ハリー・ポッターに呼び出された翌日の事。
相変わらずクリスマスに浮かれている──しかし、
クリスマス前の学期最終週とは言え、最後まできっちりと講義を行う授業は幾つか存在する。例えば変身術が典型であるし、今年は闇の魔術に対する防衛術も含まれるだろうし、最終日にテストまで行う魔法薬学は極めつけでもある。
しかしながら、僕は
彼女は必死で教科書を捲り直している事だろうが、概ねの科目において僕は予習を終えているし、魔法薬学にしても今更復習した所で点数が跳ね上がるとも思えない。あの教授は、付け焼刃の小細工を見逃してくれる程に甘くはないし、そもそも生徒の実力自体に期待していない。あの科目を苦手とする人間が多い事も相まって、無難にこなせば優秀層に食い込む程度の点数はくれる公算が付いていた。
そんな訳で、僕は相変わらずアラスター・ムーディ教授から出された課題をこなしていた。
最近はスリザリン寮内に籠り続きであり、闇の魔術を学ぶ環境としてはあの寮以上の場所というのは中々無いのだが、先輩方が代々寄贈してきた寮の蔵書、或いは残してきた教科書や羊皮紙のメモのみで全てが事足りるという訳でも無い。
だからわざわざ図書室に出て来た上で、禁書の棚から出された黴臭い本に齧り付くようにして学習しているのだが、本を借りる際に毎回マダム・ピンスから胡散臭そうに見られるのは流石にどうにかならないだろうか。六、七年以外が禁書から借りる事は殆ど無いからこそなのだろうが、今年に入ってもう何度目か解らない位の事なのだから、そろそろ慣れて欲しい物だ。
しかし、久々の図書室は何時の間にか静けさを取り戻していた。
ユール・ボールが告知された前後というのは酷い物だったが、図書室の守護者もあの状況が続く事は許さなかったらしい。もしくは、全員が全員、ユール・ボールの相手を校庭や寮内で見付けようとするのに夢中なのかも知れない。今までしばしば見かけていたビクトール・クラムの姿が見えないのも一因として存在するだろう。
ひそひそ話の声すら聞こえない、ホグワーツ入学後以来最も雑音が無いと言って良い程の、静寂の世界が有った。
その時間がどれ程続いただろう。
時間の経過によって擦れた文字を読み解いていた僕の上に、ふと影が差していた。
最初は単に通りかかった人間だと思っていたのだが、その影は、さながら僕の本の中身を覗き込んでいるように一切動かなかった。我慢比べというように僕は本のページを数回捲ったが、やはり立ち去る気配は無い。
そこで漸く僕はその影の持ち主が誰かを確かめる為に顔を上げ、すぐさま眉を顰めた。
「──随分とまた、意外な人間が来ましたね」
顔を上げる前、僕はそれがハリー・ポッターかハーマイオニーだと予想していた。
何故なら、僕に図書館内で声を掛けるような人間はその二人しか居らず、今までそれ以外の人間から誰にも邪魔をされた事は無いからだ。
ただ改めて考えてみれば、彼等二人は僕の読書を遮って声を掛けて来る程度には気安い間柄だとも言えた。故に僕が気付くのを敢えて待った訪ね人は、その何れでも無かった。
それどころか、彼女と僕は事実上初対面の間柄ですらあった。
「聞いていた通り、図書館に居まーしたね。それも本当に黴臭くて陰気臭い本……! 真っ当な魔法使いが読む代物としては、あんまり過ぎると思いまーす」
妖精の如き圧倒的な銀の美貌。
ボーバトンの代表選手、フラー・デラクールがそこに立っていた。
フラー・デラクールによって、僕は問答無用で図書室から連れ出された。
正直、僕は余り気が進まなかったのだが、彼女が僕の前に座った瞬間、図書室の秩序の番人、マダム・ピンスが疑うような眼つきと共に近寄って来たとなれば仕方が無かった。
どうやら、ハーマイオニー・グレンジャーが大声を出して僕の下を去っていった一件は、司書が僕を要警戒対象と認識するに十分な事態だったようである。一人で静かに図書室に居る分には何も言わないが、会話するような可能性が有るとなると別らしかった。
フラー・デラクールも近付いてくる司書の姿に気付いたらしい。彼女の姿を見て不機嫌そうに鼻を鳴らした後、話が有ると言って入口へと向かって行った。僕が追って来ない事など全く考えていない、堂々とした立ち振る舞いだった。
「……全く、本当に勝手な物だ」
唯我独尊過ぎて、溜息すら出ない。
そして、彼女と共に居るのを見られたくないという思考は既に手遅れだった。
フラー・デラクールは今を時めく代表選手であるという以上に、衆目を集めすぎる美貌をしている。彼女が今僕へと話しかけた所を目撃した生徒が全く居なかったと期待するのは望み薄だろうし、先程の状況から見て彼女は暫く僕の傍に立っていた筈だ。如何に図書室の中とは言っても、さぞかし目立った事だろう。
実際、僕が周りを見渡せば、慌てて視線を逸らしたような生徒が何人も居た。噂がどうなるか、今の時点で既に恐ろしい物だ。
視線が無くても尚、こちらの動向を伺っている気配を浴びながら僕は図書室を出る。
遠ざかりつつある背中は、僕を追わせる気は有るらしい。彼女は勝手知ったるとばかりに使われていない教室の入り口を開けた後、僕が着いて来ているのをちらりと確認し中へと入って行った。
「──それで、何の用です? まさか、貴方が僕をユール・ボールに誘うような酔狂な真似をしに来たという訳でも無いでしょう?」
話を出来る場所ならば何処でも良かったらしい。
空き教室で待ち受けていた彼女に対し、僕は開口一番問うた。
当然の事ながら、皮肉だ。
事実、フラー・デラクールはあっさりと頷く。
「貴方にそのような下らない事を聞きに来た訳では有りませーん。聞くまでもなく、貴方に踊ってくれるパートナーは居なさそうでーすし、貴方は
「これまたはっきり言ってくれますね。まあ、貴方らしい気はしますが」
僕は呆れれば良いのか、怒れば良いのか。
だが、彼女には反論を許さないだけの雰囲気が有る。美人は得だという以上に、彼女が持ち得る自分自身への確信がそれを齎すのだろう。
ただ──まさか僕の皮肉が更なる藪蛇になるとは思ってもみなかった。
「確かに、
「……それは流石に余計な御世話ですよ」
どうやら彼女は、本当に良い性格をしているらしい。
いや、僕のような計算の言葉と違い、これは完全な素かも知れないが。彼女もまた、良くも悪くも相手を気遣う為に取り繕うという事を知らないようである。
「しかし、そのような判断が出来るという事は、少なくとも貴方は自分が嫌がらせされるような女だとは自覚している訳ですね」
