この身はただ一人の穢れた血の為に   作:大きな庭

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本日二話目。


労働階級

「クラウチ家は旧くから続く〝純血〟の名家だ」

 

 聖二十八族。

 しかし、その区分以前に〝聖なる〟分け方が無かった筈も無い。

 『純血一覧』が世に現れる前で有っても、貴賤の線分は引かれてきた。そして、『純血一覧』を記したとされるカンタンケラス・ノットも、それまでの先例を何も参考にしなかった訳でも無いだろう。〝クラウチ〟は聖二十八族だから尊いのでは無く、尊かったから当然のように聖二十八族に組み込まれたに過ぎない。

 

「我が家は当然ながら少なくない人間がスリザリンに組分けされ、また魔法界において数多の高い地位を占め、責務を果たしてきた。そして、当然ながら、世界を、社会を、それを構成する者全ての事を観続けてきた。いや、別に我が家に限った事では無い。名家と呼ばれる〝我々〟は、長き歴史の堆積の中、〝君達〟の事を観察し続けてきたのだ」

 

 我々。そして、君達。

 バーテミウス・クラウチ氏は、明確に両者を別種の存在として区分していた。

 今の魔法界の多くの者が〝マグル〟と魔法族、或いは〝スクイブ〟と魔法族と言うように、魔法の能力の有無によって境界線を引きたがる。

 

 しかし、彼はそうしない。本物の〝純血〟は、そこには引かない。

 

「我々が君達を侮蔑し、軽蔑する事に、まさか疑問を抱く訳では有るまい? 何せ君達は世俗の雑事に忙殺され、近視眼的な生を紡ぐ行為に憑りつかれ、魔法界全体の大いなる責務を果たそうとしない。簡潔に一言で表現するならば、()()()()()()()()()()()()

 

 労働。

 その言葉が全てを代表される訳では無いだろうが、その一言にある程度多くが集約されるのは間違いないだろう。

 

「勿論、我々の暮らしは君達の犠牲によって成り立っているのだが、他人の犠牲に──踏み躙られる存在に甘んじねばならないというのは、やはり我々にとっては軽蔑を向けるべきものである。何より実際、殆どの者が上に立つに値しない者ばかりなのだ。時を積み重ねる中でその信念を強くし、揺ぎ無い物にした所で、一体何の不思議が有るだろうか」

「しかし、貴方は──」

 

 僕は、眼前の存在を見る。

 どんなに立派そうに見える肩書を持っていても、所詮は単なる役人でしかない者を。

 

「嗚呼、私は当然の事ながら非主流の部類に属するのだよ」

 

 僕の視線に、老紳士はあっさりと答えて見せる。

 

「そうだ。私もまた、貴族として異端であり、異常ですらある。土地と人から搾取して文明の営みを支える貴族らしくも無く、ホグワーツ理事や魔法省の外部顧問と言った名誉職を尊ぶ臣でも無く、社会の一部品として労働する()()()存在なのだ」

 

 何ら怯む事も臆する事も無くバーテミウス・クラウチ氏は断言した。

 本来在ってはならないのだと。決して正しい姿では無いのだと。自身が生きて来た数十年の道筋が過ちを証明し続けてきたのだと、彼は恥じる事無く言ってのけた。

 

「今、魔法省に居る純血中の純血──万人が認める旧い魔法使いの家系は、キングズリー……シャックルボルトくらいの物だ。魔法法執行部、闇祓いの所属だな。ただ、彼も本流では無い。何せ彼は、マグル社会に溶け込んで働く事を余儀なくさせられているのだから」

 

 もっとも、彼自身は望んでその地位に居るようだが、と老紳士は続ける。

 ……その言葉は、彼もまた変わり者である事を主張する為であるのは間違いなかった。

 

「ともあれ、ルシウスを見れば解るだろう。魔法省の中で働かねばならない純血など二流と言って良い。古くから血を護ってきた〝純血〟は資産家が多く、必然、芸術や文化を始め、魔法省全体の、有象無象が短期的に無視しがちなあらゆる事柄に対して貢献してきた。地を這いずる下賤達と異なる視点でもって、我々は多くを見て来、また行動してきた」

 

 我々。

 そう豪語出来る人間は限られている。

 

 確かにバーテミウス・クラウチ氏は非主流の、貴族としては例外的であるのかもしれない。

 けれどもクラウチ家は、古くから続く純血の名家であり、当然のように聖二十八族に数えられ、眼前の老紳士は疑いようも無くその本家の現当主であり、産まれてより叩き込まれてきた貴族としての教育の下に、その超越的な視点を備えている。

 

「もっとも、()()()()()()貴族階級の事は、今はさて置いておこう。我々が君達に対して向ける感情、ないしその是非もだ。私がこうして最初に語ろうとしているのは異端でないスリザリンであり、魔法戦争後の十数年の君達を取り巻く環境であり、君が正しく認識すべき現状である」

 

 異端でない、と。

 老紳士は再度僕に思い出させるように言った。

 

「私から見れば、今のスリザリン程に単純で、詰まらない構造をしている時代は無い。特に、君のような純血未満の出自を有する、二流所のスリザリンにとっては」

 

 つまり、一流の貴族階級に属さない者にとっては、か。

 

「高貴な責務を持ち得ない君達は、スリザリン寮内において何ら細かい事を考える必要は無い。家の政治も、力関係においても無為に頭を悩ませる必要は無い。ただ聖二十八族に頭を下げて媚び諂い、純血らしく振舞っていればそれだけで評価される。嗚呼、これ程までに半端者達が生きやすい時代というのは無かっただろう」

「……凄まじく偏見に満ちた断言ですね。まあ、貴方が聖二十八族とも呼ばれる程の名家である事を考えれば、至極自然な事なのかもしれませんが」

「けれども、大原則は外していない。違うかね?」

「それは……否定しませんが」

 

 聖二十八族の機嫌を損ねてはならない。

 彼等は自分達の上位であり、法律であり、絶対である。

 それが、現在のスリザリンにおいて敷かれている階級制度の実情であり現状。

 

「別に、それ自体を大きく非難はしない。既に明確に立場を表明した筈だが、私は数十年も魔法省という組織に属してきた人間だ。ホグワーツの中で如何なる運営が行われていようと、その忌むべき悪習が外に持ち込まれない限りは無関心を保つ事は出来る」

 

 外。

 魔法省。ひいては、この国の魔法界。

 

「しかしながら、逆に私は魔法省の事について語るのを躊躇わない。その組織の中で長らく生きてきた者として、私はスリザリンの卒業生、特に魔法省に来るような者をまず高く評価していないという事について。それは先程言った、単純な寮内構造が招く帰結故だ」

 

 老紳士は失望を隠さなかった。

 若者の至らなさを嘆く老人らしくと切り捨てるには真摯に、現状を強く憂いていた。そう思わせるのは、彼が貴族──上に立つべき者としての出自と視点を有する為だろう。

 

「スリザリンの半端者は例外無く上におもねる事に慣れきっている。学生時代から偽物の階級社会で偽物の権力ごっこに親しんだ結果、その勘違いを引き継いだまま社会に出てくる。どんなに優秀な成績を修めていようと、思い上がったまま、惰弱なままに社会に出て来る」

「……随分と辛辣ですね」

「解った口を利けるのは大人の特権だ。そして、私も魔法省で一角の地位を占め続けて来たという自負が有る。貴族としての生き方を徹底出来ずに放逐された結果、家柄だけしか誇れる物が残らなかった者達と違ってな」

「……貴方は魔法省国際魔法協力部部長、でしたね」

「今は、そして左遷された時もだ」

 

 高貴な出自を持っているが故に、出世しやすい下地が有ったのは間違いない。

 けれども、第一次魔法戦争後、バーテミウス・クラウチ氏は、政治的には致命のスキャンダルが為に失脚へと追い込まれている。解りやすく言えば、大きな隙を作った。

 

