バーテミウス・クラウチ氏との邂逅は、やはり例外的で異常な物だったのだろう。
その後、取り立てて特別な事は何も起こる事は無く、僕の周りには日常が戻って来た。
一応僕はそれが帰ってくる期待を余りしていなかったが、こちらの予測は良い意味で外れてしまったらしい。代表選手全ての資格に僕は疑念を投げ掛け、しかし全員が第一の課題を達成したが為に完全に間違いだった事が露呈した以上、各方面から何らかの報復活動は有り得るかも知れないと考えていたのだが、そのような事は一切無かった。
セドリック・ディゴリーは既に述べた通り僕への不干渉を明確に表現し、ビクトール・クラムやフラー・デラクールはそもそも第一の課題以前と同様に、僕への関心自体を見せる素振りすら無かった。そして彼等の態度に倣うかのように、ハッフルパフ、ダームストラング、ボーバトンの何れも僕への関わり合いを避け続けている。
その理由が彼等の影響力によるものか、既に負け犬になった一生徒など彼等の眼中に無いのかは分からない。しかし如何なる理由であろうと、腫物扱い止まりの対応で留まってくれるのは僕にとって歓迎すべき事である。そもそもあの時点の僕は寮内の発言が漏れるとは思っても居なかったし、彼等代表選手の権威を真正面から否定するつもりまでは無かったのだから、このような扱いは大いに好都合で有った。
しかしながら、変わらなかった点として最も意外であり、敢えて特筆すべきであり、かつ重要であると言えるのは、やはりドラコ・マルフォイの態度だろう。
正直な所、あのバッジに対する皮肉と拒絶──更に言えば、ハリー・ポッターが課題を達成してしまった事──は彼との決別も不可避だと思ったのだが、彼はそうしなかった。
彼は僕等の間には何事も無かったように振る舞う事を選択した。バッジの事は一切話題にしないものの、僕に何時も通り宿題や次回の課題を手伝わせ、気が向くと侮蔑や挑発をぶつけたりするなど、彼は僕が四年間で良く見知ったドラコ・マルフォイらしい在り方を続けていた。
バーテミウス・クラウチ氏は僕を異端と呼ぶのを躊躇わなかったが、考えてみればドラコ・マルフォイも現在における異端の純血では有る。
僕は如何に彼に長らく利益を提供してきたとは言え、今回は半純血の二流市民と関係を切る絶好の機会だった。誰からも文句が出ない理由と状況であり、元々僕との交流を余り良く思って居なかったクラッブやゴイルを始めとする純血達からは歓迎されるであろうにも拘わらず、彼は何を思ったのか、それを選択しなかった。
その思惑が何処に在るのかは幾ら考えても解らず、開心術を使うにしても抽象的な思考や計画まで読み切るのは不可能である。そもそもの話、たまたま入学前に会話した程度を口実として一学年以来それなりの関係性を保ってきた事自体が異常だと言うべきなのだから、今更考えた所で答えが出るものでも無いのも当然ともいえた。
しかし、ドラコ・マルフォイが何を企んでいようと、スリザリンのトップとも言える彼が事実上不問とする態度を取った事に変わりはない。スリザリン全体もまた、僕に対する扱いをかつての放置と敬遠の物に戻す事を決したようだった。
更に言えば、アラスター・ムーディ教授との関係もそれまで通りだった。
あの後指導や添削の遣り取りを二度程行いはしたものの、僕は何も聞かなかったし、教授もまた何も告げようとしなかった。バーテミウス・クラウチ氏が服従の呪文に掛かっていようがいまいが、それらは大人達が解決すべき事であって、生徒の出る幕では無いし、口を挟むべき事でも無いという事なのだろう。
それ故、帰ってきた今まで通りの日常は一瞬で過ぎ去っていき、学期末も段々と近付いてきた。例年通りの休暇前の浮わついた気配が、けれども今までとはまた異質の雰囲気が、校内を、いや三校全体を支配しつつあった。
それが今年のクリスマスの特別イベント、ユール・ボールの存在に有る事は明白だった。
