便宜上分割した前半部。
いよいよクリスマスも近付いたせいも有るのだろう。
段々と無視出来ない位に煩くなってきたドラコ・マルフォイを適当にやり過ごした放課後。
敢えて少し時間を潰した後で約束通りにルビウス・ハグリッドの小屋へと向かえば、既に彼は小屋の外に出ており、そして僕に仕草で小屋の方向を促して森の中へと去って行った。
説明も何も無くあっさりとしているのは、僕が当然に気付いている事を前提とする信頼か、或いはあのような示唆を為した僕への苦手意識か。僕としても既にルビウス・ハグリッドに用は無かったし、話が早く進むのは都合が良かった。
半巨人用に頑丈に作られている小屋の扉を軽くノックすれば、入ってくれとの声。
その言葉に従って中へと入れば、まず暖かな空気が僕を歓迎してくれる。それは、煌々と輝く暖炉からのみでは無く、小屋の持ち主の人柄による物でも有るのだろう。野生の動物達が残していったであろう独特の臭気が鼻を擽るが、不快というまでも無いのは友人達の為に綺麗に清掃を欠かしていないからか。
そんな空間の中央で、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーが机の前に掛けて僕を待っていた。
彼等の前には、淹れたばかりであろう紅茶のカップが三個と、岩石のようなケーキらしき物体が乗った三皿が有る。……四個と四皿では無く。
「この様子ではスクリュートの世話への助力が要るという訳でも無さそうだ」
軽く部屋を見渡した後の僕の第一声に、ハリー・ポッターは破顔した。
「そう言う冗談は要らないよ。と言っても、君も解ってて来た筈だろう? ハグリットも何か君は気付いていたらしい事を言っていたし」
「ああ。で無ければ、最初からここに来ていない」
ルビウス・ハグリッドの芝居は下手だった。
最初から隠し事をしているのが明らかな位に挙動不審であったし、彼がスクリュートの世話を本気で頼むつもりならば、やはり三人組を差し置いて僕に声を掛ける道理など全くなく、先の授業で解る通り、既に彼はスクリュートの前に生徒を出す気が無かった。
彼がスクリュートの世話にかこつけて是非とも僕を殺したいというのなら別の話だったが、そこまで恨みを買った心当たりもまた存在し無かった。
故にスクリュートの世話云々は単なる僕を誘き出す口実であり、それを必要とする人間は非常に限られる。授業後の諸々の状況も併せて考えれば、答えなど一つしかない。
ただ、ここには僕が予想していた一人が欠けていた。
「……ハーマイオニーは居ないのか」
紅茶も、菓子も三人分。
椅子は部屋の中に四脚有るものの、部屋の隅に追い遣られたその巨大で頑丈そうな一脚が誰の物かは解り切っている。そして、ハリー・ポッターとロナルド・ウィーズリーは隣合うように座り、机を挟んだ反対側には彼等に向かい合うように空白の椅子が──来客である僕へ割り当てられているのであろう椅子がポツンと存在している。
あの魅力的な栗毛の少女の姿は、小屋の中に姿は見えなかった。
「あー、彼女には席を外して貰ってるんだ。ちょっと男同士で話をしたいと思ってね」
非常に言い辛そうで、何か含んだような台詞をハリー・ポッターは宣う。
彼は視線を意識して逸らしているようであり、決して僕の眼を見ようとしなかった。
何か後ろ暗い事が有ると言っているような物で、ただ、言葉からは深刻さが全く伺われないというのが微妙に不思議だった。
「ええと、ほら、君とハーマイオニーは今微妙な関係みたいだし、彼女も君と顔を合わせ辛いようだったしさ。君としても、今は彼女が居ない方が都合が良いだろう?」
「……まあ、それは否定し得ないが」
確かに彼女が居なくて安堵する部分が無かった訳では無い。
座ってくれ、と手で示したハリー・ポッターに大人しく従い、椅子へと腰掛ける。
僕の左手の方に位置するロナルド・ウィーズリーは、同席しても話す気は無いとの意思表示だろう。僕に視線を一切向けなかったし、僕も彼から暖かい歓迎を期待していない。というより、ハリー・ポッターの対応が異質では有るのだろう。
今のスリザリンとグリフィンドールの間柄において、四年目の同級生に対する最低限の好意を示す事が出来る人間がどれ程貴重であるのかは言うまでもないのだから。
「……ところで、招かれた身で聞くのも何だが、これはケーキ、というか食べ物で良いのか? こう言ってはあれだが、人間の食べ物に思えないが」
「えーと、それはハグリッド御手製のロックケーキだよ。歯が砕けそうになる位に固いけど、紅茶と一緒なら何とか食べられるし、味の方は保証するよ」
「……そうか」
何故御茶の時間にそんな重労働をしなくてはならないのか甚だ疑問だが、一応家主であるルビウス・ハグリッドの好意では有るのだろう。ただ、最初に手を付けるのは酷く躊躇われる。
故に取り敢えず問題無さそうな紅茶に手を伸ばそうとして、思わず動きを止めた。
「? どうかした?」
「……いや、君が気にする事では無い。一つの考えがふと頭に過ぎっただけだ」
怪訝、というより何故か焦燥に近い表情を浮かべた彼に、ひらひらと手を振る。
「言ってみれば、僕が君に茶に招かれている今のこの状況を見て、アラスター・ムーディ教授ならば一体どう反応するだろうかとふと思っただけだ」
「えーと、多分怒る、とか?」
「烈火の如くが抜けているがな。教授は他人から出される飲み物には真実薬や毒薬が含まれていても可笑しくないと考える人間だ。ただ、教授のそれは実体験に基づく物だろうが」
そして、実際に手痛い指導を直接受けたものだ。
