さて、まず確認しておくが、ハーマイオニーはその解決手段について全く知らないし、君達は全く探し切れなかった。これは確かな事実であるんだろうな」

「……君には耳が付いていないのか? 僕は間違いなくそう言ったぞ?」

「まあそう言うな。前提は大事だ。それを忘れると大いに間違える羽目になる」

 

 苛々を見せたロナルド・ウィーズリーに少しウンザリしながら答える。

 ハリー・ポッターも大概せっかちな方だが、彼は更に輪を掛けて短絡的な質らしい。

 

「そして、それは非常に重要な事だ。君も良く理解しているだろうが、ハーマイオニーは単なる学年一の優等生では無い。百点以上、完璧を求める神経質な人間であり、一年先の予習どころか二年先の範囲を摘まんで学習していても可笑しくないような魔女だ」

「そういやハーマイオニーはO.W.L.の模擬テストを解いてみたとか、N.E.W.T.の範囲がどうとか、何時ものように知識をひけらかしたり無意識に自慢したりしてたな。……まあ、彼女のそれが知ったかぶりや、無駄な見栄を張った訳でないのも良く知ってるけどさ」

「まさしく彼女らしい。そしてそれから推測出来る事も有る。つまり今回の課題はO.W.L.を修了し、N.E.W.T.に向けての勉強をしている者──つまりセドリック・ディゴリーでさえも、真っ当には知り得ない知識を用いなければ達成出来ない課題では無いかという事だ」

 

 僕の言葉に、ロナルド・ウィーズリーは口をあんぐりと開けた。

 

「ウゲー。じゃあ、ハリーはセドリックですら知らない事をやらされようとしているって事かい? 魔法省はハリーを殺したいと思って居るのか? 余りにも無茶苦茶だろ」

「……それは彼等をドラゴンに立ち向わせた時点で言うべき台詞だったがな」

 

 改めて思い返しても、普通のホグワーツ六、七年生が達成出来るとは思えない。

 

「ただ、真っ当な試験範囲や学習指導要領に存在しないからと言って、ホグワーツで教えられていないとは断言出来ない。フィリウス・フリットウィック教授は愉快な呪文を教えたがる傾向が有る。教授が少しばかり本来の範囲を外れて教えている可能性も無い訳ではない」

「でも……それじゃあ、ハリーは不利じゃないか」

「一人だけ年齢制限以下だから当然だろう。そして、三校試合の本来の原理原則から言えば、彼の参加は決して違反でも何でも無い。今回の年齢線は特別措置に過ぎないからな」

 

 かつての三大魔法学校対抗試合では十四歳の参加は禁じられておらず、しばしばゴブレットはそのような人間を選出してきた。三校で最も優秀な選手を決めるという趣旨からは、ハリー・ポッターが参加する事自体は決して外れる物では無い。

 

「まあ何が言いたいかというとだ。君達が散々探してこれまで見つからなかったというならば、少しばかり視点を変える必要が有るかもしれないという事だ」

「視点?」

「断言まではしない。君達が探し切れていない本の中に、欲しい情報が眠っている可能性も一応無い訳ではない。学ぼうとする者にとって、ホグワーツの図書室は厳し過ぎるからな」

 

 軽く溜息を吐く。

 

 この辺りは〝マグル〟社会を知る者、当然ハーマイオニーも強く同意する事に違いない。一方でこのロナルド・ウィーズリー、つまり先進的なロンドンの図書館、そこで熱意をもって働く親切な者達に会った事が無い人間には、決して理解出来ない類の感覚でも有る。

 

「しかし、今話を聞いていた限りでは、どうも君達は人海戦術で探しさえすれば全てが見つかると思って居た節が有る。それで解決出来るならば問題無いし、ハーマイオニーもこれまで困りもしなかったのだろうが、道具は上手く使わなければ逆に害となりうるものだ」

 

 印刷物の普及。

 それは本を読む人間に対して工夫と試行錯誤、そして更なる技術の発展を要求した。

 

