この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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背景設定の再構築は今話で終了。
前回の話と半ば対になる話。


貴族階級

 アラスター・ムーディ教授は見るからに激怒していた。

 

 彼の荒々しい声が、血走った視線が、刺々しい態度が、強く握り締められて震える杖が、教授の感情をまざまざと示している。

 元魔法法執行部部長と、元闇祓い。魔法省の組織構造からして直接的な指揮関係には無かったかもしれないが、身分として上司と部下の関係に有った事に疑いは無い。故に、両者の間には何らかの因縁が存在したかもしれず、しかしそれを考えても尚、アラスター・ムーディ教授のバーテミウス・クラウチ氏に対する感情は常軌を逸していた。

 

 一言で表現するならば、彼は殺意を抱いていた。

 

「バーティ・クラウチ……! 儂の眼の届く所では決して不審な動きは許さんと、儂は既に言った筈だ……! しかし今、お前は何をやっている! 生徒と呑気に御喋りか? そんな事はお前には許されていない! そんな普通で無い事は、お前には許されない!」

 

 激情と共に詰め寄る教授の迫力は、それを向けられていない人間であっても、アルバス・ダンブルドアという至上を知る僕としても、怯まざるを得ない程の物で有った。

 そして、普通ならば、これだけの怒りを向けられた本人が平静で居られる筈も無い。伝説的な闇祓いが相手だとか、或いは自分がかつての上司だったとか、そのような身分は関係無い。全身全霊を賭して相手に不同意を、自身の狂気を容赦なく叩き付ける教授の態度に真っ向から対峙するのは、普通の人間では決して不可能な筈だった。

 

「普通で無い? 普通では無いだと……!」

 

 けれども、それを受けて立つ側。

 バーテミウス・クラウチ氏もまた、尋常では無かった。

 

「ムーディ……! お前に何が解る! 単なる純血、たかが魔法省の使用人でしかない下賤な者に! 真の〝純血〟たるバーテミウス・クラウチの、高貴なる責務と覚悟を背負い続けて来た私の気持ちの一体何が解る! 何の権限が有って、お前は今の私を普通で無いと規定する!?」

 

 教授以上の狂気に、老紳士は堕ちていた。

 怒れる伝説的闇祓いを圧倒する程の覇気を、彼は宿していた。

 

「良いか、人間とは単純に割り切れる物では無い! ()()()()()()()()()()()()()()()、例外を常に造りたがる生き物だ! そして、それさえも普通の一枠なのだ! 一面だけを観て全ての結論が導き出せるような者では決してない! お前は自分が賢いが故にそれを為せると考えているようだが、その態度こそが大馬鹿者の証なのだ……!」

「っ。言わせておけば。バーティ・クラウチ! 儂には儂なりの──」

「黙れ! 口を開くな! お前と違い、彼には見所が有る! そしてその彼がいじらしく殊勝な事に、私との会話を求めた! 自身の知己を魔法省高官に広げる為に、私が継ぐ伝統と叡智を学び取る為に、彼はここに立っている……! その彼の正当な権利を、資格有る者の義務を、一体お前は何の理由を持って妨害するのだ!」

 

 暴虐的で、権威主義的で、殆ど理屈と言った理屈が無かった。

 けれども、そこで初めて、教授は他人に対して怯むような様子を見せた。そしてそれは、伝説の闇祓いもまた人間なのだという感慨よりも、寧ろ形容しがたい不安すら掻き立てるものだった。

 

「私が何か変だとでも? 私は何時も通り、普段通りのバーテミウス・クラウチだ! それを理解したのならば黙っていたまえ! 道理を理解しない愚か者によって無駄に人生を浪費させられるのは、苦痛以外の何物でもない……!」

 

 一口にそう言い切って、老紳士は再度僕へと向き直る。

 流石に息は荒れていたが、その表情は先の態度が夢だったと思う位に凪いでいた。

 

「……さて。要らぬ邪魔が入ったが、続けるとしよう」

 

 凄まじい切り替えようだった。

 正直な所、逃げ腰気味になったのは否定出来なかった。

 

 先の激論からの展開で平然と話を続けようとするのは、常識外れどころの騒ぎでは無い。けれども、彼はそんな事など知った事は無いらしい。怒りの感情によって多少血の気が戻っていても尚白い表情のままに、骸骨めいた老紳士は話を続行する気だった。

 

「先程、私は〝君達〟の──労働階級の悲哀について話をしていたな」

「……ええ、まあ。僕達の寮が詰んでいるという話でしたよね」

 

 一瞬と言うには長い躊躇の後に言葉を紡げば、彼はさながら僕を賞賛するように頷いた。

 ……どうやら本気で何事も無かったように振る舞う気らしい。未だに殺意を向けている教授の方など一切視界にすら入れず、貴族中の貴族は傲岸なままに言葉を続けた。

 

「そして、それ以上に、今のホグワーツという在り方が終わっている。改めて断言しよう、半純血やマグル生まれにとって、今の学び舎は心地良い物に成り得ないし、輝かしき魔法界を創り得る人格を形成しうる物ともなり得ない」

 

 だからこそ、この貴族中の貴族は、ホグワーツに君臨しえる〝王〟を求めた。

 

「けれども──労働階級を語る上で貴族階級の事を避けては通れない。つまり今回で言えば〝純血(我々)〟の事を完全に無視する事は出来ない。我々は別れて暮らしている訳では無いし、我々は君達の事を指導する立場だ。我々に変化が有れば、当然君達にも変化を齎し得る」

 

 少し落ち着いてきた声に、僕は首肯をもって同意を示す。

 

 それは当然の事だろう。

 両者は連関し、相互に影響を与えている。社会は全ての構成員によって形成される物であり、下流市民や奴隷で有っても例外では無い。

 

 けれども、僕はこの老紳士の発言を忘れていない。

 

「……貴方は既に、僕には関係無い話だと述べた上で、省略する事を選択した筈ですが」

()()()()()()。そして、君は物分かりが良く、聞く資格が有る。後進たる者を育てるのもまた高貴なる者の責務の一環である以上、私は更なる時間を費やす事を躊躇わない」

 

 僕の疑問をあっさりと切り捨てた老紳士は、殺意の中に困惑を混ぜ始めた教授の方向へ、やはり視線を向けようとはしなかった。

 

「では続けるが、君達を取り巻く環境は旧き良き時代から大きく変動した。尊き伝統は捨て去られ、君達は当然のように堕落した。しかし、君達より先に変わったのは──それらを先に喪ったのは、間違いなく我々の方だった」

 

 

 

 

 

 

 彼は、先だってホグワーツからの変革を求めた。

 スリザリンの分断を非難し、〝王〟の出現を渇望した。

 

 けれども、バーテミウス・クラウチ氏の原点は、間違いなくそこには無いのだろう。

 

 言ってみれば、彼は教師になる事を選択しなかった。

 

 つまりは社会を変えるにはホグワーツでは不十分で、魔法省がそれを為し得る組織だと考えていた事を示す証であり、それを前提とするならば──彼は既に失敗している。寧ろ、子供に期待してしまっている事こそが、ホグワーツという自身の手の届かない場所からの変化を求めている事こそが、彼が大人として挫折した事を自白したような物で有った。

 

 そして、その原因は、間違いなくホグワーツ外(この国の魔法界内)に在ったのだろう。

 これからの時代においては〝非純血〟の群れに飛び込まざるを得ないのだと、かつて一人の〝純血〟がそう思い詰めた程の、社会の歪と世界の不条理が既に存在していた。

 

「起点は1945年だ。かの()()によって、我々は堕ちた」

 

 1920年代でも無く、1970年でも無く、1981年10月31日ですら無く。

 彼はその年こそを、〝純血〟が大変動を迎えた決定的な刻として設定した。

 