教室内や廊下で予定を語り合う会話やダンスへの誘いが為され、自慢やからかいの声が上がり、真偽の不確かな噂話がひっきりなしに飛び交う。それはやはり一つの平和の象徴であり──しかし僕にとっては関心の範囲外で、また無関係の事象である事を疑ってはいなかった。
十二月の、授業が行われる最終週の月曜日。
学期の開始以来もっともホグワーツ的で在り続けてきた魔法生物飼育学の授業は、戦々恐々としていた生徒側の予想に反し、酷く平和な形で終了した。
先週は何時ものルビウス・ハグリッドらしさを発揮した──即ち、スクリュートの冬眠実験を行った結果、グリフィンドール以外の殆どが彼の小屋に立て籠もるという大事件が発生──した為に、魔法生物飼育学の履修者の間では、今週はどんな無茶をさせられるのかという話題で持ち切りだった。
それはルビウス・ハグリッドに協力してスクリュートを取り押さえる方向に動いた者達ですら例外では無く、その少ない彼等ですら、二度と御免だと公言するのを躊躇わなかった。そんな本音を吐く事を自制したのはあの三人組位のものであるし、彼等とて内心どう思って居たかなど傍目から見ても明らかであった。
しかしながら、学期最後の授業はそれまでの破天荒さが嘘で有ったかのように、スクリュートの餌を用意するという至極平穏無事な代物だった。
それは魔法生物飼育学を受けていた生徒全員に驚愕を齎し──マルフォイは勿論、ハリー・ポッターら三人組ですらも酷く間抜けな顔をしていた──けれども、それに文句を付けるような愚かな生徒は誰も居なかった。
正直に喜びを表すといった藪蛇な真似をする者すら皆無であり、クラス全員が下手な会話など殆どせず、粛々と自身に割り当てられた作業を進めた物だ。それは常に阿鼻叫喚の声が渦巻いていた今学期の授業風景からは程遠い、或る意味で異例の授業であった。
ただ、それは妥当な判断では有ったのだろう。
スクリュートは既に、生徒がどうこう出来る領域を超え始めていた。
頑強な灰色の甲殻、機敏な動作を生み出す力強い脚、火と爆発を生み出す尻尾、そして背中の棘や腹の吸盤。大きさは二メートルを超え、同族での殺し合いで残りが十匹になる程に凶暴な気質を有していた。学期当初はまだ可愛げが有ったと評せる程に彼等は明確な脅威へと成長し、如何に魔法を使えようとも、スクリュートの尻尾の一振りや体重を乗せた踏みつけで手足を砕かれ、爆発の一撃で顔が吹き飛ぶ事も有り得たし、寧ろ先週の授業において大怪我をする者が皆無で済んだのが奇跡である。
そのような状況を放置するのであれば、流石の僕もルビウス・ハグリッドの追放に動くのも吝かでは無かったのだが、彼にも最後の良心の欠片くらいは有ったらしい。三人組の反応から見ても、彼が自発的にスクリュートの授業を止めたのは間違いないようであった。
そんな久々に誰も病棟室送りへとならない授業の後、意外な事に、僕はルビウス・ハグリッドから直々に呼び止められた。巨大な身体を縮めるようにして話し掛けて来た彼には、教授という地位の人間とは思えない程に自信と風格という物が欠けていた。
「あー、レッドフィールド。放課後、俺ん小屋に来い。お前さんにはちょっくら授業……スクリュートの世話でちょっと頼みたい事が有る」
「…………」
その言葉が発された瞬間、スリザリンどころかグリフィンドールの姿すらも周りから消えた。
ルビウス・ハグリッドが僕に近付いて何を話すのか興味を持っていたマルフォイもまた、嫌味を僕に残す事すら忘れて逃げ去って行った。何時も動きが遅いクラッブとゴイルですら、入学して初めて見る位に俊敏な動きで姿を眩ました。危険な厄介事に巻き込まれては堪らないという切実さからの、彼等の本能的行動に違いなかった。
「……それで」
僕がゆっくりとルビウス・ハグリッドを見やれば、彼は何故だかピクリと震える。
「僕を気に入っている訳では無い貴方が、僕にわざわざ頼む理由は? 何時ものように、ハリー・ポッター達に頼めば良いでしょう。彼等ならば貴方に親身に協力する筈ですが」
言葉と共に三人組を探す。