 かつて次期魔法大臣へ手の届く所まで昇った者を即座に解雇するのは、流石に当時としては出来なかった筈である。そもそも厳密には息子の失態であり、本人の責任とまでは言えず、平の職員に落とすような敬意の欠ける真似は出来ようもない。

 けれども、左遷後に失態が有れば、無能で有れば、それを理由に後から辞任させられた筈だ。如何に魔法省が権威主義的な旧態依然の機構だとしても、たかが聖二十八族というだけで君臨()()()()事は出来ず、適当な口実で勇退させる機会は常に伺われてきたに違いなかった。

 

 だが、彼は今も尚、その地位に居座っている。

 そのような男が無能である筈も無く、無自覚的である事も有り得ず、己に対する自負も当然ながら強固だった。

 

「さて、ここまで言えば解るだろう。現在の単純な寮内構造。スリザリンの半端者、自分が正統のスリザリンであると勘違いした者が、社会に出て直面する大問題。例えば魔法省に入った〝スリザリンの優等生〟が遭遇する決定的な喪失に、君は気付くだろう?」

 

 ……同意するかは全く別問題として。

 バーテミウス・クラウチ氏が言いたい事に、失望している構造に、気付く事は出来た。

 この老紳士は最初からヒントを散りばめていた。僕達、いや、異端である僕を除いた普通の、典型的なスリザリンを、貴族として違う物として扱い続けて来た。そして、そのような存在を、彼は何と言ったか。何と評したか。それを考えれば、答えを出すのは然して苦労する事でも無い。

 

「……つまり、自分が頭を垂れていれば済む、尊き者の存在ですね」

 

 聖二十八族に代表される純血。

 上位であり、法律であり、絶対である、何も考えずに従って居れば済む者達。

 そして、僕の答えが正解であるのかどうかは、わざわざ老紳士に聞く必要が無かった。その表情が、言葉が、それを証明していた。

 

「再度繰り返そう。君達にとっての寮内政治、もっと言えば生き方というのは単純だ」

 

 既に構築された共通理解を元に、彼は持論を続ける。

 

「君達は当然の被支配者として、魔法界に責任を持たない者として、単に〝純血〟に対して服従、隷属し続けていれば済む。そのような本能を、今のスリザリン寮内は特に育み続けている。更に幸か不幸か、〝純血〟の子供は基本的に優秀だ。何せ彼等には多額の財を費やして教育が為され、かつ君臨すべき者として恥ずかしくないだけの資質が要求されるからだ」

 

 セオドール・ノットというスリザリンの最優秀生は勿論の事、ドラコ・マルフォイですら、僕の助力を抜きにしても優等生──但し、本人はサボりがちだが──の部類に属する。

 そして、彼等はそこで留まる事は許されず、それ以上を求められてきた。

 

 特に、マグル生まれのハーマイオニーに成績面で劣っている事が広く親達に露見してからは、ノット家にしろマルフォイ家にしろ、二人には一族全体から相当強く突き上げが有った事は同級生として知っている。最近は止んだようだが、それは単純に、ハーマイオニー・グレンジャーという少女がホグワーツ史でも類を見ない程の才女であると誰が見ても疑わないようになったという、酷く例外的な結果に過ぎない。

 当然の事ながら、ハーマイオニーを知るホグワーツ生であれば、セオドール・ノットやドラコ・マルフォイが彼女に成績面で遅れを取っていようと、彼等に頭を下げる事を忌避する事は有り得ない。〝穢れた血〟に負ける劣等種などと考える事は決して無い。

 

 彼等は(Sacred)二十八族の一員に値する優秀さを文句無く示し──

 

「しかし、彼等が魔法省内部に入ってくる事は無い。彼等は財政的、或いは人的資源を外部から提供する支援者(パトロン)となる事は有っても、実務家として自らが動く事は殆ど無い。彼等は上司には成り得ず、触れる事が出来ない格別の存在となる」

 

 ──社会に出てしまえば、彼等は元スリザリンの二流市民達の上から消え失せる。

 

「そして表面だけ上手くやっていた馬鹿げたスリザリン達は、それまで存在していた明確な指針を喪う。利用出来る庇護者の力を喪った事を失念し、自身の能力と価値を適切に証明する術を知らないまま、社会に適応する前にまず当然のように失敗する」

 

 上位が消えるという事は、序列が上がるという良い側面ばかりでは無い。

 その序列に相応しいだけの責任を持ち、権力を意識し、正しくそれを行使せねばならない。けれども、元スリザリンの二流は、そもそもそのような経験自体が無く、意識も持ち得ない。

 

「七年の寮生活。生徒の半生を支配し続けた環境が与える影響は大きい。それがその当人にとって相応しく無く、環境自体が歪んでいる状況であるならば猶更にだ。特に、魔法省に()()()()()()()()()()()()スリザリン──それを貴種たる資質の結果だと勘違いし、省に入ってそれが偽りの煌めきで有った事に直面するような愚か者達にはな」

 

 筋道は通っていた。当然の事ながら道理も。

 そしてそれ故に、僕は反論の言葉を持ち得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「君の事だからこう言うかも知れない。それはスリザリンに限った事では無いだろうと」

 

 黙り込んだままの僕にバーテミウス・クラウチ氏は一定の譲歩を示す。

 しかし、彼は決して結論まで譲る気は無かった。

 

「確かにそうだ。卒業に喪失は付き物だ。グリフィンドールであれば、仲間内の贔屓目に基づく無条件の肯定を。レイブンクローであれば、相対的でしかない成績基準や努力自体に対する賞賛を。ハッフルパフであれば、生温い慣れ合いと慰め合いを喪う。結果主義、出世競争、新たな人間関係、複雑怪奇な社会構造等々。それらの前に、他の三寮の出身者も確かに例外無く、それまでの指針を喪いはするのだ」

 

 ただ、と老紳士は続ける。

 そして、主張したい事も予想が付いた。

 

「……スリザリンで有った学生が喪う物は、他よりも重い。恐らくは、学生が当然に考え、理解しているつもり以上に」

「私はやはり、()()を付け加えるべきだと考えるが」

 

 補足しながらも、彼は訂正までする事は無かった。

 

「学生という身分は、違う人種を一所へと押し込め、同じ人種だと錯覚させる。魔法族の人数からの必然的帰結とは言え、この国で唯一の学び舎というのは残酷だ」

 

 違うのだ。

 この老紳士が最初から一貫しているように。

 

 純血と純血以外。貴族階級と労働階級。選民と凡俗。

 絶対的な区別が、彼等と僕達の間には横たわり続けている。

 

「スリザリンの大部分は貴族らしく過ごす事は出来ず、社会の中で泥と汗に汚れて働く必要が有る。スリザリンに選ばれた事で多くが自分を優等種だと錯覚しがちだが、その実、そのような事は決して無い。生を受けた瞬間に区別されており、混じり合う事も無く、そして大抵の場合、卒業後にその夢は醒める」

 

 煌びやかな社交界。選ばれた者だけが参加出来る、豪勢で豪奢な宴の数々。

 権力者の多くと触れ合える時間は──しかし、それは学生時代だけの、聖二十八族を始めとする〝特別な人間〟の傍に居るからこそ許される。

 決して、自分が特別だからでは無い。

 

「不公平なのは、卒業後の時点においては、貴族の血とそれ以外では能力の差異というのは左程存在しないという事だ。同じホグワーツで学び、同じ寮で毎日生活する以上、優等生と呼ばれる者の間では際立った差異など生じ得ない。……嗚呼、けれども」

 

 卒業後に道は分かたれるのだ、と。

 貴族の一人である筈の存在は、嘲り混じりの憐憫を隠さずに続けた。

 

「一方は各界の著名人や天才達との交流で大きな刺激を受けて切磋琢磨し、己の才能と能力を更に高める事になる。しかしもう一方は、無能な上司や物分かりの悪い同僚との交流を余儀なくされ、誰にでも出来るような雑事に忙殺される」