「もっとも、その革命を語る為には多少時代を遡って語る必要が有る。というより、そうせざるを得ない。1945年が何の年かは、魔法族にとってわざわざ語るまでも無いだろう? つまりは、ゲラート・グリンデルバルドの革命。それ自体に触れる事は不可避なのだ」

 

 教授がピクリと反応したのを横目に見つつ、僕は彼に当然の疑問をぶつけた。

 

「貴方は〝純血〟を語ろうとしているんですよね? それも、この国の〝純血〟について」

「その通りだが、何か問題が有るかね?」

「……その歴史的事実を今取り上げる必要が有りますか? 彼の軍隊は、この国において公的には活動しなかった。当然の事ながら、戦火もまた広がらなかったと記憶していますが」

 

 彼は一人の男を恐れていたが為に、大陸から海を渡っては来なかったとされる。それが嘘か真かは知らないが、この国で大きな戦闘が見られなかったのは歴史的な事実で有る。

 

「そうだな。グリンデルバルドの革命による目立った血は、国内において流れはしなかった」

 

 その口振りは僕へと理解を示すもので、しかし同時に不同意を示すもの。

 

「だが、純血の名家の人脈や血縁関係が、まさか国内の魔法使いのみに留まるとでも? 魔法省において、国際魔法協力部という組織が何時から設置されたと思っている? 国際機密保持法の破壊という魔法族全体の大問題に、国内で死人が出ていないからと言って対岸の火事だと無関係を気取れる事は可能かね?」

 

 ……己の事ながら、馬鹿げた問いをした。

 

 絶対に、そんな事は有り得ない。

 

「この国に革命の火は上がらなかった。だが、この国の者の心に灯が点かなかったという訳では無い。あまつさえ、戦火に自ら身を投じた者達、或いはその関係者が居た。敵味方を問わずだ。例えばグリンデルバルドの側近には早期からロジエール家に連なる女性が居た事は確認されているし、反対にこの国の魔法省は早々に大陸からの要請を受けて、スキャマンダー家の闇祓いを大陸へと派遣した」

「…………」

「必然、我等は注意深く観察していた。そして、無関係では無くとも他人事に近かったからこそ、革命について色々と思索し、議論する余裕が有った。我々は〝純血〟として、貴族としてどう振る舞うべきかという難題に改めて直面させられる事となった」

 

 彼は他人事だと言ったが、その言葉程に〝純血〟は呑気では無かったのだろう。

 

 当然の事ながら、世界を一変させ得る思想は、一所に影響が留まれるものでは無い。

 1095年に出された東方への援助督促にしろ、1517年に教会に打ち付けられた糾弾状にしろ、時代に適合した思想は、一個人の意図を超えて万人の反響と論争と熱狂を生んだ。

 そして革命。初めから社会を変える事を意図する行為が世界に与える影響の大きさについて、わざわざ多言を費やす必要など無い。1789年のパリ、1848年のロンドン、1917年のペトログラード等々。それらは当たり前のように世界へと拡散され、浸透し、天高く伸びた篝火に導かれた羊達の、時代と世界に対する挑戦が始まった。

 

 なれば、魔法界におけるゲラート・グリンデルバルドの聖戦。

 如何に戦火に飲まれる事が無かろうと、殺し合いを始める者が居なかろうと、彼の思想がこの国に──長らく魔法界を支配し続けて来た者達に、全く影響を与えない道理は無い。

 

「そもそも、かの革命以前から世界は変化の流れに有った。魔法界はマグル界から隔離されていようと、断絶されている訳でも無い。漏れ鍋が、聖マンゴが、そして当然ながら魔法省が、マグルの街中に埋もれている。勿論、最初に在ったのは我等の方だが。しかし、魔法族が見ようとすれば直ぐ見られるような場所に、マグルの世界は横たわっている」

 

 姿現し呪文が存在する以上魔法族は街中を歩いてそれらの場所に向かう必要が無いが、興味本位でそれを行おうとする変わり者が居なかった訳でも無いだろう。

 

「我等は最初、マグルの変化を左程真剣に受け止めていなかった。ガンプの法則が提示するように、食料は魔法ですら自由に生み出す事は出来ない。都市と呼ばれる場所にマグルが大勢集まり始めている事を理解しても、何れは減少に転じると考えていた」

 

 人は食えなければ殖える事は出来ない。

 そして、その結果を──疫病と飢餓、荒廃と死滅の時代を、魔法使いは見つめて来た。種として言えば、魔法族は非魔法族より、魔法という力の分だけ強かったからだ。

 

 ……だが、〝マグル〟は殖えた。殖え過ぎた。

 それは、ホグワーツが管轄するグレートブリテンとアイルランド全体をもってさえ、千人程度の学生しか集められない魔法族には出来ない事だった。

 

「マグルの一度目の世界大戦では大勢が死んだ。裏を返せば、それだけ死ぬ余裕が有ったという事だ。魔法省の公的な中立表明、アーチャー・エバーモンド魔法大臣の立法に反してあの大戦に参加した我が国の魔法使いは、しかし英雄と呼ぶ事を厭われなかった」

 

 公式記録には無いが、あの戦争には世界全体で数千の魔法使いが関わったと言う。

 テセウス・スキャマンダー。彼もまた、あの戦争において名を上げた。明確に違法だったにも拘わらず、彼はその後闇祓い局局長へと出世する事になる。

 

「違法行為が追認されたのは、彼等を英雄と呼ばなければ恥と思える程、あの戦争が地獄だったが故だ。古き戦いを記録する純血の家系程に、時代が、世界が既に変わった事を理解した」

 

 ……貴族的、或いは騎士道的精神の下に魔法使いが、銃弾と砲弾が飛び交う最前線で戦っていた筈も無いが、それでも彼等は垣間見はしたのだろう。

 

 〝劣っていた筈の者(マグル)〟の実情を、暴力を、脅威を。

 

 そして──

 

「──その流れの中で、ゲラート・グリンデルバルドの革命が勃発したのですね。魔法族の下に非魔法族を支配せんとする、魔法族にとっての聖戦が」

「そうだ」

 

 バーテミウス・クラウチ氏は頷く。

 

「時代を読めぬ馬鹿者、特に半端に純血思想にかぶれた半純血に多い事だが、あの革命を一人の闇の魔法使い()()()始めた気狂いの戦争だと考えている。しかし、時代は流れなのだ。特に世界を変えるだけの変化には必ず因果が存在する」

 

 下地は有った。

 魔法族と非魔法族の力関係が揺らぎつつあった。

 革命を指導したのはゲラート・グリンデルバルドだったが、それでも、革命を始めたのは、有名無名を問わない大多数の魔法使い達だった。

 

 魔法界を担い、憂い、広く尽力し続けて来た〝純血〟達だった。

 

「だが」

 

 否定を口にし、しかし〝クラウチ〟の現当主は直ぐに言葉を告げなかった。

 

「革命は敗北したのだ」

 

 ……それは、彼をもって尚、口にするのが重い言葉だったが故。

 

「その理非については語らない。元々あの革命が過激的過ぎるという声は、当時の〝純血〟の中にも有ったからだ。だから語るのは結果。即ち、我々に残った物を語ろう。或いは喪った物と表現すべきだろうか」

「…………」

「革命の灯に惹かれてこの国を出た若き子供達が、陣営問わず大勢死んだ。名家が大陸に築いた人脈と資産の多くが焼け落ちた。先祖代々受け継いできた知識、秘宝の数々が闇に消えた。既に血脈や権勢が細っている旧い家系はゴーントを初めとして少なくなかったが、あれは我々にとって非常に深い傷痕を遺した。そして当然ながら大陸と同様に、純血への、そして魔法使い自体への幻想が壊れ切った」

 

 言葉で表現するのは簡単だ。

 しかし、その損失は気が遠くなる程膨大で、彼等にとって掛け替えのない物だった。

 

 ……ただ、それだけではないのだ。

 寧ろ、それだけで有れば話は単純だったかも知れない。

 