そう思いつつも、僕は杖を取り出す事無くティーカップを手に取り、口へと近付ける。
彼が他人の飲み物に危険物を仕込むような人間では無いというのは、これまでのホグワーツ生活で良く理解している。礼儀作法からは外れるが、自身の立ち位置を示すには解りやすく、何より彼等は他人にそれを期待する程に行儀が良い人間ではない。
「それで。わざわざ図書館で僕を捕まえるのでは無く、ルビウス・ハグリッドを巻き込んでまでここに呼び寄せたんだ。他人には決して話は聞かれたくないというような、それ相応の理由が存在するんだろう?」
彼等としてはかなり回りくどい手段を使ったのだ。
だからこそ、大人しく呼び出されたのであるが、しかしながら、僕の言葉にハリー・ポッターは困ったように眉根を寄せた。
「それはまあ確かに、最近余り図書館で君を見かけないと言っても、あそこで待てばいずれ君が捕まるのは解り切っているけどさ。でも、今の状況で僕達が図書館の中で内緒話をするというのは余りにも無茶じゃないかな」
「今年の君には更に新しく肩書が加わった訳だからな。四人目の真の代表選手、そしてドラゴンを出し抜いてみせる程の魔法戦士か。何れも立派な物だ」
「君の方こそ。代表選手全員の資格を否定した挙句、マルフォイを平気で馬鹿にするし、その上あの温厚なセドリックと揉めるなんて普通の神経じゃ無理だよ」
「……つまり、静かに学生生活を送るには御互い有名人過ぎるという訳だ」
「それを君が認めてくれて嬉しいよ。その辛さを理解してくれると更に申し分ないかな」
髪をくしゃりと軽く握りながら笑う〝生き残った男の子〟に溜息を一つ。
一応己が一年の学期末よりも悪目立ちしている事は自覚している。仕方ないとは言え、意図した訳では無い事で騒がれるのは面倒だった。
もっとも、この〝生き残った男の子〟は慣れっこなのだろう。闇の帝王の失墜からして、彼の意思の及ぶ所では無かったのだから。
「それに──まさか君がハーマイオニーと喧嘩をするとは思わなかったしね」
ハリー・ポッターはそう言いながら、気まずげにチラリと部屋の隅へと視線を向ける。
「……君達とて喧嘩はするだろう? 去年も、そして今年だって」
具体的には言わなかったが、その張本人はギクリと身体を強張らせた。
彼が僕に視線を向けようとしなくとも、話を聞いていない訳では無いようだった。
「そりゃあ、ロンに限った事じゃなく、僕だってハーマイオニーと喧嘩したりするけど。でも、よりにもよって君がそういう事するって発想自体がなかったからさ」
「……そんなにも、僕は彼女と喧嘩しそうにないように見えるだろうか」
「うん。正直、セドリックと軽く揉めるような真似をした事すら意外だったし」
そう素直に真正面から認められても困るのだが。
「ほら、君って何時も飄々……じゃないな。超然? としているからさ。他人とぶつかる程の熱意を見せる姿が僕には想像出来なかったし。そんなのは時間の無駄とか言いそう」
「一体君は僕をどんな冷血人間だと思っているんだ。僕にも感情や好悪は有る」
ハリー・ポッターにどう思われようが左程問題は無いのだが、そこまで悪しざまに言われると流石に多少気になってしまうのは人の性か。
「それで、何で喧嘩したんだい? ハーマイオニーは怒ってた、というか色々とやりきれない感じで不機嫌だったし。彼女が刺々しいのは珍しくないけど、あそこまで怒りが長引くとなると、それこそ結構な理由でないと有り得ないと思うんだけど」
「僕達の会話の内容は彼女に聞かなかったのか? 寧ろ当然に知っていると思ったが」
「S.P.E.W.の事は聞いた。ハグリッドと同じで、君とハーマイオニーの意見が全く合わなかったとか。そしてハグリッドと違って、君は真正面から彼女を論破しようとした事も」
ハリー・ポッターはそれ以上言わなかったが、その言葉には賞賛の響きが有った。どうやら彼は、声高に革命を唱えた彼女に随分辟易していたらしい。
今も彼女はS.P.E.W.を続けているのか、或いは続けているのか。それを僕は敢えて問わなかった。彼に聞くべき事では無かったし、聞くのが少し怖い部分でも有ったからだ。
「しかし、S.P.E.W.の事
「うん。もう一個、セドリックについて何か君が言ったというのは聞いてるけど、余り詳しくは話してくれなかった。何か君の名誉に関わる部分だからって」
「……本当に律儀な事だ。今更僕に護るべき名誉が有る訳でもなく、まして親友に隠し事をするまでの物では無いだろうに」
それもまあ、ハーマイオニー・グレンジャーという女性の良い部分でも有るのだろう。
或いは、去年の延長として、彼等三人が一、二年の時にそうであったのと違い、既に一心同体で居られなくなった事を改めて示す物であるのかも知れないが。
「ただ、正直な所、僕にとってはS.P.E.W.の方が譲れない問題だがな。別に僕は彼女に改めろとまでは言わないが、あのまま進む彼女を僕は個人的に見たくはない」
僕を救った彼女ですら美しくないのだという可能性を、認識していたくない。
「へえ……。でも、セドリックに関しても結構な事を言ったんだろう?」
「それはまあ、その通りだが」
ハーマイオニーに依然として残る〝誤解〟の話か。
確かに相応の事を、しかも一方的な偏見の下に放言はしたのだが。
「ただ、正直大した事ではないぞ? S.P.E.W.の方を君が知っているのならば猶更だ。しかもハーマイオニーが気分を害したように、君が聞いて愉快になれる話でも無い」
「? どういう事?」
僕は紅茶で軽く口を潤した後、彼の疑問にはっきりと回答を口にした。
