分割した後半部。
ハリー・ポッターは物思いに沈み、暫く何も言わなかった。
ロナルド・ウィーズリーは居心地が悪そうで、何も言えなかった。
それは已むを得ないだろう。彼と僕達の間には絶対的な不理解が有る。
これを理解出来るのは、運命によって実際に大切な者の命を奪われた者以外に居ない。
僕が知る交友範囲の中では、ネビル・ロングボトムとルーナ・ラブグッドだけが理解を示しうる事柄であり、理解を示さずに済めばそれに越した事では無いものでもあった。どう考えたって、運命の理不尽により大切な者を喪う苦痛など知らない方が幸せなのだから。
「けど、僕にとっては意外かな」
彼なりに整理をつけたのか、ポツリとハリー・ポッターは言った。
ロナルド・ウィーズリーが露骨にホッとした表情を浮かべたのが、酷く印象的だった。
ただ、彼等の様子を冷静に観察出来たのもそれまでだった。
次にハリー・ポッターから出た発言は僕の予測の遥か上を行き、そして同時に、心の奥底に沈めた感情を大きく揺り動かしてくれた。
「最初僕は君にスリザリンの誰かと踊るのかいって嫌な聞き方をしたけど、正直に言うとさ。僕は君が何とかして手段を見つけてハーマイオニーと踊ってみせると思っていたよ」
即座に言葉を返す事が、僕には出来なかった。
「……また、
絞り出すような言葉を紡ぐのが精一杯。
平静など取り繕える筈も無く、自身の表情は酷い事になっているだろう。
入学以来、ハリー・ポッターは、僕にとって一貫して対処に困る存在だった。
今回もまた同じ。このグリフィンドールからは程遠い筈の存在は、〝
僕の性根の腐敗と醜悪さ、そして脆弱さを、これ以上ない位に残酷な形で、まざまざと突き付けてくれる。
天井を仰ぎ、長く息を吐いた。
その数秒の猶予でもって、辛うじて何時も通りの自分を貼り付ける。
「そんなに驚く事かな? 君とハーマイオニーは仲が良いし、君が他の女の子と仲良くしているのを見た事が無いもの。だから、普通に誘おうと考えてるのかなって」
その問いを背景としてガリガリという音が鳴る。
それはロナルド・ウィーズリーがケーキを齧り始めたが故であり、個人的に歯を傷めないのか心配になったのだが、ハリー・ポッターは親友を止めようとしなかった。というか明らかにいない者として扱っており、僕にもそれを求めているようだった。
「……そうは言うが、君は別に僕がハーマイオニーと踊って欲しいとか、そんな事を考えた上でその台詞を吐いた訳では無いだろう?」
「まあそうだね。僕は君を応援
「だろうな」
微かに笑いながらの彼の言葉に、失望も落胆もしなかった。
グリフィンドール生のハーマイオニー・グレンジャーの親友として、彼はスリザリンの良からぬ虫が近付く事を是としないだろう。それは至極真っ当な考えだ。
ユール・ボールの事を聞いて彼女の存在が思い浮かばなかったと言えば嘘になる。
だが、その考えは直ぐに頭から消した、というか消え失せた。
「はっきりと言っておこう。僕にハーマイオニー・グレンジャーと踊る気は初めから無かったし、そもそも選択肢自体が存在しなかった。だから僕は、彼女が君かロナルド・ウィーズリーのどちらかと踊るものだと──」
「──!? 何で僕がハーマイオニーと踊らなきゃならないんだい!?」
僕の言葉を遮って、ロナルド・ウィーズリーが突然素っ頓狂な声を上げた。
或る意味先程のハリー・ポッターの妄言以上に驚いたが、他人の動揺を見れば落ち着くというのは真実だったらしい。素手で掴んでいたロックケーキを皿へと放り出し、高ぶった感情で紅潮した彼の劇的な反応が、僕に冷静さを取り戻させた。
「僕が! ハーマイオニーと! 踊る!? 君が変な事ばっかり考えてるってのはハリーとハーマイオニーの話から薄々察していたけど、どうしてそんな発想になるんだい!?」
「……今回はそんなに突飛な事を言ったつもりは無いが。彼女の交友関係からすればそう考えるのが自然だろう。そもそも思っていたと言っただけで、別に君に強制はして居ないが」
冷え切った視線で見やれば、多少我を取り戻したのだろう。
ロナルド・ウィーズリーは気まずげに頭を掻きながら、誤魔化すような笑みを浮かべた。
「アハハ、そうだよね。自然……自然か。いやなに、ハーマイオニーは僕達と良い友達だからね。パートナーとして誘うという発想が無かったと言うか。でもまあ、あんなにツンツンしてるハーマイオニーを誘いたがる男なんて居ないだろうから、誰も相手が居ないなら別に僕が誘ってやっても良いかな──アイタッ」
あたふたと慌てて手を振った後、今度は足でもぶつけたのか、屈んだロナルド・ウィーズリーを胡乱な眼で見る。
慌ただしくて騒がしい事この上無いが、成程、ここまで来ると一周回って多少愉快に思えて来た。そして、彼等が三人組で無ければならない理由も何となく解る。
彼は
ハーマイオニー・グレンジャーはレイブンクロー、ハリー・ポッターはスリザリン。何れもグリフィンドールの正道からは外れ、何事も無ければ浮くような性質を有している。けれども、その間に入るのが最もグリフィンドールである彼なのだろう。
そんな親友の一連の奇行にハリー・ポッターは苦笑しながら僕へと答える。
「ロンは兎も角、僕もハーマイオニーとは踊るつもりは無かったよ。僕は元々、ユール・ボールで他に踊りたい人が居たからね」