 バーテミウス・クラウチ氏は、革命の起点を1945年と厳密に設定した。ゲラート・グリンデルバルドの革命とは表現しなかった。

 世界革命の終わりにこそ、彼は国内の革命の発端を、伝統の根絶が始まった物として認識した。その年に起きた歴史的出来事は、やはりこの国の人間ならば殆どの者が知っている。

 

「決定的だったのは、あの革命の終焉によってこそ我が国に()()が起こり、史上類を見ない〝王〟が誕生してしまった事だ。それも既存体制の何処にも属さず、しかし我が意思のみを絶対として通そうとする、暴虐の王が。そしてそれこそが、我々〝純血〟を引き摺り下ろした悪だった」

 

 ブラック家は事実上の王族を自称するが、それでも魔法族に〝王〟は居ない。

 魔法界においては生存維持の為の集住も都市化も不要であり、結果として強大な指導者というのがそもそも求められる余地が無かったという特質故に、〝マグル〟が想像する旧来の封建的で絶対王政的な君主は生まれる余地は存在し得なかった。

 

 けれども、疑似的であれ、それが産み出される環境が出来た。

 ゲラート・グリンデルバルドという闇の王。二、三十年もの長きに渡った昏い時代が続く中、彼を打ち破るだけの強力な光の王が求められ、その救世思想が浸透し──そして、伝説的な決闘という、言い訳のしようがない上下関係の規定の下に彼を打ち破る事によって、彼の地位は盤石で絶対的な物となった。

 

「アルバス・ダンブルドア。彼こそが、我が国の歪みだった」

 

 ……やはり、あの老人に全ては繋がるのだ。

 

「グリンデルバルドの革命に対抗した〝純血〟が居なかった訳では無い。当然ながら、血を捧げた無名の魔法使いが大勢居た。しかし、それは劇的な終幕の前に忘れさられた。実際に戦火に飲まれた大陸ではそんな事は無かったが、それを他人事だと考えていたこの国の下々共は違った」

 

 圧倒的伝説の前に、陳腐で地道な努力は消し去られた。

 物語を読んでいるが如く、映画を眺めているが如く、かの血みどろの戦争が遠い世界の神話のように受け取られてしまった。

 

「彼等は殆どダンブルドアだけを賞賛した。サラザール・スリザリンの追放と同じように、差別主義的な〝純血〟が当然に敗れ、平和と融和を希求する平等主義者が勝利したのだと考えた。美味しい所を掻っ攫っただけの彼が、光だと、手本だと、正しいのだと信奉した」

「…………」

「それでも彼が魔法大臣になるのであれば問題は無かった。或いは、彼が真実の意味で一教師に留まるのであれば」

 

 アルバス・ダンブルドアは、そうでは無かった。

 

「単なるホグワーツ校長風情、或いは魔法大臣風情が、魔法界全体の大英雄(アルバス・ダンブルドア)の意向を無視出来るかね? 彼が教育内容にどれ程干渉したと思う? 国際的な地位を利用して、法案をどれ程多く通したと思う? 嗚呼、彼の名誉の為にやはり断言しよう。彼は私利私欲では無く、人の安寧を守護するという信念と目的の下にそれらを行った」

 

 アルバス・ダンブルドアの行為は善なのだろう。

 僕もそれを否定するつもりは無い。あの老人は強力で、強靭で、何より高潔で無いと自覚するが故に高潔足らんとしている。尋常の精神では有り得ず、正しく英雄として、今世紀で最も偉大な魔法使いである事を証明し続けている。

 

 但し。

 

「理念は通っていた。しかし、道理と倫理を欠いていた」

 

 結果だけ正しければそれで良い。その理屈を他人が黙認するのにも限度は有る。

 あの我儘で身勝手な老人には、自粛や我慢が出来た筈も無かった。アルバス・ダンブルドアは間違いなく一線を超えた。

 

 強力な行政機構が歴史的に必要とされなかった結果、良くも悪くも魔法界は曖昧だ。

 

 教育内容決定権、及び法案提出権。それぞれホグワーツ校長、そして魔法大臣に帰属するという共通認識は存在していても、それ以外の者が全く所持して居ないのかは明確では無い。権威ある称号を帯びる者、具体的には国際魔法使い連盟議長やウィゼンガモット最高裁主席魔法戦士に帰属するのかどうかは殆ど不文のままで有った。

 

 それを良い事に、アルバス・ダンブルドアは数多の〝改善〟を行った。闇の帝王の勢力の伸長を妨げんとする数々の法案も然り。自身の影響力を最大限活用し、他の人間を道具として、魔法界の政治に干渉してしまった。

 多分、その行いは明確に法に反する訳では無かった。寧ろ、突き詰めて考えれば完全に、完膚なきまでに合法で有った事だろう。特に古臭い中世、或いは魔法省成立以前の魔法使い評議会こそが統治の根幹組織だった時代において、非常時に超越的な指導力が求められた先例は間違いなく有った筈だった。

 

 ただ──それでも暗黙の了解として自重されて来たに違いなかった。

 そして、近現代、二十世紀も半ばを過ぎた時代においては、その必要性も無かった筈だ。

 1707年のウリック・ガンプ以来、広く魔法界を指導すべき至上の地位は明確だったからだ。相応しき者が相応しい地位に昇り、それに見合った権力を行使するという正しき秩序は維持されてきたのは明白だった。

 

 一教師や一校長という地位のまま、平気で政治を行う異常者の登場までは。

 

 そして、思い起こすべきはやはり歴史である。

 

 独裁(dictatorship)

 その言葉は古代ローマの独裁官(dictator)、事実上無制限の権限を握り得た官職に由来する。

 

 その地位に就いた者として最も有名な人物は、当然の事ながら皇帝(カエサル)だろう。

 異常な若年にして最高神祇官の権威を纏い、都合四度の独裁官に就任し、共和政を破壊する寸前まで行きながらも、最後には元老院(ブルータス)によって暗殺された、大軍人にして大政治家。

 

 ……しかしながらだ。

 彼の末路を思う時、独裁官の意義を考えた時、同時に想起せざるを得ない者が居る。

 

 かの皇帝(カエサル)の後継者は、自身の政敵となり得る者を排除しきった後でさえ、独裁官には就かなかった。圧倒的な戦績と人気を背景に、その地位の復活を要請された際には拒絶した。

 代わりとして、制限された権限を持つに過ぎない官職を数多く兼任した。既存の権限を良い所取りし、一つの身に束ねた。その結果として、事実上出来ない事が無くなった。

 

 尊厳者(アウグストゥス)

 かの称号を帯びた者、当時において市民の第一人者及び共和政の擁護者として振る舞った者を、しかし後世の歴史家は一体何と記録しているだろうか。

 

 そしてアルバス・ダンブルドア。

 かの老人は、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟議長、ウィゼンガモット最高裁主席魔法戦士、ホグワーツ魔法魔術学校校長、不死鳥の騎士団団長、そして何よりもゲラート・グリンデルバルドを決闘により打ち倒した大英雄である。

 

 統治する為に君臨する事は必須では無い。

 この貴族にとって、かの男こそがこの国の王であり、皇帝であり、絶対者だった。

 

 

 

 

 

 

 

「グリンデルバルド時代以前において、〝純血〟の力は絶大だった」

 

 自分の時代で無かろうとも、老紳士は己の記憶を回顧するように語る。

 それは非魔法界生まれには決して許されない事であり、半純血ですらも多くの者が資格を持ち得ない。長らく支配階級の地位に居た家系、伝統と歴史を継承し記録し続けてきた者達のみが許される特権だった。

 

「我々は国内外の調整機関として機能していた。財産の、人材の、知識の、そして魔法界の諸問題について。マグル生まれには更々期待出来ず、降って湧いたような二流の家系では国外に持ち得る伝手など限られる。知っての通り世界は広く、我々こそがそれを提供出来た」