「簡潔に述べるなら、僕はセドリック・ディゴリーの悪口を言った。ただそれだけだ」
僕にとっては隠すべき事では無く、しかも何らかの意図を持って言葉にした訳では無い。だが、ハリー・ポッターにも容易に受け容れられはしないだろうという予感は有った。
何故なら仮にセドリック・ディゴリーに隔意を抱いているのであれば、半ば黙認という形で有っても、彼が先のグリフィンドール・ハッフルパフ間の戦争を止める方向での対応を取る事は低いだろうと考えられたからだ。
仮に二寮の大分断は流石に嫌だという考えで有ったとしても、セドリック・ディゴリーに対する意趣返しの方法は存在する。例えば、代表選手になって三週間近く誹謗中傷され続けたのだから、それと同じだけ放って置いてくれと求める事は、嫌味な対応で有る事は否定出来なくても、大きく非難されるものではないだろう。
しかしハリー・ポッターはその類の行為を選択する事は無く、それ故に今回、ハーマイオニーと同じくセドリック・ディゴリーを擁護する言葉を聞く羽目になるだろうと思って居たのだが、彼の反応は僕の予想の斜め上を言った。
「──ああ、君もそう思うんだね」
碧の瞳に満ちるのは、昏く濁った嫉妬と敵愾の情。
「あいつは決して皆が言っているような好青年じゃない。
……嗚呼、成程。
全くもって素晴らしく酷い言い草であり、その粘つく陰鬱な感情を見て思った。
ハーマイオニーは正しい。僕がハリー・ポッターを嫌悪していると口では言いながらも、その何処かで彼を跳ね除けきれないのは、彼が有するこのスリザリン的気質にこそ存在する。
ただ──少々、度が過ぎている。
言ってみれば、僕以上に感情的過ぎる。
「ロナルド・ウィーズリー。彼とセドリック・ディゴリーの間に何か有ったのか」
まさか自分の方に話題が飛んでくると思っては居なかったのだろう。
詰まらなそうにぼんやりと僕達の会話を眺めつつ紅茶を啜っていたロナルド・ウィーズリーは、思わぬ飛び火に驚愕で眼を見開いた後、咽ながら慌てて口を開いた。
「ゴホッゴホッ。い、いや、別段君の気にする事じゃ無いさ。そうそう、別にハリーがあいつに先約された件で勝手に恨んでるとか──」
「ロン」
「……ごめん、ハリー。僕もう何も言わない」
ハリー・ポッターの強い語気には、隠し切れない怒りが滲んでいた。
もっとも、決定的な失言まで行かなかったのは流石に親友というべきか。
ただ何にせよ、彼にはセドリック・ディゴリーを恨むようになった理由が有るらしい。もう少し詮索すればその中身まで掴めそうな気がしないでも無いが──それをしてしまうと、彼を本気で怒らせるような予感も有った。
しかし、その危うさはハリー・ポッター自身が誰よりも自覚していたのだろう。
気を落ち着かせる為か、自身の紅茶をがぶりと一飲みした後で、彼は改めて言葉を続けた。
「まあ、セドリックの事は御互いどうでも良いだろう? 別に本題じゃないんだし、君だってわざわざ気分が悪くなるような話を続けたくもないだろうし」
「そうだな。第一の課題があのような形で終わった以上、そしてその後の顛末があのように収拾が付けられてしまった以上、僕にとってはもう済んだ事だ」
彼は既に僕がどうこう出来る地位の人間では無い。
「それでも君にとって何か意味が有ると思うならば改めてハーマイオニーに聞くと良い。僕から許可が出たというなら拒みもしない筈だ」
「暇が有ったらそうするよ。ただ、君がセドリックと揉めた理由も何となく解った気がする以上、余りそうする必要を感じないけどね」
多少誤魔化すようにそう言った後、ふと彼は何かを思いついたような表情を浮かべた。
「第一の課題と言えばさ。君も当然見ていたんだろう?」
「……流石に今年アレを校内で見ていない人間の方が珍しいと思うが。それがどうしたか?」
その後のバーテミウス・クラウチ氏の印象が強過ぎるが、忘れた訳では無い。
「いや、見てたんならさ、君の感想を聞きたいかなって。何せ君は代表選手を残らず資格が無いと事前に啖呵を切った訳だしさ。その上で直接君の反応を聞く勇気を持っている人間が他に居そうもないし、良い機会だから聞いてみようかと思って」
「……何が良い機会か解りかねるが、四人全員が三大魔法学校対抗試合の代表選手たる資質を有していた。第一の課題の結果がそれを証明した。僕にとってそれ以上でも以下でも無いが」
率直な感想を言ったのだが、ハリー・ポッターにとっては期待外れの物だったらしい。彼は明確に抗議の意思を示すように口を尖らせてみせた。
「そういう事じゃないんだよ。ほら、審査員が点数を付けてただろ? ああいうのだよ」
「……成程。つまり、順位を付けろと」
「君の事だから色々と〝分析〟はしているんだろう? 僕はそれを聞きたいんだ」
純粋な好奇心以外が見えない言葉に重い息を吐く。
確かにしていない訳では無いが、それでも誰かに聞かせようと思っていた訳でも無い。ハーマイオニーとの距離が空いた今であれば猶更の話だ。
「……別に聞いても愉快にはならないと思うが? 既に君は理解していると思うが、たとえ君の前で有ったとしても、僕は言葉を濁すような性格ではない」
「それは僕が一位に相応しくないと言っているような物だけどね」
チクリと、微妙に意地が悪い表情でハリー・ポッターは皮肉を飛ばす。
「でも、別にそれでも良いんだ。ロンやハーマイオニーは僕が一番だって言ってくれたし、カルカロフも僕に対しては四点しか付けなかっただろう? だから、純粋な興味だよ」
「……イゴール・カルカロフと同列に語られるのは釈然としないがな。彼は、ビクトール・クラムへの贔屓が過ぎる」