真正面からの揶揄を向けるも、彼女は少しばかり眉を寄せただけだった。
「
「……僕も開き直る方だと自認していますが、貴方には負けるでしょう」
これまた、ハーマイオニーとは全く違うタイプのようだ。
彼女は確固たる己を有しているが故に自身がどう見られるかというのは殆ど無頓着であるが、フラー・デラクールは逆に自分がどう見られているかこそが確固たる己の拠り所なのだろう。真っ当では無いし、共感出来る物でも無いが、解りやすくて良い事ではある。
そして、少しばかり興味が湧いた。
彼女にでは無く、勿論自分自身についての事だ。
「……丁度良いから一応聞いておきますが、僕の事を何と言っていたんです? 別にレイブンクローに限った事で無くても良いですが」
「えーと、ちょっと待って下さい」
軽く宙を見上げて、彼女は指折り数えだす。
「一年ではダンブリ・ドールを騙してグリフィンドールの単独優勝を阻んで、二年では道化の教師の裏に隠れーてスリザリンの継承者の下僕としてバジリスクを生徒達に嗾けて、三年では誰もが震え上がる化物を教室に召喚してクラスを恐慌に陥れーた挙句、大量殺人鬼を招き入れる悪巧みを狼人間と交わしていたのを寮監に咎められーたと聞きました」
「……何処の悪いスリザリンなんでしょうかね、それは。客観的に聞いていて極悪過ぎる」
「でも、
「…………噂はある程度収束する物ですし、完全に間違っている訳でも無いですからね」
事実では無いが、誇張で済む範囲で留まっているのが質が悪い。
というか、リーマス・ルーピン教授とそれなりに接触が有った事までバレているのか。……嗚呼、一応ギルデロイ・ロックハートとごっちゃになってそんな噂が生じた可能性は有るか。
だが、それらの全てにおいて少なからずアルバス・ダンブルドアが絡んでいるというのが最悪だ。本当にあの老人は、僕にとっての諸悪の根源でしかないようだ。
「……まあ、率直な感想を聞けて助かりはしましたよ。自分が純粋にどう見られているかというのは、中々聞ける機会も有りませんしね」
ハリー・ポッターも言っていたが、四年のホグワーツ生活を経て僕もそれなりに注目され得る立場になったという事なのだろう。
良くも悪くも英雄的である彼に比べれば悪目立ちも甚だしいが、自業自得として受け容れるべき……いや、流石にここまで来ると何も思わないではいられないものだ。ホグワーツ入学以前、或いは入学時点でこうなると知っていれば、僕はもっと慎重に行動したに違いない。
もっとも、バーテミウス・クラウチ氏の所感によれば遠からずボロが出ただろうという事では有るが、それでも多少マシには修正出来た事だろう。
「──それで、その悪評塗れの人間に対して何か用ですか?」
短く息を吐いて追想を振り切った後、僕は問う。
「貴方と僕には接点が有りませんし、関わる理由も無かった筈ですが、今こうして連れ出した以上、それ相応の理由が有るのでしょう? 僕も貴方のような人間に付き合う程暇では無いですから、さっさと要件を切り出して欲しい物ですが」
僕の言葉にフラー・デラクールは明らかに鼻白んだ。
自身の矜持が傷付けられた怒りが、一瞬だけ表情に現れる。この図抜けた美女は、異性からそういう突き放した台詞を聞く事は殆ど無かったに違いない。
けれども、僕はその事自体に自分の利益を一切見出さないし、彼女も直ぐに自分が何故僕を連れて来たのか思い出したようである。
己を落ち着かせるように頷いて、彼女は理由を告げた。
「──つまり、
本気で何を言われたのか解らなかった。
言葉が唐突であり、内容が断片的だったという以上に、その優れていたという言葉と、フラー・デラクール、そして僕の存在が結び付かなかった。
彼女が次に続けた言葉で、漸くその真意を理解する事が出来た。
「あの第一の課題において、貴方は、
……嗚呼、成程。
彼女の用件とはその事だったのか。
確かにその通りではある。
ハリー・ポッターでも無く、セドリック・ディゴリーでも無く、ビクトール・クラムでも無く、
ただ、黙り込んだ僕を見て自信を喪ったのか、彼女は不安そうに瞳を揺らがせた。
「ええーと、貴方は
「……いや、確かに言いましたよ、それは間違い有りませんが」
しかし、彼女に伝わるような場所での発言では無い。
「……ただまあ、彼に口留めした訳では有りませんからね」
整理してみれば、これほど単純な論理も存在しなかった。
殆ど密室だったとは言え、彼等の外部に出ない事まで期待出来はしない。あの場所には三人組全員が居た訳では無いのだ。故に、
「要するにハリー・ポッターから聞いたのでしょう? 彼は貴方と同じく代表選手だ。どんな話題から僕の事が口に上る羽目になったのか知りませんが、彼の言葉を聞いて僕の所にあの真意を問い質しに来た訳ですか」
質問の形だったとはいえ、半ば確信を持っていた。
けれども予想外な事に、彼女は首を大きく横に振ってくれた。
「噂を最初に聞いたのは人伝てでーす。代表選手をこっぴどく扱き下ろしたスリザリン生が、
「……それだと大分話が変わって来ますね。やはり最低限の口留めはしておくべきでしたよ」
撤回しよう。セドリック・ディゴリーの時より遥かに悪い。
彼は、自身が有名人であるのを考えないからいけない。
あの三人組にとっては私的な会話のつもりだったろうが、グリフィンドール談話室か、或いは廊下で他から聞き咎められ、そして巡り巡ってフラー・デラクールの所まで伝わったという所か。何れにせよ、僕の〝評価〟は想像以上に周りから注目を浴びていたという事らしい。
「……しかし、ハリー・ポッターと言い、貴方と言い、僕の評価を聞く必要が有るんですか? 三校の校長と、魔法省の人間二人により評価は出た筈でしょう」
溜息混じりの言葉に、フラー・デラクールは微笑んだ。
見惚れる位に輝かしい美貌で、儚く、けれども何処か恐怖を感じさせる笑みで。
「しかし、知っての通り
「…………」
気にして居なかったが、そう言えばそうだった。
ルドビッチ・バグマンと、イゴール・カルカロフ。
彼等の多少偏った採点基準により、その結果は必然だった。
「別に私は点数に文句を付けたい訳では有りません。一番のセドリックを見てはいませんが、それでも三番のビクトールや四番のハリーを見ました。そしてその限りでは──彼等に劣っているとは決して思いませんが──四位という判断が下された事には納得しています」
納得している。