 

 卒業時は差異が無くとも、卒業後に差異が生じる。

 絶対的な環境の違いの下に、両者は決定的に区画される。

 

「この現実を前に、鬱屈せずに居られる者が──スリザリンの狭い社会が全てで有った者が、至上の輝きを間近で見続けて来た者が、どうしてその現実を容易に受け容れる事が出来ようか?」

「…………」

 

 同じで無い物を同じように扱った事の結末。

 それも、最も家柄的格差が生じやすいスリザリンで露呈しやすい悲劇。

 

「かつて同じ寮に属した同輩や上司が居れば、同じ志の下に同じ苦杯を舐める者が居れば、それを癒す事は可能だ。貧富や貴賤の絶対的不公平は、スリザリンのみならず他の三寮にも等しく存在する。しかしながら、元より少数精鋭の、しかも貴族としての道の歩む者が多く居るスリザリンにおいては、そのような仲間というもの自体が期待出来ない」

 

 ……四寮の人数は、決して等しくは無い。

 最も多いのはハッフルパフであり、最も少ないのはスリザリンである。そして、最も貴族的な家系に連なる人間が多いのも当然ながらスリザリンである。

 

 ホグワーツの学生はざっと千、そしてスリザリンが占める席は二百程度。それを七学年で割ると、一学年あたり約三十人弱。その中から更に、聖二十八族に代表される貴族的な家系は、庶民とは異なる高貴で高尚な任務に着く事になる。

 僕達の学年で言えば、マルフォイ、ノットを筆頭に、クラッブ、ゴイルと言った聖二十八族の男子は、労働に身を粉にするような事は確実に無い。女子は更に多く、グリーングラスやパーキンソン、ブルストロードは間違いなく社交界以外から殆ど姿を消す事だろうし、他の女性陣も、賃金労働より血を繋ぐ事こそ求められるだろう。

 

 そして、その残った中でも進路は分かたれる。魔法省は当然ながら上位の成績が要求され、進める人間自体が更に絞られる。そう考えると、同期の人間など期待は出来ず、それどころか、一年上の先輩や、一年下の後輩が居なかったとしても不自然では無い。

 

 同胞愛を掲げるスリザリンは──けれども、社会に出た瞬間、多くの同胞を喪う。

 

「そして、〝純血〟。元スリザリンで有った一流の者達との関係も問題だ。彼等と同じ寮や学年に所属していたが故に、魔法省に入った二流の元スリザリンは特別な人脈を持っている。果たしてこれは真と言えるかね?」

「……遺憾ながら偽でしょう。〝純血〟は、今で言えば聖二十八族は彼等だけでつるみたがる。階級社会を超えた友人関係など成立し得ず、卒業後に打算無しで手厚く助けてくれる関係には成りませんよ」

 

 ドラコ・マルフォイと僕は友人関係に成り得ない。

 特別なハリー・ポッターとは違う。身分が違い、そもそもの格差が存在する。如何に相応の交流を持っていようとも、ドラコ・マルフォイを通じて頼み事をするとか、助力を求めるというような〝権利〟を行使する立場には昇る事が出来ない。

 

「もっとも、義理で何回か助けてくれる程度の事はしてくれるでしょうけどね。その程度の慈善を願う事は、下層階級で這いずる貪欲な乞食にも許されるでしょう?」

 

 肩を竦めながら紡いだ答えに対し、現実を知る老紳士は軽く頷いた。

 

「その通りだ。何度かは救う。繋がりは繋がりで、口実には成り得る。しかし、我々は君達を同じ生き物と見ていないし、そもそも我々は別に元スリザリンのみから果実を収穫する必要は無いのだ。そして、我々の資産や人脈を狙う元グリフィンドール、元レイブンクロー、元ハッフルパフは数多い。我々にとって、君達は特別でも何でもない」

 

 元スリザリンだから。

 〝純血〟にとっては、それが助ける理由にはならない。

 何故なら、偶々同じ場所で同じ時間を過ごしただけの、最初から別の生き物だから。白鳥と家鴨は何れ道が分かたれる物で、その方が何れにとっても幸せだ。

 

「今の魔法大臣がスリザリンに見えるかね? けれども、彼にとって我々は利用価値が有り、我々にとっても同様だ。逆に言えば、それ以外の関係性に然したる価値は無い。我々は重みを感じない。たかが七年を頼みにするような愚か者など特に論外だ」

「……そのような者は、貴方がたには要らない、と?」

「サラザール・スリザリンが、魔法省内で出世する程度の、官僚的に良く出来た人材を求めたとでも? 君達スリザリン寮は、そもそも〝非純血〟が行く事を想定されて居ない。最初から君達に生きる権利を、存在自体を認めていないのだ」

 

 彼等は高貴なる者だ。凡愚とは異なり、生まれた時より多くを持っている。

 

 ガンプの法則。魔法で出来ない世界規範を示す論理。アレは魔法の有限性を記述すると共に、旧い魔法族の家系の在り様を戒める物なのかもしれない。

 

 富や金銭は魔法使いにとって本質的に重要で無く、しかし〝純血〟は、魔法で何が出来て出来ないかを良く熟知していた。食物──それを産み出す源泉となる土地などが典型だ。魔法で創れない物は確かに有り、それ故に彼等は不可能な場所に有る物を渇望した。

 この世界を如何に規定するかというのもまた同様。魔法省や国際魔法使い連盟などという後発の組織が出来る前から存在し続けていた彼等は、この世界を如何に規定するかに責任を負う事を覚悟していた。それが杖一本ではどうにもならない事を知っていた。

 

 だからこそ、彼等は当然に恵まれている。というより、恵まれなければなら無かったのだ。物質的にも、精神的にも。ただ魔法が使えるだけに過ぎない生き物共とは違って。

 

 しかしながら、だ。

 

「……言いたい事は何となく解りましたよ」

 

 大きく溜息を零しながら、敢えて呆れを表面化させて吐き捨てる。

 

「貴方の言葉を纏めるとこうだ。今の〝非純血〟の元スリザリンは、生まれの不公平さに悲嘆しがちな上に、知人も同僚も少なく、学生時代の好悪を引きずったままに新たな交友も広がらない。だから仕事が出来ないし、出世も出来ない。たかが七年に固執する、下流階級の愚物ばかりしか残っていない」

 

 魔法省に身を置いた事が無い、そもそも社会に出た事の無い僕には解らない。

 それが正しいのか、間違っているのか。老人の諫言なのか、戯言なのか。高貴なる者の慧眼なのか、打倒されるべき者の偏見なのか。

 

 ただ、老紳士の、貴族中の貴族が語る論理を理解出来ない訳でも無かった。出来ない訳でも無かったからこそ、下層階級に属する者として、こう評さねばならなかった。

 

「貴族らしい、市民に理解を示さない、陳腐で身勝手な理論だ。どんなに労働階級に入り混じっても、決してそのものには成れなかった、半端者の偏見だ」

 

 論理矛盾を内在しているとは指摘しなかった。彼がどういう立場を最初に取ったかこそを考えれば、その帰結自体は何ら不自然でも無かった。しかし、敢えて僕がそう評したのは、その二流所の一員としての矜持故の言葉であり、眼前の貴種に対する挑発だった。

 

 だが、バーテミウス・クラウチ氏は揺らがなかった。

 

「私はその傾向が強いと見るが、全てで無いのは事実だ。克服する者も居るし、上手く適応する者も居る。そもそもスリザリン内で上手くやれなかったが故に成功する者すら居る。一部を見て、全体を語るのが愚かしいのはこの場合にも妥当する。私とて、魔法界全てを知っている訳でも無く、知っているのは魔法省の範囲でしかない」

 

 彼は当然認める。

 例外の存在を、異例の有様を。

 