しかし、彼等は近場には見当たらず、既に校舎へと足早に向かっているのが見えた。
ただ──彼等の位置は、ルビウス・ハグリッドの言葉を聞いてから逃げたにしては距離が離れ過ぎており、何より彼と僕が会話するという異常事態を目にしながら頑なにこちらを振り返りすらしないという態度に強い違和感が有った。
そして、ルビウス・ハグリッドの顔に視線を戻せば、同じ物を見ている彼の表情には残念がる色は一切無い。困惑、というより親の背中を見送る子供のようだった。
「えー、教授が生徒に、ちいとばかり仕事を頼むのに理由が居るか? あー、それでだ。教授が好きに優秀な生徒を指名しても、別に問題は有りもせんだろう?」
「僕がそれを断りますと言ったら?」
「そりゃあ、困る……! というかお前さん、教授の頼みを断ると言うんか!」
「許容される場合も普通に存在するでしょう。例えば僕に放課後スネイプ教授の罰則が有った場合、遺憾ながら貴方の頼み事を断らざるを得ない訳ですが」
「ぐむう。う、うーん。そりゃあ確かに。いや、しかし……」
ほとほと参ったという様子で唸り始めた彼を前に、溜息を一つ吐く。
……成程、事情は概ね理解した。
「──ただ、それが今日の放課後だというのであれば何ら問題有りませんよ。スネイプ教授の罰則が入っているという事も有りませんし。貴方の小屋に来れば良いのですか?」
呆れつつそう言えば、彼は一転して大きな顔に笑顔を浮かべた。
「そりゃあ、勿論だ! ウン、良く言ってくれたぞ、スティーブン! 俺はお前さんが黙ってそう言ってくれるもんと信じちょったぞ!」
「一応明確にしておきたいんですが、放課後直ぐで構わないんですよね? もっとも、授業後に質問をするかも知れないので厳密に直後には向かえないと思いますが」
「ああ、それで構わんとも! 寧ろその方が都合が良いな。急がん方が良い」
……相変わらず不用意極まりない言動しかしていないが、まあ、これはこれで彼の味なのだろう。良くも悪くも、彼は謀に向かな過ぎる。
ただ、一応牽制しておく必要は有った。
「あくまで今回だけです。流石にスクリュートの世話係で有るように見られたり、周りから押し付けられたりするというのは御免極まる」
「……そりゃあ、まあ。俺もお前さんとそう言う事態には余りなりたくないが」
憮然とした表情で、しかし何処か不満気なのは、魔法生物愛が為せる故だろう。
スリザリンへの隔意よりも、自分のペットが悪く言われる事への反発が上なのは流石だ。
もっとも、これは形式的な物に過ぎない。スクリュートは単なる口実だというのは勘付いているし、生徒の危険を一応考えて自発的に授業の内容を変更した以上、彼は僕も同様にスクリュートを近付けるような真似はしないだろう。
何より、彼がこうして僕に話し掛けてきたのは彼の都合故だろうが、僕としても、自然な形で聞きたい事を聞き出すには非常に都合が良いと言えた。
「──リータ・スキーター」
「え?」
「貴方は彼女から、一体何を聞かれたんです?」
スクリュートの冬眠騒動の直後。
あの出鱈目記者が来たのは魔法生物飼育学履修者であれば誰でも知っているし、彼等の会話に聞き耳を立てていたのは三人組だけでは無い。授業後には既に彼等の会話の内容──先週の金曜日にはインタビューが行われる──というのは全員に広まっていたし、マルフォイなどは自ら情報を売り込む用意が有る事を告げに行っていた。
そして、僕としてもそれなりの関心を抱かざるを得ない事象で有ったのは事実である。
「先週授業を訪れた彼女のインタビューを、貴方は受けたのでしょう? そこで、貴方は一体何を話した、いえ、どんな情報を引き出されたのです?」
ただ、彼にとっては唐突にも思えたのだろう。人の事情に立ち入った質問をした僕に対する叛意を抱かせるよりも、寧ろ彼を酷く困惑させたようだった。
「結果を知るには明後日のコラムを待つのが最も良いんでしょうが、僕には貴方に会う機会が有るとも思えない以上、今敢えて聞いています。いえ、迂遠な言い回しは止めにしましょう。貴方はスクリュートの事だけを喋った訳では無いですよね?」