とはいえ一方で、アルバス・ダンブルドアは多少アレを学ぶべきだとも思うのだが。
「それに、そもそも皆して自分の好みを好き勝手言ってただろ? 杖を振りかぶったクラムの真面目な顔がカッコよかったとか、間一髪で鉤爪を避けてみせたセドリックの素早い動きに見惚れたとか、スカートに火が着いた時のフラーの慌てぶりがちょっと可愛かったとか」
「……ミーハーな意見ばかり挙げたのは恣意的な物を感じるが、一時期誰が自分の一推しかを争うのが流行っていたのは知っている。随分牧歌的な戦争で結構な事では有ったが」
グリフィンドール・ハッフルパフ間の戦争前夜、或いはグリフィンドール・スリザリン間の恒常的な戦争状態とは比較にならない平和さだった。
結局の所、誰もが本気で一位を決めたいと思っていた訳では無く、代表選手を話の肴として盛り上がりたいだけだったのだろう。グリフィンドールがハッフルパフを、或いはホグワーツがダームストラングやボーバトンを純粋に褒め称える構図が平気で存在していた。
「そうそう。だから、そこに君の偏見が一つ加わっても大した事では無いだろ? 別に真剣に批評しろって言っている訳じゃないんだからさ」
「ならば、回答を拒否したい所ではあるんだが……」
改めて溜息を吐いた後、座っていた姿勢を多少真面目な物に変える。
接した時間は長くないとは言え、付き合いだけ見ればハリー・ポッターとは四年目なのだ。断られただけで引き下がる気が有るのかどうか位は見当が付く。彼が強い関心を持っているのは明らかだったし──何が何でも拒絶する程の大した話でも無かった。
「まあ、自分が一位でなくとも構わないと君が言うならば答えるが、但し予め留意して欲しい。これはあくまで僕の個人的で、適当な見解だ。聞いた上で好きに否定してくれて良い。君が反感や別種の感想を抱くのも全くの自由だ」
僕の念押しに、ハリー・ポッターは頷く。
彼は相も変わらず僕を便利な知恵袋と考えているようだが、それでも興味を抱いているという分にはマシであり、何より僕としても彼と何でも無いような世間話をするよりは楽なのだ。
遠過ぎず、しかし近付き過ぎない。
その距離感として、現状は決して悪くない筈だった。
「そうだな……。まず、何から話すべきか」
ハリー・ポッターの指摘通り、僕が第一の課題をそれなりに真面目に見ていたのは確かだ。
ただ、ドラコ・マルフォイは僕にそのような意見を聞くタイプでは無く、そしてまた第一の課題について熱心に語り合う友人などそもそも僕には居ない。当然ながら理路整然と他人に説明をする準備をしている訳でも無く、整理の為に多少の猶予が必要だった。
……しかしまあ、あの審査員達も点数を出すならコメントくらい付けても良いだろうに。
採点種目で必ずそれらが付される訳でも無いだろうが、エンターテインメントとして考えれば、間違いなく有った方が盛り上がるだろう。
特に国際交流を主眼とするならば話のネタは多い方が良いだろうし、歴戦の魔法戦士や熟練の術者による言葉というのは、三校の生徒にとって貴重な教訓となるに違いなかった。ついでに言えば、イゴール・カルカロフのような不公平過ぎる採点も有る程度抑止を期待出来る。
逆にそれが存在しなかったからこそ生徒間で会話が盛り上がった面も有ったのだろうが、逆にそのような権威有る専門家の言葉が既に存在していたのであれば、ハリー・ポッターが僕に批評を求めるなどという奇特な真似をしなかっただろうというのは確かだ。
もっとも、今更部外者が言っても詮無き事では有るのだが。
「まあ、解りやすい所から行くか。つまり君やビクトール・クラム。代表選手の中で、最も映えた試合をした人間達からだ」
一か月前の出来事である以上に別の理由で朧気になっている内容を何とか思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君達の取った手段は全く別方向の物だったが、何れも見応えが有った。君は純粋な飛行技術で翻弄し、彼は真っ向からの戦闘技術で痛撃を与えた。二人とも自身の得意とする面を存分に発揮したと言えるし、その上他が容易に真似出来るものでもない」
手段としては両者とも単純な方だが、難易度がそれに比例する訳では無い。
「君の方法であれば、素人では箒ごと消し炭にされるのは解りきっている。ドラゴンから見て如何に人間が的として小さく、機動力と小回りで優れているとは言え限度が有る。彼等には炎のブレスも有るからな。仮に君のファイアボルトを貸し出されたとしても、普通の人間は容易く狩られてしまうだろう」
僕であれば五秒も持たないだろう。
ドラゴンが飛んだ時点で、僕の死が確定する。
ただハリー・ポッターは微妙に不満気であり、しかしその理由は既に推察出来ていた。
「……嗚呼、解っている。ビクトール・クラムなら自分と同じ事が出来ると言いたいのだろう? けれども、僕としては逆も然りだと思うが? 君も結膜炎の呪いを上手く使ってドラゴンを出し抜く事が出来る。倒す事は不可能でも、卵を盗むのは余裕だ。そう判断する位には、君が闇の魔術に対する防衛術の技量に優れ、かつ化物退治に慣れている事を知っている」
校内のみに限定しても、決闘クラブでの立ち回りや、リーマス・ルーピン教授からの評価において、ハリー・ポッターは平凡で無い事を証明し続けている。
そして彼が打倒したのは、トロール、バジリスク、吸魂鬼達に……嗚呼、闇の帝王もか。或る意味、自身の格上と戦う事に関しては代表選手の中で最も経験を有すると言っても良い。