「しかしながら、同時に私は聞いてきたのだ。君とは違って普通のスリザリン生として過ごし、魔法省に入る程度には優秀な者が、このように零すのを。直接に、或いは間接に。特に魔法戦争後の十数年は、飽きる程に」

 

 堂の入った、大人の笑み。

 時に圧し潰された者だけが浮かべられる諦念と共に、彼は言葉を舌に乗せる。彼等の悲嘆に絶対的に共感出来ない出自の者で有るにも拘わらず、悲嘆と絶望を籠めて。

 

「──何故、己はスリザリンだったのかと」

 

 サラザール・スリザリンは、後継に対して純血たる事を求めた。

 そして現在ではというべきか、或いは当然の帰結というべきか。既に貴族と殆ど同意義に至ったその呪詛は、生まれた時点から貴族的である事を許された者の多くをスリザリンへと組分けし、そしてまた寮全体が貴族的存在の生育を前提に運営される事となった。

 そして、その事に対しスリザリン生の殆どが卒業時まで疑問を持たない。分断されたホグワーツの四寮こそが、自寮が提供する世界こそが学生にとっては全てであり、それ以外を知らないからだ。

 

 けれども、元スリザリンの労働階級が卒業後に新たな世界に出た時、偽りの貴族社会から出た際に、あの学び舎こそが異常だったと気付く羽目になる。

 スリザリンに組分けされた半純血が最も苦難に直面するのはホグワーツに在籍する七年間などでは無く、ホグワーツを卒業して以降の数十年なのだと。その残酷さを噛み締める羽目になる者が余りにも多いのだと、貴族中の貴族は残酷に宣告した。

 

 

 

 

 

 

 

「私は今、スリザリンにおいてのみ言及した」

 

 社会を、未来を憂える老紳士の諫言は、そこで当然終わりはしない。

 バーテミウス・クラウチ氏は、貴族の中の貴族でありながらも異端足り得る者は、本来知り得ない労働階級について我が物顔で語る。

 

「が、失望の対象が当該寮だけでは無いという事は言うまでも無かろう。現状故にスリザリンを詳細に取り上げざるを得なかったに過ぎず、私の立場は最初から一貫している」

 

 ホグワーツの寮区分自体を、正しくはそれに固執する者を嫌悪している。

 

「現在の四寮は何れも詰まらない構造に堕ちている。グリフィンドールであればグリフィンドールで、レイブンクローであればレイブンクローで、ハッフルパフであればハッフルパフで、その価値観の下に小さく纏まり、凝り固まっている。それから外れる者達でさえ、当該寮的では無いに過ぎない人間達が居るに過ぎない」

 

 ウェーザビー君もその一人だ、と彼は静かな怒りと共に零す。

 

「……ウェーザビー?」

 

 この老紳士が話題に上げる以上、魔法省の人間であるのは間違いないだろう。

 そして、魔法省に入るような者──つまり、ホグワーツでの成績優秀者で有れば、在学時期が被る限り、当然他寮に伝わる位には有名の筈であり、僕もまた知っている筈だった。

 けれども、ウェーザビーなどという人間は、僕の記憶には無い。

 

「嗚呼、そうか。これは私の失点だった。故に言い直そう。グリフィンドール出身で、監督生の地位を獲得し、首席にもなり、N.E.W.T.においてもトップの成績を修めた()()()、今年魔法省に入省し国際魔法協力部に配属されたパーシー・ウェーザビー君と言えば流石に君も気付くかね?」

 

 いや確かに、そこまで言えば誰の事だかは薄々想像が付くのだが。

 

「……失礼ながら、貴方は名前を」

 

 間違えていないか。

 そう問う前に、老紳士は強い語調で断言した。

 

「嗚呼、当然ながら間違えている……!」

 

 彼等貴族は、己の過誤を容易に認めなどしない。弱点を晒さない。

 それでもこの老紳士は、労働階級内に入り込んだ貴族は、平気でそれを為してみせる。

 

「間違えているとも。そして間違えない道理など無い。私は彼自身の口から訂正の言葉を、そして正しい名前を聞いていないからだ!」

 

 それは強烈な自負と、矜持と、信念とに裏付けられるが故に。

 単なる貴族以上のモノで在るべきだという覚悟こそが、〝純血〟以上の者足らんとしてきた意識が、この老紳士に過誤の認識を許容する。

 

「本来であれば、彼の名前を間違える筈は無い。私は耄碌するにはまだ若く、どういう理由にしろ彼の家は聖二十八族に数えられており、尚且つ私はアーサー・()()()()()()を同僚として知っている。かの赤毛の一族を知り、更にはクィディッチ・ワールドカップで彼等が並んでいるのをこの眼で見ている。第一、新たに部下となる者の名前を正確に記憶するのは上に立つべき者の当然の責務だ。事前に記憶していない筈も無い」

 

 けれども、この老紳士はウェーザビーと呼ぶ。

 貴族的な意地の悪さを隠そうとせず、誤解を誤解のままにしている。

 

「君が己の名前を間違って呼ばれた時、スリザリン的にはどう対処するかね?」

「……何がスリザリン的かは断言しかねますが、別に訂正してもしなくてもどちらでも良いのでは? そこは本人の好みの問題でしょう」

 

 ドラコ・マルフォイと僕が異なるように、スリザリン生にも趣味嗜好が有る。

 セドリック・ディゴリーの件は絶対的に否定されるべきだと考えるが、彼と僕の指針が違うからと言って常に否定する気も無いし、寧ろ異なって然るべきだろう。

 

「ならば君の考えで構わない。特に訂正しない場合にはどう考える?」

「間違った名前で有ろうと上司に記憶して貰えるならば良いという考えが一つ。後はまあ……上司に誤った名前を呼ばせる事で恥を掻かせ、周りから軽んじられるように仕向け、失脚に繋げるのも有りますか。どちらかと言えば、後者の方がスリザリン好みでしょうけど」

 

 二つを答えた僕には当然逃げが存在したのだが、老紳士は不問のままに頷いた。

 

「そうだな。貴族である者は、名前を間違って呼ぶような相手に対しては強烈な隔意と敵意を抱く。貴族の序列、道理が通った上で軽んじられるのは許容出来るが、名前を間違うなどという存在の否定など、絶対に寛容では居られない。我々はその事を決して忘れない」

 

 スリザリンは、本質的に陰湿で陰険である。

 けれども、そのスリザリンが生温く思える程の修羅が、貴族界には広がっている。スリザリンはあくまで模型で、ごっこに過ぎず、本物は次元が違う。寮内での侮辱は虐め程度にしか繋がらないが、彼等の世界では血を見る事に直結する。

 

「我々は必ずや尊厳を穢された事に雪辱を晴らす事を誓う。何時の日か侮辱した相手を下に置く事を願う。今回であれば誤った名前で呼び、その上で罪を贖わせようとする。それが、貴族としての本能である」

「しかし、彼はグリフィンドールでしょう?」

「であれば、正々堂々お前は間違っていると、そう指摘すべきでは無いかね?」

「…………」

 

 ……それは確かに否定し得なかった。

 ハーマイオニー・グレンジャーならば、決して躊躇しないだろう。あのハリー・ポッターもまた──この国に彼の名前を知らない者がほぼ居ないのはさて置いて──公然と不愉快を示し、真正面から是正を要求する事に違いない。

 相手が遥かに上の権力者だろうが、彼等の騎士的喧嘩っ早さは、その程度で止まらない。寧ろ、権力を歯牙に掛けないのが彼等の本質的な気質だ。騎士は王が間違っていると感じた時、叛逆する事を躊躇わない。

 

「別にグリフィンドール的で有る事を私は求めない。既に魔法省に所属する以上、それに寄り過ぎるのは寧ろ害悪だ。故にどういう形でも良い。レイブンクロー的に知性溢れる皮肉や冗談を飛ばそうが、ハッフルパフ的に周囲の者を駆使して上司の顔を立てながら修正するのでも良い」

 