「それは……その」
ルビウス・ハグリッドは、明らかにたじろいだ。
勿論、僕は意図してこのような会話運びをしている。
この男は理詰めの言葉や自身の予想だにしていなかった突飛な話題を突き付けられるのに弱く、何より、曲がりなりにも自身の頼みを引き受けてくれた相手には強く出られない。
「あの様子からして、彼女は殆ど魔法生物には興味が無さそうだ。個人的な予想ですが、今までの彼女の記事の内容や傾向から考えれば、ハリー・ポッターについてはまず聞かれた事でしょう」
というか、聞かれない筈も無い。
「それで、アルバス・ダンブルドアや、アラスター・ムーディ教授、或いはバーテミウス・クラウチ氏について聞かれましたか? 後は今後の課題の事については?」
「え、ええとだな……。ウンにゃ、ダンブルドア達については……聞かれんかったな。課題についても……同じだ。というか、スクリュートがちょっとで、殆どはハリーについてだった」
しどろもどろで有りながらも、聞きたい事にはきちんと答えてくれている。寧ろ、促した身で有りながら逆に心配になる位の口の軽さだった。
「具体的にはどのような事を?」
「色々……そう色々だ。しかし、俺は友人として、ハリーが秘密にしたい事を断じて喋っとらんぞ。だからあの女は、俺にハリーを悪く言わせようと余計に躍起になったし」
「成程、つまり下らないゴシップ記事のネタを貴方から得ようとしただけですか」
「俺はそう思っちょる。その筈だ……」
微妙に自信無さげなのは、賢者の石が校内に隠されている事を三人組に漏らした時のように、重要な情報を意図せず漏らした可能性を自分でも排除し切れないからだろう。
そして僕もその懸念は多少抱かないでもないが……まあ、この分では有り得ないだろう。彼女がハリー・ポッターにのみ関心を抱いている事が知れた、いや改めて確認出来たというので十分である。貴重とまでは行かないが、情報源は多数有った方が良い。
だが、流石のルビウス・ハグリッドも、漸く表情を厳しい物へと変えた。
「……けど、何故お前さんがそんな事を気にするんだ」
顔に比して小さな黒色の瞳からは、僕に対する警戒は勿論だが、それ以上にリータ・スキーターに対する強い警戒心が見て取れる。あの三人組が思っている以上に、彼は──少なくとも友人の部分は──身構えてインタビューに臨んだのかもしれない。
「あれは大した女とも思えんぞ。嘘と誇張ばかりの、下らん記事を書くしか能がない奴だ。よりにもよってお前さんが着目する価値が有るとは思えん」
「まあ、それは僕も概ね同意する所では有りますが」
彼女の記事は下世話過ぎるし、内容も非常に質が悪い。
全てを嘘八百で構成するような真似をせず、しれっと真実を混ぜ込むのを忘れないあたりは特に酷い。彼女は類稀な法螺吹と扇動者の才能を持ち合わせていると言って良く、論ずるまでも無く新聞記者としては最低最悪の人種だった。
ただ、僕は彼女のみに対して眼を向けている訳では無かった。
「貴方は、いえ、貴方達は物事を単純に考え過ぎる。しかし、世界は決して単純では無い。世の中は多くの人間の思惑と行動が絡み合って動いている。アルバス・ダンブルドアや闇の帝王ですら、その内の一つ──まあ巨大で代えの効かな過ぎる代物ですが──でしかない。無視は出来ずとも、全てが彼等によって動かされているとは限らない」
寧ろ、僕にとってはそれこそが恐怖である。
闇の帝王の復活が現実味を帯び、その後の展開に考えを巡らせざるを得ない僕にとっては。
ただそれは、今回とはまた別の話だ。
「そもそも貴方は疑問に思わないのですか? 去年あれだけヒッポグリフ如きで騒いだにも拘わらず、今年のスリザリンはスクリュートに対して何ら騒がない事を」
「…………」
「スクリュートが明白に違法だとは言いません。そうであるならば、流石にルシウス・マルフォイ氏も動くでしょうし、リータ・スキーターも