 かつての時代、書物が多いという事は、疑う余地も無く善であった。

 だが、その〝多い〟というのは、所詮は数十から数百、どんなに頑張っても千程度の物差しに過ぎなかった。その程度で大図書館を名乗れた時代が過去の物となり、何千何万冊という本が平気で書架に収まり始めるようになると、多いという事は悪に変わり始めた。どう考えても、その全てに一人の人間が眼を通す事は現実的に不可能になったからだ。

 

 本を探すという行為の意味が、かつてとは全く変わり始めた。

 書架に無いから見つからないという時代では無く、書架に有っても見つからないという時代が到来したのだ。知識は氾濫し、人に牙を向き始めた。読書家ないし愛書家は、恐らく今後永遠に解決されないであろう難題に直面し、同時に一生付き合わざるを得なくなった。

 

 そして今、彼等も全く同種の悩みを抱えている。

 

「図書館、或いは図書室。そこで最も本を探すのが上手い人物は誰だか解るか?」

「えっ?」

「と言っても、これは焦らす程の問いでも無いが」

 

 意表を突かれたような声を上げた彼に、視線でもって答えを示した。

 

司書(Librarian)?」

「その通りだ」

 

 僕達の視線の先には、カウンターで何やら書き物をしているマダム・ピンスが居た。

 

「図書を管理し、目録を作成し、そして書架に本を配置する人間こそが最も書物という物に熟知している。何処に何が有り、如何なる本に何が書かれているかを知っている。そうである事は何ら驚くに値しない──と言っても、魔法界では多少違うようだが」

 

 僕が〝マグル〟の世界で良く知るそれと同じ名前であるが、仕事に対しての向き合い方を全く異にしている。この場合は悪い意味で、魔法界は旧かった。

 

 彼女は本の守護という役割を果たしている、というかそれ以外の役割を果たしているかは怪しい。確かにそれは大事では有る。双子の呪文(ジェミニオ)が存在するとは言っても、複製品は時間によって劣化するし、そもそも羊皮紙で出来た、それも魔法的に保護された本というのは存在自体が稀少だ。その原典の保存という一点において、彼女は一応司書足り得ている。

 

 ただ、図書室の書物を秩序と系統を意識された分類の下に並べるなどという親切な真似をしてくれず、明らかに独自の基準で配列されている。彼女には解りやすいのかも知れないが、利用者にとっては不親切極まりない。

 加えて、探している本が何処に有るか質問しても、彼女はその生徒が本を盗むのでは無いかという疑念の眼つきで見てきた挙句、大概の場合は満足な答えが返ってくる事は無い。

 

 何よりレファレンス業務。

 外の世界で司書が司書たる理由、王のみの為の蔵書から市民の為の蔵書となったが故に広く開放された技能。そして僕が〝マグル〟界に触れて以降一貫して有益であったサービスを、彼女は一切提供してくれないし、そもそも持ち合わせている事すら怪しい。

 

 しかし──それは、やはり外が余りに進み(親切)過ぎているだけに過ぎないのだろう。

 

 中世の因習を色濃く引くこの世界において客を尊重するサービスなど期待し得ないし、そもそもホグワーツ生は学費を支払っていない以上客ですらない。……ホグワーツ教授達も、この図書室の中から本を探すのは難しそうだ、というのが少々引っ掛かりはするが。

 

 もっとも、それは非魔法界も魔法界も知っている人間で、しかも本を愛する人間だから言える事である。そうでないロナルド・ウィーズリーは案の定、嫌な顔をした。

 

「君さ、あのハゲタカみたいなマダム・ピンスが協力してくれると思ってるの? だとしたら本当に頭がお目出度いぜ」

「そうだな。彼女は基本的に学生に対して不親切だ。聞いても答えを期待出来まい」

 

 この学校に図書室嫌いが多いのは、彼女の存在も多分に影響しているだろう。

 あの管理人(アーガス・フィルチ)といい、アルバス・ダンブルドアの職員の選出基準はどう考えてもイカレている。まあ、平気でギルデロイ・ロックハートやルビウス・ハグリッドを雇用してしまう人間であるから、寧ろ自然なのかも知れないが。

 

「ただ、今回は更に彼女を頼るべきでは無い理由が有る。僕は三大魔法学校対抗試合の規則を詳しく知らないが、ここが僕達の自校(ホグワーツ)である以上、不用意な真似は可能な限り慎むべきでは有るだろう。故に、最初から彼女に聞くのは論外だ」