 グリフィンドール的である事が必ずしも正解では無い。

 真正面から上司の非を指摘する事は、時には上司の反感を買い、憎悪を抱かれる事にも成り得る。世界は正しさのみで回っている訳では無い。愚者が権力を握り、賢人が閑職に追いやられるという事は何ら珍しくも無い。

 そして如何に正しかろうと、権力が無ければそれを実現する事は出来ない。スリザリンはそれを良く理解するからこそ、時に卑劣とも呼ばれる手段を躊躇わない。

 

「しかし、どれを取るにせよ、自分が生来体得してきた要素をもって、自分を構成する全てを費やして、己が名乗りを高らかに上げなければならないのだ」

 

 己が己であるならば。

 たかが七年に規定される存在でないと自負するならば。

 

「だが、ウェーザビー君はそうしなかった。何も考えなかった。緊張から自己紹介を失敗したのは別に構わない。貴族すら過ち、失敗するのだから、庶民に過ぎない者がそうであった所で一体誰を咎めようか?」

 

 故に、この貴族が最も気に食わないのはその後の話。

 貴族は失敗を恐れる。しかし、それ以上に恐れるのは、その失敗をそのままにする事だ。名誉が毀損され続けた結果、家名が地に堕ち、歴史の闇に消えていくのを幾度となく、幾星霜もの間見続けて来たからだ。

 

「しかし、彼は何の意図も目的も無く、成り行きのままを受け容れた。彼の知能と熱意は買っているが、あのような頭の軽さでは、権力を握る資格を有し得ない」

 

 ウィーズリーは純血で、聖二十八族にも数えられている。

 その一方で彼が本質的にウィーズリーを〝純血〟と考えていないのはこれまでの会話で明らかだが──パーシー・()()()()()()はそれ以前の問題なのだろう。

 

「君達は被支配者だ。世界を憂えぬ愚者であり、毎日の糧を求める事に追われる無知蒙昧な存在であり、卑屈で下賤な二等市民だ。しかし、それでも堅持すべき一線というのが有る筈では無いかね? 己が何であるかという信念。誰に何を言われようが貫く意思。世界において、如何なる存在として立つかの覚悟。それを求める事は、私の我儘と言えるかね?」

 

 バーテミウス・クラウチ氏は、貴族としての本流から外れている。

 けれども、貴族としての矜持を忘れたつもりは無く、貴族らしい振舞いをも忘れた訳では無いのだろう。彼は労働階級の中に在り、労働階級と共に仕事をしながら、しかしその原点とも言うべき思想はその身に宿している。

 

 貴族でありながら労働者足る彼は、労働者でありながら貴族足る事を求めている。

 グリフィンドール以上、レイブンクロー以上、ハッフルパフ以上、そして当然ながらスリザリン以上である事を望んでいる。

 

「しかしながら、貴方の論理は横暴ですよ」

 

 貴族が身勝手なのは今更の話だ。

 けれどもだからこそ、口を挟まざるを得ない。

 

「貴方は、最初に述べた筈だ。クラウチは、〝純血〟は、僕達の事を良く観て来たと。つまりは、凡俗で三流の下等市民の事を良く知っている訳だ。ならば、貴族で無い者の軽薄浅慮を歴史的に熟知している筈であり、本来そのような理屈が出て来る筈も無いでしょう」

 

 端的に言えばこうなる。

 

「期待し過ぎです」

 

 愚昧な劣等種なのだから当然に貴族では無いので有って、そこから外れてしまってはそもそも定義が成り立ち得ないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 解らなかった。

 この老紳士が、貴族として異端であるのは理解した。

 けれども、何故そのような思考を持ち得たのかが理解し得ない。

 

 如何に下賤の中で労働するような反骨精神溢れる者で有っても、貴族はそのような思考を持たない筈なのだ。彼の生きた環境は、そのような()()()()を産まない筈なのだ。

 

「貴方は貴族中の貴族だ。それにも拘わらず、僕達の肩を持とうとする。激励だろうが罵倒だろうが、僕達を認識している事自体が奇妙な話だ。それどころか、貴方はより上位で有る事を求める。それも労働者に対し、貴族のように振る舞う事を求める」

 

 異端を通り越して異形である。

 これをアルバス・ダンブルドアが言うならばまだしも、バーテミウス・クラウチの口から出て来たというのが有り得ない。本来の秩序として、有り得てはならない。

 

「貴種というのは、劣等種を視界に入れる事自体を認めない生き物だ。時を知る為に時計の裏側を一々覗く馬鹿は居ないし、歯車に時刻を表示する事まで求めるのは狂気の沙汰だ。だというのに、貴方はそのような真似をする。一体何処で貴方はそんな思想を拾って──」

「──昔はそうでは無かったからだ」

「…………」

 

 他人の話に割り込む無礼さを、その言葉からは感じなかった。

 誤解の修正。正しい位置からの教導。老紳士の否定は、その強靭さを感じた。

 

「昔はそうでは無かった。全体とは言えずとも、一部分は。君は非常に賢明で、聡明で、世界という物を良く見ている。だからこそ、当然に疑問を抱いた筈だ。何故、組分け帽子は──サラザール・スリザリンの思考を四分の一として受け継いだ魔道具は、半純血やマグル生まれをスリザリンに組分けするのかを。そして、恐らくは一応の結論も持っている」

 

 この老紳士は、スリザリンは純血以外の生存を想定していないと言った。

 けれども、彼はこのように、組分け自体を決して否定しない。なれば、その半純血やマグル生まれの生存は、果たしてどうやって確保されるべきなのか。……誰が保証すべきで有ると、彼が考えているのか。

 

「繰り返すが、私はスリザリンのみを見ている訳では無い。四寮制も然りだ。何故四寮制が()()()()()()()()()()()継続しているのかね? 〝純血〟が、或いはスリザリンに組分けされてきた多くの者が、その重さを、創設者達が残した願いと祈りについて一度も思考する事無く、呆けたままに血を繋いで来たとでも?」

 

 四寮制。現在も続く、当然の制度。けれども、それは可笑しな話でもある。

 始まりが四寮なのは解る。では何故、現在は()()となって居ないのか。

 

 そしてまた、秘密の部屋。サラザール・スリザリンの遺産。

 ホグワーツで学ぶ事が相応しくない者を殺す武器を秘したと伝わるかの部屋は、資格の有無を判断する為の鍵の一つを蛇語とし、蛇語は彼の血筋に約千年もの間連綿と継承され続け、()()()()()()()()、記録される限りにおいて、秘密の部屋はほんの五十年前程に初めて開かれたのか。

 

「君達が考えない生き物だと言うのは理解している。君達の〝普通〟を、我々は熟知している。けれどもマグルの世界と違い、我々にはスリザリンを内包する偉大なホグワーツが有った。半純血やマグル生まれも無分別のままに受け容れる、気高く尊き箱庭が有った。故に君達は学ぶ事は幾らでも出来たのだ。我々の思考を、流儀を、存在意義を」

 

 魔法使いという点において、新たな血を引く者は仲間と言えたから。

 サラザール・スリザリンを喪ったスリザリン寮が如何に拒絶しようとも、ヘルガ・ハッフルパフが当然に受け容れ、ホグワーツという場所で一か所に集う事を強制して来たからこそ、半純血やマグル生まれに対しても、その学習の()()が広く与えられた。

 

「だが、愚かしくも──まあ、当然と言えるかも知れないが──君達はそれを忘却した。区分されていたに過ぎない四寮を、分断されている物だと勘違いした。そして今は、スリザリン的、或いはグリフィンドール的と言った下らない価値観に固執し過ぎる始末だ」

 

 彼は七年を重んじない。けれども、軽んじている訳でも無い。

 

 寧ろホグワーツを偉大な学舎と考えるが故に──

 