その言葉を口にする際、瞳に焔がちらついたが、それは良いだろう。
審査員の採点基準次第ではそれが理解出来ると言っても、感情の面は別だ。彼女の高慢さと自尊心の強さは外見からして明らかである。そしてそれ位の負けん気が無ければ、代表選手に昇るまでの杖腕を獲得するには至っていないだろうというのも容易に想像しうる。
しかし、薄暗い感情を呑み込んで、彼女は続けた。
「けれども、貴方は
確かに、僕は彼女こそが一番だとハリー・ポッターに対して告げた。
彼は結局その理由を聞くのを何故か打ち切ったが、それはやはり確かだった。
「しかしながら、貴方の周りには、それを言ってくれる人間というのは大勢居た筈ですが」
フラー・デラクール。
男性を悉く魅了せしめる女性に、疑問の言葉を投げ掛ける。
「代表選手四人の間には所詮一点、二点の誤差程度の差異しかないでしょう? そして貴方の順位は、オリンペ・マクシーム校長が公平で有るように自重し、ルドビッチ・バグマンが試合としての見栄えを重視し、更にはイゴール・カルカロフが自校の贔屓を躊躇わなかった事が合わさってそうなったに過ぎない」
ハリー・ポッターが挙げていた俗っぽ過ぎる評価は兎も角、生徒間で〝一位〟が割れる事は、左程不合理であるという訳では無い。
趣味嗜好の差異以外に決め手を欠く位には、四者四様の試合は何れも見事だった。
「貴方は美人だ。御近づきになりたい人間など山程居るでしょう。君が最も良かったという賛辞と共に、歯の浮く台詞を付け加える位の事をやる者は大量に湧き出て来た筈ですが」
挑発と揶揄を籠めた言葉に、けれども彼女の瞳は少しも揺れなかった。
「それらはもう既に聞き飽きました」
「……だから、僕に聞きたいと?」
「ええ」
真っ直ぐと僕を見つめ、フラー・デラクールは問い掛ける。
心を覗き込む必要など無い。彼女は、他ならぬ僕の評価を強く気にしている。何時もの高慢さを多少押し殺してでも、真摯に僕に答えを求めようとしている。
ただ──
「僕が貴方にそれを語る義理は、全くもって存在しない」
──彼女は、ハーマイオニーでも、ハリー・ポッターでも無い。
僕が一々彼女に対して言葉を弄す利益を見出せないし、価値を感じても居ない。僕の評価は第一の課題時点での物に過ぎず、彼女を一位に挙げた所でそれ以上の特別性を感じても居ない。こうしてわざわざ直接求められようとも、自分と全く関係無い世界に存在している彼女に対し、自分の考えをペラペラ喋る気にもなれない。
……今年、このような状況で無ければ、間違いなくそうなのだが。
けれども、彼女の思い通りに──自分のままならない事など無かったであろう美貌の女性の思惑通りに、話を進めるというのは酷く癪でもあった。
ピクリと不機嫌さを露にした彼女に、僕は続ける。
「もし仮に僕から耳障りの良い言葉を聞けると思って居るのならば、それは全くの筋違いです。僕は貴方に媚びようと思ってあのような発言をした訳でも無いし、今も同じだ。少しばかり愛嬌を振りまけば答えてくれると期待するのは、余りに見当違いの考えでしかない」
本人の前で評価をする事など、僕だって余り好んで口にしたいとも思わない。
こちらを明らかに軽んじられた上で、気安く聞きに来られるというのは御免だった。
「別に貴方は僕で無くても構わないのでしょう? 公然と貴方を一位に推す有象無象の一人として、偶々気にかかったから僕を呼びつけた。どうせそんな所──」
「──誰でも良い!? そんな訳が有りまーすか!」
僕の言葉を遮って、彼女は感情を爆発させた。
自分としては、当然の論理を口にした筈だった。
けれども、彼女から返って来たのは、予想以上に激しい否定と反発の感情。深い蒼色の瞳は誰でもなく、他ならぬ僕だけを真っ直ぐ見据えていた。
「決まっているでしょう! かつての貴方の発言に本気で腹が立ったからこそ、私は今貴方に聞きに来ていまーす! ええ、平気で居られる物でーすか! 代表選手残らず資格が無い!? 入学以来! そして三校試合が決まって以降!
気取った高慢さをかなぐり捨てて、彼女は僕の胸倉を掴んでいた。
呆気に取られる所の話では無い。僕は完全に圧倒されていて、これが彼女の打算に基づく
「この三校試合は
しかし、何故だろう。
彼女の顔は常の美貌から程遠く、心に溜め込んでいた感情が一気に露呈したが故に歪んでいる。普通の男であれば一目見てしまえば一瞬で恋も醒めてしまいそうな醜悪さで有りながら、けれども僕は、彼女のそのような表情にこそ惹き付けられて已まなかった。
「貴方は私が
「…………」
あの僕の言葉の焦点は、セドリック・ディゴリーにこそ有った。
だが、寮内から漏れ出た内容だったが故に正確さを失い、けれどもフラー・デラクールにも刺さる言葉なのも確かだった。彼女が選ばれた際のボーバトンの女生徒達の失望は甚だしく、故に僕の理屈は救いにもなったのだろう。
一方で、彼女にとっては毒となった。
それを恨みに思うのも、無理も無い話だった。
「けれども、ドラゴンの眼前に立たされた時、私は貴方の言葉の真意を理解したのでーす」
突如、すとんと感情を落とし、フラー・デラクールは呟いた。
「ゴブレットから紙切れが出て来た事に、一体何の価値が有りまーすか? 能力的にボーバトンで一番であったとして、あの不条理な怪物の前でどれ程の意味が有りまーすか? 遥か三百年前、ゴブレットに選ばれてきた人間が死体を積み重ねてきたイベントこそが、
ホグワーツ、ボーバトン、そしてダームストラング。
その中のたった四人の生徒だけが、あの脅威と恐怖を真に知っている。
「でも、ああして
ハリー・ポッターと同様。
フラー・デラクールは、あの結果をもって自身の資質と実力を証明した。第一の課題の達成をもって、彼女もまた真のボーバトンの代表選手となる事が出来た。
「そして、貴方は私を一番と評価してくれたと聞きまーした。ゴブレットから名前が出た事では無く、あの試合内容自体を見て。それも、煩わしいように寄って来る男達と違って、私とは全く関係無い所で、何ら打算も無く、媚び諂う事もせーずに」
「……つまり貴方は最初から、僕が貴方の意を惹きたいと思って発言したなどとは更々思っても居なかった訳ですね」
「当然でーす。単に無礼なだけの人間の下にまで、わざわざ聞きには来ないでーす」
寧ろ、それ故に、今ここに彼女は居るのか。
「貴方が嘘を吐く必要も有りません。そして、それを知りたいと思うのは、聞かせて欲しいと思うのは不自然でーすか?