 

 もう少し親切なら努力して多少のヒントを聞き出す気にもなるが、そのような徒労に従事するのは彼等とて御免だろう。

 

「だが司書の視点というのは参考になるし、そうでは無い僕達とて何も見付けられない訳では無い。背表紙だけ見て関係が有りそうな本を片っ端から取り出す事が、本を探すという行為では無いんだ。ここでは最終的にはそうせざるを得ないが、まず頭を使え」

 

 産業革命以降の印刷技術の発展で、一人の王が図書館に君臨する事は不可能になった。

 既に大英図書館は一個人が把握出来る狭い世界では無く、機械によって管理されて検索されざるを得ない世界へと変わっている。

 

 しかし、それ以前の時代は確かに有り、現代において全く流用出来ない訳でもない。

 

「大事なのは、何処で、何を探すかだ。ハーマイオニー・グレンジャーは多くを知り、図書室を長く利用しているが、彼女でも調べきれない事が有る。例を出そう。

 ──ティンダーブラストとスイフトスティック。それらについて調べたいならば何の本を探す? 或いは、この二つの言葉から、君は一体何を連想する?」

 

 答えが返ってくるという保証は無かった。

 けれども、僕はハーマイオニー・グレンジャーから彼の友人の事を聞いている。余り触れられない彼に関してとは言え、それが返って来るだろうと期待出来る程度の知識は有った。

 

「そりゃ勿論、クィディッチ関係の本を探すよ。連想するのはファイアボルトかな」

 

 案の定、彼からは即座に回答が返って来た。

 

「ああ、そうだ。それらの二語は箒の製品名だった筈だな?」

「うん。どっちもエレビー&スパドモア社が発売した箒だよ。そして、その会社を作ったのはエイブル・スパドモアなんだけど、彼の息子であるランドルフ・スパドモアがファイアボルトを作ったんだ」

「……流石にそこまでは記憶していないが、まあ君が言うならば正しいのだろう」

 

 クィディッチ狂に知識で勝てると思っていない。

 

「何でそんな質問をしたのか解らないけど、余りにも簡単過ぎるよ。僕を馬鹿にしてるのかいって感じだね。こんな質問なんて()()クィディッチファンには殆ど常識みたいなものだし、何よりハリーの箒に関する事なんだぜ? こんなの眠っていたって答えられるさ!」

「そうか。自信満々なのは結構だが、僕は知識自慢をされたくて質問した訳では無い」

「……じゃあ、何が言いたいのさ」

「君は知っている。だが、ハーマイオニー・グレンジャーは知らないだろうという事だ」

 

 僕の言葉に、ロナルド・ウィーズリーはピタリと止まった。

 

「そもそも彼女はその二語が箒の名前という事すら気付かないに違いない。速い棒(Swiftstick)の方は兎も角、燃えやすい爆風(Tinderblast)の方は謎掛けか何かだと思うだろう」

「……あー、確かにハーマイオニーならそうかもな。だってクラムがワールドカップでやった技をウォンスキーフェイントとか言うくらいだぜ? 一人じゃ絶対に探せっこないよ」

「絶対かどうかは別として、彼女は君のように正しい場所に真っ直ぐ行く事は出来ない。見当違いの場所を探し、時間を大いに使う羽目になる事だろう」

 

 図書室内には確かに答えが存在しうる。

 けれども、使う人間によって容易く明暗が分かれる場合というのが有る。

 

「仮にそれらについて彼女が魔法具の一種だと見当を付けたとしよう。広義で言えば間違っていないからな。しかし、彼女は探し出せるだろうか。このような本が有るかは知らないが、『今世紀の有名魔法具一覧』という本が有ったとして、その二つはその中に有るだろうか」

「えーと、多分見つからないんじゃないかな」

「何故」

「だって、その二つの箒って正直不人気で余り売れなかった商品だぜ? 有名でも何でも無いもの。書いてあるとしたら多分、箒名鑑くらいの物だよ」

「だろうな。僕もそう考える」

 

 彼の言葉に僕は頷く。

 