「魔法戦争。忌まわしき分裂を、君達は引き摺り続けている。この十数年の分裂が、千年間も変わらず続いて来たなどという勘違いを犯している。歴史を知らない穢らわしき半純血やマグル生まれ共は、今が当然、サラザール・スリザリンが去って以降の在るべき姿だと思い込んでいる」

 

 ──今の在り様を、この老紳士は唾棄すべき物と考えている。

 

「かの戦乱は多くの魔法使いの命を奪い、純血と非純血間の憎悪を助長し、先祖代々の資産と人脈を受け継いできた純血達の多くをアズカバンに幽閉した。別にその史実自体を私は否定しない。彼等は為すべきではない事を、秩序と正義の下では許されるべきではない事を為した。そしてその多くを処理したのは、他ならぬ私だ」

 

 かつて次期魔法大臣と呼ばれた男は、その最前線に立っていた。

 

「しかしながら、過去までを否定するのは許されるべきでは無いと思わんかね? 君達に信念も意思も覚悟も無く、何の干渉も無ければ堕落すると理解していたからこそ、〝純血〟は君達の上に義務として君臨し、正しい方向へ導いてきた。この千年の繁栄は、我々の尊き奉仕、スリザリンに組分けされた者を含む多くの〝純血〟達によって創られてきた」

 

 支配階級的な独善をもって、彼は歴史に好意的な評価をする。

 正直、異論の余地は大いに有り得るだろう。彼が軽蔑する下層民には下層民なりの意見が有り、物の見方が有り、語られぬ歴史が存在する。どんなに言い繕っても、どんなに労働階級の振りをしていても、彼は骨の髄まで貴族であり、その宿業から抜け出す事は出来ない。

 

 けれども、普通の〝純血〟はそのような苦悩を抱かない。自身の正しさを確認するような真似はしないし、下々の細部にまで眼を向ける事すらしない。しかし、このバーテミウス・クラウチ氏はそうでなかったからこそ、今この場所に立っている。

 

 僕に対して、ホグワーツの生徒に対して、己の時間を費やす価値というのを認めている。

 

「貴族的責務、伝統の継承者として我々〝純血〟が四寮の交流をどれ程重んじて来たと思う? ホラスのスラグ・クラブ──彼はスラグホーン家だ──は一つの例だ。彼は偶々スリザリンだが、他三寮の〝純血〟も多かれ少なかれ同様の事をやった。魔法使い同士の人脈と血脈を繋ぎ合わせ、魔法界全体を広く見通し、世界を正しい方向へと導いてきた」

 

 しかし、それは壊れた。

 

 この異端の貴族にとって、第一次魔法戦争は、一般の人間が考える以上に致命だった。

 

 違う寮の違う者達の交流は、集団に新しい風を呼び込む。思考、価値観、或いは血そのものと言い換えても良い。多様性というのは種族の生存に必須の要素であり、故にホグワーツは四寮の存在を許容し、その上で全体が魔法族として纏まる事を求めている。

 

 求めていて──事実上、一寮が欠けた。欠けたままを、誰も是正しない。

 

「スリザリン的要素。そう括るのは本意で無いが、それでも半純血やマグル生まれ、或いはそのような者達に惹かれた俗人共はそれを喪った。馬鹿げた物だと蔑み、嫌悪し、不干渉とした。それらの要素を〝純血〟から奪ったのであれば私も文句は無かった。我々とて支配階級が変わるという経験が幾度も有るのだ。〝ブラック〟も〝マルフォイ〟も、一貫して至上だった訳では無い。けれども、君達は塵芥として捨て去ったのだ」

 

 狡猾。野心。同胞愛。臨機の才に自己防衛。

 それらを他寮の要素によって代替する事は可能だ。例えば、同胞愛は寛容や優しさ(ハッフルパフ)騎士道精神(グリフィンドール)によって、臨機の才は知性と機知(レイブンクロー)によって、置き換える事が出来るように見える。

 

 しかし、それは所詮代替だ。重なる点は有っても決して同一では無い。

 そして、スリザリンが掲げる諸要素を、喪っても何ら問題無いと考える人間がどれ程居ようか? 大多数の人間はそれらを必要だと考えるだろうし、にも拘わらず、ホグワーツは、魔法界はスリザリンを不要であると自惚れている。

 

「関係の広さは、手札や選択肢の豊富さを意味する。そして、人格の深みをも。かつての四寮間の交流は、当然にそれを産み出していた。〝純血〟ですら例外では無い。我々の多くはマグル嫌いだが、何より最も嫌う事は、何処からも招待されないまま慮外者扱いされる事なのだ。交流を余儀無くされた帰結として必然に、我々にも変化は齎されていたのだ」

 

 ……それは、彼が語った二流の元スリザリンにも救いとなったのだろう。

 

 四寮を超えた接触は、同類の仲間を探す事に繋がる。

 貴族だらけのスリザリン内には仲間が居なくとも、魔法省に働きに行く程度に過ぎない同輩を他寮で見つける事は出来た。自身にのしかかる激務に対して愚痴を零し、物解りの悪い上司を扱き下ろし、自分達が出世した未来の姿を想像して共に笑い合う事が出来るような者を探しに行く事が許されていた。

 

 けれども、そのような関係性は既に無い。

 今のスリザリンは孤独であり、孤立している。

 

「君達は進歩した、新しきを獲得したと思い上がっている。だが、千年以上を見て来た家の人間から言おう。君達は喪ったのだ。我等が受け継いできた伝統を、価値を、支配者の在り方を。衆愚に堕ちた馬鹿者達が、相応しくなき歪んだ社会を造り上げた」

 

 それは〝純血〟の価値観で、世界観であり、〝非純血〟たる僕とは本来融和しえない。

 

 嗚呼、けれども。それでもだ。

 

「だからこそ現在、〝純血(我々)〟の専横を当然に招いている」

 

 純血非純血をひっくるめた全ての世界。

 今の在り方が正しくないという一点において、彼と僕は一致し得るのかも知れない。

 

「魔法界は堕落し、魔法省は腐敗し切っている。そして、それを作り出したのは我々でも、看過しているのは君達なのだ。現状を維持し、守護しているのは君達なのだ。私が国際魔法協力部部長に追いやられて十数年も、決定的に追い落とせなかったのは君達の責任なのだ」

 

 ……何故だか解らない。

 けれども、彼はそうされるべきだったと強固に考えている。

 

 権力を握らなければ、握り続けなければ良かったと。

 己が貴族という身分に生まれ落ちた事自体を、心の底から憎み切っている。

 

「私が自分の息子をアズカバンに送った事を、君は知っているかね?」

「──。ええ、まあ」

 

 話題が飛んだ事で一瞬呆けたが、辛うじて頷いた。

 寧ろ、頷かされたというべきか。それは貴族である彼からは出て来ない筈の話題であり、それを彼の前でした者は居ないだろうと確信していたからだった。だからこそ、それを当人が敢えて口にしたという重さこそが、僕に間抜けのような反応をさせた。

 

「あれについて君はどう考える?」

「どうって──」

 

 広過ぎる質問だ。

 当然ながら、そのような質問を他人からされるのを想定した事など一度も無い。彼に限らず、第一次魔法戦争に関連する事について語るのは、現在の社会にとって広く禁忌である。

 ただ、後世の人間としてあれを見た上で、何も思わなかった訳では無い。

 

「……ならば一つだけ。何故貴方の息子を、父親である貴方が主催する評議会で裁いたんです?」

 

 僕の言葉に、バーテミウス・クラウチ氏は小さく顎を動かした。

 表情は変わらずとも、強固な意思の力で変えようとしていなくとも、満足を示していた。

 

「そうだ。如何に判決が最終的に多数決で有ろうとも、褒賞や罰則の決定に身内に関わらせる物では無い。これは法原理では無く、社会の経験則からの帰結だ。親は子供に対して過度に甘くする。或いは、過度に厳しくする。故に外されるべきであり、そして手続的な不正は、結果に歪みを産み得るものだ」

 