彼女は真っ直ぐで、透き通っていた。
何も包み隠す事なく、己の心を僕の方へと開いていた。
……高慢で、いけ好かない女性だという印象が先に在った。
けれども、こうして向き合ってしまった時、彼女の本質はそれから掛け離れている事に気付かされた。あの第一の課題を見て彼女の能力に疑いを持っていなかったが、それでも僕は、彼女の人格という物を侮っていたのだろう。
フラー・デラクールは外見と同じく心も美しく、僕よりも遥かに上等な人間だった。
炎のゴブレットから名前が出るに相応しい、真のボーバトンの代表選手に違いなかった。
「──正直、買い被り過ぎですよ。僕の意図はそこまで深い意味は無かった」
だからこそ、僕は白旗を上げるしかなかった。
この女性を前にして尚、口を閉ざし続けていられる程に非情にはなれなかった。
「けれども、貴方にそこまで言わせて尚、僕が何も語らないというのは余りにも不義理過ぎるでしょう。そもそも余り勿体ぶる類の話では有りませんでしたしね。
──これはそう、僕の趣味嗜好の話です」
四者四様の第一の課題。
その優劣を決する基準は何処に有ったか。
「前提として、ルドビッチ・バグマンは第一の課題について、ドラゴンを出し抜く事だと言いました。それは目標である金の卵を奪い取る事も含みますが、何にせよ、採点基準の重点はその点に置かれた筈ですし、そう有って然るべきです」
僕が喋る気になったのは伝わったのだろう。
大人しく聞く態勢になった彼女に、僕は続けた。
「その点で言えば、今回の課題の点数に大きな差異が出なかったのも当然でしょう。貴方がた四人は何れもドラゴンを出し抜いてみせた。已むを得ず卵を破壊してしまったビクトール・クラムですら例外では無い。結果、審査員に〝受ける〟手段を取った二人が同率一位になりましたが、概ね正当に評価されたと言えるでしょう」
ハリー・ポッターの大減点を除けば、イゴール・カルカロフですら真っ当に評価していた。
もっとも、多少の裁量で許される一、二点の減点こそが、フラー・デラクールを四位へと押し下げた一因ではあるのだが。
「ただ、別に僕は公明正大な審査員でも、三校試合の帰趨を決すべき採点官でも無い。彼等の基準に乗る必要は有りません。個人的ミーハーさから貴方達を讃える事も批評の内であると同様に、全く別の観点から評価する事は禁じられても無いでしょう」
だからこそ、これは趣味嗜好の話なのだ。
「僕が見ていたのは、三大魔法学校対抗試合の課題として生徒が向かい合わされるのでは無く、果たしてドラゴン使いならばどう対応し評価するのだろうかという観点です」
僕が観察していたのは、彼等代表選手だけでは無かった。
本職である彼等にもまた注目していたのであり、彼等は自分達が注目されている事に気付かなかったからこそ、素直に評価を顔へと出していた。そして、その評価は、僕の論理と概ね一致する物で──つまり、フラー・デラクールこそが一位だと告げていた。
「ハリー・ポッターは試合として見事でしたよ」
プロのクィディッチ選手なら同等の事が出来るだろうが、それでも一発勝負、かつ十四歳時点で出来るかとなると首を傾げる者が殆どだろう。それこそ、ビクトール・クラム級の才能を持った人間しか真似出来ないに違いない。
「けれども、彼はドラゴンに自由自在に、そして縦横無尽に飛び回らせた。しかし、それは今回ドラゴン使いや三校長の監視の下、かつ非魔法族への隠蔽を気にする必要が無い程に広大で、魔法的守護にも満ちたホグワーツだから許されたに過ぎません。そうでなければ彼の行為というのは、国際機密保持法から見て明らかに不適切でしょう」
非魔法族関連で言えば忘却呪文で一発だろうが、魔法事故巻き戻し局の手間を煩わせないに越した事は無いし、
「ビクトール・クラム。彼は戦闘として最も優れていた」
彼がホグワーツに来ていれば、その性格的な合わなさに眼を瞑ってでも尚組分け帽子がグリフィンドールに入れただろうという位には、その身は騎士という物を体現していた。
「しかしながら、結膜炎の呪文はドラゴンを傷付ける物だ。不可逆の損傷を与える物で有りませんし、あの程度の傷で野生に淘汰される程ドラゴンは脆弱では無いですが、痛みはドラゴンを暴れさせる。実際卵を破壊しましたしね。邪悪なドラゴンを殺す場合は兎も角として、保護する場合にはドラゴン使いは好んで使おうとしないでしょう」
第一の課題で用いた事自体を直接的に非難するドラゴン使いは流石に居ないだろう。
成人したばかりの素人に、殆ど抜き打ちで、一対一でもって営巣中の雌ドラゴンに立ち向かわせるという課題自体がそもそも無茶苦茶だったのだから。
けれども、本職である彼等からすれば、やはり余り歓迎出来ない手段である筈だ。
「セドリック・ディゴリー。彼は呪文の披露という面で最も巧みだった」
岩をラブラドールに変え、それをドラゴンに追わせる隙に卵を取った。ハッフルパフの大先輩と似たようで有りながらも、レイブンクロー的ですらあった見事な腕前だった。
「けれども、確実性に欠けた。彼は自分の知識と知略でもって隙を作りましたが、それは偶々上手く行ったと評されても仕方がないでしょう。客観的に見て、ラブラドールもセドリック・ディゴリーも、ドラゴンにとっての脅威とは成り得ないんですから」
空を飛んだ上でドラゴンの鼻先で挑発したハリー・ポッター、或いは結膜炎の呪いで痛撃を与えたビクトール・クラムと違う。
彼等は敵意を己に向けたが、全力で飛ばれてもブレスを乱射されても困るセドリック・ディゴリーは己から逸らそうとした。しかし、その難易度は前二者とは比較にならない程に高い。
例えば、ドラゴンがセドリック・ディゴリーを完全に無視するように眼を瞑って蹲ってしまったとしたら彼はどうしたのだろうか。また、鬱陶しい生き物が二匹以上居れば両方を警戒するのは当然であり、営巣中のドラゴンが自分の腹の下へと完全に卵を隠し続けてしまう可能性も有った。
勿論、それらの場合は彼も戦法を当然変えただろう。故にそのまま失敗したとは言わないが、ドラゴンの反応次第で失敗する策だったのは確かだ。結論として偶々あのスウェーデン・ショート‐スナウト種、偶々あの個体だったからこそ、彼は大成功を収めた。