ニュートン・スキャマンダーの主導によって成立した1965年の法律によって、魔法生物の新種を創る事は大きく規制されている。腐ったハーポや東南アジアの魔法使い達がやったように、バジリスクやアクロマンチュラのような危険物を創る事は国内では許されない。
そして創るのが禁止だからと言って輸入等ならば問題無いという事も無いだろう。
「逆に彼等が表立って動かない事は、スクリュートの取り扱いを十分合法と取る余地が存在する事を示していると言っていい。合法とする理屈としては色々考え付きますが、まあどれでも構わないですし、興味も有りません」
とは言うものの、全くの合法であるだろうとは口には出さない。
寧ろ真逆。本気で突こうとすれば、幾らでも違法の論理構成は出来るとも考えている。
だから、丁寧に各所に取材した上で、専門家の見解を踏まえる形で記事を構成するならば、それなりに重みの有る記事にはなるように思える。仮に特別な許可が下されていたとしても、その許可を下した理由や判断自体が妥当だったのかという形で如何様にも文句は付けられる。
ただ、リータ・スキーターがそのようなまどろっこしい真似を好む人間でないのは確実であり、一方、ルシウス・マルフォイ氏は──少なくともこの二年の振る舞いは──違う。
「御存知の通り、ルシウス・マルフォイ氏は一貫して、アルバス・ダンブルドアを校長の地位から追い落とす機会を伺い続けて来ました。そして彼は秘密の部屋の事件の解決を機に委員会を辞任させられましたが、未だ魔法省に大きな伝手を有しているのは去年の騒動が示す通りです」
そして、今年。
スクリュートが結果的に違法で無かろうが、アレを生徒に取り扱わせる危険は外部から文句が言われても仕方ない所だ。
薬草学でも人の首を絞めたり殴ったりする植物を取り扱う事は有るので多少の怪我に文句を言う親は早々居ない。だが、問題は今回スクリュートが誰も見た事があるような生物ではなく新種らしい点──つまり、誰も知らないような特殊な毒や魔法的損傷を与える手段を突然変異によって獲得しているかもしれないという点なのだ。
火傷や切り傷、刺し傷と言った、直ぐ呪文で治療出来るような可愛げのある生き物であったというのは結果論に過ぎず、致命的な事故が起こる危険は有ったのだと主張する者に対して、杞憂や言いがかりだと断ずる事は出来ない。
仮にルビウス・ハグリッド以外の専門家が事前に確認していたとしても、偶々発現しなかった可能性は決して否定し得ないのだ。バジリスクの眼を直接見なければ石化に留まるというように、専門家でも知り得ない、或いは周知をしていない生態は存在しうる。魔法生物飼育学の世界にも、ゴルパロットの第三の法則と同様の定理は存在する筈だろう。
だというのに、校内のスクリュートは見逃され続けている。
「灰色を黒色にする真似を、ルシウス・マルフォイ氏は厭わない。しかしながら、今年、彼は何も動こうとしなかった。そして知っての通り、マルフォイを始め、スリザリンの生徒はスクリュートに対し不平不満は零せども、親に対して授業が不当だと訴えた素振りが無い。前回の立て籠もりを別とすれば、大人しく授業を受け続けてきた」
親や生徒として在るべき姿と言えばそれまでだ。
しかし、そうでないのが、従順とは程遠いのが本来のスリザリンな筈である。
「そして、表立って動いているのはリータ・スキーター、大衆が頭から記事を信じるとも思えないゴシップ記者だけです」
溜息を吐かざるを得ないのは、良くも悪くも彼女が外れだったからだ。ギルデロイ・ロックハートが有していたような牙すら、あの記者からは感じられなかった
「一応、彼女が裏でスリザリンと繋がっている可能性も考えましたが、貴方の言葉からすればそうではないらしい。実際僕の見た所では、彼女は闇の陣営と繋がる程大胆な人間でもない」
「……お前さんは随分と自信を持って言うな」
「実際に会って確かめましたので」