「……そうか」
一瞬言葉に詰まるが、そういう事も有るだろうと納得する。
一方通行の好意では関係性は発展し得ない。それは、僕がこの身で良く知っている。
「ならば、君はその女性と踊る訳だ」
「──いや、断られたよ」
当然の理屈の筈の言葉に、しかしハリー・ポッターは首を振った。
その瞳には、セドリック・ディゴリーを罵倒した時と同じ昏い輝きが有った。
「……君の誘いを断る人間が居るとは驚きだな」
吐露した言葉は、偽りなく本気だった。
「〝生き残った男の子〟、〝代表選手〟。おまけにグリフィンドールに多くの勝利を齎してきたシーカー。余程の純血主義者で無ければ、君と御近付きになっておきたい女生徒は多いだろうし、親も全力を挙げて協力しそうな物だが」
「まあ、立派な肩書だけではどうにもならない場合もあるって事かな」
肩を竦める彼が滲ませる感情は余裕では無く、寧ろ諦念に近いものだった。
「と言っても、正確には断られた訳じゃないけどね。既にパートナーが居るって話を聞いて諦めたというか。挑む前に望みは終わっちゃったんだ」
「その様子だと、自分で聞いた訳でも無さそうだな」
ハリー・ポッターは頷く。
「そうだね、ハーマイオニーに頼み込んだんだよ。僕に見込みが有るかまでは求めないけど、せめてパートナーが決まっているかどうか聞いてくれないかって。その代わりちょっと無茶な願い事をされちゃったけどね。ただ、自分で聞くよりはマシだったよ、間違いなく」
「……まあ、相手も君も居たたまれない事になるのは疑いが無いな」
普通ならば断わられる人種で無いだけに、余計に憐れさが出る。
「それをやっちゃったのが僕だからね」
道化を気取るように大袈裟に、ロナルド・ウィーズリーが肩を竦めてみせる。
……今まで可能な限り関わらない立場で居た筈だが、彼は既に忘れたのか。それが当然というように、僕達がまるで親友であったかのように自然に会話に入ってきた。
「陰気臭くて友達が居ないスリザリンの君でも聞いているだろう? フラーにふらふらと惹かれて無謀にも誘っちゃったのが僕さ。まして答えを聞く前に逃げてしまう始末だ。笑えよ、笑ってくれよ。寧ろ君にすら笑って貰えないと自分が情けないよ」
「……余計な御世話な上に、躁鬱が激し過ぎはしないか」
「放っておいて良いよ。最近は何時もこれだから」
容赦ない物言いで、しかしその裏には友人としての親愛が感じ取れた。
彼等にとってはこの程度の遣り取りなど何時もの事なのだろう。慰める事も無く、一見無視するような形で、ハリー・ポッターは改めて僕へと向き直った。
「それで、話は最初に戻るんだけどさ。選択肢が無いってどういう事だい? 別にスリザリンが他寮の女の子と踊っちゃいけないという訳でも無いだろう?」
「……そうだな」
ロナルド・ウィーズリーの変な介入で些か脱線はしたが、彼の疑問は当然だろう。
そして別に僕が答える義理も無いのだが、ただ、この辺りの機微はグリフィンドール生には決して理解出来ない。そしてハリー・ポッター達がドラコ・マルフォイを始めとする普通のスリザリンと親密に語り合っている姿が想像出来ない以上、やはり僕が答えるべきなのだろう。
バーテミウス・クラウチ氏が、スリザリンを特に槍玉に挙げてホグワーツの現状を揶揄したのも大いに解るという物だ。
良くも悪くも彼等はスリザリンを──人の悪意の汚泥というものを理解していなさ過ぎる。彼等がスリザリンを皆殺して根絶する覚悟を持っているならば構わないのだが、甘っちょろいグリフィンドールのままで居たいのならば、逆に彼等は知って居なければならない。
「僕がハーマイオニーと踊り得ない理由は、殆ど一言で表す事が出来る」
簡潔で、単純で、それでも絶対ではある。
「彼女が半純血ならば問題無い。しかし、それが〝穢れた血〟なら全くの別問題だ」
その瞬間、赤毛が激怒と共に椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。
素晴らしい反応速度であり、彼女の親友が取るべき一つの正答では有るのだろう。その点だけ見れば、驚きの表情以上を見せなかったハリー・ポッターは失格と言える。
ただ、ハリー・ポッターがそれに留まったのは、彼が〝マグル〟界で育ったという文化の違い以上に、僕という人間の性格を多少なりとも理解していたからなのかも知れない。そして、今回に限ってはそれは正しい。
「嗚呼、ロナルド・ウィーズリー。グリフィンドール的行動に出ないでくれ」
過激な言葉だが、言葉狩りしたからと言って存在は無くなりはしない。
時には真っ向から直視しなければならない時も在る。今回、というか本件はその一つだ。
「別に僕は何の意図も無しにこの言葉を持ち出した訳では無い。彼女が〝穢れた血〟だから踊る選択肢が無いという結論に変わりないが、それには相応の理由が存在する。だから座りたまえ。杖に訴えかければ何でも解決すると考えるのは野蛮人の考えだ」
強い方が正義。
アルバス・ダンブルドアにも共通する思考だ。
もっとも、騎士らしい所業だと言えばそうなのだろう。
そもそも〝マグル〟界において騎士道物語の傑作として挙げられる『アーサー王の死』の物語自体、殺戮と淫奔、そして不貞と謀反を賛美する物語でしかない。