「彼の策や行動は緻密で繊細な物でしたが、それらは良い事ばかりでは無い。裏を返せば予定外の行動で簡単に壊れ得るという事です。ドラゴンを人に都合の良いように操る事が酷く困難なのは、第一次世界大戦中、ニュートン・スキャマンダーが関わった作戦の逸話からも証明されている。実際、セドリック・ディゴリーも最後には燃やされかけましたしね」
ドラゴンがニュートン・スキャマンダー以外を食い殺そうとするのを防げなかった為、大戦中には一つの作戦が机上のままに葬り去られた。
軍事に属する情報が表に出ているのは、その作戦が真実失敗したからだろうし、それまでの魔法史で幾度と無く繰り返されてきたが為に恥にもならないからだろう。
「……もう十分では無いですか? これらは全て事後的な、幾らでも言える難癖です。そして、ここまで言えば、僕が貴方を最優だと評価する理由にも想像が付くでしょう」
眼を閉じて、黙って僕の言葉を聞いていたフラー・デラクールに告げる。
けれども、代表選手としての資質を持っている彼女は僕の手間を省いてくれる気は無いようだった。片目だけを開いて、口元を僅かに綻ばせる。
「それでも、貴方の口から聞きたいでーす」
「…………」
それに意味が有るのか、と重い息を長く吐いた。
ただ、彼女は逃がしてくれず、そしてここまで喋った以上、最後まで続けるしかなかった。
「代表選手三人。彼等はドラゴンを
第一の課題として求められた事項を、間違いなく達成してみせた。
「けれども、彼等三人が立ち向かったドラゴンは、課題の後も元気一杯だった。ビクトール・クラムが対峙した
しかし、フラー・デラクールだけは違った。
「貴方はドラゴンを恍惚とさせ、殆ど無力化した。他三人と違って
その効力は一時的で限定的で有った。
いびきを掻いていたし、試合終了後にドラゴン使い達が大勢駆け寄ってきた際には直ぐに眼を覚ます位の、微睡みに似た代物でしかなかった。
しかし、そうであったにしろ、彼女は確かに無力化してみせたのだ。課題達成が告げられると同時、急いでドラゴン使い達が制止する必要が有った彼等のドラゴンとは違った。
「多くの魔法使いがドラゴンを魅惑したという意味を深く考えていません。そういう事も有り得るんだろうとしか考えなかった。けれども、そんな事が一人で簡単に出来るならば、ドラゴン一匹に対し、わざわざドラゴン使いが七、八名も対応する必要は無い」
都合四度。課題が終わった後、それは繰り返された。
勿論、安全を考えての人員というのも有るだろう。けれども、一人で制圧が出来るというのならば、彼等は
「ドラゴンの皮膚は、古代の魔法が浸透した事によって殆どの呪文を通さない。
魅了と失神。効果は違うものの、導く結果は殆ど同じだ。
そうであれば、手段として手軽な方を選択するのが当然の筈だ。……嗚呼、それが本当に手軽で、人員も要らず、難易度も等しいのであれば、そうしない筈も無い。
それにも拘わらず、ドラゴン使いがフラー・デラクールのように魅了しないのは何故か。
「つまり、魅了にしろ失神にしろ、容易くあの巨体は沈まない筈なんですよ。ドラゴンだろうが巨人だろうが、大きいという事は単純にそれだけ強いという事でも有る。彼等の皮膚や血肉が旧く強い魔法を帯びているともなれば猶更の話です」
失神呪文では数名の魔法使いが必要となり、しかし魅了呪文では一人の魔法使いで十分だというのは不合理なのだ。ドラゴンが魔法に強い耐性を持っている以上、魅了呪文で有っても数名の魔法使いで無ければドラゴンを眠らせられないと考える事こそ論理的である。
〝マグル〟の科学的観点から見ても同じ。
手段が麻酔銃だろうが注射器だろうが、人間用の麻酔を体内に打ち込んだだけでは、ゾウやキリンは眠ってくれない。それでは単純に強度が足りない。
人間の脳を容易く破壊し、心臓を止める程の強力な薬を、皮膚の上からでは無く体内に直接打ち込む事によって漸く、彼等の暴走を止める事が出来るのだ。
けれども。
「けれども、貴方はたった一人でそれを成し遂げた」
フラー・デラクールは、その不合理を為し得た。
それが如何なる術理による物かは僕には解らない。血筋か、或いは単純な才能か。何れにせよ、あれは尋常ではない技だった筈なのだ。
他の三人には再現性がそれなりに有るように見えた。
ハリー・ポッターならプロのクィディッチ選手であれば、ビクトール・クラムなら腕の良い決闘士であれば、セドリック・ディゴリーなら経験豊富な魔法生物学者であれば、それぞれ同じ事は出来た筈なのだ。十七歳──十四歳が混じっているが──という年齢制限さえ無ければ、かつ試合での一発勝負という条件で無ければ、どれも相応に可能だと思えた。
しかし、フラー・デラクールと同じ事を、一体誰が出来るのか解らなかった。
思いつくのは精々アルバス・ダンブルドア位の物で、けれどもあの老人も大概例外的な存在である。だからこそ、彼女がそれを為し得た原理が不明だった。
「確かに、審査員が評価しなかった理由というのも解ります。そこまでに至る道程は、貴方の美貌からは考えられない位に不格好でした。貴方はあの魔法を幾度か掛けて手酷く失敗しましたし、特に最後の油断に関しては、結果としてスカートに火が付いただけで済んだと言っても、ドラゴンの前という点を考えれば良く無かったでしょう」
そして、もう一点。
「加えて、やはりあれは試合としての派手さに欠けました。ビクトール・クラムやハリー・ポッターには当然、セドリック・ディゴリーにすら劣っている。それを審査員のコメント無しに的確に評価するというのは、どう考えても困難過ぎます」
試合なのだ。課題なのだ。評価の対象であり、点数を付けられるのだ。
審査員が安易に流されるとは思わないが、観客の雰囲気というのは大事である。ああいう形で大衆に披露される形で行われたともなれば、より一層無視出来ない要素だろう。
嗚呼、それでも尚。
「ただ、あの魔法だけは。ドラゴンを恍惚状態へと堕とし、魅惑しきってみせたあの瞬間だけは、僕には誰よりも優れていて、酷く美しい物に見えた。そしてそれこそが、僕が第一の課題において貴方を最も優れていたと評した理由です」
「……あれは
依然眼を瞑ったまま、フラー・デラクールはポツリと呟いた。
「成功率は、貴方が思っている程に高くなかったでーす。そしてまた、そもそもドラゴンに対して通じるという保証も有りませーんでした。けれども、