 

 一般の〝マグル〟が飛行機で世界を飛び回れるようになったのは、ここ十年、二十年の話。

 けれども、魔法族は姿現しによって広範な移動範囲を誇った。海を越え大陸に渡る事は困難を極めるが、複数回に分けるか移動鍵を用いれば条件付きであれ可能だった。必然、彼等の財産や人脈は、正しく世界規模で存在していた。一人の人間の寿命、たかが百年程度では紡ぎきれない繋がりを、彼等〝純血〟は千年以上を費やして作り上げてきた。

 

「しかし、グリンデルバルドの革命が起こった。あれによって、我が国の純血の子供もそれなりの数が命を散らした。加えて大陸で大勢が死んだ事で、我々は要求と欲望を叶える為の伝手の多くを喪い、当然力を落とした。外部からは、マグル生まれや半純血にはそう見えなくとも、他ならぬ我々が自覚していた」

「……そして、その権力の空白に後釜として座ったのは、当然のように世界的に有名で、広く顔を利かせる事も出来るアルバス・ダンブルドアという訳ですね」

「その通りだ」

 

 老紳士は首肯する。

 

「特に、革命で多くを喪った大陸は、我々の有形無形の援助を必要としていた。それ自体は珍しい事では無い。魔法界に確たる行政や福祉が無いからこそ、我等は当然に古き善き相互扶助を重んじる。そして、それらを提供出来るのは純血だった」

 

 一人の狂王が倒れたからと言って、戦乱が直ちに終結する訳では無い。

 戦争において一番大変なのは後始末であり、その対応で人々の未来が天と地程に変わり得る。

 

「だが、その援助要請の少なくない数が、アルバス・ダンブルドア経由で持ち込まれた。単なる一教師、政治家でも無い者を通して。そして、彼は我々に()()し、我々はそれを拒絶する事は出来なかった」

 

 結果は同じ。どうせ助けるのだし、感謝も受け取るのだから些細な違いでしか無い。

 庶民にはそう見えても、貴族には違った。気高く善き統治者足らんとする彼等の矜持を、自負を大きく傷付けた。その気遣い(外交)を出来る純血は、既に世界から多くが喪われていた。

 

「それは始まりでしか無かった。1945年に突如、我々から権力は離れた訳では無い。ただ、時が経つにつれ権力の中枢は確実に移動した。それまで純血を第一に頼っていた者達が、他を頼りにしだした」

 

 発端は戦後処理でも、一度流れが出来てしまえば止められなかった。

 〝純血〟と〝非純血〟。数が多いのはどちらであるかは明白だ。特に、革命によって多くが死体となった後においては。

 

「〝純血〟を介在しない、或いは下にしか置かない新たな秩序が構築され始めた。その頂点に立っていたのは、残り半世紀を残しながら尚、既に今世紀で最も偉大な魔法使いと呼ばれた男だった事は言うまでも無い」

 

 そして最も悲劇なのは、彼が正しく今世紀で最も偉大(そう)だったという事だ。

 アルバス・ダンブルドアは余りにも能力が有り過ぎた。何でも出来た。教師も、政治家も、それまで純血が果たしていた調整機関としての役割も、純血以上に出来たに違いなかった。

 

 それによって、それまで自分達が信奉していた〝純血〟は()()()存在では決して無いと、恭しく扱うには当たらない者達だと、多くの者が思い上がった。

 二流のスリザリンと同じ構図だ。自分達は特別でも無いのに、アルバス・ダンブルドアを同類と勘違いし、半純血や〝マグル〟生まれが尊いと自惚れた。

 

「もっとも、貴族でない僕は、労働階級──虐げられる者の側として言いましょう。あの老人が好き放題やっていたとしても、それはそれまでの聖二十八族、いえ〝純血〟も同じだったのでは? 自分がやっていた事をやり返される事が正しくないというのは身勝手だ」

「……君はそれを言えるのだな。〝クラウチ〟である私に、面と向かって」

「まあ、自分達が一方的に正しいという思考が余り気に入らないもので」

「その立場こそ最も独善と言うべき気がするがな」

 

 老紳士は平静を装っていたが、その内心には明らかな苛立ちが見えた。

 それでも、会話をここで打ち切るつもりは全くもって彼には無いようだった。

 

「ただ、君のその指摘自体は真っ当では有る。しかしだ。その時代の変遷を直接見て来た者としては思うのだ。彼が魔法大臣として、万人にとって明確な頂点として君臨したのであれば、〝純血〟は受け容れられたのでは無いかと。既に告げたように、我々は多くの場合それを握っていたが、常にそうで有った訳では無いのだから」

「…………」

「要するにだ。彼が既存秩序の内側に無い事は既に明白だったのだが、それが一時的な例外では無いと思えた。つまりは、彼こそが原理原則となる予感を抱いたのだよ」

 

 単なる個人以上の意味を我々は彼に見たのだと、静かに言った。

 声色には激情は無く、表情には諦念が有り、内容には憧憬と賛辞が含まれていた。

 

「古き伝統が軽んじられ、秩序が踏み躙られ、新しき時代を持ち込む大嵐を、我々はダンブルドアに見出した。嗚呼、そうだ。ゲラート・グリンデルバルドはこの国で革命家足り得なかったが、アルバス・ダンブルドアは間違いなく革命家足り得たのだ」

 

 新時代の創生。

 この国の非魔法族が1688年に行ったように、革命に際しては必ずしも血が流れる必要は無い。そして革命の定義を既存秩序の破壊と新秩序の構築とするならば、アルバス・ダンブルドアは間違いなくそれを行ったのだった。

 

 そして、純血達はそれを早期から敏感に察知した。普通の魔法族と違い、或る意味で彼等以上にアルバス・ダンブルドアを評価していた。何せ旧くから続く魔法使い達は、1692年を当然として数多くの時代の変わり目を見て来たのだから。

 

「更に言えば、君にはその発想が余りないかもしれないが、純血にとって我慢出来なかったのは、権力から遠ざかった事のみではない。半純血である彼が証明し、そして結果として齎した世の風潮こそが最も我慢できないという〝純血〟は少なくなかった」

 

 老紳士はそこで言葉を止め、僕に検討の時間を許すかのように一拍置いた。

 そして確かに、僕には解りはしなかった。老紳士の言葉を前提としてさえも、僕には純血が絶対に認められないような変化というのは浮かんで来なかった。

 それを確認し、薄い嘲笑を浮かべながら、バーテミウス・クラウチ氏は再度口を開いた。

 

「私は魔法省の役人として、長く続く純血の家系として、現在のホグワーツ生には()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()子供が多い事を良く知っている。聖二十八族の中、それも家系図から抹消されていない者にすら、そのような者が存在しているのだ」

「……余りピンときませんね。()()()()存在が気に入らなかったのは、純血で有れば元々の事だったのでは?」

「そうか。ならば、こう言えばどうかね? 今の半純血(half-blood)と言う言葉は、直接の父や母がマグルである必要は無い。祖父母がマグルであるという範疇にすら留まらず、先祖に一人でもマグルが居れば駄目だ。自身の家系図を調べるにも限度が在り、尚且つ純血(pure-blood)に対する混血(mix-blood)という表現でも無いにも拘わらず」

「……別に、その些細な表現的差異は奇妙だとまでは思いませんが」

 

 半分(half)から半端(half)に変化した事が、そんなにも重要なのだろうか。

 同じ言葉でも時代や社会で意味合いが変わる事は寧ろ自然だろう。

 

「まだ解らないか。では、直接的表現をしよう。家族の繋がりはどうやって出来るのかね?」

「それは──」

 

 答えを言おうとして、漸く気付いた。

 

「……婚姻、正確にはその風潮ですか」

 

 老紳士は頷く。重々しく、苦々しさすら籠めて。

 