まあ、ロナルド・ウィーズリーは決して理解を示す事は無いのだろうし、今はグリフィンドールを非難したい訳では無い。寧ろ槍玉に挙げるのはスリザリンの方である。
しかしながら、僕にも何らの覚悟を持たずに出来る会話でも無い。放置していたロックケーキを僕は手に取り、口へと運んだ。成程、確かに余りにも堅過ぎるが、味としては悪くない。半巨人と人間で顎の強さは違っても、味覚が余り違わないというのは新たな発見だ。
そんな僕を、彼等二人は静かに待っていた。
もしかしたら、何も言えなかったというのが正解なのかもしれないが。
「〝穢れた血〟」
粗方食べ終わり、紅茶を飲み干した後、僕はその言葉を繰り返す。
「君達はそれを差別用語だという知識を持ってはいても、それが純血主義者によってどれ程の嫌悪の下で発されるのかを理解していない。そして、これからの時代において彼女の友人のままで居たいならば、ロナルド・ウィーズリー、君こそがその意味を十分に理解して居なければならない」
「……えっと、ステファン。僕は良いのかい?」
「君は〝生き残った男の子〟だからな。正直ついでのような物であり、知ってようがいまいが同じ事だ。やはりどう足掻いてもスリザリンの大先輩に狙われる事に変わりはない」
多少不愉快に顔を歪めていたハリー・ポッターに答えれば、その意味が伝わったのだろう。彼は、その表情を一転して神妙な物に変えた。
「君は聖二十八族に数えられる純血であり、しかしながら血を裏切る者とすら呼ばれる位には純血の本流から外れている。だから、過激な──と言ってもそれが一般的なのだが──純血主義者が、マグル生まれの人間に対して如何なる考えを有しているかを知らないだろう?」
「……当然僕が知る筈も無いだろ、そんな頭のおかしい連中の考えなんか」
「好き嫌いは結構。ただ、アラスター・ムーディ教授は授業中、一体何と言っていただろうか。グリフィンドールでも恐らく同じような事を言っていた筈だが」
自らが立ち向かう物を知っていなければならない。
その事に思い当たったのか、ロナルド・ウィーズリーもむっつりと黙り込む。
そして、僕は問い掛けはしたが、答えを求めた訳では無い。幾ら待っても彼等から答えが返って来ない事は解り切っているからだ。善良過ぎる彼等には、その発想は出ない。
「僕から話題に出した以上、先の問いに自ら答えよう。純血主義者は〝穢れた血〟が自分達よりも劣った混じり物だと考えているが、実の所、彼等は〝穢れた血〟が魔法を使う事自体を忌み嫌っている。正しい魔法使いや魔女から魔法を奪ったという考えに憑りつかれているし、特にその象徴である杖を持っている事が気に入らない」
「「……え?」」
二人の呆然とした表情は、言葉の意味を咀嚼するのに時間が掛かっているからか。
「もっと解りやすく言おう。純血主義達は彼女の杖──ドラゴンの心臓の琴線を芯とする葡萄の木の杖だったか。それを奪い取り、あわよくば眼前で折ってやりたいと考えている」
反応は、やはり赤毛の方が早く、劇的だった。
「はあ!? ハーマイオニーだって僕等と同じくオリバンダーの店で杖を買ったんだ! 誰かから奪ったんじゃない! そもそも魔法を奪うって、一体どうやったらそんな事出来るんだ! それが出来るならスクイブなんて魔法界からは絶滅してる筈だろ! スリザリンは頭が可笑しい奴ばっかだと思ってたけど、本気でイカレてるんじゃないのか!?」
怒りと共に再度立ち上がったロナルド・ウィーズリーの言葉を僕は無視した。彼の感情に一々付き合っていたら、話が進まないのは解り切っている。
「その評価は留保して置こう。既に述べた通り、重要なのは君や僕がどう考えるかという事では無く、彼等がどう考えるかという事だ」
自分がどうするかでは無く、死喰い人達がどうするかを考えなければならない。
「つまり、究極の純血主義者にとって〝マグル〟生まれというのは、小鬼や屋敷しもべ妖精、庭小人、いやそれ以下の存在でしかない。彼等と同様〝マグル〟生まれが杖を持つなど言語道断であり、家畜や奴隷、或いは娯楽として狩られるべき〝物〟でしかないのだ」
彼等は〝穢れた血〟を人間だと認識していない。
〝マグル〟界における近代黒人奴隷の歴史的処遇が最も近いだろうか。
ただ違うのは、彼等は二十一世紀にもなろうとしている今、魔法界にその昏く血塗られた時代遅れの因習を
「程度の差異は有れ、それは今のスリザリンの根幹に在る思想だ。故に、スリザリン生が〝穢れた血〟と踊る事がどう見られるかは想像出来るだろう? 美女と野獣の扱いの比では無い」
せめて彼女がスリザリンだったら見逃してもくれただろうが、グリフィンドールだとどう考えても無理だ。特に彼女は、ハリーポッター、闇の帝王の失墜を齎した者の親友でも有る。酌量してくれる可能性など一切有り得なかった。
「スリザリンにも我慢の限度は有る。この国で最上位の由緒正しく高貴な血筋を引く直系の男子であるシリウス・ブラックですら──彼は一応グリフィンドールだったが──生家から抹消されたように、許容値を超えれば当然手酷い仕打ちを受ける事になる。これもまた同じだ」
身内には甘めだが、一度身内から排除されればその歯止めは利かない。
有形無形問わず、集団での暴力でもって存在自体を消し去ろうと試みるだろう。