百科事典(エンサイクロペディア)という表現が通用するか解らないが、その手の万物の名前を記載する事を目指した書籍でも同じだろう。ティンダーブラストやスイフトスティックを探す為にTやSの項目を探したとしても載ってない。何故なら書き手や編集者は、それを一般的に必要と考えないからだ。君のいう専門書だけが、それを載せる意義を見出すだろう」

 

 紙面は記載出来る内容に物理的な限界が存在し、全てを載せる訳には行かない。

 大衆が知らなくても良いマイナーな箒の事など、わざわざ独立して取り上げもしない。

 

「けれどもだ。仮にそのような一般書の中を探したとしても、ティンダーブラストやスイフトスティックという単語を見つけられる可能性が皆無では無いと思わないか? 勿論、1993年以前に書かれた本では記載されていないだろうが、今ならば期待出来る筈だ」

 

 その問いには、ロナルド・ウィーズリーは初めピンと来なかったようだった。自分としても回りくどい問い方であると思っているから、それでも已むを得ない事である。

 けれども、僕は最初にヒントめいた発言をした上に、わざわざ1993年という年月も出した。だから、彼が最終的に答えられたのも不思議では無かった。

 

「あー、違うかも知れないけど、ファイアボルトの所には載ってるかもとか? ティンダーブラストとかは有名じゃないけど、93年に出たファイアボルトはワールドカップに使われる程に革新的な箒だ。その二つについてさらっと触れられていても変じゃないだろ?」

「僕が期待した通りの答えをしてくれて嬉しい。そして素晴らしく合理的な発想だ」

 

 ロナルド・ウィーズリーは褒められ慣れていないのか、顔を赤くした。

 

「勿論、それらの不人気商品について長々と書いてある事は期待出来ない。ただ、それを見つける事が出来れば、後は君の言うように名鑑に当たれば良い。それらの箒について一般人以上に詳しくなれるだろう。けれども──」

「──ハーマイオニーにはそれが出来ない」

「そういう事だ。そして、それが明確に僕と違う点でも有る」

 

 何故僕の事が出て来たのか解らなかったロナルド・ウィーズリーが首を傾げた為、僕は説明を付け加える。

 

「つまり、僕はそれらの二語がファイアボルトに関する物だと知っていた。しかし一方、彼女は恐らく知らない。図書室を使う上ではそれが大きな差異になる」

 

 言うなれば、本の大海の中での羅針盤。

 それが有るか無いかによって、時間も労力も全く違う。

 

「君はウォンスキーフェイントと発言したハーマイオニー・グレンジャーを揶揄したが、しかし彼女はクィディッチに関する技の何かという知識は有った。その点で言えば、図書室を使って探すのに苦労しない。物事を多少調べるのに専門家である必要は無い。ちらりとでも記憶に有ればそれで済む」

 

 けれども、逆に聞いた事が無ければ一から探す必要が有る為に酷く苦労する事になると僕は続け、同時にふと三年前の事が思い浮かんだ。

 

「そう言えば、君達は一年の時にニコラス・フラメルについて調べていた筈だな?」

「えっ!? いや、確かにそうだけど」

 

 彼は意表を突かれたような表情を浮かべるが、僕にとっては突飛な話題でも無かった。

 

「しかし、君達は見つけられなかった。ハーマイオニーがわざわざ僕に聞きに来たくらいだからな。彼は賢者の石の製造者として余りに有名であり、錬金術の書籍に当たりさえすれば、殆ど全ての教本にその名が載っているにも拘わらず」

 

 彼等は、図書室を上手く使う事が出来なかった。

 

「えっと、でもさ。それは現代の魔法使いを探していたからだぜ?」

「同じ事だ。その名前が何に関する物か、ちらりとですら思い浮かばなかった。錬金術に関する人間の筈だという知識が有り、ここからほんの数十歩と数分程度の労力で答えを見付けられた僕と違ってな。そして散々見当違いな所を探す羽目になったのも今回と同じだ」

 

 彼等が苦労したという事はやはり、魔法界に一冊の本でもって全ての事物、或いは人物を総覧するような事典の作成という概念は無いようだ。いや、それを作成しうるだけの人的資源が、魔法界には存在しないと言うべきだろうか。