「かつては結婚相手がマグルだとしても、マグル生まれだとしても、それらを公言しないだけの良識は有った。何故なら、血の純度による優劣の証明は為されていないにしても、〝立派な善き〟魔法使いには血が必要だという暗黙の了解は存在しており、何より魔法界の事を知るマグルを悪戯に増やす事によって1692年の国際的な秩序を揺るがす真似は、決して許されるものでは無いからだ」

 

 老紳士は言葉を切った後、

 

「だが、アルバス・ダンブルドアという強力な反証が、世界に生まれた」

 

 解りきっていた回答を当然のように口にした。

 

「あの男は、半純血は許されると主張していた。マグルを直接の両親に持ってすら何ら恥ずべきでは無いと宣った。〝立派な善き〟魔法使いには、血など些細な事だと言った。その結果、何が起こったか」

 

 ……結婚の秩序の、爆発的な崩壊。

 

「若者が拡大解釈するのは世の常だ。だが、大人として──しかもあの男は未婚だ──自重すべきでは無かったかね? 結果として半純血であれば、マグルの誰と結婚しようが何ら問題無いという淫らな風潮を作るような真似は、自身の発言力の大きさを考えれば、断じてするべきでは無かったと思わないかね?」

「────」

「ダンブルドアにその意図までは無かった事は認めよう。しかし忌むべき事に、彼は政治家では無かった。彼は自身の都合の良い時だけ意見を発信し、それ以外は自身が単なる教師でしかないという理屈で口を噤んだ。断片的な言葉が誤解され、間違った解釈が流布された」

 

 全てが悪い方向に進んだ訳でも無いだろう。

 間違いなく純血である眼前の老紳士は非難するが、アルバス・ダンブルドアによって救いを得た半純血も居た筈だ。純血至上社会の下で、彼等は、半純血達は、一貫して日陰者だった。そのような人間達が、胸を張って歩けるようになった。

 

 それは一つの偉大な功績であり──けれども、だ。

 魔法界において半純血が日陰者で有るというならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()方向で、努力する道もまた有ったのでは無いのだろうか。

 

「……しかし、貴方がたは一度それを否定した筈だ」

 

 僕はそれを主張する材料を有している。

 魔法史こそが、更なる反論になる。

 

「魔法界と非魔法界に最も溝が有ったのは1692年、或いはその前後が頂点だったと記憶しています。しかしその三、四十年ばかり後、パーセウス・パーキンソン魔法大臣の下において〝マグル〟と魔法族の結婚禁止法案は否決された筈ですが」

「正しい歴史認識だ。それが気に食わない〝純血〟は少なくなかったが、それでも当時の情勢としては、それを通すべきでないと考えた者の方が多かった」

「ならば個人の自由でしょう。たとえ非魔法族と魔法族の間であったとしても、それが好意を抱く者であれば結婚する事は何ら妨げられるものでは──」

「──では聞くが。秩序の維持者を自認する〝純血〟が無節操に、煤に薄汚れた工場労働者や、泥にまみれた炭鉱労働者と結婚するのを許したと思うのかね? そのような家系を持つ者を、易々と魔法使いの仲間として受け入れたとでも?」

 

 沈黙。

 情け容赦無い正論、大人としての断罪に、僕は返す言葉を見つけられなかった。

 

「我々魔法使いに階級が有るように、マグルにも階級が有る。知性と生活の差異が、我々魔法使いへの敬意や尊重という理解度の差異が明確に存在する」

 

 ……寧ろ、魔法使いよりも惨く、酷いだろう。

 

 ホグワーツという偉大な牙城が存在する魔法界では、十一歳以上は学期中飢える心配など無いし、教育も無償で受けられる。それも〝純血〟の人間ですら完全な家庭教育を放棄し、ホグワーツに通わせる事を選択する程の水準の物を、だ。

 

 けれども、〝マグル〟の世界では違う。

 階級の差異は、人間としての格差と等しい。

 

「魔法使いはマグルの世界に疎過ぎる。特にこの国の水準は酷いものだ。金銭的価値、社会構造、生活環境や文化的常識。我々は人種や宗教以上に異なるのに、それらを重く受け止めず、ただ顔が良いとか、親に反発したいとか、マグルとの融和という題目に憧れたとか、そんな短絡的な理由でマグルと結婚し始める愚者が世に蔓延した」

 

 全てがそのような極端に走った訳でも無いと、老紳士は一応補足する。

 けれども、思い起こすべきは魔法族の人口で有り、その社会の狭さだった。毎年数十万人が結婚して子供を産む社会なら兎も角、同学年が精々百五十人しか居ない社会でそのような人間が出れば──それは当然、無視出来ない大問題となるだろう。

 

「必然のように不幸へと堕ちた夫婦が、魔法使いとマグルの間で手軽に生産された。マグル生まれとの間では多少マシだが、それでも事情は左程変わらなかった。特に出身階級が低層であるならば猶更だ。家自体の考えの差異というのは大きく、断絶の問題は根深かった。恋愛関係は上手く行っても、結婚関係が破綻するのはザラだった」

 

 魔法界に生きる者と、〝マグル〟界に生きる者。

 両者の間には、余りにも格差が有り過ぎた。そして、特に〝マグル〟が関わって来た場合、魔法を使う能力が存在するという点についての嫉妬や憎悪、不理解からも自由で居られない。それを解決しないままに結婚すれば、殆どが失敗するのも必然だったのかも知れない。

 

「そして〝純血〟が真に魔法界を思うならば、それを公然と非難する訳には行かなかった。親の魔法使い達が愚かな結婚で不幸になるのは自業自得でも、子供には無関係だからだ。魔法使いの親達は半純血になりようが無く、その罪を生まれ持って背負うのは子供だからだ」

 

 純血至上主義の〝純血〟は多かった。

 しかし、そうでない〝純血〟も確かに存在したのであり、そのような人間こそが、その社会問題に真に苦悩した。

 

「……そして、アルバス・ダンブルドアは何もしなかった。いえ、対処する義務がそもそも無かった。彼は一応一教師で、或いは学校の校長で、政治家では無かったから」

 

 魔法界では十七歳で成人するとは言え、在学中に結婚するのは稀だろう。彼等の多くは卒業してから結婚し、故に当然ながら、そこから発生する問題は社会の問題へと移っている。

 

 勿論、自己責任論で片付ける選択肢も有る。

 他人が不幸になろうと家が衰退しようと、知った事では無いと切り捨てる事も出来る。

 しかし繰り返すが、魔法界は狭いのだ。自分の子供で無くとも、小さな頃から可愛がっていた子供など幾らでも居るだろう。先祖代々助け合ってきた者達も居るだろう。そのような家系が、むざむざと衰退していく事を決して良しとしない者は少なくない筈だった。

 

 そして、魔法界の統治者としての責任感を持つ者程、そのような風潮に不快感を示し──

 

「──当然、何も出来なかったとも。グリンデルバルドの敗北で、純血への幻想は破壊されていた。上から頭ごなしに否定し、或いは制限されるというのを嫌う流れが有った。そもそもの話、結婚は究極的に家内の問題だ。〝社会(純血)〟が介入するにも限界が有った」

 

 ……結果として、〝純血〟は余計に半純血、特に〝マグル〟と非魔法族の子への敵意を強めたのかも知れない。

 社会の事を考えずに自分の欲望のみに従った者達が産み落とした、下賤な結晶として。嗚呼、良く言った者だ。その意味では、正しく僕達は半端者(half)だった。

 

「結婚の秩序が破壊されたのは、魔法族とマグルとの間のみでは無かった。割れた窓が放置されていれば治安が悪化するように、魔法族においても無法が──家や親に道理を通さない結婚が頻繁に横行した。例えば、アーサー……ウィーズリーとプルエットは駆け落ちしたが、何故彼等は駆け落ちせざるを得なかったと思うかね?」