「でも、君はマルフォイがバッジを付けろって言ってきたのを拒否したんだろう? そして、君は今まで平気で一人バッジを着けないままに居たじゃないか。だから、君が今回のパーティーで多少外れた行動をしたって問題は無いんじゃないの?」
「あれとは違う。確かにバッジの件は明確に一線を超えはした。しかし、それが一応不問にされたのは、あくまで〝スリザリン的〟行動から外れるものでは無かったからに過ぎない」
ハリー・ポッターの反論に軽く首を振る。
例外で、異端では有るが、根絶させられなければならない程でも無い。
「……嗚呼、言いたい事は解る。ならば何故、スリザリンの中でバッジを付けないのが僕一人だったのか。レイブンクロー達のように理解を示しても良いのではないか、だろう?」
こういう所は、やはりハリー・ポッターは余りにも解りやすい。
「しかしドラコ・マルフォイとしては、自らバッジを持ち出した以上、彼にそれを外すという選択肢が無かった。僕の意見を容れる事は彼にとって一種の負けだからな。そして、他のスリザリンもバッジを外す事は出来なかった。内心どう思っていようが、その行為は僕への賛同を、そしてドラコ・マルフォイへの反逆と批判を意味する」
「……随分と面倒くさいんだね、スリザリンって。本当、馬鹿みたいだ」
「残念ながら、それが階級社会と言うものだ」
無視して生きていけるならばそれが一番だろうが、現状のスリザリンでは不可能だ。
聖なる二十八は、至上で在らなければならない。それは寮の運営と存在意義の根幹であり、それを一応尊重する姿勢を見せているからこそ、〝純血派〟にも〝非主流派〟にも属さない僕でさえ、完全に排除されずに済んでいる。
「ただ、スリザリンが行き過ぎているのは否定しないが、こういう面倒な集団の空気や駆け引きというのは何処にでも存在している。僕に言わせれば、それを殆ど意識せずに済んでいる君こそが異端であり、異常だ」
それでもハリー・ポッターは不理解に基づく不満の表情を消さなかったが、ロナルド・ウィーズリーが一定の理解を示す表情を浮かべたのが酷く対照的ではあった。
「もっとも、絶対的に無視出来ない訳ではない。君の〝生き残った男の子〟という不思議な力もそうだし、先のシリウス・ブラックがやはり典型だろう。魔法力や杖の腕、信頼出来る友人や寮の力など、他を圧倒する実力が有れば黙らせるのも可能ではある」
「なら、頭がぶっ壊れてるスリザリン生も行けそうだけど」
「それこそ無茶を言うな。僕は力の面で他より抜きん出ている訳では無いし、周りもそう認識している。僕の自己認識もそう外れる物でも無い」
そして、僕は無為に蹴り殺される子犬には成りたくない。
「でもさ。マルフォイもそうだけど、寧ろスリザリンは君を過小評価し過ぎていると思うんだよ。だってさ、ダンブルドアが──」
「──僕の事は良い。一番の問題は、僕に留まらない事だからだ」
ハリー・ポッターの言葉を途中で遮る。
ホグワーツ生活は後三年半。
無理を押し通すには長過ぎるが、絶対的に不可能であるとまでは言えないかもしれない。
バーテミウス・クラウチ氏は権力ごっこと評したように、大人にとっては所詮は余り真剣に考えるべきでない御遊び程度にしか過ぎず、しかも一流の純血と二流の半純血の道は卒業後に明確に分断されるのだ。現時点で訣別を示す選択肢というのも一応皆無ではないだろう。
しかしながら、今回における最も重い問題はそこでは無い。
「言った筈だ、〝穢れた血〟は奴隷同然だと。そして、僕は半純血。闇の帝王の有り難い訓示の御蔭で、極端な純血主義者でも強くは排除の動きに踏み切れない身だ。そのような者達が番いになるような場合、どちらが悪いかというのは解るだろう」
答えは一つしかない。
「淫らに誘惑した〝穢れた血〟が、
純血主義者は間違いなく、このように考える。
「つまり、敵意は僕よりもハーマイオニーに強く向かうんだ。彼等は間違った思想に走った者を排除するという回りくどい手段より、穢らわしい病原菌を直接根絶しようとする事を選ぶ」
「そんな事って……」
「有り得るんだ。そして彼女は君の傍に居るが故に護られている部分も有る。〝生き残った男の子〟は目立つ上に、君が意識していようといまいと強力に護られ、監視されている。ホグワーツの生徒の誰の命よりも、ハリー・ポッターの命は重いからな」
もっとも、ハリー・ポッターの親友であるという点こそが圧倒的に彼女の危険度を上げているのが実際なのだが、流石に僕の辞書にも容赦という文字は存在する。
「ただ、既に君はハーマイオニー・グレンジャーと四六時中居られまい。そして、彼女がこれから呪いに怯え続ける学生生活を送るべきと思うのか? バジリスクの時と同様に、廊下を曲がる際に一々慎重にならなければならない毎日を過ごすべきだと考えるのか?」
それは、絶対的に正しくないだろう。
「でもさ、たかが君と踊っただけでハーマイオニーを傷付ける人間なんて本当に居るのかな? あのマルフォイだって、彼女に歯呪いを掛ける位が精々だったし」
「確かに学生でそれ程の度胸を有する者は一握りだ」
率直な疑問を漏らした言葉に、僕は軽く頷いて肯定する。
「しかし、スリザリンには確かに居る。学生で居ながらも、許されざる呪文を扱うのに躊躇わない人種が。そして、その能力を持った人間さえも」
「……禁じられた呪文を使える人間が、って事?」