 近代的な百科事典は、大勢の人間の手によって書かれるものであり、百科全書派の内部では論争が絶えず、離脱者も多数出た難事であった。魔法界全体の人数からして、そのような大勢の賛同者を同時代に期待する事は困難な気もする。

 

 ただ、今は魔法界の問題について懸念を示すべき時では無い。

 

「引っ掛かり、取っ掛かりというのは重要だ。それを多く持っていれば、物を理解するのに苦労しない。ハーマイオニーのような優秀な記憶力を持っていなくとも、必要な時に必要な事を容易く取り出す事が可能になる」

「でも……多分それが無かったから今の僕達は困っているんだけど」

「そうだな。しかしそれでも現時点で何も出来ない訳では無い。まず自身が何を探し、何処を探すべきかを意識する事くらいは出来るのだ」

 

 マグルの世界では、本を探すのにまずカード目録を探す必要すら無い時代が来つつある。

 けれどもこの世界では未だ遥か遠く、だからこそ、ハーマイオニー・グレンジャーのように抜群の記憶力を持っていない人間が世界を把握するには、事前に頭を使う必要が有る。

 

「最初に君は、水の中で一時間ばかり生き延びる手段が知りたいと言った。しかし、その意味を真に考えたか? その命題を掘り下げて検討したか? 仮にそうで無いのならば、今ここで、改めて考え直さなければならない」




・マダム・ピンス
 公共図書館の起源であり、かつ大英図書館を誇る英国にしては──というと余りに偏見が過ぎるが、作中のマダム・ピンスは明らかに不親切であり、一般的に司書が理想とされる姿(librarianship)からはかけ離れている。
 四巻においては、ハリーはセドリックが知っていた泡頭呪文を発見出来ていないし、第二の課題前夜においては八時に追い出されている(もっともハリーは同時に多くの本の貸出を許されてはいる)。フィルチと並んで扱いが悪く、作中で能力が殆ど描写されない人物である。
 作中で見られる彼女の仕事は盗難や破損防止の魔法を書籍に掛けているあたり。重要業務である事は間違いないが、ハーマイオニーにバジリスクについて書かれた書籍を破られている模様。

 これについて、J・K・ローリング氏は謝罪と共に、親切な司書である場合はハーマイオニーの役割が減り、また物語も支障を来たしてしまう事(とはいえ、フラメルを探し切れなかった件についてはスネイプに知られたくないというハリー達の意図も加わっている)、更にピンスについて『She sprang directly from my childhood fear of scary librarians. The kind who hate kids.』と言及している。


・Librarian
 英米における司書は資格習得に際して高度な教育を要求される専門職Professionであり、〝Librarian〟もまた相応の権威を持っている。
 British Museum大英博物館のトップは、1973年にBritish Library(大英図書館)が分離されるまではChief Librarianという名称であり、その職掌として図書の管理というのは至上命題で有った。
 更にハリー・ポッターの映画の撮影は、オックスフォード大学のBodleian Libraryの最も古い図書室であるDuke Humfrey's Libraryで行われたが、Bodleian Libraryのトップは四百年以上の歴史を有するBodley's Librarianとして尊重されている。

・Public library
 英国の公共図書館の歴史は1850年から(市民が読める図書の開放は当然それより以前だが)と、我が国における近代公共図書館の歴史が1950年の図書館法制定から始まるのと比較して百年先行していたと言える。
 一応公共図書館を実際に公共足り得るようにしたのは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーによる寄付と図書館乱立事業だろうが、ともあれ発端は労働階級に対して道徳等を教える為のインフラの提供であり、本を閲覧したり貸与したりする以上の役割を期待されていた。
 Public libraryの概念に関して一番進んでいる、というか我が国から見れば常識外れですらあるのはアメリカ(スーツを貸す試みすらやった)であるが、我が国の図書館が時に無料貸本屋と揶揄されるのは、原点であるパブリック・コミュニティ的な役割を果たしていないと見られがちという文脈でも有る。勿論、上記のローリング女史の発言から伺えるように、現場の取組み次第で如何様にも変わりうる物だろうが。