 ……彼が陪審の多数決を採っただけ、という考えは成り立ち得ない。

 あの裁判記録は、この老紳士が、自分の息子はアズカバンでの終身刑が妥当だという意見を述べていた。それが評決に無影響だったとは、口が裂けても言えはしない。

 

「けれども、愚物共は看過した。嗚呼、当然私に不満を告げる、正しき資格と知性を持った者は居たとも。だが、大多数は何も言わなかった。純血だから、聖二十八族だから、立派なバーテミウス・クラウチだから、そのような無法を良しとした」

 

 この老紳士は、自分の都合の良いように特権を使った。

 〝純血〟であれば、貴族であれば、その行為自体に疑問も罪悪感も抱かない。専横を極め、有象無象を蹂躙した上で己が意思を通す事こそ彼等の本分である。

 

 なればこそ、この異端の〝純血〟が、その行為を本心では何と評価しているのかは明らかである。

 

「して、それを踏まえた上でだ。あの裁判の内容は、正しく行われたと考えるかね? 端的に言えば、息子は有罪だったかね? それとも無罪だったかね?」

「……流石にそこまでは。ヒッポグリフの下らない裁判内容には幾つも眼を通した経験が有りますが、あの膨大な一連の裁判記録群にわざわざ眼を通す程暇じゃありません」

「ならば私から答えを言おう。アレは無罪だった」

「────」

 

 思わず、老紳士の表情をまじまじと見る。

 冗談を言っているのかと思った。けれども、彼は微動だにして居なかった。真偽を図ろうとする僕の眼を、真正面から受け止めていた。

 

「……貴方は誤審をしたと?」

「違う」

 

 口に出した瞬間自分でも馬鹿げていると思った言葉は、案の定、首を振って否定された。

 

「確たる物証が無かった。複数の証言も曖昧で、疑問を差し挟む余地が多々有った。厳密に裁判審理を進めれば、無罪が明らかになる事件以外の何物でも無かった。あの反応を見るに当時私以外の者は殆どそう思わなかったようだが、審理が進んだ後でまで真実を見逃し続ける程、ウィゼンガモットは馬鹿の集まりでも無い」

「ならば、無罪とすべきだったでしょう」

「いや、息子は間違いなく死喰い人だった。だから、私はアズカバンに送った」

「────」

 

 断言。

 手続に不正が有っても、内容は正当だったと老紳士は言った。

 

「解るとも。息子の嘘に気付かないとでも? 息子が革命の灯に惹かれ、闇の帝王に憧れ、その一団に間違いなく加入し、我が家を出ようとしていたのを知らないとでも? それらは私が敢えて見逃した、息子から無能だと考えられるのすら良しとしたに過ぎないのに?」

「…………」

「私は親だ。父親なのだ。気付かない筈も無い。どんな言葉を紡ごうが、()()()姿()()()()()()、私は息子の真実を見通せない程に愚物であるつもりもない。あの息子に対して馬鹿げた筋違いの同情を向けるような、半純血やマグル生まれ達と一緒にされるのは心外だ。侮辱であり屈辱だ。全くもって言語道断でしかない」

 

 その判断が、正しいという保証はない。

 老紳士は誤ったのかも知れない。彼の息子、同じくバーテミウス・クラウチという名を持つ者は最後の一線で踏み止まり、決して死喰い人などでは無かったという事も有り得る。老紳士が何と主張しようと、誤審をした可能性、すべきでない判断を下した可能性は有る。

 

 けれども──何となく、僕は確信してしまったのだ。

 バーテミウス・クラウチ氏は制度を大きく捻じ曲げ、また裁判内容に強力に干渉したのであったとしても、それでも彼は正義の下に適切な判断を下す事をしたのだろうと。あれは確かに有罪以外の何物でも無かったのだろうと。

 

「〝純血〟としての横暴で我儘な判断が無ければ、一人の残忍な死喰い人が社会に放置されたままだった。だが、それは未然に防がれた。息子をアズカバンに送るのを躊躇わない気高き親が居た御蔭で、君達のような愚昧な者達の安寧が守られた」

 

 秩序。それは如何にして保たれるべきなのか。

 その一つの教訓が、バーテミウス・クラウチ・ジュニアの裁判の中には存在していた。

 

「幸い、犬のように喚くだけで審理が進まない死喰い人が居た御蔭で、自分はやっていないと父親に泣き落としするだけの死喰い人をアズカバンに送るのに支障は無かった。真実が誰の眼にも明らかに見える以上、審理を適当に進める事を、殆どの者が疑問に思わなかった」

 

 嫌悪に吐き捨てた言葉に、ふと一つの閃きが有った。

 

「シリウス・ブラック。彼が逮捕された後、その警備状況はどうだったんです?」

「何故君がそれを聞くかは知らないが、当時魔法法執行部部長であった私はそれを答える事が出来る。現場に駆け付けた魔法法執行部隊が彼を逮捕し、闇祓いがそれに加わり、そして()()()()()()()()()()が就けられた。それ以上は流石に答えられないが、ポッター家の悲劇を生んだ犯罪者の警備は非常に厳重だったとは述べておこう」

「…………」

 

 シリウス・ブラックは、去年アズカバンから脱獄し、ホグワーツに侵入してみせ、グリフィンドール塔の『太った婦人』をナイフで切り裂く程度には正気を保っていた。

 しかしながらそれは、十二年間正気で在り続けた事を決して担保しない。そして、ハリー・ポッターが非常に吸魂鬼に()()で有った事を、僕は偶々知っている。

 

 僕の表情から十分だと察したらしい老紳士は、改めて続ける。

 

「逆の事も言える。〝ルード(rude)〟・バグマン。あの男も死喰い人容疑が掛けられた事は知っているかね? 別に知らなくても良い。結論を言えば、彼は疑惑を掛けられながらも、評議会から無罪を下され、アズカバンに送られる事は無かった」

 

 だが、と続ける。

 

「彼の犯した罪は情報の漏洩だった。それは事実であり、彼も認めた。けれども、果たしてそれは軽い物かね? 無罪放免に値するかね? 魔法戦争。戦争なのだ。あの男の軽はずみの行為でどれだけ捜査が混乱させられ、我々の抵抗が妨害され、どれ程の死人を産んだと思っているのか」

 

 言葉の端々には苛立たしさ、腹立たしさが強く滲んでいた。

 

「けれども、短慮で軽忽な三流共は無罪とした。有名なクィディッチ・プレイヤーで、自国イングランドの勝利に貢献したから。スポーツ一筋の男は頭が軽いのが普通で騙されても仕方が無く、アズカバンに送るのは可哀想だから。そんな下々の馬鹿げた理屈の下、あの有害物質を教訓無しに社会に放置する事を良しとした」

 

 その主張が正当なのかは、今度は判断し切れなかった。

 けれども、真正面から不当だと否定する事も出来ないように思えた。バーテミウス・クラウチ側、正義の杖と天秤を握る側からの主張として、真っ当に論理が通っている。

 

「世には資格無き者が蔓延っている。法の最高機関のウィゼンガモットでさえ。その一つの原因は、間違いなくホグワーツにこそ有る。たかが七年。されどそれが全てのように扱い、尊い物のように誤認し、しかも下賤極まりない白痴共は平気で解釈を間違い続けている有様だ」

 

 スリザリンの排斥。

 この老紳士はそれを指摘したが、偶々それが今の情勢で目に余るだけで、その事だけを憂えている訳では無いのだろう。

 

 魔法省と言う高級組織。〝純血(一流)〟で無いながらも、今の魔法界を運営する人材を輩出する場所として()()期待()()()()()()()世界の中で、彼は多くの人間を見て来た。そして、失望させられ続けて来た。自身は〝純血〟で有るが故に、人が支配者として本来在るべき姿を知るが故に、バーテミウス・クラウチはこの有様を看過出来ない。

 

 そして、彼が僕に──異端のスリザリンにこうして長々と語っている理由もそこに在る。

 