「勿論、死の呪文も含めて、だ」
当然の事ながら、容易に使用出来る物では無い。
アルバス・ダンブルドアが、そしてスネイプ教授も含めた四寮監もまた眼を光らせている。
廊下で魔法を使うなという校則が如何に形骸化していようが、特に高度な魔法を使えるようになる上級生に強く自制が求められている事に変わりはない。
そして、強力な闇の魔術を一度でも使ってしまえば非常に重い罰則が科されるというのは、ホグワーツ生活をしていれば自然に思い知る所だ。他人を大きく傷付けてしまえば、退学処分は当然、アズカバン行きすらも十分視野に入り得る。
しかし裏を返せば、覚悟さえ決めれば殺人は可能だという事。
魔法界は、非魔法界で子供に銃を持たせるのと同種の危うい均衡の上に成り立っている。
「スリザリンが一貫して優秀だった所以、伝統として先輩方が継承してきた
殺すだけならば失神呪文や石化呪文を使ってナイフで刺せば足りるが、それでも死の呪文は闇の魔術の一つの極致であり、象徴だ。
魔法が飛び交っている戦場において実践的な形で死の呪文を使う事は難しくても、集中出来る恵まれた状況下で呪文を唱える限りにおいては、ホグワーツの六、七年程度でも決して不可能では無い。特に今のスリザリンにおいてはそれが扱えるという魔法使いを尊ぶ傾向が強いし、それをもって下級生を脅迫するような人間も存在する。
ただ、今回はスリザリンの内部のみが全てでは無い。
「そもそも君は、己が何故三大魔法学校対抗試合に出る羽目になったかを忘れているらしい」
「────」
僕の指摘に、ハリー・ポッターは顔を俯かせて黙り込んだ。
「校内、或いは学校に容易く入れる立場の者達の中に、君に対して策謀を張り巡らしている者が潜んでいる。しかもその人間は、如何なる理由が有れども、アルバス・ダンブルドアを一度は出し抜いた。その上、強力な魔法契約を課しうる魔法具、炎のゴブレットを騙しうる程の魔法使いだという事が明らかになっている」
かの〝犯人〟が、策謀・技量の何れの面でも事に疑いは無い。
そして仕掛けた悪戯が偶々上手く行ってしまっただけの善良な魔法使いだというのも望み薄だ。三校に加え魔法省が関与しているこの行事において、しかも〝生き残った男の子〟を巻き込んでみせるというのは余りに難易度が高く、手が込み過ぎている。
「そんな魔法使いが、君を殺したついでに、或いは君を殺せなかった腹いせに、ハーマイオニーを狙わない保証は何処に有る? 悪目立ちした〝穢れた血〟の始末と、君への嫌がらせ。一石二鳥であるし、実際、僕達はバジリスクの際にその危険を実感した筈だ」
あの時は石化で済んだが、今度もその程度で済むとは限らない。
元々魔法界は死の危険がそこら中に転がっているのだが、今の時代、本物の戦争前夜においてはその脅威はこの十三年間の比では無いのだ。
ハーマイオニー・グレンジャーが死ぬ。その未来は、決して現実離れした物では無い。
更に今年はもう一つ理由があるのだが、それはやはりあくまで余禄だ。そして、結論としては何ら変わり得ない。
「要するに、周りの状況が余りにも悪過ぎる。僕の不安定な寮内の立ち位置、半純血であるという恵まれた訳でもない生まれ、極端な純血主義思想の暗い面、油断できないスリザリンの上級生、そして何より君の近くに潜む闇の魔法使い。さながら地雷原に居るような物だ。たかがダンスだと短慮で軽薄な行動を取れば、容易く身の破滅に繋がり得る」
そして言及はしなかったものの、復活を遂げようとしている闇の帝王。
校内での居場所を喪うに留まるならば良いが、今年の不用意な行いは生命の危機に一足飛びで近付く事へと成りかねないのだ。
「故に、僕にとって最初からハーマイオニー・グレンジャーと踊るなど有り得なかった」
僕は
どう足掻いても出来ないという行為は、現実として存在する。
僕の断言に、ハリー・ポッターは再度黙り込んだ。
一瞬ちらりと部屋の隅に視線を逸らした彼の感情は──何故か奇妙に読み辛かった。
複雑、或いは入り乱れていると言い変えた方が良いかもしれない。彼自身、その感情の動きを説明出来ないのだろう。余り多くの事を言ったつもりも無いし、論理的に突飛な事を告げたつもりでは無いのだが、彼にとっては違ったらしい。大きく心が揺り動かされていると共に、しかもどういう訳か、不条理への怒りすらも抱いているように感じ取れた。
その一方で、ロナルド・ウィーズリーの心の動きは解りやすかった。
納得、安堵、そして強い歓迎。僕がハーマイオニーと踊らない事は理屈が通っていると感じ、そしてまた、彼女が危機に晒されない事は良い事だと考えている。更に想像で補うとすれば、スリザリンには絶対彼女を近付けるべきでは無いという想いを新たにしている事だろう。
「つまりだ」
その感情のままに、辛気臭くなった雰囲気を振り払うように彼は陽気に切り出した。
「ごちゃごちゃ難しい事は兎も角、グリフィンドールとスリザリンは一緒に踊れない、そんな事は天地が引っ繰り返っても有り得ないという事だろ?」
「そうだな。君の言う通りだ、ロナルド・ウィーズリー」
「嗚呼、そうさ。まあ、物事は収まる所に収まるし、世の中にはお似合いの相手同士が居るもんさ。別にユール・ボールで一緒に踊ったカップルが結婚するとは限らないしな。寧ろ学生時代の交際のあれこれを引き摺るのは少数派なんじゃないか? だから、そう気にする事は無いぜ、レッドフィールド」