・reference
 現代的なそれを公共図書館で始めたのはアメリカ。
 Reference bookを駆使して情報提供をする仕事。ホグワーツのlibraryには何万冊も書籍が有る(一巻)が、その辺りの教育やサービス提供をやっているかは不明。現在では大学を始め、学校においてネット教育と併せて案内をやっている筈である。
 このreferenceもインターネットの発展によって多少形を変え、我が国ではレファレンス協同データベース(他の人間が質問した事項の収集。オンラインで検索可)が運営されている。
 ただ、世界的な傾向としてgoogleで検索すれば簡単に出て来るような質問は減り、調べるのに根気が要るハードな物が増えているとか何とか。

・図書館変革の波
 カード目録(card catalogs)は既に殆ど過去の遺物となり、その代替となったのは言わずと知れたOPAC。開発されたのは1975年のオハイオ州立大学ないし78年のダラス公共図書館。
 88年時点で既に英国では大学図書館の半数がOPACを導入したとする記録もあり(但し公共図書館への普及は当然遥か後)、我が国においても94年時点で346大学はOPAC(ないし類似システム)を導入していた(平成6年度の大学図書館実態調査報告)との事。
 もっとも初期のOPACの検索システムは、今のように適当にキーワードを入力して書籍を探すというのは夢のまた夢。更に情報を求めるという点からは館内蔵書検索のみならず、貸出状況の参照・論文検索・外部の図書館との連携等の機能まで要求されるようになるのは必然だった。
 この時代のコンピューター技術の発展が目まぐるしかった事も相まって、一口にOPACと言っても中身については格差(特に90年代から00年代)が有っただろう。
 ちなみに図書館の機械化というもっと広い意味・観点で語るならば、昭和46年(1971年)時点において、既に文部省は国立大向けに図書館機械化装置設備費を予算計上(阪大への電算機の導入だったらしい)している。情報の管理・検索の効率化は、図書館員・利用者にとって早期から一貫して重大な関心事であった。

・Google、Wikipedia以前
 CD-ROMのテキスト百科事典は85年には既に誕生しており、同年にはマイクロソフトが電子百科事典を出す計画をブリタニカに持ち掛け、そして断られている。これはCDが言うまでも無く安過ぎ、利益が出ないと考えられたからであり、そもそも当時のマイクロソフトの規模は現在と比較にならなかったからでもあろう。Windows 1.0のリリースが同年である。
 しかし周知の通りマイクロソフトは拡大を続け、windows3.0(90年)、3.1(92年)によって商業上の成功を収めた後、93年に電子百科事典エンカルタ(Encarta)を発売した事は、百科事典の歴史において大きな転機となる。
 何千ドルもしていたブリタニカを初めとする紙の百科事典に対し、エンカルタは当初395ドル(後に99ドルまで下がった)と価格の上では絶対的に有利だった。
 内容としては動画・音声等のデジタルの強みを生かそうとするもので、解説テキストの品質や分量の面で見れば劣っていたとも言えるが、それで十分だと考えた人間は少なくなかったし、何よりそれを再生出来るパソコン自体が未来のデバイスだと認識されていた(百科事典を子供に買い与えるような裕福・教育熱心な家庭は挙って買ったし、実際そうなった)点が最大の追い風で有った。
そしてマイクロソフトによるWindows95という革命的商品の発売が、この分野におけるエンカルタの覇権を確たる物とする。
 ブリタニカも94年に図書館や大学向けのブリタニカ・オンライン及びCD-ROM版を出した(系列組織が同種の物を作成していたのは89年のようであるが、見送られた)ものの、価格競争と時代の波には勝てなかった。ブリタニカ社は90年から96年に掛けてannual revenueを半減させ、破産し、96年には安価で身売りする羽目になった。
 但し、エンカルタはWindowsのOEM等により爆発的に広まったものの、マイクロソフトが当初期待していた程の収益を上げず、インターネット時代の到来によって各種の紙媒体の百科事典ともども(そしてreference deskどころかlibrarian自体すらも)傍流へと追いやられていく事になる。
 最終的にエンカルタは2009年に販売終了。ブリタニカは2012年に、2010年度版をもって書籍版の発行を終了する事を発表した。

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