「……前も思ったけど、君は
「彼は何故か君が関わると途端に愚かになるからな。そして、客観的に彼を観て来た身としては、彼の箒の腕前ではドラゴンを出し抜くのはやはり不可能だ」
如何に僕より上手かろうとも、ハリー・ポッターやビクトール・クラムの前では塵芥だ。
スニッチを同時、かつ等距離で発見した場合、ドラコ・マルフォイは彼等に絶対に勝ち得ない。そう確信する位には、彼等との間に残酷な才能の差が有る。
「クィディッチ選手は四寮に等しく居るだろう? それでも、君と同じ事が出来ると嘯いた人間が居たか? 或いは、非公式の決闘クラブで腕を磨いた者もホグワーツ内に多く居るが、ビクトール・クラムと同じ事が自分にでも出来ると大見得を切った人間が居たか? 居ないだろう。あれ程見事な試合結果が現実であり、全てであり、絶対だ」
内心そう思っていた人間が居たとしても、彼等の結果はその公言を許さなかった。
「君達は正しく、三大魔法学校対抗が夥しい死者を出しながら尚、三百年もの間続いた理由というのを見せてくれた。成程、あのような見世物を定期的に見せてくれるのであれば、過去の魔法使い達が熱狂的になった気持ちも理解出来るものだ」
彼等は、三校の頂点を決める為の資格を与えられる者として相応しい。
炎のゴブレットから名前が出たとか形式的な物では無く、そう思わせるだけの実力と結果を全員の前で見せつけたからこそ、ハリー・ポッターはスリザリンを除く殆どの生徒──割を食ったボーバトンやダームストラングも含めて──から代表選手として受け入れられ、ビクトール・クラムも同様に己の地位を確固たる物とした。
「次に、セドリック・ディゴリー」
最もハッフルパフ的と言われる存在。
「彼のやり方は、呪文は使い方次第だという事に感心させられるものだった。寧ろ、どう使うかにこそ、術者の技量が最も表れる事を明らかにした試合というべきか」
「随分あっさりと褒めるんだね」
ハリー・ポッターは意外の表情を隠さなかった。
「君はさっき単に悪口を言ったとだけ述べたけど、ハーマイオニーが言葉を濁す位なんだから、多分僕の比にならない事を言ったと思うんだけど」
「だからそれは後で彼女に聞いてくれ。……まあ、個人的な好悪は別として、やはり評価は正当にせざるを得ないだろう。そもそも、彼は来年の首席候補だと聞いていた以上、数値上の能力や技量までは疑ってはいなかった」
そして噂以上の実力だったのは、あの結果を見れば明らかだろう。
課題の三分の一が終わったに過ぎないとは言え、営巣中の雌ドラゴンを出し抜くという課題は、まぐれで成功出来るような物でも無い。
「代表選手の中で最もドラゴンという種を理解していたのは恐らく彼だった。こう言っては何だが、君達二人は殆ど現場で対応を決めているように見えた。まあ、君達の何れの手段も臨機応変に対応する以外に無い代物だから仕方ない事でも有るが」
「……僕は試合を見てないから何とも言えないんだけどさ。犬を使ってドラゴンの気を逸らしたセドリックだって、臨機応変に対応する必要が有ったのは同じだと思うけど」
「そうだな。ただ君は──いや君達は、ドラゴンの種類が変わったとて全く同じ方法を取っただろう? 要は、君達は自身の強みを押し付ける手法を選択した。君達にとってドラゴンはドラゴンでしかなかった。しかし、彼は相手の弱みを理解する手法だったと言うべきか」
どちらが優れているという訳では無く、これは方法論の差異に過ぎない。
「何で君がそんな事を断言出来るんだい?」
「簡単な話だ。ハリー・ポッター、君はセドリック・ディゴリーと同じ事を出来るか?」
微妙に不満そうな彼に、僕は淡々と疑問を突きつける。
「非生物を生物とする変身術は相応に高度だが、それは置いておこう。セドリック・ディゴリーはラブラドールを見事に操り、スウェーデン・ショート‐スナウト種の気を逸らしてみせた。さて、君は自分がそれを為している姿を思い描く事が出来るか?」
「…………」
「出来ないだろうな。ビクトール・クラムに代わって結膜炎の呪いでドラゴンを怯ませる自分の姿を想像出来ても、そちらの方を想像する事は君には出来ない」
「……君も出来ないと思うけど?」
「当然、強く肯定しよう」
それは絶対的な大前提では有る。
彼の技量は、僕より上に位置している。……遥かに、とは付けはしないが。
「しかし、彼の呪文の使い方が、スウェーデン・ショート‐スナウト種に有効で有ったとの事後的な評価は出来る。同時に、ハンガリー・ホーンテール種には通じなかっただろうという評価も。両者はドラゴンという大きな枠組みで括る事は出来るが、しかし両者は全く行動や習性を異にする別種であるというのを決して忘れてはならない」
ニュートン・スキャマンダーが彼と同じハッフルパフで有るのは単なる偶然だろうが、しかしながら、セドリック・ディゴリーの頭に彼の存在が有った事は間違いない。魔法生物への向き合い方という面で、彼以上に学ぶべき人間というのは多くないからだ。
「彼は、ドラゴンでは無くスウェーデン・ショート‐スナウト種として、また単なるスウェーデン・ショート‐スナウト種では無く唯一無二の相手として、自身が向き合う存在を理解しようと努めた。種の本能、習性、個体の気質、好悪等々。可能な限り全てを」
それが出来ていなければ、セドリック・ディゴリーはラブラドールレトリバー共々、早々に食われているか燃やされて消し炭になっている。