「……ウィーズリーが血を裏切る者と呼ばれ、聖二十八族に数えられていてもマグルの先祖が居る事を自称している事からすれば、疑問の余地は少ないと思いますが」

「成程、スリザリンである君にとってはそうか。だが、プルエット家の兄弟が魔法戦争時にダンブルドアの下で戦った位には、あの家は血の純度や血を裏切る者である事を重視して居なかった。故に、彼等の結婚が親から大反対されたのは別の理由だ」

 

 流石にウィーズリー家の内部に立ち入る内容まで語る気が無いらしく、バーテミウス・クラウチ氏は話題を一般論へと戻す。

 

「親が子の結婚の全てを支配していた訳では無い。姿くらましを始め、子が親に本気で抵抗しようと思えば幾らでも手段は有る。一方で子としても、狭い魔法界で逃げ回るには限度が有る。故に、御互いが譲歩し、和解し合える点を探している部分は有った」

「……それはつまり、恋愛関係が制限されていたという事を意味するだけでしょう。好意を抱き合う者達が結婚を諦め、妥協していただけだ」

「私としては不幸になるよりマシだと考えるがね。そして、結婚というのは当人だけでなく家の問題の筈だ。だと言うのに、魔法使いがマグルと結婚する事()()()認められるならば、好き合っている魔法使い同士が結婚する()()()事は当然認められるべきだと彼等は主張した」

 

 好き合っているだけの、と。

 そう苛立ちと共に老紳士は吐き捨てた。

 

 もっとも、自身が平静を欠いた事は直ぐに自覚したらしい。誤魔化すように大きな咳払いをした後、老紳士が改めて紡いだのは穏健な言葉──間違いなく、彼の本心からは程遠い言葉──だった。

 

「まあ、これに関しては君に理解や共感までを求めはしない。君は今の人間だ。価値観は時代と共に変わる。私とて、親が気に食わない事など幾らでも有った。古臭い人間であると切り捨てられる事を受け容れる用意は、既に老人と呼ばれる者として当然出来る」

 

 言いたいのは、と彼は結論と主張の言葉を接ぐ。

 

「我々〝純血〟にとって、ダンブルドアは独裁的な王で、同時に野蛮で粗野な革命戦士だった。彼は我々から権力を奪い、好き放題に魔法界を堕落させた。我々はそれを止められず、それどころか彼に都合の良い走狗となる事を余儀なくされ、必然的に自己がどう在るべきかという事を問われる羽目になった。

 

 ──純血とは、貴族とは何か。

 

 その命題について自問自答しなければならなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 魔法界における権力と権威の喪失。

 そして、結婚に象徴される家族と血統の崩壊。

 

 老紳士が語った二つは理由の全てでは無いだろうが、それでも純血達があの老人を嫌うに相応しい象徴的な理由である事に揺るぎないのだろう。彼等が〝純血〟として千年、或いはそれ以上の長い間維持して来た価値を、あの男は粉々に破壊した。破壊するだけならはまだしも、噴出した問題の多くを他人へと丸投げした。

 

 彼は或る時は英雄として、或る時は一教師として、都合良く身分を使い分ける事により権利だけを行使して義務を免れ、自分が思うがままに世界を規定する事を躊躇いはしなかった。〝純血〟達が長年背負ってきた、力を持たざるを得ない者の義務(ノブリス・オブリージュ)を果たさず、更にはそれを最も侮辱的な形で踏み躙り、決して顧みる事は無かった。

 

 無論、アルバス・ダンブルドアにも反論の言葉は有るだろう。

 しかし事実は別として、当時の〝純血〟にはそうにしか見えなかった。

 

 故に必然、〝純血〟は己が価値を、存在意義を自問自答する必要に迫られた。

 

 そして、その答えは恐らく出なかった。

 出ていたのであれば、〝その後〟が起こりはしなかった筈だからだ。

 

「……理性的には、僕はこう反論すべきなんでしょうね」

 

 精神的疲労を自覚しながら、僕は続ける。

 

「貴方がゲラート・グリンデルバルドの際に前提としたように、革命とは多くから求められて発生する物だ。故に、貴方達貴族を襲った変化や自尊心の毀損の責任を、アルバス・ダンブルドアに押し付けられる訳では無いと」

 

 非魔法界においても、二度の大戦前後で世界の枠組みというのは変わっている。

 

 それは個人によって造られた物では無く、無名の大多数の惰性によって、半ば自然発生的に造られた物である。独裁国家の下でさえ、法と暴力と監視の下で制御出来る物と出来ない物が存在していた。それを考えれば、アルバス・ダンブルドアは単に悪目立ちしただけの、社会の一部品に過ぎないとも評価し得る筈である。

 

「けれども、やはり彼は存在として余りに巨大過ぎる。自分の領域外の事に平気で口を挟み、圧倒的権威と精緻な理論武装で他人を操作する事を厭わず、何よりこの国の殆どの魔法使いよりも賢明で有能だった。そんな男に社会変革の責任が無いという事こそ無責任でしょう」

 

 アルバス・ダンブルドア。

 今世紀で最も偉大な魔法使いにして──世界の敵。

 

「君がそう言うならば、私が代わりにこう言おう。能力主義や個人主義、恋愛主義。そして半純血やマグル生まれ、スクイブの権利向上。それらの多様性や流動性の出現は、ダンブルドアが居なくても生じたのでは無いかと。特にこの年になってから、強く思う」

 

 最後に付け加えた言葉は、それはつまり、過去はそうでは無かったという事。

 

「マグル生まれの魔法大臣が60年代に初めて登場した時、我々は当然ダンブルドアの専制をそこに見た。それは一面の真実では有った。しかし全てでは無かった。当時も依然として〝純血〟が金銭も人脈も圧倒していたし、選挙に負ける事など事前に欠片も考えていなかった。しかし、結果として我々は負けたのだ」

 

 ノビー・リーチ(Nobby Leach)魔法大臣の就任に純血達は反発し、抗議としてウィゼンガモットを始めとする様々な公的役職から身を引いた。

 けれども、それによって何かが大きく変わった訳でも無かった。

 

「我々は時代遅れに成りつつあった。千年を超える時を経て徐々に積み重なり、ズレ始めていた歯車が、統治機構の故障が、あの時代に露わになっただけなのだ。純血と同意義になった貴族、正しくはその時点における貴族という在り方自体が、時代にそぐわなくなっていた」

「────」

「そしてダンブルドアは単にその象徴に過ぎなかった」

「……それで、貴方は納得出来たんですか」

 

 少し躊躇しながら紡いだ、踏み込んだ問いに、老紳士は笑った。

 

 貴族らしくない笑み。市民の、下級層の人間のみが浮かばせる事を慣れた笑み。

 ……()()()敗北者の、その事実と現実を受け容れ切った者だけが浮かべられる種類の表情。

 

「当然、土台無理な話だ」

 

 理解は出来たとしても納得は出来そうにないと、明確に告白した。

 

「どんなに正しくとも、感情で受け入れがたいという事は存在するのだ。例えば、ダンブルドアはグリンデルバルドを倒した英雄だ。だが、大陸の全ての人間が、彼に対して敬意や感謝を抱いている訳では無い。寧ろ、逆の場合も多い。その理由は解るだろう?」

「……お前が早期からグリンデルバルドに対抗していれば、1945年よりも早く彼と決闘して居れば、無駄な血は流れる事無く、自分の大切な人間達は助かったのでは無いかと」

「正解だ」

 

 ……それは八つ当たりだ。

 アルバス・ダンブルドアが結果としてたまたま英雄だったが故の、逆恨みでしかない。

 だがそれでも、弱者が喪失の痛みに耐えるには、感情の矛先を向ける相手が必要なのだ。

 

「我々魔法省は、当然ながらその中核を成した純血は、早期から彼に協力を要請していた。1927年には、魔法省が公的に協力を要請していた記録が有る。当然、非公式にはそれより前から協力を求めていた筈だ」