「…………」
彼女の独白は、弱さを示す物。
フラー・デラクールという女性が、世間には見せるべきではない物。
……改めて思う。代表選手の中で最も危なげなく課題をこなしたのは、意外にもハリー・ポッターであったのかも知れないと。
考えてみれば、イゴール・カルカロフが真っ当に採点したのであれば、彼こそが順当な、それもぶっちぎりのトップだった。
それは審査員が十四歳に対して甘めに点数を付けたが故だ──やむを得ない事で、当然とも言える──と思って居たが、僕より遥かに経験を積んだ魔法使い達には、僕の見えていない点が見えていたとも取れる。
「ええ、本当に
「……まあ、満足したのならば何よりです」
自分の胸に右手を当てながら感慨深そうに呟いた彼女に、僕はそれ以外の言葉は持ち合わせていなかった。というより、一方的に僕を拉致同然に連れ出して、聞きたい事を聞くだけ聞いて勝手に満足している人間に対して他に何と答えれば良いのか。
「では、先輩も気が済まれたというのであれば、僕は戻らせて貰いますよ」
話は終わった。
フラー・デラクールも、これ以上僕を必要としないだろう。その確信と共に、僕はローブを翻して教室の出口へと足を向けた。
彼女に連れ出された姿が広く見られている以上手遅れだとはいえ、さっさと図書室に戻れば傷は最小限で済むだろう。
第一、僕は自分が一度取り掛かった作業を途中で邪魔されるのが余り好きでは無かった。アラスター・ムーディ教授の課題は今日中に済ませておきたいと当初から考えていたし、そのつもりだった。
そう思考しながら、しかし軽い抵抗が僕の歩みを妨げた。
それはローブが後ろから掴まれたからだというのは、感覚として解った。
「……まだ何か?」
それを為し得るのは、当然フラー・デラクールしか居ない。
疑念と共に振り向いて問えば、何故か彼女は慌てた表情を浮かべた。
「え、えーえと、そう。そうでーす! 貴方はユール・ボールで踊っている相手が既に決まっているのですか? 先程は聞くのを忘れていました」
「……それを今聞く意味が解りませんし、またクリスマス。また、ユール・ボールですか」
過剰な程に焦りながら紡がれた唐突な言葉に、痛んだ額に手を当てる。
マルフォイもハリー・ポッターも、そしてフラー・デラクールですら僕が誰と踊るかに関して余計な興味を持ち過ぎだった。
そしてたった三人とは言っても、僕の交友関係の狭さからすれば割合が多過ぎる。現在疎遠となっているハーマイオニーは除外される以上、フラー・デラクールのせいで百パーセントを超えたような物だった。
「答える義理は無いですが、隠す意味も無いので答えましょう。僕にユール・ボールの相手は決まっていませんし、今後もそのような相手が現れる事も無い筈です。貴方が言ったように、僕はホグワーツでは悪評塗れで嫌われている。楽しいクリスマスなど期待出来ませんよ」
「そうなのでーすか。ま、まあ、貴方らしいのかも知れませーん」
「ええ。そうでしょうとも」
僕の言葉に、フラー・デラクールは恥じらうように俯いた。
それで会話が途切れてしまうが、立ち去ろうとする僕をわざわざ引き留めたからには、何か聞きたい事を思いついたのだろう。であれば、さっさと本題に入って欲しい所で有る。
しかしながら、俯く前にチラリと見えた彼女の瞳の色に、僕は酷く心惹かれる物が有った。
ユール・ボール。
それは僕にとって一貫してどうでも良い事象だ。今回の〝犯人〟が間違いなく行動するとなれば流石に別だが、その気配も無い以上左程興味を持てない。この瞬間とて変わっておらず、先の仕返しとしてフラー・デラクールが誰と踊るかを聞く気にすらならない程に関心が無い。
けれども、彼女の存在自体に初めから関心を持っていなかったと言えば間違いであった。彼女は僕の良く知り得ない人間であり、代表選手であり、今回の容疑者の一人ではあって──しかも、僕が更に関心を向け得る相手が傍に居る。
そして、先に見えた色は、間違いなく僕への好意だった。
──本音を言えば。
僕は最初から彼女に対して期待など抱いていなかった。
フラー・デラクールはホグワーツでは無くボーバトン生であり、三校試合の代表選手であり、並外れた美貌を持つ高嶺の華である。
接点など持ち得る事など無いと諦めていたし、そして、僕の言葉に答えてくれる程の親切さを発揮してくれるような人間では無いと見ていたし、個人的に話をする所か近付く事自体が不可能だと思っていた。
けれども、如何なる因果か、フラー・デラクールはこうして僕の前に立っている。
無理矢理連れ出された上に、彼女に言った訳でも無い自分の発言を解説させられた事に辟易していたが故に今の今まで忘れていたが、現在の状況は非常に好都合なのは確かだった。
「丁度良いですから、フラー・デラクール。僕にも聞きたい事が一つ有りました」
「は、はいっ……!」
フラー・デラクールは跳ねるように背筋を伸ばした。
……何故そこまで畏まるのか解らないが、聞きたい事はそれ程大層な事では無い。些細な、というには軽い情報でも無いが、少なくとも彼女に関わる内容でも無かった。
緊張で感情を覆い隠した銀の美貌に、僕は問い掛けた。
「オリンペ・マクシーム校長。彼女は一体どういう女性なんです?」
「…………」
忌避されている事は、決して悪い事ばかりでは無い。
例えば、マルフォイがやっているような社交、或いは〝非主流派〟がやっているようなご機嫌取りの真似をしなくて済むのは解りやすい利点だ。
他ならぬマルフォイ自身が寛容にも許しているという部分も有るが、結果的に楽を出来ているのは事実である。今年はそうでは無いが、休暇中にパーティーの招待状を送り合ったり、学期中であっても寮内での
ただ、一つだけ困る事が有るとすれば、今回のように何かを知りたいと考えた場合、その情報を得る為の手段が限られるという事である。
特に、図書室に置かれている『日刊予言者新聞』の記録、或いはハーマイオニーやマルフォイから情報が得られないような場合、僕は基本的にそこで手詰まりになる。
如何に身内大事の寮と言っても、僕と他のスリザリン生は気軽に情報を教えてくれる程気安い関係では無い。流石にマルフォイが直々に聞けば別だろうが、彼はそこまで僕の為に骨を折ってくれるまでは親切だとは言えない。