「スウェーデン・ショート‐スナウト種の鮮やかな蒼の炎にしろ、或いはその飛行能力にしろ、どう考えたって人間や犬の足よりも速い。そして人の骨を消し炭に出来る火力にしても、少なくない魔法使いを屠って来た牙や爪にしても、学生が杖一本で防げる程生温い物でも無い。そんな怪物に対し、犬如きを使って気を逸らし、隙を作ったんだぞ? しかも、営巣中の、卵を護っている雌ドラゴンをだ。その言葉が、意味が軽いとでも思うか?」
ファイアボルトという逃走手段を持っていたハリー・ポッター、或いは結膜炎の呪いによる速攻で相手が本領を発揮する前に終わらせたビクトール・クラムと違うのだ。ドラゴンに隙を作らせる事が必要でも、挑発し過ぎるのは禁忌だった。
「故に、理解だ。ドラゴンに言う事を聞かせる事は、ドラゴン使いですら殆ど為し得ない。そして彼自体も言う事を聞かせるまでは行かなかったが、それでもある程度誘導してみせた。犬と、それ以上に己が身体を最大限に用いる事によって」
しかも事前の練習など出来る筈も無く、彼は殆どぶっつけ本番だったのだ。
「だから、君達と彼を僕は違う次元に置いた。幾つもの展開を綿密に想定し、対応を事前に用意して、尚且つ本番でそれを適宜に適切な形で選択しなければ彼と同じ事を出来はしない。そう判断するからこそ、呪文は使い方次第であり、僕は彼を見事だと評する訳だ」
四者四様の手段の内、最も成功確率が低く、危険が高かったのは彼の物だっただろう。
ただ、それでもあの男はやったのだ。やり遂げたのだ。同じ手段でドラゴンに挑めと言われてドラゴン使いですら難色を示すに違いないそれを、彼は成功させてみせたのだ。
その事実から眼を逸らして貶める事など、一体どうして出来ようか。
「一応難癖を付けるならば少しばかり地味だった事か。怪我を火傷程度に抑えた事は逆に賞賛されるべきと主張する者が居るだろうし、僕も同意見であるが、多少見栄えが劣るのは誰にも否定し得ないだろう。ただ、これは君達がひたすらに派手過ぎたとも言えるが」
殆ど同種の課題に挑む以上、比較対象は不可避である。
特にルード・バグマンは見栄え重視であり、その嗜好が点数に現れていた。彼はハリー・ポッターに満点を付けたし、卵を破壊したビクトール・クラムへの減点も最低限に済ませた。
そして、試合として点数で評価される以上、審査員に〝受ける〟方法で課題を達成する事が出来るかも実力の内だという事は可能だろう。
ハリー・ポッターは既に言葉を差し挟もうとせず、ただじっと僕を見詰めていた。
「──さて、ざっと三人を見たが、君達の間で点数に差を付けるのは難しい」
点数が十点しか無く、かつ項目で細分化されていないのも一因では有るが、どれも決して普通の生徒では為し得ないのが一番の理由である。
「君達三人の粗を探せばきりがないが、同時にそれ以上に優れた点が有るのは解り切った事だ。敢えて口にするが、僕には君達のやった事を再現出来そうにないというのも有るからな。故に、僕が点数を付けるとすれば、君達三人に同じ点数を付ける事だろう」
付ける点数が十点か九点かは些細な事だ。
順位や優劣を付ける事が出来ないという一点において、何ら変わりようがない。
「但し、だ」
誰もが知る通り、代表選手は四人居た。
そして、敢えて僕が彼女を省いてきたのは、単純な一つの理由に他ならない。
「誰が一番優れていたかを決めるに躊躇いは無い。仮に最終的に君達三人と同じ十点を彼女に付ける事になろうとも、その中ですら僕は序列を決める事が出来るだろう。僕はフラー・デラクールこそ、第一の課題で最も非凡である事を証明したと思う」
深く考えるまでも無く、あれこそが至上だった。
「審査員の点数を非難する訳では無い。彼等は彼等なりの基準で審査し、それは基本的に正当だ。僕よりも熟練の魔法使いによる判断である以上、それを疑う余地は無い。しかしながら──それでも、僕の
僕の言葉を聞いて尚、お前はフラー・デラクールよりも劣ると聞かされて尚、ハリー・ポッターの表情に反感や嫉妬は浮かんでいなかった。
彼には納得と感心が有り、それ以上にフラー・デラクールの再評価、或いは純粋な賞賛が有るようだった。それは、ドラゴンという同種の困難な課題に立ち向かった代表選手同士が持ち得る、或る種の共感に基づく尊重の念かもしれなかった。
「それでえっと──ッ」
「……どうした?」
何かを言おうとして、しかし突然口を閉じたハリー・ポッターに問う。
けれども、彼は焦ったように首を大きく振った。あからさまに大袈裟な動作だった。
「べ、別に何でもないよ。君の意見はすっごく参考になった。うん、聞いて良かった」
「……理由を言っていないが良いのか」
「い、いや、僕が一番気になっていたのは順位だから。フラーが一位で、他が二位って事でしょ? 同率三人なのは釈然としないけど、一応は問題無いかなって」
僕の感覚では彼は大嘘を吐いているのだが、まあ、僕としては手間が省けるのは歓迎すべき事では有る。彼が十分だと主張するならば、わざわざそれを否定する義理は無い。
そして少なくとも、フラー自体に左程強い興味を抱いていないというのは事実のようでも有ったし、本題前の前座にしては少々入り込み過ぎた事を自覚したのかも知れない。
「──それで、話は完全に変わるんだけどさ」
微妙に真剣味の有る物に表情を引き締めて、しかし何処か意地の悪い光を浮かべつつ、ハリー・ポッターは言葉を紡いだ。
「君はこのクリスマス、どうするつもりなんだい? 君が女の子と踊ってる姿なんて全く……いや、殆ど思いつかないんだけど、既にスリザリンで誰かを誘ったりした?」
それは確かにハーマイオニー・グレンジャーが居ては為し得ない類の話だった。