「……単なる部外者の民間人に、ですか?」

「単なる? 断じて有り得ない。ダンブルドアは若い頃から類稀な腕前の決闘者として名を馳せており、その時点で闇の魔術に対する防衛術教授の地位にあり、そしてまた一貫して闇への敵意や市民に対する暴力への嫌悪を隠していなかった。既に彼は国際的に名を知られ、国内外に多くの人脈を有していた」

 

 後世から見れば、彼は1945年に英雄──普通で無い者になったようにも思える。けれども、そうでは無かったと老紳士は言い切った。

 

 1927年となると……ダンブルドアは四十代後半あたりか。成程、若いという年齢では無く、さりとて魔法使い的には年を取り過ぎている訳でも無い。そして考えてみれば、あれだけの大魔法使いが、その年齢まで実力を知られていない筈も無かった。

 

「しかし、ダンブルドアは動かなかった。その時点での我々純血が、どれだけ国外から突き上げを食らっていたと思う? 貴重な魔法使いを出し渋っていると考えられていたと思う? 我々純血の中にも血を流した者が居た事は述べたが、あの男が参加しない代わりに、高貴なる義務として反革命に身を投じた純血の子息達というのも、国内には確かに居たのだ」

 

 国際的に見てさえ、魔法界というのは国土に比して余りに狭い。

 そのような社会においては、相互扶助の精神は当然に存在していた筈だ。古き純血は大陸の魔法使いとも少なくない血縁関係を有していた筈だ。国際魔法協力部の存在が象徴するように、非常時には当然に魔法界全体が一丸となって協力する事が前提となっていた筈だ。

 

 だが──あの老人は事実上1945年まで、それを棚上げにし続けた。裏で動いていたにしても、実際は戦っていたかも知れないにしても、無知な愚民達にはそう見えた。

 

「……アルバス・ダンブルドアが、魔法省に協力しなかった理由は?」

「不明だ」

 

 老紳士は軽く首を振った。

 

「魔法省が気に入らなかった可能性も有るが、私は協力出来ないだけの理由が有ると推測している。ただ、当時の魔法省が知らなかったのは確実だ。ダンブルドアは理由を語らず要請を拒否し続けた。我々に、或いは純血の誰か一人にでも事情を打ち明けさえすれば、国外の声を宥めるに役立ったであろうし、彼の問題解決に協力する事も出来た筈だった」

 

 しかし、彼は黙して語らなかった。貴族達の面子を潰し続けた。

 誰にでも秘密にしておきたい事は有ると片付けるには余りに大問題過ぎる国際的な戦争の中で、アルバス・ダンブルドアは他人を信用する事は決して無かった。

 

「そして更に不愉快な事には、出国している筈の無い人間が入国した記録が、その年に残っている。当時の魔法法執行部の上層部に居た一人──意図的に曖昧にしている事は述べて置こう──の口利きによって不問とされたようだが、それでも記録の不自然と不整合性を消す事は出来ない」

 

 ……あの老人のやりそうな事だ。

 どう考えても魔法省内の機密に属する情報が故に、老紳士はその出国していた人間の名を語らなかったが、しかしその人間こそが、何らかの理由で動けないアルバス・ダンブルドアの手先となっていたのだろう。

 しかも、出国している筈が無い人間だと断言した事から考えるに、偶々出国が記録されていなかったという訳では無さそうだ。恐らくその人間は出国が禁じられ、監視されていた。

 

 そして、アルバス・ダンブルドアは自身の独善的な目的の下に、違法に出国させたのだろう。相も変わらず、法や規則を軽視する態度をもって。

 

「だが、多くを喪った者にとっては、そのような事は一切関係無い。彼に理由が有ったとしても、秘密裏に動いていたとしても、ダンブルドアが戦争当初に助力を理由無く拒否していたという事実が全てだ。そして、それは世界中で公表されているに等しい。何せ、彼への要請と拒絶という事実は、他国の魔法省がわざわざ秘匿するような機密でも無いからだ」

 

 アルバス・ダンブルドアは、自分の大切な者達を救ってくれなかった。

 そんな恨みを向けるには、十分過ぎる程の理由だった。

 

「我々純血の、ダンブルドアに対する感情も同様だ。殆どの場合、あの男が取った行動は結果として正しかった。概ねにおいて時代に適合していた。けれども、歴史の塵箱に捨てられんとしていた我々が、到底納得出来る筈も無かった」

「…………」

「純血の間に、不満は燻っていた。敵意は育まれて続けていた。どんなに遅くとも1945年から、変革の象徴(アルバス・ダンブルドア)に対して憎悪が燃え広がり続けていた。そして十年、二十年、三十年と時を積み重ねた結果、当然のように限界を迎え、臨界に達し、盛大に爆発し、死の業火を撒き散らした」

 

 ゲラート・グリンデルバルドの革命の〝その後〟の話。

 〝純血〟達の尊厳が毀損され続けた結末が齎した大事件が歴史上の何を指すかは、この国に住む魔法使いならば誰でも知っている。

 

 魔法戦争。

 その頭に第一次と付く事が既に予定されている、暗黒の十年間。

 

「グリンデルバルドの革命に因果が有ったように、あの大戦にも因果が有った。両者は接続されていた。魔法大戦は一人の闇の魔法使いの独創的な思想の下で発生した訳では無い。この国ではほんの三、四十年ばかり、革命が起こるのが先送りされていたに過ぎなかったのだ」

 

 〝純血〟の当主として時代を見つめて来た老紳士は明言しなかった。

 だがそれでも、言葉の裏には本心が透けて見えた。

 

 この国においてもグリンデルバルドの革命が発生していたのであれば、闇の帝王の時代が訪れる事は無かったのでは、或いは被害が少なく済んだのでは無いかと。死者の数字としては差し引き零だったとしても、何かが変わっていたのでは無いかと。

 

 何せ、彼は知っているのだ。やはり〝純血〟として歴史を観測し続けて来たのだ。

 闇の帝王が引き起こした第一次魔法戦争の結果として、国内における〝純血〟達が喪った物を。人材を、財産を、知識を、連帯の消滅を。そして、純血の権威と伝統の失墜を。

 

 世には因果が有る。事象は接続されている。

 

 バーテミウス・クラウチ氏は最初に労働階級、特にスリザリンの悲哀とホグワーツの現在の歪について語り、更にその後に貴族階級の悲劇、ゲラート・グリンデルバルドの革命が齎した影響とそれによって誕生した王の革命について語った。

 それらの話が完全に連続、対応している訳では無かった。現在と過去で時空が一致していなかったし、視点も社会と個人で別に置かれていた。それが意図的かどうかは知る由も無いが、しかし確かな事は、それらの間にもやはり因果と接続が存在するのだろう。

 

 そして彼はそれを変えようと挑み、魔法省の中へと入り──敗北した。

 

 彼は闇祓いに対し、闇の魔法使いに禁じられた呪文を行使する権限を解禁した。或いは、死喰い人の多くをアズカバンに送る一方、死喰い人でないという妄言を信じて純血の多くを無罪とした。そうやって出世の道を駆け上がった。

 

 ……しかし考えてみるまでも無く、それは明らかな汚れ仕事だ。

 

 誰だってやりたくはない。明らかに嘘だと思いながら元死喰い人の純血に無罪評決を下すのは勿論の事、特に第一次魔法大戦の一連の裁判を主催する事など、多くが拒否反応を示すだろう。

 拷問と人殺しを厭わないテロリスト集団を裁くという事は、その憎悪と怨恨を一身に背負い、復讐を果たす為の象徴となる事だ。

 戦争中は司法も行政も完全に麻痺していた事が明白であり、当時アズカバンから脱獄囚が出なかった──個人的な予想としては、出られ得る囚人が存在しなかったのだと思うが──のが奇跡だと言う事は、目端の利く者ならば理解していただろう。加えて、〝マッドアイ〟が如何に精力的に多くの死喰い人を牢獄に叩き込んでも、在野に元気な死喰い人が残っていない保証は無い。