そして今回求める情報、つまりオリンペ・マクシーム校長が〝犯人〟であるか否かというのは、やはりマルフォイから得られはしない。
彼の家の由来からして、聞きさえすれば通り一遍の内容は得られるだろうが、彼がマルフォイ家当主でも死喰い人自体でも無い以上、核心部──ルビウス・ハグリッドと
故に、フラー・デラクール。
彼女に近しい教え子の口から直接聞きたかった。
「オリンペ・マクシーム校長は見ての通りに存在感が有り、非常に気になる女性です。だからこそ、貴方から聞きたい。彼女は一体どういう女性なのか、その印象を」
ルビウス・ハグリッドと同様、彼女の出自を僕は確信している。
そして、巨人は闇の生物であり、今まで迫害されてきた存在だった。彼女のような混血とて死喰い人からすれば歓迎出来る存在では無いが、これまでの魔法使いの世の中とて生きにくいのは同じなのだ。憎悪や復讐を原動力として、彼女は闇の帝王の下に走る動機が存在する。
加えて、この銀に輝く女性が闇の陣営には遠いのは直感として強く有った。
故に、彼女は此度において情報を得る相手としては相当であり、迂闊なルビウス・ハグリッドや異例のバーテミウス・クラウチ氏程までは期待しないものの、僕に対して多少口を軽くする事を期待しうると踏んだのだ。
「──貴方は」
フラー・デラクールは何時の間にか下を向いている。
重力に惹かれて前に垂れ下がった長い銀髪が、彼女の表情を覆い隠していた。
「貴方は本気で
「? 当然ですが。知りたくも無い事を質問する筈が──」
無いでしょう。
その言葉尻を思わず飲み込んだ。
顔を上げた彼女の瞳の内には、怒りの灼熱が荒れ狂っていた。
「少しばかり貴方には見所が有ると思いまーしたが、まーさか私の前で、しかもこのタイミングで、他の女性の話をされるとは全く思っても居ませんでーした」
微かに震えている言葉尻が、彼女の激情を余計にはっきりと伝えてくる。
……理屈が解らないが、彼女の地雷を盛大に踏んでしまった事は明らかだった。
「しかも、貴方が望む情報を得る為にしても、全く機微の欠片も有りまーせん!自身が知りたいにしても、そんなにも直接的な聞き方が有りまーすか! その有様で、一体貴方はどうやってこれまでの
「……いやまあ、今までこれで通用して来た物で」
「なら貴方の周りの人間が可笑しかったのでーす!」
そう言われても、自分の気質というのは簡単に変わる物では無いだろう。
僕の交友範囲というのは狭く、尚且つマルフォイやハリー・ポッターとすら良くも悪くホグワーツ生活を四年程共にしている。ハーマイオニーだけではなく彼等ですら、今更僕が聞きたい事だけを聞いた所で不満や文句を言ってくる程、物分かりが悪い人間では無い。
「そもそも何故、マダム・マクシームの話題がここで出て来るのでーす!? どうして、彼女をユール・ボールに誘えるかを私に聞くんでーすか!? そもそもあの流れは、完全に貴方が私をユール・ボールに誘う雰囲気だったでしょう……!」
その言葉に一瞬呆けて、しかし一つの納得を得た。
「……嗚呼、成程。確かにユール・ボールの話題の後に続けた以上、そう聞こえなくも無い訳ですか。その発想というのは有りませんでしたよ」
「寧ろ! その発想しか! 無いでーしょう!」
フラー・デラクールは息を荒げて断言する。
僕にとっては既に終わった話だったから、頭から抜け落ちていた。
考えてみれば確かにその通りだ。彼女の誤解は、話の文脈からして突飛では無い。突飛では無いが、それが論理として妥当かというのは別の話だろう。
「ただ、僕がオリンペ・マクシーム校長を誘うのは流石に無茶が有るでしょう。人格等は未だ僕が知らないので置いておきますが、そもそも彼女は僕と比べて余りにも大き過ぎる」
「ええ、そうでしょう! 貴方は私と同じ位です!」
別にそこまで勢い良く肯定されなくても、僕がルビウス・ハグリッド大の女性と踊るのはどう考えても不格好だと想像するのは容易い。
「第一、何故そんな勘違いを僕がすると思ったんです?」
誤解も甚だしいし、やはり論理として明確な欠如が存在する。
「貴方は最初に、僕をユール・ボールに誘いに来たのではないと言ったでしょう? 同時に貴方と僕は釣り合わないとも。その評価は全くもって妥当ですし、僕も自惚れはしませんよ」
「それは──」
途端、フラー・デラクールは先程までの威勢を失い口籠った。
「そして当然ながら、貴方が未だ相手を決めていないとも考えても居ない。良い商品から売り切れるというのは市場の原則であり、寮監がユール・ボールを告知してから既に五日。しかも休日である土日を挟んでいる。貴方のような美しい女性が相手を見付けるには十分過ぎる時間では有りませんか?」
彼女は僕のようにパートナーを探すのに苦労する類の人間とは違う。
「貴方には黙っていてもパートナー希望者が山程行列を為した事でしょうし、仮に貴方が踊りたい相手が居たとすれば、自ら一度申し込めばそれで終わりではないですか? 故に、未だに決まっていないという可能性を考える事自体が不自然でしょうに」
そこまで口にして、けれども少なくとも昨日まで相手が決まっていない、決まっていない事自体が可笑しな人間が居た事を思い出した。
ただ──やはり彼、ハリー・ポッターとは違うだろう。
彼は交友関係が狭く、切羽詰まってもいないのに相手を誘う程に積極的である訳でもなく、傍にハーマイオニー・グレンジャーが居る。一般的に見て女性からは誘いにくい状況では有るだろうし、そもそも彼は一晩の相手を探し求める程に良い性格をしていない。
「……つまり。
「ええ。考えられませんよ」
断言する。
「寧ろ異常事態ですよ。如何に貴方が明らかな高嶺の華で、表面上高慢で鼻持ちのならない女性のように見えても、流石に目ぼしい男性からは軒並み断られたとか、この五日間でロクでもない男だけしか寄って来なかったとか、そういう事は無いでしょう?」
揶揄を含みはすれど、僕の言葉に疑問は無かった。
フラー・デラクールが本質的には素直な女性であるというのは既に解っている。
節操無く男を魅了しかねない圧倒的美貌は、彼女に鎧を身に着ける事を余儀無くさせられたのだろう。対人関係という面では、恐らく彼女は僕より酷い。僕は最初からそれを作れなかったが、彼女は作っては破壊するという事を繰り返さざるを得なかったであろうからだ。