「君の慰め方が僕には今一理解出来ないが、慰めとして受け取ってはおこう」
彼の口振りだと、僕がまるでハーマイオニー・グレンジャーと結婚したいが故にユール・ボールで踊りたかったように聞こえてしまう。
そして、ハリー・ポッターも御調子者の親友に引き摺られたのか、先程までの深刻な表情を消し去って苦笑を浮かべた。
「……まあ、君がそこまで言うなら僕も何も言わないよ」
疲れたように、或いは付き合いきれないというように彼は肩を竦める。
「でも、君が色々と考えているのを知れたのは良かったかな。と言っても、僕としては君が余りにも考え過ぎてるようにも思うけどね。僕がドラゴンを出し抜いたみたいに、えいやって挑んでみれば意外と何とかなりそうな気もするし」
「それは君が〝生き残った男の子〟であると同時に、〝生き残った男の子〟なのに考え無し過ぎるだけだろう」
特別と一緒にされては困る。
だが、ハリー・ポッターは首を軽く傾げた。
「そうかな? 何せ僕は君と話すと何時も、自分が途轍もなく馬鹿なんじゃないかと無性に思ってしまう。ハーマイオニーとは違う。彼女も酷く頭が良いけど、君は全く別物だ」
「それこそ思い違いだと思うがな。僕としては左程特別な事を言っているつもりでは無いし、教科書を殆ど丸暗記出来る女性や、一年からクィディッチの花形として活躍出来る男の子よりは普通のつもりだ。これは以前にも言ったかも知れないが」
自分が持っていない能力が良く見えるだけだろう。
僕としては、やはり彼女や彼の方が羨ましい。それらは明確に見える力であり、他人を黙らせる事の出来る優位性の証なのだから。
異端や異常、奇妙や不気味は、決して力などでは無い。
ただ、そんなハリー・ポッターは悪戯っぽい光を再度浮かべた。
「じゃあ君よりも多少特別な僕が聞くけどさ」
僕の卑下を揶揄しつつ、彼は真っ向から言葉で切り込んできた。
「──今回の〝犯人〟の正体、君はもう解ってる?」
「────」
彼の視線が僕の眼を鋭く射抜く。
逃がすつもりは無いと、何としてでも答えを聞くとの覚悟が瞳には宿っていた。
「……成程。既に忘れつつあったが、そもそもの発端としては、君がルビウス・ハグリッドを巻き込むという手段を使ってまで、わざわざ僕を呼びつけたんだったな」
第一の課題の評価、そしてユール・ボールの相手。まさかそれらが彼にとって重要で有る筈も無く、しかし自身の命に関わる内容については当然重大な関心事だった。そして確かに、このような話は周りに人が居る中で出来る話でも無い。
思い返してみれば、二年の時に同種の事をやったのだ。ハーマイオニーを通じて、或いはポリジュース薬を用いて、彼はスリザリンの継承者の正体を探ろうとした。
しかしながら、聞く相手が間違って──いや、正しかろうと同じ事か。アルバス・ダンブルドアは、恐らく未だに正体に見当が付いていないのだから。
そして、僕もまた同じである。
「正体には未だ見当も付かない。僕は全てを見通している訳では無いからな」
その言葉にハリー・ポッターが疑わしそうな顔をするが、軽く両手を上げる。彼の脳裏には僕と同じく秘密の部屋の一件が浮かんでいるであろう事は、開心術士でなくとも明らかだった。
「確かに君の疑念は真っ当だ。僕は多分に当て推量で動いた事実が有り、結果的に正解の場合も有るが、それでも今年は今までの三年間と違う」
「……どういう事?」
「一概には言いにくい。理由、というか原因は複合的だからだ」
更に疑問を深くしたハリー・ポッターに、僕は大きく息を吐いた後で答える。
「今回は外部から大勢の人間が入り込み、学校としての閉鎖性を事実上喪っている事。想定される犯人像が複数存在する事。それに連動して、犯人の目的も複数考え得る事。しかもスリザリンの動きが内部からすら良く解らないのも去年以上に不可解であり、クィディッチ・ワールドカップにおける闇の印を何処に位置付けるべきかが不透明なのが一番──」
「──あーあー。君がやっぱり色々と面倒臭い事を考えてた事は解ったよ。それと、犯人が確かに解っていないだろうというのも」
……自分から聞いておいて遮るのはやはり反則では無いだろうか。長々と説明する手間が省けたと好意的に解釈するのにも限度という物が有る。
ただ、彼も何ら考え無しに僕の独白じみた言葉を止めた訳では無いらしかった。
「でもさ、犯人像や目的が複数考えられるってどういう事だい?」
「……? ハリー・ポッター。僕には君の言っている意味こそ解らないが」
「いや、だってさ。目的ってのは解り切ってるだろ? 今回の三校試合でヴォルデモートが僕を殺そうとしている以外に無いじゃないか」
この英雄は相変わらず困った事に平気で闇の帝王の名前を呼ぶし、ビクついている親友に配慮を示すべきだと思うのだが、内容としては聞き逃せない物で有った。
「何故、そのように断言出来る? 君を殺したがっている人間は死喰い人の残党を筆頭に多く存在するし、闇の印が上がった文脈からはそちらの線というのも十分考えられる。だというのに、何故、闇の帝王だと君は自信を持って言える?」
自身の語調が多少荒くなっているのは自覚していた。