彼女が〝取材〟する際にマルフォイに無理を言って立ち会ったが、その時に鎌をかけた彼女の反応は──闇の帝王に心底怯えていた──正直言って失望を齎すものだった。あれがギルデロイ・ロックハート程の演技ならば大したものだが、恐らく違うだろう。
そもそも、ルビウス・ハグリッドからハリー・ポッターの悪評を聞こうとする事自体が可笑しな話だ。それを得たいならば、我らが寮監殿の下に行けば良い。匿名さえ守れば間違いなく嬉々として、これまでの三年間に有った事実を詳細に教えてくれる。
それをしないという事は、彼女は元死喰い人には望んで近付きたくないと考えているという事を意味している。
一応同様の〝疑惑〟が有るルシウス・マルフォイ氏との繋がりを有しているのは、彼が魔法省の権力者であるからか。もしかしたら、彼は彼女の弱みを何か握っているのかもしれない。ただ、この辺りは勝手な推測に留まりはするのだが。
「要するに、彼女は貴方達と同じ側に居ようとする事を辞めてはいない。職業倫理は別として、彼女の性根はスリザリン程には腐ってませんよ」
「……あの女が腐っていないだと? それは可笑しな言い分じゃねえか? ダンブルドアが校内に入る事を禁じてた上に、『時代遅れの遺物』とか呼ぶ酷い記事を書いちょったんだぞ?」
「その評価の是非はさておき、彼女は不法侵入やプライバシー違反が精々で、拷問や殺人に及べる器ではないという事ですよ。そもそも前回の授業において、不法侵入だったか自体が疑わしい」
元より、アルバス・ダンブルドアの眼を掻い潜って立ち入ったとは更々思っていない。
去年、あの老人はシリウス・ブラックの侵入を許した。まさか
加えて彼と違い、リータ・スキーターは白昼堂々姿を現したのだ。
彼女は誰かに報告されても構わないよう真っ当な道筋で入って来たと考えるのが普通であり、あの老人が彼女を監視下に置き続けていたと考えるのが自然である。
ダンブルドアは、ホグワーツにおいてすら絶対的な権力者では無い事に甘んじているのは、ほんの二年前、あの老人が委員会により追放されかけた事からも証明されている。まして、この三大魔法学校対抗試合という魔法省が深く関わる催し事が校内で行われる現状では、外部の記者の立ち入りを認めるよう働き掛ける事自体は非常識とまでは言えない。
そして、低俗な記者一人を校内に立ち入らせる程度で有れば、あの老人が強固に拒絶する筈も無い。何せそれはアルバス・ダンブルドアという強大な魔法使いにとっては大事の前の小事に過ぎないからだ。
「ともあれ、僕の印象、貴方の話、何よりアルバス・ダンブルドアが明らかに見逃している事から見ても、あの女は本件に無関係の公算が高いでしょう。闇の陣営は彼女に接触する意義を見出せないし、接触しなくても都合良く動いてくれている」
それでも尚、良い役者であるならば僕にはどうしようもないが──ただ、あの怪物じみた老人の視点は、間違いなくそれを超えた場所に存在する。
「つまり、スリザリンは何も表で動きを見せていないんですよ」
闇の陣営は、ワールドカップの騒ぎが嘘だったかのように、沈黙を守っている。
「例年と違い、クリスマスに帰る生徒というのも極少数だ。それは今年ユール・ボールが開催されるというのも有るのでしょうが、それにしたって、飽きる程毎年社交会をやっている彼等が逆に興味を示さなくても不思議では無い。いえ、寧ろユール・ボール後に、更に自宅でのパーティーへの招待を企画して然るべきだ」
豊富な財力と人脈。
多くが朽ち落ちたとは言え、全てが無くなった訳でも無い。
スリザリンの親達は依然としてそれを提供出来るし、子供も利用するのを躊躇わない。家の力は自身の力であり、その資源を都合良く利用出来てこその貴族である。
「しかし、彼等は余りに統率の取れた形で殆どが参加を表明し、それ以上の行動を見せない。まるで親元に帰るべきでないように。
──であれば、一体彼等は何をやっているのでしょうね?」
ルシウス・マルフォイ氏を始め、死喰い人の残党とも呼ばれる闇の魔法使い達の動きは、全く表に出て来ない。であれば、彼等の