故に彼女は刺々しく、しかしその鎧の下には驚く程純粋な心が秘されている。
それを見抜けない節穴ばかりでは無いだろうし、それが見抜けるからこそ良い男の筈だ。そしてホグワーツ、ボーバトン、ダームストラングには数百人もの男が居るのだから、そのような人間を見付ける事も難しくは無いだろう。
「……ええ、そうですね」
肯定の言葉。
それと共に、彼女は眩い程に煌めく笑顔を浮かべていた。
けれども、それに対する感想は美しいとかでは無く、単純に恐ろしいという物だった。
「このフラー・デラクールとも有ろう者が、未だにユール・ボールのパートナーが決まっていない事など有り得ませーん。貴方の言う通りでーす。正解でーす」
……このような類の笑みを、ハーマイオニーも幾度か浮かべた事が有る。
例えば、彼女の家を始めて訪れた時。ハーマイオニーを放り出して彼女の父親の蔵書に夢中となっていた僕を外へと叩き出した際に、これと全く同種の物を見た物だ。
つまるところ、これは本気で激怒している瞳だった。
「それで」
彼女は、その笑顔と美貌を僕へと近付ける。
何時の間にか絡め取られていた手が、僕が距離を取るのを許してくれない。
「私は相手を決めまーした。一方で、貴方のユール・ボールのパートナーは未だに決まっていなーい。それは、間違いないでーすか?」
「……確かにその通りですが、僕は何も困りませんよ。クリスマスは帰宅する予定──」
「──決まっていないのですね?」
「……ええ」
僕は頷くしか無かった。
近付いて更に解る美貌以上に、彼女の迫力が有無を言わせなかった。
「ただ──だからと言って何なのです? 今更悪評を気にする身でも無いですが、まさか一人で参加して恥晒しになれとでも?」
「……っ」
率直な疑問は、けれどもフラー・デラクールは良く効いたようだった。
「それとも、貴方が僕の相手を見付けてきてくれるという訳でも無いでしょう。面と向かって言うべき事では無いかも知れませんが、貴方はボーバトンの女生徒から敬遠されている。少なくとも、貴方から男を斡旋されるような真似は御免でしょう」
彼女が代表選手に選ばれた時のボーバトン生の反応は、未だに記憶に残っている。
マルフォイ以上に、彼女が僕に宛がうような女性を用意出来るとは思えないし、嫌がらせに賛同する女性が居るとも考えられない。そもそもマルフォイと違って、僕の悪評がホグワーツ内でどんなに広がろうとボーバトン生は気にしないだろう。
実際、彼女は図星を突かれたように怯み、しかし、それもほんの少しの間の事。何か良い考えを思いついたというように、彼女は美貌を直ぐに輝かせた。
「良い事を思いつきまーした!」
実際、彼女は言葉にしてくれた。
先の笑顔とは違う、彼女の美貌を余計に映えさせる笑顔だった。
こんな状況で無ければ、純粋に美術品を見る気持ちで観察出来たのだが、その表情も言葉も不吉な予感しかしない。彼女にここへと連れて来られた事自体が僕にとって面倒事であるのは言うに及ばないが、それでも更なる災厄を運ぼうとしているのは歴然としていた。
「ええ、
「…………」
そう強く保証されても、全く安心出来ないのは何故だろうか。
そして彼女の様子を見ていて、ふと思った。
「……何となく、自棄になってません?」
「一体誰のせいですか!」
フラー・デラクールは強引で、横暴だった。
彼女が不吉な宣告をしてくれた翌日の昼の事、わざわざ彼女は再度僕を呼び出した。それも、他のスリザリン男子によって僕を外に連れ出させるという、滅茶苦茶目立つ方法だった。ハリー・ポッターとはまた別の方向性で彼女は周りの眼を気にしておらず、そして僕にとって迷惑なのはどっちもどっち──いや、やはり彼女の方が実害が大きかった。
フラー・デラクールがボーバトンの女生徒から嫌われている第一の原因はその類稀な美貌だろうが、やはりその性格も一役買っているように思う。彼女は余りにも無神経だった。
その彼女は、一見して明らかな程の喜色を顔に浮かべていた。
「
そう言って、フラー・デラクールは写真を取り出す。
既に悲劇が予想出来ていたが、僕には渋々それを見る選択肢以外は残されていなかった。
「彼女が貴方の相手でーす」
そして、最早天井を仰ぐ気にも、溜息を吐く気にもならない。
彼女から渡された写真、こちらに向かって手を振り笑顔を振りまく女性が一体誰なのか、わざわざ彼女に対して問う必要は無かった。
確かに美人、いや美少女では有る。
何せフラー・デラクールのミニチュア版なのだから。
しかし一番の問題はその点では無い。
オリンペ・マクシーム校長の場合とは完全に真逆だ。
どう考えても、その写真の少女は僕と比べて余りに小さ過ぎた。恐らく、ホグワーツ基準では入学まで後二、三年の時間を待つ必要が有るだろう。そんな相手をユール・ボールに僕が本気で連れて行くともなれば……まあ、どんな事になるかは解り切っている。
どうやら彼女は、僕の悪評を更に一つ増やそうとしているらしかった。
そして。
「デラクール。幾ら妹をユール・ボールへ参加させたいと思っても無茶が過ぎます。四年生以下だから良いと言いますが、三校の学生で有るのは当然の前提です。そもそもユール・ボールは夜間、八時から十二時まで行われるのですよ? 途中で退出すると言っても、八、九歳にしかならない女の子を連れまわすのは余りに不適当です」
クリスマスに残る申請を出せとフラー・デラクールに詰め寄られた後。
已むを得ず彼女と共にミネルバ・マクゴナガル教授の下を訪れ、事情を聞いて一瞬で怒り心頭になった教授から、僕達はくどくどと説教されていた。
「貴方も貴方です、レッドフィールド。貴方ならばデラクールを如何様にも止められたでしょう。貴方が時折常識を欠くのはこの四年で良く知っていますが、このような愚行を犯す人間だとは思っても居ませんでした。どうやら評価を改める必要が有るようですね」
彼女が見切り発車で動いたという抗弁を口にする暇すら許されなかった。
フラー・デラクールの突飛な思い付きは、ホグワーツの風紀を担う女帝から真正面から普通に却下されたのであり、その理由としても至極妥当で当然の論理だった。