だが、ハリー・ポッターが僕に投げ掛ける話題としては、余りに不適当な物でも有った。
「……君と僕とは、このような世間話をする間柄では無かった筈だが」
「別に良いじゃないか。グリフィンドールでの噂話では君の事なんて全く伝わって来ないし。なら直接聞くしかないだろ?」
「聞かないという選択肢も絶対に有る筈だがな……」
愉快そうに笑みを浮かべる彼の表情は、何処からどう見てもスリザリンだった。
しかも質が悪いのが、これを聞く為に僕を呼びつけたのだと読み取れてしまう事である。流石にこのような馬鹿げた浮かれ話が本題では無いだろうが、それでも彼が真実僕にぶつけたい話題として考えていた事がありありと伝わってきた。
「しかし、何処もかしこも浮かれ過ぎだろう。誰が誰と踊るとか、誰それが未だに相手を決めかねているとか、どうでも良い話ばかりだ。そしてまさかマルフォイと同じような事を君の口から聞く羽目になるとは思ってもみなかった」
僕の言葉に、流石にハリー・ポッターは嫌悪に顔を歪める。
「ゲッ。あいつと同じ事を僕がしているの?」
「同じかは解らないが、似たような事はマルフォイからも言われた。何時も通り、自身の交際歴や社交経験についての長々とした自慢と一緒にな。もっとも彼は、僕が未だにパートナーを決めていないのであれば、自分が世話してやっても良いとも続けたのだが──」
「えっ!? じゃあ、マルフォイの紹介した女の子と行くって事!?」
「そう言われて僕が行くと思うか?」
何故か思いの外強い驚愕を示したハリー・ポッターに、僕は溜息を返す。
「殆ど話した事の無い相手とダンスに行ってどうする? 全く盛り上りもしないのは目に見えているし、そもそも僕の相手をさせられる女性が可哀想だろう。どう考えても罰ゲーム以外の何物でも無いからな」
僕は針の筵で居る事に慣れているが、女性の方は違うだろう。そしてそれを受け容れてくれるような奇跡が存在するとは最初から微塵も期待もしていない。
「しかしながら、今回のマルフォイは珍しく執拗だ。僕が簡単に考えを曲げない人間だというのは彼も解っているから一度拒絶すれば大概それで終わるのだが……何らかの企みが有るのだろう。彼は余程僕を笑い物にしたいと見える」
「あー」
「……何だ、その反応は」
「いや、だってマルフォイの苦労に思いを馳せる日が来るとは思わなかったからさ」
先程までの嫌悪感は何処へやら、ハリー・ポッターは感慨深く言葉を漏らした。
彼がそのような感想を抱くのは異常な事だというのは解るのだが、先の話の何処にそれが有ったかいまいち理解しがたい。
「えーっと、じゃあユール・ボールはどうするの?」
「解り切っているだろう。家に戻るつもりだ」
僕の回答に、ハリー・ポッターは唖然とした表情を浮かべた。
……まさか彼は、僕が例年通り大人しく寮に残るとでも思って居たのだろうか。確かに三年以下だと寮に留まる人間は少なくないが、一応ユール・ボールに参加資格の有る人間なのに彼等と一緒に寮に残るのは余りに寂し過ぎるだろう。
「で、でもグリフィンドールの四年生以上は全員残るみたいだけど」
「別にユール・ボールは強制では無く、帰る事も禁じられてはいないだろう? 例年通り、スリザリンでも寮監がホグワーツに残る人間に名前を書くようリストを持ってきた訳だからな。まあ、三大魔法学校対抗試合の代表選手殿は違うみたいだが」
「うっ」
ハリー・ポッターが呻き声を上げる。
確証は無かったが、どうやら図星だったらしい。彼が本来はユール・ボールを歓迎しない類の人種であるというのは、この四年で重々承知している。
「元々僕が休暇中に家に帰らないのは、ホグワーツだろうが家だろうがやる事は左程変わらないからに過ぎない。食事も出るからな。ただ──今年は多少思う所も有る。マルフォイを黙らせる為にも、心残りを済ませる良い切っ掛けと捉えるべきなのかも知れない」
〝生き残った男の子〟。
その事実は、この国の誰もが知っていた。
更に言えば、僕は部外者の中では最も彼を知っていた。ハーマイオニー・グレンジャー、そしてアルバス・ダンブルドア。その二者から、この三年間の偉業について良く聞き及んでいた。賢者の石を護り、秘密の部屋を暴き、百を超える吸魂鬼を祓った事を聞いた。
……嗚呼、それでも。
他人から聞くのでは無く、彼の雄姿を自身の眼で見たのは、初めてだったのだ。
だからこそ、思ってしまったのだ。
「ん? 心残り? わざわざ君には帰ってやる事が有るの?」
……思考を妨げるように挟まれた疑問の声が耳に届いた瞬間、自分の失態に気付いた。
どう考えて見ても、ハリー・ポッターの興味を惹くような言葉をわざわざ告げるような必要は無かった。ただ帰ると言えば済んだ話だった。そして、この英雄殿はその隙を敢えて見逃してくれるような、さっぱりとした性格や善良さを有していない事を知っている。
だが、ハリー・ポッターの反応は僕の警戒した代物とは少々異なった。
「それって何? 何としても済ませなきゃならない位に大事な事?」
「……答える理由が有るか?」
「ええと、余り言えないけど、僕には聞く理由が有るんだ。それじゃ駄目?」
彼はそう言って、碧の瞳で真っ直ぐと見据えてくる。
彼の瞳の中からは、決して邪な感情は見えない。何らかを隠している企みの匂いは感じる物の、そこにスリザリン的な策謀の気配は全く感じない。
……嗚呼。苦手だ、本当に。
先程までの調子であれば全く断るのに苦心しなかったというのに、ハリー・ポッターは、僕に対して時折このような光を向けてくる。そして、その場合は不思議な位に、僕が余計な推測を働かせる気力と、回答を拒否する意思を喪わせてしまう。