「闇の帝王が全てを仕組み、彼のみがハリー・ポッターを害する事を狙っているというのであれば物事は単純だ。しかし、現実はそうでは無いでしょう。闇の帝王を失墜させた〝生き残った男の子〟は、各所から恨まれている。彼を痛い目に遭わせる事が出来れば、自分がどうなっても良いという輩も居るでしょう」
悪党よりも小悪党の方が余程厄介では無いかと父は言った。
それはこの三年間を見ても解るだろう。
アルバス・ダンブルドアはクィリナス・クィレル教授──グリンゴッツ銀行に侵入した挙句逃げおおせる程の闇の魔法使い──を管理出来る形の危険と評したし、それを疑う材料は無い。加えて、教授には闇の帝王が憑り付いており、ハリー・ポッターが〝生き残った男の子〟となった先例からすれば、同様の事象が起こるのをアルバス・ダンブルドアが期待するのには相応の確信が有ったのだろうし、恐らくそうなったのだろう。
しかし、ギルデロイ・ロックハート。そしてピーター・ペティグリュー。
アルバス・ダンブルドアが一貫して小物扱いし続けたであろう二人に関しては、何処をどう検討しても、ハリー・ポッターへの危害を完全に防げると確信していたとは思えない。
前者は最も偉大な魔法使い以外が気付かない程の技量でハリー・ポッターの記憶を吹き飛ばす寸前まで行き、後者はロナルド・ウィーズリーの傍で彼を何時でも殺せる位置に居た。
両者の何れもハリー・ポッター自身に直接危害を加える可能性は高くなかったとは言え、決して低くもなかっただろう。そして、彼等に
ギルデロイ・ロックハートの場合、仮に命まで取られず全ての記憶を喪う事も無かったとしても、ハリー・ポッターは記憶修正後の脱力を乗り越えた上で、闇の帝王及びバジリスクと立ち向かわねばならなかった。
ピーター・ペティグリューの場合、シリウス・ブラックが脱獄する事件が無く、彼の正体が判明する前に闇の帝王が復活する噂が聞こえてきたのであれば、彼は〝生き残った男の子〟を殺す事に躊躇いは無かっただろう。
つまり、ハリー・ポッターが現在も五体満足で有り続けているのは、ただ偏に彼に確かな実力と生存能力が有り、また幸運が味方にしたからである。
逆に言えば、彼は辛うじて生き残ってきたに過ぎない。
「そしてまた、世の中全てが劇的な物事によって動く訳では無いでしょう。溺死や落石、不意の流れ矢等々によって、不運で平凡な死に様を迎えた英雄は数知れない。それを差し引いても、世の中は悲劇的な事故と陳腐な死に溢れている」
〝生き残った男の子〟ハリー・ポッターは偉大な闇の帝王の失墜を齎し、しかし間抜けにも足を滑らせて頭を打った挙句死にました、などという事も有り得るのだ。そんな展開を小説でやれば非難轟轟だが、しかし、それが有り得るのが現実である。
「……ホグワーツは生徒を強く護っちょる。そしてハリーに対しては、更にダンブルドアが手厚く様々な魔法を掛けとるんだ。この校内に居る限り、例のあの人だろうが、死喰い人共だろうが、ハリーには容易く手を出せん」
「けれども、それらと貴方の警戒は両立し得るでしょう?」
「…………」
むっつりと黙り込むルビウス・ハグリッドに、僕は冷ややかに笑った。
「つまり、何が言いたいかといえば──」
この一言に尽きる。
「──油断大敵。そう思いませんか?」
つくづく至言であり、金言である。
「……お前さんは」
巌のように険しい表情で、ルビウス・ハグリッドは絞り出すように言う。
「何で俺にそんな事を言う? 俺は特段お前に親切にしたつもりも無いし、それで俺を罠に掛ける事が出来るとも思えん。だというのに、お前さんは平気で助言めいた事をする。俺の頭が良くない事を差し引いても、全くもって意味が解らん」
「貴方は不思議そうに言いますが、僕にとっては理屈が通った話なんですけどね。これは打算と利益の上での行動ですよ」
アルバス・ダンブルドアも彼に警戒は促しているだろう。