けれども、それとは殆ど関係無く、ハリー・ポッターは僕から視線を逸らした。彼から伝わってくるのは何故か解らないが、気恥ずかしさと気まずさだった。
「ええと、その、僕にはヴォルデモートがそう考えているのが
「解る?」
その表現に思わず眉を顰め、説明を促す。
けれども、ハリー・ポッターは、喋るつもりが無さそうだった。
喋れない理由が有るのか、それとも単に喋りたくないと思っているのか。
こういう時、開心術は不便だ。読心術で無いが故に、イエスノーで判明する以外の事柄は基本的に判断が付きかねるし、全てが見える訳でも無い。無防備過ぎる彼の心から一瞬読み取れた映像も、暗い部屋に二人が居るという事くらいしか解らなかった。解釈しようにも意味不明過ぎて、そもそも直接関係が有るか自体が解らない。
「……まあ、君が話したくないというのならば構わない」
同時に肩を竦める事で、追及する意思が無いと示す。
「ただ、そこは今回非常に重要な点だ。そもそも君は三校試合で、と限定したが、間違いなくこの試合に闇の帝王が間違いなく関わっていると断言出来るのか? 闇の帝王は何時如何なる時でも、隙あらば君を殺したいと考えている筈だが」
「ええと……。それは確かに、ちょっと自信無い、かな。僕が憶えている限りでは、そこまでは言ってなかった気がする」
何かを必死に思い出すような表情で、ハリー・ポッターはその答えを絞り出す。
非常に引っ掛かる言い回しの中には、しかし嘘の色は見いだせない。先の言葉と併せて考えるに、どうやら彼は、闇の帝王が最近自身への陰謀を張り巡らそうとしていると考えているが、それが三大魔法学校対抗試合に直接関わるかは確証がないと考えているらしい。
貴重に思える情報だが、しかし内容が曖昧な事も有って、全賭けするには微妙な所だ。
「成程。ただ仮に君がその予想に確証を持っていたとしても、物事が単純化する訳では無い。アルバス・ダンブルドアも短絡的に結論を出しはしないだろう。が、他ならぬ闇の帝王の専門家である君の見解だ。強く胸に留めておくべきでは有るだろうな」
「……そんな表現されると滅茶苦茶嫌だけどね」
言葉だけでは足りないというように、彼は大きく顔を歪めた。
「しかし、僕が頭を悩ませているのは、そういう事だ。君の首を狙っているのは、闇の帝王だけでは無い。特に今は、積極的に狙わざるを得ないような動機が有る。だからこそ、今回の件は難しく有る」
あの老人はもっと正確に物事を予見しているかもしれないが、僕としては依然真偽不明との結論を下さざるを得ない。炎のゴブレットから彼の名前を出してみせた技量や方法の謎もそうだが、余りにも不気味な点、不可解な事象が多過ぎる。
「繰り返すが、僕に未だ〝犯人〟は解っていないし、目星すら付いて居ない。如何に小難しい言葉を弄そうとも、殆ど君達と変わりない」
「──じゃあ」
僕の言葉を受けて、ハリー・ポッターは挑むように言う。
「解ったら教えてくれるかい? バジリスクの時と違って」
「────」
その言葉に僅かに硬直したのは、見咎められただろうか。
……嗚呼、間違いなく見咎められただろう。僕は確かに動揺したし、彼の碧の瞳は確かに色を変えた。よりによってその言葉を彼が選択しなければ、二年前の苦渋の結末を持ち出さなければ隠し通せた筈だが、今回は──いや、今回もかもしれないが──彼の方が上手だった。
だから、僕は正直に答えるしか無かった。
「約束は出来ない。何故なら、僕はスリザリンだからだ」
ロナルド・ウィーズリーが不愉快に顔を歪めるが、ハリー・ポッターはやはり冷静だった。手を肩に置く事で親友を押し留めた上で、改めて口を開く。
「でも、君は狡猾で、自己防衛に長けている。自分が一番利益を得られると考えたら、当然に僕に教えてくれるだろう? 何故なら、
「……君がそう考えるのは勝手だ」
「解ってるさ。今まで通り勝手にするよ」
……嗚呼、本当に勝手な男だ。
だからこそ、ハリー・ポッターは〝
「ただ、君達のグリフィンドールにも色々居るように、〝スリザリン的〟にも種類や濃淡が有る。徹底的に美学を重んじるスリザリンも居れば、目的遂行の為には美学を捨て去るのを厭わないスリザリンも居る。余り簡単に決めつけると痛い目に遭うぞ」
「じゃあ余計に大丈夫だね。君はどう考えたって美学を重視するタイプじゃないもの。特に、自身が重要だと考える物に関してはね」
「……本当に、要らぬ方向に口が回るものだ」
その言葉と共に僕は席を立った。
案の定、ハリー・ポッターは座ったまま静かに僕を見上げるだけで、止めようとはしなかった。その穏やかな態度は、僕に多少の腹立たしさを覚えさせるもので、けれども、決して不快ともいえないというのが、自分が負けてしまったのだという思いを強く抱かせた。
だから僕は、負け犬の矜持として、彼に最後の質問を投げ掛ける。
「──これだけ君が一方的に聞いたんだ。今更僕の質問に答えない不義理はしないだろう?」
「そりゃあ……内容にもよるけど、何?」
ハリー・ポッターは僕の言葉に、警戒よりも意表を突かれたような顔をした。
僕が既に席を立った以上、御互いの話は既に終わったと考えていたのだろう。けれども、今回最も意味の有る問いという物を、僕は彼に未だ投げたつもりは無かった。
「君は本命の女性から断られたのだろう? ならば、ハーマイオニー・グレンジャーと踊る気は無いのか? 彼女は君の傍に立つに相応しい女性だと思うが」