 当然ながら、老紳士は僕だけを見ていない。ここに聞き手は僕しか居ない。それでも、彼が僕のみに語っていると思い上がりはしない。

 貴族中の貴族である人種が、一人の人間に期待する程に殊勝では無いのだ。貴族とは、複数の人間を天秤に掛け、競争させ、分別する事によって、自身の目的を達成せんと欲する唯我独尊の生物だ。この老紳士が貴族ならば、当然にそうで然るべきなのだ。

 けれども、そうで有ったとしても、彼は僕に直接それを語る意義を見出している。貴族である者が、貴族でない者に対して、価値を感じている。

 

 変わって欲しいと、誰よりも祈っている。

 

 それが恐らく、彼が〝純血〟で有りながらも、〝非純血〟が蔓延る世界に身を置いた理由だから。この老紳士が青年だった時に、親や親族の反対や非難を振り切ってまで、労働階級の世界に身を投じた根源だろうから。

 

「……貴方は何を、いえ、何処から始めて欲しいのですか?」

「これまでの流れで、君に今こうして語っている事で、それは明白では無いかね?」

 

 自然に、傲慢に、けれども気品有る口振りで彼は解答を口にする。

 

「ホグワーツは狭い箱庭だ。頑迷で矮小な遊び場だ。けれども〝ホグワーツ〟という在り方自体が、四創始者の尊き祈りを継承し続けている。社会の全てを反映していなくとも、確かに魔法界の縮図であって、しかも社会では決して学べない多くの教訓を得られる貴重な場所なのだ」

 

 彼は四寮の分断を嫌う。特筆を憎悪する。

 最初から彼は、〝ホグワーツ〟の卒業生たる事を望んでいる。

 

「私は今の在り様が間違っていると思う。心の底から。けれども、変えようと思えば幾らでも変えられるだろう。嗚呼、そうとも。変えられる筈なのだ。大人達(我々)には資格と能力が無くとも、他ならぬ子供達(君達)はそれらを有している筈なのだ」

 

 彼は〝純血(我々)〟と〝非純血(君達)〟を区分する。

 それを当然する世界に長らく生きた者として、その因習から逃れる事は出来ない。

 

 けれども同時に知っている。その両者の、我々と君達の定義が違った時代が、自身の中にも確かに有ったという事を。ホグワーツという偉大な学舎こそが、それを許容していた事を。黄金の時代が存在していた事を、彼は重々承知している。

 

 ……そして誰よりも、それが既に喪われたのだと理解してしまっている。

 

「善き伝統は途切れ、古き歪みが悪しき形で露呈し、それでも決して全てが喪われた訳では無い。元より〝ホグワーツ〟は、偉大な人物達を数多く輩出して来たのだ。四寮を一つに纏め上げ、善く君臨し、貴族的な意思と理念と責任の下に正しき方向へと導く〝王〟。そのような者が現れるのを期待する事に、一体何の疑いが有ろうか」

 

 疑いは無いと、彼はそう付け加えた。

 ……だが、その声の響きが、彼の言葉の内容を裏切っている。

 

 この老紳士は、バーテミウス・クラウチ氏は、魔法省の最高権力者の地位に手の届く所まで昇り、そして今も尚、彼は決して低くない地位に君臨し続けている。そして魔法省というのは労働階級の成績優秀者の多くが行き着く組織であり、ホグワーツの上澄みを吸い上げて来た社会であり、しかし、その中で生き続けて来た者は、絶望しか抱いていない。

 

「──さて、レッドフィールド君」

 

 異端の貴族は、異端のスリザリンに改めて向き直る。

 視線を真っ直ぐと合わせ、堂々と、貴族的矜持の下に対峙する。

 

「私は長々と君達について、支配される者達の有様と現状について教示してきた。求められるべき人物像も提示した。故に、創始者が偉大なる種たれと望んだスリザリン寮に所属する少年、その中でも異端に身を置く人間。そして何より〝非純血〟の領分から外れ得ず、しかし〝純血〟の興味を強く惹き得る者にこそ問おう」

 

 何故、この老紳士がここに着地点を持って来ようと思ったかはやはり解らない。

 けれども、バーテミウス・クラウチという人間にとって、この一連の教示は、教導は、決して軽い物では無い。

 始まりが無礼なホグワーツ生への叱責で有ったとしても、今為されようとしている問いは、この異端の貴族からの挑戦であり──

 

「私の期待が見当違いでない事を示すホグワーツ生が確かに居る事を、君は提示出来るかね?」

 

 ──その問いは、彼の信念への、彼自身の人生の是非への審判を求めるもので有った。

 

「…………」

 

 しかし僕の中に、その答えは無い。

 沈黙を守る以外の選択肢は決して有り得ない。

 彼の絶望を癒し得る都合の良い存在など、決して知り得はしない。

 

 それに最も近しい資格を有するホグワーツ生は、ハリー・ポッター。或いはドラコ・マルフォイである。その両人以外には、そもそも資格自体が認められない。

 けれども、彼等はこのバーテミウス・クラウチ氏を満足させるまでの資質を持ち得ない。彼等には四寮を統合するだけの器が無い云々以前に、彼等はそのような四寮が統合される光景などそもそも想像だにしていないからだ。グリフィンドール的、或いはスリザリン的である事を過度に重んじる事を止めないからだ。

 故に、この覚悟有る問いを前にして、彼等の名前を軽々しく口にする事など出来ない。

 

 だが、老紳士は待った。

 僕が何らかの回答を示す事を。異端のスリザリンに対して僅かな期待を。

 

 そして、

 

 

 

「──少し観ていない内に、随分気安くなったようだな、ええ?」

 

 

 

 何時かを繰り返すように。

 外からの介入が、僕に回答しない事を許した。

 

「自分の仕事を放り出して一生徒と親し気に交流するなんぞ、本来の貴様からは有り得なかった筈だが。一体どうした? 何時の間にか主義信条を変えたのか? マッドと呼ばれる儂以上に頭が狂ったのか? なあ、バーティ・クラウチ。我が元上司にして、闇の魔法使いを激しく憎む、()()()魔法使いよ」

 

 老紳士へと真っ直ぐと杖を向け、蒼い瞳を四方八方へと間断無く回し、不器用に足を引き摺りながら、憎悪に歯を剥き出しにして近寄ってくる元闇祓い。

 

 言わずもがな、アラスター・〝マッドアイ〟・ムーディ教授だった。




・上流階級
 英国の上流階級は、ざっくり言えば貴族(peerage)とジェントリ(gentry)から構成される。両者の差異は、概ねの場合、爵位ないし称号(title)や貴族院資格等を有しているか否かである。

 当然これは単純で雑な区別に過ぎず、時代(特にブルジョワジー出現後)によっても異なる物で有り、連合王国である以上イングランドと北アイルランドでは一括りに出来る者では無いし、そもそも『ジェントリ』という用語自体が文脈・用法によって多様になり得る。
 更に複雑なのは貴族・ジェントリ間ではしばしば婚姻が繰り返されて関係性が近しい物で有った上に、ジェントリが貴族よりも裕福だったりする事も稀では無く、そもそも『ジェントリ』自体が流動的(ジェントリの子がジェントリとは限らず、逆もまた然り)だった。加えて後に出現する『ジェントルマン』、上流階級を飲み込んだその概念こそが、英国の階級社会を外部から理解するのを非常に困難にしている。

 しかしながら、敢えて上流階級の特徴を端的に挙げるとすれば、それは彼等の収入は主に土地を基盤とし、自らは『労働』ないし『仕事』をしなかった点にこそ求められる。
 商業的或いは職業的成功は、本物の貴族の観点では(それだけでは)決して上流階級の仲間だと認める事に繋がるものではない。

・ルード・バグマン
 一応言及しておくと、原作中において、アズカバン禁固刑を主張するクラウチに賛同した者は皆無である。

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