しかし、あの老人に絶対の信頼を置いている彼が何処まで真剣に受け止めているかは疑わしく、だからこそ、彼にとって奇妙なスリザリン生が警告する価値が有る。何を言うかでは無く、誰が言うかが重要である場合は確かに存在するのだ。
「僕達は二人でポーカーをやっているんじゃないんです。手札は多いに越した事は無く、それが強い札ならば更に申し分無く、その上、それを持っているのが最悪自分で無くとも何ら問題とならないでしょう」
目的が最後に達成されるのなら、それを為すのが己か否かは些細な事である。
「アルバス・ダンブルドアを信頼するのは結構ですが、あの老人は今年ハリー・ポッターの参加をむざむざと許したんです。つまりはあの老人を上回った闇の魔法使いが、最低一人は校内か周辺に潜んでいる。その上、スリザリンは不気味な動きをしていると来ています。第一の課題は無事に終わりましたが決して安心出来る状況では無い。寧ろ逆に不穏ですよ」
「……だから、お前さんは俺に気を付けろと言うんか。それも、これまで以上に」
「ええ。既に貴方は授業中、スクリュートにハリー・ポッターを殺させる気は無くなったようですしね。ですから、これは本心からの言葉ですよ」
去年の僕が彼女達の友情を破壊する事に失敗し、また第一の課題で彼女達が友情を再確認した以上、ハリー・ポッターが安全である事とハーマイオニーが安全である事は現状殆ど意味が等しくなっている。
加えて彼女がグリフィンドール的復讐心に駆られない為にも、ハリー・ポッターの命が保全されている事は、僕にとって左程悪い物では無い。別に彼が死んでも構わないものの、死なないに越した事は無いのだ。
──そしてまあ。
彼のホグワーツ流の過激で刺激的な授業は、意外と嫌いでは無いのだ。
ヒッポグリフにしろスクリュートにしろ、真っ当な魔法生物飼育学教師で有れば、そのような授業に──魔法界における命の軽さというのをまざまざと
・The Yule Ball
四巻二十三章のタイトル。
ユールはキリスト教以外の異教由来の言葉。
現在においては、クリスマスと同一の意味で使われる事が殆どである。
・スクリュートの扱い
原作中から判断する限り、スクリュートが明確に違法であるとは断定しがたい。
リータ・スキーターは水曜日の動物学のコラムの特集に乗せるという口実でハグリッドに取材を申し出たものの(四巻・二十二章)も、インタビューの内容が直ぐに『予言者新聞』に載る事は無く、原作では「「日刊予言者新聞」にハグリッドの記事がまったく出ないのも、ハリーの気分をいっそう高めていた」(同上)として言及されている。
もっとも、その後の年明け(インタビューから三週間以上後)案の定スクリュートの記事が出されるので有るが、それはハグリッドが半巨人であるというスクープとの併せ技である。
その記事内でも「魔法生物の新種を創り出すことは、周知のとおり「魔法生物飼育規制管理部」が常日頃監視している行為だ。どうやらハグリッドは、そんな些細な規則など自分にはかかわりなしと考えているらしい」(四巻・二十四章。英文でも「an activity usually observed」)とするのみで、常に違法だとはしていないし、ハグリッドがそう『思って』いる『らしい』とスキーターが決めつけるだけで、客観的に違法であるともしていない。
スクリュートが実験的動物禁止令に引っ掛からない理由が、授業内で用いる・三大魔法学校対抗試合の課題に使う等の理屈で特別の許可を貰ったのか、或いは法律に抜け道ないし欠陥が存在するのか(アーサー・ウィーズリーは自身の起草した法に抜け道を残し、「その車を飛ばすつもりがなければ、その車がたとえ飛ぶ能力を持っていたとしても、それだけでは」問題とならないという理屈で、彼は飛ぶ車を所有していた。二巻・三章)は不明である。
確からしい事は、ハグリッドはバックビークを逃がす事を拒否したように「法律を破るのが俺は怖い」(三巻・十一章)と考えていた事、そして実験的動物禁止令の違反はウィゼンガモット法廷行きにも拘わらず、それがなされた様子が無いという事である。