去年、スネイプ教授は、開心術の範囲では僕からリリー・ポッターの姿を隠し通したが、それでも教授はハリー・ポッターを見て同じ気分になる時が有ったのかも知れない。いや、それ以上に悪いか。教授はリリー・ポッターに対して特別な想いを持っているのだから。
逃げられない事を悟った僕は、可能な限り自然に聞こえるように回答を口にした。
「別に大した事では無い。単に
瞬間、ハリー・ポッターは大きな衝撃に眼を見張った。
我関せずの態度を取り続けていたロナルド・ウィーズリーですら、聞いてしまった事にバツの悪そうな顔をした。
けれども、僕は苦笑を浮かべてみせた。
「喋ると決めたのは僕だ。気に病む必要は無い」
ハリー・ポッターならば良いかと、そう思ってしまった。
「そして、あくまで思い付きだ。マルフォイの体面を全く傷付けずに断る口実は何か無いかと探した結果、それも有り得るかと考えてしまったに過ぎない」
少なくとも理性ではそれが最善だと判断していた。
ただ、感情までが受け容れてくれた訳では無い。寧ろ真逆だ。
「正直な所、行かないに越した事が無い──というか、踏ん切りも付いて居ない。祝祭日であるクリスマスの時期に行くのもどうかという考えも持っている。どちらかと言えば家に帰っても怖気付いて行けず仕舞になる気もしないではない」
二年前、ミネルバ・マクゴナガル教授は、僕が墓参りに行ったかを聞いた。
個人的事情に立ち入る話題をわざわざ教授が持ち出したのは、それだけの理由が有る筈なのだ。僕が立ち向かいたくない真実を、墓に向き合えば否応無しに理解せざるを得ない事実を、彼女が知っているからだ。
「──実際、今でも疑っている。僕は本当にそこに行けるのかと」
「解るよ」
漏らした弱音に被せるようなハリー・ポッターの言葉は、しかし真摯だった。
彼の碧の瞳は驚く程に澄んでいて、先程以上に強い輝きを放っている。それは先のスリザリン的な色からは程遠く、紛う事無く善きグリフィンドールだった。
「僕もまだ、両親の死んだ場所に行けていないんだ。望めば直ぐに行ける筈なのに」
「…………」
……アルバス・ダンブルドアの意図の下、彼は夏中ダーズリー家に監禁されている。
けれども、クィディッチ・ワールドカップに行ったらしい事からすれば、彼は夏全て居なければならないという事はないらしい。そして、休暇は夏のみならず、冬季は勿論、イースターだって有る。交通手段と保護者の問題は、ミネルバ・マクゴナガル教授が直々に融通を利かせるという確信が有る。そのような特別扱いを拒絶する程に、あの教授は冷淡では無い。
だが、彼はそれをしていない。親の死んだ場所を訪れたいという子供らしい希望を、彼は自らの意思の下に自制している。いや、拒絶している。
「というより、僕は両親がどんな風にヴォルデモートに殺されたかという事だけしか知らない。それ以上は調べる気にもならない。多分、君の方が色々と知っている筈だ」
「……君でさえ、そうなんだな」
ゴドリックの谷。
彼等の死地は、今は記念碑となっている。
それが遺族にとって喜ばしい事なのかは解らないが、彼にとってはやはり軽くない意味が有るのだろう。嗚呼、僕が墓石に──単に
「……それを聞いて多少救われた気がしてしまうのは、許されるべき事では無いんだろうな。率直に言うと、君からそのような言葉を聞いてしまった事を恨んでいる。君ですらそうなのだから、僕が立ち向かえなかった所で何ら問題無いのではないかと」
僕の八つ当たりに、ハリー・ポッターはニヤッと笑った。
しかし、嫌味な笑みではなく、逆に爽快さすら感じさせた。
「今からでも取り止めにしないかい? 別に強制されている訳でも無いんだし」
「是非ともそうしたい気分だ。他人に宣言したら決意が固まるというのは大嘘だな。自分の弱さにこれ程嫌気が差すという事も無いだろう」
理性では解っているのだ。
ミネルバ・マクゴナガル教授は僕が墓の前に立たない事を不義理だと非難する事は無く、そしてまた僕が物心ついた時から
故に、そこに何が有るか──いや、存在しないかなど自明であった。
「ただまあ、僕の心残りというのはそれだ。そして今の予定としては、墓参りに赴くかも含め、今後どうするかを家に戻ってゆっくり考えたいと思っている。かつての思い出に浸るには、良くも悪くもあの家は丁度良い」
このように考えるようになった一番の要因が、三大魔法学校対抗試合に、第一の課題の結果に起因する事に疑問の余地は無い。
セドリック・ディゴリーを含め、彼等は己の強さを示した。肉体的にも、精神的にも。
僕等は彼等程に特別では無く、そしてまた強く在れないが──それでも、決して焦がれてはならない道理は存在しない筈だった。
・フラー・デラクールの点数
第一の課題においては、原作ではハリーの点数以外は順位が示されるのみで、他の人間の点数は触れられない。
そして第二の課題の結果及び第三の課題前のルード・バグマンの言葉からセドリックの点数は38点と逆算出来る(第二で47点を取り、ハリーと同点となったと言及される。ハリーは第一で40点、第二で45点)のだが、フラーは点数も順位も確定出来ないように思える。
ちなみに作中のハリーの主観的な認識によれば、第一の課題においてセドリックは卵を取るまでに十五分、フラーは十分掛かっており、課題の内容においては、セドリックは火傷、フラーはスカートを燃やすという失敗を犯している。そして結果はハリーとクラムが同点でトップ(つまりクラムも40点である)である(四巻・第二十章)。