酷く面食らった、驚愕の顔。
まさかそんな事を聞かれるとは思って居なかったという、全くの素の反応。
「────。あー、それは今まで全く考えてもみなかったな」
彼が自身を取り戻すには優に十秒以上の時を要した。
彷徨うように視線を動かし、最後に何も無い場所へと止めた後、漸く彼は言った。
「けど、僕がハーマイオニーと踊るかどうかというのは、彼女が僕と踊りたいと思うか次第だろう? 僕とハーマイオニーは
「そうか。それは……
全くの本心から、僕はその言葉を漏らした。
皮肉な事に、ハリー・ポッターはジェームズ・ポッターでは無い。
それが上手く行く場合も有り、逆に上手く行かない場合も有る。今回は後者だ。スネイプ教授が喝破したように、僕達はやはり同じくは有り得ないのだろう。どんなに相似で有ったとしても、人間が千差万別である以上、先例は参考になっても流用する事は出来はしない。
残念? と首を傾げているハリー・ポッターを他所に、僕は小屋を出た。
身を切るような寒さを感じたのは、今まで温かな場所に居たからだけでは無い筈だった。
・ユール・ボールでの成婚率
作中で読み取れる生徒間のパートナーは、以下の通り。ついでに言えば、第八作目においてダンスを踊った某二人も結婚しなかった。
ハリー&パーパティ・パチル、ロン&パドマ・パチル、ハーマイオニー&クラム、セドリック&チョウ、フラー&ロジャー・デイビース、ネビル&ジニー、シェーマス・フィネガン&ラベンダー・ブラウン、マルフォイ&パンジー・パーキンソン、ステビンズ&フォーセット(恐らく。スネイプとカルカロフを聞いていた二人)。
・アーサー王の死(『Morte Arthure』)
アーサーという英雄は英国王権の確立に密接に関わっており、政治的文脈の中ですら存在感を発揮する英雄であるのだが(古代の英雄は大概がそうでは有るのだけども。例えば我が国の『古事記』『日本書紀』内)、受け容れる人間が居れば当然拒絶反応を示す人間も居る。
その一人がロジャー・アスカムであり、以下はその批評の一節。キャクストン版アーサー王の死の出版が1485年なので、概ね百年後。
批判の本意や内容の是非は兎も角、彼が後のエリザベス一世の家庭教師を務めた程の人物であり、何よりここまでボロクソに言ったのは早々存在しないが故に、現在でも度々取り上げられる程度には著名である。
In our forefathers tyme, whan Papistrie, as a standyng poole, couered and ouerflowed all England, fewe bookes were read in our tong, sauyng certaine bookes of Cheualrie, as they sayd, for pastime and pleasure, which, as some say, were made in Monasteries, by idle Monkes, or wanton Chanons: as one for example, Morte Arthur.Morte Arthure: the whole pleasure of which booke standeth in two speciall poyntes, in open mans slaughter, and bold bawdrye: In which booke those be counted the noblest Knightes, that do kill most men without any quarrell, and commit fowlest aduoulteres by subtlest shiftes: as Sir Launcelote, with the wife of king Arthure his master: Syr Tristram with the wife of king Marke his vncle: Syr Lamerocke with the wife of king Lote, that was his owne aunte. This is good stuffe, for wise men to laughe att or honest men to take pleasure at. Yet I know, when Gods Bible was banished the Court, and Morte Arthure receiued into the Princes chamber. What toyes, the dayly readyng of such a booke, may worke in the will of a yong ientleman, or a yong mayde, that liueth welthelie and idlelie, wise men can iudge, and honest men do pitie.
― Roger Ascham『The Schoolmaster(1570)』