 

 つまりは彼には戦後において、そしてそれ以降の人生において命の危険が付き纏う事を覚悟をした上で尚、至上であるべき筈の地位(魔法大臣)を渇望し、けれども、その結果が()()だった。

 不死鳥の騎士団を率いたアルバス・ダンブルドア、手が御綺麗なままで居られたあの老人と違い、手を汚す事を厭わずに当然のように黒一色となったバーテミウス・クラウチは、息子を、妻を、全てを喪った。

 

 誇り有る支配者足らんとして労働階級に入り混じった異端の貴族は、異端の身らしい末路として社会によって正しく処断された。

 そして、年を重ねて死に近付きつつある今、もはや既に取り返しのつかないのだと、そう諦め切ってしまっている。魔法省では何も変わらないと、今後も全てが捻じ曲がったままに維持されるのだと受け容れている。

 

 故にこうして若者に語った。

 わざわざ少なくない言葉を、己が時間を費やした。

 身も蓋も無い形で纏めるとすれば、要はそんな話なのだ。




・純血の思考
 屋敷しもべ妖精であるクリーチャーがシリウスに対し、「その上、人殺しだとみなが言う」と評して嫌悪を示している事、シリウス自身が、純血達のヴォルデモートへの反応として「やつが権力を得るために何をしようとしているかに気づくと、怖気づいたんだがね」(いずれも五巻・六章)と述べている事からすれば、人殺しは余り好まれる物では無いらしい。

・ダンブルドアと権力
 魔法大臣という職自体には就いていないダンブルドアであるが、彼は権力を行使する事自体には困っていないし、躊躇ってもいないように見受けられる。
 気になるのは以下の三点あたり。

 彼が闇関係の規制に関する法案を通した(ソース不明なのが気にかかるが、英語wikiでは” passed extreme legislation”。但し比喩的表現と考えるのが妥当か。マグル生まれ初の魔法大臣が同時期に存在しているし、五巻のストーリー自体、魔法大臣の濫用的立法に抵抗出来ないという物である)事。
 エルファイス・ドージの追悼文において「ウィゼンガモット最高裁の主席魔法戦士として下した、数多くの名判決に見る彼の叡智も然り(原文はas will the wisdom he displayed in the many judgements he made while Chief Warlock of the Wizengamot)」(七巻・二章)と言及されている事。
 軍事組織である不死鳥の騎士団は、第二次魔法戦争においては確実に、第一次も恐らく魔法省未承認のまま(作中では秘密同盟と表現。設定ではEugenia Jenkins魔法大臣(68-75)はヴォルデモートの対向者としては能力不十分と考えられて辞職へ追いやられ、Harold Minchum(75-80)も止めきれず、これらの大臣の下の魔法法執行部部長クラウチ・シニアが強権を振るっていた形。Millicent Bagnold(80-90)は一応有能だったらしいが、81年が闇の帝王失墜なので戦時の能力は不明)結成されている事。

 しかしながら、法案についてはヴォルデモートの台頭を遅らせた事もまた公式設定のようであり、判決については当然に賞賛の文脈、騎士団は魔法省陥落後における抵抗組織の中核である。

・結婚制度
 公式設定でこの辺りが明確に描かれるのはマクゴナガル。
 国際機密保持法下におけるマクゴナガルの母の苦悩、そして母と同様その問題に直面せせざるを得なくなる自身の恋愛とその決断等々。これらについてはかつてのpottermore、現在のwizardingworldで読める。
 もっとも、マクゴナガルに衝撃を与えたのはその恋愛の結果自体のみならず、第一次魔法戦争を経てのifの想像(『エッセイ集』参照)でもある。


・英国貴族の相続
 基本的に長男子単独相続という理解で可。
 限嗣相続であったりもするが、ややこしいので割愛。
 要するに、爵位と財産の相続人は一人かつ男子。そして、これらの制度が長らく維持された事こそが、現代社会でも依然として英国の貴族が高い地位ないし多くの富を持つ理由(相続税導入後は没落が多々出たが)でも有る。
 女性が相続人、ないし女性が爵位を継承する例も存在するが、全体で見れば少ない。

 魔法界における純血も同様であるかは不明である。
 作中で描かれる相続はシリウスの例が挙げられるが、彼が遺産を継承したのは他のブラック家の人間が全滅したに過ぎないように読める(已む無くの可能性が非常に高い)ので、これを一般化するのは明らかに妥当ではない。
 しかし、シリウスの従妹二人がマルフォイ、レストレンジと家の外に嫁いでいる事(トンクスはマグルで婿に迎えるのが無理なので除外)、マルフォイ家がグリーングラスから嫁を迎えた事、ファンタビ二作目のレスレンジ家の家系図の描写からすれば、男子相続と考えて差し支えないように思われる。

 但し一方で、ホグワーツでは女性教育も行われている事、マクゴナガルは魔法省で出世している事など男女同権の考えも見られる事から、マグル界と違い長男子単独相続は成立しないと考え得る余地もある。

 尚、男子単独相続の考え方を推し進めると、メローピー・ゴーントが持っていたスリザリンのペンダントは彼女の物では無く(作中でも「盗んだ」扱い。但しハリーの認識は否定方向か)、当然トム・リドルも相続しえない事になる。
 ハッフルパフのカップを持っていたヘプシバ・スミスの例も有るが、彼女がアンブリッジと同様に血統詐称していない保証はないので(よりにもよって「スミス」姓というのがちょっと……)、このあたりがどうなっているのかは真偽不明。

・gentleman , sportsmanship
 酷い表現をするならば、財産額や試合で勝てなくなった上流階級の人間が縋る物。
 経済の発展によって中産階級が富を持つようになり、上流階級の人間達は、成り上がりの金持ちと自分達とを区別する点は果たして何処にあるのかを問われる事になった。その差異の一つが血筋であり、そしてまたタイトルに挙げた要素でもある。
 特にこれらは後天的に身に着けられる技能であったから、パブリックスクール(ホグワーツのモデル)や大学内によって教えられたり、また研究・発展を遂げたりする事になる。

 このように時代の変化で支配者側のアイデンティティが問われるのは別に英国に限った事では無く、我が国の武士階級、特に刀を振っていれば良かった時代から江戸の天下泰平の時代に移って以降などはその典型である。

・階級社会と職業
 上流階級以外にも序列がある。
 特に英国においては何の職業に就いているかというのは非常に重要である。
 産業革命を筆頭に年代や社会変化によって多分に変動するが、殆ど一貫して高い地位が社会的に認められていたのは、聖職者、弁護士、医者、軍人あたりのprofession。
 ただこれらの職業でも、国教会系聖職者かそれ以外か、法廷に立てる弁護士か(barrister。そうでないsolicitorと扱いが天地)、内科か外科か、恐らく前の三つ程の差異では無いが海軍か陸軍か(Royal Navyという伝統)で色々違ったりする(当然ながら職業内での偉さによっても変動)ので、英国出の創作物でこれらを適当に読み飛ばすと意味不明になる。

 このような職業に就く者は、時代が下るにつれて当然のようにgentlemanに含められるようになり、彼等もそのように振る舞うようになっていく。またこれ以外の職業も(たとえば薬剤師あたりが想像しやすいか)、gentlemanの職業として認められるように社会的地位の向上を目指した活動を始めたりする。「gentlemanとは何か」がクソ難しい理由の一つでもある。

 また英国貴族において長男子相続が行われていたという事は、次男や三男は必然的に、生きていく為に職を探さなければならなかったという事でもある。
 それらの人間の多くの受け皿となったのはこれらのgentlemanと見られ得る職業だったし、自分はgentlemanであるという自負でもあった。

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